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2020年9月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_4

 年明けてカーラム暦992年――。クウェートを押さえた後も、アジャール軍とサバーハ軍の対立は相変わらず続いていた。サバーハ軍に所属する各城邑アルムドゥヌ の太守達の中には、ハサン・アルオタイビようにアジャール家に臣従するを潔しとせぬ者等も少なからずいた。名門としての意地もある。
 アジャリアの本当の意味でのクウェート制覇は、これらの攻伐無くしては成し得なかった。
 ブービヤーン島――。ペルシャ湾に浮かぶ島でクウェートからは北へ徒歩で半日の距離である。太守にはマダトジャイド・ザマーンという者が就いていて、サバーハ軍の中でも名うての猛将として知られていた。アジャリアは、次の攻撃目標をこのブービヤーン島と定め、また侵攻の命を下した。
 アジャリアはハサン・アルオタイビの時と同様に、降伏の使者を送ったが、ザマーンは降伏勧告を受諾せず、
 ――敵に返答するには剣!
 と降伏の意思の無い事を態度で明示した。
「であるならば、こちらも相応の対し方をするまでだ」
 アジャリアはブービヤーン島を強攻めする方針で即応した。アジャリアは手練手管で城邑アルムドゥヌ を落とすのを得意とするが、ここぞという時に強攻めで押す苛烈さも人一倍である。
 アジャール軍の押しは強かった。ブービヤーン島の攻防は三日続いたが、一兵士の目から見てもアルオタイビ側の劣勢は明らかで、無駄死にを嫌がったブービヤーン島の兵士が、アジャール軍の包囲の隙間から戦線離脱していき、ブービヤーン島にもアジャール軍の旗が立てられた。アルオタイビ配下の兵等が逃げていった逃げ道も、敢えてアジャリアが空けさせておいたのであった。
 ブービヤーン島の戦いではバラザフも島へ渡り前線で両手の諸刃短剣ジャンビア を振るった。アジャール軍の攻勢は強く、残ったブービヤーン側の抵抗も激しかったが、その分だけ城門に屍を多く積む事となった。
 最後の抵抗でもアジャール軍に叩かれたブービヤーン兵の士気は下がり、門の中へ退却してゆく。この後を追ってバラザフは一団を率いて、城内へ突入した。
 ――バラザフ・シルバ殿、見事突入を果たしブービヤーンを占拠した模様!
 アジャリアの本陣にバラザフの戦功を伝える伝令の声が響く。この攻城戦でもバラザフ・シルバの手柄であると軍全体に知らしめるものだった。
 アジャリアはバラザフの能力も手柄も十分認識している。それゆえ幼少の頃より近侍ハーディル として引き立て、この若さで小さいながらも城邑アルムドゥヌ を持たせてやり厚遇してきている。
 だが近年のみのバラザフの戦功に限っても、アジャリアが、
 ――それでは褒賞が足りていないのではないか。
 とバラザフの論功行賞を見直さなくてはならない時期にきていた。
「バラザフのそのカウザ も手柄と共に数多の戦塵を被ってきた。お前の戦功を称えて新たなカウザ を贈る。是非受け取ってもらいたい」
「神に讃えあれ。この上なき下賜に御礼申し上げます」
 カウザ は鉄の基調であり額を巻く様に黄金があしらわれ額の中心に孔雀石マラキート象嵌ぞうがん が施されている。明らかにアジャリアがエドゥアルドを意識して造らせたものであり、そこから胸中の像がエドゥアルドの姿に発展したバラザフは胸を熱くした。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(2020.10.05公開予定)

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2020年8月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_3

 カフジの城邑アルムドゥヌ を押さえたアジャリアは、バラザフにクウェートへの使者を命じた。
「クウェートは今、主君であるバシャール・サバーハの代わりに、太守を置いてハサン・アルオタイビという者が治めている。このハサンに城邑アルムドゥヌ を譲渡するよう説得し、加えてハサンを我等アジャアール軍の将として迎え入れる用意があると伝えるのだ。バラザフでなければ手落ちとなり得る重要な任務だ。頼んだぞ」
 クウェートへ向うバラザフの顔からは血の気がひいていた。最悪、捕縛されて殺されるかもしれない。
 ――やられる時はハサンと相打ちにして果ててやる。
 刺客として送られたアサシンのような覚悟の、アジャリア軍使者バラザフ・シルバである。
 バラザフは単身、クウェートの城邑アルムドゥヌ の奥へ招かれた。連れてきた配下の者には奥へ進む許可が下りなかったのである。
「溌剌とした若者が来たものだ。カフジの攻城はその若い将の手柄だと私は聞いている」
 ハサンと会見し、ファリド・レイスの所へ遣いにいったときのように、バラザフは使者として若輩扱いされた。だが、今回はなめられたとは感じなかった。相手は見た所明らかに自分より年長者であるし、ファリドのように言葉に侮りの色が見えない。何より今の自分には心の余裕が無い。
 バラザフは顔を強張らせたままアジャリアからの手紙をハサンの側近を通じて渡した。後はアジャリアが言っていた言葉をそのまま伝える事しか出来なかった。
「アジャリア殿の御申し出を受ける事にしよう。私にはこのクウェートの城邑アルムドゥヌ の兵と民を護る責任がある。今のサバーハ家は風前の灯火だが、九頭海蛇アダル の肉体の一部となれば吹き消される心配も無かろう」
 ハサンがこう返事した瞬間、クウェートはアジャール軍の所属となった。
「良き手柄だ、バラザフ。お前の説得を見込んだわしはやはり正しかった」
 殆ど説得らしい説得も出来なかったバラザフは、アジャリアの賛辞にただ頭を垂れる他無かった。
 アジャリアはクウェートの城邑アルムドゥヌ を獲得出来た事を十分な成果と受け止め、この年の軍事行動をここまでとし、本拠地であるハラドに引き上げた。

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2020年7月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_2

 次の朝、アジャリアはカフジ包囲戦の方針を発表した。
「カフジ攻撃をカトゥマルを隊長として、ファヌアルクト、バラザフ等に任せる」
 そして、ここカフジの城邑アルムドゥヌ がメフメト軍のクウェートにおける重要拠点であるとして、メフメト軍に士気をさらに下げる必要性を説き、此度は落城を要すると命じた。
 冬季、気温は夏季と比べてぐっと下がるが、それでも水が凍りつく程の寒さは有り得ず、クウェートは海からの暖かい風を受ける。気温は過ごし易いが、強さとなると風の表情は穏やかではない。
 アジャール軍の若手の将軍達はこの強風に目を付けた。まず城壁の外側に火を放ちカフジの城邑アルムドゥヌ を焼く。当然これだけでは殆ど打撃を与えられないので、火矢を放ち同時に中も火攻めしようと考えた。火矢を横からの風に乗せて流す形である。
 この作戦を責任者であるサイード・テミヤトに奏上し、許可が下りると、火攻めの火がつけられた。
 炎は城内に燃え広がった。東の風で炎がカフジの城邑アルムドゥヌ を西へ西へ燃やしていく。西の城壁が内と外からの火に挟まれ、灼熱の地獄に等しきものになった。
「今に熱に耐え切れず、守兵が西門を開けるはず。出てきた者を迎え撃ち、投降する者は受け入れる。炎が下火になったらファヌアルクト殿は一万の兵で門から突入を」
 バラザフの言葉通り、門が開かれると兵も住民もなだれを打って出てきた。殆どの者が抵抗せずに投降し、この投降の受け入れはカトゥマルとバラザフがやった。
 バラザフがこの差配として、突入の役にファヌアルクトをあてて、カトゥマルを行かせなかったのは、猪突なカトゥマルに、総大将としての後詰的な役割も覚えてもらいたかったからである。煩雑な手間は無いが敵味方の呼吸を把握せねばならない。突撃して押すのでもなく突撃を防ぐのでもなく、先程まで敵であった者等を受け止めるのである。
 今でもアジャリアから重用されている自分は、カトゥマルが当主となったときには参謀アラミリナ として、今以上に重きを成しているはずだ。勿論、自己陶酔は割り引いて考えているつもりではある。
 そしてバラザフはファヌアルクトの方にも手配りは忘れていない。炎が弱まるのを待ってからとはいえ、燃える城邑アルムドゥヌ の中に突撃をかけるのであるから、これは危険な任務である。ファヌアルクトが火炎や伏兵など、何らかの危機に晒されたときのために、退路となる出口の安全確保を配下のシルバアサシンに指示を下してした。
 突入するファヌアルクトに、残ったメフメト兵が火砲ザッラーカ で仕掛けてくるが、すでに統率を欠いているようで、一斉射撃してくるのなやり方はしてこなかった。シルバアサシンが火砲ザッラーカ 兵を一人ずつ仕留めて、ファヌアルクトに降り掛かる危険を排除してゆく。ファヌアルクトはメフメト兵の掃討に頭がいっぱいで、脇でこのような補助が行われているのには気付いていないようである。
 槍を振り上げるファヌアルクトの顔は炎に赤く照らされ、歓声と火炎とがカフジの天を衝いた。その猪突ぶりが少し前のカトゥマルとそっくりでバラザフは、今までカトゥマル程は接点のなかったファヌアルクトに、戦いの最中、少し親好をおぼえたのだった。
 ファヌアルクトの突入組の背中を自身の配下であるシルバアサシンに任せていたが、カトゥマルの後詰の方がある程度片付くと、やはり前線が気になり始め、陰ながらファヌアルクトを見守っていたというわけである。
 そして、後は危なげないだろうと判断すると、バラザフは前線を後にしてカトゥマルの下へ戻っていった。
 ともあれ、ファヌアルクト隊の突入で、カフジの城邑アルムドゥヌ の西半分の区画を制圧する事が出来た。
 東区画は、火が燃え広がっていった西区画と逆に位置する事になる。城外からの火攻めはあったものの、守備兵に守りを放棄させる程の打撃には至らず、依然として防御、抗戦の構えを見せていた。
「万が一、バーレーンから援軍が出てきて城の内外から掎角されては堪らないな」
「ええ、前回の戦いでかなり痛めつけたとはいえ、それくらいの兵力はまだ残っているでしょう」
 角のある獣を捕える際、獣の後足をとるのが掎で、前から角をとるのを角である。カフジの城邑アルムドゥヌ に角を衝いている間に、足を捕まれて自由を奪われる危険は否定出来ない。
「バラザフ。日暮れまでにカフジを陥とせ。半分までくれば後は強攻めでも良かろう」
「インシャラー」
 カトゥマルの命に応じながら、バラザフは、
 ――段々、似てきたな。
 と内心では、にやりとしていた。
 急ぎこれをサイード・テミヤトにあげねばならないが、遣いの者が許可を持って戻ってくるのを待つ時間は無く、報告に人を出すと同時に攻めを実行する必要がある。行き違いが生じる可能性もあるが、それを今カトゥマルに告げても意気を挫くだけになるとバラザフは判断した。
 半刻後、カトゥマルとバラザフはカフジの城邑アルムドゥヌ の東の海上に居た。
「何だあれは。メフメト軍の新しい罠か」
 船上から早速例の円錐状の物体をカトゥマルが見つけた。
「あれらは砂蟹カボレヤ の巣穴ですよ」
砂蟹カボレヤ か。さすがバラザフは何でもよく知っているものだ」
 さらりと自分の知識であるかのように披露して、抜け目無く評価を稼ぐバラザフだが、彼自身、そんなものは昨夜知ったばかりである。
「それはそうと、バラザフ。こちら側は連中の防備は手薄のようだな」
「どうしてそう思われます」
砂蟹カボレヤ が巣穴を作るくらいだ。誰も見回りになど来ていないのだろう」
「なるほど……。確かにそうですな」
 カトゥマルの洞察を聞いて、バラザフは、血は争えるものではないなと思った。
「こちら側は殆ど足場が無く、濡れた砂に足を取られるので攻められるとは思っていないのでしょう」
「そうだな。だが向こう側と挟み撃てば話は別だろう」
「向こうのファヌアルクト殿と挟撃を呼応させるとなると、また遣いに時間を要しますが」
「いや、その必要はないさ。そろそろだろう」
 カトゥマルがそう言うと敵を挟んで向こう側から鯨波が上がるのが聞こえてきた。
「先にファヌアルクト殿に手回しをされていたのですか」
「いや、ファヌアルクト殿の性格を考えると待ちきれず仕掛ける頃だと思った。俺がそうだから分かる」
「まことに血は……、いえ、何でもありません」
「何か言ったか。バラザフ、矢を射掛けろ。火矢ではなく普通のだ」
 バラザフからカトゥマルの配下隊に指示が下ると、兵等が船上から放射状に射撃攻撃が始めた。正面から攻撃するファヌアルクト隊のための援護射撃である。
「今回のカトゥマル様の洞察、見事でございました」
「バラザフの知恵にばかり頼ってはいられないからな。それに、俺もお前もズヴィアド先生の弟子であるわけだしな」
「ズヴィアド先生が一門を開いていれば、我々は先生の同じ門下生という事ですね」
「そういう事だ。猪突な俺ばかり見て忘れていただろう」
 カトゥマルとバラザフは今でもこうした冗談が言い合える関係である。バラザフの言葉のように、生前のズヴィアド・シェワルナゼは教師でもなく、また宗教的に認可された師でもなく、彼らにとっての「先生」であった。ズヴィアドが先生として彼らに教授したのは、言うまでも無く戦場における戦術である。
 カフジの兵がファヌアルクト隊に手一杯になっている隙に、カトゥマルの部隊は城壁に梯子を掛けて、東側の区画のおよそ半分を占拠した。ほぼ無人の場所に兵を送り込んで奪取する事は、この上なく容易い事であった。
 カフジの太守が防備を固めている、残された最後の区画の前でカトゥマル隊とファヌアルクト隊は合流を果たし、カフジの攻城戦はいよいよ大詰めを迎えようとしている。
「カトゥマル様、この奥で指揮を執るのはカウシーン・メフメトの弟のファントマサラサティです。それを考慮すると今までが順調過ぎたように思えます。特に火砲ザッラーカ の一斉射撃が危惧されます」
「もっともだな。だが一度得られた勢いは貴重な力だ。前に使っていたあれ・・ を備えながら、このままゆくぞ」
「インシャラー。共に冥府までも!」
 カトゥマル隊の勢い・・は確かに凄まじい力となった。カフジ城内に出現した九頭海蛇アダル は敵の精鋭までも呑み込んでいった。
 対火砲ザッラーカ 用の砂袋を用いるまでもなく、恐ろしいほどの速さでカフジは陥落したのであった。
 アジャリアは、
「カトゥマル、ファヌアルクト、それにバラザフ。カフジの攻城、申し分の無い手柄である」
 と、短いながらも、現実味のある褒辞を垂れた。
 アジャリアは実は長子アンナムルを欠いた事を気に病んでいた。だが猪突なだけの愚息と先々を危ぶんでいたカトゥマルが、案外戦術の面でも、バラザフには及ばないものの、それなりに成長している事で、アジャール軍の展望が明るくなった気がして、嬉しさで虚飾が一切削ぎ落とされて出た言葉であった。
 アジャリアは余程嬉しかったらしく、バラザフを褒めるはずで父のエルザフに後で送った手紙に、バラザフの手柄に絡ませながら、随所にカトゥマルの名を出して、エルザフを笑わせた。
 家名を自らの名として帯びるアジャリアも、こういう時には人並みの父親エビ なのであった。老境を深める程、人は公から個へ還ってゆく。

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2020年6月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_1

 メフメト軍との戦いから帰還してより、バラザフはまたアジャリアの傍で勤務するようになった。アジャリアの傍で働くのは近侍ハーディル として仕えていた少年時代以来である。
「戦いは敵兵を倒せばよいというものではない。城邑アルムドゥヌ を強引に奪い取ればよいというものでもない。敵も味方も出来うる限り死なせない事が最上だ。隊将は武技だけ持っていてもいかん。わかるな、バラザフ」
 勿論、バラザフにとっては言われるまでも無い極めて基本的な事柄ではあるが、アジャリアから慈愛を込めて含むように諭されると、その言葉が千金の価値があるように感じられるのだった。それはアジャリアから得られる知恵は漏らさず貪欲に吸収していこうとバラザフは常日頃から思っているからである。
 バラザフ・シルバ、二十五歳。ズヴィアド・シェワルナゼから戦術、城邑アルムドゥヌ 建設を習っていた懐かしき時代は、すでに十年も昔の事である。
 バーレーン要塞包囲から退却戦に勝利して帰還してすぐに宣言したように、平時に戻る暇を与える事無くクウェート侵攻を命令した。
「先の戦いで皆が疲れきっている事はわしも重々承知しておる。しかし、好機はメフメト軍が怯んでいる今、一瞬の時しかないのだ」
 大鳥ルァフ から毟り取った羽根がずっと生えずにいるだろうとは楽観出来ない。
「今しかクウェート侵攻を再開出来ないのだ」
 本当は味方の誰よりも将兵の疲労が分かっているアジャリアなのである。しかし、ここは配下に負担を掛けてでも断行したい計画で、ここまでそうなるように盤面を動かしてきたつもりだ。
 大鳥ルァフ の羽根が治らぬうちにクウェート獲得を成しえなければ、ナーシリーヤのファリド・レイスは、きっとバスラにまで手を伸ばしてくるに相違ない。急がなければ、その後も力を持つ者がどんどん後続し、勢力図は刻々と塗り替えられてゆくのである。
「思慮深きバラザフの事だ。わしが拙速に過ぎるように見えるであろう」
 出征の慌しさに全軍が包まれる中、アジャリアとバラザフだけになる事があった。
「決して拙速には見えません。アジャリア様のお言葉通りクウェート侵攻は今しかないでしょう。そうでなければ先の激戦が全て無駄になってしまいますから」
「戦略的な事では無いのだ。そうさな、言うなれば生き方よ。わしもそろそろ五十。命の尊さが自分でよく分かってきたと思える」
 戦いの前とはとても思えない程穏やかに好好爺は語る。
「お前はまだ若く勢いがある。わしはこの歳になって思うのは、これまで何を成して来たか、死ぬまで何を成すことが出来るのか、だ」
 アジャリアは真っ直ぐバラザフに向き直り、
「わしは生き切るぞ。せいぜい後五十年だ」
 と哄笑した。
 もちろんバラザフにとってはアジャリアのこの心境も彼の吸収すべき教材であると思っている。だが、実際それを理解するのは難しい。バラザフの中でアジャリアは正に神で、その神がこう ずる事は有り得なかった。
 アジャリアは後五十年と言ったが、彼自身にとってはこれは明らかな冗談でも、バラザフは現実的な数字として受け止めた。
「いずれにしても時は限られているのだ。よって、このクウェートをその限られた時の中で成し得ておきたい」
 アジャリアはここまで自身の心根を吐き出し、
「全軍出撃!」
 と気勢溢れる指揮官の顔に戻った。
 クウェートの南、沿岸沿いのカフジに前線の陣を置いてこの城邑アルムドゥヌ を包囲した。今回の前線の将軍はアジャリアの甥であるサイード・テミヤトがその任に就いている。
 アジャール軍がカフジの地に至るのはこれで三度目である。ハラドからリヤドを経由してカフジまでの行軍はおよそ二週間である。季節は冬の入り口に入り、酷暑と対照にあるこの時期は昼間は過ごしやすい。
 カフジから海岸沿いに進めばクウェートへは二日の距離であり、このカフジの城邑アルムドゥヌ を含めて南のメフメト軍を勢力圏を背にする格好である。
 以前にここを奪取して撤退と同時にアジャール軍が放棄したカフジは、再びメフメト軍の勢力下にあった。カフジの太守はファントマサラサティ・メフメトという者で、カウシーン・メフメトの弟である。
 アジャール軍はカフジの包囲を調え、夜になってバラザフは現地の案内人を連れて周囲の視察に出かけた。
 海岸に出て砂浜を歩いていると円錐状の物体がいくつも設置されているのを見つけた。
「何だあれは。メフメト軍の新しい罠か」
 案内人に尋ねると、円錐は砂蟹カボレヤ が巣穴を作るときに掘った砂を積んだものなのだという。よく見ると円錐状のそれは確かに積まれた砂で、恐る恐る足で蹴ると簡単に崩れた。
 内陸で生まれ育ったバラザフにとっては海洋の生き物のこうした生態はとても珍しいものだった。
 アジャリアは奇策百出の頭脳から、九頭海蛇アダル に喩えられるが、彼らは砂の海に棲む九頭海蛇アダル であって、本物の海とは実はあまり近しい存在ではないのである。

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2019年7月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_7

 ファリド・レイスにアジャール軍のクウェート侵攻の報が入った。
 サバーハ家と手を結んだ事で彼らの主拠点であるバスラにレイス軍の兵を置いておけたファリドだったが、これを退かせて急ぎサフワーンの街の防衛に充てた。
 アジャリア軍の強兵共が押し寄せてくる。しかもそれをアジャリアが自ら率いてくるのである。兵を分散したままでこれに勝てる道理がなかった。利口な選択が出来れば傷口は小さくて済む。
 折角、ファリドとの間にバスラに帰れる渡りをつけたバシャールだが、アジャリアを恐れてまだバスラに戻れていない状態である。
「まさに幻影タサルール 作戦が利いていると言えるだろう」
 クウェートへ向けて進軍する道すがら、バラザフはそう考えていた。
 アジャリアはサッタームにクウェートとは別の南部のカフジの街に向わせた。クウェートからは徒歩で二日程の距離である。言うまでも無くサッタームは幻影タサルール としてアジャリアに化けている。
 クウェートの中心からサッタームを離して配置したのは意味がある。
「街は無理に得ようとするな。自分の存在を誇示すれば十分だ」
 クウェートからここまで南に離れていれば、そこから更に南側はすでにメフメト家の目の届く範囲に入る。つまりサバーハ軍とメフメト軍の間に幻影タサルール であるサッタームを置く事で両者を牽制する狙いがある。無論、挟撃される危険はあるが、今のサバーハ軍にその気概は無いとアジャリアは見ていた。ここは前回の撤退で荷隊カールヴァーン が奇襲を受けた場所でもあった。

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2019年5月15日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_42

 クウェートからペルシャ湾沿いに南下して約一日。カフジという街に差し掛かった辺りで荷隊カールヴァーン に攻撃を仕掛けてくる部隊があった。メフメト軍の遊撃である。
 寡兵で茂みに隠れ弓矢を射掛けてくる。どうやら主な編成はアサシンのようだ。
 バラザフは荷隊カールヴァーン と騎馬兵を後ろに下げると、
「お前等、出番だぞ!」
 そう叫んだ瞬間、こちらに弓引くメフメト軍の後方から、さらに矢の雨が降った。
「好機! 騎馬兵は前に出て敵を捕縛! 生死も問わぬ!」
 色を失ったメフメト軍の遊撃隊は次々と騎馬兵に討ち取られ、早くも百人が物を言わぬ骸となって斃れた。バラザフ配下のアサシン団もすでにこの場から姿を消していた。
 奇襲に巧く対応出来たバラザフの兵も、荷隊カールヴァーン にも死傷者は出なかった。無論、荷物も無事である。アジャリア軍の中で語られるシルバ家の奇譚がまた一つ増えた。
 ヒジラートファディーアに戻ったバラザフは、バスラで会ったファリド・レイスという人物が気になって、札占術タリーカ で彼の未来を見てみた。アジャリアに騙されたのも含めてあまりに惨めであるが故に、逆に気を惹いたのである。
 卓上で捲られた札は――
皇帝インバラトゥール ! まさかな……」
 常にポアチャを頬張っている、あの風采の上がらない姿にバラザフはどうしても覇権を結びつける事が出来なかった。

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2019年5月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_41

 今度はアジャール軍が窮地に立たされる番である。盤面を見ると領土拡大に成功したようではあるが、ファリド・レイスによって反アジャール軍がひと繋ぎになったために、エルサレムへ向かうほぼ全ての道が閉ざされた事になる。
 どこかで搦め手へ回られると、途端にそこが包囲され、壁に鉤を掛けて引き剥がすように奪われてしまう。一つ穴が開けばすぐに次が取られるだろう。
 アジャリア・アジャールはクウェートの街を棄てた。ハラドまで戻って前線を固める策を練るためである。
 攻撃の指示を今かと待ち構えていたバラザフは、戦意を発揮する場所を与えられず、急な退却を受けて肩から脚まで脱力した。辛うじて首だけは上がる。
 退却時にバラザフに命じられたのは兵站の荷隊カールヴァーン を無事にハラドまで送り届ける任務だった。戦場で戦うのとは異なり、無事に目的地に着くまで、敵のや夜盗の類の奇襲に備えて、常に緊張感の中に置かれる仕事である。

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2019年4月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_40

 結局ファリドはバラザフに確約を与えた通りに、サフワーン攻撃に入った。バスラの包囲を解いてサフワーン攻撃に遷ったあたりをバラザフはファリドの中に義理を見たが、ファリドにしてみれば、
 ――どうせバスラを落としてもすぐアジャール軍に奪われるのであれば、気色を損なわないよう今は要求を呑んでおくか。
 という気であったかもしれない。
 ファリドの半ば諦めを含んだ読みは当たった。
 リヤドに居たカトゥマルの副官アルムアウィン サッド・モグベルが自身に与えられている部隊のみでバスラを占拠した。レイス軍に包囲され枯渇していたバスラは、包囲が解かれたので補給が行き来していたのであるが、その流れに乗ってモグベル隊は容易にバスラを取れた。
 ところがその先に流れがファリドを驚かす事になった。バスラ占領でほとんど力を失っていないモグベル隊は、勢いでそのまま西のハンマール湖を舟で渡り、ファリドの拠点であるナーシリーヤ周辺の集落を攻撃し始めたのである。
 これには辛抱強いファリドも本気で怒りを顕にした。
「悪辣なアジャリアめ! 利用するだけ利用して騙したのか!」
 持っていたポアチャを投げつけ、それを盛ってあった皿を蹴飛ばし、口に含んでいた物までも吐き出して喚き、耳まで赤くなって、もはや言葉になっていない叫びを撒き散らし続けた。
 ひとしきり大立ち回りを演じた後、アジャリアに背信を責める使者を遣ったが、
「今回のナーシリーヤ攻撃はアジャリア・アジャールが一切あずかり知らぬ事。こちらでも子細を調べた後でなければ対応できぬ」
 としか返答が得られず、拠点との間にモグベル隊が刺さった事で、レイス軍は孤立する状況に置かれてしまった。
「さすがに手広くやり過ぎたか」
 ファリドからの使者が退去すると、アジャリアは周囲のワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティに漏らした。
「モグベル隊はアジャリア様の指示で動いていたのですか?」
「そうだ。だが、ファリドに気付かれては、もうナーシリーヤまでは取れんな」
 勿論、ファリドにとってもアジャリアの返答など信じられるはずもなく、急いでナーシリーヤまで撤退すると、矛先をアジャール軍に向けたまま、またハイレディンに頭を下げ、カウシーン・メフメト、サラディン・ベイとの同盟関係を急速に構築していった。結局、アジャリアの口車に乗ったファリド・レイスのクェート出兵は益無き事に終わった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年3月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_37

 未だバスラの包囲を続けているファリドに対して、アジャリアは、
「貴様は後は自分でそこを取っておけ。いずれわしが貰い受けてやろうぞ」
 としか考えていない。アジャリア・アジャールにとってファリド・レイスは、まだまだ格下の相手なのである。早くもクウェートの太守府に腰を落ち着けて、アジャリアはバラザフを自室に呼んだ。
「ファリド・レイスという人物を知っているか」
「名前しか存じません」
「実はファリド・レイスに使者を出したいと思っていてな。サバーハ家の家来達と話を詰めるため、人が足りない。それでバラザフ、お前に行って貰いたいのだ」
「承りました」
 アジャリアはバラザフに手紙を渡し、同様にバラザフの口からも伝えよという事で、アジャール軍は明日にでもバスラ方面の攻略に掛かるので、レイス軍はバシャールが逃げ込んだサフワーンを攻めよとの旨である。
 すでにアジャリアの頭の中でファリド・レイスは共闘仲間ではなくなっていて、ファリドへの伝言も命令調になっているあたり、アジャール家がレイス家の主家になったと考えていた。
 元々、アジャリア家と対等な同盟関係であったのはサバーハ家であって、レイス家はそのサバーハ家とは従属同盟であったのだから、アジャール家が主家となるのは当然の流れであって、アジャリアの頭にはアジャール家とレイス家が対等同盟であるという理屈は最初から存在しなかった。

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2019年3月15日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_36

 バラザフは騎兵百五十、歩兵三百を任されている。若くして一太守に抜擢されたとはいえ、こちらはまだまだ小部隊の隊長なのである。
 一週間後、クウェート――。
 バシャール・サバーハはクウェートの街を棄てた。アジャリアの率いる大軍がクウェート間近に迫ると、慌てふためいて北のサフワーンの街まで一目散に逃げたのである。軍用のみならず身近の馬まで家来に持ち去られ、哀れにもサバーハの一族はサフワーンまで自分の足を繰り出し続けるしかなかった。しかも、彼等がサフワーンの街に逃げたとすれば、アジャール、レイスに南北から挟まれる事になってしまうのだが、そんな大局を見る目は度を失ったバシャールは、全く持ち合わせていなかった。
 結果、一滴の血も流す事無く、アジャリアはクウェートを手に入れた。無論、分け前をファリドにくれてやるつもりもない。

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