2020年11月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_6

  結局、アジャリアはサフワーンを取らずに攻めるのをやめた。

 ――レイスの小僧はメフメト軍よりも弱い。

 それだけ確認出来れば十分で、アジャリアは矛先をナーシリーヤに向ける事にした。

 今、クウェートの城邑アルムドゥヌ はアジャール軍の拠点として使える状態にある。しかし、アジャリアはバスラやクウェートからナーシリーヤへ向う道を採らず、一度、リヤドに戻ってから転進するという方向で事を進めた。

 ――これはアジャリア様のアマル なのだ。

 バラザフはアジャリアの戦略にエルサレムへの企望を見た。リヤドからナーシリーヤを攻撃するという事は、クウェートから行くよりもアジャリアにとっては見込みのある行軍路であり、加えてレイス軍の予想の裏をかいてナーシリーヤを攻めるという利点がある。

 春――。花の咲く時期にアジャール軍はハラドを出発した。ハラドからリヤドを経由してブライダーに進み、そこから北東へ進軍してゆく。結局途中でクウェートで補給してからナーシリーヤへ向うのだが、補給路や後詰を自分の拠点を通す事で、不測の事態を可能な限り排除したいというアジャリアの慎重さがここにも出ている。

 行軍途中、ブライダーにさしかかったあたりで、菜の花が咲いている一帯があった。

「砂の黄、黄金の黄と黄にも色々あるが、花の黄はやはり命が感じられてよいな」

 砂の大地では命は特に尊い。アジャリアもカトゥマルも幼少の頃よりは花は好きである。出陣してさほど日は経っていなかったが、生命の美しさというものが感じられた時、人はそこから家族へと想いが飛んでゆくようである。

 アジャール軍の本隊はクウェートに駐留せず、補給部隊だけを行かせて食料を賄った後、本隊に合流させた。アジャリアはクウェートからナーシリーヤへ道を使わず、クウェートの西側の砂漠を真っ直ぐ北上した。

 アジャール軍はナーシリーヤの南、スーク・アッシュユーフという城邑アルムドゥヌ を包囲した。

 スーク・アッシュユーフの太守には突然、九頭海蛇アダル が現れたように見えた。アッシュユーフの南には緑地が東西に広がっていて、それでアジャール軍が攻め寄せてきたのが見えなかったせいでもある。

 太守の慌てぶりは尋常ではなかった。すでに日は高く熱い日差しで気温が高くなっているにもかかわらず、彼の頭からは血の気がひいて、寒気をおぼえていた。

 アジャリアはすぐにはアッシュユーフには手を出さなかった。数日の間威圧して、さらに敵の焦燥を誘うつもりである。

「そろそろやるとするか。明日の朝攻撃すると中に伝えてやれ」

 明朝、朝靄がひくと、防備の気配のない、スーク・アッシュユーフの城邑アルムドゥヌ だけが姿を現した。住民も避難する者だけは早々に避難して、残された者達も息をひそめていた。

 アジャリアは、スーク・アッシュユーフに至ったとき、彼らの戦意が低い事を見てとった。そして、ブービヤーン島のときのように、わざと敵の逃げ道をつくっておいて、敵兵の脱走を促して城邑アルムドゥヌ の防備を無力化したのである。これには不必要な戦争を回避して、戦力の無駄な消費を避ける効果があった。

 以前よりアジャリアからあらゆる事を吸収しようと努めていたバラザフである。この戦法も咀嚼するに値した。

「アジャリア様から、また新たな手札を得る事が出来た」

 バラザフはアジャリアを師として仰いでいる。勿論、主君として崇拝すべき存在ではあるが、今では戦術の師としてアジャリアを越える存在が無くなっていた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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