2019年12月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_3

 カウシーン・メフメトはメフメト軍の三代目である。片やシーフジンは今でもモハメド・シーフジンなのである。
 シーフジンは裏の仕事だけでなく、戦争に表立って参加する事もあった。彼らの最大の強みは戦争で死なない・・・・ 事である。足が速い上に、追い詰められると煙のように消える。敵兵が彼らを仕留める事は不可能に近い。
 ――今のモハメド・シーフジンは初代の孫である。
 と、バラザフは聞いていた。この情報を入れたのはシルバアサシンの長、フートである。
 バラザフもシーフジンというアサシンの名前だけは知っていた。余りに有名である。だがその実態となるとまるで知らなかった。それは自分の本分ではない。
「メフメト家のシーフジンというアサシン団に用心されたし。長のモハメド・シーフジンは常人の二倍ほどの大男で、バーレーンの神の果実だけを食して齢三百を越えただのという面妖な噂も纏っております」
 そして実際はそれは初代の孫だとフートは言うのである。
「詳細を穿つならば、シーフジンの出自はドーハ以前を辿ると、我等シルバアサシンと同じくアルカルジなのです」
 フートはまるで別人になったかのように、シーフジンについて聞かれもしないのに言葉多く語った。
「つまりシーフジンとシルバアサシンは同門と言えるな」
「そういう見方もできますな」
 バラザフはカウザ に被った砂をふっと息で掃いながら、フートの話を聞いていた。
「我等もシーフジンも普通のアサシンと異なる業を用います。出自が普通と違うためです」
「そうか。ではフートはシーフジンの強みも弱みも把握しているのだな」
「はい。言い換えると、我等の特徴もシーフジンに知れているという事にもなるわけです」
 バラザフはカウザ からフートに視線を遷した。
「シーフジンの一番の手柄というのは何だろうか」
 バラザフの中でシーフジンが形ある像として出来上がってきた。
「メフメト始祖のドーハでの台頭に始まり……」
「今代では?」
「カウシーン・メフメトのジュバイルの攻略が、シーフジンの今代における一番の働きかと」
 この戦いでカウシーン・メフメトは十万の兵で百万のジュバイル軍を打ち破って、この城邑アルムドゥヌ を手に入れている。十万の兵を分隊する際に各隊にシーフジンを編入して、四方八方に食い散らすようにして、ジュバイル軍を殲滅していったのだが、ただ蛮勇を以って敵に対したのではなく、シーフジンの速力を最大限活かして敵を翻弄しつつ倒していったので、ジュバイル軍は百万といえども殆ど戦力として機能出来なかったのである。
 もちろんメフメト軍の十万の兵のほとんどは普通の兵卒である。しかし、シーフジンという手練によって作られた流れ・・は、ジュバイル軍のそれとは逆に能く機能し、兵卒達はシーフジンについて、突進、転進、後退していくだけで効率の良い戦いが出来た。極端な場合、横を向いている相手を切り伏せるだけであるから、兵卒としては良い仕事にありつけたと言える。
「それはそれぞれのシーフジンが戦いの趨勢をはっきり読めたという事ではないか」
「その通りです。このようにアサシンを部隊として活用するやり方も、殿の知謀ならば可能でしょうな」
 シーフジンの戦いぶりを聞いて空恐ろしくなるバラザフに、語るほうのフートは活き活きとしていた。
「部隊として戦えるという事は、シーフジンはかなりの数が備えられているのか」
「二千前後と思われますが、明らかな数ではありません。兵士をシーフジンとして仕立てれば急増出来てしまいますゆえ」
「そんな事が有り得てしまうのか」
「あくまでそういう手があればという事です」
「急ごしらえで忠誠を誓うものなのか」
「裏切れば上が始末するでしょう。それは我等シルバアサシンでも同じ事」
「始末出来る程度に加減して育てるのか」
「お察しの通りです」
 いつの間にかバラザフはフートの話を食い入るように聞いていた。今やアジャール家では知謀一、二を争うと自負していたが、自分の知らない世界を垣間見て、未知への興味と怖いもの見たさで膝を乗り出している。
「さらには……」
 フートのシーフジンの話は続く。
「長のモハメド・シーフジンは本人が長命に生きながらえているにしても、孫に代替わりしていたとしても、手下の中でもその面前にとらえた者は殆ど無く、主家のメフメトの者ですらその実体は掴めていないとも」
 バラザフは手にしたカウザ に視線を戻し、虚空を見上げて、
「おそらくそれは虚言だ。流言の面白い使い方だと思うぞ。面妖な噂でモハメド・シーフジンの虚像を作り出して、それこそモハメドを魔人ジン のように仕立てて、実体を隠しているんだ。俺もモハメド・シーフジンを使ってみたいものだな」
 シルバアサシンを巧みに扱いながら、手駒を動かす醍醐味をバラザフは感じていた。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年12月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_2

 シーフジン――。
 このアサシン集団はそう呼ばれている。魔人の剣の意味の通り人外の業が彼らの仕事である。
 バヤズィトの曽祖父がこの地に勢力を興して以来、シーフジンはその影でメフメト家を支えてきた。このメフメト家の始祖は、シーフジンを大いに活用し、謀略、謀殺の任を担わせて、メフメト軍を肥大させてきた。
 バヤズィトは父からシーフジンの人ならざる者とも言える力を聞かされていたが、今初めて目の前でその力を披露されたのであった。まさに魔人のように在れて消え失せたのである。
 シーフジンというこのアサシン集団がメフメト家に与力するようになったのは、メフメト家の版図にドーハが加わった事による。
 一所に勢力が安居し、それが永く続くと支配者は領内の既得権を奪いたくなるもので、ドーハの旧領主も、この地のアサシン団から忠誠という縦糸を要求した。
 バヤズィトの曽祖父はその点をよくわきまえていて、力で押さえ込もうとせず、安撫策を採りシーフジンに概ね自由を認めていた。これが逆に彼らの信頼を勝ち取ることに繋がり、以来、メフメト家とシーフジンとは良好な関係が続いていた。シーフジンの棟梁はモハメド・シーフジンという名で呼ばれている。シーフジンに一人の人格として名を与えて呼ぶようなものである。
 そして、一般的にアサシン、間者ジャースース である者をメフメト家ではシーフジンと呼び、世間ではメフメト家のアサシンをそう呼んだ。

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2019年12月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_1

 たった一晩でダンマームから九頭海蛇アダル が消えた。多勢のアジャール軍はバヤズィトの夢想の中の存在になってしまったかのようである。自分達が追い返したから居なくなったのではない事だけは確かである。不可解な撤退であった。
 ダンマームの城邑アルムドゥヌ は陥落せずに済んだ。半死である自分も命永らえた。だが、まだ自力で歩き回るのは難しく、頭からも血の気が失せているのがわかる。
 ――あの猛攻も厳しかったが、撤退の手際も恐れ入るな。
 朦朧とした頭でバヤズィトは、戦いを回想し分析していた。あそこまで強攻めをして、しかも落城寸前にまで追い詰めておきながら退却していった理由は一体何だ。
 ――そうか!
 ここでバヤズィトは、アジャリア・アジャールの真の狙いがバーレーン要塞にあると思い至った。父親のカウシーンはバヤズィトにアサシンを配下として与えていた。今がそれを用いるべき時である。
「命を削ってバーレーンまで駆けてくれ。アジャール軍の到着より早く報せが届かねばならない。二十万の大軍がバーレーンに向っている事を報せるのだ」
 バヤズィトの命に言葉は返さずアサシンは消えた。青い煙のようなものだけを残し、それもすぐに霧散して見えなくなった。

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2019年11月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_19

 ハサーの包囲はナビール・ムフティという家来の部隊に任せて、自身はダンマームへ向けて出発した。アジャリアはダンマームの攻撃もカトゥマルに任せるつもりでいる。
「カトゥマル、ダンマーム攻撃でもお前が指揮を執るのだ。もちろんバラザフも一緒ににな。それとファヌアルクトを副将とする」
 ファヌアルクト・アジャール。ベイ軍との戦争で戦死したエドゥアルド・アジャールの息子であり、その名に猫の牙の意味を持つ彼は、その名の如く素早く敵を仕留めるの攻撃を得意としている。が、人を殺めた事はまだ無い。カトゥマルにとっては従兄弟であり弟のような間柄である。バラザフにとっては敬愛していた師匠の子供という事になる。カトゥマル同様、アジャリアの剣として武勇を賞賛されてはいるが、その実、猪突な性格で周囲を困らせる事もしばしばである。
 ダンマームはバーレーン要塞の西の対岸にあり、要塞の緩衝の役割を持つ拠点である。ペルシャ湾では一、二を争う貿易港で現代経済の中心地の一つであるアル・コバールと連携され、リヤドとも繋がっている。経済活動は農業、酪農を中心に行われている。
 太守はカウシーン・メフメトの子バヤズィト・メフメトが務めている。バヤズィト・メフメト、二十五歳。カトゥマル・アジャール、二十五歳。今、ダンマームの守備に二万の兵が充てられていて、しかもつわもの揃いである。太守バヤズィトも戦いの指揮に関しては、腕に覚えがある。だが、アジャリア・アジャールが二十万の大軍で接近していると知らされて、その自信は翳り始めていた。何をされるかわかったものではない。
 目下、アジャール軍のナジ・アシュールと一万の兵らが陣を張り始めているのが見える。バヤズィトの認識ではアジャリア本隊はまだハサーに居る事になっている。
 ――アジャリアがやってくる前にこいつらだけでも片付けよう。
 アジャリアさえ居なければまだやり様はいくらでもあるはずであった。
「あそこに居るアジャリアはおそらく幻影タサルール とやらだろう。勝てるうちに勝っておく」
 到着して間もないアシュール軍を、ダンマームの兵が襲った。しかし、敵の一万に一万五千を当てて戦ったにも関わらず、メフメト軍は崩れて城内へ逃げ込んだ。
 ――アシュール軍に居るアジャリアは本物だ。
 という認識をダンマーム側は持つようになり、それが報告としてバーレーン要塞にも伝えられた。ここでも幻影タサルール 効果が出始めている。
 ダンマームの緒戦の勝利はアジャリアの機嫌を大いに良くし、彼の食指をまた進ませた。
「カトゥマル。一週間でダンマームを陥とせ。アシュールの強兵を頼みとすれば強攻めでも良かろう」
 これにカトゥマルも大きく頷いた。元より猪突な性格の彼であるから、アジャリアのこの意に異を挟むものではなかった。傍で聞いていたバラザフもアジャリアの意向ならばと、攻撃の準備に入った。とはいえ城邑アルムドゥヌ 攻めるのはいつもながら楽観視は出来ない。バラザフは自分の部隊に十倍の敵と戦う覚悟を持つよう引き締めた。
「強攻めは無駄死にせよという意味ではないからな。奇策を用いぬというだけだぞ」
 両軍の矢が飛び交い、火砲ザッラーカ が火を噴いた。
「城の区画を少しずつ削るように取っていきましょう」
「だが父上は一週間で陥とせと仰せであった」
「十分出来うる時間かと存じますが」
 この日のうちに城から打って出る部隊があり、カトゥマル自らが単騎駆でこの隊を打ち破った。
「アジャリアの剣、カトゥマル・アジャールぞ! 冥府を希望する者は我が前へ出よ!」
 その後は乱戦になった。敵兵を跳ね飛ばして進み、敵将に一騎打ちを仕掛ける様は猪突な彼の性格をそのまま現していると言ってよかった。
 このカトゥマルの暴走ともとれる奮闘は結果として敵の意気を挫き、味方の士気は大いにあがった。補佐としてついているバラザフにとっては冷や汗ものだったが、幼馴染のカトゥマルが手柄を立てる雄姿を見て、心晴れやかになる部分も少なからずあった。
 カトゥマルと同じ毛色のファヌアルクトもこれに手放しで喜び、
 ――次は自分が単騎で駆けてやろう。
 と意気込んだ。
 バラザフはこの機に城内に退却する敵兵と共に中へ乱入した。先陣に出て戦うカトゥマルに触発され、闘志に火がついたのである。シルバ軍は逃げ込む城の兵の直後に付けて、気付かれないまま楽々と門を潜り、一区画を突破した。その辺り、闘志の火の中にバラザフは彼らしい冷静さも隠し持っていた。
 一つ目の広場に出た所で、
火砲ザッラーカ に備えよ」
 と注意を喚起した。城内で火砲ザッラーカ の集中砲火を浴びて一網打尽にされる危険がある事は最初に危惧したとおりである。ここまで突入してきたのも見込みの要素が大きい。
 部隊に防衛線を準備させている間に、城内の地勢を見渡すと奥の塔の上で質の良さそうなコラジン を着た若い将が自ら火砲ザッラーカ を構え砲口をこちらに向けている。
 ――あれが太守のバヤズィトだな!
 咄嗟にそう判断したバラザフは、腰の諸刃短剣ジャンビア を抜いて、バヤズィトを思しき人物目掛けて、目一杯力を込めて投げつけた。
 放たれた諸刃短剣ジャンビア はバヤズィトではなく彼の構えている火砲ザッラーカ の砲口へ入った。火砲ザッラーカ の火は外へ噴かず諸刃短剣ジャンビア のせいでこもる様に暴発して、爆炎がバヤズィトを包んだ。
 バヤズィトは近侍の者に介抱されて、そのまま姿を消した。
「狙い外したが案外届くものだろう」
「兄上、あの諸刃短剣ジャンビア は」
 バラザフの持つ諸刃短剣ジャンビア の貴重さをレブザフは知っている。
「数あわせで買った一本だ。それ以外はどれも失うわけにはいかぬ代物だから」
「咄嗟に一本を選ぶとは」
「普段からこれを抜くように訓練していただけさ」
 バラザフは空になった諸刃短剣ジャンビア の鞘を軽く叩いた。
「とはいえ、男の誇りである諸刃短剣ジャンビア を投げつける事自体、あまり感心は出来ませんよ」
「今後は常に投槍ビルムン の者でも待機させておくか」
 バラザフはほとんど気にしていない。
「おそらくバヤズィトは大火傷を負っただろうから、しばらく指揮は執れないだろう」
 そして先に命じておいた火砲ザッラーカ 対策の砂袋と防衛の隊列が整ったところで、奥の区画の門が開き敵の火砲ザッラーカ がまたもや火を噴いてきた。
「砂は投げなくていい。積み上げて門を塞いでしまえ」
 と、炎による攻撃を封じてから、
「弓兵、塀越しに矢を射掛けてやれ」
 三百人の弓兵が上に向って矢を乱射する。バラザフ部隊に所属する弓兵達も委細心得ていて、門の向こう側の敵兵に当たるように、天を射抜くような角度で弓矢を構えて放ち続ける。
 シルバの弓兵は城内の火砲ザッラーカ 隊を駆逐した。火砲ザッラーカ 部隊は前方が塞がれ、どうしたものか往生しているうちに、上から矢の雨が降ってきて、為す術無く自分の身体を矢に晒す他なかった。
「期限まであと残すところあと一日だが、我等の盛んな攻撃でダンマームもあとは中央だけだな」
 カトゥマルもバラザフも戦果に大いに満足していた。
 しかし、ここに至ってアジャリアの口から退却の命が出た。アジャリア本陣では三人のアジャリア・アジャールが威風堂々として座している。
 ――アジャリア様が三人も居るぞ。
 諸将は自分達の目に映るこの信じがたい状況について囁き合っているが、アジャリアはこれに一切取り合う様子も無く、
「今日までのダンマーム攻撃の戦果とは何か。敵に恐怖を植え付けた事である。これはバーレーン要塞の布石と心得よ」
 と改めて諸将に方針を訓示して、
「カトゥマル、静かにダンマームの包囲を解除せよ。今宵の内にダンマームを去るぞ」
 と即時撤退を命じたのである。
 明朝、全身火傷の身体を包帯に包んだバヤズィトは、痛みを我慢しながら指揮に出ようとしていた。
九頭海蛇アダル はどうした…」
九頭海蛇アダル などおりません」
「そうではない。アジャール軍だ。奴等から何としてでもこのダンマームを死守しなければ……」
 塔に登ってバヤズィトが見た物は、一週間前と同じ砂漠の静かな朝靄だけであった。

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2019年11月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_18

 アジャリアが想定したとおり、宵闇に城内から偵察兵が出てきた。これがバラザフが手配しておいたアサシンの罠に掛かった。アサシンの長はフート、つまり鯱と呼ばれている。元々、父エルザフに仕えていたが、現在シルバのアサシン団の半数がこのフートと共にバラザフの配下として働いている。
「メフメトの偵察兵を捕獲……」
 フートはいかにも裏舞台で生きる者らしく静かにバラザフに報告を入れた。
「何か吐いたか」
「五百名程で出撃してくる模様」
「それは俺たちで対処しよう。お前達は配置に戻れ」
 その情報をすぐにカトゥマルに入れて、迎え撃つ備えをしなければならない。
「日が昇る前に来そうか」
「おそらく」
「俺も出撃する」
「それはなりません」
 バラザフは、参戦するつもりでいるカトゥマルを、小規模戦闘には総大将は出るべきではないとして制した。まだカトゥマルにはアジャリアの剣として戦っていた武人として気質が抜けない。バラザフにアジャール軍の系譜である事を再認識させられて、ここは彼らに任せておく他なかった。
「こちらが待ち構えているのは向こうも承知だ。その上で出てくるのだから敵は死力を尽くして来るぞ」
 ――火砲ザッラーカ ! 一気に撃て!
 バラザフが配下を引き締めたその時、城内から火砲ザッラーカ が火を噴いてきた。
「慌てず砂袋投げ掛けてやれ」
 兵達が射線に向けて砂の詰まった袋を投げる。袋は空中で火の玉となり砂が舞った。無数の砂粒が拡散して霧のように膜になり炎を防ぎ熱を吸収している。撒き散らす砂の中で、袋の一つが爆破した。
「誰だ! 間違って小麦粉を投げた奴は」
 どうやら準備の段階で糧秣の袋が一つ紛れてしまったようだ。その炎もやがて舞う砂に呑み込まれ消し去られていった。誰に対してというわけでもなく兵を怒鳴りつけたバラザフだったが、内心に怒りは無い。火砲ザッラーカ の炎を巧く防ぎ、緒戦から上首尾である事への高揚の顕れである。
 やがて炎が途切れ、敵が門扉を大きく開き、百名程が打って出てくるのを機に、
「今だ! 矢を射かけよ!」 
 と反撃を命じた。
 門から出てくる敵に真横に射られた矢が突き刺さってゆく。ほぼ狙撃の形に近い。
 バラザフは弓兵を百人ずつ三部隊を編成していた。この三部隊で射撃稼動を循環させ、メフメト軍を襲う弓矢の凪は生じなかった。
 幸運にも撃ち漏らされて弓隊に一矢報いんと突撃をかける者も、脇に配置されたアサシンの投擲で着実に始末されていった。
 当然、バラザフは定石である槍兵も用意している。二百名の槍兵が門の傍で転倒している敵兵に止めを刺さんと襲い掛かる。その横を次の火砲ザッラーカ に備えて砂袋を携えた軽歩兵が駆け抜けてゆく。
 ――これしきの小競り合いでは少しの損害も出したくないからな。
 奇策という程の戦術ではない。だがバラザフは一手一手を細やかに指示して、味方を一人も死なせなかった。門の所には百を越える骸がある。それらはすべてメフメト兵で生者は全てアジャール兵である。
「これで十分だ! 一旦退くぞ」
 僅かに生き残った敵兵が城内に退却してゆく。良い戦果だとバラザフは認識していた。ここで逃げてゆく敵兵と一緒に門内へ駆け込んで攻撃するという手もある。だがバラザフはその戦術を取らなかった。
「門が開いている内に駆け込まないのですか?」
 例によってレブザフが尋ねる。
「うむ。敵が先に火砲ザッラーカ を使ってくれたのが幸いした。あれを知らずに城内に駆け込んでいれば、門を閉められて今頃集中砲火で一網打尽になっていたところだな」
「ついていましたね」
「ついていた。全てを想定しきるのは至難だからな」
 この時、フートの配下が城内へ駆け込んで様子を窺って来た。そして城内では火砲ザッラーカ が構えられ、弓兵も多数待機していると、バラザフの予想を裏付ける報告をした。
「手際の良い見事な戦術だった。見た目は小競り合いだがこの勝利は大きな意味を持つだろう」
 レブザフを通して報告を受けたカトゥマルは満足な様子を隠さず表した。
「俺はバラザフの活躍が我が事のように嬉しい。勿論父上もお喜びだった」
 アジャール軍の士気が上がる一方で、この一戦でメフメト軍の士気は一層低下し、中から突進してくる気概はすっかり失せてしまったようである。だがアジャール軍はおとなしくなったメフメト軍を黙って囲んでおけばよいというわけにはいかず、ベイ軍やバーレーンのメフメト軍からの援軍を相手した小戦闘はしなければならなかった。
 アジャリアはこれらの戦闘の勝利に満足しつつ、ついに自らも稼動体勢に入った。
「ハサーの包囲はここまでだ。次はダンマームに向う。ナジ・アシュールが待っている頃合だ」
「ダンマーム攻略に入るのですか」
 傍に仕えていたワリィ・シャアバーンが尋ねた。
「取れるものなら取っておきたい。が、強攻めは不要。ハサーと同様にダンマームもアジャール軍に手出しが出来なかったと、バーレーンのカウシーンとシアサカウシンに知らしめるのが目的だ」
 ――アジャリア様の狙いがハサーでもダンマームでもないとは思っていたが。
 ――さりとてバーレーン要塞を本気で攻撃するとも思えんな。
 事ここに至ってもアジャリアの真意が読めず、ワリィとアブドゥルマレクは囁き合っていた。
 ――カウシーン・メフメト殿にこれから会いにゆくのだ。
 アジャリアは記憶の中のカウシーン・メフメトという人物と対面しようとした。が、
「傷だらけだったのは憶えているが、なぜか目鼻がちっとも思い出せんな……」
 ――この方はアジャリア様だったはずだが、いつの間にやら幻影タサルール と入れ替わったのか?
「お前たち。わしは本物のアジャリア様ぞ。ん?」
 ワリィとアブドゥルマレクの囁きをアジャリアは愉悦を含んで窘めた。
 ――今、アジャリア と仰ったぞ。
 ――だが、あの自信はご本人の物に他ならぬ気がする。
 もはや重臣達ですら真実が分からなくなっていた。二人は臣下としてはいささか不敬な程、アジャリアをじっと観察している。
「面白くなってきた。ダンマームで待つアシュールの部隊にもわしが居る。メフメト軍の目にはこれはど映るだろうか」
 悪戯を仕掛けてその成果を待つ悪童のようにアジャリアは一人笑っている。

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2019年11月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_17

 数年前バーレーン要塞が百万の大軍で包囲された事があった。その総大将が他でもないサラディン・ベイであったが、その中身はカイロ、アルカルジ、オマーン、ドーハ他、各地方の反メフメト勢力の寄せ集めであり、指揮系統が確立していない軍とは呼べない集団であった。
 いかに義人サラディン・ベイであるとも、これらを統帥する術無く、バーレーン要塞の包囲を解除するに至った。その時ムスタファはバーレーンで参戦し、これらを見ていた。
 だが、ムスタファが眼下に見ているアジャール軍は、その寄せ集めとは全く別の存在で、城壁の上から遠くを見ても、戦意が高い精鋭である事がわかる。
 ムスタファの身体に怯えの気が漂っている。それが周囲に伝染し、ハサーの体温が冷たく、そして重くなっていく。
 ――この戦い、危うい。
 そんな空気が城内に伝播していった。
 この戦況を危険視したシアサカウシンは、カイロのサラディン・ベイに援使を送った。ハサー城内のムスタファからも援使は数回送られた。
 だが、ベイ軍からは援軍を撥ね付けられはしないものの、
 ――援軍の用意あり。しばし持ち堪えられよ。
 と返事されるだけで、援軍はやって来なかった。
 サラディン自身がメッカのザルハーカ教横超地橋派の蜂起に苦しめられている事を、メフメト軍は知らない。
 城内で怯えるムスタファにしても他勢力に援軍を求めるシアサカウシンにしても、決して無能というわけではない。寧ろ遠目に敵兵の士気を感得出来、敵将を侮らず力量を推し量らんとするは、下の将兵を束ねるのに最低限の器量は持ち合わせていると評価されてもよい。
 しかし、戦争は兵力の多寡もさることながら、奇策を生み出す人間の頭脳に依る所が大きい。即ち発想の豊かなる者、想像力に富む者は乱世で生き残れる確率が高まり、空想力の乏しい者はそれらに淘汰されてゆく。勿論、空想が双頭蛇ザッハーク壁浮彫ラーハ のように世に現れ出ない物であってはならない。
 砂の海の上に大きく横たわる九頭海蛇アダル の頭は切り落としてもいくらでも生えてくるだろう。奇策として一つの頭に対応出来ても、他の頭に食われる。それが怖い。
 アジャリアの包囲は固い。攻撃を仕掛けて兵力を消耗しないように、
包囲する事で持続的な威圧を掛けている。
「時を待て。敵がじっとして居られなくなった時に打撃を与えてゆけばいいのだ」
 と気長に構えている。

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2019年10月25日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_16

 アジャリアはアルカルジからサルワに転進してくる前に、アキザフ・シルバとその配下に対して、サラディンの奇襲に備えるように指示だけしておいて、子細は任せる事とした。流れとしてはシルバ軍もハサーに随行するように見せて、すぐにアルカルジの防衛に戻している。そしてナジ・アシュールという将に、
「わしの幻影タサルール をアシュール軍の大将としダンマームの城邑アルムドゥヌ の攻撃せよ」
 と命じた。
 つまりナジ・アシュールはアジャリアの幻影タサルールを見破れるか試験され、その運用を任される数少ない将に選ばれたという事になる。アシュール軍は負け知らずのアジャール軍の中でも最強の部類に入る。その強兵をアジャリア・アジャール自身が指揮しているという事実が作り上げられた。
 ――アジャリアがアシュール軍を率いてダンマームに向っている。
 そう報告されたシアサカウシンは目の前が真っ白になった。頭が焼かれそうである。
 シアサカウシンが報告を受けた時には、アシュール軍のダンマームの城邑アルムドゥヌ を包囲し始めていた。それを指揮しているのはアジャリア・アジャール自身であると、メフメト軍は受け取った。
 それが幻影タサルール とは、まだメフメトの間者ジャースース は掴んでいなかった。つまり表面上は、バーレーン要塞のすぐ対岸に、すでにアジャリアが出現しているという状況である。
 幻影タサルール で、バーレーンとダンマームを混乱に陥れる一方で、アジャリア本人はハサーの城邑アルムドゥヌ に現れた。
 本隊の差配をカトゥマルに任せる前に、アジャリアは大まかな方針だけは伝えた。
「ハサーの攻略は不要。向こうも打って出ないようにカウシーン殿から命令されているはずだ」
「ハサーの太守はカウシーン殿の子のムスタファと聞いていますが、我等が恐れる相手ではないのでは」
「そうだ。だから守備に専心するように命じられている。言い換えれば砦に篭れば大将の多少の役不足は補えるという事だ」
「バラザフはカウシーン殿を警戒すべき以外は何も申しておりませんでしたが」
「カトゥマルよ。臣下の献策に耳を傾ける事は上に立つ者の美徳といえる。またバラザフの言葉も聞くに値する。だが、バラザフの言葉の言いなりになってはならぬぞ。託宣ではなくあくまで献策に過ぎぬ事を忘れるな」
「心得ました」
「勿論、バラザフはお前にとってもわしにとっても信の置ける臣だ。しかし心の奥で少し離れて観る目を持たねばならぬ」
「はい……」
「では、そろそろ軍議せよ」
「父上は軍議には出ないのですか」
「大略は今言った通りだ。後は任せる。それにあまりわしが口を出し過ぎると、他のわし・・ とすぐ見分けがついてしまうからな」
「わかりました」
 話を終えカトゥマルが天幕ハイマ から出ると、丁度バラザフが偵察から戻って来て馬から降りる所だった。
「やはり守りは堅いか」
「はい。少なくとも向こうから仕掛けてくる気配はありませんね」
「ハサーは無理に攻め取らなくてもいい」
「やはり、然様ですか」
「だが、やはり取れるものなら取っておきたい。強攻めせずにここ押さえられぬものか」
「ここが主目的であれば、寝返りを仕込んで時を待ちますが、いかがしますか」
「いや……やめておこう。ここは武威を示すだけにする」
「御意に沿えず申し訳ありません」
「いや、お前が謝る事ではない」
「では兵を損なわないよう手配して参ります」
「任せたぞ……」
 すでにアジャリアの意を受けているかのようなバラザフの態度に、カトゥマルは自分の軍略の至らなさを意識せずにはいられなかった。
「バラザフ……。友として俺から離れずにいてほしい」
「お戯れを。カトゥマル様の足からは逃げられませんよ」
 冗談で返し走り去っていくバラザフに、カトゥマルは笑ったが、目の奥は熱くなっていた。
 感傷的になるカトゥマルの心を余所に、バラザフは実務的に動き回らねばならない。
「味方を損傷せず、敵を怯えさえなければな」
 まず、ハサーの城邑アルムドゥヌ の周囲に布陣するアジャール軍の囲みを幾重にも厚くさせた。
「ここを本気で取るならまたアサシンを使うんだがな」
 敵中に忍び込むという命がけの仕事をさせるだけにアサシンの運用には金が要る。まずは慎重に包囲しておく他ない。この先、アジャリアがどのようにしてバーレーン要塞を陥落させるのかも気になる所である。
 ハサーの城邑アルムドゥヌ 。城壁の上から外を見渡せばアジャール軍の兵で埋め尽くされ、天幕ハイマ がいくつも見える。
「アジャリア・アジャールが来た。このハサーの城邑アルムドゥヌ にこれほど多くの敵兵の押し寄せた事はない。私の戦経験の中で一番の難事だ」
 太守のムスタファ・メフメトは全身が強張っていた。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年10月15日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_15

 カトゥマルはカタール半島に入った。ここまで小さな街を二、三手中に収め、今カタール半島付根のサルワの街を押さえている。バーレーンまでは徒歩と舟で三日の距離である。半島海岸の反対側にドーハが在る。アジャリア本隊も、多勢でその土を踏み固めるようにカトゥマルの跡をなぞった。
 伝令が指示や情報を持って味方の間を駆け回っている。バラザフがこれらの情報を通して読み取るに、全体の方向量が金甲虫ジウラーン の色のようの絶えず変わり続けていると分った。
「やはりアルカルジが目的ではなかったのか。バラザフ、父上は北上しハサーの城邑アルムドゥヌ の攻撃に移るらしい」
 出陣前に通達されたとおりアルカルジを主戦場にする頭だったため、カトゥマルは心に、アジャリアのこうした千変する戦術に対する摩擦を感じている。
 頭と心がついていけないのはカトゥマルだけはない。味方の各将兵も少なからず混乱していたのだが、バラザフ一人がその中に在って全体を見澄ましていた。
 ハサーを攻撃するのであれば、アルカルジに集結させたり、サルワの街に入ったりと手が込みすぎだと各将は感じていた。反面、バラザフが落ち着いていられるのは、この揺さぶりこそがアジャリアの意図なのだと心得ていたからである。
「アジャリア様のアマル に照らして見るのだ」
 夜になって陣屋で弟のレブザフにバラザフは語った。弟であれば自分が警戒されないように知恵を抑える必要もないので、存分に話せる。バラザフは常々こうした外に発したい言葉を抑え、多少抑鬱がある。
「そのアマル に照らして見るやり方がわかりませんよ。私には何も見えてきません」
 レブザフはレブザフで見えない・・・・ という抑鬱がある。
「皆が言うようにハサーに来るのに、わざわざアルカルジに行かなくても良かったのでは。ハラドから真っ直ぐ北上したほうが食料も兵の疲労も少なく済むはずです」
 レブザフは自分が正論を言っている自信があった。
「それも正攻法ではある。だがここサルワまで来たのは徒労ではない」
「その意図が解らないのですよ」
「まあ、そう急くな。バーレーン要塞のメフメト軍を攪乱させる。これはお前も読めている事だろう」
「はい」
「アジャール軍の内部でも混乱しているのだ。攪乱は利いていると見ていい。狙いはまだある」
「というと」
「もう片方の敵さ」
「あ……」
「そうさ。アジャール軍はメフメト軍だけでなくベイ軍とも常に暗闘している」
「それでアルカルジですか」
 レブザフの方からすれば兄バラザフは訊き易く、自分を賢く誇張する必要も無かった。それ故彼は自分のくら きを進んで啓く師としては、兄は最も都合の良い相手であった。バラザフがアジャリアを無意識に真似ようとしてしまうように、レブザフも兄バラザフを模倣していた。血の繋がった兄弟であるが故に、その模倣にも無理が無いのが道理である。
「兄上達がアルカルジでベイ軍の侵入を見張っている。表面上はベイ軍とメフメト軍は繋がっている事になっている。だからわざわざアルカルジまで出張ってサラディンがどれだけベイ軍の加担してくるか見定めたのだ」
「来るならばその時点でメフメト軍の援軍要請に応じているわけですね」
「サラディン自身が精鋭で奇襲をかけてくる可能性は否定出来無くはないが、ベイ軍にとっては一番の戦機をあえて見過ごしたと言えるな」
「もしそこでサラディンが本気でアルカルジのシルバ軍を圧しつぶそうとしていたらどうなるのです」
「その時は軍議で最初に通達されたようにアルカルジから他勢力を排除して足場を固めていただろう」
「ふむ……」
 兄バラザフはアジャリアをすっかり信頼しきっているが、レブザフにはアジャリアがシルバ家を見殺しにしない保証など無いように思えた。
 ――血族を淘汰する人間に他家を護る信義があるのだろうか。
「レブザフの心配も分かるがベイ軍がアルカルジに出てくる線は、実はほぼ無いのだ」
 アジャリアと手札を共有しているという自信がバラザフにはある。
「アジャリア様が手回しをされていたからだ。メッカのザルハーカ教横超地橋派の人間にベイ軍と敵対するように仕向けたのさ。だからベイ軍はそこ抜けてアルカルジに抜けて来られないはずなんだ」
「横超地橋派の人間がよくアジャリア様の言葉に従いましたね」
「勿論、懇意の者を間に挟んでの事だろう」
「なるほど……」
「レブザフもアジャリア様の偉大さが理解出来たようだな」
「それは勿論理解出来ましたが、半分呆れましたよ」
 アジャリアはあまりにしたたかだとレブザフは言いたい。
「それに勿体無いです」
「勿体無いとは」
「兄上ですよ。そこまで知謀に優れているなら、兄上がアジャール家の継嗣として生まれついていれば、アジャール軍はもっと威勢を拡げたはずだ」
「馬鹿な! 不敬である」
 咄嗟にたしな めたものの内心ではバラザフは怒っていなかった。戦場に出る度に軍を指示してアジャール軍を動かす自分を想像していた。周囲を見渡して自分以外にアジャリアの戦術の妙諦に肉薄する者はいないとの自負もあった。アジャリアに次ぐ頭脳を持ったエドゥアルドやズヴィアドはもう居ないのである。
 だが、九頭海蛇アダル の頭はバラザフが見上げている場所よりもっと高い所に在った。
 アジャリアの目には高所から広い視野が見えている。バラザフの目もアジャリアに迫ってはいた。

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2019年10月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_14

 カウシーンはダンマームとハサーの城邑アルムドゥヌ にそれぞれ二男と三男を配している。これらにアジャール軍の侵攻に急ぎ備えるようにと命令した。いずれもバーレーン要塞への緩衝となる重要拠点である。
 アジャール軍の方では、バラザフが先鋒のカトゥマルの部隊と合流していた。
「アジャリア様の命でカトゥマル様の部隊を追ってきた次第です」
「おう、バラザフ。我等にも定められた行程がある故、お前が後ろから来ているのに気付いていても途中で待ってやれなかった。許してほしい」
「昔からカトゥマル様は足が速かったですから」
「何、あれでも俺は加減していたぞ」
「追う方は堪りませんよ」
 幼少時の同じ感覚を持った二人の会話は哄笑に変わった。この幼少時の幼い感覚にはナウワーフも含まれている。彼らは主家と家来という間柄でありながら、今でも冗談が言い合える仲である。
「バラザフは昔から知恵が回ったな。そんなお前に尋ねたいのだが」
「何か問題でも生じましたか」
「いや、問題が生じたという事ではない。カウシーン・メフメトという人物を戦う前に知っておきたいと思ったのだ」
「カウシーン殿ですか」
「うむ。父アジャリア・アジャールに匹敵する智勇の将という、世で言われている情報くらいしか分らない」
「私の持っている情報もそれと変わりありませぬ。一応父が申していましたのは……」
 バラザフは、父エルザフから聞いていた、カウシーン・メフメト像を語った。戦い方や交渉のやり方についてを、特にメフメト家のジュバイル獲得がカウシーンの活躍に依る所が大きい事を、押して伝えた。
「戦局を左右させ得る力があるという事だな。父に匹敵すると評価されるのも頷ける」
「戦いにおいて勝つための筋道という物が定まっているのかどうかはわかりませんが、戦略、戦術、外交、どれをとってもアジャリア様のやり方と酷似しているように思えるのです」
 アジャリアとカウシーンが似ていると話して、バラザフは自分も彼らのやり方を模倣しようとしている事に気付いた。やはり勝つための一定の法則はあるように思える。だが、今は頭の中でその方法論を形成してゆく時間は無く、自分等の本分を務め切らねばならない。
「父アジャリアに戦いで勝たなければいけないようなものではないか」
「その言葉は言い得ています。それほどの強敵であるが故に私も寒気がします」
 二組の人馬は離れ、バラザフは後ろの自分の部隊に戻っていった。バラザフは東の空に目を遣った。あの空の下に海があり、そこにバーレーン要塞が在る。
 その空にネスル が誇らしげに飛んでいるのが見える。ネスル は見る見る巨大化し大鳥ルァフ となり空を覆った。
 ――大鳥ルァフ よ。我等の九頭海蛇アダル の首はお前まで届いて吞み込んでやるぞ!
 自分は九頭海蛇アダル の手足だ。大鳥ルァフ に睨まれ背中に悪寒が走る。反面、もし自分が九頭海蛇アダル の頭として稼動出来たなら、どのように大鳥ルァフ を食い殺してやろうかという戦術的な楽しみもある。
「あの時もそうだったかもしれん」
 バラザフはベイ軍との死闘において、主将になったつもりで戦場の動きを見つめている若き日の自分を思い出した。すでに父親になったとはいえ昔日を懐かしむには些か若すぎる謀将アルハイラト である。

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2019年9月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_13

 アルカルジにアジャール軍集結。この情報がすぐバーレーンに届いた。
「何で素直にクウェートに行かんのだ!」
 新たにメフメト軍の統領となったシアサカウシンの頭の中は怒りと混乱で入り乱れた。
 難攻不落のバーレーン要塞を本気で攻撃するまいと思っていた。万が一来たとして、ジュバイルの城邑アルムドゥヌ 辺りからのはずであった。
「あの揺さぶるようなやり方が気に入らん」
「ではそれに揺さぶられてはならんぞ」
 すでに九頭海蛇アダル の術中に嵌っているシアサカウシンにカウシーンが話して看た。
「同じ高さで観ては九頭海蛇アダル の頭の一つが見えるのが精々だ。だが、上から観れば九頭海蛇アダル蚯蚓ドゥダ に見える。もっともあれは化け物蚯蚓だがな」
「あれが化け物蚯蚓であれば、父上はそれを啄ばむ大鳥ルァフ でしょう」
「その賛辞は嬉しいが父は老いた。長くは飛べぬ大鳥ルァフ よ。父はお前にこのバーレーンの空を飛んで欲しいのよ」
 偉大なる父を大鳥ルァフ に喩えたシアサカウシンは自らが成鳥となって久しく、名目上はメフメト軍の総帥として当主を継いでいる。だが客観的に見ても、親の欲目で見てもシアサカウシンが大鳥ルァフ としてバーレーンを制空する器とは評価出来ない。
 それでも親として子に期待せぬ事など所詮無理な事であり、老いたりとはいえ自分の命ある限りは我が子と一族を守りたいと、ついつい政務軍務の口を挟んでしまうカウシーンなのである。今は迫り来る化け物蚯蚓にこの地を食い散らかされるのを防がねばならない。
 上から観ろと子を諭し、大鳥ルァフ と称されただけあって、カウシーンの目にはアジャリアの意図が徐々に浮かび上がって見えてきた。
「シアサカウシン」
 虚空を真っ直ぐと見つめたままカウシーンはアジャリアの意図を描こうとする。
「アジャリアの狙いはこの父よ」
「父上を?」
「この父の命……というより、力比べよ。どちらが強いか、知恵が回るか、根気が上回るか。同盟に安居して我等はこれまでぶつかって来なかった。大鳥ルァフ九頭海蛇アダル 、ここで雌雄を決してみたいと父にも思えて来たぞ」
「父上……」
 血が沸き立ち震える父を、シアサカウシンは仰羨していた。まさにバーレーンを制空する大鳥ルァフ を眼前に見ていた。
「こちらも全力をぶつけてやりましょう」
「そうだな。あの九頭海蛇アダル がどのような奇策を出して、このバーレーンを落とそうとするのか楽しみなってきたわ。情報を拾え。アサシン、間者ジャースース を増員してアジャール軍の動きを追うのだ」
 父の威風に薫陶され性を成して、シアサカウシンの身体にも闘気が宿り始めた。
 カウシーンにはこれが自分の最後の戦いのなると分った。故、たとえ僭越になろうとも戦いの指揮権をやる気になっているシアサカウシンから自分に戻して戦おうと決めた。
 シアサカウシンに大鳥ルァフ の羽根のひとひらでも有していればよかった。見上げるような感覚や、地に足を着けて横を観る目も必要な時はある。民情を把握して民の暮らしを平らけく安らけくせんとする時がそれである。が、今地を這っていては九頭海蛇アダル に踏み潰されるか、いずれかの頭に呑みこまれて終わる。シアサカウシンを活かしてやるのは平安が訪れてからでよい。
 カウシーンも元々は土の如く地に有った。その土には戦場の薫りが浸み付き、鶏ではなく大鳥ルァフ に大きく焼きあがった。無論、戦場はその製陶を唯見過ごすという事はせず、言うなれば傷物として出来上がった。やがて陶の大鳥ルァフ は命となり、バーレーンの空を飛んだ。その意味ではシアサカウシンは父を的確に観て評したと言える。
 その目でアジャリア・アジャールを観て欲しい。だから、
 ――味方は活かせても敵は殺せぬ。
 というのが父カウシーンのシアサカウシンに対する評である。
 ジュバイル、バーレーン、ドーハ、マスカットにかけて、メフメト家は、ペルシャ湾、オマーン湾の南側の湾岸を支配下に置いている。サバーハ家の客将であったカウシーンの祖父がサバーハ軍の後ろ盾を得て、この地を支配するに至った。カウシーンの今までで一番大きな戦いダンマームでの戦いである。ダンマームはこの時まだ他の有力首長の支配下であって、相手はメフメト軍の十倍以上の威を誇っていた。これをカウシーンの活躍で追い出しアルカルジまで退かせる事に成功した。カウシーンが二十歳の時である。アルカルジもこのときはまだアジャール家の支配ではなかった。
「もうあの時の力は残っていない。だが、アジャリアと最後の対決となれば、ジュバイルの戦いの記憶が我が血をたぎ らせずにはおかぬ」
 ぐっと力の篭るカウシーンの腕は傷跡だらけである。その腕を見つめ、それからシアサカウシンを見遣った。

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2019年9月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_12

 風はバラザフが読んだように吹き始めた。
「戦いの主軸をリヤドとする。アルカルジ周辺からメフメト勢を締め出すのだ」
 この命令もアジャリアの攪乱作戦の内に入っている。アジャリアの一連の動きを鑑みて、メフメト軍は、
 ――アジャリアの本当の狙いはクウェートである。
 と判じた。よってクウェートの南のジュバイル辺りに守備に力を注いだ。アジャリアはさらにその裏をかいてアルカルジ周辺に全戦力を投入と言うのである。
 シルバ家にはアルカルジ、ハウタットバニタミム等の防衛を維持した上でアジャリア本隊に合流する部隊を賄うよう指示された。全軍がリヤドを経由してアルカルジの戦いに当たる。余力を残さぬ戦いになりそうである。
 出征の儀が閉められた。
 伝令が各方面へ一斉に走り出す。先発の軍はカトゥマル・アジャール。カトゥマルは新たにアジャール家の系譜の主としてハラドに遷っていた。
「バラザフはカトゥマルの先発隊と連動するように。アルカルジへ入ったら太守であるお前の父や兄にベイ軍とメフメト軍の連携を阻害するように指示し、それを伝えたらお前はバーレーン要塞攻略に参戦せよ。本軍は日を分けて出陣させてゆく」
 アジャリアは今回の戦いで全ての隠密タサルール を活用し切ってやろうと思っている。

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2019年9月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_11

 緒戦を勝利で飾ったアジャリアは、余力の将兵全てにバーレーン要塞攻撃を命じた。アジャール軍とメフメト軍の戦いは本格的な局面に入った。カーラム暦983年のベイ軍との戦争は熾烈を極めた。それと同じ規模の激戦がメフメト軍との間に起きようとしている。
 ――アジャール軍の総力をこの戦いに注ぎ込む。
 ハラド、リヤド、アルカルジ、クウェートといった各地のアジャール軍の兵は四十万を数える。
 いよいよアジャリアがハラドを発つ時、将兵を集めて出征の儀を催した。この儀に参列させるにあたり将兵等に大蒜トゥーム を食べぬように通達されており、また彼らもそれは心得ていた。
 屋外に設けられた香壇を前にアジャリアを始め居並ぶ将兵が厳か日の出を待つ。やがて、東の空が薄明るくなり始め、少しずつ赤を強くする。

 ――インシャラー!

 神がお望みならと唱和し、皆、体躯を折り頭を地に着けた。
 地平から光が差して、香壇にて乳香アリバナ が焚かれた。
 と、その上に水滴が落ち将兵を濡らした。光は差したままで日の光と雨とが彼らを包んだ。
「おお。これは神が我等アジャリア家を潤すとの御意思ぞ!」
 立ち上がって喜びを叫びで表すアジャリアに呼応して、皆も立ち上がり、歓喜に濡れた。
 その叫びの中に、此度の儀式のために戻ってきていたバラザフと幼馴染のナウワーフの姿もあった。バラザフもナウワーフも近侍ハーディル として務めていた頃、この儀式の香壇の準備をやっていた。
「微妙に今までとは違わないか」
「バラザフも感じていたのか」
「うむ。今、違いがわかったぞ。演出が過ぎるのだ」
「俺も一つ気付いた。バーレーン要塞を攻撃すると外部にもわかるように喧伝しているぞ」
「確かに」
「ではアジャリア様の意図は」
「陽動という事になるな」
 幼い頃よりアジャリアの傍近くに仕えていただけあって二人の読みはまさに当たっていた。
 アジャリアはアサシンや間者ジャースース に糸を付けて放ち、アジャール軍がバーレーン要塞を攻撃目標として定めていると情報を撒き散らしている。ハラドの城邑アルムドゥヌ の内にもメフメト家から間者ジャースース が送り込まれているはずである。アジャリアはそれも見込んでアジャール家中にもバーレーン要塞攻撃を言い続けてきたのだった。
 メフメト家はこの情報をどう料理するのか。
「アジャリア様の本心は、やはりクウェートの領域を全て固めたいのだろうな」
「本気を出して短刀でバーレーンをつつ きにゆくのか」
「とは思うのだが、もしかすると」
「もしかすると?」
「アジャリア様のアマル の大きさを考えると、案外両方欲しているのかもしれない」
「我が主君ながら、それが絵空事で済まされない方だとは思うよ」
「そうだな」
「そう考えるとお前の言う演出が過ぎるという違和感もはっきりと実感出来るな」
「どの道表面上はバーレーン要塞を攻撃目標とする事になるだろう」
「メフメト軍の方ではこれをどう取ると思う」
「迷っているだろうな」
「当たり前ではないか」
「いやいや、当たり前というが、当たり前の奴ならそのままバーレーン要塞攻撃と受け取るのだぞ」
「それはそうだが」
「裏があるのかどうか迷うくらいの知恵はカウシーン殿にはお有りだな」
「アジャリア様の方が一枚上と言いたいのか」
「それはそうだろう」
 ここまでの情勢談義に結論して二人は笑い合った。乗せる魚は違っても二人の俎板は近侍ハーディル 時代と少しも変わっていなかった。噂好きの二人であったし、自分の見えている物と同じ物が相手も見えているとなれば会話は弾む。見ている物を言葉に紡ぐ甲斐がある。
 バラザフが読んだとおりメフメト軍は迷っていた。相手の意図が読めぬ限り戦いの軸をは定まらない。つまりメフメト軍はアジャリアの指から出た蠱惑の糸によって、本領を発揮出来ぬ心理状態へ操られているのである。
 ――やはり真に恐ろしきは我が主君アジャリア・アジャール。
 剣が振られる前にすでに敵を斬っている。バラザフはこの恐ろしさを忌避して離れるのではなく、寧ろ憧れた。アジャリアという名の戦術を模倣すれば、それは自らの力と成り得ると単純に思った。

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2019年8月25日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_10

 戦いの趨勢の決まったジュバイルで、太守が降伏を受け入れるまで時を要せず、アジャール軍はジュバイルの城邑アルムドゥヌ を押さえ、この領域を手中に収めた。
 ジュバイルをアジャール軍の城邑アルムドゥヌ として機能させるための事務作業に勤しむバラザフにレブザフが寄って来て、
「例えばですよ、兄上。あそこでこちらの弓兵を城壁のすぐ傍に置いて、ほぼ真上に矢を射させれば、盾兵を越えて城内を攻撃出来たのでは」
 と問うた。
「向こうにも弓兵が居ただろう。盾を退かせて再び奴等が前に出てきたら、間近の良い的になるだけだ」
「なるほど。私が迂闊でした」
 とレブザフは軽く笑った。まだまだ自分は兄の兵術には及ばぬながら、己を知り少し成長出来たという嬉しさと、兄の知恵を頼もしく思う気持ちとがそこにあり、充実して自分の作業の持ち場に戻っていった。
 兄と比べてレブザフの死線をくぐり抜けるような場数はまだ少ない。だが、身近に理想的な手本が居る事と、自身への客観的な照顧と、吸収の良さが、彼を最短距離で謀将としての道を走らせている。

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2019年8月15日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_9

 城壁を一周投槍ビルムン 隊をで囲わせたバラザフは、槍を投げさせずに、まず、
「弓隊は城壁の盾兵を狙え!」
 と命じ、サッタームの部隊もこれに倣った。
 城壁の上では弓兵が一旦退き、盾兵がそれらを守るように、また城壁から矢の雨を中へ越えさせないように、盾を構え不動の姿勢で脚に力を入れている。
 矢の雨が悉く盾で弾かれ、味方に徒労感が漂い始めた時、
「よし。投槍ビルムン で盾を狙え!」
 と、投槍ビルムン 隊に指示が出た。
 強肩の投槍ビルムン 隊が助走をつけて投槍ビルムン を投げ始める。城壁の上では盾に鋭く尖った長柄の投槍ビルムン が突き刺さって兵が盾を動かせなくなっていた。先に弓兵によって射掛けられ、これを防ぐ癖を付けられた盾兵は、投槍ビルムン に対して敏捷に反応出来なくなっていたのである。
「弓兵、また出番だ。今度は敵の盾兵を避けて矢を流し込め!」
 矢の雨が降ってきた城内では混乱が起きていた。
「城内の兵に告ぐ! アジャール軍は手向かいせぬ者は傷つけない! 開門すれば血は一滴も流されぬであろう!」
 アジャリア効果で怯えていた所へ、矢の雨を食らってさらに恐慌した敵兵に内応する者が出て、ジュバイルの城邑アルムドゥヌ の門扉は開かれた。
「もはや抵抗は意味を成さぬ! 今、投降すれば助命は約束する!」
 城門の広場でバラザフは声を張り上げて叫んだ。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年8月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_8

 隠密タサルール を用いた「アジャリア効果」は、予想以上に高かった。サッタームの部隊の兵等の吶喊は天を衝いた。
 ――アジャリア・アジャールが来た!
 それだけで守備兵の手足は強張り、腰は引けた。どんな卑劣な手で謀殺されるか分ったものではない。
 圧倒的士気の差でカフジを陥落させたサッタームは、兵を分割してベルシャ湾を南下してそのまま二、三の城邑アルムドゥヌ を落としてある程度補給線を繋ぐ事が出来た。
 南下を続けた部隊はジュバイルの城邑アルムドゥヌ の攻撃に入った。サッタームの部隊に連動して移動していたバラザフは反対側に回り攻城に加わった。
 城壁の上に並ぶ守備兵を見てバラザフは、これまでと少し違う事に気付いた。弓兵の間に盾兵を配備している。こちらの弓隊からの攻撃から城内を守る狙いがあるようだ。
「レブザフ、投槍ビルムン を用意させろ」
「おお、使う場面が出てきたのですね」
「うむ。一つ思いついたから試してみたい」
 レブザフは、 荷隊カールヴァーン から投槍ビルムン を手配し、強肩の者を部隊から百名程選んで投槍ビルムン 隊を編成した。

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2019年7月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_7

 ファリド・レイスにアジャール軍のクウェート侵攻の報が入った。
 サバーハ家と手を結んだ事で彼らの主拠点であるバスラにレイス軍の兵を置いておけたファリドだったが、これを退かせて急ぎサフワーンの街の防衛に充てた。
 アジャリア軍の強兵共が押し寄せてくる。しかもそれをアジャリアが自ら率いてくるのである。兵を分散したままでこれに勝てる道理がなかった。利口な選択が出来れば傷口は小さくて済む。
 折角、ファリドとの間にバスラに帰れる渡りをつけたバシャールだが、アジャリアを恐れてまだバスラに戻れていない状態である。
「まさに幻影タサルール 作戦が利いていると言えるだろう」
 クウェートへ向けて進軍する道すがら、バラザフはそう考えていた。
 アジャリアはサッタームにクウェートとは別の南部のカフジの街に向わせた。クウェートからは徒歩で二日程の距離である。言うまでも無くサッタームは幻影タサルール としてアジャリアに化けている。
 クウェートの中心からサッタームを離して配置したのは意味がある。
「街は無理に得ようとするな。自分の存在を誇示すれば十分だ」
 クウェートからここまで南に離れていれば、そこから更に南側はすでにメフメト家の目の届く範囲に入る。つまりサバーハ軍とメフメト軍の間に幻影タサルール であるサッタームを置く事で両者を牽制する狙いがある。無論、挟撃される危険はあるが、今のサバーハ軍にその気概は無いとアジャリアは見ていた。ここは前回の撤退で荷隊カールヴァーン が奇襲を受けた場所でもあった。

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2019年7月15日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_6

 アジャリア自身はハラドから動かない。だが彼は諜報組織の活動によって、カラビヤート内外の情報を網羅出来ていた。
 アジャリア幻影タサルール 計画は、こうした諜報活動とは別の新機軸の計画である。アジャール家を九頭海蛇アダル にする。アジャール家の版図が胴であれば、アジャリアは頭である。
 体調を崩した際の当座の手当として戦場に出すならば、幻影タサルール は一人居れば足りる。しかしアジャリアの心計はそのようなありきたりのものではなく、九頭海蛇アダル の頭のように各戦場にアジャリア・アジャールを出現させてみたいのである。
 敵にとっては抜け目の無いアジャリア自らが戦場に出てくる事は迷惑この上無く、逆に味方にとっては万人の戦力を得たに等しく、将兵の士気高揚が大いに期待出来る。
 ――アジャリア・アジャールが自ら出陣している。
 全ての戦況において、これを作り出したいとアジャリアは思っている。常にアジャリア軍が十二分の実力を発揮出来れば、押しも踏ん張りも利く。効率よく戦いを進める戦場を想像して、アジャリアの食はまた進んだ。
 ファリド・レイスがサバーハ家からバスラ南の街サフワーンを譲渡された。ファリドに取り損ねたサフワーンをやるのには、バスラから追い出される形となったバシャール・サバーハを無事にバスラに戻して復権させる後ろ盾になってほしいという意図がある。
 以前にファリド・レイスを利用してクウェートに侵攻したアジャリアだが、此度もこれを皮切りにクウェート攻略を再開した。
「あの小僧、わしを差し置いてバスラを取るとは」
 バスラにバシャール・サバーハを帰還させたといっても、サバーハの今の力と、サバーハ家とレイス家が和解した事、ファリドが大手を振ってサフワーンを手中に収めた事を考えると、事実上バスラ周辺の地域がファリド・レイスの支配下になったといってよかった。
 アジャリアはバラザフがファリドを、
 ――若さに苔の生えたような男
 と評したのを思い出した。
「まさにあれだな!」
 自分の事は棚に上げ、それを白い幕で隠して、アジャリアはファリドの老獪さを蔑んだ。若者が老獪さを身につけている事、というより領土獲得で出し抜かれたのが我慢ならなかった。が、自分のそれは許されるのである。
「お前の見立ては正しかったようだ、バラザフ。ファリド・レイスは若さに苔の生えたような男、いや、苔そのものじゃ!」
 さすがにそこまで自分は言い過ぎていないと思ったバラザフだが、アジャリアがレイス軍をバスラ近辺から締め出そうとするのを、その怒気から感じ取っていた。
 ――岩から苔を剥がす、という事なのか?
 そして、クウェートに再度侵攻するという流れになっている。
幻影タサルール の手配はバラザフに任せる。サッタームの準備も手伝ってやってくれ」
 まずアジャリアは弟であるサッタームを幻影タサルール として戦場に出した。幻影タサルール 作戦を知るものはアジャール軍の中でも、ワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティ、そしてバラザフ・シルバのみである。

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2019年7月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_5

 速やかにバラザフの下から、アルカルジの兄達へ遣いが送られた。本家のシルバ家はずっと臨戦態勢にある。
「バラザフを通して、アジャリア様の替え玉を捜せとの指示が出ました」
 手紙を受け取ったエルザフは、アキザフ等に主旨を伝えた。
「戦いに明け暮れる日々が続くでしょう。アジャリア様はついにエルサレムに上る事を決断したようです」
「なぜ、その決断が分るのです」
「それは――」
 普通大将格が幻影タサルール を必要とするのは、身代わりとして本人の命が取られるのを回避するためである。だが、アジャリアはそれを複数人用意せよという。これはアジャリアが軍の多方面展開を意図している事に他ならず、シルバ家がアルカルジで威勢を保ち続けている間に、クウェート、バスラに出征して、レイス軍、メフメト軍とやり合うつもりでいる。これらの戦いにアジャリア・・・・ が前線に出る事が出来れば、味方の将兵の戦意を高揚させ、敵の威勢を抑制出来ると、バラザフは説明した。
「アジャリア様は、通常、守りのための幻影タサルール を攻めの作戦に用いようとしている……。まったく底の知れぬ方です」
「神出鬼没のアジャリア・アジャールが九頭海蛇アダル の頭のように各方面の戦場に出現するわけですね」
 さすがにシルバ家の当主となっただけあって、アキザフはエルザフの説き明かしを飲み込むのも早かった。
「父上、幻影タサルール を攻めに使うというのは我等シルバ軍にも応用出来るのではありませんか」
「それは困難でしょう。頭は増やせても我がシルバ家だけでは胴を俄かに肥えさせる事はできません」
「今はそうでしょうが、手札の一枚として憶えておいて損はありません」
 まだ衰えを知らぬ者の展望の明るさがそこにあった。
「それよりもバラザフ。今はアジャリア様の事です」
 すでに老獪となった謀将アルハイラト は目の前の現実を見通して言う。
「アジャリア様の野心は余りに大きい。ひょっとすると……」
「ひょっとすると?」
「アジャリア様はあのバーレーン要塞を攻略するつもりかもしれません」
「あの難攻不落のバーレーン要塞を!?」
「ええ」
「あの要塞はサラディン・ベイがネフド砂漠の首長等を引き連れて、百万の大軍を以ってしても傷一つ付けられなかったのに……」
 バーレーン要塞はマナーマの西のバーレーン島北部に位置し、ペルシア湾に面している。白い要塞はずしりと体躯を誇り、下でも白く輝く砂が太陽によって輝きその重量をしっかりと支えている。
 ここにはディルムンの古代の港と首都があったと伝わっている。その名に「遺丘」という意味を持ち、建物が建てられる事で砂丘が盛り上がり、時代を経てそれが砂に埋もれてゆく。今のバーレーン要塞の下には古い時代と文化が層を成して眠っているのである。
 燃える水――つまり油はまだ無く、真珠と漁業を産業の主軸としている。
 東西を結ぶ海上貿易の要所として重要性を持つが、その地位は周辺都市の発展度合いによって上下するものである。ここを押さえる事が出来れば、西側の勢力は後は海峡を抜けるだけで東のアルヒンドに進出が可能となり、東側からすれば西へ抜け切って、政治と経済の中心に自勢力の旗を立てられるのである。
 その戦略的に重要な地理条件というものが、年を経るにつれて、バーレーン要塞を自ずと堅牢にさせていった。
「もちろん、アジャリア様も十分それを理解してバーレーン要塞攻略に臨むのでしょう」
 アジャリアの意図を読むエルザフの言葉は確信めいている。
「父上、どうしてそこまで自信がお有りなのです」
アマル ですよ。私もかつては今のアジャリア様のような大きなアマル を抱いていました。シルバ家の領土回復を願っていた時代でさえ、その先があった」
「そのアマル に照らして見たというわけですね」
「そうです。おそらくアジャリア様のバーレーン要塞攻略は撹乱のためでしょう」
 最早、エルザフの中ではアジャリアのバーレーン要塞攻略は確定していた。
「陥落させる事には本気ではない、と」
「我々のクウェート侵攻は去年の時点でほぼ成功していました。メフメト軍に横腹を衝かれない様に、この辺りで押さえ込む必要があります」
「ついにカウシーン・メフメト殿と決着をつけるのですね」
「その前段階としてバーレーン要塞を封鎖してからになるでしょう。その作戦をベイ軍に阻害されないよう、我等シルバ軍はアルカルジを守らなくてはなりません」
「バラザフからのアジャリア様の幻影タサルール 探索の件、急がねばなりませんね」
 アジャリア・アジャールという人は用間の最たる巧者である。
 彼は、争覇の気運が高まると共に、職掌の多様性において発展を遂げていったアサシン達、言い換えると暗殺者カーティル間者ジャースース の糸を引くように使った。敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いという具合に分化していった彼らの職掌を細やかに使いこなし、彼らの頭目を信の置けるアブドゥルマレク・ハリティの管轄とした。
 彼らは商人、学者、僧侶、時には他勢力の役人に化けて各地に配置された。その数二千。恐るべき情報量がアジャリアの下に寄せられるのである。

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2019年6月25日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_4

 これでほぼ全ての重臣たちが幻影タサルール と分らなかったわけであるから、その効果は十分に実証されたといえる。
 アジャリアの口からは、幻影タサルール 探索の他にもう一つ意外な指示が出た。
「この仕掛けをエルザフ、アキザフに話しておいてくれ」
「わざわざ、父や兄にばらしてしまうのですか?」
「そうだ。シルバ家はアサシンを多く召抱えておる。それならばいずれ露見してから不信感を抱かれるより、真意を伝えておいたほうがよい」
「そうですね」
幻影タサルール の探索にはアサシンを用いてもよい。奴等の技量はこの務めに足る」
 シルバ家を戦力として見込んで方針を立てていたように、シルバアサシンもアジャリアの計画にすでに組み込まれていた。

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2019年6月15日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_3

 アジャリアの顔に焦りが見て取れる。言葉を返さず静止を解かないアジャリアにバラザフはさらに押しをかけた。
「貴方はアジャリア様の弟のサッターム様ですね。違和感を隠すための夜間の呼び出しとお察ししますが、どうなのです」
 サッタームを侮っているというわけでもないが、同じ主家筋でもバラザフの尊敬はアジャリアに対するそれほど強くはない。二人の間に言葉は流れないまま、僅かに通る風が燃料灯ミスバハ の灯火を揺らした。
 バラザフの背後の扉の後ろから噴き出す声が二人に沈黙に割って入り、それは大笑となってもう一人のアジャリア・アジャールが部屋に入ってきた。紛れもなく本人の気だとバラザフにはすぐ感得出来た。昨今の体格を以って自ずと威が示される姿である。
 十年以上、つまり今までの人生の半分以上をアジャリアの近侍ハーディル として務めた身である。アジャリアの発してきた気が自分に染み付いているのだ。本人を見分ける事など当然とバラザフは自負している。
「アジャリア様、一応お尋ねしますがこれは何なのでしょうか」
 にやりとしながらバラザフはアジャリアを見た。父エルザフに対するような距離感である。
「さすがはバラザフよ。よく見分した事だ」
 見破られた事がアジャリアには嬉しいらしい。
「主座に居るのがわしではない事ばかりか、正体がサッタームであるのも看破するとは、恐れ入るのう」
「他の者であれば、お戯れと疑われてしまいます」
「いや、普通はそれすら気付かぬのよ。お前が見破ることが出来て安心したわ」
「見破れるかどうか試したと?」
「うむ。お前の言った通りサッタームにはわしの幻影タサルール を務めてもらう。無論、実の弟を無駄死にさせるつもりはないが」
 燃料灯ミスバハ の灯火は今は揺れ動いていない。
「実はわしの幻影タサルール が後何人か欲しい。それでこの仕掛けを見破れるかどうか、一人ずつ呼び出して試していたわけよ」
「それを後ろか覗いていたのですね」
「気付いておったか」
燃料灯ミスバハ の火が揺れておりましたから。隙間風が通っている証拠です」
「参ったな、これは」
 アジャリアの仕掛けを見破れる者でなければ、幻影タサルール となる者を捜す任務を任せられない。バラザフの他には、ワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティ、トルキ・アルサウドがサッタームをアジャリアの幻影タサルール と看破していた。が、バラザフの洞察力はアジャリアの予想の上をいっていた。

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2019年6月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_2

 カーラム暦991年中頃、再びクウェートに侵攻するとアジャリアは宣言した。アジャリアの奇策は家臣たちの虚も衝いた。だが、彼の今回の意図は領土獲得には無い。 
 進発の差し迫ったある夜、バラザフは一人でハラドのアジャリア邸に来るように言われた。呼ばれた事自体、他に漏らすなとも言われている。おそらくクウェートに侵攻に関する何らかの重大な指示があるのだろうとバラザフは予想していた。
 折りしもその夜は新月。この時期の遅い日没を待ってバラザフは、ヒジラートファディーアのシルバ邸を出た。光の無い中、馬で駆けきらなければ、日の出に間に合わないし、朝までアジャリアを待たせるわけにはいかない。急がねばならなかった。
「急に呼び出した済まなかった、バラザフ」
「わざわざ月の無い夜を選ばれたのですね」
「うむ……まあな」
 燃料灯ミスバハ の薄い光に照らされる主人を見て、バラザフは、
 ――おや、
 と思った。
 アジャリア様は最近過食気味で体格が良くなったが、また痩せたのか。それに返す言葉に明瞭な切れが無い。僅かだが遅いと感じる。
「今夜、バラザフとどうしても密語の必要があってな」
「ええ、勿論」
 奇妙ではある。だが、呼ばれて来ている以上、これ自体がアジャリアの意図であると見なければならない。
「前にクウェートに侵攻した際にワシはお前に荷隊カールヴァーン の護衛を命じたな」
「はい」
「メフメト軍のアサシン団に奇襲されたときに、シルバ家で召抱えているアサシンで対応したと聞いているが」
「仰せのとおりです」
 一つ一つ確かめるような聞き方をしてくる。いつものアジャリアのように言外の会話が成り立たない。
 とうとう我慢出来ずバラザフのほうから質した。
「アジャリア様に対して余りに無礼とは存じますがどうかご容赦を。今夜のアジャリア様はいつもと纏われている気が違います。」
 微かに揺らめいていたアジャリアの気がぴしりと静止した。
「貴方はアジャリア様の幻影タサルール なのでは」
 アサシンの中には任務のために隠密タサルール という術を用いて、姿や音を消す者がいるが、バラザフは目の前のアジャリアが偽物であると見て、わざと幻影タサルール という人として認定しない言葉を使った。幻影タサルール という役目は言葉通り、消される・・・・ 事が多いからである。

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2019年5月25日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_1

 新しい年になってもアジャリアの戦略は全く停滞しない。それに付随するような形でバラザフも動き続けなくてはならない。
 相変わらず、アジャール軍は広大な包囲網の中にあった。しかしアジャリアにはアジャール軍単独でこれらに対する自信がある。余りに広すぎて包囲の意味を成さぬというのが一つ。そして、
「ベイ軍とメフメト軍の不和も我等と同じくらい根深い。いずれあちこちで綻びが生じるはずだ」
 というもっともな理由があるからである。
 ベイ軍とメフメト軍が共闘してアジャール軍と戦うとすれば、アルカルジ一点である。メフメト軍は北からベイ軍は半島を海岸沿いに南下してアルカルジの南に回れば挟撃が成立する。
 そのままいけばそこが三つ巴の場になるはずである。だが、そこからアジャール軍が一歩退いてしまうと、後はベイ軍とメフメト軍の単純な衝突の構図になる。
 ベイ家は当主がサラディンになってから侵攻路線を採っていないが、精強なベイ軍を駆って以前は南に進出していた。それはメフメト家も同じで両家は過去にしばしばアルカルジで衝突している。小領主が寄り集まって出来たこの地域は、ひとつの集落を落とすとその分、僅かではあるが自分よりの領土を確実に増やす事が出来る。大きな勢力からすれば攻め取りやすい領域であった。
 アジャール軍がアルカルジ周辺を獲得出来た経緯は、ベイ軍、メフメト軍がぶつかり合い疲弊した隙に、すかさず入り込み支配を確実にしたのである。アジャール家にシルバ家が傘下として入ってからは、諜報に強い彼らにアルカルジを任せたのが功を奏して、アルカルジにおけるアジャール家の支配は安定している。
「なに、ベイ軍とメフメト軍はおそらく噛み合わんであろう」
 アジャリアにはベイ家とメフメト家を繋ぐ同盟の糸のような物が見えているようだった。そして自信のある様子からすると、アジャリアがその糸に触れて吊る事が出来るようでもある。
 家来達にこの裏は全く読めなかった。ただ、
 ――また、アジャリア様が深謀で何かを掴んでおられるのだ。
 と、アジャリアの自信に乗った安堵感のみはしっかりとあった。

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2019年5月15日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_42

 クウェートからペルシャ湾沿いに南下して約一日。カフジという街に差し掛かった辺りで荷隊カールヴァーン に攻撃を仕掛けてくる部隊があった。メフメト軍の遊撃である。
 寡兵で茂みに隠れ弓矢を射掛けてくる。どうやら主な編成はアサシンのようだ。
 バラザフは荷隊カールヴァーン と騎馬兵を後ろに下げると、
「お前等、出番だぞ!」
 そう叫んだ瞬間、こちらに弓引くメフメト軍の後方から、さらに矢の雨が降った。
「好機! 騎馬兵は前に出て敵を捕縛! 生死も問わぬ!」
 色を失ったメフメト軍の遊撃隊は次々と騎馬兵に討ち取られ、早くも百人が物を言わぬ骸となって斃れた。バラザフ配下のアサシン団もすでにこの場から姿を消していた。
 奇襲に巧く対応出来たバラザフの兵も、荷隊カールヴァーン にも死傷者は出なかった。無論、荷物も無事である。アジャリア軍の中で語られるシルバ家の奇譚がまた一つ増えた。
 ヒジラートファディーアに戻ったバラザフは、バスラで会ったファリド・レイスという人物が気になって、札占術タリーカ で彼の未来を見てみた。アジャリアに騙されたのも含めてあまりに惨めであるが故に、逆に気を惹いたのである。
 卓上で捲られた札は――
皇帝インバラトゥール ! まさかな……」
 常にポアチャを頬張っている、あの風采の上がらない姿にバラザフはどうしても覇権を結びつける事が出来なかった。

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2019年5月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_41

 今度はアジャール軍が窮地に立たされる番である。盤面を見ると領土拡大に成功したようではあるが、ファリド・レイスによって反アジャール軍がひと繋ぎになったために、エルサレムへ向かうほぼ全ての道が閉ざされた事になる。
 どこかで搦め手へ回られると、途端にそこが包囲され、壁に鉤を掛けて引き剥がすように奪われてしまう。一つ穴が開けばすぐに次が取られるだろう。
 アジャリア・アジャールはクウェートの街を棄てた。ハラドまで戻って前線を固める策を練るためである。
 攻撃の指示を今かと待ち構えていたバラザフは、戦意を発揮する場所を与えられず、急な退却を受けて肩から脚まで脱力した。辛うじて首だけは上がる。
 退却時にバラザフに命じられたのは兵站の荷隊カールヴァーン を無事にハラドまで送り届ける任務だった。戦場で戦うのとは異なり、無事に目的地に着くまで、敵のや夜盗の類の奇襲に備えて、常に緊張感の中に置かれる仕事である。

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2019年4月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_40

 結局ファリドはバラザフに確約を与えた通りに、サフワーン攻撃に入った。バスラの包囲を解いてサフワーン攻撃に遷ったあたりをバラザフはファリドの中に義理を見たが、ファリドにしてみれば、
 ――どうせバスラを落としてもすぐアジャール軍に奪われるのであれば、気色を損なわないよう今は要求を呑んでおくか。
 という気であったかもしれない。
 ファリドの半ば諦めを含んだ読みは当たった。
 リヤドに居たカトゥマルの副官アルムアウィン サッド・モグベルが自身に与えられている部隊のみでバスラを占拠した。レイス軍に包囲され枯渇していたバスラは、包囲が解かれたので補給が行き来していたのであるが、その流れに乗ってモグベル隊は容易にバスラを取れた。
 ところがその先に流れがファリドを驚かす事になった。バスラ占領でほとんど力を失っていないモグベル隊は、勢いでそのまま西のハンマール湖を舟で渡り、ファリドの拠点であるナーシリーヤ周辺の集落を攻撃し始めたのである。
 これには辛抱強いファリドも本気で怒りを顕にした。
「悪辣なアジャリアめ! 利用するだけ利用して騙したのか!」
 持っていたポアチャを投げつけ、それを盛ってあった皿を蹴飛ばし、口に含んでいた物までも吐き出して喚き、耳まで赤くなって、もはや言葉になっていない叫びを撒き散らし続けた。
 ひとしきり大立ち回りを演じた後、アジャリアに背信を責める使者を遣ったが、
「今回のナーシリーヤ攻撃はアジャリア・アジャールが一切あずかり知らぬ事。こちらでも子細を調べた後でなければ対応できぬ」
 としか返答が得られず、拠点との間にモグベル隊が刺さった事で、レイス軍は孤立する状況に置かれてしまった。
「さすがに手広くやり過ぎたか」
 ファリドからの使者が退去すると、アジャリアは周囲のワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティに漏らした。
「モグベル隊はアジャリア様の指示で動いていたのですか?」
「そうだ。だが、ファリドに気付かれては、もうナーシリーヤまでは取れんな」
 勿論、ファリドにとってもアジャリアの返答など信じられるはずもなく、急いでナーシリーヤまで撤退すると、矛先をアジャール軍に向けたまま、またハイレディンに頭を下げ、カウシーン・メフメト、サラディン・ベイとの同盟関係を急速に構築していった。結局、アジャリアの口車に乗ったファリド・レイスのクェート出兵は益無き事に終わった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年4月15日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_39

 アジャリアの下に帰ってバラザフはファリドとの調子の調わない会見を報告した。
「バラザフ、お前はファリド・レイスという人物をどう見た」
 事実報告を終えたバラザフにアジャリアは尋ねた。バラザフが言葉に詰まっていると、
「お前の単純な感想を聞きたい」
「若さに苔の生えたような男だと思います」
「それは面白い表現だ」
「はい。かのお人からは結局光を感じ取る事は出来ませんでした」
「老成していると?」
「そういった練れた器にも見えませんでした」
「本音を見せぬという事だな」
「それに……」
「まだあるのか」
「私はあいつが嫌いです」
「そうか! 嫌いか」
 正直ついでに本音を全て漏らしたバラザフの言葉に、アジャリアは呵呵大笑した。
「これは愉快。だがな――」
 ひとしきり笑ったアジャリアは、ファリド・レイスという人物をバラザフに語って聞かせた。それによれば、彼は多感な幼少期をフサイン軍、サバーハ軍の俘虜として過ごし、それらの交渉材料として物を取引するように扱われた。俘虜のファリドの生活は本来あるべき貴人のそれとはかけ離れたもので、この世の汚泥を全て被ったかのような環境下で他人に胸襟を開くという事など有り得ず、バラザフを見下したような態度も彼の過酷な生い立ちを鑑みれば、無理の無き事と言えた。
 自分が味わった苦労に比べれば、同年代の者の経験など童子トフラ とさして変わらぬという思いがあっただろう。若者の光と無縁のまま成人してしまったのは至極当然である。
 周りに人が居ないという孤独は辛い。だが本当に人が居ないという事は砂漠で遭難でもしない限り現実にはあまり有り得た事ではなく、真に辛さとなるのは、人の中に居るときの孤独。それが一人の人間の心を情け容赦なく締め付け、歪めてゆくのである。
「窮めて哀れな御方だったのですね」
 アジャール家に厚遇され城邑アルムドゥヌ まで持たせてもらっているが、バラザフも最初は人質としてハラドに送られたのである。人生の種々相を見せられた思いがして、バラザフは心ひそかに目の前のアジャリアに感謝した。
「私と会っている間、ほとんどポアチャを頬張ったままでした。そのせいか、何というか……若い割には肉付きがよろしいようで」
「ほう、ファリドがなぁ。わしが昔配下に調べさせた情報によると奴は腹の肉が割れる程、鍛錬には精を出していたようだが、変われば変わるものよ」
 そう口にしたアジャリアには少しずつ肥えてゆくファリドの心情がわかるような気がした。彼は過去の不遇を憎んでいる。そればかりか過去の自分をも憎み続けている。それで太る事で風貌を変えて過去の己を消し去るという負の克己なのではあるまいか。自分の増長的な食欲とは対になるものなのだろう。
「そうか……。分った」
 とアジャリアはバラザフを下がらせた。
 食べるという事を意識した途端、彼の胃袋は何か食わせろと強烈に自己主張を始めた。アジャール家では胃袋までが厚遇されている。

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2019年4月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_38

 正直バラザフには荷が重い。何せまだまだ小隊長格の自分が主君の同盟相手に上から物を言わねばならないのである。相手の人となりが全く分らぬ上に、ファリドの出方や細かな心の機微も見落としてはならなかった。
 バラザフが面会を求めに行った時、ファリド・レイスはまだバスラを包囲している最中で、バラザフはファリドの野営陣に通された。
「すんなり分け前を寄越すまいとは思っていたが、こちらの取り分まで邪魔するというのか」
 バラザフの口上にファリドは怒った。当然の反応である。語気を抑えただけまだ辛抱強いと言える。
 バラザフとしても損な役目であるが、この瞬間二人の間に出来た大きな溝は生涯に亘って尾を引く事となった。
「なぁ、バラザフとやら。俺はバスラを取るのに忙しいのだ」
「存じております」
 ファリドは使者との会見であるにもかかわらず、ポアチャを脇に置いて齧っている。
 完全にバラザフが若造だと思ってなめてかかっている。が、ファリド自身、バラザフを侮っていい程、歳を経ているわけでは全くない。この時ファリド・レイス二十六歳、バラザフ・シルバ二十二歳である。
「どうだろうバラザフ、俺には会えなかった事にして帰ってはもらえまいか」
 正気で言っているのかとバラザフは疑った。アジャリアに嘘を報告するつもりも毛頭無いが、仮に会えなかったと言ったとして、そんな事を信じるアジャリアではない。ファリドがこちらの申し出を断ったと受け取り、レイス家はバスラ諸共アジャール軍に踏み潰されるのがおちである事は、バラザフの目から見ても簡単に分る。
 要求をいかにして飲み込ませるか思案していると、
「冗談だ。サフワーン攻撃はやっておくと伝えておいてくれ」
 と、もってまわったような承諾をファリドは返してきたのだった。
 バラザフは一応冷静に心の目を働かせ、ファリドを観察していた。だが、どうにもこの人物を掴む事がかなわない。ただ、
 ――こいつは嫌いだ。
 と率直に感じた。若者が放つ独特の光がこの男には無かった。

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2019年3月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_37

 未だバスラの包囲を続けているファリドに対して、アジャリアは、
「貴様は後は自分でそこを取っておけ。いずれわしが貰い受けてやろうぞ」
 としか考えていない。アジャリア・アジャールにとってファリド・レイスは、まだまだ格下の相手なのである。早くもクウェートの太守府に腰を落ち着けて、アジャリアはバラザフを自室に呼んだ。
「ファリド・レイスという人物を知っているか」
「名前しか存じません」
「実はファリド・レイスに使者を出したいと思っていてな。サバーハ家の家来達と話を詰めるため、人が足りない。それでバラザフ、お前に行って貰いたいのだ」
「承りました」
 アジャリアはバラザフに手紙を渡し、同様にバラザフの口からも伝えよという事で、アジャール軍は明日にでもバスラ方面の攻略に掛かるので、レイス軍はバシャールが逃げ込んだサフワーンを攻めよとの旨である。
 すでにアジャリアの頭の中でファリド・レイスは共闘仲間ではなくなっていて、ファリドへの伝言も命令調になっているあたり、アジャール家がレイス家の主家になったと考えていた。
 元々、アジャリア家と対等な同盟関係であったのはサバーハ家であって、レイス家はそのサバーハ家とは従属同盟であったのだから、アジャール家が主家となるのは当然の流れであって、アジャリアの頭にはアジャール家とレイス家が対等同盟であるという理屈は最初から存在しなかった。

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2019年3月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_36

 バラザフは騎兵百五十、歩兵三百を任されている。若くして一太守に抜擢されたとはいえ、こちらはまだまだ小部隊の隊長なのである。
 一週間後、クウェート――。
 バシャール・サバーハはクウェートの街を棄てた。アジャリアの率いる大軍がクウェート間近に迫ると、慌てふためいて北のサフワーンの街まで一目散に逃げたのである。軍用のみならず身近の馬まで家来に持ち去られ、哀れにもサバーハの一族はサフワーンまで自分の足を繰り出し続けるしかなかった。しかも、彼等がサフワーンの街に逃げたとすれば、アジャール、レイスに南北から挟まれる事になってしまうのだが、そんな大局を見る目は度を失ったバシャールは、全く持ち合わせていなかった。
 結果、一滴の血も流す事無く、アジャリアはクウェートを手に入れた。無論、分け前をファリドにくれてやるつもりもない。

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2019年3月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_35

 ハラドから一部隊がバラザフの部隊に合流しようとしている。その部隊を待つためバラザフは合流地点で進軍を止めた。
 寒風はハラドにも来た。
「風が乾いておるな。水の補給に心を配らねば」
 野心に燃えるアジャリアの身体は寒さなど受け付けぬらしく、悠然とアジャリア本隊を北へ進めた。クウェートの南、カフジという街が合流地点で、そこまで一週間程の行程である。カトゥマルの部隊もリヤドを進発した。
 ――レイス軍、バスラを包囲。
 伝令からアジャリア本隊に情報が入れられた。
 バスラはクウェートの北の大きな街である。本来、レイス軍のような小さな勢力に手に負える要所ではないのだが、サバーハの威が弱まっている事と、アジャール軍のお蔭で南から衝かれる心配が無い事とで、ファリドは大きく出たのである。
「まったく。意外と簡単にいけるではないか。こんな事ならさっさと取っておくべきだった」
 そう言うファリドの中にはすでに、ファハド・サバーハ存命中に小さくなっていた自分は居なかった。

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2019年2月28日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_34

 バラザフ・シルバの城邑アルムドゥヌ ヒジラートファディーア――。
「アジャリア様のサバーハ家救済を偽善だと言う者も少なからず居る。正直俺もあれは建前だと思う。だがその先にアジャリア様の大宰相サドラザム という夢があるとすれば、俺はそれをお支えしたい」
 と家門まで抱いて連れてきた、まだ話も分からぬ幼い二男のムザフを降ろし、見送りについてきた長男サーミザフ、二人の息子の頭を撫で、父バラザフは馬に跨り戦場へ向かった。遠くはなれ小さくなる父の背を二人の息子はいつまでも見送り、父の姿が見えなくなってもなかなか家へ入ろうとはしなかった。
 見兼ねた母が二人に入るよう促したが、そうした彼女自身、後ろを振り返り、夫の無事を祈り、胸を強く痛めているのであった。母子を包む冬の風は冷たい。

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2019年2月27日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_33

 アジャリアの裏が見えていたのはカウシーンばかりではない。クウェート侵攻を持ち掛けられたファリドも、クウェートはアジャリアがエルサレムに上るための最初の拠点にするつもりなのだと気付いた。
 レイス軍の主な城邑アルムドゥヌ ナーシリーヤ、ほぼ一点である。このレイス家の勢力を潰さずに保つには、フサイン家もしくはアジャール家の力を借りるしかなかった。そして二つを天秤にかけた結果、新興勢力のフサイン軍より、安定した強さを誇るアジャール軍を拠所としてアジャリア・アジャールの方を選んだというわけである。
「どうせアジャリアは我等にクウェートの半分すら分け前をくれる気は無いのだ。我等はアジャール軍という砂避けが手に入れば上々」
 とファリドは大して気乗りもしないクウェート侵攻に一応付き合ってやるつもりでいる。
「まったく。この寒い中に軍など出さなくてもいいのにな」
 馬上でポアチャを齧りながら、大欠伸するファリド。まるでやる気が無かった。

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2019年2月26日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_32

 アジャリアの子アンナムルが言葉にしていた事が世に具現化して来たかのようである。
 カウシーンが見透かした も外れていなかった。ファリド・レイスは思案の末、アジャリアにクウェートという馳走の載った皿を見せられ、それを半分食う話に乗った。これはハイレディン・フサインとの蜜月な関係からかなり距離をあける事も意味している。
 メフメト家は割りと領土に恵まれている。乱世の始まりから勢力を拡大していたメフメト家は、ある意味では成長期は終わり、今の領土を守るだけで十分であるという時期に入っている。
 これに比べてアジャール家はハラドからリヤドへ拡大し、ジャウフ近辺も押さえるまでに成長したとあっても、実際手に入れたのは砂ばかりで、このまま成長を続けて、衰退著しい現大宰相サドラザム のスィン家を押し退けて覇権を握ってやりたいとアジャリアは思っている。

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2019年2月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_31

 カーラム暦990年の終わり、新たな年が来る直前になって、アジャリアがクウェートを攻めると再び言い出した。
「前にも言ったがわしのクウェート侵攻には大義がある。サバーハ家を護るという大義がな。もたつくなよ。クウェートがフサインやらレイスやらに食われてしまう」
 と大義を表に掲げて家臣を立たせたものの、その家臣達でさえアジャリアの言葉に領土欲が滲み出ているのを肌で感じていた。が、主命であるので、アジャリアの大義を意図して好意的に受け取ってここはそれぞれ己を奮い立たせるしかない。
 家来達はこれで済むが、外部にはこうした建前は虚言としか受け取れない。
「欲を見透かされるのが分かっていて、猶大義を打ち立てようとするのが憎らしい」
 アジャリアのクウェート侵攻を見て、アジャール家のもう片方の同盟相手であるカウシーン・メフメトは苦い表情を露にした。というのも彼が見えていたのはアジャリアの欲深さのみならず、フサイン家、レイス家の対抗措置と言っておきながら、その裏で同盟し口裏を合せている。
 そしてレイス家とサバーハ家の領地を山分けした後、バシャールを追い出すなり、監禁するなりすれば、ほぼ労なくして益を得る事になる。
 アジャリア家の領土が殖えるのも気に入らなかったが、大義を旗に振って偽善を成そうとする様がカウシーンには許せなかった。メフメト家も元はと言えば、乱世の騙し合いの中でなり上がってきた類なので、人の事は言えないのだが、アジャリアのように人欲に偽善の衣を着せるような事はしたくないと、カウシーンにはカウシーンなりの矜持があった。
「シアサカウシン。アジャリアにはこれまでだと言っておけ」
 カウシーンはアジャール家とは手切れとしながら、
「ベイ家と手を組んでアルカルジ辺りを挟撃してやりたいが、あそこにはシルバの倅が入ったと聞く。全く手抜かりの無い事だな」
 とベイ家と共闘する道を探り始めた。

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2019年2月24日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_30

 夜になると住民の財産である駱駝ジャマル が屠られ、バラザフ等に振舞われた。
 全く飾り気が無い。だが、この素朴で心や優しき自領民達を愛してゆけそうだとバラザフは思った。人の裏表の無い優しさは受けたその時だけでなく永く受けた人の心の糧となるものである。
 太守府があり小さいながらもしっかりとした定住集落を設けているにもかかわらず、ヒジラートの住民等はここに未来永劫住み続けるつもりはないらしい、という事をバラザフは後で聞いた。
 彼等は駱駝ジャマル と共に生きる一族であり、駱駝ジャマル を養える水がある限りここに留まるであろうが、もしこの先涸れる事があれば、また水を求めて移動し、次の集落を創る。
 早くも彼等に対する家族の情にも似たものがバラザフの中に生まれつつあったので、
「彼等は何処からか来て、俺を通ってまた何処かへ流れてゆくのか」
 と、ある種詩人のような感傷で言葉を漏らした。
 そんな兄バラザフに対して、弟のレブザフは、
「彼等が流浪の民ならば、彼等が去った後にまたここに新たな民が流れて来るのでは。我等は彼等がここに留まっている間だけでも、この城邑アルムドゥヌ と民を護ればそれでよろしいのです」
 と、すでに兄の副官アルムアウィン になったかのような口ぶりで柱を支えた。
 シルバ家の当主となった長兄のアキザフの方は、アルカルジの太守に任命され、ベイ軍の調略に備えていた。
 アジャール、ベイの戦いの舞台の中心であったジャウフから遥かに離れたアルカルジであるが、サラディン自身が智勇兼備の勇将であるため、領内のほんの少しの綻びも見落としてはならず、そこにサラディン自身が精鋭を率いて忽然と現れ奇襲してくるかもしれず、全く油断のならぬ盤面がその一帯にある。

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2019年2月23日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_29

 急な発展と衰退を繰り返しているらしく、郊外には廃墟が目立った。
町の外では駱駝ジャマルハルーフ が放牧され、人々はそれらの肉や乳を糧として生きている。その点はアラーの街と同じであろう。住民のほとんどがこの放牧に従事しており、学のある若者は稀で、所有する駱駝ジャマル の数がそのまま貧富の差となる。
 他に職種というものは存在しないらしく、
 ――駱駝ジャマル の背中に置かれている物が仕事さ。
 と彼等は言う。
 彼等の祖先は水を求めて砂漠を彷徨い、ほんの僅かでも水の恵みのあるこの場所で放牧するに至った。
 ヒジラートファディーアと名づけられたこの集落は、「美徳の移行」という意味を持ち、食の寛大さと心の寛大さを願ってのものらしい。
 ハラドからは北東に位置し、一日あれば往復が可能な距離である。嫁を娶り一家長としてハラドにも屋敷を与えられているバラザフは、管理のためこの二点を往復する事になった。
 ヒジラートに自警団のようなものは常駐しておらず、バラザフ等が着いた時にも住民は少しだけ奇異の目を向けただけで、特に嫌がるという風でもなかった。
 ――そのうち馴染んでゆけばよい。
 そう考えながら家人と共にすっかり砂を被ってしまっている太守邸の掃除に取り掛かると、住民が幾人か言葉も無く砂をかき出すのを手伝いに来た。

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2019年2月22日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_28

 バラザフの想定とは裏腹に元アンナムル隊の面々は目立った抵抗も無く、彼の指揮に従った。アジャリアが事前に古参等を手紙で説き伏せていたのもあったが、彼等にはシルバ家を怨む大義名分は殆ど無く、寧ろ
アンナムルと争ったアジャリアの直轄にならずに済んだ事が救いといえた。父エルザフの言うとおり、口を閉ざし旗色を明らかにしなかった事が、ここに来てさらに幸いした。弟のレブザフなどは、兄バラザフの指揮力の賜物で隊の統制が取れているのだと勝手に信じきっていた。
 では、ワリィ・シャアバーンの駱駝騎兵部隊はどうか。アジャリアはこちらにも手紙を送りワリィの労を軽くしてやろうとしたのはシルバ家と同じであり、ヤルバガの指揮下にあった将兵等にとってはワリィは元隊長の弟である。この点だけを見れば駱駝騎兵が素直にワリィに従っても良さそうなものだが、隊長の弟だけにヤルバガの反乱軍、否、革命軍に従わず、ワリィが兄のヤルバガを見殺しにしたという見方も隊の中にはあり、直接ワリィに刃を向ける者はさすがにいなかったが、隊内での諍いがしばらく続き、ワリィは胸も頭も痛めていた。兄の指揮下であった将兵であるとはいえ、殆どの作戦行動を共にしてきた仲間達なのである。
 バラザフはアジャリアに成ったつもりになった。今までは主にアジャリアの指揮下にあったり、父エルザフの指示の下、シルバ家の一将として動いていればそれでよかった。だが、ここで一軍の将としての地位を与えられ、上に立つ者の責任の重圧をもろに感じているのが今日のバラザフである。アジャリアに成ったというのは大仰であるにしても、年齢に相応しくない出世は、自己の器を歪めないように大いに克己すべき蜜と毒になろう。
 こうしたアジャリアの差配はエルザフの気持ちを酌んでの事である。いかに有能であるとはえ、三男四男ではシルバ家の後継となる事はまずない。かといって、跡継ぎを廃嫡して良い程、アキザフ、メルキザフは決して無能では無く寧ろ他家では望みようもないくらい優秀なのである。問題は息子達の全員が優秀に生まれ育ってしまったために、その能力を存分に発揮させてやる場や、分け与えられる財が無い事で、家格は高くとも良き跡継ぎに恵まれないという他家が多いのを考えれば、エルザフの悩みは極めて特異なのである。
 同時にバラザフはアジャリアから城邑アルムドゥヌ を与えられた。城邑アルムドゥヌ といっても城壁は無く千人ほどの人口で四百戸を成す小さな集落である。

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2019年2月21日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_27

 バラザフは今とても忙しい。
「バラザフにアンナムルの配下であった部隊を任せようと思う。宜しく教練してやってくれ」
 と、アジャリアから指示されたのであった。
 エルザフが言った通り、家を継いだくらいの力をバラザフは手に入れたのである。とはいえこれは生半ではない大任であった。というより骨が折れそうである。
 アジャリアは兵を教練せよと言ったが、それは
 ――アンナムルの配下であった海千山千の者等を手懐けよ。
 という事であり、おそらく二十そこそこのこの若者を侮ってくる古参等を巧く使いこなす器量を、アジャリアにも部下達にも示さなくてはならない。
 同じような命令は弟のレブザフや、先にアンナムル反乱軍に類を連ねて粛清されたヤルバガ・シャアバーンの弟ワリィ・シャアバーンにも下された。
 弟のレブザフはバラザフが任された部隊の下部組織を、ワリィ・シャアバーンは兄と二人で率いていた駱駝騎兵部隊を一人で請け負う事となった。

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2019年2月20日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_26

 足早にエルザフはリヤド圏内のシルバ家の本領に帰って行った。
 長男のアキザフに諸々の引継ぎを行った後もエルザフは、シルバ家のため、アジャール家のため戦場で働いた。
 アルカルジを押さえているとはいえ、その周辺にはベイ軍寄りの拠点となる小さな士族アスケリ城邑アルムドゥヌ が点在していて、アジャール家は火種を抱えたままである。
 アキザフ、メルキザフを主将としシルバ家はアルカルジ近辺の平定に注力していた。エルザフの力が必要になる場面はまだいくらでも残っているのである。
「バラザフ、家は兄が継ぎましたがお前は己の力を得るのです。欲するという事はつまりアマル なのです。未来を視過ぎて占いの結果に振り回されないように」
 もはや子供でもあるまいのに、また同じ事をとバラザフは思ったが、これがバラザフへのエルザフからの遺言となった。
 バラザフに二男ムザフ・シルバが生まれた。少し前、カーラム暦989年の事である。その物腰も含めムザフは、まるで祖父エルザフが転生してきたかのように、酷似してゆく事になる。

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2019年2月19日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_25

 カーラム暦990年、身内に火種を揉み消してすぐにアジャリアは、クウェート攻略作戦の開始を命じた。これとほぼ同時期にシルバ家ではバラザフに長男が誕生した。遠くバグダードでは後に大宰相サドラザム となるファイザル・アブダーラが同年、この世に生を受けている。もっとも彼はこの時点ではまだ貧しい平民レアラー で歴史の主道に乗ってはいない。
 シルバ家の長男の方は、サーミザフと名づけられた。今後、カトゥマル・アジャールの長男シシワトと共に成人を迎える。そして、サーミザフはファリド・レイスの家来に加わるという数奇な運命を辿る事になる。数奇といえば、この乱世に生きる全ての人間が数奇な運命に翻弄さてゆくのだが……。
 新しい世代が生まれると同時に旧い世代は年老いてゆくのが世の道理である。孫が生まれたのを機にエルザフは、
「私も五十を越えました。そろそろ当主の座を明け渡そうと思います」
 とアキザフを当主にして隠居を家中に宣言すると同時に、主家のアジャリアにもこの旨を願い入れた。
 アジャリアも、
「わしの目から見てまだまだシルバ家にはエルザフを越える謀将アルハイラト は出ていない思うが、無理を強いるわけにもいくまい。大事が起きた時はまだまだアジャール家を援けてくれよ」
 と思いを置きながらもエルザフの引退を認めた。アジャリアの思考もすでにシルバ家の知謀を抜きには考えられぬ所まできていた。
 バラザフの才を好いて近侍ハーディル に取り立て、賞賛も絶やさないアジャリアだったが、実の所はまだ彼を実成した将とは見ていないのである。

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2019年2月18日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_24

 末子は成功するという処世の型のようなものがある。過酷な環境に置かれるか、あるいは日進月歩、歩みを止めない親にとっては時に晒される事自体が進化と言って良く、齢を重ねる程実力を身につけてゆくのは道理である。よってこの型の親が子に遺せる才能の恩恵は、若年に出来た子よりは、末子に至る程大きくなると言えるのである。
 バラザフの場合は正確には末子ではないが、この型に照らすならば兄達より成功する可能性は大いにあるのである。だがこの若者には手柄は有っても未だ世に顕現する成功は無く、自覚も無く、父エルザフのみが先に来るであろう光を見通していた。
 アンナムルはとある寺院の香壇にて、一人乳香アリバナ に包まれた生活を送っていた。
 彼は父を諌めた事が、自身の善心の発揚であると疑わない。父の無道を正すこの事自体、父アジャリアの影響を受けての行動だと言えなくも無かった。とはいえアンナムルは父アジャリアの髄が本当に無道であるとは思っていない。
 副官アルムアウィン のヤルバガ・シャアバーン等、自分に賛同してくれる多くの家来達を死なせてしまったが、時が経てば賢君である父の事である。自分の主張を十分に斟酌してくれるはずであった。
 アンナムルの篭る香壇に足音が近づいてきている。
「ようやく父上もご理解下されたか」
 迎えの者が来た喜びで身も心も大いに軽くなった。
 扉が開かれ振り向いたとき、アンナムルは迎えの者と差し込む光と、そして抜き放たれた刃を見た。
 アンナムル・アジャールの名はカラビヤートから消えた。

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2019年2月17日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_23

 扉は壊れようとしていた。闇の奥の邪視アイヤナアルハサド を見た父エルザフの指示通り、バラザフは一切の知覚を閉じた。
 ――とにかく関わってはならない。思考さえもほぼ停止させた。元来知恵の回るバラザフにとって、これは逆に気熱を大いに消耗する苦行である。
 最も注意せねばならぬのが噂好きのナウワーフとの会話だが、彼との間にもしばらく私語をせぬよう固く取り決めていた。ナウワーフも察しの悪い男ではないので、その理由を敢えて尋ねるような事はしなかった。
 また が飛んできた。
 ヤルバガ・シャアバーンに続いて、アンナムル寄りの連累がどうやら二百名近く粛清されたらしい。
 アジャリアは父ナムルサシャジャリを追い出した時のような手際で、アンナムルを寺院に閉じ込め、飛び交うを素早く始末した。
 父子相克の火種が未だ燻る中、アジャリアはカトゥマル妻にハイレディン・フサインの娘を迎えた。
「この婚儀について妙な憶測をする者がいます」
 ある日、固く口を閉ざしていたエルザフがバラザフに語りだした。
 アンナムルとその連累が蜂起したのは、この婚儀が気に食わなかったためだと言う者が居るのだという。だがアンナムルは賢君アジャリアの子らしく、そのような狭量ではなく、寧ろ弟であるカトゥマルの結婚を心より喜んでやれる程の器量なのだと、あまり他人の事情に首を突っ込まないエルザフにしては珍しく、アンナムルを俎板に載せて、細かく切って見せた。
「意見が対立したとはいえ、跡継ぎに有能な者が生まれるというのは父としては嬉しいものです。アジャリア様も時期を見計らってアンナムル様を呼び戻されるでしょう」
 口に蓋をするような緊迫感からこれでようやく解放されるのかと安堵したものの、跡継ぎと聞いて、バラザフは少しばかり苦い色を浮かべた。兄たちと較べて自分の方が跡継ぎに相応しいとまでは言わないが、仮に自分は跡継ぎには役不足で凡庸なのかと問われれば、言下に否定出来る程の自信家は、しっかりとバラザフの中に棲んでいた。

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2019年2月16日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_22

 二人の摩擦の熱は引いた。だがそれも長くは続かず騒乱は起こった。
 ――アンナムル反乱軍蜂起!
 アジャール家は震撼した。カーラム暦987年の事である。
 アジャリア様をお護りするのだと言ってアジャリア寄りの将等が各城邑アルムドゥヌ に声掛けし、ハラドは血気に沸く士族アスケリ で溢れかえった。
 ――ヤルバガ・シャアバーンを誅伐せり!
 騒動の中心に居るアジャリアは、騒ぎを大きくするのを好まず家来達に不確かな情報を流すのを禁じたが、こうした報せは矢のように飛んできて、また誰かが矢を自分の弓に番えて飛ばしてゆく。人の意思ではどうにもならぬ、治から乱への流れがあった。 

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2019年2月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_21

 アンナムルの副官アルムアウィンでアジャール軍の重臣でもあるヤルバガ・シャアバーンはアンナムルの方に味方した。他、アジャール軍の有力者達がアンナムルの側に回って、無視出来ぬ派閥を形成し始めている。
「おそらく大事には至らぬとは思いますが……。アジャリア様もアンナムル様も仲間割れでアジャール軍を潰してしまうような狭量ではない故……」
 ハラドに設けられたシルバ邸でエルザフは声を落として言い含めた。
「ですがバラザフ。今後、この件に一切関わってなりません。アジャール家で見聞きした事を他で漏らしてもいけません。この父や兄にも、勿論近侍ハーディル の仲間内でもです。よいですね」
 二人の確執の先に難は無いだろうと言ったものの、エルザフの頭の中には、この二枚扉が破れた先を見てしまったならば、その奥からの邪視アイヤナアルハサド と目が合い、滅びの呪いに呑まれるという自分達の像が映ってしまっていた。
 今はアジャール家の重臣にまでなり上がったとはいえ、シルバ家は元は小領主の出である。一時は砂を住処とする程の追い詰められた少し前の自分が、エルザフにこれ以上踏み込んではならぬという死線を緋く示唆した。
 アジャリアは一応アンナムルを憚ったのか、方針を決める評議にサバーハ家併合の事を挙げず、リヤド、アルカルジ周辺を固めるため、敵の駒を地道に除いていく事に、しばらくは注力している風だった。

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2019年2月14日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_20

 これら道義と戦略とを鑑みて、アンナムルは舵を切るアジャリアの腕を掴もうとしていた。
「バシャールを殺すつもりなどない。寧ろわしが救ってやるのだ」
 つまり威勢の衰えたサバーハ家を潰さずに、剣を交える事無く配下に収めてしまおうというのである。今や周辺から虎視眈々と領土を狙われているサバーハ家が他家から潰されないように、存続の配慮をしてやるのは救済と言えなくもないが、きわめて微妙な所であろう。
「それでは家来達がネフドに流してきた万斛ばんこくの血を、父上が無駄にしたと取る者も出て参りましょう」
「ジャウフを放棄するとは言っておらぬぞ」
「度重なるベイ軍との衝突によってアジャール軍は衰弱しているのです。両方の戦線を維持する事など不可能。死を恐れぬサラディンは何度でも来ます。私には益無き未来しか見えません」
アンナムルがたかが水牛ジャムスの群れを恐れるとは情けない。今傍観しておればクウェート、バスラ一体をフサインやレイスの者共に食い散らかされてしまうのが分からんのか!」
 このアジャリア、アンナムル父子の撞着によって、アジャール軍の武人達も揺れ動かされていた。

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2019年2月13日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_19

 アジャリアの壮図は無限に拡がってゆく。食欲が出て仕方が無かった。
 ――ああは言ってはいるが、父も勿論自分も船になど乗ったことすら無いではないか。
 アジャリアのこの舵取りにアンナムルは不服である。というより許しがたかった。
 バシャールの妹を妻としてアンナムルは娶っている。勢いが弱まったとはいえ、サバーハ家との婚姻同盟を反故にしてよい事では全くない。自分の事は心配しなくていいと言いつつも、表情に濃い翳りが見える妻とその傍で不安がる長女がアンナムルは不憫でならない。
 アンナムルが物心ついた頃にはアジャリア家の勢力はほぼ調っていて、つまりは一地方の雄として圧しも圧されもせぬ安定を手にしていたのである。ナムルサシャジャリからアジャリアにかけて持っていた生き抜くためのしたたかさは次第に薄れ、アンナムルの世代では道義的な価値観が強くなっているといえる。
 アンナムルの不安は戦略面にもある。これまでアジャリアはネフド砂漠を攻略してジャウフ辺りからエルサレムに進む戦略方針を立てていた。そのためのネフド砂漠への侵攻であり、これが各士族アスケリとの確執を生み、こちらが勝ったのだと喧伝しているにせよ、結果はベイ軍に挫かれたのである。
「一度挫かれたのであれば、武備を整え機を見極めるべきだ」
 とアンナムルは主張する。
 肉食であるアンナムルも一度狩に失敗すれば、次は居並ぶ水牛ジャムスの角に衝かれて命を落とす事も有り得る。サバーハ軍や、レイス軍、フサイン軍と較べて、戦力の上ではこちらが圧倒的に強くとも、この場合戦機に勢いが無い。
 このような客観的な彼我の実力差を推知する頭と目とを具備していたがために、アジャリアは今まで戦いで下手を打たずに済んできたのではなかったか。
 アンナムルの目に映るアジャリアは、ずらりと並べなれた馳走に目が眩んでいるようだ。そして食事の皿を空けては次々と積んでゆく――。

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2019年2月12日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_18

 自分の意思をほぼ無視された形でバラザフは夫人を娶る事になったが、夫婦仲は決して悪いものでないらしく、翌年には早くも長女が誕生し、それを始めとして続けて長男サーミザフ、そして次男ムザフが産まれた。
 こうしたシルバ家の円満な家庭作りに反して、これに大いに寄与したといえるアジャール家の方は、戦略目標の舵をきった事でアジャリアと子のアンナムルとの間の諍いでアジャール軍が割れ始めている。アンナムルはカトゥマルの兄である。
 砂漠とは旅を阻む脅威である。
 海や川を渡るための乗り物は何かと問えば、人は迷わず「舟」と答えるだろう。では、砂漠であったならばどうか。
 おそらく「駱駝」という答えが最も多いだろうが、海に対する舟ほど答えに明確さが無いだろう。確かに砂漠を渡るのに駱駝は有用である。しかし、水に浮かべた舟ほどは、はっきりと機能出来ないといえよう。
 砂漠の大船の舵はクウェートへ向けてきられた。その事がアンナムルには受け入れられない。
 ハラドのアジャリア・アジャール、オマーンのカウシーン・メフメト、クウェートのファハド・サバーハは、緊張感を持ちつつも同盟によって三角均衡を保っていた。が、その一角であるファハド・サバーハがバグダードに侵攻した際、逆にハイレディン・フサインに奇襲され戦死した事により、この均衡を大きく崩れ始めようとしている。
 当初、アジャリアとカウシーンは同盟相手のサバーハ家を援ける事を決め、ファハドの子バシャールに合力してハイレディン・フサインを討伐するつもりであった。この時代のフサイン家は、これらの軍が攻め寄せれば簡単に踏み潰されてしまう程の弱小勢力でしかなかったが、肝心のバシャールが討伐に踏み切れぬうちに、ハイレディンの勢力成長をゆるす事となった。
 さらにはサバーハ家の傘下にあったナーシリーヤの太守ファリド・レイスが独立してしまったため、サバーハ家はついに周辺を敵に囲まれる結果を招いた。サバーハ家は北、南、西から遠巻きに鋭く光る矛先が向けられている。東方面の諸侯の向背は定かではないが、援助はまず期待できないといってよい。
 実際、元来領土欲の強いアジャリアは、
 ――今ならばクウェートを取れる!
 と息巻き、俄然元気になって食も進む有様である。
 今のサバーハ家相手ならば、いちいちベイ家から道を阻まれて、ネフド砂漠の各城邑アルムドゥヌを落としていくという遅々とした征服計画より余程利のある戦いが出来る。
 ジャウフとアラーの街は押さえてある。ベイ軍を退けながらここから無理に西へ進まずとも、クウェートを押さえ、北西へナーシリーヤ、バグダードを落としてゆけば、そのままエルサレムへ上ってアジャール家の覇をカラビヤート全土に知らしめる事が出来る。当然行く先にフサイン家とレイス家が 勢力が拡大しているとはいえ、まだまだアジャール軍に敵対てきたう力などない。
 ――前方に小船。だが弾き飛ばしてよい。
 バグダードを押さえれば、ジャウフとアラーと直線状に交易路が出来るし、クウェートを手中に収める事で東のアルヒンドへの進出すら可能になる。エルサレムとベイルートを取ってしまえば、東西の海がアジャール家によって繋がる。

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2019年2月11日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_17

 それから一年経ったカーラム暦985年。エルザフの口からバラザフの縁談の話が出た。バラザフが初めて戦場に立ってからは三年が過ぎていた。
「アジャリア様から言われ気付いたのですが、近侍ハーディルのお前の仲間の中では嫁を娶っていないのはお前だけのようです。戦いに明け暮れるあまり、お前の縁談を世話できず父として申し訳ない事でした」
「私はまだ嫁など……」
「お前がそう言うだろうと、アジャリア様に先に手を打たれてしまいました」
「どういうことです?」
「アジャリア様の御夫人の侍女ハーディマに気が細やかな良き者がいるそうです」
「はぁ……」
「その者をアジャリア様がわざわざ養女にしてくれるそうです」
「それが?」
「その娘をアジャリア様がお前の嫁にという事で、つまりは断れぬ、という事です」
「はあ!?」
 突然の縁談に戸惑うバラザフに、エルザフは淡々と話を進めた。

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2019年2月10日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_16

 カーラム暦985年、エルザフの率いる軍が再びハウタットバニタミムを包囲した。
「さて、蒔いた種を刈り取らせてもらおうか」
 今回はハウタットバニタミムに戈が交わる音は響かなかった。城内にはこちらに内通してきた者らが居る。いうまでもなく先の和平交渉の際に渡りをつけておいた長の側近の面々である。彼らには協力の見返りとして、アジャール側へ戻った後も変わらぬ権益が保証されていた。
 エルザフの軍がハウタットに来たとき、門は静かに内側から開けられた。側近たちは長を殺さなかったものの、執務室から締め出し、執政の座から彼を引き摺り下ろしたのだった。
 ハウタットバニタミムのタミム家も、ネフドの数多の士族アスケリがそうであったように、僅か供だけを連れカイロへの砂を、嘆き憾みながら踏みしめてゆく事になろう。
 残りのタミム家の配下達、士族アスケリ達はシルバ家の管理下に置かれる事となった。
「シルバ家こそカラビヤート随一の謀士アルハイラト。味方に引き入れておいて本当に良かった。でなければ今頃落ちていたのはハラドで、アジャール家がネフド砂漠を彷徨っている所よ……」
 そのシルバ家の一族であるバラザフに、アジャリアは本音を漏らした。が、バラザフにはアジャリアのシルバ家の畏怖の裏に、まだまだ余裕が潜んでいるように見えてならなかった。
 ――真に恐ろしいのはアジャリア様自身ではないのか。
 またアジャリアはエルザフの息子達の中でバラザフが一番知謀に優れているとも評した。家来の武勇以外の面が漏らさず目に映るという事はアジャリア自身がそうした頭の使い方をしているといえるし、先代のナムルサシャジャリのような力攻めに偏らない戦線展開が予想出来る。自分の活躍の場はまだまだ増えるとバラザフは期待した。この時バラザフの胸中には片隅にではあるが、確実に、
 ――アジャリア様と俺は毛色が同じだ。
 と本来畏怖すべき主人に対して不遜な思いが生じていた。

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