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2023年7月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第11章_3

  ついにファリドはマスカットを進発した。この情報はすぐさまアサシンによってバラザフ、ムザフに報告された。

 この時点でレイス軍の八十三万の兵力は三分割された形となり、ベイ軍進攻対策としてスウィーキー・レイスに十三万、ファリドの本軍三十二万が西進し、さらにファルダハーンが三十八万を率いてリヤドへ向かいつつ、そこから迂回してルトバを目指しそこで合流する手筈となっていた。

「ファリドの奴、やはりこちらに一軍を差し向けて来たぞ。ファルダハーンの三十八万をこちらに当ててきた。今日まで整備してきた城邑アルムドゥヌ で存分に相手してやろう」

 ファリドは、目付けとして重臣のイクティカード・カイフをファルダハーンの傍に置いた。ファルダハーン・レイスはこの時二十一歳の若輩で、ファリドの心配も頷ける。心配性のファリドがファルダハーンの所へ遣った重臣はイクティカードだけでなく、スィンダ・ボクオン、タヌナド・ファイヤド、フアード・アズィーズ等、レイス軍古参の勇将達の精強な部隊をファルダハーン軍に編入して、武力強化も念入りに施した。

「我等が途上に退かずに居座るのはシルバ軍だけだ。しかも我等は三十八万の大兵を率いてきている。いくらアルハイラト・ジャンビアと知謀を畏れられたバラザフ・シルバでもまともな戦いは出来ないだろう。抗戦を示すならばリヤド、ハイルの城邑アルムドゥヌ ごと踏み潰す。従わなくば剣だ」

 すでにファルダハーンの目前には、これからのリヤドの戦いは映っておらず、手早く雑事を済ませてファリドと合流しようと余裕の笑みを見せていた。目付けであるイクティカードも、部隊担当のボクオン、ファイヤドも同じように戦況を見ていたので、ファルダハーンの余裕を若輩の油断と批難する事は出来ない。

 ファルダハーン軍の行軍は速く、すでにリヤドの城邑アルムドゥヌ の間近まで迫り、近日中には包囲を完成させそうな勢いである。

「ムザフ、レイス軍が来た。ハーシムの奴が戦勝後我等の領地の加増を保証してくれているとはいえ万が一もあるし、アミル殿の時のように他の諸侯に難癖をつけられないとも限らない。今のうちの取れる砦を自分達で取っておこう」

「それには私も同意です。丁度私も同じ事を考えていました。近くに防衛拠点が増えるとリヤドの防衛度も向上します」

「ムザフ、俺が一つでも砦を落としてこよう。まだまだ前線での腕は衰えてはいないぞ」

 そういってバラザフは、腰の諸刃短剣ジャンビア に手をかけた。成人の折、アジャリア、エドゥアルド、そして父エルザフから諸刃短剣ジャンビア を贈られて以来、バラザフの腰周りは四本の短剣で賑わっていたが、アジャリアとエドゥアルドの諸刃短剣ジャンビア は今日まで敵の血を吸った事は無かった。

「父上の武技はよく承知しておりますが、レイス軍到達まで今は時間がありません。私がすぐに砦を落としてきましょう」

 そう言って、ムザフは素早く騎乗すると、

「レオ。騎馬兵のみでいいので急いで編成して後から来てください。私は先に行っていますよ」

 レオは手早く五百騎を編成して先に行ったムザフを追った。バラザフも三百名の火砲ザッラーカ隊を編成して、レオに付けた。

「ムザフもまだまだだな。騎馬兵だけで手詰まりになったらどうするのか」

 息子や若手の僅かに詰めの甘い部分を見つけて、やはり俺が居なくてはだめだと、老兵にありがちな満足感をバラザフは感じていた。

 夜の暗闇はムザフ隊の夜襲を援けた。しかも、ムザフの方はレオ・アジャールなどのアサシンを先に行かせて、暗闇の中でも猛進出来るように先の障碍が無いか探らせて、地の利の一端を得ていた。

 ムザフの攻城策はそれだけではない。砦の中に配下を何人も潜入させておいて、要所に配されている兵士を香で無力化していた。室内で用いる場合ではないので昏睡に至らしめる事までは出来なかったが、守備兵の頭が朦朧とする状態になればそれで十分であった。

 ムザフが猛進する道には見張りの兵が居たが、彼等も皆レオ・アジャール達によって取り除かれてしまっていた。

 これらの処方でムザフは、敵の砦に至るまでに無人の道をただ突き進んできたのである。守備兵は皆、起居も意のままにならぬ有様だ。

 ムザフ隊が門前に馬を並べると、中から城門が静々と開いた。ムザフは追いついてきた火砲ザッラーカ 隊に着火させ、放火を備えさせた。

 騎兵部隊が城門から突入する。砦の兵士は千人くらい居たがどの眼もはっきりと開かず、自分達が赫々と燃えるような武具を纏った連中にすっかり取り囲まれているという事だけようやく理解は出来た。

「シルバ軍のムザフがこの砦をいただきにきた。砦も貴公等も包囲されている。手向かいするならば、火砲ザッラーカ の炎が貴公等の身を焼いて今夜の灯火と成すぞ」

 砦の兵士は皆、得物を手放した。頭は朦朧とし、手足に力も入らぬでは、とても戦うどころではなかった。

「賢明な判断だ。死なぬ覚悟を尊ばれよ」

 砦の千名の兵士達は捕虜として扱われリヤドの城邑アルムドゥヌ に送られた。そして砦には騎馬兵二百名、火砲ザッラーカ 兵三百名が守備として置かれた。

「レオ、ここは貴方に任せます。すぐに歩兵をここに編入します。予め旗に使える物を千程準備しておいてください」

 ムザフもバラザフもこの砦を活かした擬態を考えていた。

 リヤドの城邑アルムドゥヌ の城壁から外を見渡すと遠くに砂塵が巻き起こっているのが見えた。砦を奪取して次の日の事である。

「低く広く広がった砂塵だ。相当大軍の客が来たぞ」

「我等シルバ家の旗もあります。兄上の部隊も参加しているようです」

「三十八万。さすがに壮観だ。ウルクでアジャリア様が動かした兵でさえあそこまで多くはなかった。あのような大軍の指揮を執ってみたいものだ」

 大軍の総帥権を握ってみたいという思いは昔からバラザフの憧れであった。ムザフにも父のこの本音が自ずと漏尽してきて、気持ちを一つにしていた。

 リヤドの城邑アルムドゥヌ の守備兵は二万。この数で外のおよそ四十万の大軍を防ぐのである。

 一方、ファルダハーンは、リヤドの城邑アルムドゥヌ を視界に微かに認める距離で陣を布いた。

「昔、レイス軍に煮え湯を飲ませてくれたバラザフ・シルバを冥府の住人にしてやろうぞ」

 昔とは十五年前リヤド城を攻囲して、結局敗退した時の戦いの事で、その屈辱を返上してやろうとファルダハーンは、息巻いていた。

「ファルダハーン様。リヤドを攻略する事自体は容易ですが、今の我々は時を惜しまねばなりません。ファリド様の本軍との合流に遅れるわけにはいきませんから、降伏を勧める使者を遣わしましょう」

イクティカード・カイフの進言をファルダハーンは素直に容れた。その使者としてはバラザフの長男であるサーミザフが良いと、ファルダハーン軍の首脳陣は判断し、彼を遣わす事になった。

 サーミザフは射手に弓矢を浴びせられる事もなく、リヤドの門前まで馬を進めた。

「サーミザフ、レイス軍から離脱して来たのか」

「そんな訳が無いでしょう。父上がレイス軍に降伏するように使者として来たのです」

「何だ、これ俺に降伏勧告とは。まあ良い。これから軍議を開いて降伏勧告とやらを容れるかどうか決める。明日こちらから使者を出すからお前はファルダハーンの陣に戻れ」

 正直者のサーミザフは、自分が相手を偽らぬと同様に相手の言葉にも偽りが無いとして全てを肯定してしまう。まして実の父の口から出た言葉である。これに疑いを差し挟むという理屈はサーミザフには有り得ず、使者としての自分の役目は上々だと信じてファルダハーンの陣に帰った。

 だが、バラザフからの使者は来ない。

 次の日になっても、またその次の日になってもバラザフからの使者がファルダハーンの本陣に姿を現す事は無かった。バラザフには、降伏勧告を受け容れる事はおろか、律儀に返事してやるつもりも無かった。

 ファルダハーンもサーミザフの報告を受けて黙って待っていたが、使者はやって来ず、しびれを切らして自分の方から再度使者を送った。使者には二千人の部隊を付けている。

「シルバ殿、降伏するか否か」

「降伏か。するわけがないだろう」

「返答の使者を寄越すはずだったのでは」

「よいか。俺とムザフはエルエトレビー軍に付くと決めたのだ。お前等のような恥知らずと違って大義に従っている」

「我等を好き放題愚弄するにも程がありますぞ」

「さっさと帰れ。帰ってレイスの小僧に、シルバ軍にとってお前の四十万の兵力など四千と変わらぬと言ってやるがいい。十五年前、お前の父親と同じように泥を被らせてやるぞ」

 使者は真っ赤になって怒ったが黙って席を払って出て行った。怒りのやり場のない使者は、戻ってバラザフの罵倒をそのままファルダハーンに伝えてしまった。

 ファルダハーンは父ファリドからはそれほど短気の性質を受け継いでいなかったものの、これにはさすがに激怒した。冷静さが売りのイクティカード・カイフですら怒りに上気していた。

 ファルダハーンの陣に揃って馬を繋ぐ諸侯も、言葉になって出るのはシルバ軍に対する怒りばかりである。

「バラザフ・シルバ、ここで討つべし! 踏み潰してリヤドの城邑アルムドゥヌ ごと砂に埋めてしまおうぞ!」

 主戦論が大勢を占めるファルダハーンの陣の中で、一人イクティカードの頭だけが冷静さを取り戻し、沈着に進言した。

「ファルダハーン様、リヤドまでやって来てなんですが、今ここを奪取する利は薄いと存じます。包囲の兵員だけを残して、ファリド様との合流地点に向かいましょう」

 とイクティカードは老兵として目付けに付いている真価を発揮した。

「これを懸念していたから使者を怒らせておいたのだがなぁ……」

 ファルダハーンとレイス軍を挑発しておいて、リヤドの城邑アルムドゥヌ に張り付かせておこうというのがバラザフの計画だった。

 バラザフは城壁の外の耕作地、放牧地も焼き討ちに遭うだろうと想定していたので、住民を早めに城内へ退避させるなり、他の城邑アルムドゥヌ に移すなりしていた。

 結局、ファルダハーンはイクティカードの進言を容れて、総攻撃は行わない方針に決めた。

「もう一度だけ降伏勧告をしておこう。それで利かなければ包囲の兵だけ残して、本軍との合流に向かうぞ」

 バラザフのアサシンはここにも配置されていた。それで次に来る使者が最後通告であること、そしてそれが不首尾に終われば、城邑アルムドゥヌ を包囲したまま主力は決戦の舞台へ向かうとファルダハーンが方針決定したと、バラザフは使者が来る前に知り得た。

「それでは、使者にはもっとファルダハーンが怒るようにひと働きしてもらわねばなるまい」

 馬に乗って使者がこちらに向かってきているのが見えた。

「レイス軍は四十万といえども驢馬の尻尾の毛ほどの価値も無い。奴等の毛で襟巻ワシャア でも編んでやろうか。レイスは弱いがシルバは強いぞ。ウルクで負けてリヤドでも負ける。負け癖のついたレイス軍。このリヤドの兵力がいくらか知っているか。たったの二万だ。その二万に腰が引けるからお前等は降伏勧告を何度もしてくるわけだ。戦え、戦え、戦え。ファルダハーンは自分の剣で手を切るのが怖くて、剣も抜けないか」

 最早稚気とも言える罵詈雑言をありったけ浴びせた後、バラザフは、自ら火砲ザッラーカ を担いで、使者に罵倒のみならず火炎まで浴びせてしまったのだった。

 火だるまになった使者は、砂地を転げ周り消火して何とか一命は取りとめ、一目散に退却した。それをシルバ軍の兵があからさまに笑いたてた。

 これが引き金となって、リヤドの周辺の砦からも鯨波があがり、相当な数のシルバ軍の旗が各城壁に棚引いた。

「シルバ軍は寡兵だったはずでは――」

 ファルダハーンは、四十万の自軍を包囲されたような状況に呑まれてしまった。そこへ全身火傷を負った使者が戻ってきて、報告にならないような呻きでファルダハーンに何事か訴えた。

 ここまでよく自制してきたファルダハーンの辛棒が折れた。

「総攻撃だ。リヤドを踏み潰してくれる!」

 ファルダハーンは、ついにバラザフの挑発にかかってしまった。

「本陣を押し出すぞ」

 ファルダハーンは、土地勘のあるサーミザフに諮り、リヤドの城邑アルムドゥヌ が上から見える高台に陣を移すことにした。

「ムザフ。ようやくファルダハーンの小僧が意地を見せてきたぞ。砦を取っておいたのが利いてきたようだ」

 先の砦の奪取は、戦闘としての価値ではなく、少数の遣い者に連結した旗を振らせて、レイス軍に対して視覚的な圧力を加えるためのものだったのである。

 口に含んで吹き付けられた水が霧散して細かく動き回るごとく、レイス軍の動きは忙しい。バラザフの目から見えればレイス軍の将兵など水滴ほど小さなものでしかない。

「うむ。向こうでシルバ軍の旗も移動しているな。サーミザフはきっとハイルの城邑アルムドゥヌ に向かうはずだぞ」

 バラザフは、レイス軍の兵まで自分の意図通りに動かしているつもりになっていた。シルバ軍にやられやすいように、レイス軍を動かせばいいのだと、未来を視る眼に自信を越えた確信を持っている。

「レイス軍はまず周辺の城邑アルムドゥヌ と砦を攻略してから、このリヤドの備えを削ぎ落として、全軍攻撃の命令を出してくると思うが、ムザフの見立てはどうか」

「兄上の動向を鑑みるに、父上の読みどおりになるかと」

「うむ。ムザフ、お前はここを抜けてアルカルジを押さえに行ってくれマスカットへ少しでも近くなるほうが、ファルダハーンの小僧を圧迫出来る。それとハイルの方にはレオ・アジャールを派遣して適当に敵の相手をしたら拠点を放棄して離脱させろ。サーミザフにそのままハイルを取らせればいい」

 あれだけ念入りに改修して産業まで興したハイルをバラザフは放棄するという。ハイルが陥落すれば、おそらくそのままサーミザフの預かりとなり、サーミザフは守備隊としてそこに留められるはずである。そのように事が動いてくれればシルバ家の家族同士で斬り合いする必要は生じない。

 バラザフの先を視る眼は、戦いに競り勝つ事のみならず、大局眼で戦術ではなく戦略を視ていた。

 ムザフがリヤドを出てその日の夕刻、偵察の者から報告が入ってきた。タヌナド・ファイヤドがムザフに押さえに行かせた砦に向かっている。三万の部隊を編成しているという。

 そして、ハイル方面の報告も、レオ・アジャールが計画通り城邑アルムドゥヌ を放棄して退却の最中であると伝えてきた。

 さらに、各方面の砦にボクオン隊二万等、レイス軍から別働隊が編成され本隊から分散しているとの情報があがってきた。無論、バラザフの想定からは少しも逸脱するものは無く、間者の入れ替わりの報告も確認程度でしかない。

 これら一つ一つの対応にも全く焦りが無い。やるべき事は予め決めていた。配下には作戦実行の最終確認だけすればいい。

 ムザフの相手をさせられたレイス軍はいつもどおり苦戦していた。このときのムザフの戦術は、高所から岩を転がしたり、城壁から石を投げたり、火砲ザッラーカ で一斉に炎を浴びせたりと、ファイヤド隊をシルバ軍らしく苦しめた。

 今回の戦いで視覚効果は彼等の手札となったようで、砦全体にシルバ軍の旗を立てて、拡声器で礼拝合図アザーン ではなく吶喊を敵に浴びせた。砦全体にシルバ軍の威圧が響く。

 耳も目も敵の威圧に屈してしまったように、ファイヤド隊の動きは目に見えて鈍った。すでに三分の一程も戦力を失ってしまっている事もある。

 ムザフは火砲ザッラーカ を放射させて、砦から出た。だが、もう敵を狙う必要はない。この方面の防衛線はこれにて締めである。そして、砦の守備を実際に解除してリヤドの城邑アルムドゥヌ に急いで帰還した。

 別方面の砦、すなわちボクオン隊等のレイス軍の別働隊が向かっているシルバ軍の各拠点に、二千人の兵力を配置してある。高低差があるのが特徴で、いたるところに落石が仕掛けられ、穴に落ちれば、これまた槍が林立していて命を拾う事は難しい。

 規模は大きくない砦であるため、大略を考えれば放置しておいてもよく、また奪取したとて彩のある収益は見込めない。それでもレイス軍はリヤドの城邑アルムドゥヌ のために周りを削ぐのだと躍起になり、案の定、穴に落ちて槍で身を刺し貫かれる事になった。

 レイス軍も正攻法で砦は落ちぬと理解したのか、夜襲をかけて攻略をはかるも、夜間の見張りに少しでも人が見つかると、火砲ザッラーカ から一気に炎が噴き出されて近づく事すら容易ではない。

 リヤドと周辺の砦を巻き込んだ多方面攻防戦は、ここまでで一日。どう見てもレイス軍が負けている。バラザフの目論見通りに全てが動いていた。

 レイス軍古参であるイクティカード・カイフは、ファリド・レイスの若く拙い時代からレイス家を支えてきただけあって、シルバ軍の出方に頭を抱えてしまうような事は無いものの、ここまで上手くいかないとやはり面白くはない。

 彼が表に渋面を作りながら次に目を付けたのは、畑――である。

 短い雨の季節が終わろうとしている。リヤドの城邑アルムドゥヌ の外にも、収穫時期を迎えた穀類がよく実っていた。麦の穂は昨日までの雨の雫を朝陽に照らして輝いている。

「畑の作物を手短に刈り取ってしまえ。残りは良い頃合で火をつけて畑を焼いてしまうのだ。さすがのシルバ軍でも慌てて城壁から出て止めに来るに違いないから、その時に打撃を与えればよい」

 古来、攻城戦で畑を焼いて敵の食料を断つという手はしばしば行われてきた。だが、これすらもバラザフは見透かしていた。

 レイス軍は歩兵が一時帰農したような格好で畑に足を踏み入れた。シルバ軍をおびき出す目的ではあるのだが、目の前の黄金色に実る麦は、刈り取れば我が物にしてよいとイクティカードから許されているので兵士達の顔色は明るい。そして、その後ろの方に城外に出てくるシルバ軍を包囲殲滅するための五万の軍隊が息を潜めていた。

 ついにリヤドの正面の門が開いた。間をおかず火砲ザッラーカ が出てきて全体放火を何度も仕掛けた。

「頭の方を狙え。畑を出来るだけ燃やさないようにしろよ」

 収穫に頭がいっぱいだったレイスの帰農兵達は伏せる間もないまま大火傷を負った。雨後の晴天がバラザフのこの作戦に味方している。

 バラザフの奇策はこれで終わらない。騎馬兵が五百程城外に突出して槍を振り回した。

「仕留めずともよい。帰農兵を薙いで威圧したらすぐに城内駆け込んで来るんだ。残りは俺達でやる」

 バラザフは赤い水牛、アッサールアハマル隊をレオ・アジャールに指揮させて繰り出した。

「今回は囮ですね。敵の刃を掠らせもしませんよ」

 門から突進してきたアッサールアハマル隊に度肝を抜かれたレイス軍だが、この騎馬兵の数が少ないと見るや、五万の大兵で圧殺出来ると見込んで押し返してきた。

「敵が出てくるのはこちらの計画通りなのだ。シルバ軍を一人も帰すなよ!」

 だが、アッサールアハマル隊は、レイスの帰農兵の鼻先までの距離に来て、手綱を引いて素早く迂回した。これにレイス軍は食いついてしまった。敵にようやく接触出来たのだ。この機を逃すまいとレイス軍は意気を揚げてアッサールアハマル隊の背中を追いかけていた。

「いかん。またバラザフの罠だ。追ってはいかん!」

 イクティカードは自軍の突進を大声で制止したが、シルバ軍の粘り強い反攻に昨日まで抑圧されてきたレイス軍の追撃は止まらなかった。要らない所でこれ以上無いくらいに士気が上がってしまったのである。

 リヤドの城邑アルムドゥヌ の門が緩やかに閉められていく。アッサールアハマル隊を率いたレオ・アジャールは最後までレイス軍を振り切ったのである。

 普段、士気の上がりにくいレイス軍も、闘争心に火がつくと命じられもしないのに自分から城壁を登りにかかった。城壁の上ではすでに火砲ザッラーカ が煙を立ち上らせて数百ほど待ち構えている。

 火砲ザッラーカ から炎が噴き出され城壁に殺到していたレイス軍の兵士達は多くが黒こげになり、残りは上方からの落石攻撃で下に落とされた。

 まずは足の速い少数部隊で敵を突いておいて、それを追撃にかかった敵を誘引して、まとめて倒すのはバラザフ・シルバの勝ち方の一つの型である。

「十五年くらいこのやり方でレイス軍に当たっているが、誰もこれに気付かないのだろうか」

 学ばない者は未来が見えないし読めない。同じ事を組織的に繰り返すレイス軍の無能の態に、バラザフの心中は憐憫と侮蔑であい半ばした。

 だが、レイス軍の中にもこの学習能力の無さを自覚した者が一人だけ居た。バラザフの罠に気付いていち早く制止をかけたイクティカード・カイフである。

「またバラザフにしてやられたではないか」

 人は集団に成ると慎重さを欠く。冷静さも無くなる。

 自分達が大軍であるゆえ負ける事は無いのだという感覚が、繰り返し土を嘗めさせられてもシルバ軍を過小評価してしまう。言葉としてではなく、感覚として自分達の中に存在する故、自覚出来ないのである。

 バラザフの放火に味方した晴天は、また雲の帳に隠れた。

「偵察に行くぞ。五百騎位連れていこうと思うが、お前もどうだ」

 バラザフはムザフに問うたが、答えは聞かなくても分かっている。

「行きましょう。愉快な事になりそうです」

 この二人の意見が食い違う事は滅多になかった。ムザフの方でもバラザフが次に何を言い出すのか大概知っていた。

「レオ。また火砲ザッラーカ を城壁に準備させておいてください。そして、敵がいつ来ても撃てるように常に着火を」

 バラザフは偵察と言ってもただ行って見て帰ってくるつもりはなく、実際に剣を交えて相手の強さを探ってやろうと思っている。五百騎を連れた二人が門の外に出る。

 アッサールアハマルの赤い行軍は、レイス軍の本陣からも見えた。それはよく目立つ。

「我がバラザフ・シルバを仕留めてくれよう」

 ファルダハーンは自ら火砲ザッラーカ を担いでバラザフのアッサールアハマルの隊を追いかけた。挑発に乗りやすいのがレイス家の血なのかもしれない。旗下の部隊も同様に火砲ザッラーカ を携えてファルダハーンを追うしかない。

 ファルダハーンを筆頭に五百の火砲ザッラーカ が火を噴いた。本営以外のレイスの部隊からも遅れて放火される。

 バラザフは、馬を退かせてそのまま反転した。ムザフはバラザフの部隊の最後尾で追撃の敵を槍で薙ぎ払い、突き倒して着実に撤退している。

 リヤドの門に馳せ込んだバラザフは、レオに頃合を知らせた。ムザフは、レイス軍がしっかり追って来るように距離を開けすぎず、わざわざ戻っては敵中を掻き回して、また退くという事をやった。

 昨日と同じ、というより数十年来の愚をレイス軍はまたやろうとしている。彼等はシルバ軍の罠に気付かず、追って来て、気付いた時にはリヤドの城壁が目の前にあった。

「またやられた!」

 兵の中の誰かが叫んだ。だが、それは余りに遅すぎた。

 リヤドの門が開くと中から現れたのは三百人の一隊とした火砲ザッラーカ が三隊である。レイス軍は一斉放火にただ焼かれるしかなかった。

 煙が風で吹き払われると、全身火傷を負ったレイスの兵達が転げ回る姿が露になった。死傷者は数百名と見える。

 さらに先ほど城内に収容したアッサールアハマル隊も出た。煉獄の中に命を繋いだレイス軍の兵士も、結局、アッサールアハマルの槍に貫かれて、拾いかけた命も瞬時に奪われていった。

 さらにバラザフは締めも厳しい。槍を持った歩兵が出撃して徹底的に生存者を潰していった。

「ムザフ、五千はやったと思うが、どうだろうか」

「昨日の戦果も併せると二万以上になります。短期でこれほどの戦果を上げるなど、我等シルバ軍でなくては不可能な事ですよ」

 ファルダハーンは若き日のファリドさながらに、自陣の物を所構わず蹴散らして大立ち回りを踏んだ。ポアチャが口に含まれていないのが不自然なほどそっくりであった。

「イクティカード、明日は総攻めするぞ! これ以上止めるなよ」

「総攻めはいけません。たとえ成功しても引き上げるのに時間がかかって集合に間に合うわけがありません。ファリド様はもうルトバに到着してお待ちのはずです」

 イクティカードが淡々と正論を述べるだけ、ファルダハーンにはイクティカードが自分の意思を汲まず軽んじていると感じられて、角も生えんばかりの勢いである。

「そろそろファルダハーンの小僧も堪え切れずに総攻撃に踏み切るはずだ」

 明日には来るはずだとバラザフは確信している。自分でやっておきながら可哀想になるくらいファルダハーンを愚弄してきた。

「これで怒らずに居られたら余程大物だろうさ」

「イクティカード・カイフとファルダハーンの身分が逆なら大変な事になっていました」

「ムザフ、川の上流で水を止めてから油を流せ」

「川を炎の壁に変えるのですね。他の砦の差配はどうします」

「今、ケルシュが向かっている。アサシンだけで部隊編成をして、別に稼動させる」

 次の日、最初に城門から出てきたのはムザフの武具を装備した、レオ・アジャールである。

 かつてアジャリアが替わり蓑として自分とよく似た人物を幻影タサルール として用いたように、レオもムザフという役を上手に演じた。

 これに対して、連日手ひどくやられたレイス軍は、これには手を出さず切歯扼腕してこれを見つめている。

「まずはレイス軍は様子見だろうな」

 これもバラザフの読みにしっかりと入っていた。

「レオ、今日のレイスはいつもと違うレイスだ。無闇に突っ込んではこないだろうから、そこを利用しろ。こちらから正面を突いても用心し過ぎて反撃すらしてこないはずだ。だからファルダハーンに飛び切りの罵倒を与えて、砂を掴んで兵等の顔に撒いてやれ。それでまた怒り出せば上々だ」

 まるで敵将であるバラザフに命じられたかのようにレイス軍の兵士はじっと身構えて反撃もしてこない。レオもバラザフの示した手順の通りに罵倒し、砂をかけた。

 ファルダハーンも罵倒までは何とか堪えたものの、麾下の兵士が顔面に砂をかけられて、顔をしかめて耐えているのを見て、眉一つ動かさぬまま彼の脳は最高に怒張した。

「やる――」

 この一言でレイス軍が再び攻撃に転じた。が、レイス軍の動きはファルダハーンよりも前のめりで、一隊が火砲ザッラーカ 仕掛け、しかもレオの率いるシルバ軍の後を追った。

「出ていいなら我等も出るぞ」

 スィンダ・ボクオン、フアード・アズィーズ等の部隊が先に行った一隊を追う形になった。

 レオは、上手く後ろに続くレイス軍を掃いながら、リヤドまで下がって来ている。だが、追撃のレイス軍は大軍である。この後退でシルバ軍にも戦死者が出た。

 今まで空を切るような戦いを強いられてきたレイス軍も、今回ばかりは良い感触を得たらしく、勢いはさらに勝って追撃はとまらない。

 シルバ軍にとってこの後退は筋書き通りであるが、士気の上がったレイス軍の切先は鋭い。レオはもう後ろを振り返らず、真っ直ぐリヤドの城門へ馳せた。

 かつてアラーの城邑アルムドゥヌ の大改築を行い、それ以前にはカトゥマルの頼みでアジャール家最後の砦のタウディヒヤの建築を主幹したバラザフである。当然、リヤドにも色々な仕掛けをしてある。

 まず城邑アルムドゥヌ の中は迷路になっている。敵兵が迷い込むと同じ所を何度も周回したり、あるいは螺旋状の道に迷い込むと奥で詰まってしまい、部隊全体が進退窮まるように作ってあった。通行を妨げる柵もやたら多い。

 リヤドに駆け込んだレイス軍の兵士達はまたもや堪えなければならなかった。おそらく中央にバラザフ等は居ると思われるのだが、目指す先が見えているのに道に沿って巡らされるばかりで、一行に核心に至る事は出来ない。バラザフの方でもただレイス軍の兵士にリヤドを散策させるつもりなどなく、あちこちに少数の兵を潜ませておいて、上から矢が放ち横から槍で腹を衝かせた。

 それでもレイス軍の兵士は苦難の道程を進まねばならない。そして、その苦難の末ようやく内側の城門の前まで来れたのに、城壁からの落石、投石に見舞われた。最早定番となったシルバ軍の勝ちの型であり、すなわちレイス軍にとっては負けの型であった。攻城に挑んだレイス軍の兵士はここでほぼ全滅した。

「これ以上傷口を拡げるわけにはいかん。すぐに下がるぞ」

 レイス軍の将の口から撤退が出ると今度は、開門して中からシルバ軍が追撃にかかった。レイス軍は前後の敵味方でつか えて完全に進退窮まっている。

 先も後も詰まったといってもレイス軍が大軍である事には変わりなく、犠牲の出た上にもそれらを越してシルバ軍へ押し寄せてきた。城門の下の濠に落ちた者も這い上がって城壁を登ろうとしている。

「油の臭いがする――」

 レイス軍の兵の一人がそう気付いたとき、火の川が彼等を一瞬の内に呑み込んだ。ムザフが先にせき止めておいた川に砂漠に漏れ出ている黒い油を流し込んでいたのだった。川だった場所は今燃え上がり炎の壁となっている。

 リヤドの城兵もこの炎の川を最初から心得ていて、炎が迫る前に焼かれない場所へそれぞれ立脚した。

 炎の川に包まれてリヤドは炎の城になった。確かに炎の壁が出来た事によってレイス軍を寄せ付けぬ防御となるのだが、これでは自分で自分の城を火攻めしているに等しい。だが、そこは心計の深いバラザフらしく、上流から流す油を適度に加減して、城邑アルムドゥヌ や、商人宅、民家に燃え移る前に油が燃え尽きるようにしてあった。そして、その油が燃え尽きたあたりで再び川のせき を切って消火する手筈になっている。

 レイス軍の兵士にもこの火攻めで生き残った者も大勢いた。何しろ大軍であるから、確率的に生き残れる者もそれだけ多くなる。火の手が弱まり、生存者が再び城壁をよじ登ろうとしたとき――。

 濠を流すように大水が横から押し寄せた。水ばかりでなく、大岩、巨木までもが含まれた濁流である。当然、レイス軍は恐慌状態に陥った。今度こそ逃げ場がない。

 それでも運あって命を拾える者はいたが、そこに炎の壁作戦を終えたムザフ隊が戻ってきて、稀有の幸運も一瞬で摘み取られてしまった。レイス軍の背後には別働隊として分隊しておいたケルシュの部隊が挟撃に加わって一方的な殺戮を演じた。

 一方でレイス軍の後詰や本軍でもこれらの一連は信じられない光景として映った。意気揚々と攻城をしかけていたのが、一転、殲滅される側に立たされた。

 リヤドの城邑アルムドゥヌ の中にも周りにも濠がある事はわかっていた。濠を越えるのに難があれば、早めに引き上げの指示を出そうと決めていたが、兵達は意気が上がって城壁を登ろうとしている。

 今度こそ、シルバ軍に勝ったと思った。

 だが、濠から一瞬で炎の壁が出現し、兵等を焼いて消え去ったかと思えば、今度は大水が押し寄せてきて、生存者を押し流し、あるいは水底へ誘う。

 救援に行こうにも大水で遮られて最前線に寄り付く事も出来ない。いきなり出現した川の向こうで、味方がバラザフ、ムザフが指揮するシルバ軍の強兵に一方的に殺されていく。ただ、それを傍観している他ないのである。

 レイス軍からハイルの守備を任され、その場で暫定的な太守になったサーミザフからも、これらの様子はよく見えていた。驚きのあまり見開く両目に、父バラザフの戦い方が凄絶に映った。

「情け容赦ない……それしか言葉が出ない」

 そう漏らしながら、サーミザフには一つ気付いた事があった。それはこのハイルの城邑アルムドゥヌ を父バラザフが無抵抗で自分に譲ってくれたという事である。同時に、その意味する所も理解した。

「レイス家の者同士が剣を交えなくても済むように。父上は私と部下をこのハイルに入れて命を拾わせたのだな……」

 このリヤドへの攻城戦だけで、レイス軍の戦死者は四万にのぼった。バラザフの配慮が無ければ、この中にサーミザフの主従も含まれてもおかしくはなかった。

「それぞれの部隊が勝手に押し出したのは明らかな軍律違反なのだぞ」

 それでなくとも、ここに来てから負けを重ねてしまっているのである。イクティカード・カイフは、諸将の責任問題をきつく言及した。この落とし前をつけるという形で、ボクオン隊他、諸部隊から隊長格が処刑されるという犠牲まで出た。

 責任問題に対する処分としてこれらは当然であるとしても、珍しく士気が自発的に上がっていたレイス軍は、急激に消沈し、冷えていった。

「嬉しい誤算というやつだ」

 実戦での戦果に加えて、レイス軍の戦力をさらに削ぐ事が出来たのである。バラザフは作戦の成功を喜んだ。

 次の日は、また雨になった。風で横に舞うような霧雨である。

 バラザフはその霧雨の中、正面の門から出てきた。頭にはアジャリアから下賜された、額に孔雀石マラキート象嵌ぞうがん が施されたあのカウザ を被っている。一万の将兵を率いていた。城内の方にも一万の兵を残してムザフに全権を与えた。

「万が一にも俺がこいつら相手に死ぬ事は有り得んが、リヤドはムザフに任せてきた。ファルダハーンの小僧には策略抜きでシルバ軍の戦いを見せてやろうじゃないか」

 バラザフが連れた一万のうち、千騎がアッサールアハマルの精鋭である。彼等はバラザフを中心に並列錐ミスカブ の突撃陣形をとった。だが、まだ突撃はかけない。後ろの歩兵の行軍速度に合わせて、頃合まで近づいて一気に抜くのだ。

 霧雨の中に、焼かれて赤く光る巨大な鉄塊が、ずしりずしりと濡れた砂を踏み固めて押し進んでいるように見える。レイス軍の本陣からも、ハイルを守備しているサーミザフ隊からも、この燃える赤はよく視界に映えた。

「バラザフ・シルバが出てきたぞ!」

「いや、あれは先年亡くなられたアジャリア様じゃないのか」

「俺はハウタットバニタミムの入城行進を思い出したぞ」

 今でもアジャール家の元家臣はレイス軍の中にも結構居る。皆が数十年も昔のアジャール家全盛期を目の前の光景と重ねた。

「ファルダハーン様、今度こそ手出ししてはいけませんぞ」

 イクティカードは、ファルダハーンに釘を刺しておかなくてはならない。イクティカードにそう制止されるまでも無く、ファルダハーンの意気はレイス軍全体の消沈の気を全て吸い取ってきたかのように、萎んでいたので、イクティカードが手出し無用の方針を決定してくれた事は、むしろ決断を強いられるよりはありがたかったのである。

 だが、その沈みきった心も数刻も経って少し落ち着くと、今度は、

 ――誰か我が軍の中にシルバ軍に一泡吹かせる事の出来る勇者はいないのか。

 と、苛立ちがまたもや小さな火となって揺れ始めている。

「ファルダハーン様、我が軍に知恵の回る猛者が居れば、今日までの敗戦はひとつまみ程の損害で済まされていたはずです」

 口に出していないファルダハーンを読心したかのように、イクティカードは再度釘刺しを忘れなかった。

 バラザフの部隊は、そのすぐ後ろにアッサールアハマル、その後ろに歩兵隊、そして最後に千人程の火砲ザッラーカ 兵が続いた。火砲ザッラーカ にはすでに火が付いている。

 バラザフはファルダハーンの本陣までやってきて大音声で叫んだ。

「我はリヤド領主バラザフ・シルバ。レイス軍にひとつ提案があるからまずは聞け!」

 レイス軍では将軍格から兵卒に至るまで、息を呑んでバラザフの次の言葉を待っている。

「こちらはたったの二万、それに対してお前達レイス軍は四十万だ。二十倍だ。いいか、二十倍だぞ。それを我等シルバ軍が相手になると言っているのだ。今日、決着を着ける。これで手合わせせぬというのなら、レイス軍は数だけ揃えた駱駝ジャマル の糞の塊だとカラビヤート中、噂が広まるだろうな」

 バラザフの喩えの汚さにシルバ軍の兵卒すら眉を寄せて苦笑したのだから、当然、ファルダハーンは怒った。怒ってはみたものの、レイス軍は前進出来る状態になかった。眼前に、昨日の炎の壁作戦の余剰で出来た川が横たわっていた。

 川の手前にレイス軍は、稲妻バラク のおうとつのある陣形で構えている。一方、バラザフの方はリヤドを出てきた時から並列錐ミスカブ の隊列を組んでいる。何故、並列かといえば、バラザフを中心に機に応じて、部隊を左右に分隊できるからである。左右に分かれたとき、並列錐ミスカブ は、双頭蛇ザッハーク に変形した事になる。四十万のレイス軍に対して、シルバ軍の二万など小隊扱いであり、それゆえ、間の群飛雁イウザ稲妻バラク の形体を飛ばして変形してもよいとバラザフは考えていた。

「まぁ、どちらでもよいわ」

 バラザフにとっては、ファルダハーンを怒らせて戦いに引きずりだせば、痛恨の一撃を与えてやれる自信がある。そのために、自分が囮として最前線に出てきて、しかもリヤドの兵力を半分もこちらに割いてきた。

「かのサラディン・ベイの戦法にも似ているようだが……」

 と気付いたのはハイルのサーミザフである。彼はバラザフから昔日、ベイ軍との決戦に参加した見聞を聞かされていた、その記憶の中に素早く探りをいれ、当時のサラディンの突撃陣形を父が再現しているのだと理解した。

「アジャリア様だけでなく、サラディンまで自分の力にしてしまったのか」

 レイス軍のボクオン、アズィーズ、ファイヤドのような古豪でも、眼前のバラザフの戦闘隊形を危険視していた。目の前には川も横たわっている。大軍を自在に動かす事はできず、動けない間にバラザフの知謀に陥れられる不安を拭い去る事ができるのなら、それは無謀の猪突者だけだ。

「バラザフ・シルバ自身が出てきたのだ。陥穽が仕込んであるに決まっている。とはいえ、先手を打つこともできぬ……」

 そうした恐怖が増幅していくのは当然である。

「さあ、来ないなら行くぞ。シルバ軍を相手にするという事はアジャリア・アジャールに狩られる事だと知れ」

 バラザフは諸刃短剣ジャンビア を一本抜いて、そのまま敵陣へ、鋭く、真っ直ぐ指し示した。いつもの武器として扱っている方ではなく、アジャリアから下賜された翠玉ズムッルド象嵌ぞうがん の宝物である。

 歩兵五百が河川に居並んだ。アジャリアの独特の戦法だったタスラム部隊である。歩兵が膏で出来た投擲武器を持ち、渾身の力でこれを投げつける敵を怯ませるのである。

 戦いの太鼓タブル が打たれた。すぐさま歩兵がタスラムを敵目掛けて投げつける。レイス軍の前線の兵士達は、タスラムにやられて頭部から血を流し、次々と卒倒していく。しかも割れたタスラムの石膏破片が粉塵となって視界を遮るのである。

 アジャリアの時代から、このタスラム戦法は敵に厭忌されてきた。やられる方からすればそれほど鬱陶しい攻撃であった。

 レイス兵が逃げ散りそうになっているのを見て、バラザフは次の手を合図した。タスラム部隊が下がって、次に火砲ザッラーカ 隊が前面に出てきた。

 太鼓タブル の拍子が変わり、一千の火砲ザッラーカ が火を噴いた。すでに、ここまででレイス軍には六百程の死傷者が出ている。

 しかし、レイス軍の反応は薄い。逃げ惑うような反応は見せはしても、反撃に出てくるまでの押し返しは無い。懲りているのである。もはや両軍にとって定番となりつつある煽られてよりの反撃は、入り乱れた戦いの陥りやすく、即ち、これも定番のレイス軍の敗北を誘引する。

 バラザフの合図で、詰めの弓兵が出てきた。

 川から進んでこれないレイス軍の頭の上から矢の雨が浴びせられた。

「ポアチャから駱駝ジャマル の糞が生まれたか!」

 精一杯悪態を込めて罵声を放ち、バラザフが手綱を引いてリヤドに戻ろうとした、その時、レイス軍の中から火砲ザッラーカ を撃つ者があった。炎はバラザフの所まで至らなかったが、その引き金で、レイス軍の勘気余った者らが水を掻いてバラザフの後を追おうとした。それを見て残りの前列の歩兵も皆、水に浸かって押し出していく。俄かに大兵が殺到したので、元々、舟が無くとも渡れる水量だった川の流れが止まった。

 命令違反ではある。だが、ファルダハーンは兵達の自発的な押し出しに、自身の意気もまたもや上がって、

「そのまま疾駆するのだ!」

 と、状況を良い風に受け取って喜んでいた。

 バラザフは、またすぐに迂回して前後反転し、並列錐ミスカブ を整え直した。隊が細分化され、錐がさらに鋭さを増した形である。

 レイス軍の先頭が川を渡り終え、今度こそバラザフの部隊を包囲したと確信したとき、

「待て、油のにおいが――」

 流れのせき止められた川は、再び炎の壁と化し、押し出してきたレイス軍の歩兵の大半が一瞬で焼死した。今度は、バラザフの傍にいたケルシュが、この仕掛けを発動させたのだった。フートも一枚噛んでいて、川の水がとまったのを見て濠に油を流し込んで、仕込みをしていた。フートは今回で引退を決めていて、アサシン軍団を指揮に現場に立った。

 二度目の炎の壁で数千の歩兵の焼死体ができた。

「終わりましたな……」

 イクティカードはファルダハーンにわざと聞こえるように呟いた。落胆というより、諦めと嫌気の交じった呟き、ため息である。

 バラザフは、戦果を自分の目で確認して、満足して後ろに退いた。

 後にファリド列伝ともいうべき記録が、レイス家に編まれる事になるが、そこにすら、

 ――シルバ家とのリヤドにおける戦いで、我が軍百害で足らず。

 と、自虐されてしまうほど、この戦いでレイス軍は見事に崩れたのである。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(最終章2024.03.05公開予定)

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2023年2月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第10章_2

  翌年、すぐにアミルはカラビヤートの諸侯にメフメト征討のために軍を出すように命じた。ファリドやバラザフにも出兵の命令が下った。

 アミルがバーレーン要塞を包囲するために指揮した兵の数は二百万。広域にわたって周辺の城邑アルムドゥヌ に兵を分散させねば軍容を維持する事すら困難な数である。

 バラザフは三万の兵を率いてバーレーン要塞攻略戦に参加し、サリド・マンスールの部隊と合流した。サリド・マンスールはアミル・アブダーラの腹心であり盟友でもある人物である。この部隊には、ザラン・ベイ、アアジム・ダルウィーシュが所属し、サリドが部隊長を務める。

 兵力的のは申し分の戦いだが、メフメトを相手にするのにバラザフが懸念している事が一つだけある。

「あのシーフジンにはどう対処すべきか」

 カウシーン・メフメトが世を去ると同時に、モハメド・シーフジンの話も衆口に乗らなくなっている。カウシーンのようにシーフジンを巧みに統率する者が居なくなったからであろうが、メフメト家が滅亡の淵に立たされているこの戦いで、シーフジンが傍観を決め込むとは考えにくい。

「今のシーフジンはバーレーンの防衛の任務を果たすのがやっとで、アルカルジにまで手出しするに至らなかったようです」

「なんだ、そうだったのか」

 シルバアサシンにシーフジンについて調べさせ、ひとまず安心を得たバラザフである。

 ファリド・レイスも今回の戦いに参戦し、包囲網に加わっている。ファリドは一計を思いつきサーミザフを一度自分の指揮下から外してバラザフの部隊に所属させた。

 マンスール隊はメフメト軍バーレーン要塞の近くの砦を包囲している。バラザフはマンスールにハサーの城邑アルムドゥヌ の攻略を進言し、自身と息子のサーミザフをその攻略担当に自薦した。

「ひとつくらい敵の城邑アルムドゥヌ を取っておかねば、大宰相サドラザム から怠慢の烙印を押されてしまいますゆえ」

 そう言ってハサーに向かうバラザフだが、武功を立てねばならぬというような焦りは全くない。

「サーミザフ。昔アジャリア様や我が父エルザフがここに篭城したメフメト軍の太守ラエド・アレウィを攻めた。名将アレウィ相手に三日で城邑アルムドゥヌ を落とした。だがな、俺はここを一日で取るぞ」

 名将ラエド・アレウィは今はもう居ない。

 バラザフは、シルバアサシン団のフート、ケルシュの二本柱を呼んだ。

「中の敵は二百万の兵力を恐れて縮みあがっている。その恐れを我等の力にせよ。城内で火を放ち、夜間に虚言を撒き散らして自滅を誘え。太守と話をつける時間がない。計略だけでやるぞ」

 バラザフの言葉が終わると同時にシルバアサシンは、四方八方に散開した。

 バラザフ等本隊は、城邑アルムドゥヌ を包囲して城内に攻め込める姿勢で機会を待っている。

火砲ザッラーカ 隊はいつでも火を噴けるようにしておけよ。城内に炎が見えたら、それに機を合わせて射撃するのだ。千人ずつに三分して、射撃の手を絶やすなよ」

 ここまで部下はバラザフの指示通りに動いている。それは城内での経過も順調だという事でもある。

 砂漠では雨は長続きするものではない。とはいえ、

「こういう時に限って雨に狙われるものだからな」

 雨量が少しずつ増えてくる時期である事から、バラザフは急な降雨で火砲ザッラーカ の放火が阻まれはしまいかと気にしていた。若い時から彼は戦場で雲の流れが自然と気にかかる。バラザフが戦いで雨に計画を阻まれた事はなかったが、雨を気にする癖はそのままで今に至っている。悪いことではない。

 そろそろ中でケルシュが率いるアサシン団が活躍し始める頃だ。城内は騒然となり、時を置かずしてあちこちで炎が夜空を紅く照らし始めた。

「頃合だ。火砲ザッラーカ 発射!」

 城壁を越えて火砲ザッラーカ の炎が夜空をより明るく見せた。それで十分であった。

 最後の放火が行われた時には、城内の混乱は最高潮に達していた。バラザフは手元に残っていたアサシンを稼動させて、城壁を昇らせた。城内のアサシンと歩兵が連携して内側から正面を開門する。

 次に赤い水牛、アッサールアハマルの出番である。前回のレイス軍との戦いで出番を得た赤い武具の部隊は、その後もシルバ軍で常設される事となったが、前回と異なるのは馬ではなく水牛に騎乗している点である。これにはレイス軍の方ではなく、自分の方が本元のアッサールアハマルなのだと、世間に認識させるバラザフの狙いがあった。

 そういった大義名分の自他の意識が、戦場で勝敗を分ける事が多々ある。短期で水牛を飼いならす苦労はあったが、将兵の士気の高揚には見合う苦労だとバラザフは考えている。

 突入したアッサールアハマルが雄雄しく雄叫びを上げる。バラザフ自身も突入部隊に参加した。こういう時に本陣で座って待っては居られない人である。

 城内の兵士は抗戦してくる者は皆無だった。バラザフは、この城邑アルムドゥヌ に自分の権限でサーミザフを太守として置き、自身は早々と引き上げ明朝にはマンスール隊に復命していた。

 サリドは一晩で城邑アルムドゥヌ を一つ陥落させて来て、平然と明朝の軍議の席に座っているバラザフを、幻影であるかのようにしげしげと見ていた。

「隊長殿、この城邑アルムドゥヌ も手早く片付けて大宰相サドラザム 殿へのよき土産にしたいものですな」

 サリドの不思議そうな顔に比してバラザフは飄々たるものである。

「噂以上の戦巧者だ。噂といえばシルバ殿は風変わりな配下を持っているとか」

 サリドが指すのはシルバアサシンとも、昨夜の水牛のアッサールアハマルとも取れるが、バラザフはそれには微笑で返したのみであった。

 今、バラザフを含むサリド・マンスールの部隊が包囲しているのは、バーレーン要塞の支城ともいうべき城邑アルムドゥヌ で、昨夜バラザフが落とした場所よりは若干規模が大きい。またここの守将はマフーズ・ハザニという武官で、メフメト軍の古豪として有名である。

「今、我等はバーレーン要塞を落とす事を目的として、この城邑アルムドゥヌ を包囲しております。さらにその前段階として周囲の砦を確実に攻め取ってはいかがか」

 バラザフの献策にサリドもザランも同意した。

「では、折角ここに錚錚たる顔ぶれが集まっているのだから、諸将が一件ずつ担当して周囲の砦を落とすのはどうかな」

 アアジム・ダルウィーシュが締めにこう案を出して軍議は決まった。

 こうして各将は四、五の砦、城邑アルムドゥヌ を落としていったが、急がずに二週間時間をかけ、バラザフもそれに歩調を合わせた。いよいよ、孤立したマフーズ・ハザニだったが、三日は抗戦を維持したものの、最終的には降伏するしか手段は無く、マンスール部隊の管轄の戦いはこれで終わった。

 周囲の戦力が全て剥ぎ取られて、難攻不落のバーレーン要塞も落ち、メフメト軍は降伏した。さらに海峡を渡った先のバンダルアバス方面もアブダーラ軍の威令の下に置いて、アミル・アブダーラが、ついにカラビヤート全土を手中に収めたのであった。

 メフメト軍が支配していたバーレーン要塞や、オマーン地方はファリド・レイスの支配下に置かれたが、その替わりファリドはナーシリーヤ、バスラ、クウェートなど、馴染み深い本拠地をアミルに取り上げられてしまった。

 本当にしぶしぶファリドは、新たな領土であるオマーン地方のマスカットを本拠として領地運営を開始した。

 ハウタットバニタミムに関してはアミルからシルバ家に返還するようにとの命令が出た。

 これにファリドは巧みに対応した。ハウタットバニタミムはシルバ家の返還する。だが、その相手はバラザフではなく長男のサーミザフにするというのである。サーミザフは現在はレイス軍の武官となっているため、ハウタットバニタミムがシルバ領になっても、実質的にはレイス軍の領土とも言えてしまう。

「ふざけるなよ」

 バラザフにはこれは受け入れがたかったが、結局自分の死後シルバ家はサーミザフが当主となるのだからと、承服した。

「相変わらず苔の生えたような奴だ」

 外交上は調和を保ちつつも、バラザフの心中ではファリドとの間の溝がますます深まっていった。

 同年、酷暑が去りゆき逆に寒さが目立つようになってきた頃、アミルから客としてベイルートに招くという使者がやってきたので、バラザフはそれに応じた。

 ――世間の噂通り本当に鼻の大きい奴だ。

 応接間でアミルに対面したバラザフは、まずそう感じた。謁見の間でアミルが来るのを待っていたら、近侍ハーディル にこちらに通されたのであった。

「バラザフ・シルバ殿、よく参られた。日頃から未来を視る眼が欲しいと願っているとか。それが自分のアマル なのだと」

「はあ……」

 自分からこの話題を出すことは確かにある。だが、相手の方から、しかも初対面の相手から切り出されて、いきなり調子を狂わされるバラザフである。

「初対面の相手にこんな事を言われて驚かせてしまったようだな。済まん済まん。東のアルヒンドから取り寄せたシャイ だ。これでも飲んで気を休めてくれ。皆、俺が淹れたシャイ は美味いと言ってくれるのだ」

 すでに良い具合に熱せられた茶器から茶を注いで、アミルはシャイ を差し出した。

「それでは頂きます」

 ゆっくりと熱いシャイ を口に含むバラザフ。

「いい味であろう」

「はい。心が休まっていきますな」

 こいつにはやけに味方が多いようだが、この茶のせいもあるのではないかとバラザフは思った。視線を落とした自分の顔が碗の中で波紋に揺れている。

「ところでバラザフ」

「はい」

 アミルはバラザフに少し膝を寄せてきた。

「お前の未来を視る眼とは、これであろう」

 そう言って敷物の下から引き出してきたのは、バラザフがいつも先行きを占っている札占術タリーカ の札である。

「これで俺の未来を見て欲しいというのではない。相談したいのはこれさ」

 アミルが山の一番上から捲った札をバラザフに見せた。札は皇帝インバラトゥール である。

 熱いシャイ を飲んだばかりだというのに、バラザフの額からは冷や汗がゆっくりと流れ落ちる。アミルがこの札に喩えてファリド・レイスの事を言っているのであろう。それはつまりアミルの耳目はバラザフの所にまで届いているという事になる。しかも随分昔からだ。

「どうしてそれを」

「配下に目端の利く爺がいてな。そいつがどういうわけか俺の事を気に入ってくれてな。あちこち飛び回ってくれている。まあそれはいいだろう」

 アミルは黙してバラザフのファリドの評を促すように目を覗き込んでいる。

「これは大宰相サドラザム 殿はすでにご存知の事かもしれませんが、昔、アジャリア公がご存命の頃にも同じ事を聞かれました」

「ふむ、それで」

「ここだけの話にしていただきたいのですが、その時私はファリド殿を若さに苔の生えたような男と、率直に自分の感想をアジャリア様に申し上げたのです」

「それは面白いな!」

 楽しめる物が大好きなアミルは、この喩えに哄笑した。

「ですが、今のファリド殿は若者というには、いささか貫禄が過ぎるようで、その評価はいかがなものかと」

「それでは今のファリドは一体何なのだ」

「古苔で充たされた洞窟かと」

「苔だらけになってしまったではないか」

「はい。ハウタットバニタミムを愚息のサーミザフの預かりにすると言い出したとき、昔のファリド・レイスではないと思いました。老獪といいますか世知に長けてきたといいますか、若い頃よりアジャリア様に叩きのめされて強くなったいったように思えます」

「なるほどな……」

 バラザフの話を聞き終えたアミルは、頭の中でゆっくりと記憶を探り、それが今の話と繋がったかのように、納得している風だ。

「さすがはアルハイラト・ジャンビア。あのアジャリア・アジャールの片腕といわれただけの事はある。お前のような切れ者を敵には回したくないものだな。それに――」

 アミルはゆっくり腰をあげ、

「今日は久々に楽しい話が出来た。俺の事もたくさん話して聞かせたいが、政務もあるし今日はこれまでだ。また必ず会おう」

 そう言いながらバラザフに笑みを与え室を後にした。

「飄々として捉えどころがないが、何故か憎めない奴だ」

 アミルの気のおけない雰囲気に、バラザフはいつの間にか、存念を全て話してしまったという感じだが、後にはすっきりとした気持ちが心中に残って、ほんの少し残っていたシャイ を飲み干した。


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2022年12月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第9章_5

  カーラム暦1007年になると、早くもレイス軍とメフメト軍の同盟にひびが入り始めた。

 メフメト軍の言い分は、ファリド・レイスが先の盟約に準じて領土分割を行っていないという旨である。

「シルバ。さっさとアルカルジをメフメト軍に明け渡せ」

 ファリドの命令を持った使者がバラザフのもとを訪れた。

「あのポアチャ、やはり我等との約束を不履行にしたな」

 バラザフの中には若い頃からファリドの人格を侮蔑する部分がある。自分より格下だと思っているから、自分より道義上優れているはずもなく、約束は守れない男だと認定していた。

 少なくともその認定は、この局面では当たっていたといえる。

 不都合な事とはいえ、自分の読みどおりになっている現実を直視しているバラザフの頭は、しっかり怜悧さを保っている。

「シルバ家はファリドの言いなりになる必要は全く無い」

 と家中には言い放ち、ファリドからの使者には、

「レイス殿からの証文にはこう書いてあるぞ。アルカルジはシルバ領と認め、ハラド、リヤドもシルバ家の随意に、と。ほら、これだ」

 こう言ってファリドからの証文を突きつけた。

 また別の使者には、

「リヤドは元々レイス領ではなく、シルバ家が戦功によって獲得した領地なのだ」

 と一切譲歩せぬぞという態度をとったりした。

 ファリドの方では、先のシルバ家からの同盟申し入れ以降、バラザフは自分の臣下になったものだと思っていた。彼我の勢力差を鑑みればファリドがそう認識したのは当然である。

 幾度と無く命令違反を犯したバラザフに対して、持てる全ての怒気をぶつけた。

「こうなったら無理矢理にでもリヤドを取るぞ。バラザフ・シルバ、あの無礼者も殺しても構わんぞ!」

 ここまでもバラザフの筋書き通りになっていた。

「どうせ兵力にまかせて押し寄せてくるに決まっている」

 バラザフの話は敵の出方を説明する事から、それゆえハイルの城邑アルムドゥヌ を大幅増築しておいたのだと、家臣たちの不安を取り除く方に流れていった。

 内を固めたらすぐに外である。

 レイス軍との雲行きが怪しくなってくると、バラザフは矛先を向けてきていたザラン・ベイに擦り寄っていった。

 ザランはナギーブ・ハルブにはか ってシルバ軍との同盟を認めた。

「アルカルジからシルバ軍が消滅すれば、アルカルジはメフメトのものに、リヤド辺りはレイスの切り取りになるはず。貪食たんしょく な彼らがそれで満足するはずもなく、必ずこちらに押し寄せてくるはず」

 とナギーブ・ハルブは趨勢を読んだ上で、シルバ軍を味方につけて貸しを作り上手く活用しようと考えた。

「さらに我等ベイ家はアブダーラ家と同盟関係にあり、世の全体的な同盟関係に照らし合わせて見ても、レイス軍、メフメト軍を敵として扱っても問題ありません」

 ザランはハルブの言葉に正当性を認めて、これに同意した。

 この同盟に裏の無い事の証として、バラザフは次男のムザフをベイ家に差し出した。

 ムザフ・シルバ以下二百名の主従がカイロへ発った。

 間も無くムザフと対面したザランの対応が、ハルブを驚かせる事になった。笑いを知らないと言われるザランがにこやかに談笑している。幼少から仕えるハルブも、ザランのこのような姿は一度も見た事が無かった。

 ハルブを驚かせる事はまだあった。自分の勢力圏内にムザフに小領であるが領地を与えた。そしてレイス軍やメフメト軍との抗争が勃発したときにはベイ軍からシルバ軍へ十万の援軍を出す、と約束してしまった。

「有事においては少しでもシルバ領に近い場所がよいだろうな」

 ザランは、しばらくムザフをカイロに逗留させた後、アラーの城邑アルムドゥヌ に任地として赴かせた。まるで大切な賓客を扱うようであった。

 バラザフはベイ家のムザフに対する一連の対応に、感謝はしていたものの、さらに欲深さが顔を覗かせていた。

「ベイ家と昵懇にしておけば、ベイと今親密であるアミル・アブダーラにも近づく事が出来る。きっと俺の狙い通りになるぞ」

 バラザフは近臣のイフラマ、メストしか周りに居ないときに、自分の本音を話した。二人は改めてバラザフの読みの先の長さに驚いた。

「全てはアジャリア様の知恵だ。あの方の知恵を応用すれば、万機に対応出来る」

 アジャール家から独立してから自分が何か新しい存在へと進化しているという自覚がバラザフにある。

「レブザフ、レイス家とは今後長く関係は続かないだろう。お前は進退をどうする。俺はファリド・レイスは好きじゃないが、お前との相性はいいようだ。シルバ家とベイ家が再び同盟関係になった事をファリドに知らせるもよし。アルカルジからファリドのもとへ行くのもお前の自由なのだぞ」

 バラザフは自分とファリドの両方を立てねばならない弟を気遣って言った。

「それでは私はレイス殿の所へ行くよ、兄上。万が一兄上が負けても私がレイス家に臣従していれば、シルバ家の滅亡だけは回避出来る」

「そうだな。レブザフ。シルバ家自体の存続を論じるとなると、俺とお前が別々に繁栄を図った方が得かもしれない」

 家の滅亡の危機を分散して回避する。このやり方は後になってバラザフの長男サーミザフと、バラザフ、次男ムザフをして、シルバ家を敢えて二分させる事になる。

 バラザフはレイス家にレブザフを行かせた後、ハウタットバニタミムからメスト・シルバを呼んだ。そして、メストをフートのアサシン団に護衛させて、ベイルートに密使として送り出した。

「ザラン・ベイがアミルへの謁見を世話してくれる手筈になっている」

 バラザフが謁見という言葉を使うほど、この時すでにアミル・アブダーラは中央の政治で頂点に立ちつつあった。

「アミル・アブダーラ様は、シルバ家がアブダーラ家を通して任官を求めるとは殊勝の限りである。今後はベイ家に直属し世の安寧に尽力するように。アブダーラ家からの援助は惜しまぬ、と笑みを絶やさずおっしゃいました」

 メストが持ち帰ってきたアミルからの手紙にも、

 ――援軍については心配あるべからず。

 と記されてあった。

 暑さが盛りになる頃――。

 アサシンの情報収集によって、バラザフのもとに、

 ――ファリド・レイス、出陣の号令。

 の情報が寄せられてきた。その後も諜報はレイス軍の動きを細かく掴んでは、報告をあげてくる。

「先鋒の武官はアルカフス、レイスなど。旧アジャール軍の将兵で編成された軍団です」

「レイス軍からはムフリスラーラミ・ボクオン、ジャハーン・ズバイディーが八万の兵を率いて出撃」

 状況は緊迫している。だがバラザフは無性に嬉しかった。決して血が流れる事を好むわけではなかったが、

 ――戦いが無いと干上がってしまいそうでかなわん。

 と、いつの間にか戦いの中でこそ生き生きとしていられる人格になってしまっていた。当然、このような状況では高揚し、自然と笑みも浮かぶ。

 バラザフの脳は効率よく稼動している。それが心地よい。自身の手足も忙しなく働かせながら、家臣たちに次々に指示を与えてゆく。

「ハイルの防備を怠るなよ。アルマライ領はアスファトイフラム・アルマライの判断に任せる。サーミザフはこの城邑アルムドゥヌ で防衛せよ。リヤド、ハラドにあるシルバ領の砦にはそれぞれ百名ずつの部隊で守備に入れ」

 アミル・アブダーラとやり取りしてから、月が一巡していた。

 レイス軍は来た。ハイルの城邑アルムドゥヌ 郊外に集まってそれぞれ陣を布き始めた。

「ハイルなど一気に潰してくれるぞ」

 若い頃、負け続きであったファリド・レイスがこんな自信に満ちた言葉を口にできるのには、一応、裏づけがある。ナジャフであのアミル・アブダーラと戦って勝てた事が自信に繋がった。よって、彼の気炎にも勢いがある。

 だが、そんな事はバラザフは十分承知している。これを活用しようという腹である。

「自信、自負、驕慢、油断。そんな物はこのバラザフ・シルバが掌中で転がしてくれようぞ」

 バラザフの言うとおり勢いのある時こそ油断が生まれ、それを衝いて寡兵が勝つのは戦術の定石である。多勢に無勢。まさに今回はその条件なのだ。さらに地理的条件も活かしたい。

「狭まった所に敵を引き寄せて、隠れていた兵に奇襲させる。これが今回の戦いの肝だから、一兵卒に至るまで下達を怠るなよ。そして、やけになって死なぬ覚悟を忘れるな」

 とバラザフは無謀な戦いを戒めた。

 次男のムザフがこの戦いに駆けつけていた。レイス軍に包囲される前に、アラーの街からハイルまで帰ってきたのである。

「今は少しでも戦力が欲しいだろうとナギーブ・ハルブ殿が帰郷を許可してくれました。さらにザラン様が二万の兵を援軍にアラーへ手配してくれています」

「インシャラー。なんとも、ありがたい事だ」

「早速ですが父上、この戦いを私の初陣にさせていただきたい」

「今は経験を酌量している余裕もない。容易ならざる任務だがあえて出来るかとは問わぬぞ」

 夜明け。レイス軍ではボクオンなどの陣が動いた。

「とにかく押せ。一日で落とすのだ」

 ボクオンは数で押し切る戦い方をするつもりである。勢いがあった。一息つくごとにアサシンがレイス軍の動向を報告してくる。

 ムザフはバラザフから二千の精鋭部隊を任された。ムザフがバラザフより与えられた任務は敵の囮である。

 部隊の兵卒は皆赤色の武具を装備していた。しかも赤の鮮やかさにこだわって何度も重ね塗りをさせた具足だ。

「いいか、ムザフ。後退攻撃だ。戦いながら下がるのだ。小数の兵で敵を突いてはすぐ逃げる。これを繰り返して門まで敵を引っ張ってこい。そしてすぐに中に逃げ込め」

 ムザフは赤い武具に身を包み、先頭にはのカウザ を掲げた従卒を行かせる。堂々と太鼓タブル を鳴らさせて門から一行は出てきた。出撃というより行進である。

 片や出撃、や入場と進む方向は異なるも、バラザフのハウタットバニタミム入城の風景が、さながらに再現された。

 ムザフ・シルバの初めての出撃だ。息子の晴れの舞台に思わずバラザフの頬も緩む。

 威風堂々と出てくるムザフの火炎の一団には、敵であるレイス軍からも歓声が上がった。

 レイス軍の中にも昔日を知る者は多い。そうでなくとも赤い水牛、アッサールアハマルの強さは伝説にまでなって知れ渡っている。無論かつてのアッサールアハマルの構成員は、ほぼ全員ファリドの重臣であるイブン・サリムの管轄下にあり、ムザフの部隊は模倣である。だがたとえ模倣であっても、将兵の旧い戦いの記憶が赤いムザフの部隊をアッサールアハマルに見せるのだった。

 隊長格に目をやれば、赤に身を包んだ美麗な若者が熱くも爽快な気炎を放っている。

 敵味方問わず、戦場は盛り上がった。

 最初に仕掛けたのはムザフの方であった。ムザフの部隊から矢が射掛けられ、槍兵が突撃する。レイス軍でこれを受けるのはズバイディーの部隊である。

童子トフラ 、悪いが手柄を立てさせてもらうぞ!」

ズバイディーの大軍がムザフ一人に集中した。無論、ムザフはもう童子トフラ などという年齢ではない。戦功にぎらついている敵の下士官が若造を罵倒しただけである。

 ムザフは敵兵を近くまで寄せて槍で薙いで数人を払い倒し、即座に後退した。そして、追ってくる敵をわざわざ待って数人を倒して敵をかき乱してから後ろに退く事を繰り返した。

 ここまでムザフの部隊に犠牲は出ていない。負傷者は別の兵士に運ばせて必ず救った。

 そろそろ背後に城門が見えてくる。

「よし、あと一回だ」

 ムザフはまた追っ手を散らして、すばやく城門から中へ逃げ込んだ。

 ムザフ隊の罠にズバイディー隊は見事に掛かってしまった。ズバイディー隊のうち戦闘の五千名ほどが、子供の喧嘩程度の戦いで、少しずつ後ろに下がるムザフを、

 ――これならそのうち捕まえられる。

 と錯覚して、シルバ側の城門の前まで追ってきてしまっていた。

 爆音が聞こえた、と認識したときには、ズバイディー隊の兵は火達磨になっていた。燃え上がる人体が地を転げまわる。シルバ兵による火砲ザッラーカ の一斉掃射である。

 この火砲ザッラーカ による攻撃で、ズバイディー隊は瞬時に千名ほどの将兵を失った。

 再び門が開いた。

 ムザフ隊の赤を纏う兵士が中から飛び出してきて、すでに壊滅状態にあるズバイディー隊の掃討にかかった。逃げる方向も見失っているズバイディー隊がムザフ隊の餌食になるのに長く時間は要しなかった。敵が戦力として機能していないが故に出来る戦い方である。

 やるべき事だけ済ませて、ムザフ隊は速やかに城内に撤収した。

 しかし、生き残ったズバイディーが城に目を遣ると、開門したままになっている。

「シルバの奴等、やはり我等の数に恐れをなして慌てて門を閉め忘れているぞ」

 この好機で今しがたの雪辱を果たしてやろう、という気持ちがどうしても湧いてきてしまう。

「突入するぞ!」

 ズバイディー隊の一人が声を上げると、すぐにその後を鯨波が追った。ハイルの城邑アルムドゥヌ に満ちる鼓舞、吶喊、罵倒。勢いよく突入したズバイディー隊を待っていたのはバラザフが仕組んだ罠である。水辺を改良した濠に、寓話の鼠のようにズバイディー兵は突入の勢いを殺せず、やってきた順に皆落ちていってしまう。

砂漠緑地ワッハ に目をつけて手を加えておいて正解だったな」

 そろそろ濠が落ちた兵卒でいっぱいになって、脱出を試みてよじ登ろうとする者が出始めている。

「俺からの餞別だ。釣りは要らんから受け取れ」

 今度は濠に落ちた兵卒の頭上から丸太、岩石、とにかく重量のある物がどんどん降ってくる。頭上から落下物によって反撃の気概をもって上を望んでいた者達も再び濠の水に落とされていく。こうなるとズバイディー隊は、ここから逃げ出す事しか考えられなくなってしまう。

 バラザフは塔に高く松明を掲げた。これが合図になってサーミザフとアスファトイフラムは防衛していた砦を飛び出して、平地で待ち伏せにかかった。

 そこをバラザフとムザフのシルバ本隊に追撃されたズバイディー隊が、息を切らせてやってくる。ズバイディー隊は待ち伏せのサーミザフ隊に奇襲され、そこに追いついたシルバ本隊も加わった。シルバ軍はズバイディー隊を包囲し、確実に殲滅していった。

 そこに援軍の忠世・ボクオンがやってくるなり咄嗟に叫んだ。

「レイス軍の将兵は腰抜けばかりだ! こんな奴等に禄を出すなどファリド様がお可哀想だ!」

 ボクオンが死の淵で恐れおののいて物も言えぬ味方を罵倒した如く、レイス軍の兵士にはもはや戦う気概は消え失せてしまっていた。

 危機から逃れようとするレイス軍の醜態はそれだけにとどまらず、シルバ軍の罠ではない天然の水辺に落ちて溺れて、流されてしまう者まであった。

 レイス軍は、攻めてきてわずか一日で三万もの兵力を失い、負傷者は五万とも十万とも見積もられた。

 ひとまずはバラザフの戦術によってシルバ軍は勝てた。

 だが、今のレイス軍はかつてアジャリアに完膚無きまでやられて黙っていたレイス軍ではない。レイス軍は軍議を開いて、ハイルの城邑アルムドゥヌ の防備を無力化するよう方針転換した。

 周りの砦を一つ一つ潰していく。砦の次は濠の水抜きを謀る。少しずつハイルの防御力を剥ぎ取っていこうというわけである。

「レイス軍はハイルの城邑アルムドゥヌ の周辺から落としに掛かる様子」

 折角立てレイス軍の作戦もアサシンによって、バラザフの所にすぐに漏れてきてしまう。

「それでは、さっそく砦を固めさせてもらうか」

 周辺の砦にバラザフの指示を受けた部隊が向かう。その後の援護部隊としてサーミザフに一万の兵を預けて向かわせた。

「ムザフはアッサールアハマルの率いて水路に沿って進み敵の背後に回れ。いきなり敵の背後に出現したように見せかけるのだぞ」

「父上は」

「俺はベイ軍の援軍をここで待ってから、戦機が熟した頃合で一気に打って出るぞ」

 諜報が新たな情報をあげてきた。

「イブン・サリムの部隊五万が援軍としてレイス本軍に合流!」

 この情報を受けてもバラザフは、あらかじめ計算に入ったいたように落ち着いていた。

「奴等の驚く顔がここから見れなくて残念だ。ムザフのアッサールアハマルを見たときの奴等の顔をな」

 バラザフの方ではイブン・サリムが自分の部隊をアッサールアハマルの伝統の赤を継いで戦っている事をわかっていた。だが、アッサールアハマルの兵卒等を編入しても、自分ほどその威力を使いこなせまいと、バラザフはレイス軍の赤い部隊を下に見ていた。

「俺もカウザ を被る時がきたな」

 バラザフは大軍に膨れ上がったレイス軍と対等にやり合うには、シルバ本隊が出陣するしかないと、アジャリアから下賜されたあの孔雀石マラキート象嵌ぞうがん が施されたカウザ を手元に寄せた。

 折角ムザフがアッサールアハマルで上げた士気である。これを活用しない手は無い。バラザフはハウタットバニタミムの行進を再現した。

 旧事を知るメスト・シルバなどの重臣達は脳裏にあるバラザフの勇姿が、目の前でそのまま蘇って感涙すらしていた。

「あれこそ我等のアルハイラト・ジャンビアのお姿だ!」

 自身の出陣を堂々と演出したバラザフは、一万の兵を引き連れて進んだ。火砲ザッラーカ 兵も三千連れてきている。

 バラザフの背中をアサシンのケルシュとフートが護っている。軽快に動き回れるアサシン軍団も一緒だ。そしてこのアサシン軍団でレイス軍の後尾を掻き乱してやるつもりである。

 レイス軍は、バラザフ自身が出撃したのを見て、この戦いで勝負に出てくると感じた。

「野戦なら数でまさるこちらが有利。戦力差を思い知らせるこの上ない機会だ」

 レイス軍の兵力は十二万。これを半分に割って片方を周辺砦の攻略に、片方でバラザフのシルバ本軍を押し潰すと、レイス軍の首脳陣は方針を決めた。

 ところが、レイス軍の士気は上がらない。緒戦で手痛い目にあわされた事から、またシルバ軍が何か仕掛けてくるのではないかという警戒心が戦意の高揚を鈍らせていた。経験から学習出来る者なら当然の反応であった。

 それでも行けと命じられれば将兵は行くしかない。小規模な戦闘が発生したが、その間にも、

 ――レイス軍が後方から挟撃を受けている。

 ――シルバの火砲ザッラーカ で味方が次々とやられた。

 ――今夜あたり夜襲があるぞ。

 などと流言飛語が飛び交うので、レイス軍は夜間ですらろくな眠りも得られず、病む者が続出した。もちろん、シルバのアサシンが偽情報を噂で流したのである。

 現状を重く見たイブン・サリムが味方を鼓舞するも、その声は一兵卒にまでは及ばない。上手く攻められないレイス軍の鈍い出方によって戦況の進展は滞りつつあった。

「これは長引きそうだ」

 バラザフは長期戦を覚悟してカウザ を深く被った。

 ところが、それから時を置かずして、レイス軍は急に退却していった。エルサレム、ベイルート、クウェート、バグダードに潜伏させておいたアサシンが一斉に同じ情報を持ってきた事によって、事の原因がわかった。

「アミル・アブダーラがレイス家の重臣、サーズマカ・ゴウデを一族ごと引き抜いたそうです」

 バラザフの眼前にファリドの血の気の失せた顔が浮かんで消えた。

 しばらくして、今度はハウタットバニタミムにメフメト軍が攻めてきた。

「レイスもメフメトも連携の定石すら出来んとは。逆に張り合いがないな」

「レイス軍は自分達だけでここを取って、旨味を一人で得ようと考えたのでしょう」

「それでレイス軍が失敗したから、それを利用してメフメト軍が旨味にありつこうというわけですな」

 バラザフ、サーミザフ、ムザフの親子三人は額を寄せ合って眉をひそめて、敵を哀れむとも、侮蔑するともつかない顔で表情を浮かべていた。

 一応、メフメト軍は先のレイス軍の戦い方から学んだようである。三十八万という大軍を一気に指揮して押し寄せてきた。

「今のメフメト軍に我等が恐れる者は居ないな」

 バラザフはハウタットバニタミムの攻め手はどいつも役不足だと判じ、

「ここには二万くらい兵を置いておけば大丈夫だ」

 と戦況を読んだが、手抜かり無きようベイ軍にも援軍を要請した。ザラン・ベイはこれに応じて五万の将兵を援軍として送った。

 メフメト軍はハウタットバニタミムに手出しできたのは一度、二度きりで、後は火砲ザッラーカ で焼き払われて、数百名の死傷者を出してこの戦いを終局とした。やはりメフメト軍もレイス軍と同じく、一切戦功をあげる事無く、結局、手ぶらで総退却するしかなかった。

 ――ナジャフの戦いで当代の覇者アミル・アブダーラを破ったレイス軍も凄かったが、そのレイス軍を小勢で追い払った者がいるそうだ。

 ――レイス軍の相手をして、さらに四十万のメフメト軍を一歩も寄せ付けなかったというぞ。

 ――どこにそんな英雄がいたんだ。

 ――アルカルジの君主バラザフ・シルバだそうだ。

 ――あのアジャリア・アジャールの側近でアルハイラト・ジャンビアと尊称する者も少なくないとか。 

 バラザフの勇名はカラビヤート全域に轟いた。シルバ軍は戦乱の英雄としてこの後永く口碑に残る。


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2022年2月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_5

  アジャール軍の天幕ハイマ は今熱気を帯びている。毎日のように激論が行き交っていた。

 親族派閥のサイード・テミヤト、ナジャルサミキ・アシュールらが総攻めを強く促し、これにカトゥマルの従兄弟であるファヌアルクトも賛同した。

「テミヤト殿には前の戦い、つまりサフワーン攻略の実績がある。さらには敵将ムアッリムの寝返りの受け皿になり、すでに功績を立てたと言える。敵陣のムアッリムの持ち場の所から攻め込めば、敵は倍なりといえども抵抗する暇も無いはず」

 これがファヌアルクトがテミヤトの総攻撃論を推す理由である。

 古豪派閥のシャアバーン、ハリティ、オワイランらの重臣たちは総攻撃には乗り気では無い。というよりやはりここでも慎重であった。

「ムアッリムの寝返りはまだ確定ではない。これがアジャリア様であったなら、事実が固まってから戦いに出るはずだ。未だ戦機熟せず。その上敵の陣容も掴めずというのだから、軽挙は命取りになるぞ」

「貴公らは私が敵に騙されていると、そう申すのか!」

 テミヤトが立ち上がって怒声を発した。いつもは後詰で後進の将軍たちの危うきを見張っているテミヤトが、自分が主立って進める仕事に埋没して慎重さを失っていた。この一言で全てが斥けられ議論は締められた。

「インシャラー!」

 カトゥマルは仕方なくこれで、儀式の香壇の前で出陣の誓いをすることになり、諸将もこれにならった。

 総攻撃の日――。

 長雨がようやく上がり、朝から日が出ている。本来の夏の猛暑が戻ってきていて、まだそれほど高く昇っていない太陽が地上の砂を熱した。

 カトゥマルの本体は五万。本陣を奥に置いて構えた。

 先陣はワリィ・シャアバーンである。総攻めに反対してテミヤトと溝を深めていた。

 シャアバーンが行く先の風を切る。昇る太陽を背負うような形である。シャアバーンの部隊の前に敵の防塁の間からボクオンが歩兵隊が三千ほど率いて前に出てきた。

「おそらく陽動だ。過度に踏み込むなよ」

 この時、左側から攻めていたテミヤトの部隊がムアッリム隊に計画済みの戦いを仕掛けた。テミヤト隊の戦いの太鼓タブル が雨上がりの周囲によく響いた。

 テミヤト隊の太鼓タブル はシャアバーン隊の兵の耳にもよく届いた。シャアバーンの指示が部隊に下達し終わる前に、兵が太鼓タブル を攻撃指示として解釈し、先頭の騎馬兵等がレイス軍の歩兵を蹂躙した。

 勢いのついた騎馬兵は、その流れでレイス軍の防塁を苛烈にも抜けきろうとした。レイス軍の防塁まであと一歩の所まで迫ったとき――。

 先頭の一団が炎に包まれたかと思うと、一瞬で黒こげになって人馬共に地にどっと倒れ伏した。レイス軍による火砲ザッラーカ の一斉射撃であった。

 出だしから悪い流れになった。だが、シャアバーンは古豪と言われるだけあり、劣勢に動じず兵を鼓舞した。

「これしきで狼狽うろた えるな! 歩兵の騎乗を許可する。乗り手のいない馬があればそれに乗って、防塁を越えよ!」

 その言葉を後に置くように、シャアバーンの高く跳び上がり、率先して斬り込んだ。陥穽を越え、土塁を越えたとき、目に映るものにシャアバーンは愕然となった。

 今、越えてきた土塁、陥穽と同じものが行く手を阻んでいる。さらにその奥にもまた同様の防衛線が設けられているのが見えた。

「このままではまずい。本隊の突撃を止めなければ」

 だが、本隊に危機を報せようにも、この狭い足場から助走もせずに、今渡ってきた元の場所に戻るの不可能に近い。

 進退窮まっている間に、第二の防衛線の奥から火砲ザッラーカ の炎が噴きつけられてくる。シャアバーンの周りでは部下達が次々に炎に焼かれゆく。

 ――ここまでか。

 潔く覚悟決めた時、紅蓮の炎がシャアバーンを包んだ――。

 この壮絶なシャアバーンの最期を、アジャール軍は誰も知らない。後続の騎馬兵をどんどん送り出していた。

 カトゥマルの本陣でも混乱は起きていた。足場がぬかるんでいる。昨日までの雨で砂が水を目いっぱい吸い込んでいて、足で踏むと水が滲みだし、一歩一歩が崩れる。このせいで偵察が出せず本陣では戦況を把握出来ない状況が続いている。

 本陣に参謀として仕えているバラザフが何かしら采配を具申しようにも、材料となる情報が無くては捌き様が無かった。

 ――自分の目で実際を見る他無い。

 前に出て戦場を見渡し、バラザフは左側の異変に気がついた。異変というよりは進展が無い。ムアッリム隊が守備している箇所を皮切りに、そこからフサイン軍の内部へ斬り込むべきであったテミヤト隊が、ムアッリム隊の前で居竦いすく んでいた。

「フート、テミヤト隊の様子がおかしい。すぐに把握してくるんだ」

 バラザフは、カウザ を深く被って臨戦態勢に入った。

「テミヤト隊は、ムアッリム隊の守備に歯が立たず、間を空けて様子を見ているようです」

「畜生、何が功績だ! まるで駄目ではないか!」

 ムアッリムの寝返りという虚報を掴まされ、ハイレディンに謀られたのである。バラザフがこれを報告しようとすると、カトゥマルも今それに気付いたという。

「退きましょう、カトゥマル様。即時撤退して持ち直しを図るべきです!」

 バラザフの具申をカトゥマルは即決で容れて、退却を全軍に下達した。ところが切り結んでいる状態から戦線を離脱しようにも、足場の悪さがそれを困難にさせていた。ばしゃばしゃと飛沫をあげる音、怒号、悲鳴――。あらゆる音が退却指示の伝達を妨げた。

 この戦況の中、動きの悪いテミヤト隊に業を煮やしてマァニア・ムアッリムの防衛線に、バラザフの兄、アキザフ・シルバ、メルキザフ・シルバの部隊が突撃した。

 二人の部隊は一つ目のカンダク を越え、そこに構えていた火砲ザッラーカ 兵を片端から切り伏せて、次の壕に迫った。

 退き時の戦況を遠目に探るバラザフの目に、兄達の部隊が奥へ消えてゆく姿が映った。

 ――長兄、次兄、必ず生きて戻ってください。

 武人としては決して範とはいえない思いだが、それが家族に対するバラザフに偽らざる心だった。

 フサイン軍の陣に果敢に突撃をかけているのはバラザフの兄達ばかりではない。ある将は正面突破しようと何度も攻撃を繰り返して進退しているが、その数を減らしていき、部隊を痩せ細らせていた。

 アジャール軍の多くが苦戦する中、戦巧者のナワフ・オワイランは二つ目のカンダク と土塁を突破し、三つ目も越えそうな勢いを見せたが、敵兵の防御の堅さと反攻の強さに難渋していた。

 固唾を呑んで戦況を見つめるバラザフの耳に信じ難い報告が入った。

「ハイブリ様、戦死!」

 近侍ハーディル として共に年少からアジャリアに仕え、第一の親友であったナウワーフである。

 ――あのナウワーフが、ここで死んだというのか!

 自分と共に必死に走ったきた仲間が命を落とした事がバラザフには信じられなかった。

 だが、神はバラザフの悲しみをそこまででとど めておいてはくれなかった。一番恐れていた報がもたらされた。

「アキザフ・シルバ様、メルキザフ・シルバ様、戦死!」

 その瞬間、バラザフは自分の目の前に冥界の門が開かれたかのように感じた。光が見えなくなった。時がバラザフだけを置いて流れていた。

 この間にもアジャール軍の本陣には、名のある将軍達の戦死の報が続々と流れてくる。皆、古豪の武人の名ばかりである。戦力としてはおそらく五分である。だが、アジャール軍はどこの戦線でも圧倒的に不利な戦いを強いられている。

「カトゥマル様、退却です! 今付いて来れる者だけでも生き延びさせるのです!」

 バラザフはようやく息を吹き返して軍師の目に戻った。カトゥマルは前線で戦っている将兵を見捨てるに忍びず、退却を迷っていた。そこへ、

「カトゥマル様だけでも何卒退却を。全滅だけは回避せねばなりません。ハリティ、オワイランの二人が敵の追撃を食い止めます!」

 オワイラン、ハリティの部隊の遣いが、飛び込んでくるなり、涙ながらに叫んだ。

 名将が数多命を散らすこうした激戦の中で、テミヤト隊はとうに後方に退避していた。カトゥマルに報告もしていないという始末である。

 バラザフは、下士官にカトゥマルを連れて行かせて、オワイラン、ハリティの部隊の遣いに、

「カトゥマル様には退避していただく。両将軍の武運を祈る。カトゥマル様はこのバラザフ・シルバが責任をもってハラドへ生還させる故、ブライダーで落ち合うようにと、伝えてくれ!」

 と答えて、本人達のつもりでその手を固く握った。

 ムサンナの死闘の一日がもうすぐ終わろうとしている。

「防塁に囲まれて我等の本領が発揮できなかった」

「悔しくて死ぬに死ねん」

 ハリティとオワイランは、アジャール軍の力を出し切れなかった悔しさを自分達に向けていた。

「だが、追撃してくるとなれば、この防塁から敵は出て来ざるを得まい」

「後はあのシルバの若造に任せてもうひと暴れしようぞ」

 ハリティもオワイランも、そして散っていったシャアバーンも、アジャリア・アジャールから戦いの息吹を吹き込まれている。

「まともにやり合えば我等は無敵ぞ」

 というのは決して自惚れではないのである。

 レイス、フサインの本陣にカトゥマル退却の報が寄せられると、追撃の軍が繰り出された。

 ハリティ、オワイランは生存している将兵を再編した。まだ一万五千、戦える数である。

「我等アジャールが冥府の門を開いてくれる! フサイン、レイス軍を道連れに、冥府でアジャリア様に再びお仕えしようぞ!」


 ――インシャラー!!


 ハリティ隊、オワイラン隊の吶喊とっかん が大きく響いた。

 フサシン軍、レイス軍の追撃の兵力は五万。 

「兵士諸君、最後の教練だ。寡兵での戦い方というものを教える」

 ハリティ隊が最後尾、つまり敵の真正面に出た。

 追撃部隊の先頭の兵力を少し削り、すこし切り結んですぐに後ろに下がるという戦術である。

 ハリティ隊が下がると、すぐにオワイラン隊が出て敵の戦力を齧り取ってゆく。

 だが、ハリティ隊、オワイラン隊も無傷のままではいられない。一人また一人と敵の刃に倒れ、最後には全てが大軍の波に飲み込まれていった。


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2022年1月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_4

  カーラム暦996年、バスラの城邑アルムドゥヌ が陥落した。暑さ隆盛の猛夏の季節であった。

 ――今はアジャール軍に勢いがある。

 それを見てとったファリドとハイレディンは、下手に手出しをすれば傷口が拡がると感じて、結局、バスラの城邑アルムドゥヌ が落ちるのを見ているしかなかった。

 ファリドとハイレディンが感じたように、今のカトゥマルに怖いものなど無かった。立ち塞がる敵は全て新生九頭海蛇アダル の巨体の踏み潰されていった。頭もようやく九頭海蛇アダルてい を成し始めているようである。

 巨体に勢いがある事自体、それは驚異的な力である。ハイレディンもファリドも、今はカトゥマルとの戦闘を回避するのが上策と見ていたが、カトゥマルの方からナーシリーヤ、バスラ方面に仕掛けて行くのを止めなかった。

 また、アジャール軍はファリドを野外戦に誘い出すように、何度か仕掛けてみたが、ファリドはナーシリーヤの門を堅く閉ざして一向に出てくる気配もなかった。

「ウルクで叩きのめされたのが心底辛かったのだろうな」

 と、アジャール軍の誰もが、引きこもっているファリドの心情を、卓上の物を見るようにはっきりと感じていた。

 カトゥマルが各地でその武勇を称えられても、ハイレディンは支援すらままならずここまできてしまっている。

 カーラム暦997年春、アジャール軍が十五万の手勢でハラドを進発した。リヤドを経由して北上、向かう先はムサンナである。

 ムサンナはサマーワを含む広域の名で、サマーワやナーシリーヤから見れば南に広がる地帯である。この大部分は砂漠で占められているが、 涸れ谷ワジ も多数流れる。

 北部のユーフラテス川の近くで棗椰子タマル米類アルズ雑穀ミレット などの栽培が行われている。集落はあるが、広域であるため城壁のある城邑アルムドゥヌ は形成していない。

 カトゥマルは全軍を三つに分隊した。生前アジャリアがよく行っていた編成のやり方である。

 五万の兵をカトゥマル麾下に置いてムサンナ方面に向かった。

シャアバーンが率いる別働隊を西から、もう片方のアブドゥルマレク・ハリティが率いる別働隊を東から行かせた。

 このやり方はファリドを恐れさせた。散々痛い目にあわされてきたアジャリアの戦術をカトゥマルが継承しているのが、一目でわかったからである。

「すぐにハイレディン殿に遣いをやれ。アジャリアが再来した、とな」

 ファリドの心はすでに病み始めていた。今までのレイス軍とアジャール軍の戦いの経緯からすれば、今度こそナーシリーヤが滅ぼされるほどの猛攻を受けるのは必至であり、カトゥマルの実力がアジャリアに劣らぬと判明した以上、勝ち目がほとんど無くなったと考える他ない。

 カトゥマルはムサンナに臨時に築かれたレイス軍の砦を包囲して、数回、火砲ザッラーカ で攻撃した。五千台の火砲ザッラーカ を配備している。だが、カトゥマルもそうだが、アジャール軍は火砲ザッラーカ の運用に大して重きを置いてはいないのである。

「使用するのは至極簡単ではあるが、弓矢のように連射する事が不可能だ。火薬や燃料のための費用も馬鹿にならない。狙撃出来るような必中の武器というわけでもないから、大量に用意しないとこの威力も用を成さんな」

 こう漏らしながらも、カトゥマルは火砲ザッラーカ での準備射撃をやり切ってから、戦いの太鼓タブル を鳴らして陣形を整えた。そして、カトゥマルはムサンナはひとまず放置して北上しハマー湖を過ぎて、バサの城邑アルムドゥヌ を包囲した。季節は春と夏を行き来している。

 ――カトゥマル様は、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を包囲して攻めるようだ。

 ――ファリドがナーシリーヤから出てくるように仕向けるおつもりらしい。

 ――今後もアジャリア様の戦術の路線でやっていくということだな。

 アジャール軍の中で将兵等がはカトゥマルの戦い方をこのように見ている。皆、カトゥマルの戦い方に独自性を期待すると同時に、これまでのやり方が変わらない事へ安堵もしていた。

 だが、それは見方を変えれば、カトゥマルがアジャリアの轍を踏み外さず模倣するのに、十分な実力を持っている事に他ならないのである。

 カトゥマルは、ファリドが頑なに篭城を続ける姿勢を見て、略奪こそしなかったものの、周辺の集落の作物を全て刈り取らせて、ファリドを挑発した。

「我等はファリドのおかげで腹を満たさせてもらったが、それでも奴は怒らないのか」

 様々な手を使ってでも、なんとかファリドを引っ張り出したいアジャール軍だが、結局、ナーシリーヤの城邑アルムドゥヌ の門は堅く閉ざされたままである。

 このような曲折した交渉が何度か繰り返された後、カトゥマルは再び主戦場をムサンナへと移した。場所はナーシリーヤから南西のハマー湖のさらに南である。レイス軍に属する小領主達がここを守備している。

 夏場に珍しく雨が降り始めた。長く続きそうな雨である。

 カトゥマルはムサンナの攻略に全力を注いだ。このような城壁も無い集落は、自分にとっては無防備も同じで、すぐに勝利出来る算段である。

 これと同時に、ハイレディンの方ではナーシリーヤへの派兵を決めていた。新編していた火砲ザッラーカ 兵の部隊の動きがようやく様になってきた事が、派兵に踏み切る一つの安心材料になったからである。そして、安心材料をもう一つ、秘策として抱えていた。

 ――ハイレディン、ナーシリーヤへ出兵。

 カトゥマルの麾下でムサンナの攻略の任にあるバラザフのもとへ、フートの配下が報せてきた。

 バラザフは、この仕事の間もシルバアサシン団の力を十二分に発揮出来る場を探していたが、その舞台を用意出来ぬまま今日まできてしまっている。

 雨は何故か未だに降り続いている。雨足が弱まる事はあっても、雲が切れて間から日が差してくる事は殆ど無い。

 ――レイス軍は歩兵に一万の火砲ザッラーカ を配備している模様。

 フートの配下からさらに情報が上がってくる。だが、バラザフはこの長雨と湿気では火砲ザッラーカ は、ただ金を捨てるようなものだと、これを危険視してはいなかった。

 アジャールがムサンナが制圧出来ないままでいるところに、レイス、フサインの連合軍が合流をはたした、という情報が入った。レイス軍はこの部隊にも火砲ザッラーカ を五千配備している。

「敵の兵力はどれくらいだ」

「ハイレディン自身が率いるフサイン軍が三十万、ファリドが率いるレイス軍が八万、計三十八万の兵力とのこと」

「我等の倍を超えているな。ハイレディンもファリドもこの戦いで雌雄を決するつもりのようだ」

 気を引き締めて、バラザフはカウザ を深く被った。だが、そこに驚きは無い。

 ほんの少し前のウルクでの戦いで圧勝した事を皆が憶えている。

 ――レイス兵ならば三人相手でも勝てる。

 という自信がアジャール軍の中で一般的になっている。

 アジャール軍の威風を知りながら、ハイレディンがムサンナへやってきた。ハイレディンはハマー湖の西側を少し過ぎたあたりで足を止めた。

 奇妙にも雨はまだ降り続いている。アジャール軍の方では、

 ――長雨のせいでハイレディンは我が方の動向を見つめている他無いのだ。

 という読みが大勢 たいせい である。

 思惑も先の見方も多数あった。そんな中でフートがアジャール軍の本陣に向かうフサイン軍の数名のアサシン集団を捕らえた。

「フサイン軍のマァニア・ムアッリム様に雇われた。我等は使者として参った故、サイード・テミヤト様に会わせてもらいたい」

 フサインのアサシンは書状を出した。テミヤトに宛てたものだという。フートはこの数名をテミヤトの所へは連れていかず、ひとまずバラザフの所へ連行した。

「何故、敵のムアッリムからテミヤト殿に使者が来るのだ。フート、テミヤト殿に知らせてきてくれ」

 呼ばれたテミヤトは、

「相異無い。フサイン軍の武将と何人か連絡をとってこちらに同心する手筈になっている。それらの代表がムアッリムというわけである。使者も今回が初めてというわけではない」

「何故、そのような大事な事を今まで隠していたのです」

「成功する前に知られて失敗して自分の顔に泥を塗りたくないのでな」

 と、テミヤトが顔色を変えない。

「さてと。隠し通せなくなった以上、カトゥマル様に知らせてこなくてはな」

 バラザフがさらに追求を深めてくる前にテミヤトは素早く席を立った。テミヤトの密使の件がカトゥマルの耳に入ってしまえば、バラザフとしては、これ以上の糾弾の材料が見つからない。

「これは危ない兆しだぞ」

 バラザフはテミヤトの暗躍をそう見た。ムアッリムがこちらに同心してくるとして、その真偽はどうなのか。そして、アジャール家の親族派閥に属するとはいえ、そういった単独の外交交渉をする権限がテミヤトにあるのか、という問題がある。

「こうした独断が認められれば、アジャール家の武将はアジャリア様以前、つまりナムルサシャジャリ様の代に逆戻りだ。アジャール家がまた分裂するという事なのですぞ。テミヤト殿ならお分かりのはずだ」

 バラザフは、カトゥマルの所から出てきたテミヤトを早速捕まえて糾弾した。

「それでこの私にどうしろというのかね」

 テミヤトは詰め寄られても態度は崩さず、うっすらと笑みすら浮かべている。

「く……! もうよろしい。カトゥマル様の存念をお聞きしてくる」

 テミヤトと話していても埒が明かないと即断したバラザフは、脇を抜けてカトゥマルの本陣の天幕ハイマ に駆け込んでいった。いつものバラザフならば、このような目上の将に対して礼を失する態度は慎むものだが、そんな事に構っていられないほどの言い得ぬ危機感に突き動かされていた。

「テミヤト殿の専行は本来ならば看過出来ぬが、寝返り工作が成功すればそれを帳消しにする以上の功績となる。自分が気に入らない策でも全軍のためと思えば、それを採るのが大将としての私のつとめではなかろうか」

 敵の寝返りを含めたテミヤトがカトゥマルに具申した策というのは、ムアッリムがこちらに同心したのを合図に、フサイン、レイス軍に対して総攻撃をかけるというものである。

 ムアッリムの使者が持ってきた書状には、フサイン軍はアジャール軍を罠にはめるため、工兵に陥穽のための穴を掘るのを急がせているので、今ならば、アジャール軍の騎兵部隊を全力投入すれば難なく突破出来る、とあった。

 都合が良すりる話を聞かされて、バラザフの危機感は逆につのるばかりである。

「カトゥマル様、この策に乗るのはあまりに危険です」

 バラザフは、カトゥマルの決定が変わるよう何度か食い下がったが、戦意に充ちた今のカトゥマルには、全てが自分にとって益するものにしか見えなくなっていた。

「フート、手遅れになる前に敵の陣容、特に本陣を調べてきてくれ」

 この言葉も、もはや無意識にバラザフの口から出ていた。

 しかし、フサイン軍に本陣に遣ったフートの配下は、何の情報も得られずやむなく戻ってきた。

「警戒が異常なほど厳重でした。配置されているアサシンの数、間者ジャースース の数、今までと比較になりません。近くまで行く事はかないませんでしたが、遠目には穴を掘る工兵が動いているようには見えましたが、雨のせいで視界が利かずはっきりと確証は取れませんでした」

 このとき確かにハイレディンは、工兵に穴を掘らせていた。だが、それを三重に築いていたのはアジャール軍からは確認出来なかった。掘った砂を麻袋に入れて積み上げ、平地に土塁も築いている。

「こうする事で平地に城を作ったのと同じ防衛効果が利くはずだ」

 というのがハイレディンの一つの意図である。当然、ムアッリムの寝返りの話もハイレディンが画策したものだった。

「カトゥマルの奴がこれに乗ってくれば、俺達の勝ちだ」

 三重に用意した陥穽、その最前列の穴と土塁の後ろに火砲ザッラーカ 兵を一万五千人並ばせている。フサイン軍の一万、そしてレイス軍の五千である。

 ハイレディンはこの戦いに自分の命運を賭けて挑んでいる。ムアッリムの裏切りという虚報で、アジャール軍を遠くから糸を引くように操っている。

 雨はまだ続いている。火砲ザッラーカ を今回の主軸に置いているフサイン軍にとって、この雨は凶事であるように思える。が、情報の隠蔽という意味では、先にフートの配下がフサイン軍の陣容を見極める事が出来なかったように、巧く情報を隠す役割を果たしてくれていた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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2021年6月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_3

  ウルク――。サマーワの東のワルカ遺跡は、かつてそう呼ばれたユーフラテス川沿いに成立した都市国家であった。神話の時代ともいえる旧年より幾度の興亡を繰り返したウルクは、最後の衰退と共に都市が放棄され、今は城郭が残るのみである。

 アジャール軍を追ってここまでやってきたファリドは、アジャールの軍隊が視界に見当たらないので、サマーワに帰還したものだと判断した。

 そしてサマーワの包囲戦に入るためウルクに野営を張って、火砲ザッラーカ の手入れを急がせた。今まで煮え湯を飲まされてきたアジャール軍に一泡吹かせてやる機会巡り来たとあって、ファリドを始めレイス軍の将兵はこの包囲戦に乗り気であったが、フサインの援軍の士気はいまいち上がらない。

「サマーワから迎撃隊が出てこないのだ。アジャリアめ、俺が怖気づいて追ってこれないと思っていやがるな」

 兵士たちに昼食を与え、武具の手入れも入念に行わせ、満を持して、

「強者とて慢心すればこうなるのだ!」

 ファリドが自ら鬨の声を上げ、包囲を号令した瞬間――、レイス軍は九頭海蛇アダル の腹に飲み込まれた。


「何だ。何が起こっているんだ!?」

 これからサマーワの城邑アルムドゥヌ を包囲してやろうと息巻いていた矢先、レイス軍はアジャール軍にぐるりと取り囲まれた。軍の外縁から兵が討ち取られる悲鳴が数多聞こえてくる。あんぐりと口を開けて周りに忙しなく頭を回すファリド。だが、その頭は、虚ろに開かれた口から指示を出させる程には機能していない――。

 状況が飲み込めぬまま死にゆくレイス軍に反して、アジャール軍の方では、バラザフが気にしているのは戦況よりもアジャリアの体調の事ばかりである。

「冷え込んできた。雨が降ってきそうだな」

 この出征中に体調を崩してから、一度もハラドに帰還していないのである。 

「体調はいかがですか、アジャリア様」

「わしはこのとおり元気だぞ」

「一度ハラドに戻られて休まれるべきかと」

「うむ、ひと段落ついたらな。今はあのファリドの小僧を相手するのが楽しい」

 この会話の間に、アシュール隊からの偵察からバラザフに情報が上げられた。今はバラザフはアジャリアの執事サーキン に等しい存在である。

「アシュール隊からファリド軍の陣容を報告してきました」

稲妻バラク であったと?」

「はい。アジャリア様の稲妻バラク を真似てサマーワを包囲するつもりであったようです」

 次にはフートも報告に入ってきた。

「我が軍がファリド軍を包囲して、稲妻バラク が崩れたというのだな?」

「そのとおりです」

「偽装退却の際にアシュール隊を最後尾にしていたのだ。ファリド軍は最初からアシュールの強兵に叩かれる事になろう」

 聞く前から報告される内容が全て分かっているかのようなアジャリアである。

 アジャール軍は陣容の先を尖らせるように変形させ、並列錐ミスカブ の形をとって、アシュールの強兵が敵陣を穿つ格好となった。その左右には統率力の強いハリティ隊、シャアバーン隊がきて、さらにその後ろに武勇で鳴るカトゥマル隊、オワイラン隊が続いている。

 レイス軍はサマーワを包囲してアジャール軍を干上がらせるつもりであったが、気づけば自分たちが囲まれていた。此度こそ勝ち戦だと思っていたのに、いつもどおり包囲されて風前の灯になっていた。

 レイス軍の騎兵ファーリス は、なんとか血路を開こうと決死の突撃をかけるが、先陣のアシュール隊に易々と討ち取られていった。

 アジャリアの手から指揮鞭代わりの革盾アダーガ が振り下ろされた。戦いの太鼓タブル が響いた。

 ――そのまま押せ。

 という事を全軍に伝達しているのであるが、その響きにはアジャリア軍の余裕が感じられる。

 アシュール隊の投擲部隊二千名が前に出てタスラムを投げつけた。これに当たったレイス軍の騎馬兵が数百名落馬した。

 投擲部隊はタスラムを投げ終わると後ろへ引き、次に火砲ザッラーカ 隊が前に出て炎を敵に浴びせた。

 レイス軍にも火砲ザッラーカ は配備されてはいた。だが、これから包囲する局面を想定していただけに、レイス軍の火砲ザッラーカ は後ろに控えていて、そのまま自分たちが包囲され密集状態によって火砲ザッラーカ は封滅されてしまっていた。

 完全に弱り目のレイス軍に対してアジャール軍は容赦せず、弓隊から矢の雨が注がれた。レイス軍の円の中心に矢が刺さってゆく。

 太鼓タブル の拍が短くなった。ついに、

 ――総攻撃。

 である。

 空も大地も紅く染まっている。

 この状況では総攻撃の太鼓タブル も、アジャール軍にとっては宵祭りの始まりを合図しているようなものである。

 今アシュール隊と正面で剣を交えているのは、レイス軍サーズマカ・ゴウデの部隊である。ゴウデの部隊は一万二千。押しつぶされそうな所まで押し込まれたものの、ここに至って奮起し、アシュールの部隊を押し返し始めた。

「いいぞゴウデ。もっと押し込め!」

 ゴウデ隊の勢いを見てファリドは、調子付いて命令した。

 だが、このゴウデ隊の勢いすらもアジャリアに仕組まれたものだった。

 ゴウデ隊が徐々に押して優勢になるように見せたのは、アジャリアの計画であり、ゴウデ隊を本体から隔絶させる狙いがあるのだが、レイス軍は全くわかっていなかった。

 アシュール隊が徐々に後ろに引いて退却すると、そこにシャアバーン隊四万五千が出てきて突出したゴウデ隊を包囲した。

 シャアバーン隊の特徴は駱駝騎兵である。砂地で機動に優れる

駱駝騎兵は狙った獲物は逃がさない。ゴウデ隊は一人、また一人と確実に数が削れてゆく。

 このゴウデ隊の死地にイクティフーズ・カイフが救援に駆けつけてきて、シャアバーン隊の横腹を突く形となった。

 受け持ちが一隊増えて、苦戦になりそうなシャアバーン隊だったが、アジャール軍からはハリティ隊が出てきて、シャアバーン隊の後方から追突撃を仕掛けた。

 最初に包囲を意図して敷いたレイス軍の稲妻バラク も、死の雲の中で虚しく霧散しようとしている。

 この乱戦にレイス軍から後詰の二隊が参戦して、乱戦の度合いはさらに深まっていった。

「アジャリア様、このバラザフも前線へ出させてください!」

 武人たちの熱き戦いを遠目に、むらむらとし始めたバラザフはアジャリアに自身の出陣許可を願い出た。

「まったく。初陣の若造でもないというのに。だが、お前のたぎ る血をこのまま抑え付けておくのも酷というものか。よかろう。その諸刃短剣ジャンビア の刃を敵の血で染めて参れ!」

  アジャリアはバラザフの戦意を飼い殺しにはしなかった。バラザフは素早く馬上に上がり、配下に号令した。

「見てのとおり夜戦となる。友軍相撃に厳に注意し手柄になりそうな敵を狙っていけ。命を無駄にするなよ!」

 馬で駆けて進むと、カトゥマルやナワフも前線に参戦する所であった。

「バラザフも来たか!」

「いかにカトゥマル様といえども戦場での獲物は譲れません」

「その壮語、後で後悔するなよ。アジャリアの剣の切れ味を後ろで眺めているがよい!」

「なら実力差を埋めるのが公平だ。先に行かせてもらいますよ!」

「あ、こら! 待たんか!」

 馴れ合いながら共に馬を進めて、カトゥマルとバラザフはレイス軍のボクオン隊に遭遇した。敵の側面である。

 まずバラザフが諸刃短剣ジャンビア で斬り込んだ。バラザフに斬られた騎馬兵が馬から落ちると、配下の兵がこれにとどめを刺す。さらにもう一人上等な武具の者を見つけてこれに切り込み、馬から下りて一対一で戦い、二、三度刃を交え、バラザフの諸刃短剣ジャンビア が相手の頚を一閃した。

「先に取られたか!」

 バラザフが先に手柄を立てたのを見てカトゥマルは悔しさを隠さなかった。二人とも純粋のこの競争を楽しんでいた。

 バラザフが次に探すのは、さらに立派なあの二本の角が飾られたカウザ である。イクティフーズ・カイフとまた勝負したいとずっと思っていた。だが、あの二本角のカウザ は視界には見つからない。この間にもバラザフの眼前ではレイス軍の騎馬兵が次々とアジャール軍の刃にかけられて戦死してゆくが、好敵手を求めて視線をはし らせる彼の眼には全く映っていない。

 と、イクティフーズ・カイフを捜しているその眼にレイス軍の本陣が見えた。

「カトゥマル様、レイス軍の本陣が見えました。ファリドの首を頂く好機! 一応お教えしましたので先に行かせてもらいますよ。では!」

 バラザフはファリドの本陣目掛けて疾駆した。今度はカトゥマルも待てとは言わなかった。敵軍の大将は目前である。味方同士の手柄争いで戦機を崩しては何の得にもならない。だが、

 ――あえて譲る必要もない。

 バラザフを追う形になってカトゥマルも駆ける。この二人が率いる数万も主達に付いてファリド本体に突撃した。

 こうした前線の熱気は後方で指揮するアジャリアには感得出来ない。不動、諜報よりの報告を受けて、自軍が疑いなき優勢にある事のみを知る。それだけでよい。

「バラザフは楽しんでおるか」

「は。カトゥマル様と一緒に駆けておられます」

「戦場は馬の遠出ではないぞ、まったく」

 責任ある将という身分なれば蛮勇は本来忌むべき事である。だがアジャリアは内心この二人の武人としての能力を愛していたし、次期当主となるカトゥマルと、その片腕になるバラザフの親交が良好である事も嬉しく思っていた。

 バラザフは駆けてファリドの本体に迫る。ファリドの近侍ハーディル が主君を護らんと、槍で突きを入れてくる。今、バラザフの獲物はファリド一人で、他は避けてファリドとの距離を近づけていった。

 ファリドを護衛していた近侍ハーディル 達の屍が徐々に増えてゆく。

 ――ここで戦死してやる!

 頭の熱くなったファリドは、馬に飛び乗って乱戦の中へ単騎駆けしようとした所を、一人の家臣が身体を張って制止した。

「我が命ファリド様のために散らせて見せます。ですから、ファリド様はナーシリーヤまで生き延びてください!」

 そう言うとその武侠ともいうべき家臣はファリドの馬をナーシリーヤへ向けて疾駆させた。

 このファリドの戦線離脱がバラザフに見えていた。

「ファリドが逃亡した! 皆、追って討ち取れ!」

 そう味方に檄を飛ばして、自身が先頭を切ってファリドを追撃しようとしたバラザフだが、レイス軍の槍兵が横一列に並んでゆく手を阻んでいる。

 だが、踏みとどまるべきこの状況で、バラザフは槍兵の列に突っ込んだ。まさに蛮勇というべき力で手近な敵兵の槍をへし折り、突破口の開けた瞬間、後ろから味方の部隊がレイス軍の槍兵の列を押し潰していった。

「戦場では戦機こそ大事。流れがこちらにあれば、そして慢心しなければ、流れには裏切られないものだ」

 近侍ハーディル として仕えていた頃よりアジャリアの傍で戦場で培ってきた経験である。


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2020年12月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_7

  スーク・アッシュユーフを占領したアジャリアは、そこから西へ向い、レイス軍が支配している拠点を次々と制圧しながら進軍していった。

 ――アジャール軍、ナーシリーヤを攻撃。

 との報がハイレディン・フサインに入った。

 アジャール軍の進軍をこのまま放置すれば自領のバグダードにまで及ぶのは明らかで、ハイレディンはこれを食い止めるため、アジャリアと激突する腹をくくって軍を出さねばならなかった。

 ところがアジャール軍はバグダードを次の攻撃目標とはせず、スーク・アッシュユーフから西へ進んでサマーワの城邑アルムドゥヌ を攻撃し始めた。

 サマーワからは南西に道が延びており、一週間程でアジャール軍の拠点であるラフハーに至る。自軍の城邑アルムドゥヌ を連結させ、そしていつものように主目的に対する下準備のようでもある。

 途中、いくつかの城邑アルムドゥヌ を攻略する必要があるものの、サマーワからはバグダードへも一週間で到達出来る距離であった。

 これら支配下に置いた城邑アルムドゥヌ を線で結んでみると、 としてアジャール軍の領土が確実に広がってきている。

「アジャリア様はエルサレム制圧に対して大詰めに突入するつもりなのだ。慎重に動かれてはいるが、サマーワ獲得もエルサレムへ延びていくのだろう」

 バラザフは一連のアジャリアのの領土獲得戦略を見て、このように分析していた。事実、 で延びてゆく戦略の脆弱なる部分を、サラディン・ベイに阻害されているのである。

 サマーワの太守はイスラーハリダ・ハムザという人物で、以前はサバーハ家の禄の者であったが、今はファリド・レイスを主君として仰いでいる。

 アジャール軍はサマーワ攻撃に、アジャリアの信託であるワリィ・シャアバーンを出した。

 サマーワは、ワリィ・シャアバーンの猛攻を防ぎ切る事が出来ず、イスラーハリダが城邑アルムドゥヌ を放棄して退去すると、すぐにアジャール軍の支配下に置かれた。

 アジャリアのレイス軍への攻撃は続いた。

「次はバサへ向う。バサの太守はバルザーン・アズィーズ。ファリド・レイスの側近の一人じゃ。バサが落ちればナーシリーヤのファリドは孤立する。だからバサでは激しい抵抗を覚悟せよ」

 アジャール軍のこれまでの行軍を辿ると、スーク・アッシュユーフから西のサマーワへ進み、そこからまた東へ折り返してナーシリーヤの手前のバサまで戻ってくるという形である。

 この動きに対してレイス軍は、バサから西への途上に陣取りアジャール軍の襲来に備えるという方法を取った。

「バラザフ様、レイス軍の動きに変化が見られました」

 すでにフート率いるシルバ・アサシンが情報収集に動き始めている。

「レイス軍はバサの城邑アルムドゥヌ に篭らず野戦にて待ち伏せするようです」

「こちらの裏をかかれても困るな。数は多いのか」

「大軍が終結している模様」

「短時間で詳細な情報を要する。急いで詳しく調べてくれ」

 バラザフはすぐにこの情報をアジャリアのもとへ持っていった。

「まだ、こちらが気付いているとは気付かれてはおるまいな」

「おそらくは」

「バラザフ、伝令将の復活だ。兵を率いて情報収集に動員せよ。またハリティとシャアバーンを分隊して待ち伏せしているレイス軍を挟撃する。そして――」

 アジャリアは、スーク・アッシュユーフに駐屯している部隊に西側の本隊と呼応して、東から包囲殲滅に加わるように指示した。巧く本体と呼応出来なければ城邑アルムドゥヌ を空けている間に、ナーシリーヤから攻撃を受ける恐れがある。アッシュユーフ側は出動の瞬間を見極めるのが難しい任務を与えられた事になる。

 ――レイス軍五万。軍団長はバルザーン・アズィーズ。

 とバラザフに率いられた偵察部隊は、この先に待ち伏せている軍団の実態を掴んだ。

 アジャリアの本隊は西から、ハリティとシャアバーンの部隊はそれぞれ北と南へ迂回し、機を合せて一斉攻撃を開始した。

 アジャール軍の火砲ザッラーカ 兵が三千の火砲ザッラーカ を一気に放った。先陣に立つレイス軍の騎馬兵の一部隊が丸ごと炎に包まれた。これに続くように弓隊が矢の雨を降らし、アズィーズ軍の正面を穿った。

 上からの矢に当たりばたばたと倒れてゆくアズィーズ軍へ、更に弩が追い打ちをかけた。運よく矢に当たらなかった者すら狙撃して仕留めてしまうのである。

 アジャール軍のこれらの連鎖攻撃で、アズィーズ軍は遭遇して間もないうちに前列の軍がほぼ壊滅した。

 序盤から苦戦を強いられるアズィーズ軍をさらに苦しめたのは、アッシュユーフからの援軍である。これでついに包囲が完成してしまいアズィーズ軍の兵は圧殺され、反撃など出来るものではなかった。アズィーズ軍の兵は我が命が先ず大事と、先を争って退却してゆく。バルザーン自身も一人残って踏み止まろうとしたものの、配下の者の促されるようにして戦場を離脱した。

 冥府の門まで追い詰められた者は自身が死神イラルマウト になり得る。

 戦果を欲張り過ぎて余計な痛手を被らないために、アジャリアは今回も敵の逃げ道を作るを忘れていなかった。

 バサの城邑アルムドゥヌ の西に冥府が発現したかのようであった。アズィーズ軍の二万の兵は今朝まで確かに息をしていた者達なのである。夥しい血が砂に染み入ってゆく。

 戦いの流血は死者ばかりではない。何とか命を拾ってバサに帰還したバルザーンの血まみれの姿を見て、ファリドは言葉が出なかった。他の生存者も皆、深手である。

 ファリドは、バルザーンがバサから出撃した後に、城邑アルムドゥヌ の守衛のためにバサに入っていた。

 ようやくそこに立っているであろうバルザーンをファリドは二つの感情で見つめている。一つは自分の落ち度で大怪我をさせてしまった家臣への悲哀、いまひとつは、アジャール軍への恐怖である。

 裏をかいて大軍で待ち伏せていれば虚を衝かれた敵は怯み、優位に押していけると見込んでいた。アズィーズ軍の待ち伏せで敵に痛手を与えた後、自ら出撃して勝ちを収めれば良いはずであった。

 だが、いかにも相手が悪すぎた。アジャリアのような老獪を相手にするには、局所的な勢いのみではまともに戦うことすらかなわない。

 言葉無く立ち尽くすファリドに、バルザーンはただ痛々しい笑みを返すのみである。

 ややしばらくして我に返ったファリドの頭に浮かんだのは、

 ――篭城!

 である。そしてすぐにバグダードのハイレディン・フサインに援使を送った。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2020年7月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_2

 次の朝、アジャリアはカフジ包囲戦の方針を発表した。
「カフジ攻撃をカトゥマルを隊長として、ファヌアルクト、バラザフ等に任せる」
 そして、ここカフジの城邑アルムドゥヌ がメフメト軍のクウェートにおける重要拠点であるとして、メフメト軍に士気をさらに下げる必要性を説き、此度は落城を要すると命じた。
 冬季、気温は夏季と比べてぐっと下がるが、それでも水が凍りつく程の寒さは有り得ず、クウェートは海からの暖かい風を受ける。気温は過ごし易いが、強さとなると風の表情は穏やかではない。
 アジャール軍の若手の将軍達はこの強風に目を付けた。まず城壁の外側に火を放ちカフジの城邑アルムドゥヌ を焼く。当然これだけでは殆ど打撃を与えられないので、火矢を放ち同時に中も火攻めしようと考えた。火矢を横からの風に乗せて流す形である。
 この作戦を責任者であるサイード・テミヤトに奏上し、許可が下りると、火攻めの火がつけられた。
 炎は城内に燃え広がった。東の風で炎がカフジの城邑アルムドゥヌ を西へ西へ燃やしていく。西の城壁が内と外からの火に挟まれ、灼熱の地獄に等しきものになった。
「今に熱に耐え切れず、守兵が西門を開けるはず。出てきた者を迎え撃ち、投降する者は受け入れる。炎が下火になったらファヌアルクト殿は一万の兵で門から突入を」
 バラザフの言葉通り、門が開かれると兵も住民もなだれを打って出てきた。殆どの者が抵抗せずに投降し、この投降の受け入れはカトゥマルとバラザフがやった。
 バラザフがこの差配として、突入の役にファヌアルクトをあてて、カトゥマルを行かせなかったのは、猪突なカトゥマルに、総大将としての後詰的な役割も覚えてもらいたかったからである。煩雑な手間は無いが敵味方の呼吸を把握せねばならない。突撃して押すのでもなく突撃を防ぐのでもなく、先程まで敵であった者等を受け止めるのである。
 今でもアジャリアから重用されている自分は、カトゥマルが当主となったときには参謀アラミリナ として、今以上に重きを成しているはずだ。勿論、自己陶酔は割り引いて考えているつもりではある。
 そしてバラザフはファヌアルクトの方にも手配りは忘れていない。炎が弱まるのを待ってからとはいえ、燃える城邑アルムドゥヌ の中に突撃をかけるのであるから、これは危険な任務である。ファヌアルクトが火炎や伏兵など、何らかの危機に晒されたときのために、退路となる出口の安全確保を配下のシルバアサシンに指示を下してした。
 突入するファヌアルクトに、残ったメフメト兵が火砲ザッラーカ で仕掛けてくるが、すでに統率を欠いているようで、一斉射撃してくるのなやり方はしてこなかった。シルバアサシンが火砲ザッラーカ 兵を一人ずつ仕留めて、ファヌアルクトに降り掛かる危険を排除してゆく。ファヌアルクトはメフメト兵の掃討に頭がいっぱいで、脇でこのような補助が行われているのには気付いていないようである。
 槍を振り上げるファヌアルクトの顔は炎に赤く照らされ、歓声と火炎とがカフジの天を衝いた。その猪突ぶりが少し前のカトゥマルとそっくりでバラザフは、今までカトゥマル程は接点のなかったファヌアルクトに、戦いの最中、少し親好をおぼえたのだった。
 ファヌアルクトの突入組の背中を自身の配下であるシルバアサシンに任せていたが、カトゥマルの後詰の方がある程度片付くと、やはり前線が気になり始め、陰ながらファヌアルクトを見守っていたというわけである。
 そして、後は危なげないだろうと判断すると、バラザフは前線を後にしてカトゥマルの下へ戻っていった。
 ともあれ、ファヌアルクト隊の突入で、カフジの城邑アルムドゥヌ の西半分の区画を制圧する事が出来た。
 東区画は、火が燃え広がっていった西区画と逆に位置する事になる。城外からの火攻めはあったものの、守備兵に守りを放棄させる程の打撃には至らず、依然として防御、抗戦の構えを見せていた。
「万が一、バーレーンから援軍が出てきて城の内外から掎角されては堪らないな」
「ええ、前回の戦いでかなり痛めつけたとはいえ、それくらいの兵力はまだ残っているでしょう」
 角のある獣を捕える際、獣の後足をとるのが掎で、前から角をとるのを角である。カフジの城邑アルムドゥヌ に角を衝いている間に、足を捕まれて自由を奪われる危険は否定出来ない。
「バラザフ。日暮れまでにカフジを陥とせ。半分までくれば後は強攻めでも良かろう」
「インシャラー」
 カトゥマルの命に応じながら、バラザフは、
 ――段々、似てきたな。
 と内心では、にやりとしていた。
 急ぎこれをサイード・テミヤトにあげねばならないが、遣いの者が許可を持って戻ってくるのを待つ時間は無く、報告に人を出すと同時に攻めを実行する必要がある。行き違いが生じる可能性もあるが、それを今カトゥマルに告げても意気を挫くだけになるとバラザフは判断した。
 半刻後、カトゥマルとバラザフはカフジの城邑アルムドゥヌ の東の海上に居た。
「何だあれは。メフメト軍の新しい罠か」
 船上から早速例の円錐状の物体をカトゥマルが見つけた。
「あれらは砂蟹カボレヤ の巣穴ですよ」
砂蟹カボレヤ か。さすがバラザフは何でもよく知っているものだ」
 さらりと自分の知識であるかのように披露して、抜け目無く評価を稼ぐバラザフだが、彼自身、そんなものは昨夜知ったばかりである。
「それはそうと、バラザフ。こちら側は連中の防備は手薄のようだな」
「どうしてそう思われます」
砂蟹カボレヤ が巣穴を作るくらいだ。誰も見回りになど来ていないのだろう」
「なるほど……。確かにそうですな」
 カトゥマルの洞察を聞いて、バラザフは、血は争えるものではないなと思った。
「こちら側は殆ど足場が無く、濡れた砂に足を取られるので攻められるとは思っていないのでしょう」
「そうだな。だが向こう側と挟み撃てば話は別だろう」
「向こうのファヌアルクト殿と挟撃を呼応させるとなると、また遣いに時間を要しますが」
「いや、その必要はないさ。そろそろだろう」
 カトゥマルがそう言うと敵を挟んで向こう側から鯨波が上がるのが聞こえてきた。
「先にファヌアルクト殿に手回しをされていたのですか」
「いや、ファヌアルクト殿の性格を考えると待ちきれず仕掛ける頃だと思った。俺がそうだから分かる」
「まことに血は……、いえ、何でもありません」
「何か言ったか。バラザフ、矢を射掛けろ。火矢ではなく普通のだ」
 バラザフからカトゥマルの配下隊に指示が下ると、兵等が船上から放射状に射撃攻撃が始めた。正面から攻撃するファヌアルクト隊のための援護射撃である。
「今回のカトゥマル様の洞察、見事でございました」
「バラザフの知恵にばかり頼ってはいられないからな。それに、俺もお前もズヴィアド先生の弟子であるわけだしな」
「ズヴィアド先生が一門を開いていれば、我々は先生の同じ門下生という事ですね」
「そういう事だ。猪突な俺ばかり見て忘れていただろう」
 カトゥマルとバラザフは今でもこうした冗談が言い合える関係である。バラザフの言葉のように、生前のズヴィアド・シェワルナゼは教師でもなく、また宗教的に認可された師でもなく、彼らにとっての「先生」であった。ズヴィアドが先生として彼らに教授したのは、言うまでも無く戦場における戦術である。
 カフジの兵がファヌアルクト隊に手一杯になっている隙に、カトゥマルの部隊は城壁に梯子を掛けて、東側の区画のおよそ半分を占拠した。ほぼ無人の場所に兵を送り込んで奪取する事は、この上なく容易い事であった。
 カフジの太守が防備を固めている、残された最後の区画の前でカトゥマル隊とファヌアルクト隊は合流を果たし、カフジの攻城戦はいよいよ大詰めを迎えようとしている。
「カトゥマル様、この奥で指揮を執るのはカウシーン・メフメトの弟のファントマサラサティです。それを考慮すると今までが順調過ぎたように思えます。特に火砲ザッラーカ の一斉射撃が危惧されます」
「もっともだな。だが一度得られた勢いは貴重な力だ。前に使っていたあれ・・ を備えながら、このままゆくぞ」
「インシャラー。共に冥府までも!」
 カトゥマル隊の勢い・・は確かに凄まじい力となった。カフジ城内に出現した九頭海蛇アダル は敵の精鋭までも呑み込んでいった。
 対火砲ザッラーカ 用の砂袋を用いるまでもなく、恐ろしいほどの速さでカフジは陥落したのであった。
 アジャリアは、
「カトゥマル、ファヌアルクト、それにバラザフ。カフジの攻城、申し分の無い手柄である」
 と、短いながらも、現実味のある褒辞を垂れた。
 アジャリアは実は長子アンナムルを欠いた事を気に病んでいた。だが猪突なだけの愚息と先々を危ぶんでいたカトゥマルが、案外戦術の面でも、バラザフには及ばないものの、それなりに成長している事で、アジャール軍の展望が明るくなった気がして、嬉しさで虚飾が一切削ぎ落とされて出た言葉であった。
 アジャリアは余程嬉しかったらしく、バラザフを褒めるはずで父のエルザフに後で送った手紙に、バラザフの手柄に絡ませながら、随所にカトゥマルの名を出して、エルザフを笑わせた。
 家名を自らの名として帯びるアジャリアも、こういう時には人並みの父親エビ なのであった。老境を深める程、人は公から個へ還ってゆく。

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2020年5月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_10

 フートが走り去ってから一刻――。アッシャブートからフートを通して報告があげられた。
「メフメト軍はアジャール軍が待ち伏せを迂回すると読んでいる。そのためバーレーンからの本隊と合流待ち待機場所からは動かない」
 バラザフはこの情報を、メフメト兄弟は城邑アルムドゥヌ の防衛戦でアジャール軍から手酷くやられているのでシアサカウシンから、
 ――こちらから仕掛けるな。
 との命令が出されていると解釈した。
 まだフートからの情報はある。
「敵味方の諜報戦が熾烈です」
 配下のシルバアサシンが各方面で必ずシーフジンと遭遇しているが、今の所戦闘は回避出来ていると続けた。
「シーフジンもアジャール軍の情報をもぎ取ろうと躍起になっております」
「フート、予め戦闘を許可しておく。この場合こちらの情報を守るのが優先される。敵の情報を取れなくとも良いから、各自の判断で始末して構わない」
「承知」
 作戦とアジャリアの意図を鑑みると、別働隊の情報だけは何としても秘さねばならないのだ。
 結局、シーフジンとの戦闘が多発した。
 シーフジンに対応するには、彼らの移動力を封じる事が肝要である。ここでシルバアサシンの連携の良さが活きた。
 ある所では網を張り、ある所では縄を巡らせ、砂地に伏せて、シーフジンの足を止めに掛かった。それで各所でシルバアサシンとシーフジンとの戦闘に発展した。
 ここで判ったのは、シーフジンは先にオクトブートと遭遇して霧消してしまった者のように、捕縛されたからといって皆が皆、消えるわけではないという事である。
 フートは配下全員に、
「モハメド・シーフジンはカウシーン・メフメトの傍近くで勤めているという話だ。よって戦場には出てきてはいないと見ていい。モハメドに統率されればシーフジンの連携も侮れぬものになるだろうが、各々ばらばらであれば我等シルバアサシンが奴等相手に危うくなる事は無い」
 と自身の思惑を伝えてある。中には消えてしまう奴もいるであろうが、シーフジンの中で唯一恐るべきは首領のモハメドであるとフートは考えている。
 バラザフは、これらのを情報を取りまとめる事から、別働隊のワリィ・シャアバーンよりも先陣に居るアブドゥルマレク・ハリティへの情報伝達が優先されると判断した。アジャリアへの報告には弟のレブザフが走っている。
 レブザフが持ってきた情報はアジャリアを喜ばせた。
「待ち伏せておきながらメフメト兄弟は我等が戦闘を回避すると読み違えたか。ふふ……、九頭海蛇アダル から通り一遍等の知恵が出るわけがあるまい。わしは定石を外すことも中てる事も出来るのだ」
 そしてハリティを急がせるようにアジャリアからバラザフへの指示を持ってまたレブザフは駆けた。敵が油断している今が攻め時である。
 アジャール軍のこの動きを見たメフメト兄弟は、傍から見ても分かるくらいに青ざめた。先の戦いで自分達がアジャリアに敵わない事は証明されてしまっているのである。
 アジャリアの言葉通り待ち伏せておきながら、彼らはアジャール軍との遭遇を想定していなかった。
「何故、アジャリアがこちらに向ってくるのだ!」
「あれもまたアジャリアの幻影タサルール とやらではないのか。こちらに影を当てて本隊は砂漠を横断して通り過ぎるに違いない」
 アジャール軍によって混乱させられているのは、上だけでなく下の諸将もである。ここに召集された意味を知らない彼らは、
 ――アジャール軍と戦う事になるとは。
 ――アジャール軍に交戦の意思は無いらしい。
 と噂して浮き足立った。
 その通り上からも彼らは命令されており、言われた地点へ布陣すればアジャール軍は迂回して通り、後はバーレーンのメフメト軍主力が追撃し、そこから挟撃にうつればよいと一応安心させれていたのである。
 シルバアサシンや、アジャール軍のアサシンはこれを衝いた。流言を用いてこの噂により真実味を持たせたので、メフメト軍の将兵の間では、いよいよ、
 ――アジャール軍は迂回路を取る。
 との情報が浸透しきっていった。
 内部に流言がこれ以上拡散して、より困難な状況に陥るよりは、
「まだ勝機のあるうちに事に挑もう。向ってくるアジャール軍に先手を打つ」
 と、ソコルルとメフメト兄弟は、先制攻撃の方針を決めた。
 同時にこの情報は、バラザフのもとへ流れてゆく。バラザフは先陣に居るアブドゥルマレク・ハリティの所へ向う途中でこれを受けて、敵がアジャール軍を迎え撃つ構えになっている事をアブドゥルマレクへ知らせるために馬の脚を速めた。
「伝令将のバラザフ・シルバだ。そこを通してくれ!」
 暗闇を照らす松明を持つ兵の間をバラザフは駆けて通る。
「ハリティ殿、アジャリア様からの伝言を持って参った!」
 バラザフは、敵の動き、アジャリアの指示に加えて、先ほど入ったメフメト軍が交戦の構えを見せているという情報をアブドゥルマレクへ伝えたところで新たな伝令が駆け込んできた。
 ――メフメト軍、火砲ザッラーカ を発射!
「怯えた威嚇射撃だ。あの場所からはこちらに火砲ザッラーカ は届かん。どちらにしろ交戦する気のようだな。バラザフ、全軍に戦闘の準備をさせてくれ」
 先鋒の本部のアブドゥルマレクの陣を出て、最前線へ向けてバラザフは走った。一番前に配置されているのはハッターン・アルシャムラニという将である。
 アルシャムラニに伝令を終えた所で再びメフメト軍の火砲ザッラーカ が一斉射撃された。
「今度はかなり近いな」
 火砲ザッラーカ が宵闇の空の赤く焼いているのが見えた。おそらく今の発射で全て撃ってきたはずだ。
 ――予備の発射を残しておいて反撃される危険はあるが、しかし、
「次の発射までに一気に仕掛けるぞ!」
 メフメト兄弟にそこまでの機知は無いとバラザフは判断した。急場、伝令将の任に就いてはいるが、バラザフは部隊を率いる身分である。伝令の間にも常に彼の部隊は随行してきており、バラザフは弓兵に先ほど炎が見えて明るくなった場所を指して攻撃を命じ、騎馬兵は自身と共に突撃するように指示した。万が一次の火砲ザッラーカ が来た時に備えて、また以前のように砂袋投げて炎を防ぐ手配も忘れなかった。
 闇夜の空を弓矢がはし って裂いた。準備に時間のかかる火砲ザッラーカ と比べて、弓矢での攻撃は連射も出来るし、急場の小回りも利く。
 音から判断して弓兵の攻撃は効いているようだ。
「好機! 一気に押し掛けるぞ!」
 伝令将でありながら、その場に居合わせた都合で、バラザフが最初の切り口を作る形になった。
 馬上で両手に諸刃短剣ジャンビア を持って構える。そして、灯明がある位置を目指して駆けた。火砲ザッラーカ を敵が撃ってきたために攻め時が生じただけである。悠長に構える時間は無かった。
「敵を見つけたらとにかく斬れ! もたもたしているとこちらが火砲ザッラーカ の炎の馳走にあずかる事になるぞ!」
 暗闇故の同士討ちも回避するよう指示した。当然ながら同士討ちというものは、進行方向が交わるから発生するものである。よって扇状に各自が斬り進んでいけば味方とはぶつからないという一応の理屈である。言葉で敵味方を判別する方法もあるが、今回はこの方法を採った。
 先に斬り込んでいった者らに続いて、手持ちの矢を撃ち終えた弓兵も得物を抜いて攻撃に入った。
 予想通り火砲ザッラーカ は一斉射撃した後で、反撃らしい反撃も無く敵部隊は俄かに崩壊した。
 一人、バラザフに斬りかかってくる者があった。質の良い装備から火砲ザッラーカ 隊の隊長であると思われた。
 相手は素早く剣を突き出してバラザフを仕留めようとするが、その切っ先は全てバラザフの諸刃短剣ジャンビア なされ、最後には左の刃で大きく弾かれた隙に、右の刃で心の臓を貫かれ絶命した。
 すぐに周りを警戒し視界を巡らせてみると、各自、敵の殲滅を終えた部下達が集結している所である。兵等が集まってきた場所では二人が刃を交えている最中であった。どちらかが味方でどちらかが敵である。
 その片方の頭にあるカウザ と両手の諸刃短剣ジャンビア からバラザフだと判断し、彼が敵将を仕留めた瞬間、歓声が沸き起こり、その渦は周囲のハッターン・アルシャムラニの部隊にも伝播していった。
 ――見事!
 と手柄を寿ことほ ぐ声まで聞こえてくる。
「十分に働く事が出来た。この場はアルシャムラニ殿の部隊に任せて我等は伝令の任に戻る」
 バラザフが自部隊に退却を命じた所に、アルシャムラニ隊がやってきて入れ替わり、陣地を確保した。アジャール軍の陣地が一歩進んだ形になる。
「さすがはバラザフ・シルバ。伝令の任にありながらその機転で緒戦を制してしまうとは」
「いえ、行きがかり上、巻き込まれたに過ぎません」
 全方面で剣が交わり始めた。バラザフの戦いがきっかけとなったのである。
 両軍の火砲ザッラーカ が火を噴いて、夜の砂漠を明るくした。
 アジャール軍が分隊して稼動しているため、メフメト軍もこれに対して隊を分けて対応しなくてはならない。ハリティの部隊は敵を斬りながら圧している。士気は十分である。
 戦戈は荷隊カールヴァーン を護衛しているナワフ・オワイランの部隊にも及んだ。
「積荷を死守せよ! 守りきるのだ!」
ナワフは必死に叫ぶ。こちらは劣勢を強いられていた。
 敵の放った弓矢に荷隊カールヴァーン の護衛隊の小隊長の一人が眉間を射抜かれた。途端に配下の兵が悲鳴をあげて慌てふためき始める。戦線の弱まった所に敵兵が殺到した。
 ナワフは部下を怒喝しながら敵を必死に防ぐ。小隊長を失った部隊を急いで他の小隊長の指揮下に入れた。
「守りきるのだ! 勝てない敵ではない!」
 隊列が乱れ、敵味方が入り混じっている。誰もが暗闇の中、剣を振り回していた。
 乱戦が一刻ほど続いた後、別働していた部隊を連れてワリィ・シャアバーンが荷隊カールヴァーン の加勢に駆け付けた。すでに自分の持ち場の敵は片付けている。
 奮って抗戦する荷隊カールヴァーン を押し切れなかったメフメト軍は、背後にワリィ・シャアバーンが部隊が俄かに出現し、前後から挟まれる形となった。
 七万のワリィ・シャアバーン隊が鯨波を伴ってメフメト軍を圧殺しにかかった。
 メフメト軍の数は十三万。数ではかなり有利に見えるが、その実、メフメト勢力圏内から集まった烏合の衆で、あわよくば脱走の機会を窺う兵もいるほどである。
 結局の所、まともに戦意があるのはメフメト兄弟とソコルルとその他数名のみで、あとは兵を束ねる隊長格でさえ、後ずさり始める始末である。メフメト兄弟の命令を待たず、ほとんどの将兵が戦場を離れようとしている。その点ではアジャリアに侮られ、雛鳥ファルフ と揶揄されているとはいえ、メフメト兄弟はまだ将として資格があるといえた。
 まもなく夜が明ける。
 旦日シュルーク が地平より顔を出し、戦場の砂を橙色とうしょく に染める。
 始めに挟撃を仕組んでいたメフメト軍は、現前、アジャール軍に挟撃されているという事態である。
「御兄弟、これ以上の戦闘は無用と思われる。戦死は回避すべきです。撤退命令を出すべきです」
 大局眼を持つソコルルでも、この不利は押し返せないと見た。今、アジャール軍の勢いは強すぎる。
「ここに至っては犠牲がさらに増えるばかり。撤退命令を」
 ついにメフメト兄弟から撤退命令が出された。ただでさえ逃げたがっていた将兵らは、形振り構わず散り散りになって姿を消していった。
 そのメフメト兵をアジャールの騎馬兵が、駱駝騎兵が掃討を始める。
「神が我等の勝利を望まれた」
 戦況を見つめていたアジャリアの口から安堵の声が漏れた。その安堵も束の間、すぐに、
「バラザフ!」
 声を大にして呼び声をあげた。
荷隊カールヴァーン と全軍の被害状況を確認せよ」
 いまだアジャリアは勝利に落着してはいられなかった。先に彼が申し渡したとおり荷隊カールヴァーン が無事でなければ彼らの帰還はかなわない。
 バラザフは馬を駆けた。戦いが始まる前と違って、朝に降りた露が今度は腕に冷たく感じられた。
 ある場所でフートが立ち尽くしていた。足元に物言わぬ身体が数多転がっている。
「何があった。フート」
 フートはすでにここには無い心でバラザフに答えた。
「モハメド・シーフジンが出ました……。奴は……。奴は怪異です」
「こちらが戦いを制したのか」
「こちらが倒したのは九人、こちらは六人殺されました」
 バラザフは再度足元の死体に目をやった。その数は十四である。
「一人足りないようだが」
「私です。私はここで死んだのだ」
「だがフートは俺の目の前で現に生きているではないか」
「モハメドは私をやれた。喉下に刃を突きつけ、そしてやらずに消えていったのです」
 バラザフの前に立つフートはただ肉体が生きているだけのようで、心と魂が剥離しかかっている。だが今放心を求めれば或いはまだ間に合うかもしれない。
「ならば大死とせよ。今、絶後に蘇り今まで以上に奮起せよ。フートはもう死んだ!」
「は……」
 バラザフの言葉はひとまずフートの心に救いを与えたが、まだフートが力を戻すには至らなかった。生きる屍になりかけているフートを言葉の剣で斬り、バラザフはフートにそう言ってやる他なかったのである。
「本当は我等が完全に優勢でした」
 フートはバラザフのため何とか先程まで起きていた戦いを述懐した。
「戦いが終わった瞬間、モハメドが現れました。奴は私の配下を一瞬で屠り、最後に私は青い煙を見たのです」
「なるほどな……」
 つまり、シーフジンが前線での敗戦をカウシーン・メフメトに報告するために出てきており、フートの命をわざと取らなかったのはバラザフに恐怖を伝えるためで、
 ――シーフジンとメフメトを侮るな。
 という釘刺しのようなものであろう。バラザフの方にはまだ、そう分析する冷静さが残っていた。
 この惨状の現場に各方面に散っていたフートの配下が戻ってきて、皆、一様に驚嘆した。
「一体何が……」
「モハメド・シーフジンが出たそうだ」
 胸詰まらせるフートの代わりにバラザフが答えた。
 フートの配下達は、
「いかにモハメド・シーフジンが伝説のアサシンでもシルバアサシンの総力なら倒せるのではないか」
「姿を見ても正体が分からぬでは倒す方策が立たん」
「だが首領が生き残れたのは幸いだった」
 と口から出る言葉は様々であるものの、心の内は同一に暗澹としたものである。
「シーフジンと対決する時が迫っているのかもしれない。その時までにフートの指示によく従い各々力を蓄えるように」
 バラザフはフートの顔を立ててやるのを忘れなかった。
「バラザフ様の言葉通りシーフジンとの対決は回避出来ぬだろう。それは逆に仲間の仇を返す機会が与えれるという事だ」
 ようやくフートがアサシンの首領の顔に戻ってきた。
 モハメド・シーフジンの方は、戦線情報を把握を望むカウシーンの指示を受けて、配下を遣わさずに自身が前線に赴いていたのである。
 報告に戻ろうと駆けるモハメドの視界に配下のシーフジンとシルバアサシンの戦闘が目に入り、シルバアサシンを次々に斬って帰ってきた。
「戦線にて我等メフメト軍は敗北。戦後、アジャール軍はリヤドに向けて退却し始めている模様」
 報告するモハメドの顔色はメフメトから仮面のせいで分からない。その口から出る声も、ただ事実を淡々と述べるのみである。
「こちらは手痛くやられたであろうな」
「アジャール軍が把握した情報を借りるならばメフメト軍の戦死者は三万二千、負傷者は数え切れず」
「向こうはどうだ」
「戦死者三千、負傷者六千」
「負けるにしても負け方が酷すぎるな」
「あくまでアジャール軍の情報ですが」
「いずれ愚息等も帰還するであろう。それで再度確かめよう」
 敗戦から命拾した者らが語る言葉によって、カウシーンはモハメド・シーフジンの報告に誤りは無かった事を知らされた。
「息子達よ。父はアジャリアと初めて対決し、そして負けた。大きな戦いであったなぁ……」
 カウシーンは寂しく笑い、細めた目をおぼろげに遠くに遣った。
 俯いて物も言えぬ息子達の中で、シアサカウシンだけが、
「父上は大鳥ルァフ なのです。大鳥ルァフ は地に墜ちる事は無い。墜とされたのは我等だ!」
 父カウシーンの敗北を否定し、最後まで大鳥ルァフ であらしめようとした。翼で飛べない自分達の代わりに、父だけでも大鳥ルァフ として飛翔していてくれれば、それでメフメトの誇りが守れるような気がずっとしていた。同じ思いは後ろのムスタファ、バヤズィトにも当然あった。
「それは違うぞシアサカウシン。大鳥ルァフ といえども土から生まれた物であろうよ。ならば翼を風に永遠に乗せている事など出来ぬのが道理なのだ。アジャリアはカウシーンに圧勝した。この先そう語り継がれてゆく事だろう」
 それを聞くシアサカウシンにもはや言葉は無かった。あるのは自分達の不甲斐無さで父の名を貶めてしまった事への無念だけである。
「我等は義人と世間で称されるサラディンをあてにし過ぎたのだな」
 カウシーンの見る西の海の先には広大な砂の大地が広がり、さらにその先に今日の太陽が沈もうとしている。
「父の死後は、ベイ軍とはそれで手切れとせよ。義侠心は確かに価値ある物だ。しかしこの世でそれより価値ある物は生き残るための力だ。父が死んだらアジャール軍を頼れ」
「はい……」
「あの九頭海蛇アダル の懐に潜り込んで背中に乗ってやれ。乗り心地は最悪だろうがな」
 愉快そうに笑うカウシーンは、最後にはやり切ったという清々しい顔になっていた。
 数年後、大鳥ルァフは 地に降りて羽根をゆっくりと静かに休めた。そしてシアサカウシンは父カウシーンの言葉を守り、アジャール軍との同盟を成立させた。これもアジャリアのクウェート侵攻を再開する上で盤に組み込まれる事になる。
「あれだけ叩きのめしておけば、メフメト軍がわしの行く手を阻む事はないだろうからな」
 ハラドに帰還したアジャリアは早速、全軍にクウェート侵攻の方針を示した。
 先の戦功でバラザフはさらに昇格し、配下が増員され、弟のレブザフも配下を与えられ、兄とは独立した百名程の自分の小隊を持つ事が出来るようになった。
 息子達の出世を聞いた父のエルザフは、
「あの苦境の頃の死なぬ覚悟がここで生きてきた」
 と彼ら以上に喜びを噛み締めていた。

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2019年11月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_19

 ハサーの包囲はナビール・ムフティという家来の部隊に任せて、自身はダンマームへ向けて出発した。アジャリアはダンマームの攻撃もカトゥマルに任せるつもりでいる。
「カトゥマル、ダンマーム攻撃でもお前が指揮を執るのだ。もちろんバラザフも一緒ににな。それとファヌアルクトを副将とする」
 ファヌアルクト・アジャール。ベイ軍との戦争で戦死したエドゥアルド・アジャールの息子であり、その名に猫の牙の意味を持つ彼は、その名の如く素早く敵を仕留めるの攻撃を得意としている。が、人を殺めた事はまだ無い。カトゥマルにとっては従兄弟であり弟のような間柄である。バラザフにとっては敬愛していた師匠の子供という事になる。カトゥマル同様、アジャリアの剣として武勇を賞賛されてはいるが、その実、猪突な性格で周囲を困らせる事もしばしばである。
 ダンマームはバーレーン要塞の西の対岸にあり、要塞の緩衝の役割を持つ拠点である。ペルシャ湾では一、二を争う貿易港で現代経済の中心地の一つであるアル・コバールと連携され、リヤドとも繋がっている。経済活動は農業、酪農を中心に行われている。
 太守はカウシーン・メフメトの子バヤズィト・メフメトが務めている。バヤズィト・メフメト、二十五歳。カトゥマル・アジャール、二十五歳。今、ダンマームの守備に二万の兵が充てられていて、しかもつわもの揃いである。太守バヤズィトも戦いの指揮に関しては、腕に覚えがある。だが、アジャリア・アジャールが二十万の大軍で接近していると知らされて、その自信は翳り始めていた。何をされるかわかったものではない。
 目下、アジャール軍のナジ・アシュールと一万の兵らが陣を張り始めているのが見える。バヤズィトの認識ではアジャリア本隊はまだハサーに居る事になっている。
 ――アジャリアがやってくる前にこいつらだけでも片付けよう。
 アジャリアさえ居なければまだやり様はいくらでもあるはずであった。
「あそこに居るアジャリアはおそらく幻影タサルール とやらだろう。勝てるうちに勝っておく」
 到着して間もないアシュール軍を、ダンマームの兵が襲った。しかし、敵の一万に一万五千を当てて戦ったにも関わらず、メフメト軍は崩れて城内へ逃げ込んだ。
 ――アシュール軍に居るアジャリアは本物だ。
 という認識をダンマーム側は持つようになり、それが報告としてバーレーン要塞にも伝えられた。ここでも幻影タサルール 効果が出始めている。
 ダンマームの緒戦の勝利はアジャリアの機嫌を大いに良くし、彼の食指をまた進ませた。
「カトゥマル。一週間でダンマームを陥とせ。アシュールの強兵を頼みとすれば強攻めでも良かろう」
 これにカトゥマルも大きく頷いた。元より猪突な性格の彼であるから、アジャリアのこの意に異を挟むものではなかった。傍で聞いていたバラザフもアジャリアの意向ならばと、攻撃の準備に入った。とはいえ城邑アルムドゥヌ 攻めるのはいつもながら楽観視は出来ない。バラザフは自分の部隊に十倍の敵と戦う覚悟を持つよう引き締めた。
「強攻めは無駄死にせよという意味ではないからな。奇策を用いぬというだけだぞ」
 両軍の矢が飛び交い、火砲ザッラーカ が火を噴いた。
「城の区画を少しずつ削るように取っていきましょう」
「だが父上は一週間で陥とせと仰せであった」
「十分出来うる時間かと存じますが」
 この日のうちに城から打って出る部隊があり、カトゥマル自らが単騎駆でこの隊を打ち破った。
「アジャリアの剣、カトゥマル・アジャールぞ! 冥府を希望する者は我が前へ出よ!」
 その後は乱戦になった。敵兵を跳ね飛ばして進み、敵将に一騎打ちを仕掛ける様は猪突な彼の性格をそのまま現していると言ってよかった。
 このカトゥマルの暴走ともとれる奮闘は結果として敵の意気を挫き、味方の士気は大いにあがった。補佐としてついているバラザフにとっては冷や汗ものだったが、幼馴染のカトゥマルが手柄を立てる雄姿を見て、心晴れやかになる部分も少なからずあった。
 カトゥマルと同じ毛色のファヌアルクトもこれに手放しで喜び、
 ――次は自分が単騎で駆けてやろう。
 と意気込んだ。
 バラザフはこの機に城内に退却する敵兵と共に中へ乱入した。先陣に出て戦うカトゥマルに触発され、闘志に火がついたのである。シルバ軍は逃げ込む城の兵の直後に付けて、気付かれないまま楽々と門を潜り、一区画を突破した。その辺り、闘志の火の中にバラザフは彼らしい冷静さも隠し持っていた。
 一つ目の広場に出た所で、
火砲ザッラーカ に備えよ」
 と注意を喚起した。城内で火砲ザッラーカ の集中砲火を浴びて一網打尽にされる危険がある事は最初に危惧したとおりである。ここまで突入してきたのも見込みの要素が大きい。
 部隊に防衛線を準備させている間に、城内の地勢を見渡すと奥の塔の上で質の良さそうなコラジン を着た若い将が自ら火砲ザッラーカ を構え砲口をこちらに向けている。
 ――あれが太守のバヤズィトだな!
 咄嗟にそう判断したバラザフは、腰の諸刃短剣ジャンビア を抜いて、バヤズィトを思しき人物目掛けて、目一杯力を込めて投げつけた。
 放たれた諸刃短剣ジャンビア はバヤズィトではなく彼の構えている火砲ザッラーカ の砲口へ入った。火砲ザッラーカ の火は外へ噴かず諸刃短剣ジャンビア のせいでこもる様に暴発して、爆炎がバヤズィトを包んだ。
 バヤズィトは近侍の者に介抱されて、そのまま姿を消した。
「狙い外したが案外届くものだろう」
「兄上、あの諸刃短剣ジャンビア は」
 バラザフの持つ諸刃短剣ジャンビア の貴重さをレブザフは知っている。
「数あわせで買った一本だ。それ以外はどれも失うわけにはいかぬ代物だから」
「咄嗟に一本を選ぶとは」
「普段からこれを抜くように訓練していただけさ」
 バラザフは空になった諸刃短剣ジャンビア の鞘を軽く叩いた。
「とはいえ、男の誇りである諸刃短剣ジャンビア を投げつける事自体、あまり感心は出来ませんよ」
「今後は常に投槍ビルムン の者でも待機させておくか」
 バラザフはほとんど気にしていない。
「おそらくバヤズィトは大火傷を負っただろうから、しばらく指揮は執れないだろう」
 そして先に命じておいた火砲ザッラーカ 対策の砂袋と防衛の隊列が整ったところで、奥の区画の門が開き敵の火砲ザッラーカ がまたもや火を噴いてきた。
「砂は投げなくていい。積み上げて門を塞いでしまえ」
 と、炎による攻撃を封じてから、
「弓兵、塀越しに矢を射掛けてやれ」
 三百人の弓兵が上に向って矢を乱射する。バラザフ部隊に所属する弓兵達も委細心得ていて、門の向こう側の敵兵に当たるように、天を射抜くような角度で弓矢を構えて放ち続ける。
 シルバの弓兵は城内の火砲ザッラーカ 隊を駆逐した。火砲ザッラーカ 部隊は前方が塞がれ、どうしたものか往生しているうちに、上から矢の雨が降ってきて、為す術無く自分の身体を矢に晒す他なかった。
「期限まであと残すところあと一日だが、我等の盛んな攻撃でダンマームもあとは中央だけだな」
 カトゥマルもバラザフも戦果に大いに満足していた。
 しかし、ここに至ってアジャリアの口から退却の命が出た。アジャリア本陣では三人のアジャリア・アジャールが威風堂々として座している。
 ――アジャリア様が三人も居るぞ。
 諸将は自分達の目に映るこの信じがたい状況について囁き合っているが、アジャリアはこれに一切取り合う様子も無く、
「今日までのダンマーム攻撃の戦果とは何か。敵に恐怖を植え付けた事である。これはバーレーン要塞の布石と心得よ」
 と改めて諸将に方針を訓示して、
「カトゥマル、静かにダンマームの包囲を解除せよ。今宵の内にダンマームを去るぞ」
 と即時撤退を命じたのである。
 明朝、全身火傷の身体を包帯に包んだバヤズィトは、痛みを我慢しながら指揮に出ようとしていた。
九頭海蛇アダル はどうした…」
九頭海蛇アダル などおりません」
「そうではない。アジャール軍だ。奴等から何としてでもこのダンマームを死守しなければ……」
 塔に登ってバヤズィトが見た物は、一週間前と同じ砂漠の静かな朝靄だけであった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年11月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_18

 アジャリアが想定したとおり、宵闇に城内から偵察兵が出てきた。これがバラザフが手配しておいたアサシンの罠に掛かった。アサシンの長はフート、つまり鯱と呼ばれている。元々、父エルザフに仕えていたが、現在シルバのアサシン団の半数がこのフートと共にバラザフの配下として働いている。
「メフメトの偵察兵を捕獲……」
 フートはいかにも裏舞台で生きる者らしく静かにバラザフに報告を入れた。
「何か吐いたか」
「五百名程で出撃してくる模様」
「それは俺たちで対処しよう。お前達は配置に戻れ」
 その情報をすぐにカトゥマルに入れて、迎え撃つ備えをしなければならない。
「日が昇る前に来そうか」
「おそらく」
「俺も出撃する」
「それはなりません」
 バラザフは、参戦するつもりでいるカトゥマルを、小規模戦闘には総大将は出るべきではないとして制した。まだカトゥマルにはアジャリアの剣として戦っていた武人として気質が抜けない。バラザフにアジャール軍の系譜である事を再認識させられて、ここは彼らに任せておく他なかった。
「こちらが待ち構えているのは向こうも承知だ。その上で出てくるのだから敵は死力を尽くして来るぞ」
 ――火砲ザッラーカ ! 一気に撃て!
 バラザフが配下を引き締めたその時、城内から火砲ザッラーカ が火を噴いてきた。
「慌てず砂袋投げ掛けてやれ」
 兵達が射線に向けて砂の詰まった袋を投げる。袋は空中で火の玉となり砂が舞った。無数の砂粒が拡散して霧のように膜になり炎を防ぎ熱を吸収している。撒き散らす砂の中で、袋の一つが爆破した。
「誰だ! 間違って小麦粉を投げた奴は」
 どうやら準備の段階で糧秣の袋が一つ紛れてしまったようだ。その炎もやがて舞う砂に呑み込まれ消し去られていった。誰に対してというわけでもなく兵を怒鳴りつけたバラザフだったが、内心に怒りは無い。火砲ザッラーカ の炎を巧く防ぎ、緒戦から上首尾である事への高揚の顕れである。
 やがて炎が途切れ、敵が門扉を大きく開き、百名程が打って出てくるのを機に、
「今だ! 矢を射かけよ!」 
 と反撃を命じた。
 門から出てくる敵に真横に射られた矢が突き刺さってゆく。ほぼ狙撃の形に近い。
 バラザフは弓兵を百人ずつ三部隊を編成していた。この三部隊で射撃稼動を循環させ、メフメト軍を襲う弓矢の凪は生じなかった。
 幸運にも撃ち漏らされて弓隊に一矢報いんと突撃をかける者も、脇に配置されたアサシンの投擲で着実に始末されていった。
 当然、バラザフは定石である槍兵も用意している。二百名の槍兵が門の傍で転倒している敵兵に止めを刺さんと襲い掛かる。その横を次の火砲ザッラーカ に備えて砂袋を携えた軽歩兵が駆け抜けてゆく。
 ――これしきの小競り合いでは少しの損害も出したくないからな。
 奇策という程の戦術ではない。だがバラザフは一手一手を細やかに指示して、味方を一人も死なせなかった。門の所には百を越える骸がある。それらはすべてメフメト兵で生者は全てアジャール兵である。
「これで十分だ! 一旦退くぞ」
 僅かに生き残った敵兵が城内に退却してゆく。良い戦果だとバラザフは認識していた。ここで逃げてゆく敵兵と一緒に門内へ駆け込んで攻撃するという手もある。だがバラザフはその戦術を取らなかった。
「門が開いている内に駆け込まないのですか?」
 例によってレブザフが尋ねる。
「うむ。敵が先に火砲ザッラーカ を使ってくれたのが幸いした。あれを知らずに城内に駆け込んでいれば、門を閉められて今頃集中砲火で一網打尽になっていたところだな」
「ついていましたね」
「ついていた。全てを想定しきるのは至難だからな」
 この時、フートの配下が城内へ駆け込んで様子を窺って来た。そして城内では火砲ザッラーカ が構えられ、弓兵も多数待機していると、バラザフの予想を裏付ける報告をした。
「手際の良い見事な戦術だった。見た目は小競り合いだがこの勝利は大きな意味を持つだろう」
 レブザフを通して報告を受けたカトゥマルは満足な様子を隠さず表した。
「俺はバラザフの活躍が我が事のように嬉しい。勿論父上もお喜びだった」
 アジャール軍の士気が上がる一方で、この一戦でメフメト軍の士気は一層低下し、中から突進してくる気概はすっかり失せてしまったようである。だがアジャール軍はおとなしくなったメフメト軍を黙って囲んでおけばよいというわけにはいかず、ベイ軍やバーレーンのメフメト軍からの援軍を相手した小戦闘はしなければならなかった。
 アジャリアはこれらの戦闘の勝利に満足しつつ、ついに自らも稼動体勢に入った。
「ハサーの包囲はここまでだ。次はダンマームに向う。ナジ・アシュールが待っている頃合だ」
「ダンマーム攻略に入るのですか」
 傍に仕えていたワリィ・シャアバーンが尋ねた。
「取れるものなら取っておきたい。が、強攻めは不要。ハサーと同様にダンマームもアジャール軍に手出しが出来なかったと、バーレーンのカウシーンとシアサカウシンに知らしめるのが目的だ」
 ――アジャリア様の狙いがハサーでもダンマームでもないとは思っていたが。
 ――さりとてバーレーン要塞を本気で攻撃するとも思えんな。
 事ここに至ってもアジャリアの真意が読めず、ワリィとアブドゥルマレクは囁き合っていた。
 ――カウシーン・メフメト殿にこれから会いにゆくのだ。
 アジャリアは記憶の中のカウシーン・メフメトという人物と対面しようとした。が、
「傷だらけだったのは憶えているが、なぜか目鼻がちっとも思い出せんな……」
 ――この方はアジャリア様だったはずだが、いつの間にやら幻影タサルール と入れ替わったのか?
「お前たち。わしは本物のアジャリア様ぞ。ん?」
 ワリィとアブドゥルマレクの囁きをアジャリアは愉悦を含んで窘めた。
 ――今、アジャリア と仰ったぞ。
 ――だが、あの自信はご本人の物に他ならぬ気がする。
 もはや重臣達ですら真実が分からなくなっていた。二人は臣下としてはいささか不敬な程、アジャリアをじっと観察している。
「面白くなってきた。ダンマームで待つアシュールの部隊にもわしが居る。メフメト軍の目にはこれはど映るだろうか」
 悪戯を仕掛けてその成果を待つ悪童のようにアジャリアは一人笑っている。

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2019年1月10日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_14

 アジャリアの戦法の独特なものとしてタスラム部隊がある。歩兵の懐に石膏で出来た投擲武器を持たせ、敵と遭遇したときに渾身の力でこれを投げつけるのである。
 物をぶつけられて怯んだ、また、タスラムの石膏の破片で視界が遮られた敵に槍兵が突撃をかけ、出だしの敵味方の士気に差をつける。そして士気の下がった敵はたちまちのうちに駱駝騎兵の餌食になる寸法である。
 このタスラム部隊の戦法は、部隊が偵察等において少数かつ単独で敵に遭遇したときにも有効であり、タスラムを投げた後、歩兵自身が素早く抜刀して斬り込めばよく、数で不利な場合は逃走の生存率が著しく高まる。
 駱駝騎兵を率いるのはヤルバガ・シャアバーン、ワリィ・シャアバーンの兄弟である。さらにその後ろに精鋭のアジャール騎馬隊がずらりと並んだ。
 そして、それらを援護する者として火砲ザッラーカを装備した駱駝騎兵を各所に配置した。
 アジャリアは、本陣の天幕ハイマから出て、革盾アダーガの柄を立て悠然と椅子に座った。

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