バラザフはリヤドで書面に筆を走らせていた。リヤドに戻ってから、こういう事務的な忙しさに追われる日々である。書面の内容はといえば、事務的な世事や時節の事柄を書き連ねて、それを
そして、真に核心に触れた手紙は、実力と仁義を信じられるアサシン軍団に持たせた。このように伝達方法を二つに分けたのも戦略としての
バラザフも頭に大分白いものが増えた。同様にフートやケルシュも、もう若くはない。よって若手のアサシン、
バラザフの手足になっているアサシンは、組織的にはムザフの部下であるという事になっている。ムザフは頭は切れるがその物腰は柔らかい。それで部下からは主君の息子という感じではなく、棟梁あるいは兄貴という感覚で慕われていた。
バラザフが育ててきたシルバアサシンは、今、世代交代の時期を迎えている。ムザフを中心とした第二世代の波が来ているのである。
その中で注目されるのがレオ・アジャールという若手のアサシンである。アサシン団のシムク・アルターラスの手で赤子の時から育てられたのだが、何と、かのアジャリア・アジャールの血を引いているという噂があった。アジャリアは彼の祖父にあたるらしいが、詳細は周囲には明かされなかった。バラザフもムザフもこのレオを可愛がって育てた。
シムク・アルターラス亡き後は、アサシン団の中心に居たルブスタル、ジャンブリの二人が師匠となって、アサシンとしてのあらゆる技法を教えた。結果、今ではレオ・アジャールの実力はシルバアサシン団随一のものになっている。
「レオ・アジャール、カイロのベイ家
レオと並んで主な任務をこなせるアサシンが居た。女のアサシンで名をオルガという。オルガもレオと同じくシムク・アルターラスに育てられ、レオとは姉弟同然である。亜麻色の髪を持つ相当な美人だが、素性はレオ以上に不明な事ばかりで、陰に隠して明かさないという事ではなく、名前以外の事が今日に至るまで本人にも判明出来ていない。
「オルガは、ハーシム・エルエトレビー殿の本拠地であるバクーの
バラザフの与える任務は重い。だが、こういった過負荷な仕事でも移動力に長けた二人は平然と受けた。バラザフにとって本心から頼もしいと思える新世代である。
バラザフ・シルバ、五十四歳。ムザフ・シルバ、三十六歳。この二人のシルバ軍の棟梁は戦略的なかみ合わせが非常に良い。今の趨勢をどう見るか、それに対してどのように対処するのか。二人の方針は同和する所が多い。
「ファリド・レイスが何故周囲を振り回してまで先を急ぐのかムザフには見えているだろう」
「寄る年波ですよ。ファリド殿も八十を越えたとか。だからこそ、今まで慎重な素振りを見せていたのを、今になって
「今のままでもファリド・レイスは実質的な執政者だ。安定した政権を望むなら、昨今、巻き起こしてきたように戦争を誘発する所業に出る必要はないのではないか」
「安定した政権というのであれば、それは結局アブダーラ家の政権としての安定です。
「ムザフの見解、まさに核心を衝いていると言える。俺も同じ考えだよ。ファリドのやり口は悪徳商人が自分の懐だけに金貨を貯めこむような感じだ。自分に利する世に対して信義を以って報いるという事がないのだ」
同じような会話が、バクーのエルエトレビー家でも、カイロのベイ家でも行われていた。
――我等の信義を神はお望みだ。
彼等のファリド・レイスの悪行に対する信義は、まずは理念の段階で団結している。
その渦に最初に巻き込まれたのは、ザラン・ベイである。
「ベイ侯には、政権より召集の命を何度も出した。これに従わないのはカマール様さらには聖皇に対する反逆の意があるからであろう」
と詰問する内容の手紙がファリドからザランに送られた。これに対してザランも負けていない。
「馬鹿を言うな。このザランにカマール様への謀反の心があるはずがない。他人よりも己の心を明日の朝、井戸にでも川にでも行って洗ってくるがいい」
ベイ家からの応酬はこれに終わらず、ハルブ個人からもファリドへ挑発の手紙を送った。
「ファリド・レイス。ザラン・ベイと、このナギーブ・ハルブが若造だと思って侮ると承知せぬぞ。ベイルートおよびエルサレムへの召集には応じないとは一言も言っていない。ベイ家にはベイ家の事情がある。それを知っていながら、ベイ家の不参を以って反逆者扱いするなど無礼にも程がある。ザランが反逆者であるならファリド・レイスは大逆人である。世から誅せらるべきはファリド・レイスである。ザラン・ベイのカマール様への忠心はカラビヤートに並ぶべきものなし。いずれに
実に長い手紙である。
これらの写しは同盟相手であるシルバ家にも届けられた。
「さすがの俺もここまで叩きつけてやれないな」
「しかも、他人の子を愚息呼ばわりですからね……」
小気味よくザランとナギーブの読みながらも、バラザフもムザフも驚きを隠せなかった。
かかってこいと言わんばかりのベイ家の胆力がバラザフには羨ましかった。これまでの人生、特にアジャリアを失った後は、バラザフにとって戦いとは、大勢力との正面衝突をいかに回避して勝つかという事に神経を尖らせてきた。
そういう押しも押されもせぬ安定を求めていたからこそ、戦乱の世に躍り出て、活躍の舞台で大立ち回りを演じてやろうと息巻いていたのだった。
戦争に挑む自分の動機が、ザランやナギーブよりも、むしろファリドに近いと自覚してしまった事も、バラザフを内心では動揺させた。
「ファリドのやつ、あまりに憤って、ハイレディンのように髪の毛が真っ赤になっているのではないか」
「最高に怒っているでしょう。ベイ家にあのように豪胆に言い放たれますと、我等シルバ家だけが真の
「そうだな……」
バラザフは、まだこの時は表立ってレイス軍に反旗を翻す事はできないでいた。今の所は流れを見定めておきたい。
しかし、裏ではハーシムやナギーブとの手紙のやり取りをしきりに重ねて、さらには、ムザフの舅であるバフラーン・ガリワウと連絡を取り合うなどして、密盟の幅を拡げつつあった。
ここまで裏でバラザフが大きく暗躍していても、レイス軍にはまったく気取られていないかった。バラザフは配下のアサシンの優秀さに援けられていた。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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