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2019年1月14日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_18

 近侍ハーディルであるバラザフ達は、これらの軍議の流れを全て経験する事が出来、アジャールという家の名を自ら名乗っている「アジャリア」に尊敬の念を新たにした。
 また、アジャリアだけでなく自分の師のエドゥアルドとズヴィアドの大局眼が確かであるという思いも更に強くなった。相手がサラディン・ベイでなければ、やはり彼らの進言が正しいはずだとバラザフは思う。
 アジャリアが危惧した通りベイ軍は、駱駝部隊がタブークに到達する前に動き出した。これを報せて来たヤルバガ・シャアバーン、ワリィ・シャアバーン兄弟の駱駝部隊が、丁度タブークの背後に回るため迂回を取っていた時である。
 アジャリアは、先の作戦通り挟撃の前後で呼応するようアラーの街を進発した。ベイ軍配下に置かれているジャウフの町を北へ迂回する形を取った。アラーの街を出てからここまでで五日。おそらく明日にはベイ軍本隊と相見える事となろう。
 今、アジャール軍は、ハイル、ラフハー、アラー、そしてアジャリア本隊で戦場に弧を描くような陣容となっている。ベイ軍ほ包囲は出来上がりつつあった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年1月13日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_17

 奇襲であれば当然敵に気付かれてはならない。行軍の砂煙が敵に発見されればすでにそれは奇襲ではなくなるから、晴れ渡った日は避け、行軍速度もぎりぎりに近づくまでは緩慢にせねばならない。
 つまりは、ただでさえ時間が掛かりすぎる上に、天候によって奇襲および、追い立てられたベイ軍がこちらまで到達する時が左右される。機がずれてしまえば前後で呼応して挟撃するのは難しい。
「駱駝騎兵がタブークに着くまでに敵の増援が来ないとも限りません。そうなればタブークからベイ軍を追い出すどころか、街で持ちこたえられ、最悪奇襲部隊そのものが捻り潰されてしまいます」
 ここまで軍議を黙って聞いていたエドゥアルド・アジャールも、ここで、
「首尾よくタブークからベイ軍を追い出せたとしても、まっすぐこちらに向かってくるかどうか。途中でサラディンの本隊が転進すればこの挟撃は失敗に終わる……」
 と、ズヴィアドの説に言葉を加えた。
 軍議に参加する諸将は、一瞬どよめいたが、やがてエドゥアルドとズヴィアドの言葉に納得したかのように、言葉が止んだ。
 こうして軍議に参加する諸将の方向が、概ね驚蛇作戦反対論に流れていったところで、主将アジャリアが初めて口を開いた。
「エドゥアルドとズヴィアドの意見もよくわかる。普通の相手ならばわしもこの策は採択しなかったであろう。だが……」
 アジャリアは一息ついて、
「わしは、サラディンは必ず来ると思う。サラディンはわしがネフドから追い出した者等の命運を背負っている」
 アジャリアは続ける。
「義理に生きる者は計算では動かん。使命感、義侠心、そういったものは損得ではないのだ。サラディンは必ず来る……」
 結局、このアジャリアの言葉で軍議は決まってしまった。
「アラーの街を出てネフド砂漠まで進み出よう。そこで稲妻バラクでベイ軍を包囲殲滅するのだ。ラフハーに駐在するハリティとシルバにも街から出てベイ軍を包囲できる位置に動くように伝えろ」
 アジャリアは全体に指示を出した後、トルキ・アルサウドには、
「アラーの街を守るのがお前の役目だ。ジャウフに居残っているベイ軍の動きを見張れ。驚蛇作戦でベイ軍が敗走してジャウフに逃げ込むようであれば、急いで駆けつけて掃討せよ」
 と、命じた。
 ネフド砂漠を盤面として、ベイ軍を完全に包囲出来るようにアジャリアは確実に駒を配置していった。ラフラーとハイルの街を連携するアジャリア本隊、タブークに奇襲をかける駱駝騎兵、温存するアラーの街のアルサウド部隊の三方から包囲しつつ、サラディン本隊と後方の連携を断つ事も出来る。進言された驚蛇作戦にアジャリア自身が一厘を加え、より作戦の完成度を高めたのである。
「シャアバーン」
「はっ」
「作戦開始までタブークから目を離すなよ。僅かに機がずれただけでもこの挟撃からベイ軍は漏れる。先に向こうが動き出す事があってはならない」
 そこから先はアジャリアは言わなかった。作戦通りに現実が動いているのか機に臨んでいれさえすればいい。機が派生した先には無限の未来が枝分かれする。ずれてしまった時に大将でであるアジャリアが判断すればよいのだ。

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2019年1月12日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_16

 月が替わりシャッワール月になった。ラマダーン月を過ぎようやく昼間でも飲食が出来るようになる。依然として雨は少ないが、夜間の冷え込みに耐えるため、そろそろ外套アヴァーが必要になってくる。朝夕に霧が立ち込める頻度も多くなってきていた。
 アラーの街に駐屯するアジャリア本体では、ベイ軍が押さえているタブークをどう攻略するかの軍議が昼夜兼行されている。当然、それらはアジャリアの傍近く使えるバラザフ達の耳にも入ってくる。
「草を打って蛇を驚かす、らしい」
「ふむ?」
 食事中にナウワーフがまた聞いてきた情報をバラザフに話し始めた。そもそも近侍ハーディルが漏れ聞いた軍議を噂するなど、あってはならぬ軍紀違反なのだが、お互いの気心の勝手知りたる仲の二人だけに、こういった情報の疎通の口を塞いでおくのは無理な話であった。
 若いながらも戦術に精通した才気ある二人にとって、こうした情報交換は、初陣の身である事を忘れさせ、戦場の全体像の夢想を膨らませる元だった。連日、近侍ハーディルとして軍議を脇で聞かされてきた事もあって、もはや気分は一人前の武人になっていた。
「どういう譬えなのだ?」
 ナウワーフは周囲に人気に無いのを、すばやく首を回して確かめて、
「なんでも東方の戦術とかで、部隊を分けて用いる」
「それで?」
「草むらを打って蛇を驚かせて、それをもう片方が待ち受ける。つまりは挟撃らしい。別働隊を編成してタブークの街を背後から攻撃して、本隊で待ち伏せるのだろう」
「ふむ……」
「バラザフは納得がいかないのか?」
「うむ……。蛇を殺すときは、頭を壊したかを確かめろ、というからな」
「その頭を壊すために作戦なのだろう? これは」
「だがタブークの背後を上手く突けたとしても、ここまで追い立てるのに一週間もかかるだろう。それまでに反撃されたり、転進されたとしたら……」
 このバラザフの考えとまさに同じ事を、バラザフの師ズヴィアドが先の軍議で献策していた。まず、この驚蛇の策を立てたのは駱駝騎兵部隊長のヤルバガ・シャアバーンである。本来であれば、重臣であるヤルバガに、名目上、一小隊長であるズヴィアドがおいそれと意見を反対できるものではない。
 だが渋面満ち満ちたヤルバガを余所に、ズヴィアドはアジャリアに直接述べた。
「今、ベイ家の拠点となっているタブークの街は、我らのアラーの街から一週間は掛かります。さらにそれを背後から突くとなると……」
 ズヴィアドの考えによれば、一週間もかかる行程をヤルバガの策の通りタブークを奇襲するとなると、当然背後に回りこむ時間が膨らむ。駱駝騎兵部隊といっても十二万の編成全てに駱駝が割り当てられているわけではなく、徴兵された者らや補給要員は自らの脚で砂漠を行軍しなくてはならない。

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2019年1月11日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_15

 アジャリアにはエドゥアルドの下にもう一人弟がいる。サッターム・アジャール。彼は容貌がそっくりである事からしばしばアジャリアの影武者コプシュフィダウンに扮する。此度もアジャリアの周りを固める血族等の中に彼は潜んでいた。危機が迫った時に速やかにアジャリアに成り代わる為である。
 当然、バラザフは近侍ハーディル達と共にアジャリアを護る形で、本陣の前に配置された。
「気合が十分過ぎて全く仕方が無いな」
 そう震えながら言うのはバラザフの隣のナウワーフ・ハイブリである。
「バラザフもそうだろ?」
 そう言うナウワーフにバラザフはにやりと返した。だが目は全く笑っていない。脂汗も滲んでいる。
「他の者も同様のようだ。こんな高揚感は戦場じゃないと感じられないからな」
 答えながら、バラザフは近侍ハーディルの他の同僚を見遣った。バラザフの言葉通り皆、自らの気合で・・・で震えている。近侍ハーディルといえども戦場では一人の新兵なのだ。勿論、近侍ハーディルとして普通の兵士よりも権限はある。だが、斬られれば身分の別け隔てなく生身の肉体から血が流れて死ぬ。戦場で死は平等だ。
「よし、俺はもう死んだ」
「なに?? 恐怖で頭がいかれたのか、バラザフ」
「もう俺は死んだんだ。だから死ぬのは怖くない。そして今、生まれ変わった!」
「なるほど! ならば、俺も今死んだ」
 平時であったなら、意味すら成さぬ会話であったろうが、今の高貴なる新兵たちにとっては、戦場での助けとなった。
「邪魔な気合が抜けたな」
「気合が抜けては困るがな。楽になった」
「ああ、楽になったな。死ぬ気がしない」
 このバラザフとナウワーフのやりとりを見ていた他の近侍ハーディルたちも同様に、口々に死んだ、死んだとやりだした。近侍ハーディルたちは俄かに、皆、自分達こそが冥府帰りの無敵部隊だといわんばかりの、奇妙な自信に包まれた。
 この三日後、アジャリアは本陣の移動を決めた。ラフハーには太守としてアブドゥルマレク・ハリティに三万の兵をつけて残し、本体をアラーの街に動かす事にした。
「ハリティ様の役割は、ベイ家が占拠するタブークへの睨み、ということらしい」
 ナウワーフが仕入れたての情報を早速バラザフに持ってきた。ラフハーに置かれるハリティ部隊にバラザフの父と兄もいる。父エルザフはハリティ部隊の参謀を任された。

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2019年1月10日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_14

 アジャリアの戦法の独特なものとしてタスラム部隊がある。歩兵の懐に石膏で出来た投擲武器を持たせ、敵と遭遇したときに渾身の力でこれを投げつけるのである。
 物をぶつけられて怯んだ、また、タスラムの石膏の破片で視界が遮られた敵に槍兵が突撃をかけ、出だしの敵味方の士気に差をつける。そして士気の下がった敵はたちまちのうちに駱駝騎兵の餌食になる寸法である。
 このタスラム部隊の戦法は、部隊が偵察等において少数かつ単独で敵に遭遇したときにも有効であり、タスラムを投げた後、歩兵自身が素早く抜刀して斬り込めばよく、数で不利な場合は逃走の生存率が著しく高まる。
 駱駝騎兵を率いるのはヤルバガ・シャアバーン、ワリィ・シャアバーンの兄弟である。さらにその後ろに精鋭のアジャール騎馬隊がずらりと並んだ。
 そして、それらを援護する者として火砲ザッラーカを装備した駱駝騎兵を各所に配置した。
 アジャリアは、本陣の天幕ハイマから出て、革盾アダーガの柄を立て悠然と椅子に座った。

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2019年1月9日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_13

 ついにバラザフ達の近侍ハーディルを含めたアジャリア本軍がハラドから出撃した。この行軍の課程でサバーハ家、メフメト家の援軍と合流する手筈になっている。このためアジャリアは、部隊の行軍の歩を遅くするように指示した。
 一方サラディン・ベイはアジャール側のアラーの街トルキ・アルサウドが横合いから奇襲してくるのを警戒しながら、補給部隊に五万の兵をつけて行軍の途中に残した。アルクラーヤットの街を前線までの補給線を繋ぐ基地として、本体はネフド砂漠に進んだ。そこから一週間かけてジャウフに到達。サラディンはまた部隊を少しジャウフに残して、本体の八万の兵を西南西のタブークに移動させ、ここを押さえた。もし先にアジャリアが兵を回してタブークを占拠すれば、ジャウフのベイ軍はハイル、アラー、そしてこのタブークの三方を囲まれる形となり、後ろへ退却する他なくなるからである。
 これとは逆にアジャリアは本体を今居るハイルから北西のラフハーに遷した。ハイルとアラーの街を連携させるには道は二つ。ジャウフを通るか、ラフハーを通るかである。ジャウフはベイ軍の占領下にあるため、アジャリアの方はラフハーを押さえねばならなかった。ラフハーに至り、アラーの街に配備していた兵を併せると、アジャール軍の兵力は二十万にまで増えた。
 近侍ハーディルというアジャリアの傍近く居る勤めによって、バラザフはアジャール軍の軍議を目の当たりに出来た。父エルザフ、エドゥアルド、ズヴィアドなどの重鎮たちがアジャリアの宿営所頻繁に行き来して、得られた情報を元に少しずつ策を練り上げている。
 大略としてアジャリアは稲妻バラクを用いると決めた。ラフハーの街から出て陣を布く事にしたのである。稲妻バラクと聞いてバラザフは、自軍が敵軍に対して稲妻のように襲いかかるのを想像したが、実際のこの戦術は稲妻バラクが戦場を横断するように自軍が配置され、横に拡がった自軍によって敵を包囲するものである。横一列に兵を並べるのではなく、列を違えて配列する故、その形状が稲妻バラクのようになる。
 最前列に槍兵が違えに並び、その後ろに駱駝騎兵が配置されている。灼熱の砂漠で速やかに移動出来るのが駱駝騎兵である。馬よりも重量に耐性があり、人も荷物も同時に運べるという利点がある。槍兵で敵を防ぎ、頃合を見て槍兵の間から駱駝騎兵が突撃をかける。ここまでは一般的な軍容である。

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2019年1月8日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_12

 エドゥアルドが自分の指揮部隊に戻った後、鞘から抜いた諸刃短剣ジャンビアを両手に握り、振ってみた。自然と身体が動き、刃は軽く空を裂く。バラザフは両手で武器を持つこの戦闘体形が気に入った。
 が、いくら武器であるとはいえ、さすがにアジャリアとエドゥアルドから貰った諸刃短剣ジャンビアを血で穢すわけにもいかない。父に貰ったもう一つの諸刃短剣ジャンビアを握ってみる。父には申し訳ないが、これならば実戦で用いるのに勿体無いという事もなかろう。
 バラザフは配下の兵士を呼ぶと、
「済まないが、出撃までに急いで諸刃短剣ジャンビアを一本用意してきてくれ」
 と、金を渡して遣いに出した。
 父エルザフから与えられた物、アジャリアとエドゥアルドから下賜された物、そして父の物に対にするために自分で用意した物と、都合四本の諸刃短剣ジャンビアを帯びる事となり、バラザフの腰回りはすこぶる賑やかなものとなった。

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2019年1月7日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_11

 後憂を安んずるべくアジャリアは、今までのクウェートのサバーハ家との同盟に加えて、オマーンのメフメト家と同盟を結んだ。
 これらの同盟はアジャリアにとっては、リヤド、ブライダー方面への侵攻を容易にするという効果をもたらし、メフメト家のカウシーンにとっては自分の領地であるオマーン地方の支配体制の強化に力を注げるようになった。
 アジャリアはネフド砂漠方面へ、カウシーンはアルカルジへと領土拡大の食指を伸ばしていったために、両者とも義人サラディンの討伐対象となっていたのである。
 サバーハ家のファハドの方は、これまで何かと対立の絶えなかったメフメト家と同盟が成立した事で、アジャリアと同じく後顧の憂いがある程度解消されたため、バグダードを経由する道からエルサレムやベイルートへ進出が可能になった。彼にとってはその道こそが、冥府に繋がる道となるのだが、もう少し先の事である。
 アジャール軍とベイ軍の最初の戦端が開かれたのは八年前、カーラム暦では975年の事である。その後、繰り返された両家の和平と戦争の歴史は、カーラム暦983年夏、サラディン・ベイが十三万の兵を率いてカイロを進発し、新たな戦いの頁が書き加えられようとしていた。
 ハラドのアジャリアは、この報せを日を置かずして掴んだ。
「めでたい。バラザフもついに初陣の日が来るとは」
 出撃の朝、そう声を掛けてきたのはアジャリアの弟エドゥアルド・アジャールである。
「兄者……いや、アジャリア様より成人の諸刃短剣ジャンビアを下賜されたと聞いた。私からもこれを贈りたい」
 出撃の前の物々しい隊列から少し離れた場所で、エドゥアルドはバラザフに諸刃短剣ジャンビアを手渡した。柄には孔雀石マラキート象嵌ぞうがんが施されている。
孔雀石マラキートは戦場で神の加護が得られると聞く。仲間の援けも即ち神の加護だ。わかるな?」
「はい!ありがとうございます、エドゥアルド様!」
 素直に喜びを顕わにするバラザフ。アジャリアから貰ったときも勿論嬉しかったが、エドゥアルドがくれた諸刃短剣ジャンビアが目に見えぬ重みが一段と違うようにバラザフに感じられた。
 憧れのアジャリア様が自分の師であってくれたなら。バラザフはそう願っていた。だが、自分にとっての師はやはりエドゥアルドなのである。エドゥアルドで弟子で良かったと、真に心の底から思えた。
「そうだ、バラザフ。シェワルナゼ殿からもお前に言伝がある」
「ズヴィアド様は何と」
「いつまでも教えを守るだけでは一人前にはなれん。だが、此度の初陣ではまだ教えを離れるな、との事だ」
「この戦いの先も見据えた言葉に思えますが……」
「うむ……」
 この戦いは間違いなく激しいものとなる。自分もズヴィアド・シェワルナゼも生きては帰れぬやもしれぬ。この言伝もズヴィアドのバラザフへの遺言としての意味が強かろう。それが分かりすぎるエドゥアルドだったが、手塩にかけて育ててきた、しかも初陣を控えた目の前の若者に、全てを伝えきる事は躊躇ためらわれた。
「先ずはこの戦い、必ず生き延びるのだぞ。お前の武運を祈る」
 そう言いながら、馬に跨り駆けて行くエドゥアルドの背中をバラザフは見送った。まだ戦場を知らぬ若者の目には、その後姿はこの上なく頼もしく映った。

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2019年1月6日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_10

 アキザフの言葉に示されているように、シルバ家には戦いで負けても自決する者は一人もいなかった。食える物は何でも食う。自尊心を棄てる。合理的判断によって自尊心をかなぐり捨てるのである。
 過去にアキザフ、バラザフの父エルザフはアジャリアの父親のナムルサシャジャリと戦い、負けている。その際にもエルザフは死を選ばず、リヤドからブライダーを経てジャウフ辺りまで逃げ延びて巻き返しを図ったのだった。
 エルザフの「死なぬ覚悟」は功を奏した。一時期砂を噛んだシルバ家はアジャリアが父ナムルサシャジャリを追放したアジャール家でアジャール陣営に属する事となり、現在のシルバ家が再興出来たのである。
 死なぬ覚悟というシルバ家の家風は、エルザフからバラザフへ、さらにバラザフの子サーミザフ、ムザフへと、その血と共に伝えられてゆくことになる。
「我らはそれぞれ別々の出撃となる。シルバ家の若造の初陣ではなくアジャリア様の近侍ハーディルとしての初陣を果たせ」
「はい」
 次の朝、アキザフは父エルザフ、弟でありバラザフにとっては二番目の兄であるメルキザフと出征していった。バラザフはアジャリア本軍に所属して家族等とは一日遅れてハラドを発った。
 ネフド砂漠におけるアジャリア・アジャールとサラディン・ベイの対戦は此度で四度目となる。
 先年までアジャリアはネフド砂漠周辺の領有を巡ってネフドの勇者タラール・デアイエと激闘を繰り広げていた。タラール・デアイエはアジャリアに敗れた後カイロへ逃れ、ネフドの首長達も中心であるタラールに倣うように、皆サラディン・ベイを頼る形となった。
 そして義人サラディンはこれらの救済のため、アジャール家討伐の兵をネフド砂漠まで繰り出すようになり、現在の両家の対立構造に至る。

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2019年1月4日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_8

 辺境で起きたこの小さな衝突から時をおかずして、アジャール軍全体にネフド砂漠へ進撃する指令が出された。
「サラディン・ベイ、カイロを進発。先陣は間もなくネフド砂漠北に到着する模様!」
 との急報をアラーの街太守トルキ・アルサウドから受けての事である。
近侍ハーディルの者らも全てわしと共にでよ!」
 まだ戦場を知らぬわか近侍ハーディル達にもアジャリアより出撃命令が出た。まさに彼らの初陣である。

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2018年12月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_4

 最早やり過ごせぬと知った茂みの隠者はバラザフ達の前に姿を現した。暗殺者アサシンのようではあるが、先程バラザフに射掛けてきた弩と剣を帯びている他は意外と軽装で、暗殺の任にある者ではなさそうだった。
 アサシンという言葉には暗殺という想像が常に付随するが、敵国での情報収集、国内の民情把握、要人の警護、密書の遣いなどを任務とする。よって諜報を主な任務として担ったこの者は、暗殺者ではなく間者という言葉で置き換え得るのである。
 男は嗤った。
「囲まれたときは焦ったが、こんな小僧が長という事ならまだやりようはあるな」
「俺はバラザフ・シルバ。アジャリア様の傍で近侍ハーディルを務める者だ。お前の名を聞こうか」
 バラザフは顔色を変えず、まず名乗ってから相手を質した。
「見ての通りの間者アサシンさ。間者が名乗るわけがなかろう!」 
 男は力強く踏み込み突破してくると思いきや、その足で後ろに宙返りするように反転し、背にしていた水辺に飛び込んだ。男が着水する瞬間、一閃の刃が彼を追ってはしった。
 水面に淡い赤が滲み、もはや物言わなくなった男が浮かび上がってきた。男の首には短剣が突き刺さっていた。刃は逃げられると察知したバラザフが咄嗟に腰のジャンビアを抜いて投げつけたのだった。
 諸刃短剣ジャンビアとは男子が十四になると与えられる物で、自由と名誉の証であり常に携帯すべきものである。よってこれを敵に投げつけるという事は本来は在り得ないはずなのだが、極めて合理的なシルバ家の者としてバラザフも例外ではなく、名誉という形無き者を守るより敵の掃滅を無意識的に優先したのであった。
「未来を視る眼が欲しい」
 先程の矢は外れたが、あれに毒が塗られていたら今頃自分は泡を吹いて白目をむいて死んでいるところだった。そしてあの間者の動きの先が読めれば、急な動きに対処して生け捕りにも出来たはずだ。
 見事に間者を仕留めたものの、バラザフは生きたまま捕縛出来なかった事、相手の先が読めなかった事を後悔した。自他共に認める察知能力を誇っていたバラザフだけに、この事は彼の中にしこりを残すこととなった。

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2018年11月29日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_2

 バラザフ・シルバ。今、彼はアジャリアの近侍ハーディルとして勤めている。アジャリアに賞賛された彼も初陣である事は他の近侍と同じであった。
 だが、不思議とバラザフの心には霧中のベイ家軍に対する恐怖は生じなかった。
待ち遠しい。そんな思いしかなかった。バラザフは戦端が開かれたとき、自分がアジャール軍を差配しているという夢想の中にいた。
 不意に目の前の白い幕が裂けた。刹那、バラザフには開けた霧の奥から夥しい数の騎兵ファーリスがこちらに突撃してくるのが見えた。
 霧に目が惑わされ虚像でも見えたかと思ったが、鯨波を伴ったそれらは紛れもなく、ベイ軍が自分たちの間近に迫っている事を嫌でもバラザフに認識させた。
「敵兵接近! アジャリア様の護りを固めろ!」
 周りの近侍ハーディルにバラザフが叫ぶ。
 その頬を矢が掠めてゆき紅い線を残した。
「情報を集めろ! 各方面に伝令ラスールを出すのだ!」
 いつもは穏やかな威厳を纏っているアジャリアがこのような大声を上げるのは珍しい事である。抜き差しならぬ事になり得る。バラザフはそう予知した。
 アジャリアの稲妻バラクは未だ陣が布きおわっていなかった。そんな中から味方の騎兵ファーリスが次々と敵兵に向けて突撃してゆく。
「アジャリア様の護りを固めろ!」
 今度はアービドが周囲の兵士に命じた。もはや戦場にあがる鯨波は敵のものとも味方のものとも区別がつかぬ。バラザフは無意識にカウザを上から目深に押さえ付けた。力の込もった両手に握られる諸刃短剣ジャンビアに朝陽が反射した。
 日を反す研がれた刃の光。バラザフはこの光を憶えていた。先年、バラザフはこのネフド砂漠でベイ家の暗殺者アサシンと遭遇した。
――いずれ俺はここで亦戦う事になる。
 その通り、バラザフはアジャリアから今回のネフド砂漠の戦いに出陣するように命ぜられた。少年は戦場で自分が華々しく活躍するのを夢見ていた。だからアジャリアのこの命はバラザフにとってこの上なく果報な事であった。バラザフだけでなく仲間の近侍ハーディル達も皆同じ気持ちであったろう。
 このときからすでに、何ゆえかバラザフの記憶の糸はベイ家の暗殺者アサシンに遭遇した過日に伸びていた。
 バラザフが凝視する霧の奥からベイ軍が迫っている。脳裏には特に暑かったあの日の像が浮かんでいた。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2018年11月28日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_1

 早朝の砂漠を霧が立ち込めた。遥か西から旅してきた風が夜の砂漠に冷やされて霧を生んだのだ。いつもなら東の空から昇った朝陽に照らされると同時に、霧は塵芥を拭い去りながら、ゆっくりと流れてゆく。だが、この日の朝の霧は、この地に長く命を持っていた。
 ここはハイルの北、ネフド砂漠。アジャール家の拠点リヤドからは北西に位置し、歩いて十日弱という距離である。この砂漠で今、アジャリア・アジャールとサラディン・ベイの軍が対峙している。
 本拠地のハラドの領地経営に飽き足らず、中央への進出に野心を燃やしたアジャリア・アジャールは、これまでリヤドの小領主達を倒し、或いは併呑し、エルサレムに向かうように徐々に北西へと支配域を拡げてきた。
 その侵攻によって締め出された領主達は、西のカイロの領主サラディン・ベイを頼った。義人として知られるサラディンはこれらを見捨てる事をせず、リヤドに攻め込みアジャリアを討伐し、旧領回復を彼らに約束したのである。
 アジャリア・アジャールは、ハイルの街を背にするように街からやや離れた場所に陣を張った。陣を街から離したのには理由がある。
 まず第一に戦火で街が焼かれるの回避すること、そして両軍の脱走兵、負傷兵が街に流れ込み略奪するのを防ぐことである。兵士の略奪の心配が無ければ、軍紀の管理に余計な力を取られなくて済む。また力によって上から兵士の欲心を抑え付ければ、その分士気は低下してしまう。
 欲を言えば、アジャリアとしては、この先のジャウフの街より先に進み出て、これを背後にするようにして、ベイ家の軍と街との接点を遮断したかったのだが、無理な行軍がたたってそこを衝かれては元も子もない。
 アジャール軍はこの地点でベイ家の軍を防ぐべく、稲妻形に横に広がるように前線の三万の兵を展開させた。
「アジャリア様の稲妻バラクは不敗と聞いているぞ」
 そう噂する若い初陣の近侍ハーディルたちは、砂漠の朝の厳しい冷え込みと、霧中の敵に対する不安とで震え上がり歯と歯がぶつかって鳴っている。
 この陣の中心たるアジャリアは自分の周辺を護る近侍ハーディルの中で一人だけ静穏な様子の者が居る事に気がついた。
「皆見るがいい、バラザフ・シルバを。歴戦の武人のように落ち着いているであろう」
 指揮鞭代わりの革盾アダーガの柄を握る手力強く、天然の白き幕の奥を見据えていたアジャリアが他の近侍たちを励ました。アダーガとは後に格闘武器として解釈されるようになるが、長柄の先に革の盾を付けて用いられる道具が始めである。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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