2021年11月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_2

  カーラム暦996年中頃、カトゥマルはアジャリアの弟のサッタームをアジャリアに偽装し挙兵した。本人不在の幻影タサルール 作戦である。

 この挙兵はアルカルジに攻めてきたサラディン・ベイに対するものである。サラディンはアジャリアの生存を疑わしく思い、一度叩いてみて出方を確かめてみようというものであった。これと同時に、ハイレディン・フサインがバグダードから再び勢力拡大に動き始めていた。

 アルカルジでは病に伏しているエルザフの跡をバラザフの兄アキザフが継いでいた。そのアキザフよりこれらの急報を含めた報告が入ってきた。

「サラディンもハイレディンも、なめたまねをしてくれる。戦ってみればアジャリア様の生存がわかるというのなら、それでは勝てぬのだと教えてやろうではないか」

 これには諸将も異論無く一つにまとまった。煽るようなこの二者に対して応戦せぬでは、アジャリアの死を悟らせてしまう事にもなるからである。

 カトゥマルは、二つの戦線を同時にさばく事とし、アルカルジとバグダードに向けて出兵した。陣中のサッタームはアジャリアである事になっている。

 ――アジャリア・アジャール自ら出師。

 この報をどう判断したかは明らかにせず、サラディンの方は武器をおさめて馬を返して去っていった。

 カトゥマルは、アルカルジに出していた軍を転進させて、バグダードの方に向かわせた。こうした転進を織り交ぜた行軍こそがアジャリアの模倣なのであった。

 カトゥマルの当主としての戦争は緒からいい具合に運んだ。アブラス隊とともにアキザフ・シルバが先陣を駆けてフサイン軍を縦となく横となく蹴散らして勝利した。

「見事だ。さすがにシルバ家は当主がかわっても相変わらず強い」

 カトゥマルは本陣でアキザフ等の活躍を見ていて、そのとき近侍していたバラザフにも信頼を込めた笑みをおくった。カトゥマルの笑顔にバラザフも素直に頷いた。

 ――カトゥマル様ほど戦場で嬉しそうな顔をする方もいないな。

 人が死ぬ戦場で、溌剌としているカトゥマルを見て、彼の真の居場所のようなものをバラザフは感得していた。

 ハラドにいるときの最近のカトゥマルは沈鬱な表情を浮かべていることが多い。その重苦しさが、戦場に出ていると一切感じられない。戦場に出ると要らぬ苔を削ぎ落としたような清清しさになるのである。

 バグダードからハイレディンが出たときにはカトゥマルはすでに着陣していた。

「以前より速くなっているではないか。アジャリア殿の死は虚報に違いない。いや、こうして惑わす事がアジャリア殿のやり方だった気もするぞ」

 カトゥマルの迅速さにハイレディンは驚き、恐怖すら芽生えつつあった。

 カトゥマルがアジャリアを模倣出来たのは速さばかりではない。兵力を消耗しない、アジャリアらしい策略を駆使して、フサイン軍、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を時間の後先もわからぬほど、どんどん飲み込んでいった。

「強くなっている。アジャリア様の御霊が乗り移ったかのような強さ」

 カトゥマルの強さにはバラザフも驚いていた。これまでは猪突な大将としか思っていなかっただけに、カトゥマルの統率力、指揮力を見直さざるを得なかった。と同時に、今では九頭海蛇アダル の頭の一つとなっているバラザフは、すぐ横の一番大きな首を無意識に好敵手として凝視していた。

 本陣でカトゥマルを見つめていると、カトゥマルの戦術のアジャリアと僅かな違いも浮かび上がって見えてきた。カトゥマルのやり方は、押せると見たら徹底的に押して敵を下す、押しの強い戦いである。アジャリアと比較すると、このやり方は蛮勇といえるかもしれない。

 勇猛果敢である事はそれ自体が強さである。だが、突き進む強さが強ければ強いほど、敵の刃に触れる回数も圧倒的に跳ね上がる。

 ――やはり戦場でのカトゥマル様は危うい。

 バラザフの危惧をよそに、カトゥマルは目の前の壁を砕くかのよう戦い方を続けた。

 今回、バラザフは監視役としてカトゥマルの本陣で、諸将の賞罰を管理していたので、前線に出ることは少なかったが、カトゥマルの用兵で戦列に入る事も多少あった。

 敵の小規模な城邑アルムドゥヌ は、千人ぐらいの戦力して持っていない。

 敵の正面に前線の兵士を当てて、バラザフは配下を三百人率いて城邑アルムドゥヌ の裏に忍び寄った。配下の中にはシルバアサシンの長、フートの顔もある。フートは城邑アルムドゥヌ の中を調査して、警備が薄い所から潜入して、混乱の渦に陥れる。

 城邑アルムドゥヌ 内の混乱が最高潮に達したあたりで、バラザフと配下が裏門を一気に叩いて突破し、中になだれ込む。ここで無駄な斬り合いが発生しないよう、投降する者を受け入れられるように、バラザフは配下をしっかり統率した。この辺りがバラザフが諸将と比較して抜きん出て巧みな要素といえた。

 部隊の統率者が討たれれば兵士は動けなくなる。そこを狙い目に敵の隊長格の者を見つけて倒し、敵味方の損害を最小限に抑えるのである。

 敵将の獲物がバラザフの諸刃短剣ジャンビア で防がれたときが、もう片方の諸刃短剣ジャンビア で敵将が討ち取られるときであった。

「隊長は討ち取ったぞ! 命を粗末にせず投降せよ!」

 投降を促すとともに、敵将の血のついた諸刃短剣ジャンビア をこれ見よがしに掲げる。

 このやり方で投降しない敵兵はいなかった。これがバラザフの小規模戦闘での勝利の型として出来上がっていた。

 いかにすれば戦意が高揚するのか、低迷するのか。アジャリアの軍に従軍して戦場にてそれを肌で感じ取ってきた事が、将軍としてのバラザフの能力の形成につながっていた。

 バラザフは夜戦にも強さを発揮した。

 ――夜に敵が奇襲にくるぞ。

 城邑アルムドゥヌ の内側に潜入した数人の間者ジャースース 達は、方々で吹いて回って守備兵の恐れを喚起し、各所に放火した。

 城邑アルムドゥヌ の混乱が高まると間者ジャースース 達は離脱して、次にバラザフを先頭に少数の強兵が襲い掛かる。

 小規模な城邑アルムドゥヌ は、この手口で落とされたものが多かった。

「カトゥマル・アジャール。アジャリア以上に恐ろしい大将だ。たった三日でこちらの城邑アルムドゥヌ が二十も奪われた」

 カトゥマルの猛攻にはハイレディンといえども手出し敵わず、バグダードに篭って今はこの勢いを見極める他なかった。

 この戦いの間、アジャール家中におけるカトゥマル立場が強くなっていた。

「戦場の真中においてこそカトゥマル様は活きるのだ」

 バラザフがそう思ったように、戦場ではアジャール家はカトゥマルを中心にひとつにまとまった。しかし、ハラドに帰ると主君の不在を守っていたモグベルなどの側近派閥が大きな顔をするようになって、戦場ではカトゥマルに引き付けられていた古豪派閥の家臣等との亀裂がまた表出してしまう。

 これはカトゥマルの意思で古豪との溝を作るというよりも、側近派閥に融和性がないゆえに出来てしまう溝なので、カトゥマル自身では処置のしようがなかった。

 こうした溝を埋めるためにバラザフは、またカトゥマルを戦場に置こうと考えた。

「今のカトゥマルには勢いがあります。今のうちにこれを活かしてナーシリーヤ方面の攻略を再開しては」

「うむ。正に我が意である。アジャリア様が落とせなかった城邑アルムドゥヌ も、今の俺ならば可能であろう」

 と、カトゥマルも強く同意した。

 ところが、この出征にシャアバーン、ハリティ等、古豪派閥の家臣は、表向きはアジャリアが生存している事になっていて、目だった行動をする事によって、アジャリアの死が外にもばれてしまう危険が高まる事を理由に反対した。それでもカトゥマルが強く出征路線を打ち出してくるので、古豪派閥もこれに折れるしかなかった。

「シルバ。今回はテミヤト殿に先陣を任せようと思う。異論はあるか」

 今までバラザフと呼んでいたのを、カトゥマルはシルバ・・・ と呼んだ。無意識的に幼馴染という関係から抜け出し、公の人間になっていた。また、先鋒を・シャアバーン、ハリティにしなかった事も、カトゥマルが戦巧者である事を表していた。

 ――カトゥマル様は本当に戦争の事になると神がかる方だな。

 バラザフは、カトゥマルの采配と戦いでの神智に感心していた。

 出征の方策をカトゥマルから求められたときの案として、テミヤトを先鋒に推す事はバラザフも考えていた。クウェート方面のある小さな城邑アルムドゥヌ をテミヤトが領地として与えられていた事が理由の一つ。もう一つは、先鋒を古豪派閥ではなくアジャール家親族派閥から選任する事によって、家中でのテミヤトの格を上げて、なおかつ先のように戦争によってアジャール家がまとめる事を見込んだためである。カトゥマルの意図もこれに異なる部分は無かった。

 かつてアジャリアとの関係がそうであったように、カトゥマルとバラザフの関係も黙したまま互いに了解出来る領域が多い。幼馴染だからこそ分かる距離感というものはあるものである。

 テミヤトの部隊を先頭にアジャール軍がバスラに雪崩れ込んだ。アジャリアは生前、バスラ方面も鋭意攻略してきたが、バスラの城邑アルムドゥヌ 自体には手をつけてこなかった。バスラからファリド・レイスの本拠地であるナーシリーヤまで、西北西に約二日の行軍距離である。ナーシリーヤやクウェート等を繋ぐ、主要道の交点でもある。

 ――エルザフ・シルバ、危篤。

 ハラドを発つ直前にアルカルジからバラザフのもとにこの報せが入った。不安が無いといえば、それははっきりと嘘である。だが、バラザフは表情には出さなかった。

「父上の快復を祈る」

 とだけバラザフは兄アキザフにあてた手紙を送った。しかし、この手紙がアルカルジに着く前に、父エルザフは病にて霊籍の人となっていた。数日の後、シルバアサシンによって父エルザフの死がバラザフに報告された。

 アジャリアの死。父エルザフの死。敬愛した二人の、続いた二つの大きな死は、バラザフの心に大きな衝撃を与えた。一方で人の命の有限と、あらゆる命に死は避けえぬ宿命なのだという事も二人の死から学んだ。

「アジャリア様は限りある命を生き切ると言っていた。その中で何を成すかが大事であるとも。死を意識して尊き命を巧く運んでいかなくてはな」

 あの時のアジャリアの言葉の意味がわかり始めていた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


次へ進む

https://karabiyaat.takikawar.com/2021/10/A-Jambiya7-3.html


【創作活動における、ご寄付・生活支援のお願い】

https://karabiyaat.takikawar.com/2019/01/kihu.html


前に戻る

https://karabiyaat.takikawar.com/2021/09/A-Jambiya7-1.html


『アルハイラト・ジャンビア』初回に戻る

https://karabiyaat.takikawar.com/2018/11/A-Jambiya11.html


0 件のコメント:

コメントを投稿