2019年2月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_11

 出来上がったアラーの城邑アルムドゥヌは、カーラム暦983年のアジャール、ベイの最後の戦争でも戦略的に大きな役割を果たした。その後、アラーの城邑アルムドゥヌは、アジャール、ベイ、レイスなどの大軍を容れて戦闘出来る、彼らの重要な拠点となった。
 城は此の世に生まれて永遠に戦いの中で生き続けるわけではなく、平時の貌を持つ事は意外と為政者の意識の中から抜け落ちやすい。
 築城を考える上で城壁の堅さは勿論重要であるが、城邑アルムドゥヌを一つの生き物と捉えた場合、自ずとその中で生きる人々の営みにも目が向けられる。産業が発達すれば蓄えられる財貨も殖え小まめな修繕が可能となるし、人口が増えれば修繕のための労働力を賄う事が容易になる。
 築城を開始するにあたり周辺の街の経済規模も考慮した上で、おおよその城邑アルムドゥヌの発展度を想定する必要があるだろう。広すぎると防備が手薄になるし、狭すぎると街の発展は望めない。広すぎても狭すぎてもいけないのである。
 そして余剰の財貨は惜しみなく民に分配し、貨幣を街の中で澱みなく無く回転させれば、城邑アルムドゥヌは一つの経済圏として安定した生命でいられる。
 アジャールとベイのネフドの最後の戦争は、バラザフにとっては初めての戦場である。エルザフ・シルバ、長男アキザフ、次男メルキザフ、そしてバラザフは持ち場は異なるものの、この戦争で共に戦う事となった。
 アラーの城邑アルムドゥヌと同時に遥か南東に離れたアルカルジもシルバ家の管轄下に置かれた。アルカルジは、今ではハラドと並ぶアジャール家の重要拠点となったリヤドに程なく近かったが、ネフド砂漠の戦いに注力している間に、オマーン地方のメフメト家の手が伸びてくるかもしれず、単純に街を取られないように防衛しているだけでは、周囲の小領の士族アスケリ達を砂山を少しずつ抉るように取り込まれてしまうため、その辺りの調略防衛をアジャリアは、シルバ家に期待している。本来アルカルジは、最寄のリヤドの太守が担当すべき場所なのだが、ここに智勇兼備の優将のいずれかを置いておく余力はなかった。ベイ家のサラディンは余裕を持って戦える相手では決して無い。
 言うなれば、アルカルジもベイ軍との戦争の盤面に入っているのである。
「アルカルジの街の守りより、メフメト家による撒き餌を見張らなくては」
 エルザフが言葉にした通り、アルカルジの街の始め各城邑アルムドゥヌ周辺の小さな領主達は完全にアジャール家に臣従したわけではなく、表面上は協力姿勢を見せても一度上の力の均衡が変われば、より強きほう、利益をもたらしてくれるほうに付くもので、元のシルバ家のように各勢力の轟嵐に揉まれ、巨竜たちの足で蹂躙されんとする身としては、これは当然の生き方なのである。
 そうした小領主達の不安と自尊心とを巧みに揺さぶるように敵は調略の手を伸ばしてくる。
 これに対するシルバ家の調略防衛とは、例えば、
 ――アジャール家は戦争が終われば我らの領土を根こそぎ取り上げるつもりなのだ。
 と流言が流れ始めれば、行って不安を取り除き、
 ――我らに寝返れば今よりさらに厚遇しよう。
 との空手形が出されれば、それを押さえ、連なったものを捕らえて見せしめとした。まるで赤子の面倒を見るような微に入る対応が求められるが、それらを可能にしたのは、自分が調略を仕掛けるのであればこうするであろうという謀略の手札を無数に持ち合わせていたからであり、それらが寄り集まってカメラのようにシルバ家の智を形成していた。自分が持っている手札は相手も持っていると考えればよかった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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