2020年1月25日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_6

 翌朝、突如アジャリアから全軍命令が発せられた。
「バーレーン要塞の包囲を解除。島に渡った兵も撤退させよ。ハサーまで戻るぞ」
 転進に転進でバラザフですらアジャリアの意図が分からなくなりかけていた。そこへアジャリアはハサーに向うと言うのである。
「何故、ハサーなのか。どうしてサラディン・ベイのバーレーン要塞をなぞるのだ」
 アジャリアについて軍略を学び、模倣して、バラザフの中でアジャリアの思考の型が出来上がりつつあった。アジャリアであれば、サラディンと同じ轍を踏むまいとするはずではないか。
 バラザフが周囲に飛ばしているフートの配下からは、楽観視出来ない情報がいくつも集まってきている。
 これらをまとめると、バーレーン要塞を包囲するアジャール軍を挟撃するために、ハサーやダンマームなどの各城邑アルムドゥヌ が援軍が集まりつつある、という事になった。
「すでにアジャリア様は知っているだろうが伝えておくべきだろうか」
 遣いのために弟のレブザフを呼ぶと彼は伝えるべきでないと言い出した。
「すでにアジャリア様もこの情報を入手しているならば、わざわざ伝える必要はありません」
「なぜそう思う」
「シルバ家が必要以上にアジャリア様から警戒されるからです。もはや我等が使える事を家中に誇示して地位を上げる時期ではないかと」
「うむ……」
 レブザフの言葉にバラザフは考え込んでしまった。レブザフの考えには一理ある。父エルザフがアジャール家に臣従した当時であれば実力を誇示し、居場所を作っていく必要があったが、今のアジャール家中でのシルバ家の地位を考えると、レブザフの言うとおり主家から睨まれないように身を屈める場合も確かにある。アジャリアの言動を見るに、今情報を上げねば進退窮まるというものでも無さそうではある。しかし――、
「やはりカトゥマル様の耳には入れておこう」
 カトゥマルの口から出た情報であれば、アジャリアにシルバ家が警戒される事もないだろうし、もしこの情報が手柄になればシルバ家の働きを後からカトゥマルが認識すれば良い事になる。知己のカトゥマルでれば、その辺の事は酌んでくれるはずだとバラザフは判断した。
 ――アジャリアが包囲を解いてハサーに向う。
 この情報を持って、メフメト軍のアサシンであるシーフジンがバーレーンにすぐに走った。
「アジャリアはまたハサーに戻るだと?」
 すでにハサーなどからこちらへ援軍が向けられている。シアサカウシンは、これがアジャール軍を包囲して殲滅出来る好機と判断した。
九頭海蛇アダル を揚げる大網を仕掛けてやろう!」
 ハサー、ダンマーム等々、今までの戦いで手も足も出ず押さえ込まれた反動から、バーレーンの守備兵等は退却していくアジャール軍を、指示なく熾烈に追撃した。シアサカウシンにもこれを制止するつもりは無い。
 アジャール兵達は追いすがる敵に対して後退攻撃し、あるいは後ろ手に武器を振って、よく逃げ切った。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2020年1月15日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_5

 ついにバーレーン要塞をアジャール軍が包囲し始めた。二十万の兵が海を渡り、あるいは手前の沿岸で包囲の陣を整えている。
 サラディン・ベイはメフメト軍から何度も援使を迎えているが、義人サラディンとても自勢力を滅亡させるような危険を冒す事は難しかった。メッカのザルハーカ教横超地橋派の蜂起で、そこを突破出来ぬのもあるし、その蜂起を裏で糸を引いているのがアジャリア・アジャールで、アジャール側からはサラディンがアジャール軍を攻撃しなければ、ザルハーカ教の方は抑えるようにしておくとの密約があった上に、カイロのベイ軍へ糧秣が送られてきていた。
 今、カイロは飢饉である。アジャール家に対して、人民を飢えさせないようにしてくれた恩を仇で返す事の出来ないサラディンは、メフメト軍の援使を邪険にしないながらも、これに現実的な協力を示すわけにはいかなかったのである。
 ――ベイ軍は頼りにならない。
 シアサカウシンはカウシーンから何度も言われた。
 カウシーンにはサラディンが動けない理由がわかっていた。だとしても彼は自分の方に肩入れしないサラディンを感情的に許せていない。
 こうした手回しの良いアジャリアでさえ、いざバーレーン要塞を目の前に仰いだ時、その広大さに一瞬言葉が詰まった。しかし、そこは稀代に智将らしく盤上の遊戯をどう崩そうか考えて愉しむような気持ちになり、
「バーレーン要塞は古代より建て増しされきたそうだが、おそらく我等の代こそ一番眼福の相応しい姿だろう」
 と傍に居るワリィ・シャアバーンに冗談を言う余裕を見せ始めていた。
 アジャリアはバーレーン要塞を西の対岸から見ているが、それでも海の向こうから要塞の威風は迫ってくるものがある。すでに要塞の堂宇に彼らは居るといっても差し支えない。
 バーレーン要塞は三十を越える大小の群島の中の一番大きい島に建つ。砂漠と石灰岩の島々だが、北部に砂漠緑地ワッハ があり、そこのマナーマという城邑アルムドゥヌ が要塞の中核を成している。
 そして、当然周囲の海が天然の濠の役割をはたし外敵を阻んでいる。
「大きい。実に大きい。これを陥落させるには普通なら数年の時を要するであろう」
 ここに至ってなおアジャリアの真の目的は眼前には無い。サラディンが攻略出来なかったこの要塞を我が物にしてみたいという思いは確かにある。だがそれで彼と同じ失敗をするまいという思いのほうが強く、
 ――あわよくば攻略しよう。
 という慎重さを懐に抱えた、屈曲した攻城戦に挑もうとしていた。
 ハサーとダンマーム、この二つの城邑アルムドゥヌ にしても収穫出来れば、戦果としては上の上であるが、メフメト軍の威勢を削ぎ、アジャール軍の気炎を上げる事が出来たので、第一の目的は十分に達成されている。
 アジャリアはまたクウェート攻略に出たいと思っている。
 ――アジャール軍恐るべし。
 そういう感情を今の内に植えつけておけば、次のクウェート攻略でメフメト軍が横槍を入れてくる事はまずないだろう、というのがアジャリアの目論見なのである。

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2020年1月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_4

 同刻、オクトブートと呼ばれるアサシンが疾走する者を一人発見した。このアサシンはオクトブート のように投げ網で標的を捕獲する業を持っているのでその名で呼ばれる。
 オクトブートの目に捕捉されたのは、言わずと知れたシーフジンで、バーレーン要塞に向けてバヤズィトより伝言を命じられた彼である。
 オクトブートにとっては捕捉は即ち捕獲を意味する。その目で捕捉して網から逃れた者はいまだ居ない。網を構成する主たる綱に支線の綱が幾つも派生していて、逃れられない仕組みになっている。
 捕らえたならば標的の生殺與奪はオクトブートが握る。標的捕縛の命が出ていれば獲物は上に差し出されるが、そうでなければオクトブート の足に捕まった獲物はその場で餌食になる。
 ――これは!
 シーフジンが気付いた時にはすでにオクトブート の足は視界いっぱいに広がり彼を包み込もうとしていた。
 オクトブートの網は完全に獲物を捕らえた。が、網を引き締めて手繰り寄せようと引いた彼に手には、網の中の獲物の重さが全く感じられなかった。
「消えた……?」
 網が投げられた瞬間まで獲物が居た・・ 場所には、青い煙が漂い、そしてもう薄れて消え行こうとしている。
「シルバアサシンだな」
 捕らえられたはずのシーフジンは少し離れた所に現れ、地に足を着けた。オクトブートはシーフジンの問いには答えず、
「シーフジンだな。今確かに捕らえたはずだが、やはりシーフジンの捕獲は困難だというのは噂どおりだな」
 その言葉が終わらぬうちに、シーフジンに再度網を投げかけた。網の捕縛が収束しシーフジンに絡み付こうとする。が、シーフジンもまた先ほどのように捕まる瞬間にその身を煙と化し、捕縛を逃れ、また出現した。
「今、お前が言った通りだ。我等シーフジンの捕縛は困難、いや不可能と知れ」
「捕縛出来ぬなら消えてもらうしかあるまいな」
 オクトブートは今度も言葉を仕舞わずシーフジンに網を投げた。シーフジンもこれまた同じように煙となって姿を消す。同じ手で捕縛し損ねるオクトブートだが、狙いは次の刹那にあった。
 シーフジンが姿を現し始める場所を見定めると、短剣を抜いて強く踏み込んだ。
「消えてもらうと言っただろう」
 オクトブートの短剣はシーフジンの心の臓を刺し貫かんとする寸前で、手首を捕まれ、血を滴らせている。止めを刺す力を込め、圧し切った刃がシーフジンの胸を貫いた。ところが絶命してその場に斃れるはずのシーフジンは、あの青い煙となって姿を薄れさせてゆき、今度は現れる事はなかった。
「煙のように掴めない輩だ。モハメドは配下を本当に魔人ジン に変えてしまうとでもいうのか」
 オクトブートは確かに血のついた短剣を見つめるも、今起きた不可思議に、この世ならざる物を感じざるを得なかった。そして、そう感じた彼自身も報告のためその場から姿を消した。シーフジンにしてもシルバアサシンにしても、バラザフが彼らを同門・・ と表現したように、世人の働きとは隔絶された異能の世界に生きる人外なのである。

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