2020年12月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_7

  スーク・アッシュユーフを占領したアジャリアは、そこから西へ向い、レイス軍が支配している拠点を次々と制圧しながら進軍していった。

 ――アジャール軍、ナーシリーヤを攻撃。

 との報がハイレディン・フサインに入った。

 アジャール軍の進軍をこのまま放置すれば自領のバグダードにまで及ぶのは明らかで、ハイレディンはこれを食い止めるため、アジャリアと激突する腹をくくって軍を出さねばならなかった。

 ところがアジャール軍はバグダードを次の攻撃目標とはせず、スーク・アッシュユーフから西へ進んでサマーワの城邑アルムドゥヌ を攻撃し始めた。

 サマーワからは南西に道が延びており、一週間程でアジャール軍の拠点であるラフハーに至る。自軍の城邑アルムドゥヌ を連結させ、そしていつものように主目的に対する下準備のようでもある。

 途中、いくつかの城邑アルムドゥヌ を攻略する必要があるものの、サマーワからはバグダードへも一週間で到達出来る距離であった。

 これら支配下に置いた城邑アルムドゥヌ を線で結んでみると、 としてアジャール軍の領土が確実に広がってきている。

「アジャリア様はエルサレム制圧に対して大詰めに突入するつもりなのだ。慎重に動かれてはいるが、サマーワ獲得もエルサレムへ延びていくのだろう」

 バラザフは一連のアジャリアのの領土獲得戦略を見て、このように分析していた。事実、 で延びてゆく戦略の脆弱なる部分を、サラディン・ベイに阻害されているのである。

 サマーワの太守はイスラーハリダ・ハムザという人物で、以前はサバーハ家の禄の者であったが、今はファリド・レイスを主君として仰いでいる。

 アジャール軍はサマーワ攻撃に、アジャリアの信託であるワリィ・シャアバーンを出した。

 サマーワは、ワリィ・シャアバーンの猛攻を防ぎ切る事が出来ず、イスラーハリダが城邑アルムドゥヌ を放棄して退去すると、すぐにアジャール軍の支配下に置かれた。

 アジャリアのレイス軍への攻撃は続いた。

「次はバサへ向う。バサの太守はバルザーン・アズィーズ。ファリド・レイスの側近の一人じゃ。バサが落ちればナーシリーヤのファリドは孤立する。だからバサでは激しい抵抗を覚悟せよ」

 アジャール軍のこれまでの行軍を辿ると、スーク・アッシュユーフから西のサマーワへ進み、そこからまた東へ折り返してナーシリーヤの手前のバサまで戻ってくるという形である。

 この動きに対してレイス軍は、バサから西への途上に陣取りアジャール軍の襲来に備えるという方法を取った。

「バラザフ様、レイス軍の動きに変化が見られました」

 すでにフート率いるシルバ・アサシンが情報収集に動き始めている。

「レイス軍はバサの城邑アルムドゥヌ に篭らず野戦にて待ち伏せするようです」

「こちらの裏をかかれても困るな。数は多いのか」

「大軍が終結している模様」

「短時間で詳細な情報を要する。急いで詳しく調べてくれ」

 バラザフはすぐにこの情報をアジャリアのもとへ持っていった。

「まだ、こちらが気付いているとは気付かれてはおるまいな」

「おそらくは」

「バラザフ、伝令将の復活だ。兵を率いて情報収集に動員せよ。またハリティとシャアバーンを分隊して待ち伏せしているレイス軍を挟撃する。そして――」

 アジャリアは、スーク・アッシュユーフに駐屯している部隊に西側の本隊と呼応して、東から包囲殲滅に加わるように指示した。巧く本体と呼応出来なければ城邑アルムドゥヌ を空けている間に、ナーシリーヤから攻撃を受ける恐れがある。アッシュユーフ側は出動の瞬間を見極めるのが難しい任務を与えられた事になる。

 ――レイス軍五万。軍団長はバルザーン・アズィーズ。

 とバラザフに率いられた偵察部隊は、この先に待ち伏せている軍団の実態を掴んだ。

 アジャリアの本隊は西から、ハリティとシャアバーンの部隊はそれぞれ北と南へ迂回し、機を合せて一斉攻撃を開始した。

 アジャール軍の火砲ザッラーカ 兵が三千の火砲ザッラーカ を一気に放った。先陣に立つレイス軍の騎馬兵の一部隊が丸ごと炎に包まれた。これに続くように弓隊が矢の雨を降らし、アズィーズ軍の正面を穿った。

 上からの矢に当たりばたばたと倒れてゆくアズィーズ軍へ、更に弩が追い打ちをかけた。運よく矢に当たらなかった者すら狙撃して仕留めてしまうのである。

 アジャール軍のこれらの連鎖攻撃で、アズィーズ軍は遭遇して間もないうちに前列の軍がほぼ壊滅した。

 序盤から苦戦を強いられるアズィーズ軍をさらに苦しめたのは、アッシュユーフからの援軍である。これでついに包囲が完成してしまいアズィーズ軍の兵は圧殺され、反撃など出来るものではなかった。アズィーズ軍の兵は我が命が先ず大事と、先を争って退却してゆく。バルザーン自身も一人残って踏み止まろうとしたものの、配下の者の促されるようにして戦場を離脱した。

 冥府の門まで追い詰められた者は自身が死神イラルマウト になり得る。

 戦果を欲張り過ぎて余計な痛手を被らないために、アジャリアは今回も敵の逃げ道を作るを忘れていなかった。

 バサの城邑アルムドゥヌ の西に冥府が発現したかのようであった。アズィーズ軍の二万の兵は今朝まで確かに息をしていた者達なのである。夥しい血が砂に染み入ってゆく。

 戦いの流血は死者ばかりではない。何とか命を拾ってバサに帰還したバルザーンの血まみれの姿を見て、ファリドは言葉が出なかった。他の生存者も皆、深手である。

 ファリドは、バルザーンがバサから出撃した後に、城邑アルムドゥヌ の守衛のためにバサに入っていた。

 ようやくそこに立っているであろうバルザーンをファリドは二つの感情で見つめている。一つは自分の落ち度で大怪我をさせてしまった家臣への悲哀、いまひとつは、アジャール軍への恐怖である。

 裏をかいて大軍で待ち伏せていれば虚を衝かれた敵は怯み、優位に押していけると見込んでいた。アズィーズ軍の待ち伏せで敵に痛手を与えた後、自ら出撃して勝ちを収めれば良いはずであった。

 だが、いかにも相手が悪すぎた。アジャリアのような老獪を相手にするには、局所的な勢いのみではまともに戦うことすらかなわない。

 言葉無く立ち尽くすファリドに、バルザーンはただ痛々しい笑みを返すのみである。

 ややしばらくして我に返ったファリドの頭に浮かんだのは、

 ――篭城!

 である。そしてすぐにバグダードのハイレディン・フサインに援使を送った。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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