2018年12月25日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_6

 バラザフが心中、真に師であって欲しいと願うの相手は目の前のアジャリアなのである。だが君主であるアジャリアの弟子たる事はあまりに遠く儚い夢である。
 そんなバラザフの心の呟きを察するはずもなく、アジャリアは笑みを絶やさず続けた。
「確かバラザフは十五だったな」
「はい」
諸刃短剣ジャンビアはエルザフから貰ったのか?」
「然様でございます」
「そうか。遅くなってしまったが、わしからも重ねて贈りたい。受け取ってくれるな?」
「はい! 喜んで!」
 月並みな復讐と稀有な慈悲、という。敬愛するアジャリアから慈悲を受けて、バラザフの心は一気に天に昇った。アジャリアから賜った諸刃短剣ジャンビアは柄から鍔までが黄金で飾られ翠玉ズムッルド象嵌ぞうがんが施されていて、一目で実用ではなく宝物としての品である事がわかった。決してミーゴワで間者を仕留めたときのような使いかたをして良い物ではない。
 眼を輝かせて下賜された諸刃短剣ジャンビアを眺めているバラザフに、さらに待望の言葉をかけた。
「それを携えて初陣に出るがよい」
 アジャリア・アジャールとサラディン・ベイとは、数年に亘りブライダーからジャウフまでの領域をめぐって競り合っていたが、そろそろ決着を付ける頃であろうというのが、世人の大勢の見方である。
 バラザフがジャウフ近くのミーゴワで間者に遭遇したのが、それに絡んでの事だとしたら、そうした噂を裏付ける材料といえるのではないか。そうバラザフは思慮を巡らせてみたが、あえてアジャリアに確かめる事はしなかった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2018年12月15日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_5

 バラザフは間者を生け捕りに出来なかった不手際を恥じながらアジャリアの待つハラドへ戻った。だが、バラザフを待っていたのは叱責ではなく、アジャリアを始めとした重臣達から賞賛を以って迎えられた。
 間者といえば秘密裏に活動する能力の他に、敵と遭遇したときの戦闘力が必要となる。バラザフの部隊に見つかったときがまさにそれであり、藪から弩で狙撃したり、急場の判断において脚力を用いて反転するなど、個としての武が十分に示されていた。
 それを高高十五の若造が仕留めたというのであるから、アジャール家内でのバラザフの評価は否が応にも俄かに高まった。
「元々、お前の事は評価していたつもりだが、お前の力はそれ以上だったということだな」
 己の近侍ハーディルが遣いの途中で思いがけず手柄を立てたということでアジャリアは満足そうである。
「今回、間者を仕留められたのは兵あっての事でした。それにしても生け捕れなかったことが悔やまれます……」
「いや、間者に情報を持ち帰らせなかったのだ。巡視として十分に働いたといってよい。さすがエルザフ・シルバの子だと皆が褒めておる」
 若手に自信をつけさせよう言葉を選んだのではなく、アジャリアは本音でバラザフを褒めた。
「お前の師のズヴィアド・シェワルナゼも鼻が高かろう。我が弟エドゥアルドもお前には大層期待しているそうだ」
「はい。エドゥアルド様にも色々とご教授頂いております」
 アジャリアの二人の弟のうち、上の弟がエドゥアルド・アジャールである。能く柔に能く剛に戦術に長け、アジャリアの弟という身分にありながらも兄と覇を争う姿勢を見せず、臣下として兄アジャリアを支えるという賢哲、善き風猷ふうゆう、誠実さを具備する故、将兵の信頼の篤い武人であった。
「エルザフは良き子を持ったものだ」
 近侍ハーディルとして育ててきた家来の成長に相好を崩すアジャリアである。アジャリア自身もまた、後に大宰相サドラザムラティーブ・スィンによって国家剣士として認定される、大剣士ウルミンホーク・ケマルに剣を習うほど武人としての生き方が好きであった。

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2018年12月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_4

 最早やり過ごせぬと知った茂みの隠者はバラザフ達の前に姿を現した。暗殺者アサシンのようではあるが、先程バラザフに射掛けてきた弩と剣を帯びている他は意外と軽装で、暗殺の任にある者ではなさそうだった。
 アサシンという言葉には暗殺という想像が常に付随するが、敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いなどを任務とする。よって諜報を主な任務として担ったこの者は、暗殺者ではなく間者という言葉で置き換え得るのである。
 男は嗤った。
「囲まれたときは焦ったが、こんな小僧が長という事ならまだやりようはあるな」
「俺はバラザフ・シルバ。アジャリア様の傍で近侍ハーディルを務める者だ。お前の名を聞こうか」
 バラザフは顔色を変えず、まず名乗ってから相手を質した。
「見ての通りの間者アサシンさ。間者が名乗るわけがなかろう!」 
 男は力強く踏み込み突破してくると思いきや、その足で後ろに宙返りするように反転し、背にしていた水辺に飛び込んだ。男が着水する瞬間、一閃の刃が彼を追ってはしった。
 水面に淡い赤が滲み、もはや物言わなくなった男が浮かび上がってきた。男の首には短剣が突き刺さっていた。刃は逃げられると察知したバラザフが咄嗟に腰のジャンビアを抜いて投げつけたのだった。
 諸刃短剣ジャンビアとは男子が十四になると与えられる物で、自由と名誉の証であり常に携帯すべきものである。よってこれを敵に投げつけるという事は本来は在り得ないはずなのだが、極めて合理的なシルバ家の者としてバラザフも例外ではなく、名誉という形無き者を守るより敵の掃滅を無意識的に優先したのであった。
「未来を視る眼が欲しい」
 先程の矢は外れたが、あれに毒が塗られていたら今頃自分は泡を吹いて白目をむいて死んでいるところだった。そしてあの間者の動きの先が読めれば、急な動きに対処して生け捕りにも出来たはずだ。
 見事に間者を仕留めたものの、バラザフは生きたまま捕縛出来なかった事、相手の先が読めなかった事を後悔した。自他共に認める察知能力を誇っていたバラザフだけに、この事は彼の中にしこりを残すこととなった。

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