2021年12月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_3

  バスラはシャットゥルアラブ川の右岸にある港湾都市である。穀物や棗椰子タマル などの輸出港でもあり、都市内に整備された運河が、バスラの産業製品である棗椰子タマル の品質向上にも役立っている。

「この城邑アルムドゥヌ は北にシャットゥルアラブ川が流れているから向こう側から攻撃するには無理がある。南のバスラ運河沿いに布陣してじっくり攻めるしかないな」

 バラザフは今回の戦いでは、城邑アルムドゥヌ の包囲は有効な手段ではないと考えていた。

「敵味方ともに、このバスラ運河が攻防の鍵となる。敵の弱った部分を見つけて商人のダウ船で渡河できれば、そこから一気に攻略が進むのだが」

 だがカトゥマルはバラザフを参謀としては採用しなかった。

「今回の戦いはテミヤト殿の能力を十二分に活かしたい。諸将もテミヤト殿の指揮下に従属するものとする。シルバ殿は、レイス軍、フサイン軍の動きを注視し、別働隊として臨機に対応してもらいたい」

 という具合にテミヤトを前に推していた。

 主戦闘から外れているバラザフだったが、その間にも彼の脳は戦略的な思考をやめない。

 ――アサシンの能力を活用し、新たな部隊を創設出来ないか。

 この方法論をずっと探っていた。

 アジャリアが世を去り、カトゥマルの代になったと同時に、世界にも新時代が開かれていくのではないか、という予感がしていた。そして、新時代に適応出来るアサシンが要る。

 ――情報を獲得しなければならない。

 そして、

 ――そこに速さが求められる。

 つまり、

 ――アサシンをもっともっと増やさなくてはならない。

 アサシンを活かしきって、敵を掻き乱すには、獲得した情報をアサシン部隊の中でさば けなくてはいけない。とすると――、

「アサシン部隊自体に頭脳が必要だな」

 どこの軍団でも個々の力量によって情報を集めるようなアサシンは必ず居た。それを部隊として連携した戦法を取れるようになれば、戦力は格段に向上するはずなのだ。

 メフメト家のシーフジンの軍団の事が、バラザフの脳裏に浮かんだ。だが、シーフジンはメフメト家に抱えられているとはいえ、棟梁モハメド・シーフジンが動かしている軍団である。バラザフが志向するのは、シルバ家の一部隊としてのアサシン軍団の設立であった。

 バラザフは、リヤド、アルカルジなどを中心にしてアサシンの人材を広範囲に募るようにシルバアサシンの長のフートに命じた。このとき、部隊としてのアサシンを欲しているバラザフが求める人数は千人は超えていた。

 この時期、ハイレディン・フサインは火砲ザッラーカ を大量に導入した新たな軍団編成を目指していた。今まで弓兵で編成していた部分にも火砲ザッラーカ を装備させて、武器の扱い方に慣れさせる練兵の手間を大幅に削減した。火砲ザッラーカ は扱い方さえ覚えさせれば、鍛錬の必要はかなり少なく出来るからである。この頃ハイレディンが導入した火砲ザッラーカ の数は一万以上であった。

 しかし、未だ小城邑アルムドゥヌ を拝領しているだけのバラザフには、ハイレディンのように火砲ザッラーカ を自前で導入するとか、職業軍人を常に抱えておけるような力は無かった。

 小領主の身の丈に合った部隊編成、新戦法の開発をするより道は無い。

 バラザフの部隊創生の主軸には、アサシンを十二分に活かすというものがある。戦術には正奇の二つがある。将兵を使って普通に戦うのが正に据えるとすれば、バラザフの創案にあるアサシンを使った戦いは奇の位置に置かれる事になる。正奇の相まって戦いの勝利に安定性が生まれる。

「つまりだな、フート」

 アサシンの長にバラザフは、アサシン軍団創生を実際事例を前に置いて説明を始めた。

「今、カトゥマル様がバスラの城邑アルムドゥヌ を攻城しているだろう。そして、バグダードからハイレディンがレイス軍に援軍を出してきたとする」

 フートは、いつもはあまり無駄な口を開かない主人の言葉に熱がこもっているの感じて、興味深くこれを聞いていた。

「手薄になった敵の城邑アルムドゥヌ にアサシンを五百人くらい潜入させて、あちこちで放火すると敵はどう出ると思う」

「残った守衛部隊が出てきますな」

「その通り。詰め所から出撃してきた所を、城内に埋伏させておいた者に攻撃させる。この役に二千名ほどをあてておくのだ。伏兵に慌てた守衛部隊は一旦退却するはずだ」

「そうですな。なるほど見えてきました。そこから刺さりこむのですな」

「その通り。詰め所や本部に退却する敵兵に紛れて、こちらの兵を入り込ませて中を攻撃する。援軍を出している間にバグダードの城邑アルムドゥヌ は陥落してしまうという絡繰からくり なのだ」

「なるほど、これは我等アサシンが培ってきた力の撰修せんしゅう といえるでしょうな」

 バラザフの戦術をフートがこう評したように、今語られた戦い方はアサシンのこれまでの戦い方の総纏めである。アサシンの力を認め、これまで以上の活躍の場を与えようとしてくれている主人にフートの好感は素直に上がった。

 反面、複雑さも増すだけに、目的到達には誰も経験した事の無い険しさがある。創生するとはそういうことである。

 具体的には、今までの稼動単位が一人、または数人の集団だったものが、軍団に格上げされることで兵卒の部隊と同等の連携度が求められる事になるはずである。

「軍団になるといってもアサシンは奇で、歩兵、騎兵が正だ。正が主軸になるのは言うまでも無い。フートは面白くないかもしれないが、絡繰からくりの部品のような動きをしなければならないのは今までと変わらない。敵からも味方からも情報を集めてきて、それを捌く。その情報を活用して敵をかき乱し、正の者を巧みに勝たせる。名誉は得られないが重要な役割なのだ。これが今後のシルバ家の戦法となっていくであろう」

 このバラザフの言葉が、バラザフの子供達のこれからの戦い方も決定する事になった。

 特に次男のムザフ・シルバは父バラザフがつけた道を轍のように通って、最初の情報収集、次の段で後方撹乱をして、多勢に無勢という戦いでも勝ちにつなげてゆく型を確立していった。

 ハイレディンの火砲ザッラーカ の運用度を上げた軍団編成は、すぐに各地の勢力で模倣されてゆくが、バラザフのこの正奇両用の新たな軍略は、バラザフにしか運用出来ず、万人による模倣はとても適うものではなかった。アサシンの力を余すところ無く引き出す部隊の新編は、大量の火砲ザッラーカ が火を噴くような派手さはなかったが、シルバ家個有の戦術になった。

 至急、フートはバラザフの求めに応えるべく、リヤド、アルカルジを駆け巡り、新軍団に入隊する面々をバラザフの前に連れてきた。

 それぞれのアサシンがすでに百名ほどの配下を持っている。

「シムカ・アブ・サイフと申します。元はアジャール家に抱えられていたアサシンで、その後、御父上のエルザフ・シルバ様の配下となりました。梶木の名のとおりシーフジンにも劣らぬ速さと自負しております」

「シムク・アルターラス。得意技は、隠密タサルール 。姿を消して城に忍び込みます。元エルザフ様の配下です」

 バラザフの前に並ぶ顔には見慣れた者もあった。フートと一緒に戦ってきたフート、クッドサルディーンアジャリースアスカマリィ の面々である。さらに、

「ロビヤーンと申します。周りから何故か海老ロビヤーン と呼ばれておりました。城内を撹乱する技を持っております。エルザフ様に雇われた事も十五回ほど」

「ハッバール。煙の烏賊ハッバール 。墨ではなく煙で姿を隠します」

「ルブスタル」

「ジャンブリ」

「大海老と小海老であります」

 ルブスタルの方が付け加えた。この二人は配下を連れていなかった。

「我等の特技も移動。そして砂や木に潜む事もできます」

「ロビヤーンとは何か繋がりがあるのか?」

「いえ、フート殿の命名にて、特に関係は。アサシンは名前が隠れればそれでよいかと」

 その後、彼等を何気なく観察していると、実際の兄弟かはさておき、ルブスタルが兄、ジャンブリが弟として親密に行動しいるらしい。

 そして、最後にバラザフの前に出てきたのが、

「おお、ケルシュ殿も我が軍団に参画してくれたのか」

 バラザフもケルシュは顔見知りの仲であった。自然とバラザフの顔にも笑みが浮かぶ。ケルシュはリヤド周辺の集落出身で、アジャール軍でアサシン団を束ねる棟梁の一人だった事もある。

 配下を敵の城に潜入できるように育成し、自分も潜入能力には長けていた。アサシンの中の古豪である。アジャール家中の身分からいえば、バラザフと同等か、それよりもやや上の人物である。

「俺が今動かせる配下は二百名。どいつもそれぞれ異能を持った奴ばかり。フートから話を持ちかけられて、面白そうだから乗らせてもらった。俺が選んだ者達、皆、バラザフ殿を満足させられるはずだ」

 明瞭だが遠くに響かず、余人に漏れない。そんな声である。

 バラザフは最初の稼動人員を千名として、アサシン団を抱える事にした。そして、アサシン団の長を二人置いた。一人はケルシュ、もう一人は今までと同様、フートを任命した。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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