バラザフの人格が一変した。無論、主家滅亡が原因である。シルバ家の家来の者達にもそれがわかった。
――シルバ家を拡大するのだ。
元々、バラザフの中にそうした積水のように溜まって力を秘蔵したものがあった。それが頼みとするのは自分の知謀のみ、という形で表出してきたのであった。
今、シルバ家にとって急務の問題がいくつもある。ハイレディン攻勢への対策、ベイ家への対応、メフメト家との関係構築の方針、これら全てが今度の対策として大事な事であった。
「
頭を酷使して策を出した後、バラザフはそれをすぐに実施した。
先の対外問題にあげられた中で、ハイレディンに対する策は一番にやらなければならない。ハイレディンは、アジャール家を滅亡させて、憂いがなくなった後で自分に寄ってきたナジャルサミキ・アシュールの血族を悉く処刑し、ハラドの
ブーンジャーはハラドに赴任すると、アジャールの残党を大規模に駆り込みにかかった。ハイレディンの命あっての事である。
戦の火種はまだアルカルジには及んでいない。ハイレディンの軍勢はアルカルジまでは到達していなかったものの、ハイレディンが、旧アジャール領のリヤド、アルカルジの獲得に気炎を上げるであろう事は誰にでも予想できた。
「フサイン軍の武官にルーズベ・ターリクという人物がいる。そいつがアルカルジの
家臣に直近の情勢を示すバラザフが、隠すことなく顔をしかめるのも当然の事で、フサイン軍はすでに勝者として、現存のシルバ家やその他の諸侯の都合を一切無視して、領地の割り当てを差配していた。
「そのターリクとかいう奴から手紙がきたわけだが……、無抵抗にフサイン軍に臣従するなら、今のシルバ家の領土を保証すると言って来ている。真偽を見定めるため、皆の意見を聞きたい」
まずイフラマ・アルマライがハイレディンに対して思う所を語った。
「ハイレディンという名は常に冷酷無比という印象と共に各地に飛んでおる。つまり、一度敵対した者は永代憎み続けるという事じゃ。そのような者がシルバ領を保証するなどと言うわけが無いと思うがのう」
「ベイ家、メフメト家と我等が今一度結託出来れば、フサイン軍に一矢報いる事も夢ではありません。バラザフ様が戦うと仰せられるならば、我等も喜んで随行致します」
メスト・シルバもアルマライと同調して、降伏よりも抗戦の意思の方が強いようである。
「私が使者に立ちましょう。要はこの手紙を送ってきたターリク殿と、ハイレディンの我等と結ぶ意思に偽りが無いのか知れればよい話だ」
弟のレブザフが使者として志願した。
「皆がハイレディンの真意を気にかけているのはよくわかった。レブザフの言うとおり直接探ってみなくては、先に進めないな」
軍議の内容にバラザフは一定の安堵感を得ていた。
ハイレディンの意図は未だ不明といえども、シルバ家としては、対外的にも意識のまとまりが感じられる軍議であった。アジャール家であのような悲劇が起きた後なので、シルバ家でも裏切り者が出るのではと気を尖らせていた。
バラザフの心中では、万が一裏切り者が出れば、その者を粛清して篭城の構えを取るつもりであったが、この分だと、それも口に出さずに済みそうである。
「レブザフ、ターリク殿へ使者を命じる。フサイン軍としての意向をはっきり確かめてきてくれ。抗戦するにしても、臣従するにしても、それでこれからの関係が決まる」
レブザフを使者として遣わす事として軍議は解散した。
「フート、ルーズベ・ターリクという人物について知っておきたい。フサイン軍とは今まで接触が無かったせいで、武官についても情報が少ない。出自、性格、過去の判断など全てだ。急いで調査してきてくれ」
バラザフに命じられたフートは、すでに少しばかりターリクの情報を仕入れていた。
「ターリク殿はハラドの出身の武官です」
ルーズベ・ターリクの出自はハラドで、
武勇に優れた武官で、知謀も欠けていない。知勇を具有するという点においてはバラザフに通じるものが、少なからずあるらしい。さらには義理人情にも通じ、敵味方の人心収攬の術も心得ているという。
そのルーズベ・ターリクがハサーの
「ハサーやこのアルカルジでも小領主は皆、すでにターリク殿に臣従を意を示した様子。領地保証の嘆願をしているようです」
バラザフの心中はほぼこのフートの報告で確定した。ハサーに向けてレブザフが使者として派遣された。
ハサーまで出向いてきたレブザフをルーズベはまず褒詞で迎えた。
「敵とはいえ不義理な家臣によって滅亡の憂き目に遭ったアジャール家を不憫に思っておりました。反面、一門に属していないシルバ家が最後までカトゥマル殿を衷心を以って支えた。この戦乱の世に在りながらも、義理を重んじる武人と、我が主ハイレディンもシルバ家の格を重く量っておりました」
シルバ家を高く評価されて悪い気はしないレブザフだが、今、彼等の間で最も重要な事は、領地が保証されるか否か、この一点である。
「それに関しては手紙に書いたとおりです。ハイレディン様もシルバ家の領地を奪うつもりは無いので安心されよ」
シルバ家には良い事を吹き込んだルーズベだが、当然、腹の内には彼なりの計算があった。
これからの彼の任務はメフメト軍を斬り従える事と、これ以東へのフサイン軍の更なる進出である。それを考えると盤上にアルカルジを敵として置くのは得策ではなく、巧く臣従させて、抗戦に出てくるのを予防するのが良いと判断した。残り火に手を突っ込んで要らぬ火傷を負う必要もあるまいと、警戒を緩めずにいた。ルーズベとしてはここは何としても、賛辞を惜しまずシルバ軍を自分の手札に加えておきたかった。
一方で、バラザフの方もルーズベのこうした内情を見抜いていた。レブザフを送る前から、フサイン軍を取り巻く環境を鑑みると、押し潰してくるような強行には出て来まいと予想していた。
「まずはハイレディン様への謁見を薦める。もしそちらにその気があれば、私が間に入って取り計らうがどうだろうか」
バラザフが直接ハイレディンの拝謁を得るように、ルーズベはレブザフを誘った。
ハイレディンは今リヤドに居る。
バラザフはひとまずルーズベの提案を容れて、レブザフを連れてリヤドに出向いた。
ハイレディンの方ではバラザフに引見する準備をしていたのだが、直前になってバラザフは気分がすぐれぬと言って、拝謁を取りやめた。
ハイレディンにはレブザフだけを会わせたが、レブザフの前に姿を現したハイレディンは当然ながら、赫怒していた。
――シルバ家を誅伐する!
と口まで出掛かっているハイレディンをルーズベが上手くなだめてくれて、何とか謁見の体裁を整えてくれていたのであった。
バラザフが仮病を使ってハイレディンへの謁見を中止したのは、この謁見がその場でフサイン軍とシルバ軍の戦端が開かれる場になってしまう事を危惧しての事である。
ハイレディンの真意を探っていた分、シルバ家の臣従は他の諸侯と比べて遅い。ハイレディンがその遅参を問責するのは目に見えていた。
「カトゥマルの生死不明の内に敵に降伏するのは武人としては不義理、と俺は答えるだろう」
カトゥマルが無事であったなら、フサイン軍と敵対するつもりであったのかと、また問い詰められる。
「最後の一兵までフサイン軍に噛み付いて死んでいくでしょうと、叩きつけてやるさ」
「それでは、忠誠を誓いに来たはずが、その場で交戦状態となってしまいますよ」
とレブザフが息巻くバラザフを制止した。謁見の場で諸共誅殺される事も十分有り得る。弁が立つ故に逆にハイレディンの怒りを最大限まで引き出してしまう事が予想された。
こうしてバラザフは近くの
そしてそこまで成り行きをルーズベに隠さず述べておいたのである。
先の言のとおり、ハイレディンへの謁見の仲介の労はルーズベが担ってくれた。ルーズベと共に貢物を携えたレブザフがハイレディンに拝謁した。
バラザフ本人が出向いて来ない事にハイレディンはまだ怒っていたが、貢物の中身を見てみてその怒りは失せたようであった。
貢物が素晴らしかったとか、気に入ったという事ではない。中央の政治で威風を吹かせているハイレディンにとって、シルバ家が捧げた品々には、はっきり言って目を見張るような物は無かった。
この貢物にハイレディンが見たのは、シルバ家が富貴に優れず、何とか地方で踏ん張っている弱小勢力の姿であり、今自分が誅伐を命じれば一夜にして地上から消えるような者等を、あえて自分の配下として生かしておく戯れのような考えが浮かんでいた。
「生意気な奴だ。だが、たまにこういう遊びもいい。シルバ家の臣従を許す。そのかわり東方攻略の際にはシルバ軍を最前線に送るからな」
この一言で、ひとまずハイレディンの矛先がシルバ家から逸れた。しかし、全て無事というような上手い具合にはいかず、シルバ家の所領はアルカルジを含めた幾つかの小領だけで、後は大幅に減封されてしまった。減封された分の領土はルーズベの親類の武官を遣ってハイレディンの息のかかかる所領とされた。
一朝にして独立勢力になったシルバ家は、一夕にしてまたフサイン家の武官という立場になってしまった。
とはいえフサイン軍は強大である。この支配下にあれば、これで対外的には、強敵に怯える日々から開放されると思われた。
「また他勢力の武官に落ちてしまったのは悔しいが、シルバ家滅亡を回避出来るよう立ち回ってくれたターリク殿には義理で応じなければならないな」
バラザフは、今後のルーズベ・ターリクの政治に与力するつもりでいた。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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