年明けてカーラム暦992年――。クウェートを押さえた後も、アジャール軍とサバーハ軍の対立は相変わらず続いていた。サバーハ軍に所属する各城邑
の太守達の中には、ハサン・アルオタイビようにアジャール家に臣従するを潔しとせぬ者等も少なからずいた。名門としての意地もある。
アジャリアの本当の意味でのクウェート制覇は、これらの攻伐無くしては成し得なかった。
ブービヤーン島――。ペルシャ湾に浮かぶ島でクウェートからは北へ徒歩で半日の距離である。太守にはマダトジャイド・ザマーンという者が就いていて、サバーハ軍の中でも名うての猛将として知られていた。アジャリアは、次の攻撃目標をこのブービヤーン島と定め、また侵攻の命を下した。
アジャリアはハサン・アルオタイビの時と同様に、降伏の使者を送ったが、ザマーンは降伏勧告を受諾せず、
――敵に返答するには剣!
と降伏の意思の無い事を態度で明示した。
「であるならば、こちらも相応の対し方をするまでだ」
アジャリアはブービヤーン島を強攻めする方針で即応した。アジャリアは手練手管で城邑
を落とすのを得意とするが、ここぞという時に強攻めで押す苛烈さも人一倍である。
アジャール軍の押しは強かった。ブービヤーン島の攻防は三日続いたが、一兵士の目から見てもアルオタイビ側の劣勢は明らかで、無駄死にを嫌がったブービヤーン島の兵士が、アジャール軍の包囲の隙間から戦線離脱していき、ブービヤーン島にもアジャール軍の旗が立てられた。アルオタイビ配下の兵等が逃げていった逃げ道も、敢えてアジャリアが空けさせておいたのであった。
ブービヤーン島の戦いではバラザフも島へ渡り前線で両手の諸刃短剣
を振るった。アジャール軍の攻勢は強く、残ったブービヤーン側の抵抗も激しかったが、その分だけ城門に屍を多く積む事となった。
最後の抵抗でもアジャール軍に叩かれたブービヤーン兵の士気は下がり、門の中へ退却してゆく。この後を追ってバラザフは一団を率いて、城内へ突入した。
――バラザフ・シルバ殿、見事突入を果たしブービヤーンを占拠した模様!
アジャリアの本陣にバラザフの戦功を伝える伝令の声が響く。この攻城戦でもバラザフ・シルバの手柄であると軍全体に知らしめるものだった。
アジャリアはバラザフの能力も手柄も十分認識している。それゆえ幼少の頃より近侍
として引き立て、この若さで小さいながらも城邑
を持たせてやり厚遇してきている。
だが近年のみのバラザフの戦功に限っても、アジャリアが、
――それでは褒賞が足りていないのではないか。
とバラザフの論功行賞を見直さなくてはならない時期にきていた。
「バラザフのその兜
も手柄と共に数多の戦塵を被ってきた。お前の戦功を称えて新たな兜
を贈る。是非受け取ってもらいたい」
「神に讃えあれ。この上なき下賜に御礼申し上げます」
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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