2018年12月15日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_5

 バラザフは間者を生け捕りに出来なかった不手際を恥じながらアジャリアの待つハラドへ戻った。だが、バラザフを待っていたのは叱責ではなく、アジャリアを始めとした重臣達から賞賛を以って迎えられた。
 間者といえば秘密裏に活動する能力の他に、敵と遭遇したときの戦闘力が必要となる。バラザフの部隊に見つかったときがまさにそれであり、藪から弩で狙撃したり、急場の判断において脚力を用いて反転するなど、個としての武が十分に示されていた。
 それを高高十五の若造が仕留めたというのであるから、アジャール家内でのバラザフの評価は否が応にも俄かに高まった。
「元々、お前の事は評価していたつもりだが、お前の力はそれ以上だったということだな」
 己の近侍ハーディルが遣いの途中で思いがけず手柄を立てたということでアジャリアは満足そうである。
「今回、間者を仕留められたのは兵あっての事でした。それにしても生け捕れなかったことが悔やまれます……」
「いや、間者に情報を持ち帰らせなかったのだ。巡視として十分に働いたといってよい。さすがエルザフ・シルバの子だと皆が褒めておる」
 若手に自信をつけさせよう言葉を選んだのではなく、アジャリアは本音でバラザフを褒めた。
「お前の師のズヴィアド・シェワルナゼも鼻が高かろう。我が弟エドゥアルドもお前には大層期待しているそうだ」
「はい。エドゥアルド様にも色々とご教授頂いております」
 アジャリアの二人の弟のうち、上の弟がエドゥアルド・アジャールである。能く柔に能く剛に戦術に長け、アジャリアの弟という身分にありながらも兄と覇を争う姿勢を見せず、臣下として兄アジャリアを支えるという賢哲、善き風猷ふうゆう、誠実さを具備する故、将兵の信頼の篤い武人であった。
「エルザフは良き子を持ったものだ」
 近侍ハーディルとして育ててきた家来の成長に相好を崩すアジャリアである。アジャリア自身もまた、後に大宰相サドラザムラティーブ・スィンによって国家剣士として認定される、大剣士ウルミンホーク・ケマルに剣を習うほど武人としての生き方が好きであった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(2018.12.25公開予定)

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2018年12月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_4

 最早やり過ごせぬと知った茂みの隠者はバラザフ達の前に姿を現した。暗殺者アサシンのようではあるが、先程バラザフに射掛けてきた弩と剣を帯びている他は意外と軽装で、暗殺の任にある者ではなさそうだった。
 アサシンという言葉には暗殺という想像が常に付随するが、敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いなどを任務とする。よって諜報を主な任務として担ったこの者は、暗殺者ではなく間者という言葉で置き換え得るのである。
 男は嗤った。
「囲まれたときは焦ったが、こんな小僧が長という事ならまだやりようはあるな」
「俺はバラザフ・シルバ。アジャリア様の傍で近侍ハーディルを務める者だ。お前の名を聞こうか」
 バラザフは顔色を変えず、まず名乗ってから相手を質した。
「見ての通りの間者アサシンさ。間者が名乗るわけがなかろう!」 
 男は力強く踏み込み突破してくると思いきや、その足で後ろに宙返りするように反転し、背にしていた水辺に飛び込んだ。男が着水する瞬間、一閃の刃が彼を追ってはしった。
 水面に淡い赤が滲み、もはや物言わなくなった男が浮かび上がってきた。男の首には短剣が突き刺さっていた。刃は逃げられると察知したバラザフが咄嗟に腰のジャンビアを抜いて投げつけたのだった。
 諸刃短剣ジャンビアとは男子が十四になると与えられる物で、自由と名誉の証であり常に携帯すべきものである。よってこれを敵に投げつけるという事は本来は在り得ないはずなのだが、極めて合理的なシルバ家の者としてバラザフも例外ではなく、名誉という形無き者を守るより敵の掃滅を無意識的に優先したのであった。
「未来を視る眼が欲しい」
 先程の矢は外れたが、あれに毒が塗られていたら今頃自分は泡を吹いて白目をむいて死んでいるところだった。そしてあの間者の動きの先が読めれば、急な動きに対処して生け捕りにも出来たはずだ。
 見事に間者を仕留めたものの、バラザフは生きたまま捕縛出来なかった事、相手の先が読めなかった事を後悔した。自他共に認める察知能力を誇っていたバラザフだけに、この事は彼の中にしこりを残すこととなった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2018年11月30日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_3

 齢十五に至り成人の仲間入りをしたばかりの、バラザフは十名ほどの兵卒を従えていた。起伏の少ない土地に出来た砂漠緑地ワッハで休息を取っていたところである。
 兵卒達が武器を構え部隊に俄かに緊張が走った。水辺に居たサクルが飛び立つ羽音で警戒しての事である。
 バラザフ達はジャウフ近くの小さな集落に来ている。名をミーゴワという。集落の南に砂漠緑地ワッハが広がり多くの命を養っている。ジャウフとは“腹の張った谷”の意味を持つ。客人が腹を満たしても更に食べ物を勧める、住民の気前の良さを表しているともいえる。
 砂漠といえば通常、上に飛鳥なく下に走獣なく、という言葉で表現されるような不毛な積砂の地帯である、だがここは、そんな死の世界ではなく、狒狒ラバーハ野兎カワイド沙漠狐ファナカサクルネスルハダア他、様々な動植物がここで生きているのである。
「そう殺気立たなくてもいい。サクルが得物を見つけたんだろう」
 辺境であるジャウフのさらに辺境の集落である。敵が潜んでいるわけがない。
「暑いな……」
 左手で額の汗を拭いながら、バラザフは呟いた。
「だが、暑いからこそこんな水辺は本当にありがたい」
 バラザフ一行はこの辺境のジャウフを偵察するよう命じられていた。だが、彼の心には純粋にこの旅の日日時時を愉しむ余裕があった。日は南から少し傾いただけで、日暮れまではまだ時間があった。だが、ここからアジャリアの居るハラドまで南東にひたすら歩き続け約二週間、最寄のジャウフですら丸一日かかる距離である。
「今夜はここの集落で世話になるとしようか」
 バラザフ達が水辺を後にしようとしたとき、先程、鷹が飛び立った辺りから草葉が擦れる音がした。兵たちが再び武器を構える。
「誰かそこに居るのか!」
 茂みからは返事は無く、かわりに弩から放たれたであろう矢が空を裂きバラザフ目掛けて飛来した。すんでの所で半身を逸らし、矢はバラザフの頬をかすめていった。
「仕方がないな」
 バラザフの言葉の意図を解して、兵士達が茂みとその後ろの水辺を囲むように半円状に間合いを狭めてゆく。隊長であるバラザフを仕留め損なった今、この者が部隊の統率を乱した隙にのがれられる見込みは極めて低くなったといえる。

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2018年11月29日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_2

 バラザフ・シルバ。今、彼はアジャリアの近侍ハーディルとして勤めている。アジャリアに賞賛された彼も初陣である事は他の近侍と同じであった。
 だが、不思議とバラザフの心には霧中のベイ家軍に対する恐怖は生じなかった。
待ち遠しい。そんな思いしかなかった。バラザフは戦端が開かれたとき、自分がアジャール軍を差配しているという夢想の中にいた。
 不意に目の前の白い幕が裂けた。刹那、バラザフには開けた霧の奥から夥しい数の騎兵ファーリスがこちらに突撃してくるのが見えた。
 霧に目が惑わされ虚像でも見えたかと思ったが、鯨波を伴ったそれらは紛れもなく、ベイ軍が自分たちの間近に迫っている事を嫌でもバラザフに認識させた。
「敵兵接近! アジャリア様の護りを固めろ!」
 周りの近侍ハーディルにバラザフが叫ぶ。
 その頬を矢が掠めてゆき紅い線を残した。
「情報を集めろ! 各方面に伝令ラスールを出すのだ!」
 いつもは穏やかな威厳を纏っているアジャリアがこのような大声を上げるのは珍しい事である。抜き差しならぬ事になり得る。バラザフはそう予知した。
 アジャリアの稲妻バラクは未だ陣が布きおわっていなかった。そんな中から味方の騎兵ファーリスが次々と敵兵に向けて突撃してゆく。
「アジャリア様の護りを固めろ!」
 今度はアービドが周囲の兵士に命じた。もはや戦場にあがる鯨波は敵のものとも味方のものとも区別がつかぬ。バラザフは無意識にカウザを上から目深に押さえ付けた。力の込もった両手に握られる諸刃短剣ジャンビアに朝陽が反射した。
 日を反す研がれた刃の光。バラザフはこの光を憶えていた。先年、バラザフはこのネフド砂漠でベイ家の暗殺者アサシンと遭遇した。
――いずれ俺はここで亦戦う事になる。
 その通り、バラザフはアジャリアから今回のネフド砂漠の戦いに出陣するように命ぜられた。少年は戦場で自分が華々しく活躍するのを夢見ていた。だからアジャリアのこの命はバラザフにとってこの上なく果報な事であった。バラザフだけでなく仲間の近侍ハーディル達も皆同じ気持ちであったろう。
 このときからすでに、何ゆえかバラザフの記憶の糸はベイ家の暗殺者アサシンに遭遇した過日に伸びていた。
 バラザフが凝視する霧の奥からベイ軍が迫っている。脳裏には特に暑かったあの日の像が浮かんでいた。

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2018年11月28日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_1

 早朝の砂漠を霧が立ち込めた。遥か西から旅してきた風が夜の砂漠に冷やされて霧を生んだのだ。いつもなら東の空から昇った朝陽に照らされると同時に、霧は塵芥を拭い去りながら、ゆっくりと流れてゆく。だが、この日の朝の霧は、この地に長く命を持っていた。
 ここはハイルの北、ネフド砂漠。アジャール家の拠点リヤドからは北西に位置し、歩いて十日弱という距離である。この砂漠で今、アジャリア・アジャールとサラディン・ベイの軍が対峙している。
 本拠地のハラドの領地経営に飽き足らず、中央への進出に野心を燃やしたアジャリア・アジャールは、これまでリヤドの小領主達を倒し、或いは併呑し、エルサレムに向かうように徐々に北西へと支配域を拡げてきた。
 その侵攻によって締め出された領主達は、西のカイロの領主サラディン・ベイを頼った。義人として知られるサラディンはこれらを見捨てる事をせず、リヤドに攻め込みアジャリアを討伐し、旧領回復を彼らに約束したのである。
 アジャリア・アジャールは、ハイルの街を背にするように街からやや離れた場所に陣を張った。陣を街から離したのには理由がある。
 まず第一に戦火で街が焼かれるの回避すること、そして両軍の脱走兵、負傷兵が街に流れ込み略奪するのを防ぐことである。兵士の略奪の心配が無ければ、軍紀の管理に余計な力を取られなくて済む。また力によって上から兵士の欲心を抑え付ければ、その分士気は低下してしまう。
 欲を言えば、アジャリアとしては、この先のジャウフの街より先に進み出て、これを背後にするようにして、ベイ家の軍と街との接点を遮断したかったのだが、無理な行軍がたたってそこを衝かれては元も子もない。
 アジャール軍はこの地点でベイ家の軍を防ぐべく、稲妻形に横に広がるように前線の三万の兵を展開させた。
「アジャリア様の稲妻バラクは不敗と聞いているぞ」
 そう噂する若い初陣の近侍ハーディルたちは、砂漠の朝の厳しい冷え込みと、霧中の敵に対する不安とで震え上がり歯と歯がぶつかって鳴っている。
 この陣の中心たるアジャリアは自分の周辺を護る近侍ハーディルの中で一人だけ静穏な様子の者が居る事に気がついた。
「皆見るがいい、バラザフ・シルバを。歴戦の武人のように落ち着いているであろう」
 指揮鞭代わりの革盾アダーガの柄を握る手力強く、天然の白き幕の奥を見据えていたアジャリアが他の近時たちを励ました。アダーガとは後に格闘武器として解釈されるようになるが、長柄の先に革の盾を付けて用いられる道具が始めである。

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