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2022年1月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_4

  カーラム暦996年、バスラの城邑アルムドゥヌ が陥落した。暑さ隆盛の猛夏の季節であった。

 ――今はアジャール軍に勢いがある。

 それを見てとったファリドとハイレディンは、下手に手出しをすれば傷口が拡がると感じて、結局、バスラの城邑アルムドゥヌ が落ちるのを見ているしかなかった。

 ファリドとハイレディンが感じたように、今のカトゥマルに怖いものなど無かった。立ち塞がる敵は全て新生九頭海蛇アダル の巨体の踏み潰されていった。頭もようやく九頭海蛇アダルてい を成し始めているようである。

 巨体に勢いがある事自体、それは驚異的な力である。ハイレディンもファリドも、今はカトゥマルとの戦闘を回避するのが上策と見ていたが、カトゥマルの方からナーシリーヤ、バスラ方面に仕掛けて行くのを止めなかった。

 また、アジャール軍はファリドを野外戦に誘い出すように、何度か仕掛けてみたが、ファリドはナーシリーヤの門を堅く閉ざして一向に出てくる気配もなかった。

「ウルクで叩きのめされたのが心底辛かったのだろうな」

 と、アジャール軍の誰もが、引きこもっているファリドの心情を、卓上の物を見るようにはっきりと感じていた。

 カトゥマルが各地でその武勇を称えられても、ハイレディンは支援すらままならずここまできてしまっている。

 カーラム暦997年春、アジャール軍が十五万の手勢でハラドを進発した。リヤドを経由して北上、向かう先はムサンナである。

 ムサンナはサマーワを含む広域の名で、サマーワやナーシリーヤから見れば南に広がる地帯である。この大部分は砂漠で占められているが、 涸れ谷ワジ も多数流れる。

 北部のユーフラテス川の近くで棗椰子タマル米類アルズ雑穀ミレット などの栽培が行われている。集落はあるが、広域であるため城壁のある城邑アルムドゥヌ は形成していない。

 カトゥマルは全軍を三つに分隊した。生前アジャリアがよく行っていた編成のやり方である。

 五万の兵をカトゥマル麾下に置いてムサンナ方面に向かった。

シャアバーンが率いる別働隊を西から、もう片方のアブドゥルマレク・ハリティが率いる別働隊を東から行かせた。

 このやり方はファリドを恐れさせた。散々痛い目にあわされてきたアジャリアの戦術をカトゥマルが継承しているのが、一目でわかったからである。

「すぐにハイレディン殿に遣いをやれ。アジャリアが再来した、とな」

 ファリドの心はすでに病み始めていた。今までのレイス軍とアジャール軍の戦いの経緯からすれば、今度こそナーシリーヤが滅ぼされるほどの猛攻を受けるのは必至であり、カトゥマルの実力がアジャリアに劣らぬと判明した以上、勝ち目がほとんど無くなったと考える他ない。

 カトゥマルはムサンナに臨時に築かれたレイス軍の砦を包囲して、数回、火砲ザッラーカ で攻撃した。五千台の火砲ザッラーカ を配備している。だが、カトゥマルもそうだが、アジャール軍は火砲ザッラーカ の運用に大して重きを置いてはいないのである。

「使用するのは至極簡単ではあるが、弓矢のように連射する事が不可能だ。火薬や燃料のための費用も馬鹿にならない。狙撃出来るような必中の武器というわけでもないから、大量に用意しないとこの威力も用を成さんな」

 こう漏らしながらも、カトゥマルは火砲ザッラーカ での準備射撃をやり切ってから、戦いの太鼓タブル を鳴らして陣形を整えた。そして、カトゥマルはムサンナはひとまず放置して北上しハマー湖を過ぎて、バサの城邑アルムドゥヌ を包囲した。季節は春と夏を行き来している。

 ――カトゥマル様は、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を包囲して攻めるようだ。

 ――ファリドがナーシリーヤから出てくるように仕向けるおつもりらしい。

 ――今後もアジャリア様の戦術の路線でやっていくということだな。

 アジャール軍の中で将兵等がはカトゥマルの戦い方をこのように見ている。皆、カトゥマルの戦い方に独自性を期待すると同時に、これまでのやり方が変わらない事へ安堵もしていた。

 だが、それは見方を変えれば、カトゥマルがアジャリアの轍を踏み外さず模倣するのに、十分な実力を持っている事に他ならないのである。

 カトゥマルは、ファリドが頑なに篭城を続ける姿勢を見て、略奪こそしなかったものの、周辺の集落の作物を全て刈り取らせて、ファリドを挑発した。

「我等はファリドのおかげで腹を満たさせてもらったが、それでも奴は怒らないのか」

 様々な手を使ってでも、なんとかファリドを引っ張り出したいアジャール軍だが、結局、ナーシリーヤの城邑アルムドゥヌ の門は堅く閉ざされたままである。

 このような曲折した交渉が何度か繰り返された後、カトゥマルは再び主戦場をムサンナへと移した。場所はナーシリーヤから南西のハマー湖のさらに南である。レイス軍に属する小領主達がここを守備している。

 夏場に珍しく雨が降り始めた。長く続きそうな雨である。

 カトゥマルはムサンナの攻略に全力を注いだ。このような城壁も無い集落は、自分にとっては無防備も同じで、すぐに勝利出来る算段である。

 これと同時に、ハイレディンの方ではナーシリーヤへの派兵を決めていた。新編していた火砲ザッラーカ 兵の部隊の動きがようやく様になってきた事が、派兵に踏み切る一つの安心材料になったからである。そして、安心材料をもう一つ、秘策として抱えていた。

 ――ハイレディン、ナーシリーヤへ出兵。

 カトゥマルの麾下でムサンナの攻略の任にあるバラザフのもとへ、フートの配下が報せてきた。

 バラザフは、この仕事の間もシルバアサシン団の力を十二分に発揮出来る場を探していたが、その舞台を用意出来ぬまま今日まできてしまっている。

 雨は何故か未だに降り続いている。雨足が弱まる事はあっても、雲が切れて間から日が差してくる事は殆ど無い。

 ――レイス軍は歩兵に一万の火砲ザッラーカ を配備している模様。

 フートの配下からさらに情報が上がってくる。だが、バラザフはこの長雨と湿気では火砲ザッラーカ は、ただ金を捨てるようなものだと、これを危険視してはいなかった。

 アジャールがムサンナが制圧出来ないままでいるところに、レイス、フサインの連合軍が合流をはたした、という情報が入った。レイス軍はこの部隊にも火砲ザッラーカ を五千配備している。

「敵の兵力はどれくらいだ」

「ハイレディン自身が率いるフサイン軍が三十万、ファリドが率いるレイス軍が八万、計三十八万の兵力とのこと」

「我等の倍を超えているな。ハイレディンもファリドもこの戦いで雌雄を決するつもりのようだ」

 気を引き締めて、バラザフはカウザ を深く被った。だが、そこに驚きは無い。

 ほんの少し前のウルクでの戦いで圧勝した事を皆が憶えている。

 ――レイス兵ならば三人相手でも勝てる。

 という自信がアジャール軍の中で一般的になっている。

 アジャール軍の威風を知りながら、ハイレディンがムサンナへやってきた。ハイレディンはハマー湖の西側を少し過ぎたあたりで足を止めた。

 奇妙にも雨はまだ降り続いている。アジャール軍の方では、

 ――長雨のせいでハイレディンは我が方の動向を見つめている他無いのだ。

 という読みが大勢 たいせい である。

 思惑も先の見方も多数あった。そんな中でフートがアジャール軍の本陣に向かうフサイン軍の数名のアサシン集団を捕らえた。

「フサイン軍のマァニア・ムアッリム様に雇われた。我等は使者として参った故、サイード・テミヤト様に会わせてもらいたい」

 フサインのアサシンは書状を出した。テミヤトに宛てたものだという。フートはこの数名をテミヤトの所へは連れていかず、ひとまずバラザフの所へ連行した。

「何故、敵のムアッリムからテミヤト殿に使者が来るのだ。フート、テミヤト殿に知らせてきてくれ」

 呼ばれたテミヤトは、

「相異無い。フサイン軍の武将と何人か連絡をとってこちらに同心する手筈になっている。それらの代表がムアッリムというわけである。使者も今回が初めてというわけではない」

「何故、そのような大事な事を今まで隠していたのです」

「成功する前に知られて失敗して自分の顔に泥を塗りたくないのでな」

 と、テミヤトが顔色を変えない。

「さてと。隠し通せなくなった以上、カトゥマル様に知らせてこなくてはな」

 バラザフがさらに追求を深めてくる前にテミヤトは素早く席を立った。テミヤトの密使の件がカトゥマルの耳に入ってしまえば、バラザフとしては、これ以上の糾弾の材料が見つからない。

「これは危ない兆しだぞ」

 バラザフはテミヤトの暗躍をそう見た。ムアッリムがこちらに同心してくるとして、その真偽はどうなのか。そして、アジャール家の親族派閥に属するとはいえ、そういった単独の外交交渉をする権限がテミヤトにあるのか、という問題がある。

「こうした独断が認められれば、アジャール家の武将はアジャリア様以前、つまりナムルサシャジャリ様の代に逆戻りだ。アジャール家がまた分裂するという事なのですぞ。テミヤト殿ならお分かりのはずだ」

 バラザフは、カトゥマルの所から出てきたテミヤトを早速捕まえて糾弾した。

「それでこの私にどうしろというのかね」

 テミヤトは詰め寄られても態度は崩さず、うっすらと笑みすら浮かべている。

「く……! もうよろしい。カトゥマル様の存念をお聞きしてくる」

 テミヤトと話していても埒が明かないと即断したバラザフは、脇を抜けてカトゥマルの本陣の天幕ハイマ に駆け込んでいった。いつものバラザフならば、このような目上の将に対して礼を失する態度は慎むものだが、そんな事に構っていられないほどの言い得ぬ危機感に突き動かされていた。

「テミヤト殿の専行は本来ならば看過出来ぬが、寝返り工作が成功すればそれを帳消しにする以上の功績となる。自分が気に入らない策でも全軍のためと思えば、それを採るのが大将としての私のつとめではなかろうか」

 敵の寝返りを含めたテミヤトがカトゥマルに具申した策というのは、ムアッリムがこちらに同心したのを合図に、フサイン、レイス軍に対して総攻撃をかけるというものである。

 ムアッリムの使者が持ってきた書状には、フサイン軍はアジャール軍を罠にはめるため、工兵に陥穽のための穴を掘るのを急がせているので、今ならば、アジャール軍の騎兵部隊を全力投入すれば難なく突破出来る、とあった。

 都合が良すりる話を聞かされて、バラザフの危機感は逆につのるばかりである。

「カトゥマル様、この策に乗るのはあまりに危険です」

 バラザフは、カトゥマルの決定が変わるよう何度か食い下がったが、戦意に充ちた今のカトゥマルには、全てが自分にとって益するものにしか見えなくなっていた。

「フート、手遅れになる前に敵の陣容、特に本陣を調べてきてくれ」

 この言葉も、もはや無意識にバラザフの口から出ていた。

 しかし、フサイン軍に本陣に遣ったフートの配下は、何の情報も得られずやむなく戻ってきた。

「警戒が異常なほど厳重でした。配置されているアサシンの数、間者ジャースース の数、今までと比較になりません。近くまで行く事はかないませんでしたが、遠目には穴を掘る工兵が動いているようには見えましたが、雨のせいで視界が利かずはっきりと確証は取れませんでした」

 このとき確かにハイレディンは、工兵に穴を掘らせていた。だが、それを三重に築いていたのはアジャール軍からは確認出来なかった。掘った砂を麻袋に入れて積み上げ、平地に土塁も築いている。

「こうする事で平地に城を作ったのと同じ防衛効果が利くはずだ」

 というのがハイレディンの一つの意図である。当然、ムアッリムの寝返りの話もハイレディンが画策したものだった。

「カトゥマルの奴がこれに乗ってくれば、俺達の勝ちだ」

 三重に用意した陥穽、その最前列の穴と土塁の後ろに火砲ザッラーカ 兵を一万五千人並ばせている。フサイン軍の一万、そしてレイス軍の五千である。

 ハイレディンはこの戦いに自分の命運を賭けて挑んでいる。ムアッリムの裏切りという虚報で、アジャール軍を遠くから糸を引くように操っている。

 雨はまだ続いている。火砲ザッラーカ を今回の主軸に置いているフサイン軍にとって、この雨は凶事であるように思える。が、情報の隠蔽という意味では、先にフートの配下がフサイン軍の陣容を見極める事が出来なかったように、巧く情報を隠す役割を果たしてくれていた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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(2022.02.05公開予定)


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2021年12月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_3

  バスラはシャットゥルアラブ川の右岸にある港湾都市である。穀物や棗椰子タマル などの輸出港でもあり、都市内に整備された運河が、バスラの産業製品である棗椰子タマル の品質向上にも役立っている。

「この城邑アルムドゥヌ は北にシャットゥルアラブ川が流れているから向こう側から攻撃するには無理がある。南のバスラ運河沿いに布陣してじっくり攻めるしかないな」

 バラザフは今回の戦いでは、城邑アルムドゥヌ の包囲は有効な手段ではないと考えていた。

「敵味方ともに、このバスラ運河が攻防の鍵となる。敵の弱った部分を見つけて商人のダウ船で渡河できれば、そこから一気に攻略が進むのだが」

 だがカトゥマルはバラザフを参謀としては採用しなかった。

「今回の戦いはテミヤト殿の能力を十二分に活かしたい。諸将もテミヤト殿の指揮下に従属するものとする。シルバ殿は、レイス軍、フサイン軍の動きを注視し、別働隊として臨機に対応してもらいたい」

 という具合にテミヤトを前に推していた。

 主戦闘から外れているバラザフだったが、その間にも彼の脳は戦略的な思考をやめない。

 ――アサシンの能力を活用し、新たな部隊を創設出来ないか。

 この方法論をずっと探っていた。

 アジャリアが世を去り、カトゥマルの代になったと同時に、世界にも新時代が開かれていくのではないか、という予感がしていた。そして、新時代に適応出来るアサシンが要る。

 ――情報を獲得しなければならない。

 そして、

 ――そこに速さが求められる。

 つまり、

 ――アサシンをもっともっと増やさなくてはならない。

 アサシンを活かしきって、敵を掻き乱すには、獲得した情報をアサシン部隊の中でさば けなくてはいけない。とすると――、

「アサシン部隊自体に頭脳が必要だな」

 どこの軍団でも個々の力量によって情報を集めるようなアサシンは必ず居た。それを部隊として連携した戦法を取れるようになれば、戦力は格段に向上するはずなのだ。

 メフメト家のシーフジンの軍団の事が、バラザフの脳裏に浮かんだ。だが、シーフジンはメフメト家に抱えられているとはいえ、棟梁モハメド・シーフジンが動かしている軍団である。バラザフが志向するのは、シルバ家の一部隊としてのアサシン軍団の設立であった。

 バラザフは、リヤド、アルカルジなどを中心にしてアサシンの人材を広範囲に募るようにシルバアサシンの長のフートに命じた。このとき、部隊としてのアサシンを欲しているバラザフが求める人数は千人は超えていた。

 この時期、ハイレディン・フサインは火砲ザッラーカ を大量に導入した新たな軍団編成を目指していた。今まで弓兵で編成していた部分にも火砲ザッラーカ を装備させて、武器の扱い方に慣れさせる練兵の手間を大幅に削減した。火砲ザッラーカ は扱い方さえ覚えさせれば、鍛錬の必要はかなり少なく出来るからである。この頃ハイレディンが導入した火砲ザッラーカ の数は一万以上であった。

 しかし、未だ小城邑アルムドゥヌ を拝領しているだけのバラザフには、ハイレディンのように火砲ザッラーカ を自前で導入するとか、職業軍人を常に抱えておけるような力は無かった。

 小領主の身の丈に合った部隊編成、新戦法の開発をするより道は無い。

 バラザフの部隊創生の主軸には、アサシンを十二分に活かすというものがある。戦術には正奇の二つがある。将兵を使って普通に戦うのが正に据えるとすれば、バラザフの創案にあるアサシンを使った戦いは奇の位置に置かれる事になる。正奇の相まって戦いの勝利に安定性が生まれる。

「つまりだな、フート」

 アサシンの長にバラザフは、アサシン軍団創生を実際事例を前に置いて説明を始めた。

「今、カトゥマル様がバスラの城邑アルムドゥヌ を攻城しているだろう。そして、バグダードからハイレディンがレイス軍に援軍を出してきたとする」

 フートは、いつもはあまり無駄な口を開かない主人の言葉に熱がこもっているの感じて、興味深くこれを聞いていた。

「手薄になった敵の城邑アルムドゥヌ にアサシンを五百人くらい潜入させて、あちこちで放火すると敵はどう出ると思う」

「残った守衛部隊が出てきますな」

「その通り。詰め所から出撃してきた所を、城内に埋伏させておいた者に攻撃させる。この役に二千名ほどをあてておくのだ。伏兵に慌てた守衛部隊は一旦退却するはずだ」

「そうですな。なるほど見えてきました。そこから刺さりこむのですな」

「その通り。詰め所や本部に退却する敵兵に紛れて、こちらの兵を入り込ませて中を攻撃する。援軍を出している間にバグダードの城邑アルムドゥヌ は陥落してしまうという絡繰からくり なのだ」

「なるほど、これは我等アサシンが培ってきた力の撰修せんしゅう といえるでしょうな」

 バラザフの戦術をフートがこう評したように、今語られた戦い方はアサシンのこれまでの戦い方の総纏めである。アサシンの力を認め、これまで以上の活躍の場を与えようとしてくれている主人にフートの好感は素直に上がった。

 反面、複雑さも増すだけに、目的到達には誰も経験した事の無い険しさがある。創生するとはそういうことである。

 具体的には、今までの稼動単位が一人、または数人の集団だったものが、軍団に格上げされることで兵卒の部隊と同等の連携度が求められる事になるはずである。

「軍団になるといってもアサシンは奇で、歩兵、騎兵が正だ。正が主軸になるのは言うまでも無い。フートは面白くないかもしれないが、絡繰からくりの部品のような動きをしなければならないのは今までと変わらない。敵からも味方からも情報を集めてきて、それを捌く。その情報を活用して敵をかき乱し、正の者を巧みに勝たせる。名誉は得られないが重要な役割なのだ。これが今後のシルバ家の戦法となっていくであろう」

 このバラザフの言葉が、バラザフの子供達のこれからの戦い方も決定する事になった。

 特に次男のムザフ・シルバは父バラザフがつけた道を轍のように通って、最初の情報収集、次の段で後方撹乱をして、多勢に無勢という戦いでも勝ちにつなげてゆく型を確立していった。

 ハイレディンの火砲ザッラーカ の運用度を上げた軍団編成は、すぐに各地の勢力で模倣されてゆくが、バラザフのこの正奇両用の新たな軍略は、バラザフにしか運用出来ず、万人による模倣はとても適うものではなかった。アサシンの力を余すところ無く引き出す部隊の新編は、大量の火砲ザッラーカ が火を噴くような派手さはなかったが、シルバ家個有の戦術になった。

 至急、フートはバラザフの求めに応えるべく、リヤド、アルカルジを駆け巡り、新軍団に入隊する面々をバラザフの前に連れてきた。

 それぞれのアサシンがすでに百名ほどの配下を持っている。

「シムカ・アブ・サイフと申します。元はアジャール家に抱えられていたアサシンで、その後、御父上のエルザフ・シルバ様の配下となりました。梶木の名のとおりシーフジンにも劣らぬ速さと自負しております」

「シムク・アルターラス。得意技は、隠密タサルール 。姿を消して城に忍び込みます。元エルザフ様の配下です」

 バラザフの前に並ぶ顔には見慣れた者もあった。フートと一緒に戦ってきたフート、クッドサルディーンアジャリースアスカマリィ の面々である。さらに、

「ロビヤーンと申します。周りから何故か海老ロビヤーン と呼ばれておりました。城内を撹乱する技を持っております。エルザフ様に雇われた事も十五回ほど」

「ハッバール。煙の烏賊ハッバール 。墨ではなく煙で姿を隠します」

「ルブスタル」

「ジャンブリ」

「大海老と小海老であります」

 ルブスタルの方が付け加えた。この二人は配下を連れていなかった。

「我等の特技も移動。そして砂や木に潜む事もできます」

「ロビヤーンとは何か繋がりがあるのか?」

「いえ、フート殿の命名にて、特に関係は。アサシンは名前が隠れればそれでよいかと」

 その後、彼等を何気なく観察していると、実際の兄弟かはさておき、ルブスタルが兄、ジャンブリが弟として親密に行動しいるらしい。

 そして、最後にバラザフの前に出てきたのが、

「おお、ケルシュ殿も我が軍団に参画してくれたのか」

 バラザフもケルシュは顔見知りの仲であった。自然とバラザフの顔にも笑みが浮かぶ。ケルシュはリヤド周辺の集落出身で、アジャール軍でアサシン団を束ねる棟梁の一人だった事もある。

 配下を敵の城に潜入できるように育成し、自分も潜入能力には長けていた。アサシンの中の古豪である。アジャール家中の身分からいえば、バラザフと同等か、それよりもやや上の人物である。

「俺が今動かせる配下は二百名。どいつもそれぞれ異能を持った奴ばかり。フートから話を持ちかけられて、面白そうだから乗らせてもらった。俺が選んだ者達、皆、バラザフ殿を満足させられるはずだ」

 明瞭だが遠くに響かず、余人に漏れない。そんな声である。

 バラザフは最初の稼動人員を千名として、アサシン団を抱える事にした。そして、アサシン団の長を二人置いた。一人はケルシュ、もう一人は今までと同様、フートを任命した。


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2021年11月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_2

  カーラム暦996年中頃、カトゥマルはアジャリアの弟のサッタームをアジャリアに偽装し挙兵した。本人不在の幻影タサルール 作戦である。

 この挙兵はアルカルジに攻めてきたサラディン・ベイに対するものである。サラディンはアジャリアの生存を疑わしく思い、一度叩いてみて出方を確かめてみようというものであった。これと同時に、ハイレディン・フサインがバグダードから再び勢力拡大に動き始めていた。

 アルカルジでは病に伏しているエルザフの跡をバラザフの兄アキザフが継いでいた。そのアキザフよりこれらの急報を含めた報告が入ってきた。

「サラディンもハイレディンも、なめたまねをしてくれる。戦ってみればアジャリア様の生存がわかるというのなら、それでは勝てぬのだと教えてやろうではないか」

 これには諸将も異論無く一つにまとまった。煽るようなこの二者に対して応戦せぬでは、アジャリアの死を悟らせてしまう事にもなるからである。

 カトゥマルは、二つの戦線を同時にさばく事とし、アルカルジとバグダードに向けて出兵した。陣中のサッタームはアジャリアである事になっている。

 ――アジャリア・アジャール自ら出師。

 この報をどう判断したかは明らかにせず、サラディンの方は武器をおさめて馬を返して去っていった。

 カトゥマルは、アルカルジに出していた軍を転進させて、バグダードの方に向かわせた。こうした転進を織り交ぜた行軍こそがアジャリアの模倣なのであった。

 カトゥマルの当主としての戦争は緒からいい具合に運んだ。アブラス隊とともにアキザフ・シルバが先陣を駆けてフサイン軍を縦となく横となく蹴散らして勝利した。

「見事だ。さすがにシルバ家は当主がかわっても相変わらず強い」

 カトゥマルは本陣でアキザフ等の活躍を見ていて、そのとき近侍していたバラザフにも信頼を込めた笑みをおくった。カトゥマルの笑顔にバラザフも素直に頷いた。

 ――カトゥマル様ほど戦場で嬉しそうな顔をする方もいないな。

 人が死ぬ戦場で、溌剌としているカトゥマルを見て、彼の真の居場所のようなものをバラザフは感得していた。

 ハラドにいるときの最近のカトゥマルは沈鬱な表情を浮かべていることが多い。その重苦しさが、戦場に出ていると一切感じられない。戦場に出ると要らぬ苔を削ぎ落としたような清清しさになるのである。

 バグダードからハイレディンが出たときにはカトゥマルはすでに着陣していた。

「以前より速くなっているではないか。アジャリア殿の死は虚報に違いない。いや、こうして惑わす事がアジャリア殿のやり方だった気もするぞ」

 カトゥマルの迅速さにハイレディンは驚き、恐怖すら芽生えつつあった。

 カトゥマルがアジャリアを模倣出来たのは速さばかりではない。兵力を消耗しない、アジャリアらしい策略を駆使して、フサイン軍、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を時間の後先もわからぬほど、どんどん飲み込んでいった。

「強くなっている。アジャリア様の御霊が乗り移ったかのような強さ」

 カトゥマルの強さにはバラザフも驚いていた。これまでは猪突な大将としか思っていなかっただけに、カトゥマルの統率力、指揮力を見直さざるを得なかった。と同時に、今では九頭海蛇アダル の頭の一つとなっているバラザフは、すぐ横の一番大きな首を無意識に好敵手として凝視していた。

 本陣でカトゥマルを見つめていると、カトゥマルの戦術のアジャリアと僅かな違いも浮かび上がって見えてきた。カトゥマルのやり方は、押せると見たら徹底的に押して敵を下す、押しの強い戦いである。アジャリアと比較すると、このやり方は蛮勇といえるかもしれない。

 勇猛果敢である事はそれ自体が強さである。だが、突き進む強さが強ければ強いほど、敵の刃に触れる回数も圧倒的に跳ね上がる。

 ――やはり戦場でのカトゥマル様は危うい。

 バラザフの危惧をよそに、カトゥマルは目の前の壁を砕くかのよう戦い方を続けた。

 今回、バラザフは監視役としてカトゥマルの本陣で、諸将の賞罰を管理していたので、前線に出ることは少なかったが、カトゥマルの用兵で戦列に入る事も多少あった。

 敵の小規模な城邑アルムドゥヌ は、千人ぐらいの戦力して持っていない。

 敵の正面に前線の兵士を当てて、バラザフは配下を三百人率いて城邑アルムドゥヌ の裏に忍び寄った。配下の中にはシルバアサシンの長、フートの顔もある。フートは城邑アルムドゥヌ の中を調査して、警備が薄い所から潜入して、混乱の渦に陥れる。

 城邑アルムドゥヌ 内の混乱が最高潮に達したあたりで、バラザフと配下が裏門を一気に叩いて突破し、中になだれ込む。ここで無駄な斬り合いが発生しないよう、投降する者を受け入れられるように、バラザフは配下をしっかり統率した。この辺りがバラザフが諸将と比較して抜きん出て巧みな要素といえた。

 部隊の統率者が討たれれば兵士は動けなくなる。そこを狙い目に敵の隊長格の者を見つけて倒し、敵味方の損害を最小限に抑えるのである。

 敵将の獲物がバラザフの諸刃短剣ジャンビア で防がれたときが、もう片方の諸刃短剣ジャンビア で敵将が討ち取られるときであった。

「隊長は討ち取ったぞ! 命を粗末にせず投降せよ!」

 投降を促すとともに、敵将の血のついた諸刃短剣ジャンビア をこれ見よがしに掲げる。

 このやり方で投降しない敵兵はいなかった。これがバラザフの小規模戦闘での勝利の型として出来上がっていた。

 いかにすれば戦意が高揚するのか、低迷するのか。アジャリアの軍に従軍して戦場にてそれを肌で感じ取ってきた事が、将軍としてのバラザフの能力の形成につながっていた。

 バラザフは夜戦にも強さを発揮した。

 ――夜に敵が奇襲にくるぞ。

 城邑アルムドゥヌ の内側に潜入した数人の間者ジャースース 達は、方々で吹いて回って守備兵の恐れを喚起し、各所に放火した。

 城邑アルムドゥヌ の混乱が高まると間者ジャースース 達は離脱して、次にバラザフを先頭に少数の強兵が襲い掛かる。

 小規模な城邑アルムドゥヌ は、この手口で落とされたものが多かった。

「カトゥマル・アジャール。アジャリア以上に恐ろしい大将だ。たった三日でこちらの城邑アルムドゥヌ が二十も奪われた」

 カトゥマルの猛攻にはハイレディンといえども手出し敵わず、バグダードに篭って今はこの勢いを見極める他なかった。

 この戦いの間、アジャール家中におけるカトゥマル立場が強くなっていた。

「戦場の真中においてこそカトゥマル様は活きるのだ」

 バラザフがそう思ったように、戦場ではアジャール家はカトゥマルを中心にひとつにまとまった。しかし、ハラドに帰ると主君の不在を守っていたモグベルなどの側近派閥が大きな顔をするようになって、戦場ではカトゥマルに引き付けられていた古豪派閥の家臣等との亀裂がまた表出してしまう。

 これはカトゥマルの意思で古豪との溝を作るというよりも、側近派閥に融和性がないゆえに出来てしまう溝なので、カトゥマル自身では処置のしようがなかった。

 こうした溝を埋めるためにバラザフは、またカトゥマルを戦場に置こうと考えた。

「今のカトゥマルには勢いがあります。今のうちにこれを活かしてナーシリーヤ方面の攻略を再開しては」

「うむ。正に我が意である。アジャリア様が落とせなかった城邑アルムドゥヌ も、今の俺ならば可能であろう」

 と、カトゥマルも強く同意した。

 ところが、この出征にシャアバーン、ハリティ等、古豪派閥の家臣は、表向きはアジャリアが生存している事になっていて、目だった行動をする事によって、アジャリアの死が外にもばれてしまう危険が高まる事を理由に反対した。それでもカトゥマルが強く出征路線を打ち出してくるので、古豪派閥もこれに折れるしかなかった。

「シルバ。今回はテミヤト殿に先陣を任せようと思う。異論はあるか」

 今までバラザフと呼んでいたのを、カトゥマルはシルバ・・・ と呼んだ。無意識的に幼馴染という関係から抜け出し、公の人間になっていた。また、先鋒を・シャアバーン、ハリティにしなかった事も、カトゥマルが戦巧者である事を表していた。

 ――カトゥマル様は本当に戦争の事になると神がかる方だな。

 バラザフは、カトゥマルの采配と戦いでの神智に感心していた。

 出征の方策をカトゥマルから求められたときの案として、テミヤトを先鋒に推す事はバラザフも考えていた。クウェート方面のある小さな城邑アルムドゥヌ をテミヤトが領地として与えられていた事が理由の一つ。もう一つは、先鋒を古豪派閥ではなくアジャール家親族派閥から選任する事によって、家中でのテミヤトの格を上げて、なおかつ先のように戦争によってアジャール家がまとめる事を見込んだためである。カトゥマルの意図もこれに異なる部分は無かった。

 かつてアジャリアとの関係がそうであったように、カトゥマルとバラザフの関係も黙したまま互いに了解出来る領域が多い。幼馴染だからこそ分かる距離感というものはあるものである。

 テミヤトの部隊を先頭にアジャール軍がバスラに雪崩れ込んだ。アジャリアは生前、バスラ方面も鋭意攻略してきたが、バスラの城邑アルムドゥヌ 自体には手をつけてこなかった。バスラからファリド・レイスの本拠地であるナーシリーヤまで、西北西に約二日の行軍距離である。ナーシリーヤやクウェート等を繋ぐ、主要道の交点でもある。

 ――エルザフ・シルバ、危篤。

 ハラドを発つ直前にアルカルジからバラザフのもとにこの報せが入った。不安が無いといえば、それははっきりと嘘である。だが、バラザフは表情には出さなかった。

「父上の快復を祈る」

 とだけバラザフは兄アキザフにあてた手紙を送った。しかし、この手紙がアルカルジに着く前に、父エルザフは病にて霊籍の人となっていた。数日の後、シルバアサシンによって父エルザフの死がバラザフに報告された。

 アジャリアの死。父エルザフの死。敬愛した二人の、続いた二つの大きな死は、バラザフの心に大きな衝撃を与えた。一方で人の命の有限と、あらゆる命に死は避けえぬ宿命なのだという事も二人の死から学んだ。

「アジャリア様は限りある命を生き切ると言っていた。その中で何を成すかが大事であるとも。死を意識して尊き命を巧く運んでいかなくてはな」

 あの時のアジャリアの言葉の意味がわかり始めていた。


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2020年8月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_3

 カフジの城邑アルムドゥヌ を押さえたアジャリアは、バラザフにクウェートへの使者を命じた。
「クウェートは今、主君であるバシャール・サバーハの代わりに、太守を置いてハサン・アルオタイビという者が治めている。このハサンに城邑アルムドゥヌ を譲渡するよう説得し、加えてハサンを我等アジャアール軍の将として迎え入れる用意があると伝えるのだ。バラザフでなければ手落ちとなり得る重要な任務だ。頼んだぞ」
 クウェートへ向うバラザフの顔からは血の気がひいていた。最悪、捕縛されて殺されるかもしれない。
 ――やられる時はハサンと相打ちにして果ててやる。
 刺客として送られたアサシンのような覚悟の、アジャリア軍使者バラザフ・シルバである。
 バラザフは単身、クウェートの城邑アルムドゥヌ の奥へ招かれた。連れてきた配下の者には奥へ進む許可が下りなかったのである。
「溌剌とした若者が来たものだ。カフジの攻城はその若い将の手柄だと私は聞いている」
 ハサンと会見し、ファリド・レイスの所へ遣いにいったときのように、バラザフは使者として若輩扱いされた。だが、今回はなめられたとは感じなかった。相手は見た所明らかに自分より年長者であるし、ファリドのように言葉に侮りの色が見えない。何より今の自分には心の余裕が無い。
 バラザフは顔を強張らせたままアジャリアからの手紙をハサンの側近を通じて渡した。後はアジャリアが言っていた言葉をそのまま伝える事しか出来なかった。
「アジャリア殿の御申し出を受ける事にしよう。私にはこのクウェートの城邑アルムドゥヌ の兵と民を護る責任がある。今のサバーハ家は風前の灯火だが、九頭海蛇アダル の肉体の一部となれば吹き消される心配も無かろう」
 ハサンがこう返事した瞬間、クウェートはアジャール軍の所属となった。
「良き手柄だ、バラザフ。お前の説得を見込んだわしはやはり正しかった」
 殆ど説得らしい説得も出来なかったバラザフは、アジャリアの賛辞にただ頭を垂れる他無かった。
 アジャリアはクウェートの城邑アルムドゥヌ を獲得出来た事を十分な成果と受け止め、この年の軍事行動をここまでとし、本拠地であるハラドに引き上げた。

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2020年5月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_10

 フートが走り去ってから一刻――。アッシャブートからフートを通して報告があげられた。
「メフメト軍はアジャール軍が待ち伏せを迂回すると読んでいる。そのためバーレーンからの本隊と合流待ち待機場所からは動かない」
 バラザフはこの情報を、メフメト兄弟は城邑アルムドゥヌ の防衛戦でアジャール軍から手酷くやられているのでシアサカウシンから、
 ――こちらから仕掛けるな。
 との命令が出されていると解釈した。
 まだフートからの情報はある。
「敵味方の諜報戦が熾烈です」
 配下のシルバアサシンが各方面で必ずシーフジンと遭遇しているが、今の所戦闘は回避出来ていると続けた。
「シーフジンもアジャール軍の情報をもぎ取ろうと躍起になっております」
「フート、予め戦闘を許可しておく。この場合こちらの情報を守るのが優先される。敵の情報を取れなくとも良いから、各自の判断で始末して構わない」
「承知」
 作戦とアジャリアの意図を鑑みると、別働隊の情報だけは何としても秘さねばならないのだ。
 結局、シーフジンとの戦闘が多発した。
 シーフジンに対応するには、彼らの移動力を封じる事が肝要である。ここでシルバアサシンの連携の良さが活きた。
 ある所では網を張り、ある所では縄を巡らせ、砂地に伏せて、シーフジンの足を止めに掛かった。それで各所でシルバアサシンとシーフジンとの戦闘に発展した。
 ここで判ったのは、シーフジンは先にオクトブートと遭遇して霧消してしまった者のように、捕縛されたからといって皆が皆、消えるわけではないという事である。
 フートは配下全員に、
「モハメド・シーフジンはカウシーン・メフメトの傍近くで勤めているという話だ。よって戦場には出てきてはいないと見ていい。モハメドに統率されればシーフジンの連携も侮れぬものになるだろうが、各々ばらばらであれば我等シルバアサシンが奴等相手に危うくなる事は無い」
 と自身の思惑を伝えてある。中には消えてしまう奴もいるであろうが、シーフジンの中で唯一恐るべきは首領のモハメドであるとフートは考えている。
 バラザフは、これらのを情報を取りまとめる事から、別働隊のワリィ・シャアバーンよりも先陣に居るアブドゥルマレク・ハリティへの情報伝達が優先されると判断した。アジャリアへの報告には弟のレブザフが走っている。
 レブザフが持ってきた情報はアジャリアを喜ばせた。
「待ち伏せておきながらメフメト兄弟は我等が戦闘を回避すると読み違えたか。ふふ……、九頭海蛇アダル から通り一遍等の知恵が出るわけがあるまい。わしは定石を外すことも中てる事も出来るのだ」
 そしてハリティを急がせるようにアジャリアからバラザフへの指示を持ってまたレブザフは駆けた。敵が油断している今が攻め時である。
 アジャール軍のこの動きを見たメフメト兄弟は、傍から見ても分かるくらいに青ざめた。先の戦いで自分達がアジャリアに敵わない事は証明されてしまっているのである。
 アジャリアの言葉通り待ち伏せておきながら、彼らはアジャール軍との遭遇を想定していなかった。
「何故、アジャリアがこちらに向ってくるのだ!」
「あれもまたアジャリアの幻影タサルール とやらではないのか。こちらに影を当てて本隊は砂漠を横断して通り過ぎるに違いない」
 アジャール軍によって混乱させられているのは、上だけでなく下の諸将もである。ここに召集された意味を知らない彼らは、
 ――アジャール軍と戦う事になるとは。
 ――アジャール軍に交戦の意思は無いらしい。
 と噂して浮き足立った。
 その通り上からも彼らは命令されており、言われた地点へ布陣すればアジャール軍は迂回して通り、後はバーレーンのメフメト軍主力が追撃し、そこから挟撃にうつればよいと一応安心させれていたのである。
 シルバアサシンや、アジャール軍のアサシンはこれを衝いた。流言を用いてこの噂により真実味を持たせたので、メフメト軍の将兵の間では、いよいよ、
 ――アジャール軍は迂回路を取る。
 との情報が浸透しきっていった。
 内部に流言がこれ以上拡散して、より困難な状況に陥るよりは、
「まだ勝機のあるうちに事に挑もう。向ってくるアジャール軍に先手を打つ」
 と、ソコルルとメフメト兄弟は、先制攻撃の方針を決めた。
 同時にこの情報は、バラザフのもとへ流れてゆく。バラザフは先陣に居るアブドゥルマレク・ハリティの所へ向う途中でこれを受けて、敵がアジャール軍を迎え撃つ構えになっている事をアブドゥルマレクへ知らせるために馬の脚を速めた。
「伝令将のバラザフ・シルバだ。そこを通してくれ!」
 暗闇を照らす松明を持つ兵の間をバラザフは駆けて通る。
「ハリティ殿、アジャリア様からの伝言を持って参った!」
 バラザフは、敵の動き、アジャリアの指示に加えて、先ほど入ったメフメト軍が交戦の構えを見せているという情報をアブドゥルマレクへ伝えたところで新たな伝令が駆け込んできた。
 ――メフメト軍、火砲ザッラーカ を発射!
「怯えた威嚇射撃だ。あの場所からはこちらに火砲ザッラーカ は届かん。どちらにしろ交戦する気のようだな。バラザフ、全軍に戦闘の準備をさせてくれ」
 先鋒の本部のアブドゥルマレクの陣を出て、最前線へ向けてバラザフは走った。一番前に配置されているのはハッターン・アルシャムラニという将である。
 アルシャムラニに伝令を終えた所で再びメフメト軍の火砲ザッラーカ が一斉射撃された。
「今度はかなり近いな」
 火砲ザッラーカ が宵闇の空の赤く焼いているのが見えた。おそらく今の発射で全て撃ってきたはずだ。
 ――予備の発射を残しておいて反撃される危険はあるが、しかし、
「次の発射までに一気に仕掛けるぞ!」
 メフメト兄弟にそこまでの機知は無いとバラザフは判断した。急場、伝令将の任に就いてはいるが、バラザフは部隊を率いる身分である。伝令の間にも常に彼の部隊は随行してきており、バラザフは弓兵に先ほど炎が見えて明るくなった場所を指して攻撃を命じ、騎馬兵は自身と共に突撃するように指示した。万が一次の火砲ザッラーカ が来た時に備えて、また以前のように砂袋投げて炎を防ぐ手配も忘れなかった。
 闇夜の空を弓矢がはし って裂いた。準備に時間のかかる火砲ザッラーカ と比べて、弓矢での攻撃は連射も出来るし、急場の小回りも利く。
 音から判断して弓兵の攻撃は効いているようだ。
「好機! 一気に押し掛けるぞ!」
 伝令将でありながら、その場に居合わせた都合で、バラザフが最初の切り口を作る形になった。
 馬上で両手に諸刃短剣ジャンビア を持って構える。そして、灯明がある位置を目指して駆けた。火砲ザッラーカ を敵が撃ってきたために攻め時が生じただけである。悠長に構える時間は無かった。
「敵を見つけたらとにかく斬れ! もたもたしているとこちらが火砲ザッラーカ の炎の馳走にあずかる事になるぞ!」
 暗闇故の同士討ちも回避するよう指示した。当然ながら同士討ちというものは、進行方向が交わるから発生するものである。よって扇状に各自が斬り進んでいけば味方とはぶつからないという一応の理屈である。言葉で敵味方を判別する方法もあるが、今回はこの方法を採った。
 先に斬り込んでいった者らに続いて、手持ちの矢を撃ち終えた弓兵も得物を抜いて攻撃に入った。
 予想通り火砲ザッラーカ は一斉射撃した後で、反撃らしい反撃も無く敵部隊は俄かに崩壊した。
 一人、バラザフに斬りかかってくる者があった。質の良い装備から火砲ザッラーカ 隊の隊長であると思われた。
 相手は素早く剣を突き出してバラザフを仕留めようとするが、その切っ先は全てバラザフの諸刃短剣ジャンビア なされ、最後には左の刃で大きく弾かれた隙に、右の刃で心の臓を貫かれ絶命した。
 すぐに周りを警戒し視界を巡らせてみると、各自、敵の殲滅を終えた部下達が集結している所である。兵等が集まってきた場所では二人が刃を交えている最中であった。どちらかが味方でどちらかが敵である。
 その片方の頭にあるカウザ と両手の諸刃短剣ジャンビア からバラザフだと判断し、彼が敵将を仕留めた瞬間、歓声が沸き起こり、その渦は周囲のハッターン・アルシャムラニの部隊にも伝播していった。
 ――見事!
 と手柄を寿ことほ ぐ声まで聞こえてくる。
「十分に働く事が出来た。この場はアルシャムラニ殿の部隊に任せて我等は伝令の任に戻る」
 バラザフが自部隊に退却を命じた所に、アルシャムラニ隊がやってきて入れ替わり、陣地を確保した。アジャール軍の陣地が一歩進んだ形になる。
「さすがはバラザフ・シルバ。伝令の任にありながらその機転で緒戦を制してしまうとは」
「いえ、行きがかり上、巻き込まれたに過ぎません」
 全方面で剣が交わり始めた。バラザフの戦いがきっかけとなったのである。
 両軍の火砲ザッラーカ が火を噴いて、夜の砂漠を明るくした。
 アジャール軍が分隊して稼動しているため、メフメト軍もこれに対して隊を分けて対応しなくてはならない。ハリティの部隊は敵を斬りながら圧している。士気は十分である。
 戦戈は荷隊カールヴァーン を護衛しているナワフ・オワイランの部隊にも及んだ。
「積荷を死守せよ! 守りきるのだ!」
ナワフは必死に叫ぶ。こちらは劣勢を強いられていた。
 敵の放った弓矢に荷隊カールヴァーン の護衛隊の小隊長の一人が眉間を射抜かれた。途端に配下の兵が悲鳴をあげて慌てふためき始める。戦線の弱まった所に敵兵が殺到した。
 ナワフは部下を怒喝しながら敵を必死に防ぐ。小隊長を失った部隊を急いで他の小隊長の指揮下に入れた。
「守りきるのだ! 勝てない敵ではない!」
 隊列が乱れ、敵味方が入り混じっている。誰もが暗闇の中、剣を振り回していた。
 乱戦が一刻ほど続いた後、別働していた部隊を連れてワリィ・シャアバーンが荷隊カールヴァーン の加勢に駆け付けた。すでに自分の持ち場の敵は片付けている。
 奮って抗戦する荷隊カールヴァーン を押し切れなかったメフメト軍は、背後にワリィ・シャアバーンが部隊が俄かに出現し、前後から挟まれる形となった。
 七万のワリィ・シャアバーン隊が鯨波を伴ってメフメト軍を圧殺しにかかった。
 メフメト軍の数は十三万。数ではかなり有利に見えるが、その実、メフメト勢力圏内から集まった烏合の衆で、あわよくば脱走の機会を窺う兵もいるほどである。
 結局の所、まともに戦意があるのはメフメト兄弟とソコルルとその他数名のみで、あとは兵を束ねる隊長格でさえ、後ずさり始める始末である。メフメト兄弟の命令を待たず、ほとんどの将兵が戦場を離れようとしている。その点ではアジャリアに侮られ、雛鳥ファルフ と揶揄されているとはいえ、メフメト兄弟はまだ将として資格があるといえた。
 まもなく夜が明ける。
 旦日シュルーク が地平より顔を出し、戦場の砂を橙色とうしょく に染める。
 始めに挟撃を仕組んでいたメフメト軍は、現前、アジャール軍に挟撃されているという事態である。
「御兄弟、これ以上の戦闘は無用と思われる。戦死は回避すべきです。撤退命令を出すべきです」
 大局眼を持つソコルルでも、この不利は押し返せないと見た。今、アジャール軍の勢いは強すぎる。
「ここに至っては犠牲がさらに増えるばかり。撤退命令を」
 ついにメフメト兄弟から撤退命令が出された。ただでさえ逃げたがっていた将兵らは、形振り構わず散り散りになって姿を消していった。
 そのメフメト兵をアジャールの騎馬兵が、駱駝騎兵が掃討を始める。
「神が我等の勝利を望まれた」
 戦況を見つめていたアジャリアの口から安堵の声が漏れた。その安堵も束の間、すぐに、
「バラザフ!」
 声を大にして呼び声をあげた。
荷隊カールヴァーン と全軍の被害状況を確認せよ」
 いまだアジャリアは勝利に落着してはいられなかった。先に彼が申し渡したとおり荷隊カールヴァーン が無事でなければ彼らの帰還はかなわない。
 バラザフは馬を駆けた。戦いが始まる前と違って、朝に降りた露が今度は腕に冷たく感じられた。
 ある場所でフートが立ち尽くしていた。足元に物言わぬ身体が数多転がっている。
「何があった。フート」
 フートはすでにここには無い心でバラザフに答えた。
「モハメド・シーフジンが出ました……。奴は……。奴は怪異です」
「こちらが戦いを制したのか」
「こちらが倒したのは九人、こちらは六人殺されました」
 バラザフは再度足元の死体に目をやった。その数は十四である。
「一人足りないようだが」
「私です。私はここで死んだのだ」
「だがフートは俺の目の前で現に生きているではないか」
「モハメドは私をやれた。喉下に刃を突きつけ、そしてやらずに消えていったのです」
 バラザフの前に立つフートはただ肉体が生きているだけのようで、心と魂が剥離しかかっている。だが今放心を求めれば或いはまだ間に合うかもしれない。
「ならば大死とせよ。今、絶後に蘇り今まで以上に奮起せよ。フートはもう死んだ!」
「は……」
 バラザフの言葉はひとまずフートの心に救いを与えたが、まだフートが力を戻すには至らなかった。生きる屍になりかけているフートを言葉の剣で斬り、バラザフはフートにそう言ってやる他なかったのである。
「本当は我等が完全に優勢でした」
 フートはバラザフのため何とか先程まで起きていた戦いを述懐した。
「戦いが終わった瞬間、モハメドが現れました。奴は私の配下を一瞬で屠り、最後に私は青い煙を見たのです」
「なるほどな……」
 つまり、シーフジンが前線での敗戦をカウシーン・メフメトに報告するために出てきており、フートの命をわざと取らなかったのはバラザフに恐怖を伝えるためで、
 ――シーフジンとメフメトを侮るな。
 という釘刺しのようなものであろう。バラザフの方にはまだ、そう分析する冷静さが残っていた。
 この惨状の現場に各方面に散っていたフートの配下が戻ってきて、皆、一様に驚嘆した。
「一体何が……」
「モハメド・シーフジンが出たそうだ」
 胸詰まらせるフートの代わりにバラザフが答えた。
 フートの配下達は、
「いかにモハメド・シーフジンが伝説のアサシンでもシルバアサシンの総力なら倒せるのではないか」
「姿を見ても正体が分からぬでは倒す方策が立たん」
「だが首領が生き残れたのは幸いだった」
 と口から出る言葉は様々であるものの、心の内は同一に暗澹としたものである。
「シーフジンと対決する時が迫っているのかもしれない。その時までにフートの指示によく従い各々力を蓄えるように」
 バラザフはフートの顔を立ててやるのを忘れなかった。
「バラザフ様の言葉通りシーフジンとの対決は回避出来ぬだろう。それは逆に仲間の仇を返す機会が与えれるという事だ」
 ようやくフートがアサシンの首領の顔に戻ってきた。
 モハメド・シーフジンの方は、戦線情報を把握を望むカウシーンの指示を受けて、配下を遣わさずに自身が前線に赴いていたのである。
 報告に戻ろうと駆けるモハメドの視界に配下のシーフジンとシルバアサシンの戦闘が目に入り、シルバアサシンを次々に斬って帰ってきた。
「戦線にて我等メフメト軍は敗北。戦後、アジャール軍はリヤドに向けて退却し始めている模様」
 報告するモハメドの顔色はメフメトから仮面のせいで分からない。その口から出る声も、ただ事実を淡々と述べるのみである。
「こちらは手痛くやられたであろうな」
「アジャール軍が把握した情報を借りるならばメフメト軍の戦死者は三万二千、負傷者は数え切れず」
「向こうはどうだ」
「戦死者三千、負傷者六千」
「負けるにしても負け方が酷すぎるな」
「あくまでアジャール軍の情報ですが」
「いずれ愚息等も帰還するであろう。それで再度確かめよう」
 敗戦から命拾した者らが語る言葉によって、カウシーンはモハメド・シーフジンの報告に誤りは無かった事を知らされた。
「息子達よ。父はアジャリアと初めて対決し、そして負けた。大きな戦いであったなぁ……」
 カウシーンは寂しく笑い、細めた目をおぼろげに遠くに遣った。
 俯いて物も言えぬ息子達の中で、シアサカウシンだけが、
「父上は大鳥ルァフ なのです。大鳥ルァフ は地に墜ちる事は無い。墜とされたのは我等だ!」
 父カウシーンの敗北を否定し、最後まで大鳥ルァフ であらしめようとした。翼で飛べない自分達の代わりに、父だけでも大鳥ルァフ として飛翔していてくれれば、それでメフメトの誇りが守れるような気がずっとしていた。同じ思いは後ろのムスタファ、バヤズィトにも当然あった。
「それは違うぞシアサカウシン。大鳥ルァフ といえども土から生まれた物であろうよ。ならば翼を風に永遠に乗せている事など出来ぬのが道理なのだ。アジャリアはカウシーンに圧勝した。この先そう語り継がれてゆく事だろう」
 それを聞くシアサカウシンにもはや言葉は無かった。あるのは自分達の不甲斐無さで父の名を貶めてしまった事への無念だけである。
「我等は義人と世間で称されるサラディンをあてにし過ぎたのだな」
 カウシーンの見る西の海の先には広大な砂の大地が広がり、さらにその先に今日の太陽が沈もうとしている。
「父の死後は、ベイ軍とはそれで手切れとせよ。義侠心は確かに価値ある物だ。しかしこの世でそれより価値ある物は生き残るための力だ。父が死んだらアジャール軍を頼れ」
「はい……」
「あの九頭海蛇アダル の懐に潜り込んで背中に乗ってやれ。乗り心地は最悪だろうがな」
 愉快そうに笑うカウシーンは、最後にはやり切ったという清々しい顔になっていた。
 数年後、大鳥ルァフは 地に降りて羽根をゆっくりと静かに休めた。そしてシアサカウシンは父カウシーンの言葉を守り、アジャール軍との同盟を成立させた。これもアジャリアのクウェート侵攻を再開する上で盤に組み込まれる事になる。
「あれだけ叩きのめしておけば、メフメト軍がわしの行く手を阻む事はないだろうからな」
 ハラドに帰還したアジャリアは早速、全軍にクウェート侵攻の方針を示した。
 先の戦功でバラザフはさらに昇格し、配下が増員され、弟のレブザフも配下を与えられ、兄とは独立した百名程の自分の小隊を持つ事が出来るようになった。
 息子達の出世を聞いた父のエルザフは、
「あの苦境の頃の死なぬ覚悟がここで生きてきた」
 と彼ら以上に喜びを噛み締めていた。

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2020年4月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_9

 前線にアジャリアが最も信を置くアブドゥルマレク・ハリティを出している。挟撃の別働隊にも信頼出来るワリィ・シャアバーンを行かせ、重要な荷隊カールヴァーン を熟練のナワフ・オワイランに護らせている。これ以上に無い本気の布陣なのである。
 アジャリア本隊を含めた大きく分けて三つの隊が稼動し始めた。
 年の瀬まで残り一月程。普通に暮らす分には暑さが猛威を振るうのが収まった程度で過ごしやすい気温と言えるが、伝令に高速で駆けるバラザフにとって、当たる風は彼の熱を少なからず奪ってゆく。だが、それにも負けぬくらいバラザフの身体は高揚で熱量の塊となっていた。頭も耳も熱くなり思考を妨げられそうになっている所を、風は顔の熱を冷ましてくれた。被っていたカウザ を後ろに脱ぐ。
「フート、配下に待ち伏せのメフメト軍の偵察をさせてくれ」
「承知」
 バラザフは今までに無いくらい情報を渇望していた。バラザフの任務はアジャリアの命を諸将に正確に伝達し、作戦通り厳密に将兵を稼動させる事である。その任務を間違いなく遂行するために、戦場全体が見える情報を得て、頭の中で図を描いておきたい。その情報を集めるために、自身の目だけでは到底足りぬというわけである。
 アジャリアはシルバアサシンの活躍まで見込んでバラザフをこの任に当てたのかもしれないが、今のバラザフにアジャリアの心中まで見通す余裕は無かった。
「シーフジンに用心するのだ」
 今度は使者と書状を捕らえた時のようには、簡単にはいかないはずである。
 バラザフは実際にシーフジンを見たことは無い。だが、シーフジンと呼ばれるアサシン集団はすでに彼の心に恐れの影を落としている。
「殿が言われたとおりシーフジンとシルバアサシンは同門のようなもの。実力にさほど差は無し。心配召されるな」
 バラザフの横に寄せて一緒に走っていたフートは、命令を遂行するためそのまま離れて消えた。
 粒の大きく有能なアサシンがフートの配下には多い。投げ網捕獲のオクトブートもその一人である。他にはアッシャブート、クッド、アジャリース、マハールという名の知れた者がいた。各々が異能ともいえる特技を持ち、武器の扱い、道具の扱い、移動の足も速く情報を握る頭の回転も速かったので、アサシンの長であるフートも大層頼りにしており、彼らの下にさらに配下のアサシンを与えていた。

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2020年2月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_7

 アジャール軍は全軍でハサーに進んでいる。
 シアサカウシンは本格的な追撃に入るため軍容を整えていた。
 ところが追撃に燃えるシアサカウシンを嘲うかのように、二十万のアジャール軍はハサーの傍まで寄せて、またもや転進したのである。
「全軍、西だ。このまま皆でリヤドに帰還するぞ!」
 アジャリアの指示が下達した。
「ハサーを獲得する目的ではなかったのですか」
「ハサー獲得も上辺うわべ の陽を見せたに過ぎん。これで十分にメフメト軍を揺さぶりをかける事が出来たはず」
 目的を十二分に達成したにもかかわらず、アジャリアの表情が晴れていないと傍のアブドゥルマレク・ハリティは見た。
 今回のメフメト軍との戦いが布石であるならば、それはクウェート攻略のために他ならない。だが、ハリティの見たアジャリアの顔色にはそれだけでない苦さが出ている。
「帰還の道は間違いなく血路だ、アブドゥルマレク。メフメト軍は大鳥ルァフ と化してわしらを食いに追ってくるぞ。各隊に情報収集を怠らないようにして進軍するように命じよ」
 ――アジャール軍、ハサーに向う。
 シアサカウシンの方ではこの報を受けた上で、これからの方針をカウシーンにまず上申した。
「ハサー近辺を封鎖してアジャリア軍を包囲殲滅するのが良いと思われます」
 確かに盤面にはハサーに封じられて大鳥ルァフ の翼に被われて啄ばまれてゆく図が出来上がっているようではある。故にシアサカウシンのこの考えは常識的判断と言えた。
 だがカウシーンは、これに否やをとなえた。
「だがな、シアサカウシン。アジャリアの性格を考えるとサラディンと同じわだち に車輪を落とす事は無いはずだ。包囲殲滅にはこの父も反対はすまい。だがハサーというのは虚報に違いない。おそらくアジャリアはハラド、あるいはリヤドに退却しようとしている。メフメト軍全てを連携してその逃げ道を潰してやろうぞ」
「しかし、そう考えるとハサーは虚報であるという我等の裏をかいてくるような気にもなってきますが」
「そうだな。であるから後は当主であるお前が判断するが良い」
 結局シアサカウシンはカウシーンの方針を採った。
 そしてカウシーンの読みどおり、アジャール軍の進軍がハサーの手前で西に折れた。後は一直線にリヤドに向う道である。
「お前はそういう奴だ、アジャリアよ」
 カウシーンの顔に僅かに笑みが浮かんだ。肉体が老いても頭は老廃していなかった事を喜ぶ笑みである。友が自分が知る友であってくれた事も嬉しかった。
 その下でシアサカウシンの方はアジャール軍挟撃のために実務的に動き回らなくてはならない。弟達、領内の諸将との包囲、連携のための使者が行き交う。
 それらの一人が、シルバアサシンの手に捕縛された。
 書状を持ったメフメト家の使者がバラザフの所へ連行された。網を張っていたのは、オクトブートである。
 使者が携えていた書状には、
 ――ハサーの西に部隊を急行させバーレーン要塞からの主力部隊と挟撃する。
 という作戦内容が書かれていた。
「各所に自分達だけがわかる目印をつけて砂漠を往来していたようです。シーフジンを使者として遣わなかったのが幸いしました」
 バラザフは褒美としてオクトブートに金貨と肉とを与えた。褒美として価値のある金貨の他に、肉は戦場ですぐに労いになる。
「水と果物はレブザフに言って荷駄から持っていけ」
 当然、酒は与えられない。オクトブートは速やかに退去した。口にこそ出さないものの顔には褒美に満足した清清しさがある。
 バラザフは、捕らえた使者と書状をアジャリアに差し出した。
「カウシーン殿がわしの意図を読んだのだ。シアサカウシンはきっとハサーで我等を包囲するつもりだっただろう。ともあれ、退く先に軍を回されるのはいかにもまずいな。挟撃に嵌まり込んで進退を見失わないようにせねば」
 ――決戦の時が近づきつつあるな。
 アジャリアは、すぐにバラザフに諸将を集めさせた。軍議である。
「バラザフ、お前には伝令将として動いてもらう。時間が無い。即刻稼動してくれ」
 ここまでバラザフの部隊はカトゥマルの部隊に所属する形で動いてきたので、この再編措置はアジャリアの口からカトゥマルに伝えられた。
 今の戦局での主目的は帰還・・ である。よってメフメト軍との戦闘が起こるとすれば、それは敵が退路に立ち塞がってきたときであり、遭遇戦となる事が予想される。これまでのように時と場所を握る事は出来ず、敵兵のみならず宵闇も敵に回るかもしれない。
 よって伝令の任に就く将は智勇兼備でなければならず、用兵の機微を頭の中で描ける者でなくてはならない。九頭海蛇アダル であるアジャリア軍の中を血液のように巡らなければならず、これがしかと機能出来ないと頭や手足がばらばらに動き出す。
 ――困難で心労の強い役目だ。
「既に西方面に敵兵力が集まっているだろう。フート、情報収集に今まで以上に動いてくれ」
 今回のバラザフが受けた伝令の役目は、ただの伝令ではなく敵との遭遇が大いに予想される、戦闘込みの仕事である。兵を殆ど連れず戦うのは腕の立つ武人でなくては務まらない。
 この戦場にはシルバアサシンの他に、アジャール軍のアサシン、アジャリア直属の間者ジャースース も諜報のために放たれてはいるが、それらはバラザフの管轄下ではなく、彼らに指示を下して用いる事は出来ない。従ってシルバアサシンの働きぶりが、バラザフの伝令将の役目に直結する事になる。
「バーレーンより繰り出される兵はおそらく二十万。これをカウシーンとシアサカウシンで分隊して、西へ進む我が軍の先に回して絡めてくるはず。アジャリア様はこの二十万の稼動には時が掛かると読んでいる。つまりこの時を利用して敵の全軍を同時に相手するのを回避するのが我等の生き残りの胡麻シムシム 。門扉を開けるという意味だ」
 バラザフの詳説を弟のレブザフや配下の部隊長が神妙に聞いている。あれだけメフメト軍を翻弄した後の退却である。皆、この血路を活路とせねばならぬと理解していた。
「おそらく路線は今言った方向に定まる。いや、そこに必ずもっていく。フート、そのために情報を掻き集めるのだ」
 皆、言葉無く拝している。が、バラザフには、彼らに自分の意が浸透していっているのが感得された。
「昔、アジャール軍とベイ軍との間に大戦争があった。今回の戦いの熾烈さもそれと同等か、それを上回る事になろう。死なぬ覚悟が要るぞ! 味方との連携を疎かにせず戦死者を一人も出すな!」
 バラザフは激戦が訪れる事を読んで、配下に死なぬ覚悟を説いた。もちろんアジャリアも激戦を予測している。しかし、その危機感はまだ軍全体に伝播しきっていない。
 ――西にメフメト軍の陣を発見。すでに配置は済んでいる模様。
「予想以上に迅速だな。全員、大鳥ルァフ の背にでも乗って飛んできたか」
 偵察の者の報告に対してアジャリアは冗談交じりに余裕の態度で応えてはいるが、心の奥の顔は額に汗を浮かべている。メフメト軍の動きが予想以上に迅速なのは事実なのである。
 続いてアジャリアは偵察の者にバーレーンからの本隊の動きを問うたが、こちらにはまだ動きは無く、こちらの方は思ったより遅いようであった。
「わしにまだ武運がある証拠だ。この遅れは我等にとって僥倖となったわ」
 バーレーン要塞の主力がまだ出撃していないのが分かったアジャリアの安心感は大きい。
 一方、西に回りこんだ敵部隊の様子も大いに気になる所である。
 その部隊の数は十三万。ハサーのムスタファ・メフメト、ダンマームのバヤズィト・メフメト、さらにムバッラズの街の太守ソコルル・メフメトなどメフメト軍の諸将が集結している、と偵察は報告した。
 アジャリアの横で一緒に報告を聞いていたバラザフは、自分の背筋が冷たくなるのをはっきり自覚した。あれだけメフメト軍を叩いたのに、まだこれだけの戦力が残っている。主力が来ないまでも十三万を相手にするだけでも下手を打つとこちらがやられる。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2020年1月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_4

 同刻、オクトブートと呼ばれるアサシンが疾走する者を一人発見した。このアサシンはオクトブート のように投げ網で標的を捕獲する業を持っているのでその名で呼ばれる。
 オクトブートの目に捕捉されたのは、言わずと知れたシーフジンで、バーレーン要塞に向けてバヤズィトより伝言を命じられた彼である。
 オクトブートにとっては捕捉は即ち捕獲を意味する。その目で捕捉して網から逃れた者はいまだ居ない。網を構成する主たる綱に支線の綱が幾つも派生していて、逃れられない仕組みになっている。
 捕らえたならば標的の生殺與奪はオクトブートが握る。標的捕縛の命が出ていれば獲物は上に差し出されるが、そうでなければオクトブート の足に捕まった獲物はその場で餌食になる。
 ――これは!
 シーフジンが気付いた時にはすでにオクトブート の足は視界いっぱいに広がり彼を包み込もうとしていた。
 オクトブートの網は完全に獲物を捕らえた。が、網を引き締めて手繰り寄せようと引いた彼に手には、網の中の獲物の重さが全く感じられなかった。
「消えた……?」
 網が投げられた瞬間まで獲物が居た・・ 場所には、青い煙が漂い、そしてもう薄れて消え行こうとしている。
「シルバアサシンだな」
 捕らえられたはずのシーフジンは少し離れた所に現れ、地に足を着けた。オクトブートはシーフジンの問いには答えず、
「シーフジンだな。今確かに捕らえたはずだが、やはりシーフジンの捕獲は困難だというのは噂どおりだな」
 その言葉が終わらぬうちに、シーフジンに再度網を投げかけた。網の捕縛が収束しシーフジンに絡み付こうとする。が、シーフジンもまた先ほどのように捕まる瞬間にその身を煙と化し、捕縛を逃れ、また出現した。
「今、お前が言った通りだ。我等シーフジンの捕縛は困難、いや不可能と知れ」
「捕縛出来ぬなら消えてもらうしかあるまいな」
 オクトブートは今度も言葉を仕舞わずシーフジンに網を投げた。シーフジンもこれまた同じように煙となって姿を消す。同じ手で捕縛し損ねるオクトブートだが、狙いは次の刹那にあった。
 シーフジンが姿を現し始める場所を見定めると、短剣を抜いて強く踏み込んだ。
「消えてもらうと言っただろう」
 オクトブートの短剣はシーフジンの心の臓を刺し貫かんとする寸前で、手首を捕まれ、血を滴らせている。止めを刺す力を込め、圧し切った刃がシーフジンの胸を貫いた。ところが絶命してその場に斃れるはずのシーフジンは、あの青い煙となって姿を薄れさせてゆき、今度は現れる事はなかった。
「煙のように掴めない輩だ。モハメドは配下を本当に魔人ジン に変えてしまうとでもいうのか」
 オクトブートは確かに血のついた短剣を見つめるも、今起きた不可思議に、この世ならざる物を感じざるを得なかった。そして、そう感じた彼自身も報告のためその場から姿を消した。シーフジンにしてもシルバアサシンにしても、バラザフが彼らを同門・・ と表現したように、世人の働きとは隔絶された異能の世界に生きる人外なのである。

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2019年12月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_3

 カウシーン・メフメトはメフメト軍の三代目である。片やシーフジンは今でもモハメド・シーフジンなのである。
 シーフジンは裏の仕事だけでなく、戦争に表立って参加する事もあった。彼らの最大の強みは戦争で死なない・・・・ 事である。足が速い上に、追い詰められると煙のように消える。敵兵が彼らを仕留める事は不可能に近い。
 ――今のモハメド・シーフジンは初代の孫である。
 と、バラザフは聞いていた。この情報を入れたのはシルバアサシンの長、フートである。
 バラザフもシーフジンというアサシンの名前だけは知っていた。余りに有名である。だがその実態となるとまるで知らなかった。それは自分の本分ではない。
「メフメト家のシーフジンというアサシン団に用心されたし。長のモハメド・シーフジンは常人の二倍ほどの大男で、バーレーンの神の果実だけを食して齢三百を越えただのという面妖な噂も纏っております」
 そして実際はそれは初代の孫だとフートは言うのである。
「詳細を穿つならば、シーフジンの出自はドーハ以前を辿ると、我等シルバアサシンと同じくアルカルジなのです」
 フートはまるで別人になったかのように、シーフジンについて聞かれもしないのに言葉多く語った。
「つまりシーフジンとシルバアサシンは同門と言えるな」
「そういう見方もできますな」
 バラザフはカウザ に被った砂をふっと息で掃いながら、フートの話を聞いていた。
「我等もシーフジンも普通のアサシンと異なる業を用います。出自が普通と違うためです」
「そうか。ではフートはシーフジンの強みも弱みも把握しているのだな」
「はい。言い換えると、我等の特徴もシーフジンに知れているという事にもなるわけです」
 バラザフはカウザ からフートに視線を遷した。
「シーフジンの一番の手柄というのは何だろうか」
 バラザフの中でシーフジンが形ある像として出来上がってきた。
「メフメト始祖のドーハでの台頭に始まり……」
「今代では?」
「カウシーン・メフメトのジュバイルの攻略が、シーフジンの今代における一番の働きかと」
 この戦いでカウシーン・メフメトは十万の兵で百万のジュバイル軍を打ち破って、この城邑アルムドゥヌ を手に入れている。十万の兵を分隊する際に各隊にシーフジンを編入して、四方八方に食い散らすようにして、ジュバイル軍を殲滅していったのだが、ただ蛮勇を以って敵に対したのではなく、シーフジンの速力を最大限活かして敵を翻弄しつつ倒していったので、ジュバイル軍は百万といえども殆ど戦力として機能出来なかったのである。
 もちろんメフメト軍の十万の兵のほとんどは普通の兵卒である。しかし、シーフジンという手練によって作られた流れ・・は、ジュバイル軍のそれとは逆に能く機能し、兵卒達はシーフジンについて、突進、転進、後退していくだけで効率の良い戦いが出来た。極端な場合、横を向いている相手を切り伏せるだけであるから、兵卒としては良い仕事にありつけたと言える。
「それはそれぞれのシーフジンが戦いの趨勢をはっきり読めたという事ではないか」
「その通りです。このようにアサシンを部隊として活用するやり方も、殿の知謀ならば可能でしょうな」
 シーフジンの戦いぶりを聞いて空恐ろしくなるバラザフに、語るほうのフートは活き活きとしていた。
「部隊として戦えるという事は、シーフジンはかなりの数が備えられているのか」
「二千前後と思われますが、明らかな数ではありません。兵士をシーフジンとして仕立てれば急増出来てしまいますゆえ」
「そんな事が有り得てしまうのか」
「あくまでそういう手があればという事です」
「急ごしらえで忠誠を誓うものなのか」
「裏切れば上が始末するでしょう。それは我等シルバアサシンでも同じ事」
「始末出来る程度に加減して育てるのか」
「お察しの通りです」
 いつの間にかバラザフはフートの話を食い入るように聞いていた。今やアジャール家では知謀一、二を争うと自負していたが、自分の知らない世界を垣間見て、未知への興味と怖いもの見たさで膝を乗り出している。
「さらには……」
 フートのシーフジンの話は続く。
「長のモハメド・シーフジンは本人が長命に生きながらえているにしても、孫に代替わりしていたとしても、手下の中でもその面前にとらえた者は殆ど無く、主家のメフメトの者ですらその実体は掴めていないとも」
 バラザフは手にしたカウザ に視線を戻し、虚空を見上げて、
「おそらくそれは虚言だ。流言の面白い使い方だと思うぞ。面妖な噂でモハメド・シーフジンの虚像を作り出して、それこそモハメドを魔人ジン のように仕立てて、実体を隠しているんだ。俺もモハメド・シーフジンを使ってみたいものだな」
 シルバアサシンを巧みに扱いながら、手駒を動かす醍醐味をバラザフは感じていた。

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2019年12月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_2

 シーフジン――。
 このアサシン集団はそう呼ばれている。魔人の剣の意味の通り人外の業が彼らの仕事である。
 バヤズィトの曽祖父がこの地に勢力を興して以来、シーフジンはその影でメフメト家を支えてきた。このメフメト家の始祖は、シーフジンを大いに活用し、謀略、謀殺の任を担わせて、メフメト軍を肥大させてきた。
 バヤズィトは父からシーフジンの人ならざる者とも言える力を聞かされていたが、今初めて目の前でその力を披露されたのであった。まさに魔人のように在れて消え失せたのである。
 シーフジンというこのアサシン集団がメフメト家に与力するようになったのは、メフメト家の版図にドーハが加わった事による。
 一所に勢力が安居し、それが永く続くと支配者は領内の既得権を奪いたくなるもので、ドーハの旧領主も、この地のアサシン団から忠誠という縦糸を要求した。
 バヤズィトの曽祖父はその点をよくわきまえていて、力で押さえ込もうとせず、安撫策を採りシーフジンに概ね自由を認めていた。これが逆に彼らの信頼を勝ち取ることに繋がり、以来、メフメト家とシーフジンとは良好な関係が続いていた。シーフジンの棟梁はモハメド・シーフジンという名で呼ばれている。シーフジンに一人の人格として名を与えて呼ぶようなものである。
 そして、一般的にアサシン、間者ジャースース である者をメフメト家ではシーフジンと呼び、世間ではメフメト家のアサシンをそう呼んだ。

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2019年12月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_1

 たった一晩でダンマームから九頭海蛇アダル が消えた。多勢のアジャール軍はバヤズィトの夢想の中の存在になってしまったかのようである。自分達が追い返したから居なくなったのではない事だけは確かである。不可解な撤退であった。
 ダンマームの城邑アルムドゥヌ は陥落せずに済んだ。半死である自分も命永らえた。だが、まだ自力で歩き回るのは難しく、頭からも血の気が失せているのがわかる。
 ――あの猛攻も厳しかったが、撤退の手際も恐れ入るな。
 朦朧とした頭でバヤズィトは、戦いを回想し分析していた。あそこまで強攻めをして、しかも落城寸前にまで追い詰めておきながら退却していった理由は一体何だ。
 ――そうか!
 ここでバヤズィトは、アジャリア・アジャールの真の狙いがバーレーン要塞にあると思い至った。父親のカウシーンはバヤズィトにアサシンを配下として与えていた。今がそれを用いるべき時である。
「命を削ってバーレーンまで駆けてくれ。アジャール軍の到着より早く報せが届かねばならない。二十万の大軍がバーレーンに向っている事を報せるのだ」
 バヤズィトの命に言葉は返さずアサシンは消えた。青い煙のようなものだけを残し、それもすぐに霧散して見えなくなった。

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