2022年3月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_6

 ハリティ隊、オワイラン隊の最後の奮戦をバラザフの配下のフートが見ていた。彼等の最期を見届けるためと、この戦い方を主人のために覚えるためである。

 バラザフはさすが自他認めるカトゥマルだけあって、フートの状況説明だけで、寡兵対多兵の戦術を自分の身にすると同時に、主人思いの配下の機転に感謝した。そして、このハリティ、オワイランの最後の教練は、バラザフの戦術の型となってゆく。

 この戦争でのアジャール軍の戦死者は十万人。その中には稀代の名将達も数多く含まれている。

 フサイン、レイス連合軍の戦死者は六万人。こちらは将官の戦死者はさほど多くはなかった。この半数がハリティ、オワイランの最後の戦いで討ち取られた者である。

 三重の壕、三重の土塁、裏切りの虚報、火砲ザッラーカ 兵による一斉砲撃。打てる手は全て打ったという感の連合軍だったが、そこまでして辛うじて無敵のアジャール軍との勝ちに漕ぎ着けたのである。

 バラザフは、ハラドに生還して反省する事が深かった。

「配下の労を費やしてアサシン団を編成したのに、今回の戦争で俺は彼等を活かす事が出来なかった。崩れたときにどう戦うのか俺はまるでわかっていなかったのだ」

 そして、

 ――やはり未来を視る眼が欲しい。

 と思った。

 バラザフは、この敗戦自体をも自分の身にしようとした。

「ハイレディンの壕、土塁。あれは言うなれば城邑アルムドゥヌ を攻めるような堅さだった。これに対するハリティ、オワイラン隊の戦術は攻防の均衡が取れていた。城邑アルムドゥヌ の攻めに強く守りに強い。さらに平地でも強い戦術を創らなければ」

 ムサンナでの敗戦は、バラザフがこれまで以上に謀将アルハイラト として極まってゆく契機となった。

 アジャール軍は、アブドゥルマレク・ハリティやワリィ・シャアバーンなどの、アジャリア・アジャール生存中に、直にその息吹を受けた名将達を一瞬にして亡失した。アジャール家の支柱となれる将軍の数は極めて少ない。切れ味のよい軍師もいない。

 カトゥマルが、この先を託すのはバラザフ等、若い世代の将軍である。次世代の中でもバラザフは、アジャリアの時代から一部の間で「アルハイラト・ジャンビア」と称される、鬼才を隠さぬ存在だった。アジャリアの息吹を受けた度合いは誰よりも強いのである。

 アジャール軍の負け方は、これ以上無いほどひどいものだった。それでもハイレディンの方では、クウェート、リヤド、ハラド方面に進攻する気配を見せなかった。

 知恵を絞るだけ絞って、準備を万端にした上で、しかもアジャール軍が思惑通りに動いてくれた。それでもアジャール軍の全滅には至らなかったし、こちらも六万の兵力を損失したのである。

 ハイレディンが、

 ――カトゥマルは侮れぬ。

 と、これ以上の踏み込みを思いとどめたのも、決して慎重すぎる采配ではない。

 ハラド方、アジャール軍の戦力を大分叩く事が出来た。アジャリア時代に、手も足も出なかったアジャール軍相手に戦った事を思えば、十分な戦果であった。

 酷暑が僅かに退き始めた頃、カトゥマルがバラザフを召呼した。まずカトゥマルはバラザフに詫びた。

「ムサンナでの敗戦で、バラザフの兄を二人とも戦死させたのは私の責任だ。あの二人無くしてアルカルジの防衛も、城邑アルムドゥヌ も立ち行かぬ事も我が軍にとっては大きな痛手となっている」

 カトゥマルがバラザフに対してこの言葉を発するのは初めてではない。生還した際も、バラザフがハラド勤務の際に顔を合わすときも、カトゥマルはバラザフに詫びの言葉が思わず出てしまう。

「実は今日は別件なのだ。アラーの城邑アルムドゥヌ のトルキ・アルサウドによる助言なのだが、バラザフを正式にシルバ家の当主として認定しようと思うのだ」

 兄二人が戦死して後継者は二人、バラザフと末弟のレブザフだが、三男のバラザフを後継者にするのが正当ではないか、という事であった。

「まさかそのような件であったとは……」

 少し当惑したバラザフは思案し、

「当主を失ったシルバ家をこのまま放置するわけにもいきません。兄達の死によって繰り上がる形ではありますが、シルバ家を継承して責任を果たさせていただきます」

「うむ、なによりだ」

「そうとなれば、アルカルジの情勢もまた混迷する危険もありますので、防備に今まで以上に注力せねばなりません」

「それに関しても私もアルサウド殿も意見は一致している。それが心配でアルサウド殿もバラザフをシルバ家の当主に推していたのだ」

「今私が所領しているヒジラートファディーアの支配はいかが致しましょう」

「名目上はバラザフが太守を兼任し、誰か副官アルムアウィン を遣って政務をさせるように」

「以前であれば弟のレブザフを行かせるところですが、彼も今では所領持ちゆえ、何とか人選してみましょう」

「すまぬが、そうしてくれ」

 ひとまずバラザフはヒジラートファディーアの地に戻った。

 シルバ家の当主になるというのは、小さい頃からの叶わぬ夢であった。勇猛果敢で人望がある。そんな兄が二人も上にいて、同時にこの世を去った。

 兄達の不幸の上に自分の夢が叶えれらた。そんな思いしか浮かばない。

 欲するという事はつまりアマル なのだと父エルザフは言った。

「俺はこんな形を望んでいたんじゃない!」

 バラザフは一人自室で声をあげて号泣した。

 翌朝、バラザフは顔に差す日の暖かみで目を覚ました。一人泣き濡れたまま疲れて眠ってしまったようだ。

 バラザフ・シルバ、二十九歳。

 バラザフはカトゥマルにアルカルジにシルバ家の当主として赴任する事を報告して、城邑アルムドゥヌ に向かった。

 アルカルジでバラザフは家臣団に、兄のアキザフに代わって自分が当主になった事を宣言しなくてはならない。そして家臣の所領も、職柄も旧来のままにする事とした。

「フート、ケルシュ。俺が正式にシルバ家の当主になったことで、そなた達も正式にシルバ家の武官という事になった。ついてはシルバアサシン団を強化したい。具体的には少数精鋭をいくつか編成したいと考えているので、また働いてほしい」

 バラザフはシルバ家の当主となっても、アルカルジの防衛だけでなく、今までのようにカトゥマルのためにハラドに出仕しなくてはならない。

 アジャール家が沈下していく環境の中で、バラザフの存在は大きくなってきている。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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