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2022年6月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第8章_3

  シルバ軍がハウタットバニタミムを落とした三ヵ月後、カトゥマルが突如としてアルカルジから攻略戦線を拡げると言い出した。

「シルバ軍には先陣を切るようにお達しが出ている。フサインやレイスの攻撃を警戒していなければならない今時期に何故だ」

 アルカルジをシルバ軍が押さえているのであるから、先駆けを命じられるのはよいとしても、バラザフにはこれは唐突な指示であるような印象を与えた。

 いざメフメト軍の城邑アルムドゥヌ を攻める段階になると、カトゥマルにしては珍しく、知略を使う攻め方をバラザフに問うた。

「バラザフ、このような小規模の城邑アルムドゥヌ は強攻めで取る事も出来なくはないだろう。だが、今は戦力を極力温存したいのだ。策略で落とす方法は何か無いか」

 バラザフもカトゥマルのこの方策は間違っていないと思った。十万の兵でアジャール軍が城邑アルムドゥヌ を包囲しているものの、相手の防御姿勢は堅調で、一気には落とせないと見通していたからである。

 バラザフは、今回、一緒に先陣の任にあるファヌアルクト・アジャールと方策の合議に入った。といっても合議が必要な込み入った案件も無く、バラザフの中でほぼ全て策定出来ていたが、先陣のもう一人の責任者であるファヌアルクトの面目を潰さないように配慮したに過ぎない。

「さすがはバラザフ殿。その策で行きましょう!」

 ファヌアルクトは猪突な性格が良い方向に伸びて、実直な好青年に成長していた。バラザフは恩師であるエドゥアルド・アジャールが大好きだった。そのエドゥアルドの遺児であるファヌアルクトに、バラザフは少し年の離れた弟のような情愛が湧いて、彼の行く末にも期待していた。

「昔からアジャール軍は大海を往く九頭海蛇アダル に喩えられています。シルバ殿の知略は正しくその九頭海蛇アダル の頭です。貴方の策なら間違いない」

「まだその策を示してはいませんよ」

「大丈夫です」

「では、敵を誘引する事にしよう。大軍である故こちらの軍紀が緩んでいるように見せるのです」

 バラザフが示した策をファヌアルクトは、素直に実行した。自分から策を生み出す事は無かったが、この青年は昔から作戦遂行能力は高い。

 城内から矢頃すれすれに部隊を布陣させて、ファヌアルクトは配下の将兵に武器を放擲させ、防具なども一切外して横になって休息を取らせた。まさに、だらけきっているぞという姿をありありと見せつけたのである。

 その上で、ファヌアルクトは、城邑アルムドゥヌ の中まで届くように声を張り上げて、

「お前達、怠慢が過ぎるぞ! 今、敵が出てきたら我等はひとたまりもないぞ!」

 と横になっている兵卒等の上に怒声を投げかけた。

 バラザフに示された作戦内容をファヌアルクトの主従は、敵に気取られる事なく巧くこなした。これがファヌアルクトの統率力が一定の水準を越えているとの、アジャール軍内での評価にもつながる。

 ファヌアルクトの部隊に作戦の表を任せておいて、バラザフの方では裏で動いた。シルバアサシンを城内に送り込んでまた言葉巧みに城兵の行動をこちらの意図通りに制御していた。

 ――アジャール軍はこちらが打って出る事は無いと思っているから、しばらく城攻めの気配はないぞ。

 ――じっとしれいれば今のところは安全だ。そのうちメフメト軍が援軍に来て援けてくれるはずだ。

 城邑アルムドゥヌ の外ではファヌアルクトに倦怠感を演出させる一方で、中では急場の意識を削いで、ゆるりとメフメト軍の援軍を待つように手なずけた。

 当然ながらメフメト軍の援軍は来ない。次の日もファヌアルクトの部隊は昨日と同じく緩慢な動きを見せている。

 そして、城内の兵士等が援軍への期待が不信に変わり始めた頃、

 ――メフメト軍の援軍はアジャール軍の別働隊に阻害されてここまでたどり着けないらしい。

 ――援軍を進めないようにしている間に、我等の水源を断って日干しにする策略らしいぞ。

 と、城内のアサシンは、今度は焦燥感を掻き立てる噂を流した。この流言は城内の兵によく利いた。

 城邑アルムドゥヌ の外に目を向けてみれば、よく見える距離でアジャール軍が十分な食事を与えられて、満腹に満足する表情を食事のたびに浮かべている。武具すら投げ出して、余裕この上無い。

 長期戦への準備のため、城邑アルムドゥヌ の中では食料割り当てが厳しく、中の兵士は自分達の空腹と外の満腹感が対比されて、精神的に堪えてきた。

「畜生。アジャール軍の奴等ゆっくり食事なんか摂りやがって」

「ここ数日武器を持った奴の姿を見ない。あいつなんか横になりっぱなしだ」

「油断しているアジャール軍を今叩いて、食料を頂戴したらどうだ」

 空腹に耐えに耐えている所へ、豊かに食事している姿を見せ付けられては、城内の兵士に、このように打って出よう、打って出たいという気運が高まっていくのは当然の事であった。

 バラザフの狙い通り敵はアジャール軍は悠長に休み続けると思い込んでいる。

 城邑アルムドゥヌ の上空の突如として火柱が昇った。戦火のそれではなく、ケルシュが城兵が攻撃に転化する事を中から信号を発してきたのである。

 バラザフは自らファヌアルクトの部隊に駆け寄って叫んだ。

「中から敵が出てくるぞ! 武器を拾って迎撃の準備をしろ!」

 ややあって目視で見張っていた兵も敵の動きを察知して味方に報知してきた。

「門が開いた! 打って出てくるぞ!」

 ファヌアルクトの部隊は武器だけ拾って起き上がった。もう防具を装備する時間は無い。敵の誘引に成功した反面、危険度の高い戦いとなる。

 敵が攻めに転じた時、弓矢や火砲ザッラーカ を使ってこなかったので、この賭けはまずアジャール軍側に有利になった。

 ファヌアルクト自身も槍を携え敵を迎撃した。彼も鎧を身に着けていない。後ろからバラザフが援護しているが、彼もまた軽装である。バラザフは得意の諸刃短剣ジャンビア を振り回して叫んだ。

「落ち着いて敵の剣筋を見ろ! こちらのほうが圧倒的に多いのだ。慌てなければ死なずに済む戦いだぞ!」

 そういう彼は諸刃短剣ジャンビア で左右の敵を受けている。

 バラザフの言ったように、兵力差を活かした戦い方でファヌアルクト、バラザフの部隊は着実に優勢に事を運んでいった。

 数えにして千程の時間が経過した。敵兵の一団は潰走し始め、中には武器を放り出して一目散に逃げる者もいた。

 ここまで来ると後は押し潰すだけで、アジャール軍は城内に逃げる兵と共に中へ奔流となって流れ込んだ。

 その奔流の先頭にバラザフがいた。こういうときのバラザフは智将から猛将に一変する。当たる先から敵兵が諸刃短剣ジャンビア の血祭りに上げられ悲鳴と共に倒れ伏してゆく。

 敵兵が押し出して来てから、城邑アルムドゥヌ が陥落するまで半刻も無かった。

 この戦いでの勇猛さが衆口に乗って周辺諸族に広まり、アジャール軍の威風は高揚した。

「シルバの勇猛さは同じ武人として誇らしい事この上無い。バラザフの勇猛さを一番良く分かっているのは、ずっと傍で見てきた私なのだ。さらに、それ以上に今回の作戦は見事だった。この地上にもはや九頭海蛇アダル の頭がバラザフ・シルバである事に異論をはさむ者はいまい」

 カトゥマルは満足げに、ファヌアルクトと同様にバラザフの智勇を九頭海蛇アダル の頭として賞賛するのであった。アジャール軍の中ではすでに自分達を世評と同じように九頭海蛇アダル に喩える事が一般的になっていた。

 その夜――。

 カトゥマルの方から供も連れずにバラザフの陣の天幕ハイマ を訪れた。

「バラザフにやってもらいたい仕事があるのだ」

 アジャール家の当主に就いてからカトゥマルはバラザフを家名で呼んでいた。今、こうして旧友として名前でバラザフを呼んだが、その声には懐かしさよりも、空虚な響きしか無い。

「カトゥマル様の方から私を訪れずとも、私は呼びつけて下さればよろしかったのです。それはさておき、如何なるご用件で」

 カトゥマルの空虚な雰囲気が表情にあらわれてきた。疲れている様子である。

「新しい城邑アルムドゥヌ 建設を総務してほしいのだ」

「新しい城邑アルムドゥヌ を」

「うむ。ハラドを放棄する」

「どういう事です」

「今のハラドを棄てて城邑アルムドゥヌ を新設したいと考えている。その総務をバラザフに任せたい。ズヴィアド・シェワルナゼ、エルザフ・シルバから築城技術を仕込まれたアブドゥルマレク・ハリティはもう居ない。今のアジャール軍を見渡せば、すでに築城技術を持つ武官はそなたしか居なくなっていたのだ」

 バラザフは黙ったままカトゥマルの話に耳を傾けていた。カトゥマルから出ている疲労感から、話はそれだけではないと察したのである。

「私がアジャール家を継いでから、古豪と呼ばれる猛者達が相次いで世を去ったと思えば、今度は側近と親族の派閥が反目している」

 カトゥマルは、アジャール家の現状を染み出るような言葉で、バラザフに語った。家臣の派閥同士の諍いが元で、自分がやろうとしている組織、経済、軍制等々の新生が思うように下の者の協力が得られないというのである。

「あまつさえ、ハイレディンの勢力は日増しに増長を続けるばかりなのだ。このような打つ手なしという状況が続けばアジャール家が時の流れから孤立してしまうのは目に見えている。我等が生き残ってゆくには確執の無い新たな場所でアジャール家を生まれ変わらせる必要があるのだ」

 切羽詰ったカトゥマルの言葉であった。

「それを余人に漏らさぬようにお一人でここまで参られたわけですか」

「うむ、そうなのだが……」

 カトゥマルの歯切れの悪さから、バラザフには果たしてこの密事が二人だけのものになるのかどうか、という疑いを持った。そしてやや思案し、

城邑アルムドゥヌ 新設の任、引き受けましょう。私の方から言うのも障りがありますが、カトゥマル様とは兄弟に等しき幼馴染。アジャリア様にも手塩にかけて育てていただいた、このバラザフ・シルバ。ここでカトゥマル様の頼みを断れば、冥府でこっぴどくアジャリア様に叱られましょう」

 役を受けると供に、バラザフはカトゥマルに笑みで返した。

 主命として下達すれば済むものをそうせずに、わざわざ自ら頼みに来る腰の低さに昔のような親しさを感じた。確かに事を漏らさぬという意図はあっての事だろう。だが、カトゥマルの態度からバラザフは、やはりこの人は一族を率いる身分になっても、

 ――驕慢とは別の世界に在る人だ。

 と感じていた。

 そして自分の持てる知識を全て、この城邑アルムドゥヌ 新設に注ぎ込もうと心に決めたのである。

 カトゥマルとバラザフが、城邑アルムドゥヌ 新設にここと決めた場所は、ハラドの旧城邑アルムドゥヌ から西に行軍距離で二日程の距離にあるタウディヒヤという集落のある場所で、大まかな工程としては、この集落を城壁で囲み城城邑アルムドゥヌ にしてしまうというものである。

 住民に給金を払って労働力として稼動させて、城邑アルムドゥヌ が完成すれば住民は新首都民になり、ハラドからも移住を受け入れる手筈である。

 このタウディヒヤは、ハラドとアルカルジのちょうど中間点にあたり、タウディヒヤからはアルカルジを挟んですぐリヤドとの行き来が可能になる。カトゥマルの中に、故郷であるリヤドに新首都を近づけたいという心境があったかどうかは、彼はそれは表には出さなかった。

 タウディヒヤの城邑アルムドゥヌ の新設のため、活動拠点を現地に遷さなければならないバラザフは、アルカルジ等の所領の仕置を、イフラマ・アルマライなどの信頼出来る血縁者の家臣に委任する措置をとった。

「あまり大きく作りすぎても、また移設という事も有り得るから規模の策定が難しい点だな」

 バラザフが城邑アルムドゥヌ の規模に深慮しているのは、防衛上の理由もある。大きすぎると警備の目が行き届かないし、内通者の発見も遅れる。小さすぎると兵員の常駐が困難になり、そもそも砦としての用を成さない。

 また視点を戦闘に置くならば、攻守の均衡の取れた備えがよく、一般論でありながら、最も実現が難しい事であった。

 また、生前ズヴィアド・シェワルナゼは築城について、

城邑アルムドゥヌ はそれ自体が巨大な生き物だ。中に住む人が生き延びられなくては機能しないものだ。生きるうえで一番大事な物は水だ」

 と、教えていた。

 水源の確保はどこの集落でも重要課題である。が、政策としての水源確保をせず、遠くに水を汲みに行かせるなどして、住民の負担とする諸族も多い。

 まず井戸ファラジ を掘って現存のものよりさらに数を増やし、貯水溝を用意しようと考えた。そして、

 ――水源。

 である。

 タウディヒヤの周辺には水源となり得るような、砂漠緑地ワッハ は無い。それゆえに今まで集落が城邑アルムドゥヌ にまで発展してこなかったといえるのだが、バラザフは、タウディヒヤの水源を自領のアルカルジから引いてこようと考えた。

 水を共有する事は命を共有する事である。バラザフが、カトゥマルを主君以上に、兄弟として信頼としている表れであった。

 ここまで決まった所で、労働力の供給が開始された。

「カトゥマル様、これがタウディヒヤの完成予定図となります」

 カトゥマルが絵図に目を落としている横で、バラザフは得意気な顔をしている。

「もうお気づきでしょう」

 カトゥマルは図を凝視している。そして、

「これは、まるでハラドの再現ではないか」

「その通りです。ハラドの城邑アルムドゥヌ をそのまま移写し、各区割りを模倣して建設する予定です」

 区画構成をハラドと同じくした事で、今までの防備訓練様式をそのままあてる事が出来、今までハラドを防衛していた兵員の負担も軽減される。

「新機を得て活路を見出そうというカトゥマル様の意図を汲ませていただくと同時に、旧臣が新体制に振り落とされぬよう配慮した設計になっております」

 そして、引いてきた水を城壁の外に貯水溝と濠を兼ねて備えておくことによって、農産の発展が期待でき、水に水牛ジャムス駱駝ジャマル などの動物が集まってきて、これらを捕獲すれば、住民にとっても益多き事になるのだと説明した。

 最後にバラザフは、全てを変えてしまうのではなく、旧き物からの微妙な変化が、新しき風を吹かせる要になるのではないかと、自分の意見を付言した。

 時代の急速な流れがカトゥマル・アジャールという一指導者に与えた時間はそれほど長くはない。カトゥマルとバラザフは、タウディヒヤの城邑アルムドゥヌ の建設を大急ぎで進めて完成させた。

 ハラドの城邑アルムドゥヌ という防備の一つの体系として確立していたものを模造したため、急ごしらえにしては、しっかりと砦としての用を成すものが出来上がった。


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2018年12月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_4

 最早やり過ごせぬと知った茂みの隠者はバラザフ達の前に姿を現した。暗殺者アサシンのようではあるが、先程バラザフに射掛けてきた弩と剣を帯びている他は意外と軽装で、暗殺の任にある者ではなさそうだった。
 アサシンという言葉には暗殺という想像が常に付随するが、敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いなどを任務とする。よって諜報を主な任務として担ったこの者は、暗殺者ではなく間者という言葉で置き換え得るのである。
 男は嗤った。
「囲まれたときは焦ったが、こんな小僧が長という事ならまだやりようはあるな」
「俺はバラザフ・シルバ。アジャリア様の傍で近侍ハーディルを務める者だ。お前の名を聞こうか」
 バラザフは顔色を変えず、まず名乗ってから相手を質した。
「見ての通りの間者アサシンさ。間者が名乗るわけがなかろう!」 
 男は力強く踏み込み突破してくると思いきや、その足で後ろに宙返りするように反転し、背にしていた水辺に飛び込んだ。男が着水する瞬間、一閃の刃が彼を追ってはしった。
 水面に淡い赤が滲み、もはや物言わなくなった男が浮かび上がってきた。男の首には短剣が突き刺さっていた。刃は逃げられると察知したバラザフが咄嗟に腰のジャンビアを抜いて投げつけたのだった。
 諸刃短剣ジャンビアとは男子が十四になると与えられる物で、自由と名誉の証であり常に携帯すべきものである。よってこれを敵に投げつけるという事は本来は在り得ないはずなのだが、極めて合理的なシルバ家の者としてバラザフも例外ではなく、名誉という形無き者を守るより敵の掃滅を無意識的に優先したのであった。
「未来を視る眼が欲しい」
 先程の矢は外れたが、あれに毒が塗られていたら今頃自分は泡を吹いて白目をむいて死んでいるところだった。そしてあの間者の動きの先が読めれば、急な動きに対処して生け捕りにも出来たはずだ。
 見事に間者を仕留めたものの、バラザフは生きたまま捕縛出来なかった事、相手の先が読めなかった事を後悔した。自他共に認める察知能力を誇っていたバラザフだけに、この事は彼の中にしこりを残すこととなった。

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2018年11月30日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_3

 齢十五に至り成人の仲間入りをしたばかりの、バラザフは十名ほどの兵卒を従えていた。起伏の少ない土地に出来た砂漠緑地ワッハで休息を取っていたところである。
 兵卒達が武器を構え部隊に俄かに緊張が走った。水辺に居たサクルが飛び立つ羽音で警戒しての事である。
 バラザフ達はジャウフ近くの小さな集落に来ている。名をミーゴワという。集落の南に砂漠緑地ワッハが広がり多くの命を養っている。ジャウフとは“腹の張った谷”の意味を持つ。客人が腹を満たしても更に食べ物を勧める、住民の気前の良さを表しているともいえる。
 砂漠といえば通常、上に飛鳥なく下に走獣なく、という言葉で表現されるような不毛な積砂の地帯である、だがここは、そんな死の世界ではなく、狒狒ラバーハ野兎カワイド沙漠狐ファナカサクルネスルハダア他、様々な動植物がここで生きているのである。
「そう殺気立たなくてもいい。サクルが得物を見つけたんだろう」
 辺境であるジャウフのさらに辺境の集落である。敵が潜んでいるわけがない。
「暑いな……」
 左手で額の汗を拭いながら、バラザフは呟いた。
「だが、暑いからこそこんな水辺は本当にありがたい」
 バラザフ一行はこの辺境のジャウフを偵察するよう命じられていた。だが、彼の心には純粋にこの旅の日日時時を愉しむ余裕があった。日は南から少し傾いただけで、日暮れまではまだ時間があった。だが、ここからアジャリアの居るハラドまで南東にひたすら歩き続け約二週間、最寄のジャウフですら丸一日かかる距離である。
「今夜はここの集落で世話になるとしようか」
 バラザフ達が水辺を後にしようとしたとき、先程、鷹が飛び立った辺りから草葉が擦れる音がした。兵たちが再び武器を構える。
「誰かそこに居るのか!」
 茂みからは返事は無く、かわりに弩から放たれたであろう矢が空を裂きバラザフ目掛けて飛来した。すんでの所で半身を逸らし、矢はバラザフの頬をかすめていった。
「仕方がないな」
 バラザフの言葉の意図を解して、兵士達が茂みとその後ろの水辺を囲むように半円状に間合いを狭めてゆく。隊長であるバラザフを仕留め損なった今、この者が部隊の統率を乱した隙にのがれられる見込みは極めて低くなったといえる。

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