シルバ軍のメフメト軍に対する臣従は本心からではない。メフメト軍からやってきた使者に与えた答えは、
――不戦。
である。
結局バラザフは、ハイレディンが斃れた後、一滴も血を流さず回復したアルカルジを始めとするシルバ領から兵を退去させず、実効支配を続けた。メフメト軍に対する対処は、剣を向ける事はしない。それ以上でも以下でもない。
「カイロが攻勢に出たようだ」
リヤドを拠点にカイロの情報収集にあたっていたアサシンのケルシュが、いつもどおり静かな様子を崩さずに報告にやってきた。
十万の兵力がザラン・ベイから送り込まれて、アラーの街など、数箇所の集落を取った。現状の周辺勢力の均衡を鑑みると、リヤドの北西部が、全てベイ軍の所領になるのを止められる者は周囲にはいない。
すでにザランからバラザフへ降伏勧告の使者が送られてきている。ハイルはもともと、シルバ軍がデアイエ軍を追い出して手に入れた所領である。ベイ軍はアラーを取った後、次の標的としてのハイルをこちらによこせと言ってきている。
ザランは、
「従わなくば剣」
と交渉に強い押しを見せてきた。
メフメト軍と、ベイ軍。両者に連携は無いものの、シルバ軍は大勢力二つから挟撃を受ける形になってしまった。
ここでもバラザフは、
――不戦。
と答えた。
臣従しているようでしていない。相手の攻撃対象にされないように言葉で相手の剣先を逸らしたに過ぎない。
「大勢力の間で揉まれるのはシルバ家の宿業だ」
父エルザフもアジャール家との距離を調節しながら生き延びていたなと、小勢力の苦患を自身も受け止めざるを得なかった。
「何がアルハイラト・ジャンビアだ、
半分やけになって自虐的な言葉を自分に投げつけるバラザフだが、リヤド、ハイルのシルバ軍をベイ軍寄りに、アルカルジのシルバ軍をメフメト軍に味方させる事で、シルバ家の滅亡を辛うじて回避させる事が出来たのである。
「このような荒波の中で、小船で乗り切るような危ない生き方をいつまでも続けたくはないな」
アジャール家について生きていく事に疑問を持ってこなかったバラザフにとっては、今が小勢力の痛みを真に感じてしまう時であった。
バラザフは、シルバ家の一員として迎えるべくアジャール家の遺臣をアデル・アシュールに指示した。アデルは、タウディヒヤから退去する折、シルバ家に随行してきて、アジャール家滅亡と同時に正式にシルバ軍の武官として在籍する事となった。
「アジャール家の遺臣にあたってみてわかったのですが、ファリド・レイスがハイレディンが死んだ後に、ハラドにまで出てきてメフメト軍と主導権争いをしている模様です。ファリドはアジャール家の遺臣達にしきりに接触して、レイス軍に抱え込もうとしいます」
アデルは、アジャール家遺臣の獲得が、ファリド・レイスに先を越されていると、ほのめかす報告をした。
アジャール家の遺臣といえば、バラザフのようにアジャリアの息吹の込められた、豪腕で規律も正しい武官ばかりである。多少の兵力差はわけもなく跳ね返してしまうような、場所を選ばずに使える者がそろっていた。
今は野に下っているが、登用すれば大幅な戦力強化につながる事は間違いなかった。
「アデル、ポアチャの奴にだけ美味い所を持っていかれてはいかんぞ」
「ポアチャが、何か?」
「いや、何でもない。こちらも登用に躍起にならなければならない」
アジャール家滅亡後もその遺臣達は、ほぼ全てが次の仕官口にありついていた。ファリド・レイスは九千人以上をレイス軍の戦力として獲得した。
「アジャリア家に居た頃と同じ待遇で構わない」
とファリドは、領地と禄の保証を受け合ったため、ファリド軍への再仕官の希望者が殺到した。
ファリドはこれらアジャール家の再仕官者から、勇者を選抜して赤い水牛、アッサールアハマルと名づけて精鋭部隊を編成した。そして、重臣のイブン・サリムの管轄としたが、その構成員の多くはワリィ・シャアバーンの部隊に所属していた生き残りの猛者達である。
アジャール遺臣の他の再仕官先は、メフメト軍の所属になった者が千名。ベイ軍にも百名ほどが雇用された。
バラザフも、この人材獲得合戦で二千名もの優秀な将兵を得る事が出来た。これはレイス軍よりもシルバ軍に所属したいと願った者が多かった事による。バラザフがアジャール家滅亡の瀬戸際にあって、カトゥマルを自領にて受け入れてフサイン軍に抗戦しようとして、大義を周囲に示したのが、ここで利いてきたのであった。
新たにシルバ軍に仕官した者には両家の子息が多い。子息といってもすでに成人している次世代の若者であるが、アジャール家の
そして、リヤド周辺の諸族もバラザフをアジャール家遺臣の盟主に仰いだ。それらに抱えられていたアサシンの生き残りも雇用した。
かねてよりバラザフは、アサシン軍団の新制を目論んでいたが、新しく軍団を形作る構成要素として彼等は重要な手札となった。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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