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2019年2月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_11

 出来上がったアラーの城邑アルムドゥヌは、カーラム暦983年のアジャール、ベイの最後の戦争でも戦略的に大きな役割を果たした。その後、アラーの城邑アルムドゥヌは、アジャール、ベイ、レイスなどの大軍を容れて戦闘出来る、彼らの重要な拠点となった。
 城は此の世に生まれて永遠に戦いの中で生き続けるわけではなく、平時の貌を持つ事は意外と為政者の意識の中から抜け落ちやすい。
 築城を考える上で城壁の堅さは勿論重要であるが、城邑アルムドゥヌを一つの生き物と捉えた場合、自ずとその中で生きる人々の営みにも目が向けられる。産業が発達すれば蓄えられる財貨も殖え小まめな修繕が可能となるし、人口が増えれば修繕のための労働力を賄う事が容易になる。
 築城を開始するにあたり周辺の街の経済規模も考慮した上で、おおよその城邑アルムドゥヌの発展度を想定する必要があるだろう。広すぎると防備が手薄になるし、狭すぎると街の発展は望めない。広すぎても狭すぎてもいけないのである。
 そして余剰の財貨は惜しみなく民に分配し、貨幣を街の中で澱みなく無く回転させれば、城邑アルムドゥヌは一つの経済圏として安定した生命でいられる。
 アジャールとベイのネフドの最後の戦争は、バラザフにとっては初めての戦場である。エルザフ・シルバ、長男アキザフ、次男メルキザフ、そしてバラザフは持ち場は異なるものの、この戦争で共に戦う事となった。
 アラーの城邑アルムドゥヌと同時に遥か南東に離れたアルカルジもシルバ家の管轄下に置かれた。アルカルジは、今ではハラドと並ぶアジャール家の重要拠点となったリヤドに程なく近かったが、ネフド砂漠の戦いに注力している間に、オマーン地方のメフメト家の手が伸びてくるかもしれず、単純に街を取られないように防衛しているだけでは、周囲の小領の士族アスケリ達を砂山を少しずつ抉るように取り込まれてしまうため、その辺りの調略防衛をアジャリアは、シルバ家に期待している。本来アルカルジは、最寄のリヤドの太守が担当すべき場所なのだが、ここに智勇兼備の優将のいずれかを置いておく余力はなかった。ベイ家のサラディンは余裕を持って戦える相手では決して無い。
 言うなれば、アルカルジもベイ軍との戦争の盤面に入っているのである。
「アルカルジの街の守りより、メフメト家による撒き餌を見張らなくては」
 エルザフが言葉にした通り、アルカルジの街の始め各城邑アルムドゥヌ周辺の小さな領主達は完全にアジャール家に臣従したわけではなく、表面上は協力姿勢を見せても一度上の力の均衡が変われば、より強きほう、利益をもたらしてくれるほうに付くもので、元のシルバ家のように各勢力の轟嵐に揉まれ、巨竜たちの足で蹂躙されんとする身としては、これは当然の生き方なのである。
 そうした小領主達の不安と自尊心とを巧みに揺さぶるように敵は調略の手を伸ばしてくる。
 これに対するシルバ家の調略防衛とは、例えば、
 ――アジャール家は戦争が終われば我らの領土を根こそぎ取り上げるつもりなのだ。
 と流言が流れ始めれば、行って不安を取り除き、
 ――我らに寝返れば今よりさらに厚遇しよう。
 との空手形が出されれば、それを押さえ、連なったものを捕らえて見せしめとした。まるで赤子の面倒を見るような微に入る対応が求められるが、それらを可能にしたのは、自分が調略を仕掛けるのであればこうするであろうという謀略の手札を無数に持ち合わせていたからであり、それらが寄り集まってカメラのようにシルバ家の智を形成していた。自分が持っている手札は相手も持っていると考えればよかった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年2月4日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_10

 エルザフもズヴィアド同様アジャール家の新参である。実績を示しながらも言動に派手さの無いズヴィアドにエルザフは好感を持った。
 知恵者というものは一つの発想が浮かぶと、それを他人に話してみたくなるものである。もちろん貴重な作戦情報を敵に漏らす事が出来ないのは言うまでもなく、味方であっても愚者であればそもそも会話が成立しない。よって知恵者はいつもこういった欲求不満を抱え込んでいる。
 自分から生じた知恵の実を他者と分かち合えるのは、毛色の似通ったエルザフにとってもズヴィアドにとっても喜ばしき事であった。
「智将エルザフ・シルバに我が得意とする所を認めていただき嬉しい事です」
「こちらこそズヴィアド殿の城邑アルムドゥヌの要諦の教授を受ける事が出来、非常に有り難い事です」
 ここに早くも謀臣達の連合カラテルが出来上がりつつあった。
 アジャール家に仕えるようになってからズヴィアドはブライダーやラフハーの街の城邑アルムドゥヌ改築を任されている。ズヴィアドの築城方式はアブドゥルマレク・ハリティ、エルザフ・シルバ、エルザフの子バラザフに伝授され、エルザフからバラザフに対しても同様の伝授がなされた。
 後にバラザフは、
 ――バラザフ・シルバが城を建てれば難攻不落。
 と世人に称えられる事になるが、その起源はこのズヴィアドと父エルザフに在る。アジャール家で最たる築城の巧者と評価されたという事は、すなわちカラビヤートで一番の城邑アルムドゥヌ名人と絶賛されたといってもよい。

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2019年2月3日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_9

 ズヴィアド・シェワルナゼの出身はクウェートである。アジャール家の士族アスケリとして仕えるようになる前は、カラビヤート内外を経巡り、その土地土地で戦術を咀嚼して、各地の戦力関係や民情を把握して情報を己が財産としており、アジャール家の執事サーキンヤッセル・ガリーと知遇を得たのを緒縁に、その縦糸はアジャリアに結ばれた。これがカーラム暦965年。シルバ家がアジャール家の傘下に入ったのはここから三年経った話である。
 元々、ズヴィアド・シェワルナゼの家はクウェートの士族アスケリ家だったが、ズヴィアドは家族と揉めて家を出て各地を旅する身となり、アジャール家という主道に乗ったとき、ズヴィアドは一介の平民レアラーに身を落としていた。
 それが誰の栄光であろうとも人は他人の出世を嫉ましく思うものである。平民レアラーだった者を再び士族アスケリに引き上げ、さらにアジャリアがズヴィアドに参謀アラミリナの重役を与える事は重臣から摩擦を含め様々な障碍を浮き上がらせた。これに苦慮しているアジャリアに、ズヴィアドの保証人ともいえるヤッセル・ガリーは、
「ナムルサシャジャリ様の名前を使っては如何でしょう」
 と薦めた。
「父上の名前を?」
 ヤッセルのからくりとはこうである。ズヴィアド・シェワルナゼは齢六十過ぎ。追放されたアジャリアの父ナムルサシャジャリと世代がきわめて近い。ナムルサシャジャリとズヴィアドとの間の親交をでっちあげ、ナムルサシャジャリの命でアジャリアの参謀アラミリナになって支えるために、ズヴィアドに各地で見識を高めさせていた、事にするというのである。
 これならば現当主アジャリアを慕う家来は元より、ナムルサシャジャリ追放の際にアジャリアの粛清を恐れながらも内心ではナムルサシャジャリに懐いていた重臣たちも一応収攬出来る。本人に確かめようにも、ナムルサシャジャリは遠くクウェートのサバーハ家に居候しているので捏造の埃に光が当てられる事はまず無いと見ていい。
「これでじい・・の面目も立ちましたわい」
 そう笑うヤッセルだが勝れた人材をアジャリアの財とする事以外には意図は持っていなかった。ベイ軍との決戦を前に一人でも多くの知恵者が欲しい。

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2019年2月2日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_8

 カーラム暦979年、アジャール軍とベイ軍の三度目の衝突が起こった。その少し前にアジャリアはエルザフをアラーの街に派遣し、これを手中に収めている。ハイルの街のタラール・デアイエを倒し、ネフド砂漠をさら北上出来るようになったアジャリアは、行き当たったジャウフを攻略せず、北東に回ってアラーの街を取りに行った。
「サラディンが来れば必ずジャウフ辺りでぶつかる事になるだろう」
 そう踏んだアジャリアは、ジャウフ攻略以前に確実な足場として、アラーの街を落とす事とし、エルザフを太守を任せ、砦の強化を指示した。仮にジャウフの街を先に落としても、すぐに敵に奪取されれば戦略的に意味を成さないからである。
 アラーの街はアルアラー、アルアルとも呼ばれる。広大な石灰岩の平原の中心にあるこの地域の土は比較的肥沃で、春に咲いた植物は夏頃には、駱駝ジャマルハルーフなどの放牧された家畜を養う飼料として利用出来るようになる。年間を通して降水量は少なく、風が吹く事も稀ではあるが、意外にも数年に一度雪が降る事は見逃せない。
 アジャリアが一時見送ったジャウフからは北東に位置し、一週間もあれば往復出来る距離である。アラーの街は来るべきベイ軍との戦いを見越して要所ジャウフを押さえるのに適した場所である上、北東に延びる道の延長上にはバグダードがあり、これも要所である。
 戦いにおけるアラーの重要性を感じ取ったアジャリアには、今のアラーは城邑アルムドゥヌとしては物足りなく感じた。アラーには病院もあり集落としての完成度は低くは無かったが、周囲に城壁を設けておらず、隙間の広い柵で街の外縁を囲っているだけである。人口も少ない。
 ここに本格的な砦を作るため、アジャリアはアラー獲得に功績のあったエルザフ・シルバをそのまま太守に任じて、城を造るように命じた。
「街といっても砦に関しては、ここに一から城邑アルムドゥヌを築くようなものだ。城邑アルムドゥヌといえば……ズヴィアド・シェワルナゼ殿か」
 エルザフは、早速ズヴィアドを呼んで城邑アルムドゥヌ建設を相談した。
「アジャリア様よりアラーの要塞化を命じられたのですが、私はやはり城壁が鍵だと思うのですが、ズヴィアド殿意見を伺いたい」
「そうですな。城壁をかなり広くしておくのがよいでしょうな」
「アラーは大きくなりますか」
「兵が常駐して金が回るようになれば街は大きくなるでしょうな。それに、戦いが起きたときに周囲の放牧民と家畜を中に入れておく広さが要りますな」
 それまで在った柵の外側遥か遠方に新たな城壁が建ち始めた。この後何百年も経ち、郊外から古代都市遺跡が発掘されスラフファーサマク、その他の水生動物の彫刻が、砂の海の下の眠りから覚まされる事になるが、今の彼らには知る由も無い。

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『アルハイラト・ジャンビア』第2章_7

 タラール・デアイエはサラディン・ベイを頼って行った。ハイルの街を落とされてより二年後、身を寄せていたカイドの街のバルナウィー軍も、アジャリア自身が率いる本隊によって壊滅させられ、ゆくあてを失ったためである。確執のあったデアイエ軍とバルナウィー軍だが、アジャール軍という外圧に晒され手を結ぶもやむなしという事で、バルナウィー軍にとってもタラールという兵士を率いる将が一人増えたともいえるので、アジャール対策としては強化が出来た。が、積んだ石を一つ外せば全て崩れ去ってしまうように、ハイルの街がアジャール軍の手に落ちた事は、この地方の勢力均衡を大きく変え、勢いづいたアジャリア・アジャールを止める事は最早適わなかった。
 ハイルからサラディンのカイロまで一ヶ月弱。砂嵐が落ちてゆくタラール達を容赦なく襲う。口を覆う布を押さえる手に力が入る。アジャリアという侵略者を怨みながら、砂を噛み、彼らはカイロへ向かってひたすら重い足を前に出していった。
「戦う事が士族アスケリの常とはいえ、アジャリアの悪辣さは目に余るな」
「サラディン殿には益無き戦いになりましょうが、何卒我らネフドの士族アスケリを済度して頂きたく恥を忍んで頼って来た次第」
「我輩は戦争で益など求めておらぬ。アジャリアの侵略など神は望まぬという事をこのサラディンが思い知らせてくれよう」
 手にした鎌型斧ケペシュが地を衝き、寂とした物腰のままサラディンは静かに息巻いた。
 義人サラディンは、人道に沿わぬを善しとせぬ男である。また自信家でもある。彼自身が武で鳴らす最強の武人である上に、戦いでは一度も敗れた事がない程、軍略に長けている事も彼の自信を裏付けている。篤信故に自分は神から愛されているという自負もあった。
 砂漠を延々と旅し砂埃にまみれ、見る影も無くやつれたタラールを始めとする、これについてきたネフドの士族達の訴えを聞き入れ、これを救済する事を約束し、ベイとアジャールの剣は初めてぶつかった。同年、七歳になったバラザフは正式にアジャリアの近侍ハーディルを受命した。

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2019年2月1日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_6

 エルザフはエルザフで十年来のアマルであるシルバ家の旧領回復を成し遂げたものの、ある意味貪欲に次の飛翔をすでに思い描いている。
 その内心を知ってというわけでもないだろうが、アジャリアはデアイエ家から奪ったハイルの太守にエルザフを任じた。元々のシルバ家の旧領など取るに足らない程の破格の待遇である。
 アジャリアのシルバ家への厚遇はエルザフに対するものにとどまらなかった。
「エルザフ。バラザフを近侍ハーディルに取り立てようと思う。親子でよく話し合って返事してくれ」
 このような出世話をこの父子が拒む理由も無く、有り難くこの近侍ハーディルの命を受けた。
 アジャリアにバザラフを取り立てるのを決めさせたのは、猛竜胆の聖廟マスジット・イ・ティンニーンのシュクヮ師である。アジャリアはシュクヮ師を、ザルハーカ教の死生の導き手として尊崇しており、これでまでの香の式次第を基に新たな式次第を構築しようとしていた。神と死者を想うという事に重きを置いて、無駄を削ぎ落とし、意味のあるものは残していった。だが、その過程で問題がひとつあがった。肝心の香は何を用いたら良いかという事である。
 法学者ウラマーは、いかにすれば神と生者の橋渡しが出来るかという命題を抱えるシュクヮ師にとって、今まで当たり前に用いられてきた香を今一度俎上に載せる事もその命題の鍵と成り得る事であり、そうした迷いが生じるくらい、シュクヮ師は神への信仰と人の幸せを真剣に考えていた。
 或る日、アジャリアの館に居たバラザフをつかまえてシュクヮ師は尋ねた。
童子トフラよ。我らが神や先師たちは何の香を好まれると思うかね?」
 「それは乳香アリバナでしょう」
 バラザフははっきりと答えた。
「そうよな。やはり乳香アリバナよな」
 理屈を持たぬ童子トフラが、疑いなくそう答えたのだから、自然としてこれは間違いあるまいと、シュクヮ師は迷いが晴れ納得したのだった。
 一方、シュクヮ師に明路を示したバラザフにとっては、これはどうという事もなかった。遊び友達として親しくしているアジャリアの子のカトゥマルが、最近父が乳香アリバナに凝り出して、自分も付き合わされて堪らぬと、バラザフやナウワーフに漏らしていたのである。
 シュクヮ師に香について問われたとき、持ち前の機転が利いて、
 ――ああ、この事か。
 と思ったバラザフは「乳香アリバナ」と即答しただけの事である。
「あの童子トフラは大層賢いようですな」
 庭で遊び、笑う三人の子供達を見ながらシュクヮ師は、アジャリアに推した。これに弟エドゥアルドの口添えもあって、アジャリアの心は決まった。

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2019年1月31日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_5

 タラール・デアイエはまがった事が嫌いな男である。また武人としての武がはげしい領主であるために、アジャール側の見方はどうしても猪突な印象を拭い去る事が出来ず、この盲点がアジャリアとしては稀な敗戦を招いたのである。
「あの砦は双頭蛇ザッハークそっくりだ。二つの頭が互いを援けるように動く。胴を叩いても勿論頭にやられるから、こちらもやり様がない……」
 攻城に加わっていたエルザフも、己が力量不足を感じて苦々しく呟いた。
「アジャール軍が掛かっても落とせなかったのに、小勢の我らが力攻めで勝てるわけがない。謀将アルハイラトの智恵の見せ所か……」
 程なくしてハラドのアジャリアに、エルザフがハイルを陥落させた、との報せが入った。先の戦いでエルザフらの先鋒がハイルを落とせないのを受けて、アジャリア本隊を向かわせる算段をしていただけに、これはアジャリアにとっては嬉しい誤算だった。
 剛攻めが無理と踏んだエルザフはアサシンを遣った。弱小勢力であるシルバ家は、周囲の領主達と互角に渡り合うために、アサシンを多数雇っている。シルバ家の自由な宗教気風を好いて、アサシン等が寄り付き、シルバ家が抱えていけるアサシンは、その家財に比して多いものだった。後にアジャリアの孫であるレオ・アジャールも、エルザフの孫のムザフのアサシンとなり右腕として大いに暗躍する事になる。
 エルザフの命を受けたアサシンは、ハイルに潜入し夜の内に塔の見張りを倒し内側から門を開けた。そこからはまるで戦いにならない程、シルバの兵達は一方的にデアイエの兵達を駆逐していった。
 暗殺型のアサシンを派遣して、直接タラールの命を奪う手も無くは無かったが、万が一不首尾に終わった場合、アジャリアの顔に泥を塗る事にもなりかねない。故に開門させた後、兵を以って討つという比較的手堅い手段をとった。
 シルバ家がアジャール家という大樹の枝の一つとなったとき、エルザフは大樹が伸びていく過程で、自分達も旧領であるリヤド近辺の小さな集落を回復し、戦功次第ではその近くのアルカルジも得られるやも、という程度の期待しか持っていなかった。
 だが、父ナムルサシャジャリを追放したハラドの街の無血革命の手腕を鑑み、さらにアジャリア本人の器に直に触れてみて、
 ――存外伸びるかもしれぬ。
 という明るい展望を抱くようになった。この大器に蜜を注いでいけば、いずれは自分達にも余剰に与れる日が訪れる。父を領地から追い出す、と言葉では簡単なようであっても、その実、昨日まで父に従っていた家来達を一人も漏らさず掌握するという難事であり、それを成したという事に、アジャリアの恐るべき統率力と計画性の高さが窺い知れるのである。
「アジャリア様のネフド砂漠侵攻を援ければ、いずれシルバ家がリヤドの主になる日も来るかもしれない。いや、さすがにそれは欲張り過ぎか」
 小領を守るだけでも、これまで四苦八苦していたエルザフには、リヤドという大きな領地さえ手に入れれば、それによって守る事くらいは簡単に思えたのだが、持たざる者共通の、獲得するという夢幻に彼が在ったとしても、何人もこれを嗤う者は居ないはずである。
 アジャール家に身を寄せるようになってから、シルバ家の評判は良くなかった。特にシルバ家と同様のリヤド周辺の小領主達からは裏切り者ように見られ、自分達はああはなるまいと頑なに守りの姿勢を強めたのだった。
 しかし、今回のハイル陥落の戦功を見て、シルバ家の評価は一変、その強さを印象付け、その知略を敵に回したくはないという、恐れとも、羨望ともつかぬ感情を彼らに持たせる事になった。
 こうしたシルバ家周囲の小領主達よりもさらに、アジャリアはエルザフの事を評価した。
「エルザフ・シルバこそ我らアジャール家の柱と言って良い。此度の戦功によりアジャリア・アジャールの名を以ってシルバ家の旧領回復を認める」
 エルザフの功を認める言葉の裏に、エルザフ・シルバが今回の手柄を立ててくれたという喜びがある。つい昨日来たばかりのような、新参の士族が、真摯にアジャール家の為に働いてくれた事にアジャリアは感謝した。

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2019年1月28日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_2

 サルマーン・アジャール、後のアジャリア・アジャールは重臣らと共謀し、父ナムルサシャジャリを門から入れず、クウェートのサバーハ家に預ける事にした。預けるといっても事実上の永久追放で、アジャリアはハラドの無血革命に成功した事になる。
 当主となったアジャリアは、リヤドを侵略し、タラール・デアイエと領土獲得戦を繰り広げるなど、ネフド砂漠へと領土欲の枝葉を伸ばし始めた。
 アジャリアの侵略戦争もここまでは順調に見えた。だが戦線を拡大してゆくにつれて、彼がネフドから追い出した地元の士族アスケリが援けが徐々に必要になってきた。
 その折を見極め、エルザフ・シルバは怨恨あるアジャール家の懐に入り込み、アジャリアの下、一応、重臣の籍に身を置く事となった。これがカーラム暦968年の事で、バラザフが生まれたのがこの次の年の989年である。
 ネフド砂漠から自分達を追い出したアジャール家の禄を食む事に、当然エルザフの中に悩みが生ずる。だが、そこは元来合理的な頭のシルバ家であるので、最優先すべき事は何かと考えた場合、それはシルバ家の旧領回復であるから、アジャール家と共に生きるという道を選んだのである。
 その合理的な頭でさえも、当初は、
 ――まるで冥府に籍を置くようなものだ。
 と、自らの境涯を皮肉り、あるいは死ぬ気で仕えるという臨死的覚悟を以って、アジャールという鋳型の中に焼けた鉄を流し込んでいったのである。
 そして、その鋳型には自分の反感の情だけでなく、親族も入れなければならない。即ち、アジャール家服属の約定の証として、エルザフは息子達のうちバラザフをアジャール家に取られ、この時からバラザフの身はハラドに置かれている。
 アジャール家がネフド砂漠侵攻に先方としてシルバ家を用いるため、旗を反さない確証としての「人質」を求めたという事である。アジャリアの賢い所は、たとえ人質であっても有能な者は上役に取り立てて、しかるべき処遇をしてやる所であり、バラザフの中に利発さを見たアジャリアは、彼を近侍ハーディルに抜擢したのである。
 我が子が主家に重用されているという安心もあってか、バラザフの父エルザフは十分に能力を発揮した。シルバ家が「謀将アルハイラト」と評され始めるのもこの頃からで、エルザフは己が知略を用いて、アジャール家の侵攻の枝葉を四方に伸ばすのに大いに貢献した。

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2019年1月27日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_1

 カーラム暦969年にバラザフは誕生した。ナウワーフはバラザフより二歳年上である。そしてアジャリアの子、カトゥマル・アジャールも年近くバラザフの一つ上である。
 ――カトゥマル様がお母上と共にリヤドに移られるそうだ。
 子供の頃から何かにつけてナウワーフは情報を聞きつけて来るのが好きだった。特にカトゥマルついては知らぬ仲ではなく、主家の血筋でありながらも、アジャリアの跡目と周囲からも目されていない事もあって、バラザフも加えて三人は親友として付き合っていた。
 リヤドでカトゥマルが養育されるようになって後も、彼がたまにハラドに訪れる際には、必ず三人で遊びに行く関係が出来上がっていた。
 結局、カトゥマルはアジャール家を継ぐ事になった。
 そのカトゥマルが懐刀としてバラザフにナウワーフ、そして近侍ハーディルの面々を重用したのは当然過ぎる事といえた。
 ナウワーフの家は名家である。彼の父は、アジャリアが追い出したアジャリアの父「アジャール家の猛虎」ナムルサシャジャリの代からアジャール家に仕えている。ナウワーフは父に似て度胸があり、奮闘する質だ。そして社交家で利発な男でもあった。アジャリアはナウワーフのその辺りを気に入って近侍ハーディルに取り立てた。
 元々、重臣の家であるナウワーフと比べて、バラザフのシルバ家はアジャール家の者になってからまだ日が浅い。シルバ家は小さいながらも独立した士族アスケリであった。
 リヤドやジャウフを囲うネフド砂漠には、小領の領主達がひしめき合っている。バラザフの父エルザフもそうした小領主達の一人であった。
 ナムルサシャジャリ・アジャールは縁戚であるリヤドの領主と連携し、シルバ家の所領に攻め込んだ。場所としてはリヤドの少し北。カーラム暦963年の事である。
 弱小勢力である当時のシルバ家やその他の領主が合力しても、ハラド、リヤドの連合軍に抗う術など無く、シルバ家はアルカルジへと落ちて行き、そこの領主に身を寄せる事となった。
 戦勝して帰ってきたナムルサシャジャリは、ハラドの街の門を潜る事は出来なかった。子のアジャリアの反逆である。

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2019年1月25日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_29

 朝にベイ軍の色だったネフド砂漠は、今アジャール軍の色となっており、これで勝ったのだとバラザフは思った。すでにあちこちから、アジャリアの音頭を待たず、勝鬨が届きて来て、いつの間にやら防衛線は掃討戦へと転じていた。
 すでに日は西の茜となっている。
 戦勝の趣を余所にアジャリアは、先程まで激戦が繰り広げられていた砂漠を言葉無く見つめていた。
 バラザフが話しかけると、アジャリアは、
 ――あの砂の上に横たわる骸の中にエドゥアルドが居る。
 という。
 さらにズヴィアドも戦死したと聞かされた。あの数多の骸の中から二人を捜し出すのは至難であり、彼らはこのまま砂に埋もれて、干からびて骨となっていくしかない。
 二人の死を聞いたバラザフの目には不思議と涙は浮かんで来なかった。事があまりに重すぎた。胸の奥が痛すぎる。
 悲嘆の壁がバラザフの四方を覆って、目に映る全ての物の色を奪った。
 ――いっそ涙が一滴でも零れ落ちてくれれば、砂に哀悼が浸みて二人に届くかもしれないのに。
 あまりに受け容れ難い現実だ。アジャリアのもとに寄せられたのが虚報ではなかったのか。そう思いたい。
 エドゥアルドとズヴィアド。二人はバラザフにとって偉大な師であり、目指すべき標であった。成人したばかりの子供の心が抱えるにはこれらの死はあまりに重過ぎた。
 バラザフの手の中で、今はエドゥアルドの形見となってしまったジャンビアの重みが増した。
 バラザフにとっても、主君アジャリアにとってもエドゥアルドの死は大きく、アジャール軍にしても戦勝の代価としては過重な事となった。それはズヴィアドの死とても同じで、アジャール軍の軍制にも将兵の心にも大きな穴を穿つ戦争だった。

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2019年1月24日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_28

 アジャリアはサラディン急襲の間に一度も剣を抜こうとしなかったが、その理由をバラザフが尋ねたところ、
「わしはサラディンを殺したくは無かった」
 と、アジャリアは意外な言葉で答えた。
「何故、サラディンを生かしておきたいのです」
「血を軽んずるな、バラザフよ」
「血ですか?」
「そうだ。お前が誰かを殺めるとしたならば、それはその者の祖先が最初に此の世に発生してから、悠久に継いで血をここ断つということだ。草木や虫にでさえ同じ事がいえる」
「はい」
「あのサラディンには、わしがここから追い出した数多の士族アスケリが頼り、従っておる。その器量、ここで殺すにはあまりに惜しいとわしは思うのだ。味方となればこれほど頼もしい者もいまい。ま、有り得ぬ事であろうがな」
 この時アジャリアは一本の革盾アダーガの柄で、矜持と打算の二本を立てていたといえる。人を纏め上げる統率力というのは、単純な兵力のように、求めてもなかなか得がたい物であり、サラディンを万が一にでも味方につける事が出来れば、アジャリアの統帥の届かぬミスル地方をサラディンに任せておけばよい、という事になるのだ。
 アジャリアとは、どこまでもその思考に領土欲を含む野心家なのである。
 バラザフにもサラディンが、そしてベイ家が味方になる未来など有り得ぬと思ったが、アジャリアの言う血の重みは、理解出来たと思っている。

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2019年1月23日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_27

 バラザフ他、近侍ハーディル達は軍神ともいえるサラディンに気圧されながらも何とか武器を構え、内一人が槍を繰り出した。槍はサラディンの馬の腿に刺さった。驚いた馬はサラディンですら御し難い程暴れ出し、鎌型斧(ケペシュ)による猛襲は止んだ。
 サラディンは言葉を発せずとも、その黒髭が天を衝かんばかりの怒気を発し、近侍ハーディルの若造共を睨みつける。バラザフ達は恐怖で心の臓が止まりそうになり、もはや何も抗えず、足は力を失い地面にへたり込むしかなかった。
 もしこの時サラディンが、
 ――まずこの小僧共から片付けてくれよう。
 とでも考えたら、彼らは死神イラルマウトに、たちまちのうちに命を刈り取られ、若くして冥府の籍に名を連ねる事になったであろう。
 この戦いでアジャリア身辺の守備は、近侍ハーディルと歩兵三十名程度である。
 アジャリアやナウワーフ達近侍ハーディルはアジャリアの傍近くありながらも、死神イラルマウトに魅入られてしまったかのように、全く動けず手出しが出来ない。そうした中で、近侍ハーディルの一人がサラディンの馬へ何か投げつけた。投擲が通った馬の脚に赤い線が走った。
 立て続けに傷を負わされた馬はいよいよ堪らず暴れ出し、サラディンを振り落とそうとする。もはやアジャリアの命を取るのは無理となったサラディンは、手綱を強く引き辛うじて馬を御すると、来たとき以上の速さで死合の場から走り去って行った。
 先程サラディンに投擲を投げつけた、カウザを目深に被った近侍ハーディルも、どこかへ走り去って消えた。だが、我に返った途端、急に恐くなったのだろうと、誰もこれを気にはとめなかった。
 結果としてサラディンを退けたものの、アジャリアの身体には革盾アダーガで受け損なった傷がいくつもついていた。

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2019年1月22日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_26

 今、ベイ軍の勢いは強い。士気も向こうが上だろう。見ればわかる。
 アジャリアが思う「手札」はバラザフも思っていた。援軍が来れば、ベイ軍を包囲できれば、この危機は去る。
 アジャリアは待つしかなかった。その間、配下達が血を流し続ける。しかし、待つのだ。待って持ちこたえる他ない。
 日が徐々に高さを下げ始めた。遠くに高く舞い上がる砂煙が見える。騎兵がこちらに参じているという証である。やがて、騎馬兵団が肉眼で見えるようになった。アジャールの各々の別働部隊であった。
「ハリティにアルサウドだな。あやつらめ、焦らしてくれおったわ」
 座したまま落ち着いた体のアジャリアだが、その実、腹の奥が俄かに熱くなるほど踊躍歓喜していた。
 父と兄も来たとバラザフは思った。遠目にもやはり親族の動きは判るものである。援軍のどの人馬よりも、気が冴えていると感じられた。
「ようやく挟撃が適うぞ! 皆よくここまで耐えた! あとは全軍で押し潰すだけだ!」
 丁度、ベイ軍の疲労が目立って来た所に、アジャールの援軍が背後から横から包むように襲い掛かった。ここまで踏み止まってきたアジャリアの本隊の将兵らも、これでようやく息を吹き返し、角に加わった。
 ここでもバラザフは戦況をつぶさに見ている。比較的奥にあるアジャリアの横からでも、ベイ軍の気勢が減衰し斃されて行くのが確認できた。
 刹那――。
 アジャリア本隊の前に、白装束に武具を付け、金糸で刺繍されたターバンを被った黒髭の武人が単騎で駆けて来るのが見えた。握る武器は鎌型斧ケペシュである。見るからに高貴そうなこの武人は――、
「おい、まさか!」
「まさか、サラディンが単騎で来たというのか!」
 敵大将の単騎駆という信じられない光景を見た、バラザフとナウワーフは言葉に出して確かめ合った。
 サラディンが眼光鋭く獲物アジャリア一人に定めると、馬をさらに速めて斬りかかって来た。
 ガスリ!―― 
 アジャリアは座したままサラディンの斬撃を革盾アダーガで受け、瞬時に横に流した。まともに受け止めれば、鎌型斧ケペシュの曲がった刃に盾が引っかけられ、剥ぎ取られてしまい兼ねない。
 ガスリ! ガスリ! ガスリ!!――
 サラディンの刃とアジャリアの盾が強く擦れ合い、削り合う。襲う方のサラディンは馬で駆け抜けると同時に刃を入れ、アジャリアもこれを神経を研ぎ澄ませながら何度も受け流した。気を抜けば盾が取られ、命が取られる。

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2019年1月21日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_25

 もはやアジャリアは、伝令の絶望的な報告には心動かさず、巌の如く座に腰を下ろしている。
 聞こえてきた報告からバラザフが読み取ったとおり、アジャール軍は窮めて劣勢である。ベイ軍の奇襲が利いたという事だ。ついに双頭蛇ザッハークの両頭が潰されようとしている。
「のう、バラザフよ」
 アジャリアが傍らで強張った姿勢で諸刃短剣ジャンビアを構えるバラザフに声をかける。
「なぜ砂が黄色いのか考えた事があるか」
「砂ですか?」
 この窮地でアジャリアは気が触れたのかと、バラザフは一瞬疑った。
「そうだ。我らは周りの砂が黄である事を疑わない。今、我らの目の前の事もそうだ。戦争は数が多い方が勝つ」
 アジャリアは老人が孫に夜話を聞かせるようにゆっくりと続ける。
「砂が黄色として在る如く、我らの手中には勝てる算段があった。疑いようも無かったはずだ。だが、此の世に絶対という事は絶対にないのだ。そして……」
 ここでアジャリアの腹に力がこもった。
「この劣勢が敗戦に繋がるという事も、絶対ではない……!」
 辺りの空気が重くなった。だが不思議と落ち着く重さだと、アジャリアの周りを固める近侍ハーディル達は、それぞれ思う事が出来た。
 サラディンの到達をアジャリアは危惧していなかったわけではない。むしろサラディンは来る、と踏んで挟撃を布いていったのである。ところが、その機がいかにも悪すぎた。
 アジャリアは戦場を視ている。だが、それは目の前の危機的状況ではなく、大局眼にて戦場全体を見通しているのである。確かに戦況は不利だ。窮めて不利なのだ。
――だが手札はまだ有る。
 おそらくタブークの街に向かったシャアバーン達はまだ無事の筈だ。アラーの街のアルサウド部隊もまだ温存出来ている。ここを凌げば包囲は破られた事にはならない。まだ挟撃は可能な筈なのだ。
 一方、バラザフはこの戦いで見えざる鍵を得た。
――勝敗は士気だ。生気だ。数は絶対となり得ない。
 という事である。

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2019年1月20日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_24

 バラザフ達に命ずる大喝でアジャリアは周辺の大気を震わせた。ナウワーフや他の近侍ハーディル達、そしてバラザフも、戦いに臨む姿勢で各々の武器を構えている。
 霧中――。刃と刃がぶつかる金属音、敵味方の吶喊、火薬の爆音が遠くから迫ってくる。
――不利な戦況だ。
 アジャリアのもとに絶え間なく駆けて来ては告げる、伝令達の言葉から、バラザフはそう判断した。
 腰に佩いているエドゥアルドから貰った御守の諸刃短剣ジャンビアを、バラザフはぐっと握り締めた。
「うわーー!」
 近侍ハーディルの一人が堪えきれなく奇声をあげた。太陽が上へ昇り、霧が消えると戦場があらわになった。白い幕で覆われていた戦いが眼に映ったのである。
 戦場の恐怖は新兵達の口を乾かせ、腰から下の力を奪った。そして頭の一部で、喉が渇いたと、ほんの少し冷静に思っていたりもする。
――前線、崩壊
――様、戦死
 遠くから聞こえてくる伝令の報告は依然として芳しくなく、重臣までもが次々と戦死している。

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2019年1月19日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_23

 アジャール軍とベイ軍の最後の戦端が開かれようとしている。
「突き進め! 霧の向こうにアジャール軍が居る。矢も狙わなくて構わん。とにかくつがえて射よ!」
 アジャール軍へ向けて霧の中から矢の雨が降り注いだ。矢に当たった兵達が次々と倒れてゆく。
――敵襲!!
 伝令達はベイ軍襲来の報を持って陣を縦横無尽に駆けた。
「もうここまで来たというのか!」
 突如、霧中より現れ出でたベイ軍の疾風達はアジャリアの心胆をも大いに揺らした。 
「全軍、双頭蛇ザッハークの体系! 稲妻バラクに変形する間に陣をおとされるぞ! 今の配置から決して動かず迎撃せよ! とにかくうろたえるでない!!」
 バラザフは今、夢想の中に居た。自分が目の前の将兵達を指揮し、陣容を動かす指示をしている夢である。そこへベイ軍が奇襲をかけてきたのである。
 一気に醒めさせられたバラザフは、両手に諸刃短剣ジャンビアを握り締め、白き壁に向けて構えた。咄嗟でも意外に彼の頭の奥は怜悧に働き、宝物の方ではなく武器にして良い方の二本の諸刃短剣ジャンビアを無意識に選んでいた。アジャリア本隊の周りには近侍ハーディルが配置されている。
「わしの傍を離れるなよ、バラザフ! うろたえるでない。他の者も打って出るなよ。とにかく自分の身を護るのだ!」
 バラザフ達に命ずる大喝でアジャリアは周辺の大気を震わせた。ナウワーフや他の近侍ハーディル達、そしてバラザフも、戦いに臨む姿勢で各々の武器を構えている。

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2019年1月18日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_22

 タブークから出たベイ軍本隊は現在八万。ジャウフの街の部隊と合流しようとしていた。濃霧はアジャール軍だけでなく、ベイ軍の進軍も慎重にさせた。しかし、タブークの奇襲を未然に回避したサラディンも、この時点では濃霧の向こう側にアジャール軍の稲妻バラクが配置されているとは想定していない。
 アジャール軍とベイ軍とは互いに一日で行ける距離にまで縮まっていた。極めて近い。
 ついにサラディンの耳に偵諜から情報が入れられた。
「ジャウフの街の北側に布陣が見えます。数は十万から十五万」
「アジャール自身が出てきたか。それで陣容はわかったか」
「おそらくアジャリアの稲妻バラク。なお、未だ変形を続けております」
「この霧こそが神が望まれたものだ。アジャール軍は我らがここに居るのには気付いていたか」
「気付いていないと思われます」
「そうか……。ジャウフの街の部隊と合流して後詰と呼応して南北から挟むつもりだったが……」
――布陣もおわらず、こちらにも気付いていない、か。
 この時、軍神の脳裏で機略が閃いた。
「よし! このまま突破するぞ。アジャリアが居るとなればその命貰い受ける好機だ。ジャウフの街は開けずにいよ。アジャリア諸共アジャール軍を蹴散らしてくれる!!」
 多くの戦いにおいて奇襲は極めて有用な手段である。その生涯で負け無しといわれるサラディンは、数多の戦闘経験によってその事を熟知している。今、ベイ軍に吹く風は追い風である。

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2019年1月17日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_21

 以前にバラザフはズヴィアドから陣容について教授された事があった。
双頭蛇ザッハーク。前後の兵が滑らかに稼動出来る。長く延びたこの体系は将兵が多いときに効果を発揮する。稲妻バラクの変種といえる」
――今のこれはズヴィアド様の言っていた双頭蛇ザッハークではないか。
 バラザフの脳内の過日のズヴィアドはさらに教授を続けた。
群飛雁イウザ。雁は群れで飛ぶ。その形がこの体系だ。双頭蛇ザッハークから群飛雁イウザへ、群飛雁イウザから大隊の稲妻バラクへと変形してゆく。さらにここから各所の先端を尖らせるように変形すると並列錐ミスカブになる」
 変形が進むにつれて違えに兵を配置している稲妻バラクの溝が深くなるという事である。
 そしてこれらは陣容の枢要と施用であり、上に立つ者の差配如何で明暗を別けるのだとズヴィアドは最後に念を押した。
 その枢要と施用が、今バラザフの目の前で驚くべき事に生きて動いている。バラザフは愉悦の中に居た。戦場での戦術的な将兵の動きを観ているのが愉しかった。自分が今それを愉しんでいるのだと自覚していないほど没入しきっていた。

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2019年1月16日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_20

 作戦決行の日、太陽がまだ地を照らし始める前に、アラーの街を出てネフド砂漠へ向かった。アジャール軍の立つネフド砂漠は、この朝深い霧に包まれていた。
「おそらく何も見えなくなるな」
 濃霧の中、アジャリアは本陣の椅子に腰を下ろした。
 夜の寒さで大気が冷え、朝方に霧が出る事も砂漠では全く有りえない事ではない。だが、この朝の霧は特に濃かった。白が世界を塗り潰し、人の視界が利かない。
「早めにアサシン共に探らせておきましょう。ベイ軍がこの霧の中で転進してしまっては厄介だ」
「うむ」
 アジャリアの懸念を汲み取るように、弟のエドゥアルドが気を利かせて配下に偵察を指示した。この挟撃はある意味において戦いの定石を無視したものである。サラディンの性向を見越して、挟撃作戦に踏み切ったアジャリアであったが、これが定石を破った奇策である事はアジャリア自身が一番よくわかっていた。
 通常であればこの挟撃が見込み薄である事は、先にエドゥアルドとズヴィアドが指摘した通りである。その指摘の内、ベイ軍をタブークから追い出す事については達成出来ている。だが、その先にいくつもの負の可能性が待ち受けており、定石通りに事が運ぶ事はこの場合障壁なのである。
 よって、この作戦を決行したといってもアジャリアは、心中では完全にはこの作戦には倚り懸かる事は出来ずにいた。それを軍略にも兄の心情にも通じた弟エドゥアルドが汲んだのだった。
 こうした首脳陣の威厳を保ちつつも見せる微かな憂虞を、傍で見ているバラザフは敏感に感じ取っていた。
 アジャリアの指示は先に決めた通り稲妻バラクの陣容である。十二万の兵が東西に延び、前後違いに配置されていった。

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2019年1月15日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_19

 月が落ちた――。今この世界は闇である。夜が明けたら、おそらくベイ軍との戦いが始まる。この作戦の要点は勿論挟撃にある。ベイ軍をなんとしても稲妻バラクで迎え撃ちたいアジャリアは、夜間の内に軍を横に展開させておく事にした。
 予め雇い入れておいた暗闇を視る事が出来るアサシン達に先導させ、大まかに兵員を配置した。これならば日が出ればすぐに稲妻バラクに陣容を遷す事が出来る。バラザフ達、近侍ハーディルもアジャリア本隊に付いて移動した。
 一方、サラディンの方もアジャール軍との激突が近づいている事を霊的直感で感じ取っていた。タブークの街を出てきたの奇襲を危惧しての事もあるが、自分達が駐屯すれば街が戦火で焼かれて、無辜の民が投げ出されてしまう事にもなるので、義に生きるを貫くサラディンとしては、そのような無意味な悲劇はなんとしても回避したかった。
 そもそも、慈悲心や義侠心で始めたこの戦いで、民を苦しめてしまっては、サラディン自身の義が立たないという事になる。
 少し遡れば、タブークを奇襲するはずであったシャアバーンの駱駝騎兵部隊は、部隊に所属するアサシンを出してサラディンの動向を窺わせていた。だが、サラディン側が動き出すにあたり、向こうもアサシンを動かして、シャアバーンのアサシン達を残らず駆逐していったのである。結果、シャアバーン達がベイ軍の動きをつかみ、アジャリア本隊に報せる事が出来たのは、丁度ベイ軍の後詰がタブークを出た時となった。
 サラディンがタブークを出ると決めてから、後詰の出動が完了するまで、僅か一刻。平時におけるベイ軍の練兵の熟達のほどが窺える。
 サラディン・ベイは無敵の将、徳高き義人であると同時に、敬神の情篤き男である。目に見えざる世界からの霊流を常に受けており、預言者のように言葉に顕し御文を民衆に示すという事はしなかったが、決断が生じる場面において、サラディンはしばしばその霊的直感によって進路の左右を無意識に決定していた。
 そしてその直感によってアジャール軍の奇襲を察知したのである。移動に先んじて偵察のアサシン出してみれば、はたせるかなアジャール軍の密偵がこちらの動きを見張っており、情報を持ち帰らせる前に始末したという事である。
 まさにここでアジャリアの作戦の糸の継ぎ目が綻び始めた。

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