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2020年2月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_7

 アジャール軍は全軍でハサーに進んでいる。
 シアサカウシンは本格的な追撃に入るため軍容を整えていた。
 ところが追撃に燃えるシアサカウシンを嘲うかのように、二十万のアジャール軍はハサーの傍まで寄せて、またもや転進したのである。
「全軍、西だ。このまま皆でリヤドに帰還するぞ!」
 アジャリアの指示が下達した。
「ハサーを獲得する目的ではなかったのですか」
「ハサー獲得も上辺うわべ の陽を見せたに過ぎん。これで十分にメフメト軍を揺さぶりをかける事が出来たはず」
 目的を十二分に達成したにもかかわらず、アジャリアの表情が晴れていないと傍のアブドゥルマレク・ハリティは見た。
 今回のメフメト軍との戦いが布石であるならば、それはクウェート攻略のために他ならない。だが、ハリティの見たアジャリアの顔色にはそれだけでない苦さが出ている。
「帰還の道は間違いなく血路だ、アブドゥルマレク。メフメト軍は大鳥ルァフ と化してわしらを食いに追ってくるぞ。各隊に情報収集を怠らないようにして進軍するように命じよ」
 ――アジャール軍、ハサーに向う。
 シアサカウシンの方ではこの報を受けた上で、これからの方針をカウシーンにまず上申した。
「ハサー近辺を封鎖してアジャリア軍を包囲殲滅するのが良いと思われます」
 確かに盤面にはハサーに封じられて大鳥ルァフ の翼に被われて啄ばまれてゆく図が出来上がっているようではある。故にシアサカウシンのこの考えは常識的判断と言えた。
 だがカウシーンは、これに否やをとなえた。
「だがな、シアサカウシン。アジャリアの性格を考えるとサラディンと同じわだち に車輪を落とす事は無いはずだ。包囲殲滅にはこの父も反対はすまい。だがハサーというのは虚報に違いない。おそらくアジャリアはハラド、あるいはリヤドに退却しようとしている。メフメト軍全てを連携してその逃げ道を潰してやろうぞ」
「しかし、そう考えるとハサーは虚報であるという我等の裏をかいてくるような気にもなってきますが」
「そうだな。であるから後は当主であるお前が判断するが良い」
 結局シアサカウシンはカウシーンの方針を採った。
 そしてカウシーンの読みどおり、アジャール軍の進軍がハサーの手前で西に折れた。後は一直線にリヤドに向う道である。
「お前はそういう奴だ、アジャリアよ」
 カウシーンの顔に僅かに笑みが浮かんだ。肉体が老いても頭は老廃していなかった事を喜ぶ笑みである。友が自分が知る友であってくれた事も嬉しかった。
 その下でシアサカウシンの方はアジャール軍挟撃のために実務的に動き回らなくてはならない。弟達、領内の諸将との包囲、連携のための使者が行き交う。
 それらの一人が、シルバアサシンの手に捕縛された。
 書状を持ったメフメト家の使者がバラザフの所へ連行された。網を張っていたのは、オクトブートである。
 使者が携えていた書状には、
 ――ハサーの西に部隊を急行させバーレーン要塞からの主力部隊と挟撃する。
 という作戦内容が書かれていた。
「各所に自分達だけがわかる目印をつけて砂漠を往来していたようです。シーフジンを使者として遣わなかったのが幸いしました」
 バラザフは褒美としてオクトブートに金貨と肉とを与えた。褒美として価値のある金貨の他に、肉は戦場ですぐに労いになる。
「水と果物はレブザフに言って荷駄から持っていけ」
 当然、酒は与えられない。オクトブートは速やかに退去した。口にこそ出さないものの顔には褒美に満足した清清しさがある。
 バラザフは、捕らえた使者と書状をアジャリアに差し出した。
「カウシーン殿がわしの意図を読んだのだ。シアサカウシンはきっとハサーで我等を包囲するつもりだっただろう。ともあれ、退く先に軍を回されるのはいかにもまずいな。挟撃に嵌まり込んで進退を見失わないようにせねば」
 ――決戦の時が近づきつつあるな。
 アジャリアは、すぐにバラザフに諸将を集めさせた。軍議である。
「バラザフ、お前には伝令将として動いてもらう。時間が無い。即刻稼動してくれ」
 ここまでバラザフの部隊はカトゥマルの部隊に所属する形で動いてきたので、この再編措置はアジャリアの口からカトゥマルに伝えられた。
 今の戦局での主目的は帰還・・ である。よってメフメト軍との戦闘が起こるとすれば、それは敵が退路に立ち塞がってきたときであり、遭遇戦となる事が予想される。これまでのように時と場所を握る事は出来ず、敵兵のみならず宵闇も敵に回るかもしれない。
 よって伝令の任に就く将は智勇兼備でなければならず、用兵の機微を頭の中で描ける者でなくてはならない。九頭海蛇アダル であるアジャリア軍の中を血液のように巡らなければならず、これがしかと機能出来ないと頭や手足がばらばらに動き出す。
 ――困難で心労の強い役目だ。
「既に西方面に敵兵力が集まっているだろう。フート、情報収集に今まで以上に動いてくれ」
 今回のバラザフが受けた伝令の役目は、ただの伝令ではなく敵との遭遇が大いに予想される、戦闘込みの仕事である。兵を殆ど連れず戦うのは腕の立つ武人でなくては務まらない。
 この戦場にはシルバアサシンの他に、アジャール軍のアサシン、アジャリア直属の間者ジャースース も諜報のために放たれてはいるが、それらはバラザフの管轄下ではなく、彼らに指示を下して用いる事は出来ない。従ってシルバアサシンの働きぶりが、バラザフの伝令将の役目に直結する事になる。
「バーレーンより繰り出される兵はおそらく二十万。これをカウシーンとシアサカウシンで分隊して、西へ進む我が軍の先に回して絡めてくるはず。アジャリア様はこの二十万の稼動には時が掛かると読んでいる。つまりこの時を利用して敵の全軍を同時に相手するのを回避するのが我等の生き残りの胡麻シムシム 。門扉を開けるという意味だ」
 バラザフの詳説を弟のレブザフや配下の部隊長が神妙に聞いている。あれだけメフメト軍を翻弄した後の退却である。皆、この血路を活路とせねばならぬと理解していた。
「おそらく路線は今言った方向に定まる。いや、そこに必ずもっていく。フート、そのために情報を掻き集めるのだ」
 皆、言葉無く拝している。が、バラザフには、彼らに自分の意が浸透していっているのが感得された。
「昔、アジャール軍とベイ軍との間に大戦争があった。今回の戦いの熾烈さもそれと同等か、それを上回る事になろう。死なぬ覚悟が要るぞ! 味方との連携を疎かにせず戦死者を一人も出すな!」
 バラザフは激戦が訪れる事を読んで、配下に死なぬ覚悟を説いた。もちろんアジャリアも激戦を予測している。しかし、その危機感はまだ軍全体に伝播しきっていない。
 ――西にメフメト軍の陣を発見。すでに配置は済んでいる模様。
「予想以上に迅速だな。全員、大鳥ルァフ の背にでも乗って飛んできたか」
 偵察の者の報告に対してアジャリアは冗談交じりに余裕の態度で応えてはいるが、心の奥の顔は額に汗を浮かべている。メフメト軍の動きが予想以上に迅速なのは事実なのである。
 続いてアジャリアは偵察の者にバーレーンからの本隊の動きを問うたが、こちらにはまだ動きは無く、こちらの方は思ったより遅いようであった。
「わしにまだ武運がある証拠だ。この遅れは我等にとって僥倖となったわ」
 バーレーン要塞の主力がまだ出撃していないのが分かったアジャリアの安心感は大きい。
 一方、西に回りこんだ敵部隊の様子も大いに気になる所である。
 その部隊の数は十三万。ハサーのムスタファ・メフメト、ダンマームのバヤズィト・メフメト、さらにムバッラズの街の太守ソコルル・メフメトなどメフメト軍の諸将が集結している、と偵察は報告した。
 アジャリアの横で一緒に報告を聞いていたバラザフは、自分の背筋が冷たくなるのをはっきり自覚した。あれだけメフメト軍を叩いたのに、まだこれだけの戦力が残っている。主力が来ないまでも十三万を相手にするだけでも下手を打つとこちらがやられる。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(2020.03.05公開予定)

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2020年1月25日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_6

 翌朝、突如アジャリアから全軍命令が発せられた。
「バーレーン要塞の包囲を解除。島に渡った兵も撤退させよ。ハサーまで戻るぞ」
 転進に転進でバラザフですらアジャリアの意図が分からなくなりかけていた。そこへアジャリアはハサーに向うと言うのである。
「何故、ハサーなのか。どうしてサラディン・ベイのバーレーン要塞をなぞるのだ」
 アジャリアについて軍略を学び、模倣して、バラザフの中でアジャリアの思考の型が出来上がりつつあった。アジャリアであれば、サラディンと同じ轍を踏むまいとするはずではないか。
 バラザフが周囲に飛ばしているフートの配下からは、楽観視出来ない情報がいくつも集まってきている。
 これらをまとめると、バーレーン要塞を包囲するアジャール軍を挟撃するために、ハサーやダンマームなどの各城邑アルムドゥヌ が援軍が集まりつつある、という事になった。
「すでにアジャリア様は知っているだろうが伝えておくべきだろうか」
 遣いのために弟のレブザフを呼ぶと彼は伝えるべきでないと言い出した。
「すでにアジャリア様もこの情報を入手しているならば、わざわざ伝える必要はありません」
「なぜそう思う」
「シルバ家が必要以上にアジャリア様から警戒されるからです。もはや我等が使える事を家中に誇示して地位を上げる時期ではないかと」
「うむ……」
 レブザフの言葉にバラザフは考え込んでしまった。レブザフの考えには一理ある。父エルザフがアジャール家に臣従した当時であれば実力を誇示し、居場所を作っていく必要があったが、今のアジャール家中でのシルバ家の地位を考えると、レブザフの言うとおり主家から睨まれないように身を屈める場合も確かにある。アジャリアの言動を見るに、今情報を上げねば進退窮まるというものでも無さそうではある。しかし――、
「やはりカトゥマル様の耳には入れておこう」
 カトゥマルの口から出た情報であれば、アジャリアにシルバ家が警戒される事もないだろうし、もしこの情報が手柄になればシルバ家の働きを後からカトゥマルが認識すれば良い事になる。知己のカトゥマルでれば、その辺の事は酌んでくれるはずだとバラザフは判断した。
 ――アジャリアが包囲を解いてハサーに向う。
 この情報を持って、メフメト軍のアサシンであるシーフジンがバーレーンにすぐに走った。
「アジャリアはまたハサーに戻るだと?」
 すでにハサーなどからこちらへ援軍が向けられている。シアサカウシンは、これがアジャール軍を包囲して殲滅出来る好機と判断した。
九頭海蛇アダル を揚げる大網を仕掛けてやろう!」
 ハサー、ダンマーム等々、今までの戦いで手も足も出ず押さえ込まれた反動から、バーレーンの守備兵等は退却していくアジャール軍を、指示なく熾烈に追撃した。シアサカウシンにもこれを制止するつもりは無い。
 アジャール兵達は追いすがる敵に対して後退攻撃し、あるいは後ろ手に武器を振って、よく逃げ切った。

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2020年1月15日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_5

 ついにバーレーン要塞をアジャール軍が包囲し始めた。二十万の兵が海を渡り、あるいは手前の沿岸で包囲の陣を整えている。
 サラディン・ベイはメフメト軍から何度も援使を迎えているが、義人サラディンとても自勢力を滅亡させるような危険を冒す事は難しかった。メッカのザルハーカ教横超地橋派の蜂起で、そこを突破出来ぬのもあるし、その蜂起を裏で糸を引いているのがアジャリア・アジャールで、アジャール側からはサラディンがアジャール軍を攻撃しなければ、ザルハーカ教の方は抑えるようにしておくとの密約があった上に、カイロのベイ軍へ糧秣が送られてきていた。
 今、カイロは飢饉である。アジャール家に対して、人民を飢えさせないようにしてくれた恩を仇で返す事の出来ないサラディンは、メフメト軍の援使を邪険にしないながらも、これに現実的な協力を示すわけにはいかなかったのである。
 ――ベイ軍は頼りにならない。
 シアサカウシンはカウシーンから何度も言われた。
 カウシーンにはサラディンが動けない理由がわかっていた。だとしても彼は自分の方に肩入れしないサラディンを感情的に許せていない。
 こうした手回しの良いアジャリアでさえ、いざバーレーン要塞を目の前に仰いだ時、その広大さに一瞬言葉が詰まった。しかし、そこは稀代に智将らしく盤上の遊戯をどう崩そうか考えて愉しむような気持ちになり、
「バーレーン要塞は古代より建て増しされきたそうだが、おそらく我等の代こそ一番眼福の相応しい姿だろう」
 と傍に居るワリィ・シャアバーンに冗談を言う余裕を見せ始めていた。
 アジャリアはバーレーン要塞を西の対岸から見ているが、それでも海の向こうから要塞の威風は迫ってくるものがある。すでに要塞の堂宇に彼らは居るといっても差し支えない。
 バーレーン要塞は三十を越える大小の群島の中の一番大きい島に建つ。砂漠と石灰岩の島々だが、北部に砂漠緑地ワッハ があり、そこのマナーマという城邑アルムドゥヌ が要塞の中核を成している。
 そして、当然周囲の海が天然の濠の役割をはたし外敵を阻んでいる。
「大きい。実に大きい。これを陥落させるには普通なら数年の時を要するであろう」
 ここに至ってなおアジャリアの真の目的は眼前には無い。サラディンが攻略出来なかったこの要塞を我が物にしてみたいという思いは確かにある。だがそれで彼と同じ失敗をするまいという思いのほうが強く、
 ――あわよくば攻略しよう。
 という慎重さを懐に抱えた、屈曲した攻城戦に挑もうとしていた。
 ハサーとダンマーム、この二つの城邑アルムドゥヌ にしても収穫出来れば、戦果としては上の上であるが、メフメト軍の威勢を削ぎ、アジャール軍の気炎を上げる事が出来たので、第一の目的は十分に達成されている。
 アジャリアはまたクウェート攻略に出たいと思っている。
 ――アジャール軍恐るべし。
 そういう感情を今の内に植えつけておけば、次のクウェート攻略でメフメト軍が横槍を入れてくる事はまずないだろう、というのがアジャリアの目論見なのである。

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2020年1月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_4

 同刻、オクトブートと呼ばれるアサシンが疾走する者を一人発見した。このアサシンはオクトブート のように投げ網で標的を捕獲する業を持っているのでその名で呼ばれる。
 オクトブートの目に捕捉されたのは、言わずと知れたシーフジンで、バーレーン要塞に向けてバヤズィトより伝言を命じられた彼である。
 オクトブートにとっては捕捉は即ち捕獲を意味する。その目で捕捉して網から逃れた者はいまだ居ない。網を構成する主たる綱に支線の綱が幾つも派生していて、逃れられない仕組みになっている。
 捕らえたならば標的の生殺與奪はオクトブートが握る。標的捕縛の命が出ていれば獲物は上に差し出されるが、そうでなければオクトブート の足に捕まった獲物はその場で餌食になる。
 ――これは!
 シーフジンが気付いた時にはすでにオクトブート の足は視界いっぱいに広がり彼を包み込もうとしていた。
 オクトブートの網は完全に獲物を捕らえた。が、網を引き締めて手繰り寄せようと引いた彼に手には、網の中の獲物の重さが全く感じられなかった。
「消えた……?」
 網が投げられた瞬間まで獲物が居た・・ 場所には、青い煙が漂い、そしてもう薄れて消え行こうとしている。
「シルバアサシンだな」
 捕らえられたはずのシーフジンは少し離れた所に現れ、地に足を着けた。オクトブートはシーフジンの問いには答えず、
「シーフジンだな。今確かに捕らえたはずだが、やはりシーフジンの捕獲は困難だというのは噂どおりだな」
 その言葉が終わらぬうちに、シーフジンに再度網を投げかけた。網の捕縛が収束しシーフジンに絡み付こうとする。が、シーフジンもまた先ほどのように捕まる瞬間にその身を煙と化し、捕縛を逃れ、また出現した。
「今、お前が言った通りだ。我等シーフジンの捕縛は困難、いや不可能と知れ」
「捕縛出来ぬなら消えてもらうしかあるまいな」
 オクトブートは今度も言葉を仕舞わずシーフジンに網を投げた。シーフジンもこれまた同じように煙となって姿を消す。同じ手で捕縛し損ねるオクトブートだが、狙いは次の刹那にあった。
 シーフジンが姿を現し始める場所を見定めると、短剣を抜いて強く踏み込んだ。
「消えてもらうと言っただろう」
 オクトブートの短剣はシーフジンの心の臓を刺し貫かんとする寸前で、手首を捕まれ、血を滴らせている。止めを刺す力を込め、圧し切った刃がシーフジンの胸を貫いた。ところが絶命してその場に斃れるはずのシーフジンは、あの青い煙となって姿を薄れさせてゆき、今度は現れる事はなかった。
「煙のように掴めない輩だ。モハメドは配下を本当に魔人ジン に変えてしまうとでもいうのか」
 オクトブートは確かに血のついた短剣を見つめるも、今起きた不可思議に、この世ならざる物を感じざるを得なかった。そして、そう感じた彼自身も報告のためその場から姿を消した。シーフジンにしてもシルバアサシンにしても、バラザフが彼らを同門・・ と表現したように、世人の働きとは隔絶された異能の世界に生きる人外なのである。

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2019年12月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_3

 カウシーン・メフメトはメフメト軍の三代目である。片やシーフジンは今でもモハメド・シーフジンなのである。
 シーフジンは裏の仕事だけでなく、戦争に表立って参加する事もあった。彼らの最大の強みは戦争で死なない・・・・ 事である。足が速い上に、追い詰められると煙のように消える。敵兵が彼らを仕留める事は不可能に近い。
 ――今のモハメド・シーフジンは初代の孫である。
 と、バラザフは聞いていた。この情報を入れたのはシルバアサシンの長、フートである。
 バラザフもシーフジンというアサシンの名前だけは知っていた。余りに有名である。だがその実態となるとまるで知らなかった。それは自分の本分ではない。
「メフメト家のシーフジンというアサシン団に用心されたし。長のモハメド・シーフジンは常人の二倍ほどの大男で、バーレーンの神の果実だけを食して齢三百を越えただのという面妖な噂も纏っております」
 そして実際はそれは初代の孫だとフートは言うのである。
「詳細を穿つならば、シーフジンの出自はドーハ以前を辿ると、我等シルバアサシンと同じくアルカルジなのです」
 フートはまるで別人になったかのように、シーフジンについて聞かれもしないのに言葉多く語った。
「つまりシーフジンとシルバアサシンは同門と言えるな」
「そういう見方もできますな」
 バラザフはカウザ に被った砂をふっと息で掃いながら、フートの話を聞いていた。
「我等もシーフジンも普通のアサシンと異なる業を用います。出自が普通と違うためです」
「そうか。ではフートはシーフジンの強みも弱みも把握しているのだな」
「はい。言い換えると、我等の特徴もシーフジンに知れているという事にもなるわけです」
 バラザフはカウザ からフートに視線を遷した。
「シーフジンの一番の手柄というのは何だろうか」
 バラザフの中でシーフジンが形ある像として出来上がってきた。
「メフメト始祖のドーハでの台頭に始まり……」
「今代では?」
「カウシーン・メフメトのジュバイルの攻略が、シーフジンの今代における一番の働きかと」
 この戦いでカウシーン・メフメトは十万の兵で百万のジュバイル軍を打ち破って、この城邑アルムドゥヌ を手に入れている。十万の兵を分隊する際に各隊にシーフジンを編入して、四方八方に食い散らすようにして、ジュバイル軍を殲滅していったのだが、ただ蛮勇を以って敵に対したのではなく、シーフジンの速力を最大限活かして敵を翻弄しつつ倒していったので、ジュバイル軍は百万といえども殆ど戦力として機能出来なかったのである。
 もちろんメフメト軍の十万の兵のほとんどは普通の兵卒である。しかし、シーフジンという手練によって作られた流れ・・は、ジュバイル軍のそれとは逆に能く機能し、兵卒達はシーフジンについて、突進、転進、後退していくだけで効率の良い戦いが出来た。極端な場合、横を向いている相手を切り伏せるだけであるから、兵卒としては良い仕事にありつけたと言える。
「それはそれぞれのシーフジンが戦いの趨勢をはっきり読めたという事ではないか」
「その通りです。このようにアサシンを部隊として活用するやり方も、殿の知謀ならば可能でしょうな」
 シーフジンの戦いぶりを聞いて空恐ろしくなるバラザフに、語るほうのフートは活き活きとしていた。
「部隊として戦えるという事は、シーフジンはかなりの数が備えられているのか」
「二千前後と思われますが、明らかな数ではありません。兵士をシーフジンとして仕立てれば急増出来てしまいますゆえ」
「そんな事が有り得てしまうのか」
「あくまでそういう手があればという事です」
「急ごしらえで忠誠を誓うものなのか」
「裏切れば上が始末するでしょう。それは我等シルバアサシンでも同じ事」
「始末出来る程度に加減して育てるのか」
「お察しの通りです」
 いつの間にかバラザフはフートの話を食い入るように聞いていた。今やアジャール家では知謀一、二を争うと自負していたが、自分の知らない世界を垣間見て、未知への興味と怖いもの見たさで膝を乗り出している。
「さらには……」
 フートのシーフジンの話は続く。
「長のモハメド・シーフジンは本人が長命に生きながらえているにしても、孫に代替わりしていたとしても、手下の中でもその面前にとらえた者は殆ど無く、主家のメフメトの者ですらその実体は掴めていないとも」
 バラザフは手にしたカウザ に視線を戻し、虚空を見上げて、
「おそらくそれは虚言だ。流言の面白い使い方だと思うぞ。面妖な噂でモハメド・シーフジンの虚像を作り出して、それこそモハメドを魔人ジン のように仕立てて、実体を隠しているんだ。俺もモハメド・シーフジンを使ってみたいものだな」
 シルバアサシンを巧みに扱いながら、手駒を動かす醍醐味をバラザフは感じていた。

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2019年11月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_18

 アジャリアが想定したとおり、宵闇に城内から偵察兵が出てきた。これがバラザフが手配しておいたアサシンの罠に掛かった。アサシンの長はフート、つまり鯱と呼ばれている。元々、父エルザフに仕えていたが、現在シルバのアサシン団の半数がこのフートと共にバラザフの配下として働いている。
「メフメトの偵察兵を捕獲……」
 フートはいかにも裏舞台で生きる者らしく静かにバラザフに報告を入れた。
「何か吐いたか」
「五百名程で出撃してくる模様」
「それは俺たちで対処しよう。お前達は配置に戻れ」
 その情報をすぐにカトゥマルに入れて、迎え撃つ備えをしなければならない。
「日が昇る前に来そうか」
「おそらく」
「俺も出撃する」
「それはなりません」
 バラザフは、参戦するつもりでいるカトゥマルを、小規模戦闘には総大将は出るべきではないとして制した。まだカトゥマルにはアジャリアの剣として戦っていた武人として気質が抜けない。バラザフにアジャール軍の系譜である事を再認識させられて、ここは彼らに任せておく他なかった。
「こちらが待ち構えているのは向こうも承知だ。その上で出てくるのだから敵は死力を尽くして来るぞ」
 ――火砲ザッラーカ ! 一気に撃て!
 バラザフが配下を引き締めたその時、城内から火砲ザッラーカ が火を噴いてきた。
「慌てず砂袋投げ掛けてやれ」
 兵達が射線に向けて砂の詰まった袋を投げる。袋は空中で火の玉となり砂が舞った。無数の砂粒が拡散して霧のように膜になり炎を防ぎ熱を吸収している。撒き散らす砂の中で、袋の一つが爆破した。
「誰だ! 間違って小麦粉を投げた奴は」
 どうやら準備の段階で糧秣の袋が一つ紛れてしまったようだ。その炎もやがて舞う砂に呑み込まれ消し去られていった。誰に対してというわけでもなく兵を怒鳴りつけたバラザフだったが、内心に怒りは無い。火砲ザッラーカ の炎を巧く防ぎ、緒戦から上首尾である事への高揚の顕れである。
 やがて炎が途切れ、敵が門扉を大きく開き、百名程が打って出てくるのを機に、
「今だ! 矢を射かけよ!」 
 と反撃を命じた。
 門から出てくる敵に真横に射られた矢が突き刺さってゆく。ほぼ狙撃の形に近い。
 バラザフは弓兵を百人ずつ三部隊を編成していた。この三部隊で射撃稼動を循環させ、メフメト軍を襲う弓矢の凪は生じなかった。
 幸運にも撃ち漏らされて弓隊に一矢報いんと突撃をかける者も、脇に配置されたアサシンの投擲で着実に始末されていった。
 当然、バラザフは定石である槍兵も用意している。二百名の槍兵が門の傍で転倒している敵兵に止めを刺さんと襲い掛かる。その横を次の火砲ザッラーカ に備えて砂袋を携えた軽歩兵が駆け抜けてゆく。
 ――これしきの小競り合いでは少しの損害も出したくないからな。
 奇策という程の戦術ではない。だがバラザフは一手一手を細やかに指示して、味方を一人も死なせなかった。門の所には百を越える骸がある。それらはすべてメフメト兵で生者は全てアジャール兵である。
「これで十分だ! 一旦退くぞ」
 僅かに生き残った敵兵が城内に退却してゆく。良い戦果だとバラザフは認識していた。ここで逃げてゆく敵兵と一緒に門内へ駆け込んで攻撃するという手もある。だがバラザフはその戦術を取らなかった。
「門が開いている内に駆け込まないのですか?」
 例によってレブザフが尋ねる。
「うむ。敵が先に火砲ザッラーカ を使ってくれたのが幸いした。あれを知らずに城内に駆け込んでいれば、門を閉められて今頃集中砲火で一網打尽になっていたところだな」
「ついていましたね」
「ついていた。全てを想定しきるのは至難だからな」
 この時、フートの配下が城内へ駆け込んで様子を窺って来た。そして城内では火砲ザッラーカ が構えられ、弓兵も多数待機していると、バラザフの予想を裏付ける報告をした。
「手際の良い見事な戦術だった。見た目は小競り合いだがこの勝利は大きな意味を持つだろう」
 レブザフを通して報告を受けたカトゥマルは満足な様子を隠さず表した。
「俺はバラザフの活躍が我が事のように嬉しい。勿論父上もお喜びだった」
 アジャール軍の士気が上がる一方で、この一戦でメフメト軍の士気は一層低下し、中から突進してくる気概はすっかり失せてしまったようである。だがアジャール軍はおとなしくなったメフメト軍を黙って囲んでおけばよいというわけにはいかず、ベイ軍やバーレーンのメフメト軍からの援軍を相手した小戦闘はしなければならなかった。
 アジャリアはこれらの戦闘の勝利に満足しつつ、ついに自らも稼動体勢に入った。
「ハサーの包囲はここまでだ。次はダンマームに向う。ナジ・アシュールが待っている頃合だ」
「ダンマーム攻略に入るのですか」
 傍に仕えていたワリィ・シャアバーンが尋ねた。
「取れるものなら取っておきたい。が、強攻めは不要。ハサーと同様にダンマームもアジャール軍に手出しが出来なかったと、バーレーンのカウシーンとシアサカウシンに知らしめるのが目的だ」
 ――アジャリア様の狙いがハサーでもダンマームでもないとは思っていたが。
 ――さりとてバーレーン要塞を本気で攻撃するとも思えんな。
 事ここに至ってもアジャリアの真意が読めず、ワリィとアブドゥルマレクは囁き合っていた。
 ――カウシーン・メフメト殿にこれから会いにゆくのだ。
 アジャリアは記憶の中のカウシーン・メフメトという人物と対面しようとした。が、
「傷だらけだったのは憶えているが、なぜか目鼻がちっとも思い出せんな……」
 ――この方はアジャリア様だったはずだが、いつの間にやら幻影タサルール と入れ替わったのか?
「お前たち。わしは本物のアジャリア様ぞ。ん?」
 ワリィとアブドゥルマレクの囁きをアジャリアは愉悦を含んで窘めた。
 ――今、アジャリア と仰ったぞ。
 ――だが、あの自信はご本人の物に他ならぬ気がする。
 もはや重臣達ですら真実が分からなくなっていた。二人は臣下としてはいささか不敬な程、アジャリアをじっと観察している。
「面白くなってきた。ダンマームで待つアシュールの部隊にもわしが居る。メフメト軍の目にはこれはど映るだろうか」
 悪戯を仕掛けてその成果を待つ悪童のようにアジャリアは一人笑っている。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年11月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_17

 数年前バーレーン要塞が百万の大軍で包囲された事があった。その総大将が他でもないサラディン・ベイであったが、その中身はカイロ、アルカルジ、オマーン、ドーハ他、各地方の反メフメト勢力の寄せ集めであり、指揮系統が確立していない軍とは呼べない集団であった。
 いかに義人サラディン・ベイであるとも、これらを統帥する術無く、バーレーン要塞の包囲を解除するに至った。その時ムスタファはバーレーンで参戦し、これらを見ていた。
 だが、ムスタファが眼下に見ているアジャール軍は、その寄せ集めとは全く別の存在で、城壁の上から遠くを見ても、戦意が高い精鋭である事がわかる。
 ムスタファの身体に怯えの気が漂っている。それが周囲に伝染し、ハサーの体温が冷たく、そして重くなっていく。
 ――この戦い、危うい。
 そんな空気が城内に伝播していった。
 この戦況を危険視したシアサカウシンは、カイロのサラディン・ベイに援使を送った。ハサー城内のムスタファからも援使は数回送られた。
 だが、ベイ軍からは援軍を撥ね付けられはしないものの、
 ――援軍の用意あり。しばし持ち堪えられよ。
 と返事されるだけで、援軍はやって来なかった。
 サラディン自身がメッカのザルハーカ教横超地橋派の蜂起に苦しめられている事を、メフメト軍は知らない。
 城内で怯えるムスタファにしても他勢力に援軍を求めるシアサカウシンにしても、決して無能というわけではない。寧ろ遠目に敵兵の士気を感得出来、敵将を侮らず力量を推し量らんとするは、下の将兵を束ねるのに最低限の器量は持ち合わせていると評価されてもよい。
 しかし、戦争は兵力の多寡もさることながら、奇策を生み出す人間の頭脳に依る所が大きい。即ち発想の豊かなる者、想像力に富む者は乱世で生き残れる確率が高まり、空想力の乏しい者はそれらに淘汰されてゆく。勿論、空想が双頭蛇ザッハーク壁浮彫ラーハ のように世に現れ出ない物であってはならない。
 砂の海の上に大きく横たわる九頭海蛇アダル の頭は切り落としてもいくらでも生えてくるだろう。奇策として一つの頭に対応出来ても、他の頭に食われる。それが怖い。
 アジャリアの包囲は固い。攻撃を仕掛けて兵力を消耗しないように、
包囲する事で持続的な威圧を掛けている。
「時を待て。敵がじっとして居られなくなった時に打撃を与えてゆけばいいのだ」
 と気長に構えている。

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2019年10月25日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_16

 アジャリアはアルカルジからサルワに転進してくる前に、アキザフ・シルバとその配下に対して、サラディンの奇襲に備えるように指示だけしておいて、子細は任せる事とした。流れとしてはシルバ軍もハサーに随行するように見せて、すぐにアルカルジの防衛に戻している。そしてナジ・アシュールという将に、
「わしの幻影タサルール をアシュール軍の大将としダンマームの城邑アルムドゥヌ の攻撃せよ」
 と命じた。
 つまりナジ・アシュールはアジャリアの幻影タサルールを見破れるか試験され、その運用を任される数少ない将に選ばれたという事になる。アシュール軍は負け知らずのアジャール軍の中でも最強の部類に入る。その強兵をアジャリア・アジャール自身が指揮しているという事実が作り上げられた。
 ――アジャリアがアシュール軍を率いてダンマームに向っている。
 そう報告されたシアサカウシンは目の前が真っ白になった。頭が焼かれそうである。
 シアサカウシンが報告を受けた時には、アシュール軍のダンマームの城邑アルムドゥヌ を包囲し始めていた。それを指揮しているのはアジャリア・アジャール自身であると、メフメト軍は受け取った。
 それが幻影タサルール とは、まだメフメトの間者ジャースース は掴んでいなかった。つまり表面上は、バーレーン要塞のすぐ対岸に、すでにアジャリアが出現しているという状況である。
 幻影タサルール で、バーレーンとダンマームを混乱に陥れる一方で、アジャリア本人はハサーの城邑アルムドゥヌ に現れた。
 本隊の差配をカトゥマルに任せる前に、アジャリアは大まかな方針だけは伝えた。
「ハサーの攻略は不要。向こうも打って出ないようにカウシーン殿から命令されているはずだ」
「ハサーの太守はカウシーン殿の子のムスタファと聞いていますが、我等が恐れる相手ではないのでは」
「そうだ。だから守備に専心するように命じられている。言い換えれば砦に篭れば大将の多少の役不足は補えるという事だ」
「バラザフはカウシーン殿を警戒すべき以外は何も申しておりませんでしたが」
「カトゥマルよ。臣下の献策に耳を傾ける事は上に立つ者の美徳といえる。またバラザフの言葉も聞くに値する。だが、バラザフの言葉の言いなりになってはならぬぞ。託宣ではなくあくまで献策に過ぎぬ事を忘れるな」
「心得ました」
「勿論、バラザフはお前にとってもわしにとっても信の置ける臣だ。しかし心の奥で少し離れて観る目を持たねばならぬ」
「はい……」
「では、そろそろ軍議せよ」
「父上は軍議には出ないのですか」
「大略は今言った通りだ。後は任せる。それにあまりわしが口を出し過ぎると、他のわし・・ とすぐ見分けがついてしまうからな」
「わかりました」
 話を終えカトゥマルが天幕ハイマ から出ると、丁度バラザフが偵察から戻って来て馬から降りる所だった。
「やはり守りは堅いか」
「はい。少なくとも向こうから仕掛けてくる気配はありませんね」
「ハサーは無理に攻め取らなくてもいい」
「やはり、然様ですか」
「だが、やはり取れるものなら取っておきたい。強攻めせずにここ押さえられぬものか」
「ここが主目的であれば、寝返りを仕込んで時を待ちますが、いかがしますか」
「いや……やめておこう。ここは武威を示すだけにする」
「御意に沿えず申し訳ありません」
「いや、お前が謝る事ではない」
「では兵を損なわないよう手配して参ります」
「任せたぞ……」
 すでにアジャリアの意を受けているかのようなバラザフの態度に、カトゥマルは自分の軍略の至らなさを意識せずにはいられなかった。
「バラザフ……。友として俺から離れずにいてほしい」
「お戯れを。カトゥマル様の足からは逃げられませんよ」
 冗談で返し走り去っていくバラザフに、カトゥマルは笑ったが、目の奥は熱くなっていた。
 感傷的になるカトゥマルの心を余所に、バラザフは実務的に動き回らねばならない。
「味方を損傷せず、敵を怯えさえなければな」
 まず、ハサーの城邑アルムドゥヌ の周囲に布陣するアジャール軍の囲みを幾重にも厚くさせた。
「ここを本気で取るならまたアサシンを使うんだがな」
 敵中に忍び込むという命がけの仕事をさせるだけにアサシンの運用には金が要る。まずは慎重に包囲しておく他ない。この先、アジャリアがどのようにしてバーレーン要塞を陥落させるのかも気になる所である。
 ハサーの城邑アルムドゥヌ 。城壁の上から外を見渡せばアジャール軍の兵で埋め尽くされ、天幕ハイマ がいくつも見える。
「アジャリア・アジャールが来た。このハサーの城邑アルムドゥヌ にこれほど多くの敵兵の押し寄せた事はない。私の戦経験の中で一番の難事だ」
 太守のムスタファ・メフメトは全身が強張っていた。

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2019年10月15日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_15

 カトゥマルはカタール半島に入った。ここまで小さな街を二、三手中に収め、今カタール半島付根のサルワの街を押さえている。バーレーンまでは徒歩と舟で三日の距離である。半島海岸の反対側にドーハが在る。アジャリア本隊も、多勢でその土を踏み固めるようにカトゥマルの跡をなぞった。
 伝令が指示や情報を持って味方の間を駆け回っている。バラザフがこれらの情報を通して読み取るに、全体の方向量が金甲虫ジウラーン の色のようの絶えず変わり続けていると分った。
「やはりアルカルジが目的ではなかったのか。バラザフ、父上は北上しハサーの城邑アルムドゥヌ の攻撃に移るらしい」
 出陣前に通達されたとおりアルカルジを主戦場にする頭だったため、カトゥマルは心に、アジャリアのこうした千変する戦術に対する摩擦を感じている。
 頭と心がついていけないのはカトゥマルだけはない。味方の各将兵も少なからず混乱していたのだが、バラザフ一人がその中に在って全体を見澄ましていた。
 ハサーを攻撃するのであれば、アルカルジに集結させたり、サルワの街に入ったりと手が込みすぎだと各将は感じていた。反面、バラザフが落ち着いていられるのは、この揺さぶりこそがアジャリアの意図なのだと心得ていたからである。
「アジャリア様のアマル に照らして見るのだ」
 夜になって陣屋で弟のレブザフにバラザフは語った。弟であれば自分が警戒されないように知恵を抑える必要もないので、存分に話せる。バラザフは常々こうした外に発したい言葉を抑え、多少抑鬱がある。
「そのアマル に照らして見るやり方がわかりませんよ。私には何も見えてきません」
 レブザフはレブザフで見えない・・・・ という抑鬱がある。
「皆が言うようにハサーに来るのに、わざわざアルカルジに行かなくても良かったのでは。ハラドから真っ直ぐ北上したほうが食料も兵の疲労も少なく済むはずです」
 レブザフは自分が正論を言っている自信があった。
「それも正攻法ではある。だがここサルワまで来たのは徒労ではない」
「その意図が解らないのですよ」
「まあ、そう急くな。バーレーン要塞のメフメト軍を攪乱させる。これはお前も読めている事だろう」
「はい」
「アジャール軍の内部でも混乱しているのだ。攪乱は利いていると見ていい。狙いはまだある」
「というと」
「もう片方の敵さ」
「あ……」
「そうさ。アジャール軍はメフメト軍だけでなくベイ軍とも常に暗闘している」
「それでアルカルジですか」
 レブザフの方からすれば兄バラザフは訊き易く、自分を賢く誇張する必要も無かった。それ故彼は自分のくら きを進んで啓く師としては、兄は最も都合の良い相手であった。バラザフがアジャリアを無意識に真似ようとしてしまうように、レブザフも兄バラザフを模倣していた。血の繋がった兄弟であるが故に、その模倣にも無理が無いのが道理である。
「兄上達がアルカルジでベイ軍の侵入を見張っている。表面上はベイ軍とメフメト軍は繋がっている事になっている。だからわざわざアルカルジまで出張ってサラディンがどれだけベイ軍の加担してくるか見定めたのだ」
「来るならばその時点でメフメト軍の援軍要請に応じているわけですね」
「サラディン自身が精鋭で奇襲をかけてくる可能性は否定出来無くはないが、ベイ軍にとっては一番の戦機をあえて見過ごしたと言えるな」
「もしそこでサラディンが本気でアルカルジのシルバ軍を圧しつぶそうとしていたらどうなるのです」
「その時は軍議で最初に通達されたようにアルカルジから他勢力を排除して足場を固めていただろう」
「ふむ……」
 兄バラザフはアジャリアをすっかり信頼しきっているが、レブザフにはアジャリアがシルバ家を見殺しにしない保証など無いように思えた。
 ――血族を淘汰する人間に他家を護る信義があるのだろうか。
「レブザフの心配も分かるがベイ軍がアルカルジに出てくる線は、実はほぼ無いのだ」
 アジャリアと手札を共有しているという自信がバラザフにはある。
「アジャリア様が手回しをされていたからだ。メッカのザルハーカ教横超地橋派の人間にベイ軍と敵対するように仕向けたのさ。だからベイ軍はそこ抜けてアルカルジに抜けて来られないはずなんだ」
「横超地橋派の人間がよくアジャリア様の言葉に従いましたね」
「勿論、懇意の者を間に挟んでの事だろう」
「なるほど……」
「レブザフもアジャリア様の偉大さが理解出来たようだな」
「それは勿論理解出来ましたが、半分呆れましたよ」
 アジャリアはあまりにしたたかだとレブザフは言いたい。
「それに勿体無いです」
「勿体無いとは」
「兄上ですよ。そこまで知謀に優れているなら、兄上がアジャール家の継嗣として生まれついていれば、アジャール軍はもっと威勢を拡げたはずだ」
「馬鹿な! 不敬である」
 咄嗟にたしな めたものの内心ではバラザフは怒っていなかった。戦場に出る度に軍を指示してアジャール軍を動かす自分を想像していた。周囲を見渡して自分以外にアジャリアの戦術の妙諦に肉薄する者はいないとの自負もあった。アジャリアに次ぐ頭脳を持ったエドゥアルドやズヴィアドはもう居ないのである。
 だが、九頭海蛇アダル の頭はバラザフが見上げている場所よりもっと高い所に在った。
 アジャリアの目には高所から広い視野が見えている。バラザフの目もアジャリアに迫ってはいた。

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2019年10月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_14

 カウシーンはダンマームとハサーの城邑アルムドゥヌ にそれぞれ二男と三男を配している。これらにアジャール軍の侵攻に急ぎ備えるようにと命令した。いずれもバーレーン要塞への緩衝となる重要拠点である。
 アジャール軍の方では、バラザフが先鋒のカトゥマルの部隊と合流していた。
「アジャリア様の命でカトゥマル様の部隊を追ってきた次第です」
「おう、バラザフ。我等にも定められた行程がある故、お前が後ろから来ているのに気付いていても途中で待ってやれなかった。許してほしい」
「昔からカトゥマル様は足が速かったですから」
「何、あれでも俺は加減していたぞ」
「追う方は堪りませんよ」
 幼少時の同じ感覚を持った二人の会話は哄笑に変わった。この幼少時の幼い感覚にはナウワーフも含まれている。彼らは主家と家来という間柄でありながら、今でも冗談が言い合える仲である。
「バラザフは昔から知恵が回ったな。そんなお前に尋ねたいのだが」
「何か問題でも生じましたか」
「いや、問題が生じたという事ではない。カウシーン・メフメトという人物を戦う前に知っておきたいと思ったのだ」
「カウシーン殿ですか」
「うむ。父アジャリア・アジャールに匹敵する智勇の将という、世で言われている情報くらいしか分らない」
「私の持っている情報もそれと変わりありませぬ。一応父が申していましたのは……」
 バラザフは、父エルザフから聞いていた、カウシーン・メフメト像を語った。戦い方や交渉のやり方についてを、特にメフメト家のジュバイル獲得がカウシーンの活躍に依る所が大きい事を、押して伝えた。
「戦局を左右させ得る力があるという事だな。父に匹敵すると評価されるのも頷ける」
「戦いにおいて勝つための筋道という物が定まっているのかどうかはわかりませんが、戦略、戦術、外交、どれをとってもアジャリア様のやり方と酷似しているように思えるのです」
 アジャリアとカウシーンが似ていると話して、バラザフは自分も彼らのやり方を模倣しようとしている事に気付いた。やはり勝つための一定の法則はあるように思える。だが、今は頭の中でその方法論を形成してゆく時間は無く、自分等の本分を務め切らねばならない。
「父アジャリアに戦いで勝たなければいけないようなものではないか」
「その言葉は言い得ています。それほどの強敵であるが故に私も寒気がします」
 二組の人馬は離れ、バラザフは後ろの自分の部隊に戻っていった。バラザフは東の空に目を遣った。あの空の下に海があり、そこにバーレーン要塞が在る。
 その空にネスル が誇らしげに飛んでいるのが見える。ネスル は見る見る巨大化し大鳥ルァフ となり空を覆った。
 ――大鳥ルァフ よ。我等の九頭海蛇アダル の首はお前まで届いて吞み込んでやるぞ!
 自分は九頭海蛇アダル の手足だ。大鳥ルァフ に睨まれ背中に悪寒が走る。反面、もし自分が九頭海蛇アダル の頭として稼動出来たなら、どのように大鳥ルァフ を食い殺してやろうかという戦術的な楽しみもある。
「あの時もそうだったかもしれん」
 バラザフはベイ軍との死闘において、主将になったつもりで戦場の動きを見つめている若き日の自分を思い出した。すでに父親になったとはいえ昔日を懐かしむには些か若すぎる謀将アルハイラト である。

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2019年9月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_13

 アルカルジにアジャール軍集結。この情報がすぐバーレーンに届いた。
「何で素直にクウェートに行かんのだ!」
 新たにメフメト軍の統領となったシアサカウシンの頭の中は怒りと混乱で入り乱れた。
 難攻不落のバーレーン要塞を本気で攻撃するまいと思っていた。万が一来たとして、ジュバイルの城邑アルムドゥヌ 辺りからのはずであった。
「あの揺さぶるようなやり方が気に入らん」
「ではそれに揺さぶられてはならんぞ」
 すでに九頭海蛇アダル の術中に嵌っているシアサカウシンにカウシーンが話して看た。
「同じ高さで観ては九頭海蛇アダル の頭の一つが見えるのが精々だ。だが、上から観れば九頭海蛇アダル蚯蚓ドゥダ に見える。もっともあれは化け物蚯蚓だがな」
「あれが化け物蚯蚓であれば、父上はそれを啄ばむ大鳥ルァフ でしょう」
「その賛辞は嬉しいが父は老いた。長くは飛べぬ大鳥ルァフ よ。父はお前にこのバーレーンの空を飛んで欲しいのよ」
 偉大なる父を大鳥ルァフ に喩えたシアサカウシンは自らが成鳥となって久しく、名目上はメフメト軍の総帥として当主を継いでいる。だが客観的に見ても、親の欲目で見てもシアサカウシンが大鳥ルァフ としてバーレーンを制空する器とは評価出来ない。
 それでも親として子に期待せぬ事など所詮無理な事であり、老いたりとはいえ自分の命ある限りは我が子と一族を守りたいと、ついつい政務軍務の口を挟んでしまうカウシーンなのである。今は迫り来る化け物蚯蚓にこの地を食い散らかされるのを防がねばならない。
 上から観ろと子を諭し、大鳥ルァフ と称されただけあって、カウシーンの目にはアジャリアの意図が徐々に浮かび上がって見えてきた。
「シアサカウシン」
 虚空を真っ直ぐと見つめたままカウシーンはアジャリアの意図を描こうとする。
「アジャリアの狙いはこの父よ」
「父上を?」
「この父の命……というより、力比べよ。どちらが強いか、知恵が回るか、根気が上回るか。同盟に安居して我等はこれまでぶつかって来なかった。大鳥ルァフ九頭海蛇アダル 、ここで雌雄を決してみたいと父にも思えて来たぞ」
「父上……」
 血が沸き立ち震える父を、シアサカウシンは仰羨していた。まさにバーレーンを制空する大鳥ルァフ を眼前に見ていた。
「こちらも全力をぶつけてやりましょう」
「そうだな。あの九頭海蛇アダル がどのような奇策を出して、このバーレーンを落とそうとするのか楽しみなってきたわ。情報を拾え。アサシン、間者ジャースース を増員してアジャール軍の動きを追うのだ」
 父の威風に薫陶され性を成して、シアサカウシンの身体にも闘気が宿り始めた。
 カウシーンにはこれが自分の最後の戦いのなると分った。故、たとえ僭越になろうとも戦いの指揮権をやる気になっているシアサカウシンから自分に戻して戦おうと決めた。
 シアサカウシンに大鳥ルァフ の羽根のひとひらでも有していればよかった。見上げるような感覚や、地に足を着けて横を観る目も必要な時はある。民情を把握して民の暮らしを平らけく安らけくせんとする時がそれである。が、今地を這っていては九頭海蛇アダル に踏み潰されるか、いずれかの頭に呑みこまれて終わる。シアサカウシンを活かしてやるのは平安が訪れてからでよい。
 カウシーンも元々は土の如く地に有った。その土には戦場の薫りが浸み付き、鶏ではなく大鳥ルァフ に大きく焼きあがった。無論、戦場はその製陶を唯見過ごすという事はせず、言うなれば傷物として出来上がった。やがて陶の大鳥ルァフ は命となり、バーレーンの空を飛んだ。その意味ではシアサカウシンは父を的確に観て評したと言える。
 その目でアジャリア・アジャールを観て欲しい。だから、
 ――味方は活かせても敵は殺せぬ。
 というのが父カウシーンのシアサカウシンに対する評である。
 ジュバイル、バーレーン、ドーハ、マスカットにかけて、メフメト家は、ペルシャ湾、オマーン湾の南側の湾岸を支配下に置いている。サバーハ家の客将であったカウシーンの祖父がサバーハ軍の後ろ盾を得て、この地を支配するに至った。カウシーンの今までで一番大きな戦いダンマームでの戦いである。ダンマームはこの時まだ他の有力首長の支配下であって、相手はメフメト軍の十倍以上の威を誇っていた。これをカウシーンの活躍で追い出しアルカルジまで退かせる事に成功した。カウシーンが二十歳の時である。アルカルジもこのときはまだアジャール家の支配ではなかった。
「もうあの時の力は残っていない。だが、アジャリアと最後の対決となれば、ジュバイルの戦いの記憶が我が血をたぎ らせずにはおかぬ」
 ぐっと力の篭るカウシーンの腕は傷跡だらけである。その腕を見つめ、それからシアサカウシンを見遣った。

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2019年9月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_12

 風はバラザフが読んだように吹き始めた。
「戦いの主軸をリヤドとする。アルカルジ周辺からメフメト勢を締め出すのだ」
 この命令もアジャリアの攪乱作戦の内に入っている。アジャリアの一連の動きを鑑みて、メフメト軍は、
 ――アジャリアの本当の狙いはクウェートである。
 と判じた。よってクウェートの南のジュバイル辺りに守備に力を注いだ。アジャリアはさらにその裏をかいてアルカルジ周辺に全戦力を投入と言うのである。
 シルバ家にはアルカルジ、ハウタットバニタミム等の防衛を維持した上でアジャリア本隊に合流する部隊を賄うよう指示された。全軍がリヤドを経由してアルカルジの戦いに当たる。余力を残さぬ戦いになりそうである。
 出征の儀が閉められた。
 伝令が各方面へ一斉に走り出す。先発の軍はカトゥマル・アジャール。カトゥマルは新たにアジャール家の系譜の主としてハラドに遷っていた。
「バラザフはカトゥマルの先発隊と連動するように。アルカルジへ入ったら太守であるお前の父や兄にベイ軍とメフメト軍の連携を阻害するように指示し、それを伝えたらお前はバーレーン要塞攻略に参戦せよ。本軍は日を分けて出陣させてゆく」
 アジャリアは今回の戦いで全ての隠密タサルール を活用し切ってやろうと思っている。

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2019年9月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_11

 緒戦を勝利で飾ったアジャリアは、余力の将兵全てにバーレーン要塞攻撃を命じた。アジャール軍とメフメト軍の戦いは本格的な局面に入った。カーラム暦983年のベイ軍との戦争は熾烈を極めた。それと同じ規模の激戦がメフメト軍との間に起きようとしている。
 ――アジャール軍の総力をこの戦いに注ぎ込む。
 ハラド、リヤド、アルカルジ、クウェートといった各地のアジャール軍の兵は四十万を数える。
 いよいよアジャリアがハラドを発つ時、将兵を集めて出征の儀を催した。この儀に参列させるにあたり将兵等に大蒜トゥーム を食べぬように通達されており、また彼らもそれは心得ていた。
 屋外に設けられた香壇を前にアジャリアを始め居並ぶ将兵が厳か日の出を待つ。やがて、東の空が薄明るくなり始め、少しずつ赤を強くする。

 ――インシャラー!

 神がお望みならと唱和し、皆、体躯を折り頭を地に着けた。
 地平から光が差して、香壇にて乳香アリバナ が焚かれた。
 と、その上に水滴が落ち将兵を濡らした。光は差したままで日の光と雨とが彼らを包んだ。
「おお。これは神が我等アジャリア家を潤すとの御意思ぞ!」
 立ち上がって喜びを叫びで表すアジャリアに呼応して、皆も立ち上がり、歓喜に濡れた。
 その叫びの中に、此度の儀式のために戻ってきていたバラザフと幼馴染のナウワーフの姿もあった。バラザフもナウワーフも近侍ハーディル として務めていた頃、この儀式の香壇の準備をやっていた。
「微妙に今までとは違わないか」
「バラザフも感じていたのか」
「うむ。今、違いがわかったぞ。演出が過ぎるのだ」
「俺も一つ気付いた。バーレーン要塞を攻撃すると外部にもわかるように喧伝しているぞ」
「確かに」
「ではアジャリア様の意図は」
「陽動という事になるな」
 幼い頃よりアジャリアの傍近くに仕えていただけあって二人の読みはまさに当たっていた。
 アジャリアはアサシンや間者ジャースース に糸を付けて放ち、アジャール軍がバーレーン要塞を攻撃目標として定めていると情報を撒き散らしている。ハラドの城邑アルムドゥヌ の内にもメフメト家から間者ジャースース が送り込まれているはずである。アジャリアはそれも見込んでアジャール家中にもバーレーン要塞攻撃を言い続けてきたのだった。
 メフメト家はこの情報をどう料理するのか。
「アジャリア様の本心は、やはりクウェートの領域を全て固めたいのだろうな」
「本気を出して短刀でバーレーンをつつ きにゆくのか」
「とは思うのだが、もしかすると」
「もしかすると?」
「アジャリア様のアマル の大きさを考えると、案外両方欲しているのかもしれない」
「我が主君ながら、それが絵空事で済まされない方だとは思うよ」
「そうだな」
「そう考えるとお前の言う演出が過ぎるという違和感もはっきりと実感出来るな」
「どの道表面上はバーレーン要塞を攻撃目標とする事になるだろう」
「メフメト軍の方ではこれをどう取ると思う」
「迷っているだろうな」
「当たり前ではないか」
「いやいや、当たり前というが、当たり前の奴ならそのままバーレーン要塞攻撃と受け取るのだぞ」
「それはそうだが」
「裏があるのかどうか迷うくらいの知恵はカウシーン殿にはお有りだな」
「アジャリア様の方が一枚上と言いたいのか」
「それはそうだろう」
 ここまでの情勢談義に結論して二人は笑い合った。乗せる魚は違っても二人の俎板は近侍ハーディル 時代と少しも変わっていなかった。噂好きの二人であったし、自分の見えている物と同じ物が相手も見えているとなれば会話は弾む。見ている物を言葉に紡ぐ甲斐がある。
 バラザフが読んだとおりメフメト軍は迷っていた。相手の意図が読めぬ限り戦いの軸をは定まらない。つまりメフメト軍はアジャリアの指から出た蠱惑の糸によって、本領を発揮出来ぬ心理状態へ操られているのである。
 ――やはり真に恐ろしきは我が主君アジャリア・アジャール。
 剣が振られる前にすでに敵を斬っている。バラザフはこの恐ろしさを忌避して離れるのではなく、寧ろ憧れた。アジャリアという名の戦術を模倣すれば、それは自らの力と成り得ると単純に思った。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年7月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_5

 速やかにバラザフの下から、アルカルジの兄達へ遣いが送られた。本家のシルバ家はずっと臨戦態勢にある。
「バラザフを通して、アジャリア様の替え玉を捜せとの指示が出ました」
 手紙を受け取ったエルザフは、アキザフ等に主旨を伝えた。
「戦いに明け暮れる日々が続くでしょう。アジャリア様はついにエルサレムに上る事を決断したようです」
「なぜ、その決断が分るのです」
「それは――」
 普通大将格が幻影タサルール を必要とするのは、身代わりとして本人の命が取られるのを回避するためである。だが、アジャリアはそれを複数人用意せよという。これはアジャリアが軍の多方面展開を意図している事に他ならず、シルバ家がアルカルジで威勢を保ち続けている間に、クウェート、バスラに出征して、レイス軍、メフメト軍とやり合うつもりでいる。これらの戦いにアジャリア・・・・ が前線に出る事が出来れば、味方の将兵の戦意を高揚させ、敵の威勢を抑制出来ると、バラザフは説明した。
「アジャリア様は、通常、守りのための幻影タサルール を攻めの作戦に用いようとしている……。まったく底の知れぬ方です」
「神出鬼没のアジャリア・アジャールが九頭海蛇アダル の頭のように各方面の戦場に出現するわけですね」
 さすがにシルバ家の当主となっただけあって、アキザフはエルザフの説き明かしを飲み込むのも早かった。
「父上、幻影タサルール を攻めに使うというのは我等シルバ軍にも応用出来るのではありませんか」
「それは困難でしょう。頭は増やせても我がシルバ家だけでは胴を俄かに肥えさせる事はできません」
「今はそうでしょうが、手札の一枚として憶えておいて損はありません」
 まだ衰えを知らぬ者の展望の明るさがそこにあった。
「それよりもバラザフ。今はアジャリア様の事です」
 すでに老獪となった謀将アルハイラト は目の前の現実を見通して言う。
「アジャリア様の野心は余りに大きい。ひょっとすると……」
「ひょっとすると?」
「アジャリア様はあのバーレーン要塞を攻略するつもりかもしれません」
「あの難攻不落のバーレーン要塞を!?」
「ええ」
「あの要塞はサラディン・ベイがネフド砂漠の首長等を引き連れて、百万の大軍を以ってしても傷一つ付けられなかったのに……」
 バーレーン要塞はマナーマの西のバーレーン島北部に位置し、ペルシア湾に面している。白い要塞はずしりと体躯を誇り、下でも白く輝く砂が太陽によって輝きその重量をしっかりと支えている。
 ここにはディルムンの古代の港と首都があったと伝わっている。その名に「遺丘」という意味を持ち、建物が建てられる事で砂丘が盛り上がり、時代を経てそれが砂に埋もれてゆく。今のバーレーン要塞の下には古い時代と文化が層を成して眠っているのである。
 燃える水――つまり油はまだ無く、真珠と漁業を産業の主軸としている。
 東西を結ぶ海上貿易の要所として重要性を持つが、その地位は周辺都市の発展度合いによって上下するものである。ここを押さえる事が出来れば、西側の勢力は後は海峡を抜けるだけで東のアルヒンドに進出が可能となり、東側からすれば西へ抜け切って、政治と経済の中心に自勢力の旗を立てられるのである。
 その戦略的に重要な地理条件というものが、年を経るにつれて、バーレーン要塞を自ずと堅牢にさせていった。
「もちろん、アジャリア様も十分それを理解してバーレーン要塞攻略に臨むのでしょう」
 アジャリアの意図を読むエルザフの言葉は確信めいている。
「父上、どうしてそこまで自信がお有りなのです」
アマル ですよ。私もかつては今のアジャリア様のような大きなアマル を抱いていました。シルバ家の領土回復を願っていた時代でさえ、その先があった」
「そのアマル に照らして見たというわけですね」
「そうです。おそらくアジャリア様のバーレーン要塞攻略は撹乱のためでしょう」
 最早、エルザフの中ではアジャリアのバーレーン要塞攻略は確定していた。
「陥落させる事には本気ではない、と」
「我々のクウェート侵攻は去年の時点でほぼ成功していました。メフメト軍に横腹を衝かれない様に、この辺りで押さえ込む必要があります」
「ついにカウシーン・メフメト殿と決着をつけるのですね」
「その前段階としてバーレーン要塞を封鎖してからになるでしょう。その作戦をベイ軍に阻害されないよう、我等シルバ軍はアルカルジを守らなくてはなりません」
「バラザフからのアジャリア様の幻影タサルール 探索の件、急がねばなりませんね」
 アジャリア・アジャールという人は用間の最たる巧者である。
 彼は、争覇の気運が高まると共に、職掌の多様性において発展を遂げていったアサシン達、言い換えると暗殺者カーティル間者ジャースース の糸を引くように使った。敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いという具合に分化していった彼らの職掌を細やかに使いこなし、彼らの頭目を信の置けるアブドゥルマレク・ハリティの管轄とした。
 彼らは商人、学者、僧侶、時には他勢力の役人に化けて各地に配置された。その数二千。恐るべき情報量がアジャリアの下に寄せられるのである。

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