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2019年4月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_40

 結局ファリドはバラザフに確約を与えた通りに、サフワーン攻撃に入った。バスラの包囲を解いてサフワーン攻撃に遷ったあたりをバラザフはファリドの中に義理を見たが、ファリドにしてみれば、
 ――どうせバスラを落としてもすぐアジャール軍に奪われるのであれば、気色を損なわないよう今は要求を呑んでおくか。
 という気であったかもしれない。
 ファリドの半ば諦めを含んだ読みは当たった。
 リヤドに居たカトゥマルの副官アルムアウィン サッド・モグベルが自身に与えられている部隊のみでバスラを占拠した。レイス軍に包囲され枯渇していたバスラは、包囲が解かれたので補給が行き来していたのであるが、その流れに乗ってモグベル隊は容易にバスラを取れた。
 ところがその先に流れがファリドを驚かす事になった。バスラ占領でほとんど力を失っていないモグベル隊は、勢いでそのまま西のハンマール湖を舟で渡り、ファリドの拠点であるナーシリーヤ周辺の集落を攻撃し始めたのである。
 これには辛抱強いファリドも本気で怒りを顕にした。
「悪辣なアジャリアめ! 利用するだけ利用して騙したのか!」
 持っていたポアチャを投げつけ、それを盛ってあった皿を蹴飛ばし、口に含んでいた物までも吐き出して喚き、耳まで赤くなって、もはや言葉になっていない叫びを撒き散らし続けた。
 ひとしきり大立ち回りを演じた後、アジャリアに背信を責める使者を遣ったが、
「今回のナーシリーヤ攻撃はアジャリア・アジャールが一切あずかり知らぬ事。こちらでも子細を調べた後でなければ対応できぬ」
 としか返答が得られず、拠点との間にモグベル隊が刺さった事で、レイス軍は孤立する状況に置かれてしまった。
「さすがに手広くやり過ぎたか」
 ファリドからの使者が退去すると、アジャリアは周囲のワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティに漏らした。
「モグベル隊はアジャリア様の指示で動いていたのですか?」
「そうだ。だが、ファリドに気付かれては、もうナーシリーヤまでは取れんな」
 勿論、ファリドにとってもアジャリアの返答など信じられるはずもなく、急いでナーシリーヤまで撤退すると、矛先をアジャール軍に向けたまま、またハイレディンに頭を下げ、カウシーン・メフメト、サラディン・ベイとの同盟関係を急速に構築していった。結局、アジャリアの口車に乗ったファリド・レイスのクェート出兵は益無き事に終わった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年4月15日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_39

 アジャリアの下に帰ってバラザフはファリドとの調子の調わない会見を報告した。
「バラザフ、お前はファリド・レイスという人物をどう見た」
 事実報告を終えたバラザフにアジャリアは尋ねた。バラザフが言葉に詰まっていると、
「お前の単純な感想を聞きたい」
「若さに苔の生えたような男だと思います」
「それは面白い表現だ」
「はい。かのお人からは結局光を感じ取る事は出来ませんでした」
「老成していると?」
「そういった練れた器にも見えませんでした」
「本音を見せぬという事だな」
「それに……」
「まだあるのか」
「私はあいつが嫌いです」
「そうか! 嫌いか」
 正直ついでに本音を全て漏らしたバラザフの言葉に、アジャリアは呵呵大笑した。
「これは愉快。だがな――」
 ひとしきり笑ったアジャリアは、ファリド・レイスという人物をバラザフに語って聞かせた。それによれば、彼は多感な幼少期をフサイン軍、サバーハ軍の俘虜として過ごし、それらの交渉材料として物を取引するように扱われた。俘虜のファリドの生活は本来あるべき貴人のそれとはかけ離れたもので、この世の汚泥を全て被ったかのような環境下で他人に胸襟を開くという事など有り得ず、バラザフを見下したような態度も彼の過酷な生い立ちを鑑みれば、無理の無き事と言えた。
 自分が味わった苦労に比べれば、同年代の者の経験など童子トフラ とさして変わらぬという思いがあっただろう。若者の光と無縁のまま成人してしまったのは至極当然である。
 周りに人が居ないという孤独は辛い。だが本当に人が居ないという事は砂漠で遭難でもしない限り現実にはあまり有り得た事ではなく、真に辛さとなるのは、人の中に居るときの孤独。それが一人の人間の心を情け容赦なく締め付け、歪めてゆくのである。
「窮めて哀れな御方だったのですね」
 アジャール家に厚遇され城邑アルムドゥヌ まで持たせてもらっているが、バラザフも最初は人質としてハラドに送られたのである。人生の種々相を見せられた思いがして、バラザフは心ひそかに目の前のアジャリアに感謝した。
「私と会っている間、ほとんどポアチャを頬張ったままでした。そのせいか、何というか……若い割には肉付きがよろしいようで」
「ほう、ファリドがなぁ。わしが昔配下に調べさせた情報によると奴は腹の肉が割れる程、鍛錬には精を出していたようだが、変われば変わるものよ」
 そう口にしたアジャリアには少しずつ肥えてゆくファリドの心情がわかるような気がした。彼は過去の不遇を憎んでいる。そればかりか過去の自分をも憎み続けている。それで太る事で風貌を変えて過去の己を消し去るという負の克己なのではあるまいか。自分の増長的な食欲とは対になるものなのだろう。
「そうか……。分った」
 とアジャリアはバラザフを下がらせた。
 食べるという事を意識した途端、彼の胃袋は何か食わせろと強烈に自己主張を始めた。アジャール家では胃袋までが厚遇されている。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年4月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_38

 正直バラザフには荷が重い。何せまだまだ小隊長格の自分が主君の同盟相手に上から物を言わねばならないのである。相手の人となりが全く分らぬ上に、ファリドの出方や細かな心の機微も見落としてはならなかった。
 バラザフが面会を求めに行った時、ファリド・レイスはまだバスラを包囲している最中で、バラザフはファリドの野営陣に通された。
「すんなり分け前を寄越すまいとは思っていたが、こちらの取り分まで邪魔するというのか」
 バラザフの口上にファリドは怒った。当然の反応である。語気を抑えただけまだ辛抱強いと言える。
 バラザフとしても損な役目であるが、この瞬間二人の間に出来た大きな溝は生涯に亘って尾を引く事となった。
「なぁ、バラザフとやら。俺はバスラを取るのに忙しいのだ」
「存じております」
 ファリドは使者との会見であるにもかかわらず、ポアチャを脇に置いて齧っている。
 完全にバラザフが若造だと思ってなめてかかっている。が、ファリド自身、バラザフを侮っていい程、歳を経ているわけでは全くない。この時ファリド・レイス二十六歳、バラザフ・シルバ二十二歳である。
「どうだろうバラザフ、俺には会えなかった事にして帰ってはもらえまいか」
 正気で言っているのかとバラザフは疑った。アジャリアに嘘を報告するつもりも毛頭無いが、仮に会えなかったと言ったとして、そんな事を信じるアジャリアではない。ファリドがこちらの申し出を断ったと受け取り、レイス家はバスラ諸共アジャール軍に踏み潰されるのがおちである事は、バラザフの目から見ても簡単に分る。
 要求をいかにして飲み込ませるか思案していると、
「冗談だ。サフワーン攻撃はやっておくと伝えておいてくれ」
 と、もってまわったような承諾をファリドは返してきたのだった。
 バラザフは一応冷静に心の目を働かせ、ファリドを観察していた。だが、どうにもこの人物を掴む事がかなわない。ただ、
 ――こいつは嫌いだ。
 と率直に感じた。若者が放つ独特の光がこの男には無かった。

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