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2019年10月15日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_15

 カトゥマルはカタール半島に入った。ここまで小さな街を二、三手中に収め、今カタール半島付根のサルワの街を押さえている。バーレーンまでは徒歩と舟で三日の距離である。半島海岸の反対側にドーハが在る。アジャリア本隊も、多勢でその土を踏み固めるようにカトゥマルの跡をなぞった。
 伝令が指示や情報を持って味方の間を駆け回っている。バラザフがこれらの情報を通して読み取るに、全体の方向量が金甲虫ジウラーン の色のようの絶えず変わり続けていると分った。
「やはりアルカルジが目的ではなかったのか。バラザフ、父上は北上しハサーの城邑アルムドゥヌ の攻撃に移るらしい」
 出陣前に通達されたとおりアルカルジを主戦場にする頭だったため、カトゥマルは心に、アジャリアのこうした千変する戦術に対する摩擦を感じている。
 頭と心がついていけないのはカトゥマルだけはない。味方の各将兵も少なからず混乱していたのだが、バラザフ一人がその中に在って全体を見澄ましていた。
 ハサーを攻撃するのであれば、アルカルジに集結させたり、サルワの街に入ったりと手が込みすぎだと各将は感じていた。反面、バラザフが落ち着いていられるのは、この揺さぶりこそがアジャリアの意図なのだと心得ていたからである。
「アジャリア様のアマル に照らして見るのだ」
 夜になって陣屋で弟のレブザフにバラザフは語った。弟であれば自分が警戒されないように知恵を抑える必要もないので、存分に話せる。バラザフは常々こうした外に発したい言葉を抑え、多少抑鬱がある。
「そのアマル に照らして見るやり方がわかりませんよ。私には何も見えてきません」
 レブザフはレブザフで見えない・・・・ という抑鬱がある。
「皆が言うようにハサーに来るのに、わざわざアルカルジに行かなくても良かったのでは。ハラドから真っ直ぐ北上したほうが食料も兵の疲労も少なく済むはずです」
 レブザフは自分が正論を言っている自信があった。
「それも正攻法ではある。だがここサルワまで来たのは徒労ではない」
「その意図が解らないのですよ」
「まあ、そう急くな。バーレーン要塞のメフメト軍を攪乱させる。これはお前も読めている事だろう」
「はい」
「アジャール軍の内部でも混乱しているのだ。攪乱は利いていると見ていい。狙いはまだある」
「というと」
「もう片方の敵さ」
「あ……」
「そうさ。アジャール軍はメフメト軍だけでなくベイ軍とも常に暗闘している」
「それでアルカルジですか」
 レブザフの方からすれば兄バラザフは訊き易く、自分を賢く誇張する必要も無かった。それ故彼は自分のくら きを進んで啓く師としては、兄は最も都合の良い相手であった。バラザフがアジャリアを無意識に真似ようとしてしまうように、レブザフも兄バラザフを模倣していた。血の繋がった兄弟であるが故に、その模倣にも無理が無いのが道理である。
「兄上達がアルカルジでベイ軍の侵入を見張っている。表面上はベイ軍とメフメト軍は繋がっている事になっている。だからわざわざアルカルジまで出張ってサラディンがどれだけベイ軍の加担してくるか見定めたのだ」
「来るならばその時点でメフメト軍の援軍要請に応じているわけですね」
「サラディン自身が精鋭で奇襲をかけてくる可能性は否定出来無くはないが、ベイ軍にとっては一番の戦機をあえて見過ごしたと言えるな」
「もしそこでサラディンが本気でアルカルジのシルバ軍を圧しつぶそうとしていたらどうなるのです」
「その時は軍議で最初に通達されたようにアルカルジから他勢力を排除して足場を固めていただろう」
「ふむ……」
 兄バラザフはアジャリアをすっかり信頼しきっているが、レブザフにはアジャリアがシルバ家を見殺しにしない保証など無いように思えた。
 ――血族を淘汰する人間に他家を護る信義があるのだろうか。
「レブザフの心配も分かるがベイ軍がアルカルジに出てくる線は、実はほぼ無いのだ」
 アジャリアと手札を共有しているという自信がバラザフにはある。
「アジャリア様が手回しをされていたからだ。メッカのザルハーカ教横超地橋派の人間にベイ軍と敵対するように仕向けたのさ。だからベイ軍はそこ抜けてアルカルジに抜けて来られないはずなんだ」
「横超地橋派の人間がよくアジャリア様の言葉に従いましたね」
「勿論、懇意の者を間に挟んでの事だろう」
「なるほど……」
「レブザフもアジャリア様の偉大さが理解出来たようだな」
「それは勿論理解出来ましたが、半分呆れましたよ」
 アジャリアはあまりにしたたかだとレブザフは言いたい。
「それに勿体無いです」
「勿体無いとは」
「兄上ですよ。そこまで知謀に優れているなら、兄上がアジャール家の継嗣として生まれついていれば、アジャール軍はもっと威勢を拡げたはずだ」
「馬鹿な! 不敬である」
 咄嗟にたしな めたものの内心ではバラザフは怒っていなかった。戦場に出る度に軍を指示してアジャール軍を動かす自分を想像していた。周囲を見渡して自分以外にアジャリアの戦術の妙諦に肉薄する者はいないとの自負もあった。アジャリアに次ぐ頭脳を持ったエドゥアルドやズヴィアドはもう居ないのである。
 だが、九頭海蛇アダル の頭はバラザフが見上げている場所よりもっと高い所に在った。
 アジャリアの目には高所から広い視野が見えている。バラザフの目もアジャリアに迫ってはいた。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(2019.10.25公開予定)

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2019年10月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_14

 カウシーンはダンマームとハサーの城邑アルムドゥヌ にそれぞれ二男と三男を配している。これらにアジャール軍の侵攻に急ぎ備えるようにと命令した。いずれもバーレーン要塞への緩衝となる重要拠点である。
 アジャール軍の方では、バラザフが先鋒のカトゥマルの部隊と合流していた。
「アジャリア様の命でカトゥマル様の部隊を追ってきた次第です」
「おう、バラザフ。我等にも定められた行程がある故、お前が後ろから来ているのに気付いていても途中で待ってやれなかった。許してほしい」
「昔からカトゥマル様は足が速かったですから」
「何、あれでも俺は加減していたぞ」
「追う方は堪りませんよ」
 幼少時の同じ感覚を持った二人の会話は哄笑に変わった。この幼少時の幼い感覚にはナウワーフも含まれている。彼らは主家と家来という間柄でありながら、今でも冗談が言い合える仲である。
「バラザフは昔から知恵が回ったな。そんなお前に尋ねたいのだが」
「何か問題でも生じましたか」
「いや、問題が生じたという事ではない。カウシーン・メフメトという人物を戦う前に知っておきたいと思ったのだ」
「カウシーン殿ですか」
「うむ。父アジャリア・アジャールに匹敵する智勇の将という、世で言われている情報くらいしか分らない」
「私の持っている情報もそれと変わりありませぬ。一応父が申していましたのは……」
 バラザフは、父エルザフから聞いていた、カウシーン・メフメト像を語った。戦い方や交渉のやり方についてを、特にメフメト家のジュバイル獲得がカウシーンの活躍に依る所が大きい事を、押して伝えた。
「戦局を左右させ得る力があるという事だな。父に匹敵すると評価されるのも頷ける」
「戦いにおいて勝つための筋道という物が定まっているのかどうかはわかりませんが、戦略、戦術、外交、どれをとってもアジャリア様のやり方と酷似しているように思えるのです」
 アジャリアとカウシーンが似ていると話して、バラザフは自分も彼らのやり方を模倣しようとしている事に気付いた。やはり勝つための一定の法則はあるように思える。だが、今は頭の中でその方法論を形成してゆく時間は無く、自分等の本分を務め切らねばならない。
「父アジャリアに戦いで勝たなければいけないようなものではないか」
「その言葉は言い得ています。それほどの強敵であるが故に私も寒気がします」
 二組の人馬は離れ、バラザフは後ろの自分の部隊に戻っていった。バラザフは東の空に目を遣った。あの空の下に海があり、そこにバーレーン要塞が在る。
 その空にネスル が誇らしげに飛んでいるのが見える。ネスル は見る見る巨大化し大鳥ルァフ となり空を覆った。
 ――大鳥ルァフ よ。我等の九頭海蛇アダル の首はお前まで届いて吞み込んでやるぞ!
 自分は九頭海蛇アダル の手足だ。大鳥ルァフ に睨まれ背中に悪寒が走る。反面、もし自分が九頭海蛇アダル の頭として稼動出来たなら、どのように大鳥ルァフ を食い殺してやろうかという戦術的な楽しみもある。
「あの時もそうだったかもしれん」
 バラザフはベイ軍との死闘において、主将になったつもりで戦場の動きを見つめている若き日の自分を思い出した。すでに父親になったとはいえ昔日を懐かしむには些か若すぎる謀将アルハイラト である。

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2019年9月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_13

 アルカルジにアジャール軍集結。この情報がすぐバーレーンに届いた。
「何で素直にクウェートに行かんのだ!」
 新たにメフメト軍の統領となったシアサカウシンの頭の中は怒りと混乱で入り乱れた。
 難攻不落のバーレーン要塞を本気で攻撃するまいと思っていた。万が一来たとして、ジュバイルの城邑アルムドゥヌ 辺りからのはずであった。
「あの揺さぶるようなやり方が気に入らん」
「ではそれに揺さぶられてはならんぞ」
 すでに九頭海蛇アダル の術中に嵌っているシアサカウシンにカウシーンが話して看た。
「同じ高さで観ては九頭海蛇アダル の頭の一つが見えるのが精々だ。だが、上から観れば九頭海蛇アダル蚯蚓ドゥダ に見える。もっともあれは化け物蚯蚓だがな」
「あれが化け物蚯蚓であれば、父上はそれを啄ばむ大鳥ルァフ でしょう」
「その賛辞は嬉しいが父は老いた。長くは飛べぬ大鳥ルァフ よ。父はお前にこのバーレーンの空を飛んで欲しいのよ」
 偉大なる父を大鳥ルァフ に喩えたシアサカウシンは自らが成鳥となって久しく、名目上はメフメト軍の総帥として当主を継いでいる。だが客観的に見ても、親の欲目で見てもシアサカウシンが大鳥ルァフ としてバーレーンを制空する器とは評価出来ない。
 それでも親として子に期待せぬ事など所詮無理な事であり、老いたりとはいえ自分の命ある限りは我が子と一族を守りたいと、ついつい政務軍務の口を挟んでしまうカウシーンなのである。今は迫り来る化け物蚯蚓にこの地を食い散らかされるのを防がねばならない。
 上から観ろと子を諭し、大鳥ルァフ と称されただけあって、カウシーンの目にはアジャリアの意図が徐々に浮かび上がって見えてきた。
「シアサカウシン」
 虚空を真っ直ぐと見つめたままカウシーンはアジャリアの意図を描こうとする。
「アジャリアの狙いはこの父よ」
「父上を?」
「この父の命……というより、力比べよ。どちらが強いか、知恵が回るか、根気が上回るか。同盟に安居して我等はこれまでぶつかって来なかった。大鳥ルァフ九頭海蛇アダル 、ここで雌雄を決してみたいと父にも思えて来たぞ」
「父上……」
 血が沸き立ち震える父を、シアサカウシンは仰羨していた。まさにバーレーンを制空する大鳥ルァフ を眼前に見ていた。
「こちらも全力をぶつけてやりましょう」
「そうだな。あの九頭海蛇アダル がどのような奇策を出して、このバーレーンを落とそうとするのか楽しみなってきたわ。情報を拾え。アサシン、間者ジャースース を増員してアジャール軍の動きを追うのだ」
 父の威風に薫陶され性を成して、シアサカウシンの身体にも闘気が宿り始めた。
 カウシーンにはこれが自分の最後の戦いのなると分った。故、たとえ僭越になろうとも戦いの指揮権をやる気になっているシアサカウシンから自分に戻して戦おうと決めた。
 シアサカウシンに大鳥ルァフ の羽根のひとひらでも有していればよかった。見上げるような感覚や、地に足を着けて横を観る目も必要な時はある。民情を把握して民の暮らしを平らけく安らけくせんとする時がそれである。が、今地を這っていては九頭海蛇アダル に踏み潰されるか、いずれかの頭に呑みこまれて終わる。シアサカウシンを活かしてやるのは平安が訪れてからでよい。
 カウシーンも元々は土の如く地に有った。その土には戦場の薫りが浸み付き、鶏ではなく大鳥ルァフ に大きく焼きあがった。無論、戦場はその製陶を唯見過ごすという事はせず、言うなれば傷物として出来上がった。やがて陶の大鳥ルァフ は命となり、バーレーンの空を飛んだ。その意味ではシアサカウシンは父を的確に観て評したと言える。
 その目でアジャリア・アジャールを観て欲しい。だから、
 ――味方は活かせても敵は殺せぬ。
 というのが父カウシーンのシアサカウシンに対する評である。
 ジュバイル、バーレーン、ドーハ、マスカットにかけて、メフメト家は、ペルシャ湾、オマーン湾の南側の湾岸を支配下に置いている。サバーハ家の客将であったカウシーンの祖父がサバーハ軍の後ろ盾を得て、この地を支配するに至った。カウシーンの今までで一番大きな戦いダンマームでの戦いである。ダンマームはこの時まだ他の有力首長の支配下であって、相手はメフメト軍の十倍以上の威を誇っていた。これをカウシーンの活躍で追い出しアルカルジまで退かせる事に成功した。カウシーンが二十歳の時である。アルカルジもこのときはまだアジャール家の支配ではなかった。
「もうあの時の力は残っていない。だが、アジャリアと最後の対決となれば、ジュバイルの戦いの記憶が我が血をたぎ らせずにはおかぬ」
 ぐっと力の篭るカウシーンの腕は傷跡だらけである。その腕を見つめ、それからシアサカウシンを見遣った。

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2019年9月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_12

 風はバラザフが読んだように吹き始めた。
「戦いの主軸をリヤドとする。アルカルジ周辺からメフメト勢を締め出すのだ」
 この命令もアジャリアの攪乱作戦の内に入っている。アジャリアの一連の動きを鑑みて、メフメト軍は、
 ――アジャリアの本当の狙いはクウェートである。
 と判じた。よってクウェートの南のジュバイル辺りに守備に力を注いだ。アジャリアはさらにその裏をかいてアルカルジ周辺に全戦力を投入と言うのである。
 シルバ家にはアルカルジ、ハウタットバニタミム等の防衛を維持した上でアジャリア本隊に合流する部隊を賄うよう指示された。全軍がリヤドを経由してアルカルジの戦いに当たる。余力を残さぬ戦いになりそうである。
 出征の儀が閉められた。
 伝令が各方面へ一斉に走り出す。先発の軍はカトゥマル・アジャール。カトゥマルは新たにアジャール家の系譜の主としてハラドに遷っていた。
「バラザフはカトゥマルの先発隊と連動するように。アルカルジへ入ったら太守であるお前の父や兄にベイ軍とメフメト軍の連携を阻害するように指示し、それを伝えたらお前はバーレーン要塞攻略に参戦せよ。本軍は日を分けて出陣させてゆく」
 アジャリアは今回の戦いで全ての隠密タサルール を活用し切ってやろうと思っている。

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2019年9月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_11

 緒戦を勝利で飾ったアジャリアは、余力の将兵全てにバーレーン要塞攻撃を命じた。アジャール軍とメフメト軍の戦いは本格的な局面に入った。カーラム暦983年のベイ軍との戦争は熾烈を極めた。それと同じ規模の激戦がメフメト軍との間に起きようとしている。
 ――アジャール軍の総力をこの戦いに注ぎ込む。
 ハラド、リヤド、アルカルジ、クウェートといった各地のアジャール軍の兵は四十万を数える。
 いよいよアジャリアがハラドを発つ時、将兵を集めて出征の儀を催した。この儀に参列させるにあたり将兵等に大蒜トゥーム を食べぬように通達されており、また彼らもそれは心得ていた。
 屋外に設けられた香壇を前にアジャリアを始め居並ぶ将兵が厳か日の出を待つ。やがて、東の空が薄明るくなり始め、少しずつ赤を強くする。

 ――インシャラー!

 神がお望みならと唱和し、皆、体躯を折り頭を地に着けた。
 地平から光が差して、香壇にて乳香アリバナ が焚かれた。
 と、その上に水滴が落ち将兵を濡らした。光は差したままで日の光と雨とが彼らを包んだ。
「おお。これは神が我等アジャリア家を潤すとの御意思ぞ!」
 立ち上がって喜びを叫びで表すアジャリアに呼応して、皆も立ち上がり、歓喜に濡れた。
 その叫びの中に、此度の儀式のために戻ってきていたバラザフと幼馴染のナウワーフの姿もあった。バラザフもナウワーフも近侍ハーディル として務めていた頃、この儀式の香壇の準備をやっていた。
「微妙に今までとは違わないか」
「バラザフも感じていたのか」
「うむ。今、違いがわかったぞ。演出が過ぎるのだ」
「俺も一つ気付いた。バーレーン要塞を攻撃すると外部にもわかるように喧伝しているぞ」
「確かに」
「ではアジャリア様の意図は」
「陽動という事になるな」
 幼い頃よりアジャリアの傍近くに仕えていただけあって二人の読みはまさに当たっていた。
 アジャリアはアサシンや間者ジャースース に糸を付けて放ち、アジャール軍がバーレーン要塞を攻撃目標として定めていると情報を撒き散らしている。ハラドの城邑アルムドゥヌ の内にもメフメト家から間者ジャースース が送り込まれているはずである。アジャリアはそれも見込んでアジャール家中にもバーレーン要塞攻撃を言い続けてきたのだった。
 メフメト家はこの情報をどう料理するのか。
「アジャリア様の本心は、やはりクウェートの領域を全て固めたいのだろうな」
「本気を出して短刀でバーレーンをつつ きにゆくのか」
「とは思うのだが、もしかすると」
「もしかすると?」
「アジャリア様のアマル の大きさを考えると、案外両方欲しているのかもしれない」
「我が主君ながら、それが絵空事で済まされない方だとは思うよ」
「そうだな」
「そう考えるとお前の言う演出が過ぎるという違和感もはっきりと実感出来るな」
「どの道表面上はバーレーン要塞を攻撃目標とする事になるだろう」
「メフメト軍の方ではこれをどう取ると思う」
「迷っているだろうな」
「当たり前ではないか」
「いやいや、当たり前というが、当たり前の奴ならそのままバーレーン要塞攻撃と受け取るのだぞ」
「それはそうだが」
「裏があるのかどうか迷うくらいの知恵はカウシーン殿にはお有りだな」
「アジャリア様の方が一枚上と言いたいのか」
「それはそうだろう」
 ここまでの情勢談義に結論して二人は笑い合った。乗せる魚は違っても二人の俎板は近侍ハーディル 時代と少しも変わっていなかった。噂好きの二人であったし、自分の見えている物と同じ物が相手も見えているとなれば会話は弾む。見ている物を言葉に紡ぐ甲斐がある。
 バラザフが読んだとおりメフメト軍は迷っていた。相手の意図が読めぬ限り戦いの軸をは定まらない。つまりメフメト軍はアジャリアの指から出た蠱惑の糸によって、本領を発揮出来ぬ心理状態へ操られているのである。
 ――やはり真に恐ろしきは我が主君アジャリア・アジャール。
 剣が振られる前にすでに敵を斬っている。バラザフはこの恐ろしさを忌避して離れるのではなく、寧ろ憧れた。アジャリアという名の戦術を模倣すれば、それは自らの力と成り得ると単純に思った。

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2019年7月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_5

 速やかにバラザフの下から、アルカルジの兄達へ遣いが送られた。本家のシルバ家はずっと臨戦態勢にある。
「バラザフを通して、アジャリア様の替え玉を捜せとの指示が出ました」
 手紙を受け取ったエルザフは、アキザフ等に主旨を伝えた。
「戦いに明け暮れる日々が続くでしょう。アジャリア様はついにエルサレムに上る事を決断したようです」
「なぜ、その決断が分るのです」
「それは――」
 普通大将格が幻影タサルール を必要とするのは、身代わりとして本人の命が取られるのを回避するためである。だが、アジャリアはそれを複数人用意せよという。これはアジャリアが軍の多方面展開を意図している事に他ならず、シルバ家がアルカルジで威勢を保ち続けている間に、クウェート、バスラに出征して、レイス軍、メフメト軍とやり合うつもりでいる。これらの戦いにアジャリア・・・・ が前線に出る事が出来れば、味方の将兵の戦意を高揚させ、敵の威勢を抑制出来ると、バラザフは説明した。
「アジャリア様は、通常、守りのための幻影タサルール を攻めの作戦に用いようとしている……。まったく底の知れぬ方です」
「神出鬼没のアジャリア・アジャールが九頭海蛇アダル の頭のように各方面の戦場に出現するわけですね」
 さすがにシルバ家の当主となっただけあって、アキザフはエルザフの説き明かしを飲み込むのも早かった。
「父上、幻影タサルール を攻めに使うというのは我等シルバ軍にも応用出来るのではありませんか」
「それは困難でしょう。頭は増やせても我がシルバ家だけでは胴を俄かに肥えさせる事はできません」
「今はそうでしょうが、手札の一枚として憶えておいて損はありません」
 まだ衰えを知らぬ者の展望の明るさがそこにあった。
「それよりもバラザフ。今はアジャリア様の事です」
 すでに老獪となった謀将アルハイラト は目の前の現実を見通して言う。
「アジャリア様の野心は余りに大きい。ひょっとすると……」
「ひょっとすると?」
「アジャリア様はあのバーレーン要塞を攻略するつもりかもしれません」
「あの難攻不落のバーレーン要塞を!?」
「ええ」
「あの要塞はサラディン・ベイがネフド砂漠の首長等を引き連れて、百万の大軍を以ってしても傷一つ付けられなかったのに……」
 バーレーン要塞はマナーマの西のバーレーン島北部に位置し、ペルシア湾に面している。白い要塞はずしりと体躯を誇り、下でも白く輝く砂が太陽によって輝きその重量をしっかりと支えている。
 ここにはディルムンの古代の港と首都があったと伝わっている。その名に「遺丘」という意味を持ち、建物が建てられる事で砂丘が盛り上がり、時代を経てそれが砂に埋もれてゆく。今のバーレーン要塞の下には古い時代と文化が層を成して眠っているのである。
 燃える水――つまり油はまだ無く、真珠と漁業を産業の主軸としている。
 東西を結ぶ海上貿易の要所として重要性を持つが、その地位は周辺都市の発展度合いによって上下するものである。ここを押さえる事が出来れば、西側の勢力は後は海峡を抜けるだけで東のアルヒンドに進出が可能となり、東側からすれば西へ抜け切って、政治と経済の中心に自勢力の旗を立てられるのである。
 その戦略的に重要な地理条件というものが、年を経るにつれて、バーレーン要塞を自ずと堅牢にさせていった。
「もちろん、アジャリア様も十分それを理解してバーレーン要塞攻略に臨むのでしょう」
 アジャリアの意図を読むエルザフの言葉は確信めいている。
「父上、どうしてそこまで自信がお有りなのです」
アマル ですよ。私もかつては今のアジャリア様のような大きなアマル を抱いていました。シルバ家の領土回復を願っていた時代でさえ、その先があった」
「そのアマル に照らして見たというわけですね」
「そうです。おそらくアジャリア様のバーレーン要塞攻略は撹乱のためでしょう」
 最早、エルザフの中ではアジャリアのバーレーン要塞攻略は確定していた。
「陥落させる事には本気ではない、と」
「我々のクウェート侵攻は去年の時点でほぼ成功していました。メフメト軍に横腹を衝かれない様に、この辺りで押さえ込む必要があります」
「ついにカウシーン・メフメト殿と決着をつけるのですね」
「その前段階としてバーレーン要塞を封鎖してからになるでしょう。その作戦をベイ軍に阻害されないよう、我等シルバ軍はアルカルジを守らなくてはなりません」
「バラザフからのアジャリア様の幻影タサルール 探索の件、急がねばなりませんね」
 アジャリア・アジャールという人は用間の最たる巧者である。
 彼は、争覇の気運が高まると共に、職掌の多様性において発展を遂げていったアサシン達、言い換えると暗殺者カーティル間者ジャースース の糸を引くように使った。敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いという具合に分化していった彼らの職掌を細やかに使いこなし、彼らの頭目を信の置けるアブドゥルマレク・ハリティの管轄とした。
 彼らは商人、学者、僧侶、時には他勢力の役人に化けて各地に配置された。その数二千。恐るべき情報量がアジャリアの下に寄せられるのである。

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