2019年12月25日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_3

 カウシーン・メフメトはメフメト軍の三代目である。片やシーフジンは今でもモハメド・シーフジンなのである。
 シーフジンは裏の仕事だけでなく、戦争に表立って参加する事もあった。彼らの最大の強みは戦争で死なない・・・・ 事である。足が速い上に、追い詰められると煙のように消える。敵兵が彼らを仕留める事は不可能に近い。
 ――今のモハメド・シーフジンは初代の孫である。
 と、バラザフは聞いていた。この情報を入れたのはシルバアサシンの長、フートである。
 バラザフもシーフジンというアサシンの名前だけは知っていた。余りに有名である。だがその実態となるとまるで知らなかった。それは自分の本分ではない。
「メフメト家のシーフジンというアサシン団に用心されたし。長のモハメド・シーフジンは常人の二倍ほどの大男で、バーレーンの神の果実だけを食して齢三百を越えただのという面妖な噂も纏っております」
 そして実際はそれは初代の孫だとフートは言うのである。
「詳細を穿つならば、シーフジンの出自はドーハ以前を辿ると、我等シルバアサシンと同じくアルカルジなのです」
 フートはまるで別人になったかのように、シーフジンについて聞かれもしないのに言葉多く語った。
「つまりシーフジンとシルバアサシンは同門と言えるな」
「そういう見方もできますな」
 バラザフはカウザ に被った砂をふっと息で掃いながら、フートの話を聞いていた。
「我等もシーフジンも普通のアサシンと異なる業を用います。出自が普通と違うためです」
「そうか。ではフートはシーフジンの強みも弱みも把握しているのだな」
「はい。言い換えると、我等の特徴もシーフジンに知れているという事にもなるわけです」
 バラザフはカウザ からフートに視線を遷した。
「シーフジンの一番の手柄というのは何だろうか」
 バラザフの中でシーフジンが形ある像として出来上がってきた。
「メフメト始祖のドーハでの台頭に始まり……」
「今代では?」
「カウシーン・メフメトのジュバイルの攻略が、シーフジンの今代における一番の働きかと」
 この戦いでカウシーン・メフメトは十万の兵で百万のジュバイル軍を打ち破って、この城邑アルムドゥヌ を手に入れている。十万の兵を分隊する際に各隊にシーフジンを編入して、四方八方に食い散らすようにして、ジュバイル軍を殲滅していったのだが、ただ蛮勇を以って敵に対したのではなく、シーフジンの速力を最大限活かして敵を翻弄しつつ倒していったので、ジュバイル軍は百万といえども殆ど戦力として機能出来なかったのである。
 もちろんメフメト軍の十万の兵のほとんどは普通の兵卒である。しかし、シーフジンという手練によって作られた流れ・・は、ジュバイル軍のそれとは逆に能く機能し、兵卒達はシーフジンについて、突進、転進、後退していくだけで効率の良い戦いが出来た。極端な場合、横を向いている相手を切り伏せるだけであるから、兵卒としては良い仕事にありつけたと言える。
「それはそれぞれのシーフジンが戦いの趨勢をはっきり読めたという事ではないか」
「その通りです。このようにアサシンを部隊として活用するやり方も、殿の知謀ならば可能でしょうな」
 シーフジンの戦いぶりを聞いて空恐ろしくなるバラザフに、語るほうのフートは活き活きとしていた。
「部隊として戦えるという事は、シーフジンはかなりの数が備えられているのか」
「二千前後と思われますが、明らかな数ではありません。兵士をシーフジンとして仕立てれば急増出来てしまいますゆえ」
「そんな事が有り得てしまうのか」
「あくまでそういう手があればという事です」
「急ごしらえで忠誠を誓うものなのか」
「裏切れば上が始末するでしょう。それは我等シルバアサシンでも同じ事」
「始末出来る程度に加減して育てるのか」
「お察しの通りです」
 いつの間にかバラザフはフートの話を食い入るように聞いていた。今やアジャール家では知謀一、二を争うと自負していたが、自分の知らない世界を垣間見て、未知への興味と怖いもの見たさで膝を乗り出している。
「さらには……」
 フートのシーフジンの話は続く。
「長のモハメド・シーフジンは本人が長命に生きながらえているにしても、孫に代替わりしていたとしても、手下の中でもその面前にとらえた者は殆ど無く、主家のメフメトの者ですらその実体は掴めていないとも」
 バラザフは手にしたカウザ に視線を戻し、虚空を見上げて、
「おそらくそれは虚言だ。流言の面白い使い方だと思うぞ。面妖な噂でモハメド・シーフジンの虚像を作り出して、それこそモハメドを魔人ジン のように仕立てて、実体を隠しているんだ。俺もモハメド・シーフジンを使ってみたいものだな」
 シルバアサシンを巧みに扱いながら、手駒を動かす醍醐味をバラザフは感じていた。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年12月15日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_2

 シーフジン――。
 このアサシン集団はそう呼ばれている。魔人の剣の意味の通り人外の業が彼らの仕事である。
 バヤズィトの曽祖父がこの地に勢力を興して以来、シーフジンはその影でメフメト家を支えてきた。このメフメト家の始祖は、シーフジンを大いに活用し、謀略、謀殺の任を担わせて、メフメト軍を肥大させてきた。
 バヤズィトは父からシーフジンの人ならざる者とも言える力を聞かされていたが、今初めて目の前でその力を披露されたのであった。まさに魔人のように在れて消え失せたのである。
 シーフジンというこのアサシン集団がメフメト家に与力するようになったのは、メフメト家の版図にドーハが加わった事による。
 一所に勢力が安居し、それが永く続くと支配者は領内の既得権を奪いたくなるもので、ドーハの旧領主も、この地のアサシン団から忠誠という縦糸を要求した。
 バヤズィトの曽祖父はその点をよくわきまえていて、力で押さえ込もうとせず、安撫策を採りシーフジンに概ね自由を認めていた。これが逆に彼らの信頼を勝ち取ることに繋がり、以来、メフメト家とシーフジンとは良好な関係が続いていた。シーフジンの棟梁はモハメド・シーフジンという名で呼ばれている。シーフジンに一人の人格として名を与えて呼ぶようなものである。
 そして、一般的にアサシン、間者ジャースース である者をメフメト家ではシーフジンと呼び、世間ではメフメト家のアサシンをそう呼んだ。

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2019年12月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_1

 たった一晩でダンマームから九頭海蛇アダル が消えた。多勢のアジャール軍はバヤズィトの夢想の中の存在になってしまったかのようである。自分達が追い返したから居なくなったのではない事だけは確かである。不可解な撤退であった。
 ダンマームの城邑アルムドゥヌ は陥落せずに済んだ。半死である自分も命永らえた。だが、まだ自力で歩き回るのは難しく、頭からも血の気が失せているのがわかる。
 ――あの猛攻も厳しかったが、撤退の手際も恐れ入るな。
 朦朧とした頭でバヤズィトは、戦いを回想し分析していた。あそこまで強攻めをして、しかも落城寸前にまで追い詰めておきながら退却していった理由は一体何だ。
 ――そうか!
 ここでバヤズィトは、アジャリア・アジャールの真の狙いがバーレーン要塞にあると思い至った。父親のカウシーンはバヤズィトにアサシンを配下として与えていた。今がそれを用いるべき時である。
「命を削ってバーレーンまで駆けてくれ。アジャール軍の到着より早く報せが届かねばならない。二十万の大軍がバーレーンに向っている事を報せるのだ」
 バヤズィトの命に言葉は返さずアサシンは消えた。青い煙のようなものだけを残し、それもすぐに霧散して見えなくなった。

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