2021年1月1日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_8

  バサの城邑アルムドゥヌ の城門は全て固く閉ざされ、ファリドは一歩も動かぬ姿勢を見せた。配下の者等にもアジャール軍のいかなる陥穽にかかる事の無きよう、篭城の姿勢を守る事を厳達した。すでにその声色も恐慌の色で満ちている。

 一方、攻める方のアジャリアは余裕である。  

「ファリドの小僧、ポオチャを頬張るのも忘れて、また身体が引き締まるであろう。さて、強攻めをして怪我でもさせられてはかなわぬから、ゆっくり絞めてからハラドに帰るとするか」

 アジャリアはバサの城邑アルムドゥヌ から脱出してくる民たちを自陣で歓待して、兵士達には城壁の外からファリドを挑発させておいて、それを見物させた。

 ――ポアチャ! ポアチャ! ポアチャ!

 単純だがファリドにとってはこの上なく効果的な挑発である。

 バラザフの脳裏に浮かぶファリドは真っ赤に上気して、物を投げつけ、蹴飛ばし、大暴れしていて、実に滑稽な姿であった。思い出し笑いを配下に見られると自身が恥ずかしいので我慢はしてはいるが、どうしてもバラザフの口吻からは笑いが漏れて仕方なかった。

 笑いを堪えるのに必死だったのはバラザフだけではない。バサの城邑アルムドゥヌ の内側で、ファリドの傍に仕える家臣は、目の前に主君がいるため、先程来の惨敗を忘れたかのように、今は腹の中の笑いと必死で戦っていた。

 ファリドは――、ポアチャは持っていなかった。だが、バラザフの脳裏に出現した姿とさほど遠からぬ容態で、怒りに突き動かされ、一人の大乱闘を踏んでいた。周りの備品がどんどん破壊されてゆく。

「あの……ポアチャ、お持ちしましょうか?」

「要らぬわ! アジャリアめ、人をこけにしやがって!」

 ファリドに対してのみ通用する侮辱だけに、その効き目は大きかった。

 この頃のアルカルジに居るバラザフの父エルザフは、長男とともに城邑アルムドゥヌ の守衛に勤めながらも、周辺のまだ自分達に与力していない小さい城邑アルムドゥヌ をしっかり手中に収めていた。シルバ家のやり方らしく、力攻めせず知恵でこれを取り込む事に成功している。

 地道にアジャール家の自勢力を肥えさせてゆくシルバ家の活動は、アジャリアの信任をさらに篤くし、功労が称えられるとともに、

 ――アルカルジの近辺の諸事、随意にされたし。

 とまで言わしめたのであった。

 アジャリアのエルサレム獲得の戦略路線はほぼ固まりつつあった。

 同年、カウシーン・メフメトが没し、メフメト家ではカウシーンが遺した言葉通り、サラディン・ベイとの同盟を破棄して、アジャール家との再同盟を方針を出してきた。この事はアジャリアにとっては都合が好く、東側の戦線に配慮する必要が無くなった。盤面がアジャリアの大望を果たせる状況に整ってきていた。

 カーラム暦994年、炎節――。アジャリアが俄かに病臥した。エルサレム侵攻のための兵を動かそうとの沙汰の後の事である。

「ここ数年、食欲の無い日々が続いていたのだ。地に身体が引かれるのを感じる。横なっていても沈んでいくような感じがするのだ」

 海老クライディス の殻を盛って見せていたのも、側近と計って健やかなる自分を見せるために、芝居を演じていたのであった。健康面で不安がある事を家臣達に見せては、遠征に支障をきたす。それはまだ側近にしか知らせていない。

 バラザフは、アジャリアの体調不良はこの猛暑のせいであろうと思って見ていた。ファリド・レイスに劣らぬほどふくよかだったアジャリアの姿は、バラザフが会う度に肉が落ちているように見える。

「アジャリア様、この酷暑はご自身の身体に障ります。涼風の吹き始める頃に、また軍を編成し直しては」

 しかし、アジャリアはその意見には肯首せず、

「もう少しで食欲も元に戻りそうだ。本来ならすぐにでも出陣したい所なのだ。各部隊、荷隊カールヴァーン も含めすぐに出られるように怠り無く準備しておくように」

 と覇気の無い声で命令した。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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