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2020年9月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_4

 年明けてカーラム暦992年――。クウェートを押さえた後も、アジャール軍とサバーハ軍の対立は相変わらず続いていた。サバーハ軍に所属する各城邑アルムドゥヌ の太守達の中には、ハサン・アルオタイビようにアジャール家に臣従するを潔しとせぬ者等も少なからずいた。名門としての意地もある。
 アジャリアの本当の意味でのクウェート制覇は、これらの攻伐無くしては成し得なかった。
 ブービヤーン島――。ペルシャ湾に浮かぶ島でクウェートからは北へ徒歩で半日の距離である。太守にはマダトジャイド・ザマーンという者が就いていて、サバーハ軍の中でも名うての猛将として知られていた。アジャリアは、次の攻撃目標をこのブービヤーン島と定め、また侵攻の命を下した。
 アジャリアはハサン・アルオタイビの時と同様に、降伏の使者を送ったが、ザマーンは降伏勧告を受諾せず、
 ――敵に返答するには剣!
 と降伏の意思の無い事を態度で明示した。
「であるならば、こちらも相応の対し方をするまでだ」
 アジャリアはブービヤーン島を強攻めする方針で即応した。アジャリアは手練手管で城邑アルムドゥヌ を落とすのを得意とするが、ここぞという時に強攻めで押す苛烈さも人一倍である。
 アジャール軍の押しは強かった。ブービヤーン島の攻防は三日続いたが、一兵士の目から見てもアルオタイビ側の劣勢は明らかで、無駄死にを嫌がったブービヤーン島の兵士が、アジャール軍の包囲の隙間から戦線離脱していき、ブービヤーン島にもアジャール軍の旗が立てられた。アルオタイビ配下の兵等が逃げていった逃げ道も、敢えてアジャリアが空けさせておいたのであった。
 ブービヤーン島の戦いではバラザフも島へ渡り前線で両手の諸刃短剣ジャンビア を振るった。アジャール軍の攻勢は強く、残ったブービヤーン側の抵抗も激しかったが、その分だけ城門に屍を多く積む事となった。
 最後の抵抗でもアジャール軍に叩かれたブービヤーン兵の士気は下がり、門の中へ退却してゆく。この後を追ってバラザフは一団を率いて、城内へ突入した。
 ――バラザフ・シルバ殿、見事突入を果たしブービヤーンを占拠した模様!
 アジャリアの本陣にバラザフの戦功を伝える伝令の声が響く。この攻城戦でもバラザフ・シルバの手柄であると軍全体に知らしめるものだった。
 アジャリアはバラザフの能力も手柄も十分認識している。それゆえ幼少の頃より近侍ハーディル として引き立て、この若さで小さいながらも城邑アルムドゥヌ を持たせてやり厚遇してきている。
 だが近年のみのバラザフの戦功に限っても、アジャリアが、
 ――それでは褒賞が足りていないのではないか。
 とバラザフの論功行賞を見直さなくてはならない時期にきていた。
「バラザフのそのカウザ も手柄と共に数多の戦塵を被ってきた。お前の戦功を称えて新たなカウザ を贈る。是非受け取ってもらいたい」
「神に讃えあれ。この上なき下賜に御礼申し上げます」
 カウザ は鉄の基調であり額を巻く様に黄金があしらわれ額の中心に孔雀石マラキート象嵌ぞうがん が施されている。明らかにアジャリアがエドゥアルドを意識して造らせたものであり、そこから胸中の像がエドゥアルドの姿に発展したバラザフは胸を熱くした。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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(2020.10.05公開予定)

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2019年1月26日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_30

 戦争から引き上げハラドに戻っても、バラザフの深い心穴は殆ど埋まる事はなかった。
「けしからん事だ!」
 ハラドの街に乾いた寒さが訪れる頃、ナウワーフがまた何か情報を聞きつけたのか、やってくるなり怒り出した。
「おいバラザフ、奴らはけしからんぞ!」
「一体何なんだ」
「ベイ家の奴らさ」
「それはベイ家はけしからんだろうさ」
「そうだろう! 奴らは……」
 ナウワーフが言うには、
 ――アラーの街の太守アルサウドからアジャリアへ報告が入った。それによれば、アジャール軍の死者四万五千人、ベイ軍の死者三万四千人で、これをベイ軍は自分達が戦争に勝ったのだと自讃しているという。
「それは本当にけしからん!」
「そうだろう!」
「勝ったのは我々アジャール軍だ。緒戦の奇襲で追い詰められたのは認める。だがな、ネフド砂漠の地を我々は大半制圧して、ベイ軍は逃げ帰りジャウフの街との連携すら出来なくなったのだから、本当の意味での勝利と言えば、アジャール軍の大勝利だろう!」
 バラザフにとっては、そうでなくてはならなかった。バラザフの言う通り、領土獲得戦争においてはアジャール軍は勝利した。それは事実である。だが将兵の損失という面から見れば、アジャール軍の方が痛みは大きいのである。しかし、五分勝ちという結果を納得させるには、大事な人たち失った哀しみは、あまりに大きすぎた。
 後に「アルハイラト・ジャンビア」と称される程の未来の謀将も、この時はまだ人の死を悲しむ一人の少年に過ぎなかった。
「このジャンビアを振りかざして、エドゥアルド様達を援けに行きたかった……」
 バラザフの目の中で、ジャンビアの孔雀石はその波紋を大きく歪め、揺らした。

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2019年1月7日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_11

 後憂を安んずるべくアジャリアは、今までのクウェートのサバーハ家との同盟に加えて、オマーンのメフメト家と同盟を結んだ。
 これらの同盟はアジャリアにとっては、リヤド、ブライダー方面への侵攻を容易にするという効果をもたらし、メフメト家のカウシーンにとっては自分の領地であるオマーン地方の支配体制の強化に力を注げるようになった。
 アジャリアはネフド砂漠方面へ、カウシーンはアルカルジへと領土拡大の食指を伸ばしていったために、両者とも義人サラディンの討伐対象となっていたのである。
 サバーハ家のファハドの方は、これまで何かと対立の絶えなかったメフメト家と同盟が成立した事で、アジャリアと同じく後顧の憂いがある程度解消されたため、バグダードを経由する道からエルサレムやベイルートへ進出が可能になった。彼にとってはその道こそが、冥府に繋がる道となるのだが、もう少し先の事である。
 アジャール軍とベイ軍の最初の戦端が開かれたのは八年前、カーラム暦では975年の事である。その後、繰り返された両家の和平と戦争の歴史は、カーラム暦983年夏、サラディン・ベイが十三万の兵を率いてカイロを進発し、新たな戦いの頁が書き加えられようとしていた。
 ハラドのアジャリアは、この報せを日を置かずして掴んだ。
「めでたい。バラザフもついに初陣の日が来るとは」
 出撃の朝、そう声を掛けてきたのはアジャリアの弟エドゥアルド・アジャールである。
「兄者……いや、アジャリア様より成人の諸刃短剣ジャンビアを下賜されたと聞いた。私からもこれを贈りたい」
 出撃の前の物々しい隊列から少し離れた場所で、エドゥアルドはバラザフに諸刃短剣ジャンビアを手渡した。柄には孔雀石マラキート象嵌ぞうがんが施されている。
孔雀石マラキートは戦場で神の加護が得られると聞く。仲間の援けも即ち神の加護だ。わかるな?」
「はい!ありがとうございます、エドゥアルド様!」
 素直に喜びを顕わにするバラザフ。アジャリアから貰ったときも勿論嬉しかったが、エドゥアルドがくれた諸刃短剣ジャンビアが目に見えぬ重みが一段と違うようにバラザフに感じられた。
 憧れのアジャリア様が自分の師であってくれたなら。バラザフはそう願っていた。だが、自分にとっての師はやはりエドゥアルドなのである。エドゥアルドで弟子で良かったと、真に心の底から思えた。
「そうだ、バラザフ。シェワルナゼ殿からもお前に言伝がある」
「ズヴィアド様は何と」
「いつまでも教えを守るだけでは一人前にはなれん。だが、此度の初陣ではまだ教えを離れるな、との事だ」
「この戦いの先も見据えた言葉に思えますが……」
「うむ……」
 この戦いは間違いなく激しいものとなる。自分もズヴィアド・シェワルナゼも生きては帰れぬやもしれぬ。この言伝もズヴィアドのバラザフへの遺言としての意味が強かろう。それが分かりすぎるエドゥアルドだったが、手塩にかけて育ててきた、しかも初陣を控えた目の前の若者に、全てを伝えきる事は躊躇ためらわれた。
「先ずはこの戦い、必ず生き延びるのだぞ。お前の武運を祈る」
 そう言いながら、馬に跨り駆けて行くエドゥアルドの背中をバラザフは見送った。まだ戦場を知らぬ若者の目には、その後姿はこの上なく頼もしく映った。

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