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2022年11月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第9章_4

  ハラド、リヤド、そしてアルカルジ。アジャール家の旧領は、諸侯の領地争奪戦の間で激しく揺さぶられている。無論、そこに手を伸ばそうとしているのは、レイス家、メフメト家である。さらにはベイ家までもが戦乱を生き残るために領土獲得という路線を打ち出してきていた。

 この三家の中でもハラドの獲得で激しくぶつかっているのが、レイス家と、メフメト家で、両軍の衝突があちこちで発生した。

 セリム・メフメトは、

「ハラドの支配権はアジャリアの孫の自分にある」

 と大いに喧伝した。

 これは領土獲得のための欺瞞ではなく、実際にセリム・メフメトは、アジャリアの娘の子である。

 この主張に対するだけの名分を持ち合わせていないファリドは、アジャリア家遺臣を多数雇用して、彼等の土地勘と人脈を活用して巧みに戦争を展開していった。

 戦いはレイス軍がじわりじわりと優勢に進んでゆく。この風向きをずっとバラザフは眺めていた。そして、風向きがレイス軍に有利と見るや、ファリド・レイスに味方しようと決めた。

「ですが、バラザフ様。すでにメフメト軍ともベイ軍とも同盟関係にある我等がレイス軍にまで距離を縮めるとなると、シルバ家が世に軽く見られます」

 家臣の言い分はもっともである。これら三家はそれぞれ敵対関係にあり、シルバ軍だけがその全てに対して良い顔するという事は、どこかで下手を打てば、その瞬間全て矛先がこちらに向けられる危険を孕んでいる。だが、バラザフはこの訴えを自己の肯定を以って柔和に斥けた。

「これこそがバラザフ・シルバの戦略の真骨頂だ。この方法こそが俺達のような小勢力を滅亡から救うのだ。心配ない」

 こう言ってバラザフは、レイス軍への使者に、また弟のレブザフを立てた。

 レブザフは、現在レイス軍の武官となっている、元アジャリア家の家臣のつてでレイス軍につきたいという旨を伝えた。

「あのシルバ家が我等に臣従するというのか」

 ファリドは余程嬉しかったのか、早速レブザフに直接面会し、丁重に迎えた。

「昔、貴公の兄のバラザフ・シルバに一度だけ会った事がある。あの時はアジャリア殿の使者としてであった。いかにも切れ者という面貌だったのを憶えている。そこから我等はシルバ軍に手痛い目に遭わされ始めたな」

 表情に棘を作らないように努めているファリドだが、積年の仇を所々で刺してくる。レブザフはシルバ軍の売込みで出来るだけ値を吊り上げるため、アジャール軍在籍時代に、シルバ軍がメフメト軍やレイス軍と戦って立て功績を、整然と述べた。

 レブザフの語りを聞いていたファリドは、突如、

「貴公、レブザフ・シルバと言ったな。話を聞いていて貴公が欲しくなった」

 とシルバ家の与力を認める前に、目の前のレブザフを家臣に誘った。

 ファリドはバラザフに、

 ――若さに苔の生えたような男。

 と言わしめた程、彼等の相性はほぼ最悪に近い。

 その相性で言うならば、ファリドとレブザフは組み合わせが良かった。少なくともファリドの方ではレブザフを気に入ったようである。

「レブザフ、レイス軍の武官になってくれるなら、貴公を藩主ラジャー に任官するようにエルサレムの聖皇に働きかけてやってもよいぞ。今のレイス家はそれくらいの力はある。勿論、レイス家からも十分な禄を出す」

 今まで何度もバラザフの遣いで方々に外交に出向いて、淡々と人物を見てきた。あのアジャリアですらも、兄よりもある種、冷ややかな視線で観察していたレブザフも、これには心を動かされた。感激したといってよい。

 今までレブザフは相手からバラザフ・シルバの使者として見られてきたが、レブザフ・シルバとして人物そのものに入れ込んできた者はファリドが初めてだったかもしれない。初対面の自分を破格の待遇で迎えると言ってくれている事が、彼の誠実さを表していると思った。

「ファリド殿がレブザフを気に入ってくれたか。シルバ家とレイス家の関係も築いていけそうだ。交渉ご苦労であった」

 バラザフは、素直に外交上の成功を喜んだ。

「兄上、レイス殿が私をレイス軍の武官にと望んでいるのです」

「うむ。それもいいだろう。シルバ家にとってレブザフ以上の外交の人材は居ないゆえ、大きな損失ではあるが、ファリド殿の厚遇を袖にするわけにもいかないだろう。だが、レブザフよ。右か左か迷ったときは、必ずシルバ家のためになる判断をしてくれ」

「もちろんです。しかし、まだシルバ軍での残務処理がありますので、残りの仕事片付けてから移籍致します」

 レブザフがファリドから取り付けてきた約定は、レブザフ本人のみならず、シルバ家にも良い待遇であった。アルカルジのシルバ領をこれまでどおり認め、ハラド、リヤドに関してもシルバ軍の随意で良いというものである。

「シルバ軍が、レイス軍の下についただと!」

 シアサカウシン、セリムのメフメト親子は、バラザフのやり口に恐慌した。当然の反応といえる。

 メフメト家は、これをシルバ家の裏切りと受け取った。

「あちらがそのつもりならば、こちらにもやり方というものがある」

 早速、メフメト軍は、アルカルジを端から切り取ろうと、軍隊を派遣してきた。

 カイロのザラン・ベイもバラザフの外交処方は背信行為であるとして、シルバ家へ侵略の動きを見せてきた。

 当初、恐れていた挟撃を受けた形になったが、それでもバラザフは落ち着いたままである。

「当然予想していたよ。メフメトもベイも想定どおりの反応を見せてきた。だからレイス軍を選んだわけだ。心配ない」

 これまでバラザフは、アルカルジ、リヤドと自分の活動圏の支配権を賭けの担保にするように、諸侯、諸族との外交的な折衝において優位性を得てきたので、その点に関しては実績に裏付けられた矜持があった。支配領域に比してシルバ軍の組織としての勢力は弱い。

 兵力の多寡を覆して、大勢力と同等の立場で渡り合うには、心の奥底に燃ゆる気根と剛勇さを持ち続けるしか無い。表向きは臣従したような形にはなっても、相手が大勢力であろうとも自分は対等の立場であり、君主個人の能力では必ず相手より優っているはずだという思いがバラザフの中にある。

「おい、リヤドに新しい城邑アルムドゥヌ を造るぞ」

 シルバ家の家臣達は、バラザフの突飛な策案に毎度の事ながら面食らった。レイス軍に付くと言い出したかと思えば、今度は城邑アルムドゥヌ を手がけるというのだから、彼等が驚くのも無理は無かった。

「正確にはハイルの城邑アルムドゥヌ を新しくする。アルカルジやリヤドからは一週間もかかるから急な援軍を差し向ける事も出来ないし、我らには多くの軍を常に抱えておける力はない。昔のように小勢が寄せてきたのを撃退すれば良い時代ではなくなっているから、城邑アルムドゥヌ 自体が小さいと、防衛して耐えているうちに味方の戦局から置き去りにされるのだ」

 アルカルジ、リヤド、ブライダーと西北に道が伸びており、ハイルはその道の先にある城邑アルムドゥヌ である。その先も各地に道は伸びてゆくので、押さえを疎かに出来ない場所ではある。

「拠点の戦略的価値を向上させる。規模を広げて大きくするぞ」

 ハイルの西にごつごつとした岩場がある、切り立った高い山ではないが、足場が悪く進軍に難儀しそうな場所である。そこを起点に城壁を築き、足場の悪い岩肌に難儀して行軍してくる敵を弓矢などで撃退すればよい。その基本的な在り様の今までどおり活用して、バラザフはハイルを東へ、あるいは南北へ拡張していった。

「ここからジャウフ、ラフハー、メディナに繋がる」

「三方を睨める位置だが、また三方から攻められる位置でもあるのう」

 叔父のイフラマがバラザフの意図を解して言葉にした。

「その通りです。そして折角城邑アルムドゥヌ を拡張したのに、兵を養えぬでは無用の事となるのです。よって、糧秣確保のための畑と、さらにそのための貯水が必要になってくる」

 バラザフは、ハイルの周辺に点在する小さな砂漠緑地ワッハ を基に水源を整備して、城邑アルムドゥヌ の中にもいくつも溜池を作った。

井戸ファラジ の整備も当然必要だ。防衛線になったら水が枯渇するから、井戸ファラジ は各部署ごとに作ろう。そしてそのうちの一つは枯れ井戸にする」

 この一つに水を通さないようにするのは、抜け道にするためである。

 バラザフは城邑アルムドゥヌ の砦としての機能ばかりを重視していたわけではない。各門に通じる道の脇に商業区を整備し、布類の商人を多く置いた。煉瓦の工場や、金属加工の鍛冶職人も抱えた。

 産業として鷹匠達への業務援助も行った。

 古くからカラビヤードでは鷹狩りが男子の嗜みとされていて、近頃では権威の象徴とされる向きもある。男達がサクル を連れて城邑アルムドゥヌ を離れ、砂漠に入ってゆき、鷹狩りを楽しむ光景もよく見られる。

 サクル は高価なものでは、城邑アルムドゥヌ と天秤に掛けられる程の値がつく。王族、貴族が戦争で捕虜になった際にも身代金代わりに要求される事すらある。

 城邑アルムドゥヌ の整備に併せるように、バラザフは軍制改革にも着手した。

「ハイレディン・フサインがやったように専業武官を増強する」

 カトゥマルも生前、フサイン軍の勢力に圧されて軍制改革の必要性に迫られていた。それを成そうとバラザフは躍起になっていたが、一方で家臣達はこの軍制改革に不安を抱いていた。専業武官の増加は、農業人口の減少に繋がる。シルバ軍のような小勢力がそれを実行可能なのかどうか。家臣達の不安はそれに尽きる。

 ハイルの城邑アルムドゥヌ の大幅な改築に現場が賑わう中、レイス軍とメフメト軍の間で突如として戦いが止んだ、との情報が入ってきた。

「ハラド、リヤドをレイス軍のものに、アルカルジからオマーンまでをメフメト家の随意にする。その保証として両家の間に婚姻同盟が結ばれる、という取り決めです」

 この情報をアサシンのケルシュの部下が探ってきた。

「そんな事だと思った。あのファリドが豪腕を奮えるわけがないからな。外交上の抜け道があれば、すぐに飛びつくのさ」

 バラザフは、むしろ両家の同盟を面白がって見ていた。

「ハイルの築城を急がせろ。叔父上、急ぎハウタットバニタミムに太守として就いてくれ」

 そして、イフラマ・アルマライの下に長男のサーミザフとメスト・シルバを付けて防衛の任を与えた。

 ハイルに大きな城邑アルムドゥヌ が出来上がった。シルバ家が抱えて維持していくにはやや困難ではあるが、ハイル、リヤド、アルカルジ、ハラドが一連してシルバ領となった。

 ハイレディン死後、中央でも時代は停滞していない。

 ハイレディンの寵愛を受けて出世した遺臣のアミル・アブダーラが、他のフサイン軍の遺臣達を統御して、ハイレディンの盟友であったファリドと対立を深めた。

 両家の軍団は、バグダードの南、ナジャフで衝突。この戦いにレイス軍が勝利した。

「また世の風向きが荒れてきたな」

 バラザフの胸中には若者のような期待感がある。自分の知略を思う存分活用出来るような気がしていた。

「戦乱になれば俺の時代も巡ってくる」

 バラザフの気炎はアジャリアの下に居た時以上に、アルハイラト・ジャンビアとして煌々としている。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2022年9月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第9章_2

 三ヶ月後――。

 ハイレディン・フサインが死んだ。

 この報はカラビヤート全土を震撼させた。驚愕を表に現した数多の中にバラザフの顔もあった。

「ハイレディンの奴、俺にあれだけ大きな顔をしておいてあっさり死んでしまったのか」

 ハイレディンはエルサレムから南に少し離れたヘブロンという場所で休養中に、家来のバシア・シドラという武官に急襲されて、戦の備えの殆どしていなかったのが憂いとなって、炎に包まれて世を去った。

 覇王ハイレディンのもと、力で一統されかかっていた世の秩序が崩れ始めた。

 影響が各地に出るのも早かった。

 カトゥマルを見捨てたサイード・テミヤトが何者かに殺害され、ハラドに太守として置かれていたフマーム・ブーンジャーは、アジャール軍の残党によって惨殺された。

 力でフサイン軍に押さえれれていた各地の士族アスケリ 達が、一斉にハイレディンの遺臣達に襲い掛かった。

 シルバ家存続に砕身してくれたルーズベ・ターリクも例外ではなかった。フサイン軍に臣従を誓っていた各地の諸族達は、ハイレディンさえ居なければフサイン軍など恐れるに足りないと、ターリク軍の支配権の放棄を求めた。

「早くバグダードに戻ってハイレディン様の仇を討たねばならぬときに」

 ルーズベを取り巻く環境はそれを許さなかった。周りに味方は殆ど居ないのである。

「叔父上、メスト。ターリク殿を護るのだ!」

 ルーズベが進退窮まっているのを見て、バラザフは家族にルーズベの護衛を命じた。

 ハイレディンによる支配が除かれてから、今後、大乱になるのは必至と見た。ターリクが本拠地に帰った後も再会出来る保証はどこにもない。ここで恩義を返しておきたかった。

 バラザフは、ハイレディンがヘブロンで斃れたのを、神の思し召しとまで喜んだが、一方で、アルカルジに諸族に取り囲まれてしまったルーズベをアルカルジから逃れさせるのに、何とか力を尽くしてやりたいと思っていた。

「今のアルカルジに駐屯する十八万のターリク軍も、バグダードに戻るまでに急な行軍で大半が脱落するはずだ。叔父上は兵二万を連れてターリク殿の護衛を。抜け目の無いメフメト軍が死肉を食らいにくるかもしれないからな」

 ルーズベが居なければ、間違いなくシルバ家はハイレディンに圧殺されていた。フサイン家との対外交渉において、ルーズベはシルバ家の救世主となった。バラザフにとってルーズベ・ターリクだけがフサイン軍の武官の中で別格になっていた。

「シルバ殿の御厚情に感謝致します。今ここで私はアルカルジ、リヤドの支配権を放棄する。この混乱の中故、獲得の保証は出来ぬが、シルバ軍に後を全て委ねる」

 別れ際にバラザフの手を握るルーズベの手に力がこもった。

 ルーズベの行く手を、メフメト軍が十重二十重に妨害して、三万もの兵力がその戦いで散っていった。

 イフラマはルーズベをシルバ軍の影響の及ぶぎりぎりの所まで護衛して復命した。この任務でシルバ軍で命を落とした者は一人もいない。

 ターリクが去ると、アルカルジの実質的支配者はバラザフ・シルバという事になるが、一時でも手を離れた地域は空白地となっていた。特にハウタットバニタミムは所有するに有益でありながらも、この混乱の中でしばらく放置されている城邑アルムドゥヌ である。他にもいくつも領主を失った小領が点在していた。

「せっかくの好機だ。ハウタットバニタミムを取り返すぞ。ターリク殿も言っていた。この地域はこのバラザフ・シルバの随意である」

 領土獲得にバラザフは燃えた。

 さっそくバラザフはハウタットバニタミムの攻略を開始した。

 攻略といっても領主の居ない城邑アルムドゥヌ に反抗など無い。ただ入城して旗を立て、支配を宣言しただけである。

 こうして空いてしまった残りの城邑アルムドゥヌ も、支配と防衛を宣言し、住民を安堵させ、シルバ領を復旧させた。

 バラザフが言ったように抜け目の無いメフメト軍は、ハイレディン死亡という火事場の混乱の中で、出来るだけ自家の領土を増やしてやろうと、またもやアルカルジに手を伸ばそうとしていた。ターリク軍に襲い掛かったのも、あわよくば当主を亡き者にして混乱の生じたターリク領を横奪せんと目論んだからである。

 アルカルジの攻略にメフメト軍からは、ムスタファ・メフメトが出てきた。バーレーン要塞のシアサカウシン、セリムの親子も、これにつられる形で兵を出してきた。

 ターリク軍が完全に退去すると、押し寄せてきたメフメト軍の相手をシルバ軍が引き受ける戦いとなった。

「独立したのはいいが、まだまだシルバ軍だけでは対外勢力には圧されてしまうな」

 メフメト軍の大軍と戦って勝てる見通しが立たないと判断すると、バラザフはメフメト軍に臣従する擬態を取ろうと考えた。すでにアルカルジの殆どの諸族がメフメト軍に尾を振ってしまっていた。シルバ軍の兵力だけでは抵抗は敵わない。

「今叩けない手には接吻そして後でその手の骨折を祈れ、と言う。今のシルバ軍のためにあるような言葉だ。詭弁、詭術、策謀。何でもいい。多少のまが を積んでも生き残らなければならない。シルバ家を滅亡させて人を養う責任を果たす事が出来なければ、そのほうが余程大きな禍となってしまう」

 次男のムザフにバラザフはこう教えた。

「武人としての誇りは大事。生き残る事はもっと大事だ。死なぬ覚悟が要るのだ。根底に武人の誇りを堅持して、死なぬ覚悟を立てるのだ。わかったか」

 熱弁する父の姿がムザフには輝いて見えた。

「カトゥマル様が亡くなった時、未来を視る眼を欲する事が自分のアマル なのだと、俺は改めて痛切に感じた。未来を見て世を手玉に取りたいとか、そういう事ではない。この俺がアルハイラト・ジャンビアとして自分の才知を出し切るという事なんだ」

「父上が御自分の才知を大事にされている事がよくわかりました」

「そうか」

「ですが父上が求めているアマル というのは、未来を視る眼などではないと思います」

「では何を求めているとうのだ」

「覇権です」

 バラザフは、ムザフの言葉に心の臓が抉り出されたような気がした。外交の場でならともかく、まだまだ童子トフラ と思っていた我が子の前では心を防御などしておらず、完全に意表を衝かれた。

「確かに父上は世の者等からアルハイラト・ジャンビアと称される程の智将です。ですが、父上が本当になりたいものはアジャリア様だと思うのです。アジャリア様やカトゥマル様が通った道をゆくのなら、その先には必ず覇権があるはずです」

 ムザフは、バラザフが心中に秘していた野心を完全に言葉にして表出させてしまった。まだ我見に少ない少年だからこそ逆に透徹した見方が出来るものである。

「確かに俺はアジャリア様の背中を追って生きていた。そしてアジャリア様亡き後も、何とかカトゥマル様をエルサレムに上らせて覇権を得る補佐をしようと思っていた。ハイレディン殿にしてもそうだ。慢心をバシア・シドラに衝かれなければ、カラビヤートを全て手に入れる手前で没する事もなかった。今、カラビヤートは戦乱に戻り先が見えない。俺がアルカルジを統帥して、リヤドやバーレーンを手中に収めるまで、時間が残されているかもわからない。だが、お前の言うとおり俺の中には争覇に乗り出す野心がずっとあったのだ」

 今まで秘していた自分の野心に気付いた。その弾みで次男のムザフに、バラザフは心中を全て吐き出してしまった。そして知らぬ間に我が子が童子トフラ から成人の入り口まで成長していたのだと意識せざるを得なかった。


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2022年8月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第9章_1

  バラザフの人格が一変した。無論、主家滅亡が原因である。シルバ家の家来の者達にもそれがわかった。

 ――シルバ家を拡大するのだ。

 元々、バラザフの中にそうした積水のように溜まって力を秘蔵したものがあった。それが頼みとするのは自分の知謀のみ、という形で表出してきたのであった。

 今、シルバ家にとって急務の問題がいくつもある。ハイレディン攻勢への対策、ベイ家への対応、メフメト家との関係構築の方針、これら全てが今度の対策として大事な事であった。

九頭海蛇アダル の漂流を一日でも早く止めるのだ」

 頭を酷使して策を出した後、バラザフはそれをすぐに実施した。

 先の対外問題にあげられた中で、ハイレディンに対する策は一番にやらなければならない。ハイレディンは、アジャール家を滅亡させて、憂いがなくなった後で自分に寄ってきたナジャルサミキ・アシュールの血族を悉く処刑し、ハラドの城邑アルムドゥヌ にカトゥマルを討ち取ったフマーム・ブーンジャーを太守として入れた。

 ブーンジャーはハラドに赴任すると、アジャールの残党を大規模に駆り込みにかかった。ハイレディンの命あっての事である。

 戦の火種はまだアルカルジには及んでいない。ハイレディンの軍勢はアルカルジまでは到達していなかったものの、ハイレディンが、旧アジャール領のリヤド、アルカルジの獲得に気炎を上げるであろう事は誰にでも予想できた。

「フサイン軍の武官にルーズベ・ターリクという人物がいる。そいつがアルカルジの知事サンジャク・ベイ に任官されて、このアルカルジとリヤドを封地として与えられるらしい」

 家臣に直近の情勢を示すバラザフが、隠すことなく顔をしかめるのも当然の事で、フサイン軍はすでに勝者として、現存のシルバ家やその他の諸侯の都合を一切無視して、領地の割り当てを差配していた。

「そのターリクとかいう奴から手紙がきたわけだが……、無抵抗にフサイン軍に臣従するなら、今のシルバ家の領土を保証すると言って来ている。真偽を見定めるため、皆の意見を聞きたい」

 まずイフラマ・アルマライがハイレディンに対して思う所を語った。

「ハイレディンという名は常に冷酷無比という印象と共に各地に飛んでおる。つまり、一度敵対した者は永代憎み続けるという事じゃ。そのような者がシルバ領を保証するなどと言うわけが無いと思うがのう」

「ベイ家、メフメト家と我等が今一度結託出来れば、フサイン軍に一矢報いる事も夢ではありません。バラザフ様が戦うと仰せられるならば、我等も喜んで随行致します」

 メスト・シルバもアルマライと同調して、降伏よりも抗戦の意思の方が強いようである。

「私が使者に立ちましょう。要はこの手紙を送ってきたターリク殿と、ハイレディンの我等と結ぶ意思に偽りが無いのか知れればよい話だ」

 弟のレブザフが使者として志願した。

「皆がハイレディンの真意を気にかけているのはよくわかった。レブザフの言うとおり直接探ってみなくては、先に進めないな」

 軍議の内容にバラザフは一定の安堵感を得ていた。

 ハイレディンの意図は未だ不明といえども、シルバ家としては、対外的にも意識のまとまりが感じられる軍議であった。アジャール家であのような悲劇が起きた後なので、シルバ家でも裏切り者が出るのではと気を尖らせていた。

 バラザフの心中では、万が一裏切り者が出れば、その者を粛清して篭城の構えを取るつもりであったが、この分だと、それも口に出さずに済みそうである。

「レブザフ、ターリク殿へ使者を命じる。フサイン軍としての意向をはっきり確かめてきてくれ。抗戦するにしても、臣従するにしても、それでこれからの関係が決まる」

 レブザフを使者として遣わす事として軍議は解散した。

「フート、ルーズベ・ターリクという人物について知っておきたい。フサイン軍とは今まで接触が無かったせいで、武官についても情報が少ない。出自、性格、過去の判断など全てだ。急いで調査してきてくれ」

 バラザフに命じられたフートは、すでに少しばかりターリクの情報を仕入れていた。

「ターリク殿はハラドの出身の武官です」

 ルーズベ・ターリクの出自はハラドで、火砲ザッラーカ の扱いに長けていて、ハイレディンに信用されている人物であり、若輩の頃より側近として取り立てられていた。ハイレディンは、アジャール家を滅亡させた後、メフメト軍や、それ以東の諸侯の征討の采配をこのルーズベ・ターリクに一任している。

 武勇に優れた武官で、知謀も欠けていない。知勇を具有するという点においてはバラザフに通じるものが、少なからずあるらしい。さらには義理人情にも通じ、敵味方の人心収攬の術も心得ているという。

 そのルーズベ・ターリクがハサーの城邑アルムドゥヌ に入った。配下に八万の兵を連れている。距離を少しあけてアルカルジの様子を探っているようでもある。

「ハサーやこのアルカルジでも小領主は皆、すでにターリク殿に臣従を意を示した様子。領地保証の嘆願をしているようです」

 バラザフの心中はほぼこのフートの報告で確定した。ハサーに向けてレブザフが使者として派遣された。

 ハサーまで出向いてきたレブザフをルーズベはまず褒詞で迎えた。

「敵とはいえ不義理な家臣によって滅亡の憂き目に遭ったアジャール家を不憫に思っておりました。反面、一門に属していないシルバ家が最後までカトゥマル殿を衷心を以って支えた。この戦乱の世に在りながらも、義理を重んじる武人と、我が主ハイレディンもシルバ家の格を重く量っておりました」

 シルバ家を高く評価されて悪い気はしないレブザフだが、今、彼等の間で最も重要な事は、領地が保証されるか否か、この一点である。

「それに関しては手紙に書いたとおりです。ハイレディン様もシルバ家の領地を奪うつもりは無いので安心されよ」

 シルバ家には良い事を吹き込んだルーズベだが、当然、腹の内には彼なりの計算があった。

 これからの彼の任務はメフメト軍を斬り従える事と、これ以東へのフサイン軍の更なる進出である。それを考えると盤上にアルカルジを敵として置くのは得策ではなく、巧く臣従させて、抗戦に出てくるのを予防するのが良いと判断した。残り火に手を突っ込んで要らぬ火傷を負う必要もあるまいと、警戒を緩めずにいた。ルーズベとしてはここは何としても、賛辞を惜しまずシルバ軍を自分の手札に加えておきたかった。

 一方で、バラザフの方もルーズベのこうした内情を見抜いていた。レブザフを送る前から、フサイン軍を取り巻く環境を鑑みると、押し潰してくるような強行には出て来まいと予想していた。

「まずはハイレディン様への謁見を薦める。もしそちらにその気があれば、私が間に入って取り計らうがどうだろうか」

 バラザフが直接ハイレディンの拝謁を得るように、ルーズベはレブザフを誘った。

 ハイレディンは今リヤドに居る。

 バラザフはひとまずルーズベの提案を容れて、レブザフを連れてリヤドに出向いた。

 ハイレディンの方ではバラザフに引見する準備をしていたのだが、直前になってバラザフは気分がすぐれぬと言って、拝謁を取りやめた。

 ハイレディンにはレブザフだけを会わせたが、レブザフの前に姿を現したハイレディンは当然ながら、赫怒していた。

 ――シルバ家を誅伐する!

 と口まで出掛かっているハイレディンをルーズベが上手くなだめてくれて、何とか謁見の体裁を整えてくれていたのであった。

 バラザフが仮病を使ってハイレディンへの謁見を中止したのは、この謁見がその場でフサイン軍とシルバ軍の戦端が開かれる場になってしまう事を危惧しての事である。

 ハイレディンの真意を探っていた分、シルバ家の臣従は他の諸侯と比べて遅い。ハイレディンがその遅参を問責するのは目に見えていた。

「カトゥマルの生死不明の内に敵に降伏するのは武人としては不義理、と俺は答えるだろう」

 カトゥマルが無事であったなら、フサイン軍と敵対するつもりであったのかと、また問い詰められる。

「最後の一兵までフサイン軍に噛み付いて死んでいくでしょうと、叩きつけてやるさ」

「それでは、忠誠を誓いに来たはずが、その場で交戦状態となってしまいますよ」

 とレブザフが息巻くバラザフを制止した。謁見の場で諸共誅殺される事も十分有り得る。弁が立つ故に逆にハイレディンの怒りを最大限まで引き出してしまう事が予想された。

 こうしてバラザフは近くの城邑アルムドゥヌ に逗留しておとなしくしていた方がよいと判断した。

 そしてそこまで成り行きをルーズベに隠さず述べておいたのである。

 先の言のとおり、ハイレディンへの謁見の仲介の労はルーズベが担ってくれた。ルーズベと共に貢物を携えたレブザフがハイレディンに拝謁した。

 バラザフ本人が出向いて来ない事にハイレディンはまだ怒っていたが、貢物の中身を見てみてその怒りは失せたようであった。

 貢物が素晴らしかったとか、気に入ったという事ではない。中央の政治で威風を吹かせているハイレディンにとって、シルバ家が捧げた品々には、はっきり言って目を見張るような物は無かった。

 この貢物にハイレディンが見たのは、シルバ家が富貴に優れず、何とか地方で踏ん張っている弱小勢力の姿であり、今自分が誅伐を命じれば一夜にして地上から消えるような者等を、あえて自分の配下として生かしておく戯れのような考えが浮かんでいた。

「生意気な奴だ。だが、たまにこういう遊びもいい。シルバ家の臣従を許す。そのかわり東方攻略の際にはシルバ軍を最前線に送るからな」

 この一言で、ひとまずハイレディンの矛先がシルバ家から逸れた。しかし、全て無事というような上手い具合にはいかず、シルバ家の所領はアルカルジを含めた幾つかの小領だけで、後は大幅に減封されてしまった。減封された分の領土はルーズベの親類の武官を遣ってハイレディンの息のかかかる所領とされた。

 一朝にして独立勢力になったシルバ家は、一夕にしてまたフサイン家の武官という立場になってしまった。

 とはいえフサイン軍は強大である。この支配下にあれば、これで対外的には、強敵に怯える日々から開放されると思われた。

「また他勢力の武官に落ちてしまったのは悔しいが、シルバ家滅亡を回避出来るよう立ち回ってくれたターリク殿には義理で応じなければならないな」

 バラザフは、今後のルーズベ・ターリクの政治に与力するつもりでいた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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2022年4月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第8章_1

 ――カーラム暦1000年サラディン・ベイ死亡。死因は心臓麻痺。

 ベイ家の当主サラディン・ベイが死んだ。サラディンの死は心臓麻痺によるものと世間には広まった。だが奇妙な事にサラディンの遺体の首には刃物で斬られた跡あった。

 それはさておき、サラディンの死が、カイロの城邑アルムドゥヌ を含むその周辺のミスル地方に、擾乱じょうらん に直結するであろう事を、この時に家臣団の誰もが予想した。

 サラディン・ベイには実子がなく、養子が二人いるのみである。

 養子の一人はサラディンの甥のザラン・ベイである。ベイ家の血に連なる者で慕う部下も少なくない。

 もう一人はベイ軍とメフメト軍が同盟した際に交換武官としてベイ軍に所属したオグズ・メフメトである。カウシーン・メフメトの末のほうの子らしいが、サラディンは殊更彼の素性を掘り起こそうとしはしなかった。

 サラディンが見た所、オグズには武人としての良質な芽があり、これを間違えて育てなければ、きっとベイ軍の力となるだろう。たとえオグズがメフメト家に還ったとしても、人一人、一人前に育て上げ実家に戻し、自分としての義が立てばそれでいいと、

サラディンは考えて、オグズも自分の養子とした。

 サラディンは、ザランを後継者として、ベイ家とカイロとミスル地方の領土を継がせるつもりでいたが、その事をはっきり周知する前に冥府の住人となってしまったのである。

 サラディンが死して日が経つごとに、皆が予見した擾乱じょうらんが少しずつ形になって表出し始めている。

「ベイ家が内乱状態にあるだと?」

 アジャール家では、アラーの城邑アルムドゥヌ の太守、トルキ・アルサウドが初めにこの情報を入手した。そして・アルサウドは最初にアルカルジのバラザフにこれを報せた。

「フート、お前の配下を全て連れてカイロに潜入してくれ。次のベイ家の当主はどちらになるのか。カイロの行く先はどうなるのか。その目で見て見澄ましてくるのだ」

 次いで、ケルシュにも命じた。

「メフメト家の動向も知っておきたい。おそらくシーフジンが稼動しいるだろうから警戒が必要だ。今はアジャール軍とメフメト軍は同盟状態にあるが、有事とは得てしてこういう変事から起こるものだからな」

 さらに、

「シムク・アルターラスを配下と共に俺の下に戻しておいてくれ」

 と、配下のアサシンに戦闘任務ではなく、元々の役割であった諜報任務を与えた。

「カイロへ出征する可能性も考えられる。戦いの支度もぬかりなく済ませておくように」

 カイロ擾乱は、バラザフの頭脳と体躯を活発に使役させた。しかし、こうした慌しさの中でバラザフは、逆に生命力を湧き上がらせていた。謀士アルハイラト としての光が目に戻りつつある。バラザフの頭は血がよく巡って、心地よく放熱している。

 バラザフの重臣にイフラマ・アルマライという人物がいる。バラザフの叔父であり、熱血と冷徹が同居したようなイフラマは、淡々と戦支度を進めている。

「バラザフ。もし戦争が勃発したらサーミザフを初陣に出す良い機会だと思うのだが」

「サーミザフも十二歳。戦場を知っても良い歳かもしれません。私もアジャリア様の近侍ハーディル として戦場に出たのはそれくらいの歳でした」

「ベイ軍とのあの戦いか。初めて戦場に出るには、あれは重い戦いであったな」

 イフラマの脳裏にあの激闘の光景が浮かんだ。バラザフはあの激闘を乗り越えて立派に成人して今は将軍の一人になった。だが、もし戦いが起こって、それがあのような惨状を呈した場合、サーミザフも同じように乗り切れるのか。不安は湧いてくるが自分が言い出してしまっただけに、イフラマはサーミザフの出陣を取り下げる事が出来なかった。

「サーミザフ、次の戦いでお前を連れていく事になった」

 バラザフは、長男サーミザフ、二男ムザフの二人を前に並べて、サーミザフの出陣を言い渡した。黙って頷くサーミザフを、ムザフが羨ましそうな顔をして見つめている。ムザフのその姿にバラザフは自身の幼少期を見た。

 アジャール家にとってカイロ擾乱は、ムサンナの敗戦での捲土重来を期せるまたとない好機となりうる。カトゥマルは十五万の兵と共に進発した。このカトゥマルの出兵の背景には、メフメト家も一枚噛んでいて、メフメト軍は現在盟約を結んでいるアジャール家にカイロへの出兵を要請したのであった。

 大きく二つに割れたベイ家の片割れ、オグズの妹が今のカトゥマルの妻になっている事も背後にあって、カトゥマルはこの出兵の目的をひとまずオグズに肩入れするためとしている。

 カトゥマルは北西に進軍してジャウフまで進み、そこから西へ向かって、スエズに至った。ここまで来ればカイロまで一両日、遅くても三日で到達する。

 これと同時にシアサカウシン・メフメトの方でもカイロ擾乱を自勢力の拡大の機会ととらえて、ベイ軍が手出ししてこないうちに、アルカルジの城邑アルムドゥヌ 近辺のアジャール軍の勢力下にある地域を、縫うように避けて、何とか実入りを得ようと軍勢を派遣した。

 シアサカウシンが目をつけたのはハウタットバニタミムの地である。シアサカウシンも派兵の目的をオグズに味方するためとして、カイロとは何の関係も無いこの地に押し寄せてきていた。

「メフメト軍がハウタットバニタミムに進攻し周辺に勢力を拡大しているようです」

 バラザフは、ケルシュの配下が持ってきたこの情報に驚かされた。当然、カトゥマルの気色もよくない。

「アルカルジに手を出すというような背信行為は、メフメト軍の同盟破約ではないか」

「いえ、ハウタットバニタミムは我がアジャール軍の支配下にないため、辛うじて同盟破約にはあたりません。ですが……」

「何とも狡辛こすからいな」

「ええ」

「同盟状態が維持されているとはいえ、そこから掌を返されては、すぐにアルカルジ諸共、一帯が席巻されるぞ」

「防諜に手抜かりはありません。ご安心を」

 バラザフには、メフメト軍がさらなる進攻、それこそ背信行為に出てくるであろう事は容易に想像出来た。よって、ケルシュに、

 ――シアサカウシンはカイロの弟のオグズと組んでハウタットバニタミムを挟んで乗っ取りに来る。

 とハウタットバニタミムの諸族を、ザラン・ベイの側につくという名目で、対メフメト軍の勢力として布石させた。カイロから遠く離れたアルカルジ、そしてハウタットバニタミムの地でも、形の上ではあるが、オグズ対ザランの構図が作り上げられた事になる。予想していなかった自勢力への抵抗で、アルカルジを含めて周辺を一気に席巻しようとしていたシアサカウシンの進攻の壮図はハウタットバニタミムまでで終わった。

 その頃、カイロでは状況に進展が無く行き詰った状態にあった。そこへアジャール軍が乱入してきたので、ザランと彼の参謀のナギーブ・ハルブの気勢は、急速に弱まった。この状況でアジャール軍をカイロに入れてしまえば、カイロの支配権は完全にアジャール軍の手に落ちるからである。そして、メフメト軍、アジャール軍が裏で糸を引いている事を考慮しても、ベイ家の当主としてオグズがカイロの城邑アルムドゥヌ の統治権を握るだろう事は容易に予想出来る。

 カイロ入りしているフートは、

 ――ザラン、ナギーブ・ハルブともに、アジャール軍との同盟の意図あり。

 と、バラザフに報告した。

「ザラン側では、同盟や降伏を本気で考えなければ、滅亡まで追い込まれると読んでいるのだな」

 そして、メフメト軍の方に間者ジャースース として出しているケルシュからは、

 ――シアサカウシンはこの機にアルカルジを取る意気を、まだ捨てていない。

 という情報がバラザフの所へ上げられてきている。

 次いで、

 ――オグズへの支援、カイロでの差配をアジャール軍に押し付けて、アルカルジを奪取する野心あり。

 との詳細も送られてきた。

「さて、この双方をどうさば くか……」

 バラザフは、二方面の情勢を測った。

「ザランから同盟を模索する使者が来るのは間違いない。カトゥマル様に講和に意思があるかどうか」

 バラザフが読んだとおり、ハルブの使者が、カトゥマルの天幕ハイマ に遣わされてきた。

 ザラン側の使者は、まずアジャール軍との和平の意思があるとし、

「フサイン軍、レイス軍との同盟関係を破棄する。アジャール軍とベイ軍で新たな同盟関係を構築し、リヤド、アルカルジ近辺のベイ軍所有の城邑アルムドゥヌ から手を引く。さらにカトゥマルの妹をザランの妻として迎え入れたい」

 と条件を示してきた。

 続いてやってきた使者は、

「アジャール軍に対して従属同盟であってもよい。フサイン軍、レイス軍に対しても、アジャール軍の盾となって戦う覚悟もある」

 と、さらに譲歩した条件まで提示してきた。が、この過度に譲歩された講和条件は、地理的条件を加味すると、エルサレムへの進攻を手控えている今のアジャール軍の盾となるような位置に、カイロに居るベイ軍が割って入るなどという事は現実的には、有り得ない事ではある。

 意地でもアジャール軍との抗争を回避したいザラン軍は、これでもかというように、カトゥマルと側近達へ、次の使者には、金塊とアレクサンドリアの金細工を大量に持たせてよこ してきた。

「さすがにここまで来ると露骨だとは思うが、ザランが提示してきた条件は我々にはこの上ないものばかりだ。妹とザランの縁が決まれば、ザラン・ベイと我々は縁戚という事になる。これからの力関係によっては、ナワズ・アブラスのようにアジャール家の親族派の家臣になる事も十分考えられる」

 ザラン・ベイという人は義人サラディンに似て、外交での化かしあい好むような狡知の人ではない。参謀であるハルブに、そこまで言ってのけねばアジャール軍との講和は成らないと言われて、このような講和条件を裁可したにすぎない。ハルブにしても相手を騙すような手段を普段から好んでいたわけではないが、ザランとベイ家を存続するために何をすべきかという窮状において、割り切って考えられる頭を持っていた。

 こうしてカトゥマルは、使者とのやり取りをバラザフに説明した上で、和平の受け入れる意思を示した。

「だが、ザランと講和するとなればオグズを裏切る事になるので、上手く話がまとまるように持っていきたいのだが」

「であれば、ザランとオグズが和議を結ぶように、我等が調停に入るようにすれば、両方に義理立て出来、また両方に恩を売った事になるでしょう」

 アジャール軍としては方向性が決まり、ザランとの講和も成立した。

 カイロは元の調和へ向けて歩みだしたように見えた。しかし、ベイ家の家臣の中には、ザランがアジャールと手を結んだ事に不満を持つ勢力が発生し、こらがオグズ側について、再びカイロは擾乱状態に陥った。

 そして次の年。ザランに追い詰められたオグズが自決し、多くの犠牲が出したカイロ擾乱は、これをもって終結したのである。

 これらの経緯を、フート、ケルシュ率いるアサシン団がバラザフに順次報告していた。


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2021年10月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_1

  バラザフの所に弟のレブザフが来た。

「兄上、アジャリア様が亡くなったとの噂を聞きました。数年の間、自分の死を秘すようにアジャリア様に言い残したとも。兄上なら全て知っているのでは」

 アジャール家の武官として役に就いているレブザフであったが、アジャリアの死を知らされる身分ではなかった。だが、この隠匿はあっけないほどの速さで家中に拡散しつつあった。それでもカトゥマルも含めて重臣等は、

 ――アジャリア様は病気で療養中である。

 と、かたく なに外にも内にもアジャリア生存を装い続けた。

「レブザフ。アジャリア様を死んだ事にするとは不敬である。アジャリア様は病気。そして療養中だ。それが現実なのだ」

 この間にも公ではアジャリアが出なけばならない式典等が発生する。こうした時、式典の場には弟であるサッタームがアジャリアの席の腰を下ろす事になった。

 ――アジャリア様は病気の中、強いて公の場に出ている。

 という現実を作り出すためである。

 数年の間、自分の死を秘すようにとアジャリアは遺言した。この数年という時間を、家臣の間では三年の間と認識して、これを共有する事となり、サッタームをはじめとするアジャリアが創った幻影タサルール 達を、本人が出るべき場所へ出していた。

 一応、形の上ではアジャリア体制を維持している一方で、アジャリアのたった一人の後継者であるカトゥマルが、アジャール家での発言権を強めていった事は自然な流れだった。同時に、サッド・モグベルなどの自分の側近が重きを成すような、人材配置にしていった。

「彼らは知恵もあるし、血筋もよい。政治力も申し分ない。だが、その政治力に比重が偏るゆえ、戦術的な思考の出来る古豪のシャアバーン、ハリティ、オワイラン殿と溝が生じてしまう」

 バラザフの口から懸念が漏れた。

 自分にとってはカトゥマルとは、主家でありながら親友だと思っていた。お互いに自分の考えを言い合える距離で過ごしていたので、最近のカトゥマルが事あるごとに側近の力で解決しようとして、古参の武将との間に立ち入れない一線を引いてしまっているように見えて、危うきを感じていた。

 カトゥマルの母はリヤドの太守の娘である。母の生家であるリヤドで育てられたカトゥマルは、アジャリアの長男アンナムルが死んだ後、アジャリアの後継者となった今でも、アジャール家内では、「リヤド太守カトゥマル・アジャール」の印象がどうしても強く残っている。

 この印象のためにアジャリアが亡くなってカトゥマルが新たな当主になっても、言い得ぬ違和感を皆に持たれてしまうのである。

 カトゥマルが家臣団からぞんざいに扱われたという事は無かった。だが、モグベルなどの側近の台頭に不満を持つ家臣は徐々にこの頃から増え始めていった。

 バラザフは、この亀裂を傍観することにした。

「俺は実際の執事サーキン の役を賜っているわけではない。カトゥマル様のためになる事、アジャール家のためになる仕事だけを考えていればいいのだ」

 と早い段階で自分の立ち位置を定めていた。そうする事が亡きアジャリアに対する自分の報恩であると信じていた。

 他方で、カトゥマルの側近たちはそうは考えなかった。カトゥマルのため、アジャール家のためと考えるより先に、

 ――いかにカトゥマル様に自分をよく見せるか。

 ――自分の出世のためにカトゥマルの出方にどう処世するか。

 という腹の中に金貨の受け皿を備えているような勤め方をしていた。主人の恩寵によって急に位が上がった者によくある思考である。

 アジャリアの時代は、九頭海蛇アダル の頭は、長の頭によって統率されていた。家臣団の中で臨機に頭に数えれる者が替わるにせよ、ばらばらな動きはしていなかった。

 ところが、カトゥマルの代になった途端、カトゥマル側近の派閥、古豪の派閥、そしてテミヤト、アシュール、アブラスといったアジャール家親族の派閥に分かれた。大きな派閥はこの三つなのだが、九頭海蛇アダル の頭には首の細いものあり、目鼻の無いものありで、九頭海蛇アダル と形容するに相応しくない態になりつつあったが、さすがに酒樽の頭を突っ込んで酔いつぶれているものは無かった。

 親族派閥は、古豪派閥に肩入れしたら、次の日は側近派閥の肩を持つというような安定感の無い動きをして、側近派閥はカトゥマルの視野を塞いで家中の裁定から遠ざけようとした。

 カトゥマルに耳ざわりのよい言葉だけを入れて、側近派閥の支配権を拡張しようという、これまた王座に寄生する者にありがちな型であった。

 カトゥマルの目は閉ざされても、バラザフの目からは全体が見えすぎるほど見えた。

 ――側近派閥は欲得剥き出しでうんざりする。

 こうした思いをバラザフは内に抱え込んでおく他無かった。

 昔のバラザフとカトゥマルであるならば、歯に衣着せる事なく考えを言い合えた。せめて自分が一歳でも年長であるならば、衷心を以って諫言する事も出来たろうにとバラザフは思う。

「アジャリア様が作ろうとしてアジャール家は、こんなものではなかったはずだ」

 早くも巨星が堕ちた弱りがアジャール家に見え始めていた。


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2020年10月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_5

  クウェートに侵入しようとする、アジャリアの戦意、領土欲は、この先も衰える事はなくメフメト軍、サバーハ軍との戦いには終わりが見えない。

 アジャリアとバラザフはクウェートとハラドを往復する忙中に在った。その忙中の閑には、アジャリアは菜の花の咲く保養地にバラザフを連れて足を運んで心身を休めた。

 アジャリアの近侍ハーディル の中でも特に主君の寵愛を受けていたのがバラザフ・シルバなのであった。

「バラザフは配下の褒美に、戦場では金貨の他に肉も与えているそうだな」

「はい」

 保養地での主従の会話である。

「戦場で金は役に立たぬゆえ、肉を与えるのは良き考えであると思う。わしも次から真似してみよう。ところで――」

 アジャリアは少しおいて、

「やはり食料を必要以上に持っていくとなると、いかに物資を迅速に運べるかが問題となると思うのだが――」

「その通りですね」

「であるならば、物資の輸送の方法を見直してくれまいか」

「私がですか」

「うむ、輸送が捗れば褒美として与える食料も腐らせる心配が無き故、種類を豊富に用意できるしな。任せたぞ」

「インシャラー」

 謀将アルハイラト の脳は輸送について考える事に支配される日々だ続いた。そして考え至ったのが、

「道――」

 である。

 人の生活環境がそうであるように、都市間に石を布いて足場を固めれば、人、物、金が円滑に行き来できる。だが、資金と人手を要する事業であるため、リヤド、クウェート間に限定して道を造って経済を活性化させる。これならばクウェートを併合する事によって救済するというアジャリアの名目を立てられるはずである。

 バラザフは早速この案をアジャリアに持っていった。

「なるほど、駱駝ジャマル荷隊カールヴァーン の改良以前に足元の道が必要か。だが、それにはかなりの金が要りようになろう。時もかかる」

「ですが、急ぎ取り掛かるのがよろしいかと。設備というものは完成が早ければその分、そこから得られる利益も増す事になりましょう。戦いに使うとなれば尚更です」

「わかった。すぐに取り掛かるがよい。資金の事はテミヤトと相談せよ」

「インシャラー」

 まずは石工職人達に腕を振ってもらわねばならない。工期の最初の内は石畳がたくさん要る。拠点からの輸送距離が短いため石畳を布いたらすぐ次の石畳が必要になるためである。そして、その石畳を輸送し、砂漠に一つ一つ地道に布いていくのだ。

 工程が半分近くまで進んだあたりで、バラザフは最初の手ごたえを感じた。ここまで造ってきた道を使って荷隊カールヴァーン の往来が増え始めている。造った道の上を人が通ってくれれば道が砂に埋もれるのを防ぐことが出来、道が道として機能出来る。

 また物資の往来は当然、経済を援け城邑アルムドゥヌ で暮らす人々の生活はさらに豊かになる。ただでさえ戦争は平民レアラー に負担をかける。こういった形で罪滅ぼしになれば、士族アスケリ であるバラザフとしても嬉しい。

 現場ではそこで働く労働者を相手に物を売りに来る行商人の逞しい姿も見られた。中でも飲み物の類は暑い中石を運び並べていくという重労働に従事する彼らに大変喜ばれた様子だ。

 それを見ていたバラザフは、その日から一日の終わりに自分の金で労働者に飲食を労う事にした。斜陽に紅く染まる空の下、大地の上で労働の喜びを感じてしっかりと生きる人々の姿があった。

 どの顔にも笑みがある。元を辿れば、これは戦争のための物資を運ぶための事業から始まった。だが、ここに居る誰もが平和というものを体現していた。

 リヤドに戻ったバラザフはある変化に気付いた。市の露天に以前より魚が多く並ぶようになっている。酢漬けの物ではあるが、道を整備した事で海から品が届きやすくなっているようだ。クウェートからの荷隊カールヴァーン が増えているのだろう。海老クライディス の姿も多く見えた。

 道は北北東へ延びてゆきカフジに達してから、そこからさらに北へ延びてクウェートに至った。

「バラザフ、よくやった。物資が行き交えばリヤド、クウェートの双方が豊かになるであろう」

 アジャリアの皿にはすでにクウェートから運ばれてきたであろう海老クライディス が載っている。傍らにはすでにそれらの赤い殻が積まれていた。この所戦い続きで食を摂るのも忘れがちだったアジャリアも食欲が戻ってきたのか、頬に以前のようなふくよかさが戻ってきている。好き旨味が舌に乗ればそれだけ主食も進むものである。

 この後、リヤドからは東北東への道も造られ、リヤドとダンマームを結んだ。

 こうした公共財へ設備投資を含めながら、アジャリアの断続的にクウェートへ侵攻し、徐々に支配域を拡大してゆき、戦局は西へと動き始めていた。

 この年の冬、アジャール軍はクウェートからやや北のズバイルを次の攻撃目標に定めた。アジャール軍の荷隊カールヴァーン は今までより、食料がやや豊富に積載されているようである。クウェートからは約二日の行軍である。

 ズバイルでの戦いは年内に決着はつかなかったが、次の年、カーラム暦993年に入って十日も経つと、ズバイルの城邑アルムドゥヌ にはアジャール軍の旗が翻った。

 ズバイルを落城させた後のアジャリアの視線の先には、ファリド・レイス支配下にあるバスラの城邑アルムドゥヌ があり、そこから西へ視線を移すとナーシリーヤの城邑アルムドゥヌ がある。

 アジャリアの目指すところの本心は常に、

 西――。

 であり、聖皇の居坐すエルサレムにアジャール軍の旗を打ち立てたいという大望をずっと持ち続けていた。サバーハ軍、メフメト軍との戦いも、一度獲得した城邑アルムドゥヌ をあっさりと放棄して何度も繰り返し攻め込むような戦い方をしてきたのも、その後顧の憂いを断つために過ぎない。

 ナーシリーヤも元々レイス軍の拠点であり、サバーハ軍の影響下を離れたファリドが今ではその旧領を回復していた。

 ズバイルの城邑アルムドゥヌ を落として二ヵ月後、アジャール軍は今度はサフワーンを包囲し始めた。

 サフワーンはクウェートのすぐ北に位置する城邑アルムドゥヌ で、ズバイルから見ると南である。いよいよバスラ攻略を目の前にして手前で折り返して来た形だ。

 アジャリアはこの戦いで相手の出方をうかがうつもりでいる。前線のアジャール軍の陣に居るのはアジャリアの幻影タサルール で本人はハラドから自軍の将兵に指示を出している。

「ファリド・レイスと実際に戦うのは初めてじゃ。あの小僧の戦いでの差配をわしが見極めてやるとでもしようか」

 アジャリアのファリド・レイスの名が出て、バラザフは一度対面したあの小僧・・ の面相を思い出していた。

 常にポアチャを頬張っているせいか、若い割りに太っていたという記憶がある。余り良い意味で無く老成しているその態度から、自分は、

 ――若さに苔の生えたような男

 と評したのも憶えている。そしてまだ若いのに、

「人を見下したような奴だった」

 バラザフの中のファリド・レイスの人物評は良くない。容貌も態度も声も嫌いである。相性の悪さがはっきり表に出た出会いであった。

 また札占術タリーカ で彼を占ってみたのも思い出したが、やはり、今でもあの小僧と皇帝インバラトゥール を結びつけて考える事がどうしても出来なかった。あのファリド・レイスと自分が生涯に亘って剣を交える相手になる事など予想だにしていない。


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2019年9月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_11

 緒戦を勝利で飾ったアジャリアは、余力の将兵全てにバーレーン要塞攻撃を命じた。アジャール軍とメフメト軍の戦いは本格的な局面に入った。カーラム暦983年のベイ軍との戦争は熾烈を極めた。それと同じ規模の激戦がメフメト軍との間に起きようとしている。
 ――アジャール軍の総力をこの戦いに注ぎ込む。
 ハラド、リヤド、アルカルジ、クウェートといった各地のアジャール軍の兵は四十万を数える。
 いよいよアジャリアがハラドを発つ時、将兵を集めて出征の儀を催した。この儀に参列させるにあたり将兵等に大蒜トゥーム を食べぬように通達されており、また彼らもそれは心得ていた。
 屋外に設けられた香壇を前にアジャリアを始め居並ぶ将兵が厳か日の出を待つ。やがて、東の空が薄明るくなり始め、少しずつ赤を強くする。

 ――インシャラー!

 神がお望みならと唱和し、皆、体躯を折り頭を地に着けた。
 地平から光が差して、香壇にて乳香アリバナ が焚かれた。
 と、その上に水滴が落ち将兵を濡らした。光は差したままで日の光と雨とが彼らを包んだ。
「おお。これは神が我等アジャリア家を潤すとの御意思ぞ!」
 立ち上がって喜びを叫びで表すアジャリアに呼応して、皆も立ち上がり、歓喜に濡れた。
 その叫びの中に、此度の儀式のために戻ってきていたバラザフと幼馴染のナウワーフの姿もあった。バラザフもナウワーフも近侍ハーディル として務めていた頃、この儀式の香壇の準備をやっていた。
「微妙に今までとは違わないか」
「バラザフも感じていたのか」
「うむ。今、違いがわかったぞ。演出が過ぎるのだ」
「俺も一つ気付いた。バーレーン要塞を攻撃すると外部にもわかるように喧伝しているぞ」
「確かに」
「ではアジャリア様の意図は」
「陽動という事になるな」
 幼い頃よりアジャリアの傍近くに仕えていただけあって二人の読みはまさに当たっていた。
 アジャリアはアサシンや間者ジャースース に糸を付けて放ち、アジャール軍がバーレーン要塞を攻撃目標として定めていると情報を撒き散らしている。ハラドの城邑アルムドゥヌ の内にもメフメト家から間者ジャースース が送り込まれているはずである。アジャリアはそれも見込んでアジャール家中にもバーレーン要塞攻撃を言い続けてきたのだった。
 メフメト家はこの情報をどう料理するのか。
「アジャリア様の本心は、やはりクウェートの領域を全て固めたいのだろうな」
「本気を出して短刀でバーレーンをつつ きにゆくのか」
「とは思うのだが、もしかすると」
「もしかすると?」
「アジャリア様のアマル の大きさを考えると、案外両方欲しているのかもしれない」
「我が主君ながら、それが絵空事で済まされない方だとは思うよ」
「そうだな」
「そう考えるとお前の言う演出が過ぎるという違和感もはっきりと実感出来るな」
「どの道表面上はバーレーン要塞を攻撃目標とする事になるだろう」
「メフメト軍の方ではこれをどう取ると思う」
「迷っているだろうな」
「当たり前ではないか」
「いやいや、当たり前というが、当たり前の奴ならそのままバーレーン要塞攻撃と受け取るのだぞ」
「それはそうだが」
「裏があるのかどうか迷うくらいの知恵はカウシーン殿にはお有りだな」
「アジャリア様の方が一枚上と言いたいのか」
「それはそうだろう」
 ここまでの情勢談義に結論して二人は笑い合った。乗せる魚は違っても二人の俎板は近侍ハーディル 時代と少しも変わっていなかった。噂好きの二人であったし、自分の見えている物と同じ物が相手も見えているとなれば会話は弾む。見ている物を言葉に紡ぐ甲斐がある。
 バラザフが読んだとおりメフメト軍は迷っていた。相手の意図が読めぬ限り戦いの軸をは定まらない。つまりメフメト軍はアジャリアの指から出た蠱惑の糸によって、本領を発揮出来ぬ心理状態へ操られているのである。
 ――やはり真に恐ろしきは我が主君アジャリア・アジャール。
 剣が振られる前にすでに敵を斬っている。バラザフはこの恐ろしさを忌避して離れるのではなく、寧ろ憧れた。アジャリアという名の戦術を模倣すれば、それは自らの力と成り得ると単純に思った。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年7月15日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_6

 アジャリア自身はハラドから動かない。だが彼は諜報組織の活動によって、カラビヤート内外の情報を網羅出来ていた。
 アジャリア幻影タサルール 計画は、こうした諜報活動とは別の新機軸の計画である。アジャール家を九頭海蛇アダル にする。アジャール家の版図が胴であれば、アジャリアは頭である。
 体調を崩した際の当座の手当として戦場に出すならば、幻影タサルール は一人居れば足りる。しかしアジャリアの心計はそのようなありきたりのものではなく、九頭海蛇アダル の頭のように各戦場にアジャリア・アジャールを出現させてみたいのである。
 敵にとっては抜け目の無いアジャリア自らが戦場に出てくる事は迷惑この上無く、逆に味方にとっては万人の戦力を得たに等しく、将兵の士気高揚が大いに期待出来る。
 ――アジャリア・アジャールが自ら出陣している。
 全ての戦況において、これを作り出したいとアジャリアは思っている。常にアジャリア軍が十二分の実力を発揮出来れば、押しも踏ん張りも利く。効率よく戦いを進める戦場を想像して、アジャリアの食はまた進んだ。
 ファリド・レイスがサバーハ家からバスラ南の街サフワーンを譲渡された。ファリドに取り損ねたサフワーンをやるのには、バスラから追い出される形となったバシャール・サバーハを無事にバスラに戻して復権させる後ろ盾になってほしいという意図がある。
 以前にファリド・レイスを利用してクウェートに侵攻したアジャリアだが、此度もこれを皮切りにクウェート攻略を再開した。
「あの小僧、わしを差し置いてバスラを取るとは」
 バスラにバシャール・サバーハを帰還させたといっても、サバーハの今の力と、サバーハ家とレイス家が和解した事、ファリドが大手を振ってサフワーンを手中に収めた事を考えると、事実上バスラ周辺の地域がファリド・レイスの支配下になったといってよかった。
 アジャリアはバラザフがファリドを、
 ――若さに苔の生えたような男
 と評したのを思い出した。
「まさにあれだな!」
 自分の事は棚に上げ、それを白い幕で隠して、アジャリアはファリドの老獪さを蔑んだ。若者が老獪さを身につけている事、というより領土獲得で出し抜かれたのが我慢ならなかった。が、自分のそれは許されるのである。
「お前の見立ては正しかったようだ、バラザフ。ファリド・レイスは若さに苔の生えたような男、いや、苔そのものじゃ!」
 さすがにそこまで自分は言い過ぎていないと思ったバラザフだが、アジャリアがレイス軍をバスラ近辺から締め出そうとするのを、その怒気から感じ取っていた。
 ――岩から苔を剥がす、という事なのか?
 そして、クウェートに再度侵攻するという流れになっている。
幻影タサルール の手配はバラザフに任せる。サッタームの準備も手伝ってやってくれ」
 まずアジャリアは弟であるサッタームを幻影タサルール として戦場に出した。幻影タサルール 作戦を知るものはアジャール軍の中でも、ワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティ、そしてバラザフ・シルバのみである。

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2019年6月25日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_4

 これでほぼ全ての重臣たちが幻影タサルール と分らなかったわけであるから、その効果は十分に実証されたといえる。
 アジャリアの口からは、幻影タサルール 探索の他にもう一つ意外な指示が出た。
「この仕掛けをエルザフ、アキザフに話しておいてくれ」
「わざわざ、父や兄にばらしてしまうのですか?」
「そうだ。シルバ家はアサシンを多く召抱えておる。それならばいずれ露見してから不信感を抱かれるより、真意を伝えておいたほうがよい」
「そうですね」
幻影タサルール の探索にはアサシンを用いてもよい。奴等の技量はこの務めに足る」
 シルバ家を戦力として見込んで方針を立てていたように、シルバアサシンもアジャリアの計画にすでに組み込まれていた。

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2019年6月15日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_3

 アジャリアの顔に焦りが見て取れる。言葉を返さず静止を解かないアジャリアにバラザフはさらに押しをかけた。
「貴方はアジャリア様の弟のサッターム様ですね。違和感を隠すための夜間の呼び出しとお察ししますが、どうなのです」
 サッタームを侮っているというわけでもないが、同じ主家筋でもバラザフの尊敬はアジャリアに対するそれほど強くはない。二人の間に言葉は流れないまま、僅かに通る風が燃料灯ミスバハ の灯火を揺らした。
 バラザフの背後の扉の後ろから噴き出す声が二人に沈黙に割って入り、それは大笑となってもう一人のアジャリア・アジャールが部屋に入ってきた。紛れもなく本人の気だとバラザフにはすぐ感得出来た。昨今の体格を以って自ずと威が示される姿である。
 十年以上、つまり今までの人生の半分以上をアジャリアの近侍ハーディル として務めた身である。アジャリアの発してきた気が自分に染み付いているのだ。本人を見分ける事など当然とバラザフは自負している。
「アジャリア様、一応お尋ねしますがこれは何なのでしょうか」
 にやりとしながらバラザフはアジャリアを見た。父エルザフに対するような距離感である。
「さすがはバラザフよ。よく見分した事だ」
 見破られた事がアジャリアには嬉しいらしい。
「主座に居るのがわしではない事ばかりか、正体がサッタームであるのも看破するとは、恐れ入るのう」
「他の者であれば、お戯れと疑われてしまいます」
「いや、普通はそれすら気付かぬのよ。お前が見破ることが出来て安心したわ」
「見破れるかどうか試したと?」
「うむ。お前の言った通りサッタームにはわしの幻影タサルール を務めてもらう。無論、実の弟を無駄死にさせるつもりはないが」
 燃料灯ミスバハ の灯火は今は揺れ動いていない。
「実はわしの幻影タサルール が後何人か欲しい。それでこの仕掛けを見破れるかどうか、一人ずつ呼び出して試していたわけよ」
「それを後ろか覗いていたのですね」
「気付いておったか」
燃料灯ミスバハ の火が揺れておりましたから。隙間風が通っている証拠です」
「参ったな、これは」
 アジャリアの仕掛けを見破れる者でなければ、幻影タサルール となる者を捜す任務を任せられない。バラザフの他には、ワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティ、トルキ・アルサウドがサッタームをアジャリアの幻影タサルール と看破していた。が、バラザフの洞察力はアジャリアの予想の上をいっていた。

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2019年6月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_2

 カーラム暦991年中頃、再びクウェートに侵攻するとアジャリアは宣言した。アジャリアの奇策は家臣たちの虚も衝いた。だが、彼の今回の意図は領土獲得には無い。 
 進発の差し迫ったある夜、バラザフは一人でハラドのアジャリア邸に来るように言われた。呼ばれた事自体、他に漏らすなとも言われている。おそらくクウェートに侵攻に関する何らかの重大な指示があるのだろうとバラザフは予想していた。
 折りしもその夜は新月。この時期の遅い日没を待ってバラザフは、ヒジラートファディーアのシルバ邸を出た。光の無い中、馬で駆けきらなければ、日の出に間に合わないし、朝までアジャリアを待たせるわけにはいかない。急がねばならなかった。
「急に呼び出した済まなかった、バラザフ」
「わざわざ月の無い夜を選ばれたのですね」
「うむ……まあな」
 燃料灯ミスバハ の薄い光に照らされる主人を見て、バラザフは、
 ――おや、
 と思った。
 アジャリア様は最近過食気味で体格が良くなったが、また痩せたのか。それに返す言葉に明瞭な切れが無い。僅かだが遅いと感じる。
「今夜、バラザフとどうしても密語の必要があってな」
「ええ、勿論」
 奇妙ではある。だが、呼ばれて来ている以上、これ自体がアジャリアの意図であると見なければならない。
「前にクウェートに侵攻した際にワシはお前に荷隊カールヴァーン の護衛を命じたな」
「はい」
「メフメト軍のアサシン団に奇襲されたときに、シルバ家で召抱えているアサシンで対応したと聞いているが」
「仰せのとおりです」
 一つ一つ確かめるような聞き方をしてくる。いつものアジャリアのように言外の会話が成り立たない。
 とうとう我慢出来ずバラザフのほうから質した。
「アジャリア様に対して余りに無礼とは存じますがどうかご容赦を。今夜のアジャリア様はいつもと纏われている気が違います。」
 微かに揺らめいていたアジャリアの気がぴしりと静止した。
「貴方はアジャリア様の幻影タサルール なのでは」
 アサシンの中には任務のために隠密タサルール という術を用いて、姿や音を消す者がいるが、バラザフは目の前のアジャリアが偽物であると見て、わざと幻影タサルール という人として認定しない言葉を使った。幻影タサルール という役目は言葉通り、消される・・・・ 事が多いからである。

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2019年5月25日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_1

 新しい年になってもアジャリアの戦略は全く停滞しない。それに付随するような形でバラザフも動き続けなくてはならない。
 相変わらず、アジャール軍は広大な包囲網の中にあった。しかしアジャリアにはアジャール軍単独でこれらに対する自信がある。余りに広すぎて包囲の意味を成さぬというのが一つ。そして、
「ベイ軍とメフメト軍の不和も我等と同じくらい根深い。いずれあちこちで綻びが生じるはずだ」
 というもっともな理由があるからである。
 ベイ軍とメフメト軍が共闘してアジャール軍と戦うとすれば、アルカルジ一点である。メフメト軍は北からベイ軍は半島を海岸沿いに南下してアルカルジの南に回れば挟撃が成立する。
 そのままいけばそこが三つ巴の場になるはずである。だが、そこからアジャール軍が一歩退いてしまうと、後はベイ軍とメフメト軍の単純な衝突の構図になる。
 ベイ家は当主がサラディンになってから侵攻路線を採っていないが、精強なベイ軍を駆って以前は南に進出していた。それはメフメト家も同じで両家は過去にしばしばアルカルジで衝突している。小領主が寄り集まって出来たこの地域は、ひとつの集落を落とすとその分、僅かではあるが自分よりの領土を確実に増やす事が出来る。大きな勢力からすれば攻め取りやすい領域であった。
 アジャール軍がアルカルジ周辺を獲得出来た経緯は、ベイ軍、メフメト軍がぶつかり合い疲弊した隙に、すかさず入り込み支配を確実にしたのである。アジャール家にシルバ家が傘下として入ってからは、諜報に強い彼らにアルカルジを任せたのが功を奏して、アルカルジにおけるアジャール家の支配は安定している。
「なに、ベイ軍とメフメト軍はおそらく噛み合わんであろう」
 アジャリアにはベイ家とメフメト家を繋ぐ同盟の糸のような物が見えているようだった。そして自信のある様子からすると、アジャリアがその糸に触れて吊る事が出来るようでもある。
 家来達にこの裏は全く読めなかった。ただ、
 ――また、アジャリア様が深謀で何かを掴んでおられるのだ。
 と、アジャリアの自信に乗った安堵感のみはしっかりとあった。

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2019年5月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_41

 今度はアジャール軍が窮地に立たされる番である。盤面を見ると領土拡大に成功したようではあるが、ファリド・レイスによって反アジャール軍がひと繋ぎになったために、エルサレムへ向かうほぼ全ての道が閉ざされた事になる。
 どこかで搦め手へ回られると、途端にそこが包囲され、壁に鉤を掛けて引き剥がすように奪われてしまう。一つ穴が開けばすぐに次が取られるだろう。
 アジャリア・アジャールはクウェートの街を棄てた。ハラドまで戻って前線を固める策を練るためである。
 攻撃の指示を今かと待ち構えていたバラザフは、戦意を発揮する場所を与えられず、急な退却を受けて肩から脚まで脱力した。辛うじて首だけは上がる。
 退却時にバラザフに命じられたのは兵站の荷隊カールヴァーン を無事にハラドまで送り届ける任務だった。戦場で戦うのとは異なり、無事に目的地に着くまで、敵のや夜盗の類の奇襲に備えて、常に緊張感の中に置かれる仕事である。

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2019年4月15日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_39

 アジャリアの下に帰ってバラザフはファリドとの調子の調わない会見を報告した。
「バラザフ、お前はファリド・レイスという人物をどう見た」
 事実報告を終えたバラザフにアジャリアは尋ねた。バラザフが言葉に詰まっていると、
「お前の単純な感想を聞きたい」
「若さに苔の生えたような男だと思います」
「それは面白い表現だ」
「はい。かのお人からは結局光を感じ取る事は出来ませんでした」
「老成していると?」
「そういった練れた器にも見えませんでした」
「本音を見せぬという事だな」
「それに……」
「まだあるのか」
「私はあいつが嫌いです」
「そうか! 嫌いか」
 正直ついでに本音を全て漏らしたバラザフの言葉に、アジャリアは呵呵大笑した。
「これは愉快。だがな――」
 ひとしきり笑ったアジャリアは、ファリド・レイスという人物をバラザフに語って聞かせた。それによれば、彼は多感な幼少期をフサイン軍、サバーハ軍の俘虜として過ごし、それらの交渉材料として物を取引するように扱われた。俘虜のファリドの生活は本来あるべき貴人のそれとはかけ離れたもので、この世の汚泥を全て被ったかのような環境下で他人に胸襟を開くという事など有り得ず、バラザフを見下したような態度も彼の過酷な生い立ちを鑑みれば、無理の無き事と言えた。
 自分が味わった苦労に比べれば、同年代の者の経験など童子トフラ とさして変わらぬという思いがあっただろう。若者の光と無縁のまま成人してしまったのは至極当然である。
 周りに人が居ないという孤独は辛い。だが本当に人が居ないという事は砂漠で遭難でもしない限り現実にはあまり有り得た事ではなく、真に辛さとなるのは、人の中に居るときの孤独。それが一人の人間の心を情け容赦なく締め付け、歪めてゆくのである。
「窮めて哀れな御方だったのですね」
 アジャール家に厚遇され城邑アルムドゥヌ まで持たせてもらっているが、バラザフも最初は人質としてハラドに送られたのである。人生の種々相を見せられた思いがして、バラザフは心ひそかに目の前のアジャリアに感謝した。
「私と会っている間、ほとんどポアチャを頬張ったままでした。そのせいか、何というか……若い割には肉付きがよろしいようで」
「ほう、ファリドがなぁ。わしが昔配下に調べさせた情報によると奴は腹の肉が割れる程、鍛錬には精を出していたようだが、変われば変わるものよ」
 そう口にしたアジャリアには少しずつ肥えてゆくファリドの心情がわかるような気がした。彼は過去の不遇を憎んでいる。そればかりか過去の自分をも憎み続けている。それで太る事で風貌を変えて過去の己を消し去るという負の克己なのではあるまいか。自分の増長的な食欲とは対になるものなのだろう。
「そうか……。分った」
 とアジャリアはバラザフを下がらせた。
 食べるという事を意識した途端、彼の胃袋は何か食わせろと強烈に自己主張を始めた。アジャール家では胃袋までが厚遇されている。

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2019年3月5日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_35

 ハラドから一部隊がバラザフの部隊に合流しようとしている。その部隊を待つためバラザフは合流地点で進軍を止めた。
 寒風はハラドにも来た。
「風が乾いておるな。水の補給に心を配らねば」
 野心に燃えるアジャリアの身体は寒さなど受け付けぬらしく、悠然とアジャリア本隊を北へ進めた。クウェートの南、カフジという街が合流地点で、そこまで一週間程の行程である。カトゥマルの部隊もリヤドを進発した。
 ――レイス軍、バスラを包囲。
 伝令からアジャリア本隊に情報が入れられた。
 バスラはクウェートの北の大きな街である。本来、レイス軍のような小さな勢力に手に負える要所ではないのだが、サバーハの威が弱まっている事と、アジャール軍のお蔭で南から衝かれる心配が無い事とで、ファリドは大きく出たのである。
「まったく。意外と簡単にいけるではないか。こんな事ならさっさと取っておくべきだった」
 そう言うファリドの中にはすでに、ファハド・サバーハ存命中に小さくなっていた自分は居なかった。

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2019年2月26日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_32

 アジャリアの子アンナムルが言葉にしていた事が世に具現化して来たかのようである。
 カウシーンが見透かした も外れていなかった。ファリド・レイスは思案の末、アジャリアにクウェートという馳走の載った皿を見せられ、それを半分食う話に乗った。これはハイレディン・フサインとの蜜月な関係からかなり距離をあける事も意味している。
 メフメト家は割りと領土に恵まれている。乱世の始まりから勢力を拡大していたメフメト家は、ある意味では成長期は終わり、今の領土を守るだけで十分であるという時期に入っている。
 これに比べてアジャール家はハラドからリヤドへ拡大し、ジャウフ近辺も押さえるまでに成長したとあっても、実際手に入れたのは砂ばかりで、このまま成長を続けて、衰退著しい現大宰相サドラザム のスィン家を押し退けて覇権を握ってやりたいとアジャリアは思っている。

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2019年2月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_31

 カーラム暦990年の終わり、新たな年が来る直前になって、アジャリアがクウェートを攻めると再び言い出した。
「前にも言ったがわしのクウェート侵攻には大義がある。サバーハ家を護るという大義がな。もたつくなよ。クウェートがフサインやらレイスやらに食われてしまう」
 と大義を表に掲げて家臣を立たせたものの、その家臣達でさえアジャリアの言葉に領土欲が滲み出ているのを肌で感じていた。が、主命であるので、アジャリアの大義を意図して好意的に受け取ってここはそれぞれ己を奮い立たせるしかない。
 家来達はこれで済むが、外部にはこうした建前は虚言としか受け取れない。
「欲を見透かされるのが分かっていて、猶大義を打ち立てようとするのが憎らしい」
 アジャリアのクウェート侵攻を見て、アジャール家のもう片方の同盟相手であるカウシーン・メフメトは苦い表情を露にした。というのも彼が見えていたのはアジャリアの欲深さのみならず、フサイン家、レイス家の対抗措置と言っておきながら、その裏で同盟し口裏を合せている。
 そしてレイス家とサバーハ家の領地を山分けした後、バシャールを追い出すなり、監禁するなりすれば、ほぼ労なくして益を得る事になる。
 アジャリア家の領土が殖えるのも気に入らなかったが、大義を旗に振って偽善を成そうとする様がカウシーンには許せなかった。メフメト家も元はと言えば、乱世の騙し合いの中でなり上がってきた類なので、人の事は言えないのだが、アジャリアのように人欲に偽善の衣を着せるような事はしたくないと、カウシーンにはカウシーンなりの矜持があった。
「シアサカウシン。アジャリアにはこれまでだと言っておけ」
 カウシーンはアジャール家とは手切れとしながら、
「ベイ家と手を組んでアルカルジ辺りを挟撃してやりたいが、あそこにはシルバの倅が入ったと聞く。全く手抜かりの無い事だな」
 とベイ家と共闘する道を探り始めた。

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2019年2月21日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_27

 バラザフは今とても忙しい。
「バラザフにアンナムルの配下であった部隊を任せようと思う。宜しく教練してやってくれ」
 と、アジャリアから指示されたのであった。
 エルザフが言った通り、家を継いだくらいの力をバラザフは手に入れたのである。とはいえこれは生半ではない大任であった。というより骨が折れそうである。
 アジャリアは兵を教練せよと言ったが、それは
 ――アンナムルの配下であった海千山千の者等を手懐けよ。
 という事であり、おそらく二十そこそこのこの若者を侮ってくる古参等を巧く使いこなす器量を、アジャリアにも部下達にも示さなくてはならない。
 同じような命令は弟のレブザフや、先にアンナムル反乱軍に類を連ねて粛清されたヤルバガ・シャアバーンの弟ワリィ・シャアバーンにも下された。
 弟のレブザフはバラザフが任された部隊の下部組織を、ワリィ・シャアバーンは兄と二人で率いていた駱駝騎兵部隊を一人で請け負う事となった。

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2019年2月19日火曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_25

 カーラム暦990年、身内に火種を揉み消してすぐにアジャリアは、クウェート攻略作戦の開始を命じた。これとほぼ同時期にシルバ家ではバラザフに長男が誕生した。遠くバグダードでは後に大宰相サドラザム となるファイザル・アブダーラが同年、この世に生を受けている。もっとも彼はこの時点ではまだ貧しい平民レアラー で歴史の主道に乗ってはいない。
 シルバ家の長男の方は、サーミザフと名づけられた。今後、カトゥマル・アジャールの長男シシワトと共に成人を迎える。そして、サーミザフはファリド・レイスの家来に加わるという数奇な運命を辿る事になる。数奇といえば、この乱世に生きる全ての人間が数奇な運命に翻弄さてゆくのだが……。
 新しい世代が生まれると同時に旧い世代は年老いてゆくのが世の道理である。孫が生まれたのを機にエルザフは、
「私も五十を越えました。そろそろ当主の座を明け渡そうと思います」
 とアキザフを当主にして隠居を家中に宣言すると同時に、主家のアジャリアにもこの旨を願い入れた。
 アジャリアも、
「わしの目から見てまだまだシルバ家にはエルザフを越える謀将アルハイラト は出ていない思うが、無理を強いるわけにもいくまい。大事が起きた時はまだまだアジャール家を援けてくれよ」
 と思いを置きながらもエルザフの引退を認めた。アジャリアの思考もすでにシルバ家の知謀を抜きには考えられぬ所まできていた。
 バラザフの才を好いて近侍ハーディル に取り立て、賞賛も絶やさないアジャリアだったが、実の所はまだ彼を実成した将とは見ていないのである。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年2月17日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_23

 扉は壊れようとしていた。闇の奥の邪視アイヤナアルハサド を見た父エルザフの指示通り、バラザフは一切の知覚を閉じた。
 ――とにかく関わってはならない。思考さえもほぼ停止させた。元来知恵の回るバラザフにとって、これは逆に気熱を大いに消耗する苦行である。
 最も注意せねばならぬのが噂好きのナウワーフとの会話だが、彼との間にもしばらく私語をせぬよう固く取り決めていた。ナウワーフも察しの悪い男ではないので、その理由を敢えて尋ねるような事はしなかった。
 また が飛んできた。
 ヤルバガ・シャアバーンに続いて、アンナムル寄りの連累がどうやら二百名近く粛清されたらしい。
 アジャリアは父ナムルサシャジャリを追い出した時のような手際で、アンナムルを寺院に閉じ込め、飛び交うを素早く始末した。
 父子相克の火種が未だ燻る中、アジャリアはカトゥマル妻にハイレディン・フサインの娘を迎えた。
「この婚儀について妙な憶測をする者がいます」
 ある日、固く口を閉ざしていたエルザフがバラザフに語りだした。
 アンナムルとその連累が蜂起したのは、この婚儀が気に食わなかったためだと言う者が居るのだという。だがアンナムルは賢君アジャリアの子らしく、そのような狭量ではなく、寧ろ弟であるカトゥマルの結婚を心より喜んでやれる程の器量なのだと、あまり他人の事情に首を突っ込まないエルザフにしては珍しく、アンナムルを俎板に載せて、細かく切って見せた。
「意見が対立したとはいえ、跡継ぎに有能な者が生まれるというのは父としては嬉しいものです。アジャリア様も時期を見計らってアンナムル様を呼び戻されるでしょう」
 口に蓋をするような緊迫感からこれでようやく解放されるのかと安堵したものの、跡継ぎと聞いて、バラザフは少しばかり苦い色を浮かべた。兄たちと較べて自分の方が跡継ぎに相応しいとまでは言わないが、仮に自分は跡継ぎには役不足で凡庸なのかと問われれば、言下に否定出来る程の自信家は、しっかりとバラザフの中に棲んでいた。

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