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2023年1月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第10章_1

  バラザフが名声を得たりといえども、相変わらずアミル・アブダーラが続いている。

 大宰相サドラザム になり、一気に中央の政治の権益を自分に集めようとしているアミルの所に庇護を求める諸侯が増え、中央の威令に服す士族アスケリ の数も日増しに増えている。

 だがそのアミルでも一筋縄でいかない者等がいる。ナーシリーヤのレイス家、ドーハ、バーレーン、オマーンに威を張るメフメト家がそれであった。

「一つでも手を焼いているのに、あいつ等は同盟しているからな。ナーシリーヤからオマーンまでは光の届かぬ黒き大地だよ。それと比べて、レイス、メフメトの大軍に一歩も退かず逆に撃退したバラザフ・シルバは、今後も気にかけてやりたいものだ」

 本人の居ない所でアミルはバラザフに賀詞を連ねた。バラザフの方でもアミルへの臣従を嫌がらず、ベイ家にも頼んでムザフをアミルの所に派遣武官として置いてもらえるようにした。

 アミル・アブダーラという中央政権の庇護を得るようになり、バラザフの日々の暮らしの中に剣戟の音が聞こえなくなって、しばらく経った。

 ところがその穏和な生活を再び乱す事が起こった。カーラム暦1008年、ついにファリド・レイスが中央政権に威服した。つまりファリド・レイスがアミル・アブダーラの下についたという事で、カラビヤート全体を趨勢を鑑みれば平和への筋道となるのだが、これがシルバ家を大いに揺さぶる事になる。

 ファリドはアミルと距離を縮めたのをいい事に、今まで自分に辛酸をなめさせてきたバラザフの評価を、ここぞとばかりに貶める態度に出た。亡きアジャリアに手痛い目に遭わされ続けた恨みもある。さらには、シルバ家を罵って、同盟相手であるメフメト家の評価を相対的に上げようという狙いもあった。

「このカラビヤートにバラザフ・シルバ程の食わせ物はおりません。バラザフは一度メフメト家に従ったかと思えば、裏切ってベイ家とも結託していた。さらに奴の悪事を紐解けば、ハイレディン・フサイン殿に臣従した際も、ハイレディン様がヘブロンで死んだ途端、私ファリド・レイスを裏切った。ハイルの城邑アルムドゥヌ を改修する際にも我がレイス家は大いにシルバ家を支援したのです。差し伸べた我が手を咬む如く、ハウタットバニタミムの所有の件で裏切った」

 本音でバラザフを恨んでいるので、ファリドの弁舌は熱を帯びつつ滑らかに回る。

「そして、またベイ家と結んだかと思えば、今度はアミル様の下に付くという。これを食わせ物と呼ばぬならこの世に食わせ物など一人もおりますまい。バラザフ・シルバは自分が生き残るために他人の肉でも食うのですぞ」

 これだけの弁を生み出す如くファリドの頭に血が巡っていれば、かつてアジャリアに叩きのめされる事も無かったはずである。

「アルハイラト・ジャンビア。確かにそう世間に賞賛されるだけに頭はあります。ですが、知恵が人の全てではない。バラザフは知恵の使い方がいかにもまずく、いつ庇護者を裏切るとも知れず油断なりません。今、その気苦労をアミル様が抱えておられるかと思うと、このファリド・レイス、アミル様が不憫でなりなせん」

 アミル・アブダーラは平民レアラー の、しかもかなりの貧しさから大宰相サドラザム にまで身を起こした男である。その出世の過程の早い段階で、他人の気色を窺うという特技を身に着けていた。よって、これらのファリドの訴えも、恨みつらみが目いっぱい盛られていると冷静に見ながらも、脳内の半分では、

 ――ファリドのバラザフ・シルバ評も全く聞き流す事は出来ぬ。

 とバラザフへの警戒心も同時に持っていた。

「レイス殿の言い分はよくわかった。貴殿はこのアミルに何を求める」

「アミル様に何かを要求するなど僭越ではあります。ですがハウタットバニタミムをメフメト家に返還するように、シルバ家に命じるのが政道に適う事かと。いわばシルバ家はハウタットバニタミムの所有権を自分で喧伝しているだけなのです。政道の道理が示されればメフメト家も自ずと威令に服す事でしょう」

 ファリドとの会見が終わったアミルは、まずザラン・ベイとの路線を固めた。

「バラザフ・シルバの動向に注意されたし。顔に二面あり」

 とバラザフへ気を許しすぎるなと、アミルは手紙でザランに釘をさしておいた。

 そしてもう一通差出人不明で、

「レイス軍とシルバ軍との戦争にて、バラザフ・シルバに肩入れせぬよう」

 と書かれた手紙がザランのもとに届いた。無論、アミルの手紙と一緒にである。

 ファリドの話と、他から伝聞するバラザフの知謀をアミルは評価したが、その高評はバラザフの能力への警戒心へと作り変えられていった。

 また大勢としてはシルバ軍は少しも恐ろしい相手ではない。レイス軍が自分の所についたこの状況では、バラザフ・シルバとは個人の能力さえ注意しておけばよく、ファリドの気色を損なわないように懐柔する方が今は大事といえた。

 バラザフを心の中で少し距離を置く一方で、息子のムザフのひととなりをアミルは愛した。ファリド・レイスとの折衝からシルバ家の扱いに影響が出るが、アミルはムザフを気遣ってそのような事情は一切告げなかった。

「ムザフは、賢くてその上、実直だな。ハーシム・エルエトレビーとは、着物の表地と裏地のようだ」

 ムザフの存在を自身の懐刀であるハーシム・エルエトレビーと対にするような形で評価した。

 ハーシムは知謀に切れ味はあるものの人当たりはよくない。一方ムザフは穏和で人を生かす知謀を持つ。アミルはこの二者の才知の在り方どちらも好んで傍に置いた。

 ――アミル様は父上によく似ている。

 ムザフはアミルに仕官して、そのように見えてきた。無論、面貌ではなく、人格は能力的な面である。

 二人とも困難に直面した際には、それを前向きにとらえ闇を光に換えていこうとする。結果、憂慮していて点が逆に長所、実績となって残る。また、対人的にも賞罰両刀を使い分け人との垣根を取り払い距離を縮める。

 二人には異なる点もある、とムザフは思う。

 アミルには、平民レアラー として育った経験からか、羞恥心はあまり無く、生き抜くために恥をかく事を嫌がらない。バラザフの方は、上からどんな重石を乗せられようとも持ち上げてやるぞ、という心魂の剛直さがあった。

 ここまでのレイス軍とシルバ軍の角の突合せを見ていて、アミルが取った処方は、シルバ軍をレイス軍の下につけるというものである。このまま放っておけばファリドが再びバラザフの所に攻め入るのは時間の問題だろうから、平定しかかっているカラビヤートがまた加熱する事というアブダーラ家にとって好ましくない状況になる。

 よって、この処方は全体の熱を冷ますと同時に、他家の軍制に介入してアブダーラ家の威令によってレイス軍、シルバ軍を組成するという形を取りたかったためでもある。

「アミルめ、シルバ家をレイス家の格下に置きやがった」

 バラザフは、勢力関係を計算してシルバ家の処遇を決めたアミルを憎んだ。他家の勢力争いに乗じて裾野を拡大していく点では自分もアミルと同じ見方をしているのだが、自分は圧迫される勢力なのだから、したたかでいて良いのだとバラザフは思っている。

「それだけではないぞ。現在のシルバ領のうちハウタットバニタミムの周辺地域をメフメト軍に献上せよと言う。その我等への補填をレイス軍に一任し、アルカルジ、リヤドのみ所領据え置きにして良いと言ってきている」

 まとめるとシルバ家はアミルの命令によってレイス家の下に付かされたばかりか、所領までもメフメト家に取られたという事になる。

 そしてファリドがアミルの命令に従ってシルバ家に与えたのがナーシリーヤの城邑アルムドゥヌ の傍のガラフという場所である。ナーシリーヤの近くにあるので拠点として価値は低くはない。

 だが、シルバ家がここを実効支配するのはほぼ不可能に近い話である。本拠地となるアルカルジ、リヤドからはあまりに遠く、他家の支配地をいくつも通りながら行き来せねばならない。またナーシリーヤの傍である事は常にレイス家に見張られている事にもなるので、ファリドが変な気をおこせばいつでも奪取されてしまうのだ。

 シルバ家がここから得られるのは実質、僅かな租税だけで、それも輸送のための人員の賄いに配ってしまえば、ほとんど残らない。

「アミルの命令で痛手は受けたが、メフメト家の主張も通らなかった。アルカルジを全部寄越せといっていた所をハウタットバニタミムを所領するだけに止められた。アルカルジ、リヤドを我等が押さえているから、カイロやメッカの往来で得られる利はシルバ軍だけのものだ」

 現実に光をあてて見なければやっていられない。重臣たちに話すバラザフの言葉には、素直に負けを認めたくない色が滲み出ている。

「これだけで終わりにはしないぞ、あのメフメトはな。また悪巧みを仕組んでくるに決まっている。防衛により一層留意せよ」

 取られた部分は今は諦める他ないが、ハウタットバニタミムの城邑アルムドゥヌ でも周辺にはまだシルバ軍が実効支配出来る砦も残っている。そうした拠点を今までハウタットを任せていたイフラマ・アルマライの預かりにして、諸将を従来の配置どおりにして、バラザフはメフメト軍への警戒を説いた。

 しばらくして、バラザフは自分の方から暗躍を始めた。弟のレブザフの縁故から長男のサーミザフをファリド・レイスの所へ送り込んだ。

「アミル様の指示によるとはいえ、レイス軍の従属となったからには、保証として誰かをレイス軍へ預けた方が関係が悪化せずに済むと思われます。待遇はこのレブザフが良きように計らっておきます」

 このように書かれた手紙がレブザフから送られてきたのがきっかけである。

 バラザフはアブダーラ家から呼び戻して、今回も次男のムザフに赴任させようと思っていたが、サーミザフが自らこの任を買って出たのである。

 サーミザフという若者は生真面目な性格であると同時に、弟想い、家族想いである。レブザフは自分が待遇を保証するとは言ってはいるが、これまでのシルバ家とレイス家のややこしい関係を考えると、今アミル・アブダーラの寵愛を受けているムザフが、それ以上に良く扱われる事は考えにくい。

 また、対等ではないにしても、今やカラビヤート最強となっている大宰相サドラザム のアブダーラ家との繋がりを自ら断ってしまうのは惜しい。またその道筋をつけてくれたベイ家の顔にも泥を塗る事にもなってしまう。生真面目な彼の性格がそれを良しとしなかった。

「俺はお前を他所に出すのは反対だぞ」

 サーミザフの意向を聞いて、バラザフはすぐに反対した。バラザフの中では、長男のサーミザフを次期シルバ家当主にしようという考えがあったからである。

「ムザフはアミル・アブダーラ様の近侍ハーディル として可愛がられているとか。実力者に近侍ハーディル として仕える者がその後の出世において道が開けているのは父上が一番ご存知のはず。ファリド・レイス様は派手さは無いものの地道な方であり、ハイレディンに臣従するかのようにじっと堪忍してつきあった性格は、今後付き合っていくのに信用に値するでしょう。シルバ家の今後の事を考えた場合も、私がレイス軍に、弟がアブダーラ軍に仕官しておく事は有益です」

 若造だと思っていたがいつの間にか言うようになったとバラザフは思った。それだけサーミザフの話は的を射ていて、聞くべき理があった。

 ――レブザフの奴もファリドについて同じような事を言っていたな。

 レイス家に赴く前の妙に溌剌としたレブザフの姿がバラザフの脳裏に映った。

「お前の言う事ももっともだ。お前がレイス家に行くのならば、そこでシルバ家の陣地を拡げてこい」

 この人らしいしたたかさである。

 ――レブザフのようにサーミザフの方が俺よりファリドと気が合うかもしれない。

 レブザフと似たサーミザフの言葉の先に、ファリドとの関係が少し見えた。

 ファリド・レイスは今では元サバーハ家の領土であるクウェートを本拠地としている。クウェートに赴くサーミザフには、バラザフも一緒に付いた。

 会見の席でファリドはバラザフに対してはにこりともしなかったが、サーミザフには笑顔を絶やさなかった。

 ――サーミザフが上手くファリドと付き合っていけそうで、俺も少しだけ心配事が減った。

 ファリドの自分へのとげとげしさは気にもしていない。

 会見はそのままサーミザフ歓迎の宴席となった。その席でバラザフは、ファリドにひとつだけ尋ねた。

「レイス殿にアマル というものがあればお聞かせ願いたい」

 名目上彼の下に置かれても、レイス様と呼ばないバラザフの剛腹さである。

 答えるファリドにもバラザフへの無愛想には、ぶれが無い。

アマル という言葉すら浮かんだ事が無い。そんな物を許してくれる程、俺の現実は甘くは無かった」

 ここまでは想定どおりだったが、バラザフはもう一歩踏み込んでみた。

「私は未来を視る眼が欲しいと思いつづけておりました。童子トフラ の頃よりずっとです。今でも欲しております」

「それはアマル であって貴公にとっては幸せな事だろう。そんな物は現実には在り得ないからだ。アマル として心の中に大事に大事にしまっておかれるがよい」

 バラザフは、そこまでで言葉を発するのをやめた。この人物には未来は見えないという蔑みもあったし、怒りが湧いてこなかったのは、ファリドがサーミザフを大事にしてくれるだろうと、少しだけ好感を持てたからだろう。サーミザフに対して心配事が無くなった。今はそれだけである。

 心配事という物は一つ減れば、またすぐに新しい心配事が生じるものである。

 カーラム暦1011年秋、メフメト軍のハウタットバニタミムの太守が、近くのシルバ領の砦を陥落させ、シルバ側の守将もこの戦いで戦死した。

「メフメトのやつめ許せん。俺の政治に服さぬ乱暴に出るならば、メフメト軍を滅亡まで追い込んでやらねばならない」

 バラザフ以上にアミルは頭にきていた。折角、メフメトの顔も立てて大宰相サドラザム として裁判の労を執ってやったのに、それに不承知であると言う様な今回の挙兵である。裁定に不承知であるならば、その時に申し立てねばならない。それを後になって騙すような形でシルバ領に押し入って砦を落とすというのは、世の摂理を乱す許されざる事であった。

 一旦、事はここで霧散したものの、アミルの中ではメフメト家を威令に服さぬ不忠者という扱いになり、メフメト征討に大義を被せた。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2022年1月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第7章_4

  カーラム暦996年、バスラの城邑アルムドゥヌ が陥落した。暑さ隆盛の猛夏の季節であった。

 ――今はアジャール軍に勢いがある。

 それを見てとったファリドとハイレディンは、下手に手出しをすれば傷口が拡がると感じて、結局、バスラの城邑アルムドゥヌ が落ちるのを見ているしかなかった。

 ファリドとハイレディンが感じたように、今のカトゥマルに怖いものなど無かった。立ち塞がる敵は全て新生九頭海蛇アダル の巨体の踏み潰されていった。頭もようやく九頭海蛇アダルてい を成し始めているようである。

 巨体に勢いがある事自体、それは驚異的な力である。ハイレディンもファリドも、今はカトゥマルとの戦闘を回避するのが上策と見ていたが、カトゥマルの方からナーシリーヤ、バスラ方面に仕掛けて行くのを止めなかった。

 また、アジャール軍はファリドを野外戦に誘い出すように、何度か仕掛けてみたが、ファリドはナーシリーヤの門を堅く閉ざして一向に出てくる気配もなかった。

「ウルクで叩きのめされたのが心底辛かったのだろうな」

 と、アジャール軍の誰もが、引きこもっているファリドの心情を、卓上の物を見るようにはっきりと感じていた。

 カトゥマルが各地でその武勇を称えられても、ハイレディンは支援すらままならずここまできてしまっている。

 カーラム暦997年春、アジャール軍が十五万の手勢でハラドを進発した。リヤドを経由して北上、向かう先はムサンナである。

 ムサンナはサマーワを含む広域の名で、サマーワやナーシリーヤから見れば南に広がる地帯である。この大部分は砂漠で占められているが、 涸れ谷ワジ も多数流れる。

 北部のユーフラテス川の近くで棗椰子タマル米類アルズ雑穀ミレット などの栽培が行われている。集落はあるが、広域であるため城壁のある城邑アルムドゥヌ は形成していない。

 カトゥマルは全軍を三つに分隊した。生前アジャリアがよく行っていた編成のやり方である。

 五万の兵をカトゥマル麾下に置いてムサンナ方面に向かった。

シャアバーンが率いる別働隊を西から、もう片方のアブドゥルマレク・ハリティが率いる別働隊を東から行かせた。

 このやり方はファリドを恐れさせた。散々痛い目にあわされてきたアジャリアの戦術をカトゥマルが継承しているのが、一目でわかったからである。

「すぐにハイレディン殿に遣いをやれ。アジャリアが再来した、とな」

 ファリドの心はすでに病み始めていた。今までのレイス軍とアジャール軍の戦いの経緯からすれば、今度こそナーシリーヤが滅ぼされるほどの猛攻を受けるのは必至であり、カトゥマルの実力がアジャリアに劣らぬと判明した以上、勝ち目がほとんど無くなったと考える他ない。

 カトゥマルはムサンナに臨時に築かれたレイス軍の砦を包囲して、数回、火砲ザッラーカ で攻撃した。五千台の火砲ザッラーカ を配備している。だが、カトゥマルもそうだが、アジャール軍は火砲ザッラーカ の運用に大して重きを置いてはいないのである。

「使用するのは至極簡単ではあるが、弓矢のように連射する事が不可能だ。火薬や燃料のための費用も馬鹿にならない。狙撃出来るような必中の武器というわけでもないから、大量に用意しないとこの威力も用を成さんな」

 こう漏らしながらも、カトゥマルは火砲ザッラーカ での準備射撃をやり切ってから、戦いの太鼓タブル を鳴らして陣形を整えた。そして、カトゥマルはムサンナはひとまず放置して北上しハマー湖を過ぎて、バサの城邑アルムドゥヌ を包囲した。季節は春と夏を行き来している。

 ――カトゥマル様は、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を包囲して攻めるようだ。

 ――ファリドがナーシリーヤから出てくるように仕向けるおつもりらしい。

 ――今後もアジャリア様の戦術の路線でやっていくということだな。

 アジャール軍の中で将兵等がはカトゥマルの戦い方をこのように見ている。皆、カトゥマルの戦い方に独自性を期待すると同時に、これまでのやり方が変わらない事へ安堵もしていた。

 だが、それは見方を変えれば、カトゥマルがアジャリアの轍を踏み外さず模倣するのに、十分な実力を持っている事に他ならないのである。

 カトゥマルは、ファリドが頑なに篭城を続ける姿勢を見て、略奪こそしなかったものの、周辺の集落の作物を全て刈り取らせて、ファリドを挑発した。

「我等はファリドのおかげで腹を満たさせてもらったが、それでも奴は怒らないのか」

 様々な手を使ってでも、なんとかファリドを引っ張り出したいアジャール軍だが、結局、ナーシリーヤの城邑アルムドゥヌ の門は堅く閉ざされたままである。

 このような曲折した交渉が何度か繰り返された後、カトゥマルは再び主戦場をムサンナへと移した。場所はナーシリーヤから南西のハマー湖のさらに南である。レイス軍に属する小領主達がここを守備している。

 夏場に珍しく雨が降り始めた。長く続きそうな雨である。

 カトゥマルはムサンナの攻略に全力を注いだ。このような城壁も無い集落は、自分にとっては無防備も同じで、すぐに勝利出来る算段である。

 これと同時に、ハイレディンの方ではナーシリーヤへの派兵を決めていた。新編していた火砲ザッラーカ 兵の部隊の動きがようやく様になってきた事が、派兵に踏み切る一つの安心材料になったからである。そして、安心材料をもう一つ、秘策として抱えていた。

 ――ハイレディン、ナーシリーヤへ出兵。

 カトゥマルの麾下でムサンナの攻略の任にあるバラザフのもとへ、フートの配下が報せてきた。

 バラザフは、この仕事の間もシルバアサシン団の力を十二分に発揮出来る場を探していたが、その舞台を用意出来ぬまま今日まできてしまっている。

 雨は何故か未だに降り続いている。雨足が弱まる事はあっても、雲が切れて間から日が差してくる事は殆ど無い。

 ――レイス軍は歩兵に一万の火砲ザッラーカ を配備している模様。

 フートの配下からさらに情報が上がってくる。だが、バラザフはこの長雨と湿気では火砲ザッラーカ は、ただ金を捨てるようなものだと、これを危険視してはいなかった。

 アジャールがムサンナが制圧出来ないままでいるところに、レイス、フサインの連合軍が合流をはたした、という情報が入った。レイス軍はこの部隊にも火砲ザッラーカ を五千配備している。

「敵の兵力はどれくらいだ」

「ハイレディン自身が率いるフサイン軍が三十万、ファリドが率いるレイス軍が八万、計三十八万の兵力とのこと」

「我等の倍を超えているな。ハイレディンもファリドもこの戦いで雌雄を決するつもりのようだ」

 気を引き締めて、バラザフはカウザ を深く被った。だが、そこに驚きは無い。

 ほんの少し前のウルクでの戦いで圧勝した事を皆が憶えている。

 ――レイス兵ならば三人相手でも勝てる。

 という自信がアジャール軍の中で一般的になっている。

 アジャール軍の威風を知りながら、ハイレディンがムサンナへやってきた。ハイレディンはハマー湖の西側を少し過ぎたあたりで足を止めた。

 奇妙にも雨はまだ降り続いている。アジャール軍の方では、

 ――長雨のせいでハイレディンは我が方の動向を見つめている他無いのだ。

 という読みが大勢 たいせい である。

 思惑も先の見方も多数あった。そんな中でフートがアジャール軍の本陣に向かうフサイン軍の数名のアサシン集団を捕らえた。

「フサイン軍のマァニア・ムアッリム様に雇われた。我等は使者として参った故、サイード・テミヤト様に会わせてもらいたい」

 フサインのアサシンは書状を出した。テミヤトに宛てたものだという。フートはこの数名をテミヤトの所へは連れていかず、ひとまずバラザフの所へ連行した。

「何故、敵のムアッリムからテミヤト殿に使者が来るのだ。フート、テミヤト殿に知らせてきてくれ」

 呼ばれたテミヤトは、

「相異無い。フサイン軍の武将と何人か連絡をとってこちらに同心する手筈になっている。それらの代表がムアッリムというわけである。使者も今回が初めてというわけではない」

「何故、そのような大事な事を今まで隠していたのです」

「成功する前に知られて失敗して自分の顔に泥を塗りたくないのでな」

 と、テミヤトが顔色を変えない。

「さてと。隠し通せなくなった以上、カトゥマル様に知らせてこなくてはな」

 バラザフがさらに追求を深めてくる前にテミヤトは素早く席を立った。テミヤトの密使の件がカトゥマルの耳に入ってしまえば、バラザフとしては、これ以上の糾弾の材料が見つからない。

「これは危ない兆しだぞ」

 バラザフはテミヤトの暗躍をそう見た。ムアッリムがこちらに同心してくるとして、その真偽はどうなのか。そして、アジャール家の親族派閥に属するとはいえ、そういった単独の外交交渉をする権限がテミヤトにあるのか、という問題がある。

「こうした独断が認められれば、アジャール家の武将はアジャリア様以前、つまりナムルサシャジャリ様の代に逆戻りだ。アジャール家がまた分裂するという事なのですぞ。テミヤト殿ならお分かりのはずだ」

 バラザフは、カトゥマルの所から出てきたテミヤトを早速捕まえて糾弾した。

「それでこの私にどうしろというのかね」

 テミヤトは詰め寄られても態度は崩さず、うっすらと笑みすら浮かべている。

「く……! もうよろしい。カトゥマル様の存念をお聞きしてくる」

 テミヤトと話していても埒が明かないと即断したバラザフは、脇を抜けてカトゥマルの本陣の天幕ハイマ に駆け込んでいった。いつものバラザフならば、このような目上の将に対して礼を失する態度は慎むものだが、そんな事に構っていられないほどの言い得ぬ危機感に突き動かされていた。

「テミヤト殿の専行は本来ならば看過出来ぬが、寝返り工作が成功すればそれを帳消しにする以上の功績となる。自分が気に入らない策でも全軍のためと思えば、それを採るのが大将としての私のつとめではなかろうか」

 敵の寝返りを含めたテミヤトがカトゥマルに具申した策というのは、ムアッリムがこちらに同心したのを合図に、フサイン、レイス軍に対して総攻撃をかけるというものである。

 ムアッリムの使者が持ってきた書状には、フサイン軍はアジャール軍を罠にはめるため、工兵に陥穽のための穴を掘るのを急がせているので、今ならば、アジャール軍の騎兵部隊を全力投入すれば難なく突破出来る、とあった。

 都合が良すりる話を聞かされて、バラザフの危機感は逆につのるばかりである。

「カトゥマル様、この策に乗るのはあまりに危険です」

 バラザフは、カトゥマルの決定が変わるよう何度か食い下がったが、戦意に充ちた今のカトゥマルには、全てが自分にとって益するものにしか見えなくなっていた。

「フート、手遅れになる前に敵の陣容、特に本陣を調べてきてくれ」

 この言葉も、もはや無意識にバラザフの口から出ていた。

 しかし、フサイン軍に本陣に遣ったフートの配下は、何の情報も得られずやむなく戻ってきた。

「警戒が異常なほど厳重でした。配置されているアサシンの数、間者ジャースース の数、今までと比較になりません。近くまで行く事はかないませんでしたが、遠目には穴を掘る工兵が動いているようには見えましたが、雨のせいで視界が利かずはっきりと確証は取れませんでした」

 このとき確かにハイレディンは、工兵に穴を掘らせていた。だが、それを三重に築いていたのはアジャール軍からは確認出来なかった。掘った砂を麻袋に入れて積み上げ、平地に土塁も築いている。

「こうする事で平地に城を作ったのと同じ防衛効果が利くはずだ」

 というのがハイレディンの一つの意図である。当然、ムアッリムの寝返りの話もハイレディンが画策したものだった。

「カトゥマルの奴がこれに乗ってくれば、俺達の勝ちだ」

 三重に用意した陥穽、その最前列の穴と土塁の後ろに火砲ザッラーカ 兵を一万五千人並ばせている。フサイン軍の一万、そしてレイス軍の五千である。

 ハイレディンはこの戦いに自分の命運を賭けて挑んでいる。ムアッリムの裏切りという虚報で、アジャール軍を遠くから糸を引くように操っている。

 雨はまだ続いている。火砲ザッラーカ を今回の主軸に置いているフサイン軍にとって、この雨は凶事であるように思える。が、情報の隠蔽という意味では、先にフートの配下がフサイン軍の陣容を見極める事が出来なかったように、巧く情報を隠す役割を果たしてくれていた。


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2021年8月5日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_5

  冬はただアジャリアに寒さに耐える事のみを強いたのではなかった。冷え込んだ日々の中にも、季節は暖かで穏やかな表情を見せる事もあり、それがアジャリアとバラザフが二人で話せる安らぎの一瞬であった。

「アジャリア様の人材を見極める目をご教授下さい」

「一つある。それは生命だ」

「生命……」

「うむ。東方に馬の生命力を観て名馬を見分ける目利きがいたという。その者の眼中には雌雄の別無く、毛並みの色も無く、肉付きも関係無い」

 語るアジャリアの真諦しんてい を捉えようとバラザフは必至に食い入って聞いている。穏やかな光に包まれたアジャリアはバラザフにとってはまさに賢哲であった。

「近づいてよく観てみるのだ。一方で闇であったものが、また一方では光となる。強い生命力は伸びて、広がってゆく」

「闇も用い得るのでしょうか」

「闇に目を凝らすと、その中に明るい闇と、暗い闇がある。カトゥマルは猪突で先行き不安であるが、武人としては有能であるといえよう。また、シャアバーンやハリティのような古豪の名将であっても、見方によっては暗く見える事もあろう。人を人材として選り分けるのではない。その生命力を伸ばしてやるのだ」

 バラザフはアジャリアの途方も無い深さと高さを知った気がした。正直、今までアジャリアに付随するように学んできた自分が、ここに至って新たな物を得られるとは思っていなかっただけに、遠ざかる流星を追っているかのような心地がして、追いつこうとする心がここで折れてしまいそうで、バラザフは必死に心中で暗闘した。

 神話では九頭海蛇アダル は首を斬られてもその傷跡から首がいくらでも生えてくるために、傷跡を焼かれて倒された。バラザフはこの無限に生え続ける九頭海蛇アダル の首の一つになっているつもりでいた。長たる首は勿論アジャリアだが、自分もそれに並んでいると感じていた。だが、バラザフに真諦しんてい を語るアジャリアは九頭海蛇アダル の胴体から離れて、光を帯びて流星のごとく天駆ける至高となろうとしている。

 アルハイラト・ジャンビア。アジャリアの知恵を後継した者としてバラザフは後にこう称され、九頭海蛇アダル という喩えも徐々に彼の息子に対する言葉へと遷ってゆくのだが、その彼も今はまだ流星の尾をかろうじて掴まんとする追尾者なのである。

「アジャリア様の用人の真諦しんてい 、このバラザフの生涯の宝とさせていただきます」

 とバラザフはここで一呼吸置いた。追うからには消えて見えなくなるまで追いすがって得られる物を全て得なくてはならない。

「さらにもう一つお尋ねしたいのです。いえ、もう一つというより、もう一度戦術の根底を教えていただきたいのです」

 離れた首は流星となりやがて消え行く。だが、九頭海蛇アダル さえ得ておけば、自分が胴体になっていれば、いずれ首は生えうるとバラザフは思い始めている。

「戦術の根底には三つ」

 すなわち――、頭脳、謀計、戦術と、戦術の根底の中で戦術自体の優先度を一番最後に据えた。

「剣を振るのは最終手段だとおっしゃるのですか」

「勿論だ。謀で敵を陥れずとも、剣によって相手を沈めずとも、言葉によって安鎮がかなう事がこの世に多々あるが、世人には気付かれ難いものなのだ」

 攻城においても、強攻めする以前に言葉で敵の投降を促し、次の手段として謀計で敵を無力化して、最後の最後に強攻め力攻めするものである。先の手段を尽くした上で強攻めが活きるという事でもある。

「バラザフ、兵を率いる将軍に知恵があれば兵は活かされる。国家を構成するものはそれぞれ家族であり、家族を構成しているのは個々の人なのだ。当たり前であるが故に常に気に留めておかねばならぬ事である。構成する人が居なくなれば国家は国家たりえなくなる。民族もな……」

 ここまでバラザフに言い聞かせて、アジャリアは瞑目し、深く長い息を吐いた。会話による疲労がアジャリアを克しつつあると感じたバラザフが礼だけして下がろうとしたとき、アジャリアの問いがバラザフを呼び止めた。

「バラザフ、お前のアマル を聞かせて欲しいのだ」

 バラザフは、かっと目を見開いた。アマル という言葉にアジャリアの中に確かに父を見た。あの時持っていたアマル は今も心中に確かに在る。

「私の、アマル は――。未来を視る眼を欲する事。それが私の幼少の頃よりのアマル でした。渇望し、その方向を向かい歩み続ける強さが必要であると、父に説かれました」

「やはり、エルザフは正しい。わしは、未来を視る眼とは、自分が見たい未来を視る眼だと思う。未来を視たいと皆が思うだろう。未来が視得れば多く富めるからだ。だが、その富の意味は人によって違う。視たい未来も異なる。わしが視たい未来。バラザフの視たい未来。少しずつ人によって違うはずだ……」

 バラザフはアジャリアに微笑んでいた。静かに、穏やかな動作でアジャリアのもとを辞するその笑顔からは涙が一筋だけ流れていた。

 冬の日和は柔らかくアジャリアを包んでいた。遠ざかってから振り返るバラザフには、アジャリアの日和を楽しむ姿が、童子トフラ のように無邪気に、そして、小さく見えた――。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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2021年7月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_4

  ファリドはただひたすら馬にしがみついていた。その主人を乗せて馬はただひたすら駆けた。

 ――ここで落馬したら終わる。

 それだけがファリドの思考を支配していた。

 ――火砲ザッラーカ の爆音が聞こえてくる。

 ――今、弓矢が耳を掠めていかなかったか。

 死の淵に立たされ、ファリドの耳には幻聴が鳴り響いていた。

「あの者は槍で刺されて死んだ。あの者は頭を割られて死んだ。皆、死んだ……、死んだ……、死んだ……」

 目の前で近侍ハーディル 達が戦死していく光景がむざむざと脳裏によみがえってくる。掃討のため追ってきていたアジャール軍の騎兵はいつの間にか一人も居なくなっていた。

「もう暮れていたのか。光も見えないし、寒い……」

 ひとまず身の危険が去った事を知ったファリドは、ここでようやく周りの夜を感知した。替わりに今度は緩慢なる恐怖がゆっくりとファリドの心身に染み入ってくる。

「死んでいない。辛うじて命は拾えたようだ」

 すでにファリドの傍には誰一人、近侍していない。

 ファリドを仕留めようと追撃していたバラザフは、レイス軍の歩兵、騎兵により度重なる妨害によって、標的を見失っていた。

「また逃げられた」

 バラザフの方もファリドへの猛追が失敗に終わったのに気づくと、今度は宵闇が意識されて、身の危険を感じ始め焦りが生まれていた。

 命からがらナーシリーヤへ戻ったファリドは、

「城門は閉めなくともよい……」

 と力無く奥へ引き取っていった。

 ファリドが生還してから程無くして、暗き空を震天させる太鼓タブル の轟音と共に、追撃のアジャール軍がナーシリーヤに姿を現した。

 これから攻城に掛かろうと思っていたシャアバーンとハリティが城門を見れば、松明に照らされて開け放たれているのが認められた。

 どうせこのまま立て篭もっても寡兵では守り通せぬと諦めて、篭城の構えをとらなかったファリドだったが、このやるならやってくれという態度が、シャアバーンとハリティには、

 ――レイス軍に策謀あり。

 と映り、ナーシリーヤを攻略せず、二人は隊を退かせた。

 ファリドが生還したナーシリーヤに遅れて「ファリド戦死」の報が入ってきた。この報を受けた将は当然、ファリドの生還を知っているので、誤報もたらしたこの伝令を怒鳴り飛ばしたが、戦況が戦況だけに叱責はこれにとどめた。

 この将はこの一件をファリドに上げなかったが、どこからかこれがファリド自身の耳に入った。

 ファリドはこれを怒らなかったし、ポアチャも吐き捨てなかった。後にファリドはこの一件を「ファリド戦死」の宗教文字で自分の顔を象らせた独自の貨幣を造らせて、自身への戒めとした。

 ファリドの負け戦に巻き込まれた形となったハイレディン配下の将軍のマァニア・ムアッリムは、アジャール大軍を見た瞬間に恐怖に支配され、一度は前線に出るも、敵を一合もせずに部隊を退かせて、バグダードに向けて逃げ戻ってしまった。

 宵闇の前に見えていた黒雲は水滴を成して地表へ落ち、続く水滴は次第に冷たさを増して雹となった。

 今回もレイス軍は負け、アジャール軍が勝った。だが天が与える冷たさは両者に公平である。

 翌朝までに雹と雨は去った。宵闇の幕で覆い隠されていた地上の冥界が、昇る日によって徐々に曝され始めた。

 闇は人が見なくてもよい物を隠していてくれた。数多の肉塊となってしまった物に、沙漠狐ファナカサクルネスルハダア の中の屍食の者等が群がっている。それらの口に入っているのは殆ど、レイス軍の将兵である。

 レイス軍の戦死者は一万三千。負傷者は五万にも上る。

「我が軍の被害状況はどうであった」

「死傷者、計四千名との報告を受けております。私の目視でも同程度と思われます」

 戦後の被害を確認するアジャリアにバラザフは答えた。ファリドの追尾の過程で受けた傷から血が流れていた。軽傷だがその数は多い。

「治療のため負傷者を後方に下げよ。死者の弔いは念入りにしてやり、家族への年金を忘れぬよう。家族が軍籍にある者は格上げさせてやるように」

 バラザフの配下は負傷した者が多少いたものの、戦死者は一人もいなかった。

 ウルクに陣を張ったままアジャリアは次の一夜を野営してから、サマーワの城邑アルムドゥヌ に入った。

 次の日、サマーワから北へ向けて進発し、半日ほど進んでルマイサの辺りにさしかかった所でアジャリアの部隊が急に止まった。

 バラザフはアジャリアに呼ばれた。本陣ではアジャリアが横たわっていた。

「ここまで進んで来てしまったが、エルサレムにはまだまだ届かない。身体が重くて地に引かれて前に進む事が出来ないのだ。悔しいが、しばらくここで駐留する故、皆にそう伝えるように。すこし戻ればサマーワだが……、それすら動く事もかなわぬ」

 この先のルマイサを攻め取る予定であったため、シャアバーンやハリティが先行していた。彼らに早く情報を伝える必要がある。バラザフは、役は賜っていないものの、実質、アジャリアの執事サーキン としての働きをこなしている。

 バラザフがアジャリア本陣から出て行く時に、丁度、カトゥマルが呼ばれて入ってきた。

「アジャリア様の病状は?」

「前向きにとらえる事はとても出来ない状態かと」

「進軍は続けられぬのだな」

「ここで駐留するとの事でした。とても動ける状態ではありません……」

 カトゥマルがアジャリアの陣屋に入ると、侍医までもが陣屋の外に出された。

 ――いよいよ重大な話をするに至ったのだ。

 と、バラザフは察した。

 これ以降、アジャリアの体調は行きつ戻りつ、病魔とじりじりした闘いを続けていた。

 今は冬である。冷え込みは厳しく、砂漠であっても雪が降る事がある季節なのだ。そして寒さは日増しにアジャリアの体力を奪っていった。

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2021年6月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_3

  ウルク――。サマーワの東のワルカ遺跡は、かつてそう呼ばれたユーフラテス川沿いに成立した都市国家であった。神話の時代ともいえる旧年より幾度の興亡を繰り返したウルクは、最後の衰退と共に都市が放棄され、今は城郭が残るのみである。

 アジャール軍を追ってここまでやってきたファリドは、アジャールの軍隊が視界に見当たらないので、サマーワに帰還したものだと判断した。

 そしてサマーワの包囲戦に入るためウルクに野営を張って、火砲ザッラーカ の手入れを急がせた。今まで煮え湯を飲まされてきたアジャール軍に一泡吹かせてやる機会巡り来たとあって、ファリドを始めレイス軍の将兵はこの包囲戦に乗り気であったが、フサインの援軍の士気はいまいち上がらない。

「サマーワから迎撃隊が出てこないのだ。アジャリアめ、俺が怖気づいて追ってこれないと思っていやがるな」

 兵士たちに昼食を与え、武具の手入れも入念に行わせ、満を持して、

「強者とて慢心すればこうなるのだ!」

 ファリドが自ら鬨の声を上げ、包囲を号令した瞬間――、レイス軍は九頭海蛇アダル の腹に飲み込まれた。


「何だ。何が起こっているんだ!?」

 これからサマーワの城邑アルムドゥヌ を包囲してやろうと息巻いていた矢先、レイス軍はアジャール軍にぐるりと取り囲まれた。軍の外縁から兵が討ち取られる悲鳴が数多聞こえてくる。あんぐりと口を開けて周りに忙しなく頭を回すファリド。だが、その頭は、虚ろに開かれた口から指示を出させる程には機能していない――。

 状況が飲み込めぬまま死にゆくレイス軍に反して、アジャール軍の方では、バラザフが気にしているのは戦況よりもアジャリアの体調の事ばかりである。

「冷え込んできた。雨が降ってきそうだな」

 この出征中に体調を崩してから、一度もハラドに帰還していないのである。 

「体調はいかがですか、アジャリア様」

「わしはこのとおり元気だぞ」

「一度ハラドに戻られて休まれるべきかと」

「うむ、ひと段落ついたらな。今はあのファリドの小僧を相手するのが楽しい」

 この会話の間に、アシュール隊からの偵察からバラザフに情報が上げられた。今はバラザフはアジャリアの執事サーキン に等しい存在である。

「アシュール隊からファリド軍の陣容を報告してきました」

稲妻バラク であったと?」

「はい。アジャリア様の稲妻バラク を真似てサマーワを包囲するつもりであったようです」

 次にはフートも報告に入ってきた。

「我が軍がファリド軍を包囲して、稲妻バラク が崩れたというのだな?」

「そのとおりです」

「偽装退却の際にアシュール隊を最後尾にしていたのだ。ファリド軍は最初からアシュールの強兵に叩かれる事になろう」

 聞く前から報告される内容が全て分かっているかのようなアジャリアである。

 アジャール軍は陣容の先を尖らせるように変形させ、並列錐ミスカブ の形をとって、アシュールの強兵が敵陣を穿つ格好となった。その左右には統率力の強いハリティ隊、シャアバーン隊がきて、さらにその後ろに武勇で鳴るカトゥマル隊、オワイラン隊が続いている。

 レイス軍はサマーワを包囲してアジャール軍を干上がらせるつもりであったが、気づけば自分たちが囲まれていた。此度こそ勝ち戦だと思っていたのに、いつもどおり包囲されて風前の灯になっていた。

 レイス軍の騎兵ファーリス は、なんとか血路を開こうと決死の突撃をかけるが、先陣のアシュール隊に易々と討ち取られていった。

 アジャリアの手から指揮鞭代わりの革盾アダーガ が振り下ろされた。戦いの太鼓タブル が響いた。

 ――そのまま押せ。

 という事を全軍に伝達しているのであるが、その響きにはアジャリア軍の余裕が感じられる。

 アシュール隊の投擲部隊二千名が前に出てタスラムを投げつけた。これに当たったレイス軍の騎馬兵が数百名落馬した。

 投擲部隊はタスラムを投げ終わると後ろへ引き、次に火砲ザッラーカ 隊が前に出て炎を敵に浴びせた。

 レイス軍にも火砲ザッラーカ は配備されてはいた。だが、これから包囲する局面を想定していただけに、レイス軍の火砲ザッラーカ は後ろに控えていて、そのまま自分たちが包囲され密集状態によって火砲ザッラーカ は封滅されてしまっていた。

 完全に弱り目のレイス軍に対してアジャール軍は容赦せず、弓隊から矢の雨が注がれた。レイス軍の円の中心に矢が刺さってゆく。

 太鼓タブル の拍が短くなった。ついに、

 ――総攻撃。

 である。

 空も大地も紅く染まっている。

 この状況では総攻撃の太鼓タブル も、アジャール軍にとっては宵祭りの始まりを合図しているようなものである。

 今アシュール隊と正面で剣を交えているのは、レイス軍サーズマカ・ゴウデの部隊である。ゴウデの部隊は一万二千。押しつぶされそうな所まで押し込まれたものの、ここに至って奮起し、アシュールの部隊を押し返し始めた。

「いいぞゴウデ。もっと押し込め!」

 ゴウデ隊の勢いを見てファリドは、調子付いて命令した。

 だが、このゴウデ隊の勢いすらもアジャリアに仕組まれたものだった。

 ゴウデ隊が徐々に押して優勢になるように見せたのは、アジャリアの計画であり、ゴウデ隊を本体から隔絶させる狙いがあるのだが、レイス軍は全くわかっていなかった。

 アシュール隊が徐々に後ろに引いて退却すると、そこにシャアバーン隊四万五千が出てきて突出したゴウデ隊を包囲した。

 シャアバーン隊の特徴は駱駝騎兵である。砂地で機動に優れる

駱駝騎兵は狙った獲物は逃がさない。ゴウデ隊は一人、また一人と確実に数が削れてゆく。

 このゴウデ隊の死地にイクティフーズ・カイフが救援に駆けつけてきて、シャアバーン隊の横腹を突く形となった。

 受け持ちが一隊増えて、苦戦になりそうなシャアバーン隊だったが、アジャール軍からはハリティ隊が出てきて、シャアバーン隊の後方から追突撃を仕掛けた。

 最初に包囲を意図して敷いたレイス軍の稲妻バラク も、死の雲の中で虚しく霧散しようとしている。

 この乱戦にレイス軍から後詰の二隊が参戦して、乱戦の度合いはさらに深まっていった。

「アジャリア様、このバラザフも前線へ出させてください!」

 武人たちの熱き戦いを遠目に、むらむらとし始めたバラザフはアジャリアに自身の出陣許可を願い出た。

「まったく。初陣の若造でもないというのに。だが、お前のたぎ る血をこのまま抑え付けておくのも酷というものか。よかろう。その諸刃短剣ジャンビア の刃を敵の血で染めて参れ!」

  アジャリアはバラザフの戦意を飼い殺しにはしなかった。バラザフは素早く馬上に上がり、配下に号令した。

「見てのとおり夜戦となる。友軍相撃に厳に注意し手柄になりそうな敵を狙っていけ。命を無駄にするなよ!」

 馬で駆けて進むと、カトゥマルやナワフも前線に参戦する所であった。

「バラザフも来たか!」

「いかにカトゥマル様といえども戦場での獲物は譲れません」

「その壮語、後で後悔するなよ。アジャリアの剣の切れ味を後ろで眺めているがよい!」

「なら実力差を埋めるのが公平だ。先に行かせてもらいますよ!」

「あ、こら! 待たんか!」

 馴れ合いながら共に馬を進めて、カトゥマルとバラザフはレイス軍のボクオン隊に遭遇した。敵の側面である。

 まずバラザフが諸刃短剣ジャンビア で斬り込んだ。バラザフに斬られた騎馬兵が馬から落ちると、配下の兵がこれにとどめを刺す。さらにもう一人上等な武具の者を見つけてこれに切り込み、馬から下りて一対一で戦い、二、三度刃を交え、バラザフの諸刃短剣ジャンビア が相手の頚を一閃した。

「先に取られたか!」

 バラザフが先に手柄を立てたのを見てカトゥマルは悔しさを隠さなかった。二人とも純粋のこの競争を楽しんでいた。

 バラザフが次に探すのは、さらに立派なあの二本の角が飾られたカウザ である。イクティフーズ・カイフとまた勝負したいとずっと思っていた。だが、あの二本角のカウザ は視界には見つからない。この間にもバラザフの眼前ではレイス軍の騎馬兵が次々とアジャール軍の刃にかけられて戦死してゆくが、好敵手を求めて視線をはし らせる彼の眼には全く映っていない。

 と、イクティフーズ・カイフを捜しているその眼にレイス軍の本陣が見えた。

「カトゥマル様、レイス軍の本陣が見えました。ファリドの首を頂く好機! 一応お教えしましたので先に行かせてもらいますよ。では!」

 バラザフはファリドの本陣目掛けて疾駆した。今度はカトゥマルも待てとは言わなかった。敵軍の大将は目前である。味方同士の手柄争いで戦機を崩しては何の得にもならない。だが、

 ――あえて譲る必要もない。

 バラザフを追う形になってカトゥマルも駆ける。この二人が率いる数万も主達に付いてファリド本体に突撃した。

 こうした前線の熱気は後方で指揮するアジャリアには感得出来ない。不動、諜報よりの報告を受けて、自軍が疑いなき優勢にある事のみを知る。それだけでよい。

「バラザフは楽しんでおるか」

「は。カトゥマル様と一緒に駆けておられます」

「戦場は馬の遠出ではないぞ、まったく」

 責任ある将という身分なれば蛮勇は本来忌むべき事である。だがアジャリアは内心この二人の武人としての能力を愛していたし、次期当主となるカトゥマルと、その片腕になるバラザフの親交が良好である事も嬉しく思っていた。

 バラザフは駆けてファリドの本体に迫る。ファリドの近侍ハーディル が主君を護らんと、槍で突きを入れてくる。今、バラザフの獲物はファリド一人で、他は避けてファリドとの距離を近づけていった。

 ファリドを護衛していた近侍ハーディル 達の屍が徐々に増えてゆく。

 ――ここで戦死してやる!

 頭の熱くなったファリドは、馬に飛び乗って乱戦の中へ単騎駆けしようとした所を、一人の家臣が身体を張って制止した。

「我が命ファリド様のために散らせて見せます。ですから、ファリド様はナーシリーヤまで生き延びてください!」

 そう言うとその武侠ともいうべき家臣はファリドの馬をナーシリーヤへ向けて疾駆させた。

 このファリドの戦線離脱がバラザフに見えていた。

「ファリドが逃亡した! 皆、追って討ち取れ!」

 そう味方に檄を飛ばして、自身が先頭を切ってファリドを追撃しようとしたバラザフだが、レイス軍の槍兵が横一列に並んでゆく手を阻んでいる。

 だが、踏みとどまるべきこの状況で、バラザフは槍兵の列に突っ込んだ。まさに蛮勇というべき力で手近な敵兵の槍をへし折り、突破口の開けた瞬間、後ろから味方の部隊がレイス軍の槍兵の列を押し潰していった。

「戦場では戦機こそ大事。流れがこちらにあれば、そして慢心しなければ、流れには裏切られないものだ」

 近侍ハーディル として仕えていた頃よりアジャリアの傍で戦場で培ってきた経験である。


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2021年5月5日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_2

  塔に上ったファリドは三十万の大軍が威風堂々としてこちらに向かってくるのは見つめている。そこには不安も彼と共にあったが、そればかりでなく恐怖が彼の闇の近侍ハーディル として憑いていた。だが、傍にいるのは彼の不幸を見物している闇の存在のみならず、最大の味方、最良の友、若きイクティフーズ・カイフがそこに一緒に居てくれている。

 季節は冬に移ろうとしている。降雨の前兆である肌に沁みる風が吹いてきて、空には黒雲が立ち込めてきた。

 アジャリアは伝令を走らせた。

「ここで一転する。全軍を西へ向けよ!」

 ナーシリーヤの手前まできて、三十万のアジャール軍は反転して西へ行軍し始めた。

「わけがわからない……」

 アジャール軍三十万のナーシリーヤで迎え撃つ悲愴な覚悟決めていたファリドは、一変、自分を眼中から掃ったかのように背を向けて戻っていくアジャリアの行動を見て、呆然とした。

 戦わずに済んだ安心よりも、むしろ理解不能な事態に混乱を深めた。

「帰ると見せかけて迂回してナーシリーヤを包囲するつもりでは」

 とファリドは色々と思慮を巡らせずにはいられなかった。

 だが、まさにそれこそがアジャリアの意図する所であり、元々気の短いファリドの頭に着実に疲労感を溜めさせていたのである。

「なぁ、イクティフーズ。アジャリアは何を考えているんだ。我々を怯えさせたと思ったら、今度は無視して帰っていくぞ。また包囲されるかもしれんし、どう対処すべきなのだ」

「アジャリアが奇行に出るときは、裏に策略があるときです。ファリド様が読んだとおり包囲の可能性も十分ありえます。どちらにしても今は動くべき時ではありません」

「そうだな。今は静観が一番だ。そうだそうだ」

 焦る自分を抑え込むようにファリドはイクティフーズの言葉を自分に納得させた。

 この時点ではファリドは篭城の構えを解かずに、九頭海蛇アダル の巨体が通り過ぎてくれるのを、ただただ静かに待とうと思っていた。

 ところがハイレディンから派遣された援軍の態度がファリドを逆上させた。

「無駄死にせずに済んだ。ハイレディン様から戦闘は不要と言われていたが、アジャリアが仕掛けてきていてたらレイス軍の道連れになるところだった」

 こう安堵の声を漏らしたのはハイレディン配下の将軍のマァニア・ムアッリムである。さらにマァニアは自分の兵士に武具を解いて休息するように言って臨戦態勢を解除してしまった。

「アジャール軍に無視され、さらには味方の援軍であるフサイン軍まで俺を侮っている。ここまで馬鹿にされたらアジャール軍と戦わねば怒りが収まらん!」

 もはやファリドの怒りは、いつものようにポアチャを齧るどころではなかった。

「イクティフーズ!」

 ファリドは大声で叫んだ。

「アジャリアの奴は俺たちが追う意地など無いと思って無防備でいやがる。味方まで俺が戦わないと思っている。あの厭味な後姿に齧り付いてやらねば気が済まんのだ!」

 ファリド・レイスは普段は家臣の言葉を重んじる性分である。だが一度頭に血が上ると、隠れていた猪突な性格が顔を出す。

 ――またファリド様は冷静さを失っておられる。

 イクティフーズや普段から傍で仕えている家臣らには、ファリドの頭が熱でやられているのは見ただけでわかるのだが、ファリド自身は、自分が、

 ――今この時も戦機を読んで判断し、的確な指示を出しているのだ。

 という方向違いの自信を持っていた。

 イクティフーズは、今レイス軍がアジャール軍と交戦した場合、敵のいいように痛めつけられる事は必至であるから、ファリドの血気を抑えるべきであるし、彼自身そう判断していた。だが、ファリドのように表情には出さないものの、アジャール軍の人を馬鹿にした態度はイクティフーズ自身も相当頭にきていた。

 よって、主君と共に死に花を咲かせるつもりで、

「ファリド様、今こそアジャリアの傲慢な背中に齧り付いてやりましょう。一気に中央を衝けば、あるいは穴を開ける事も可能でしょう」

 と出撃に従った。

 一方、アジャリアはアジャリアで、

「バラザフ、わしは三年間ファリド・レイスに持ち続けてきた陰鬱をここで叩きつけてやるつもりよ」

 と、すでに陣容を整えて息巻いていた。ファリドを引っ張り出して、それこそこちらのいいように痛めつけてやるつもりでいたのである。

 ファリド・レイスはこれまでアジャリアの戦略であるバスラ、およびクウェート攻略を、ベイ家やメフメト家と同盟して阻害してきた。それがアジャリアの言にある三年である。

 時、乱世となれば領土獲得の機会は平等である。だが、アジャリアはそうは考えていなかった。平等であるという事は当然頭でわかってはいるが、彼とファリドの間にその平等は有り得ないというのがアジャリアの価値観である。

 これを言葉ではなく感覚として持ち続けているだけに、アジャリアのファリドに対する怒りは粘りを含んだしつこさがあった。

 こうしたアジャリアの人間臭い本音はバラザフに対してのみ吐けるもので、バラザフの方でもアジャリアの言葉の裏に、臭いを嗅ぎ付けるのが半ば習性となっていた。

 アジャリアはいつものようにファリドの小僧・・ とは言わなかった。そこにファリド自身のみならず、レイス軍全体を邪魔者と認定して、一斉排除しようとする血生臭さをバラザフは微かに感得したのである。アシュールと一緒に、レイス軍を蹴散らそうとしたとき、すんで の所で制止したのも、ここで一気に痛めつけてやりたかったからなのだとわかった。

 そして、

 ――稀に残虐性を見せるものだな。

 と、この頃ようやく気づき始めていた。

 アジャール軍が態勢を整え直したときに、サイード・テミヤトの部隊を先陣に配して、その後ろに荷隊カールヴァーン を従属させた。その後ろにアジャリア本陣を配置して、その左右にはカトゥマル・アジャール、ナワフ・オワイランの部隊を置いた。

 今回はファヌアルクト・アジャールにも別働隊の一隊を任せている。その左右を、最早アジャール軍の編成の定石となったアブドゥルマレク・ハリティ、ワリィ・シャアバーンの二人の古豪で固めて、若い将を補うように配慮した。

 そしてナジャルサミキ・アシュールを最後尾に配置して、アジャール軍は悠々と進軍していった。

 後ろから背中を見ていたファリドの目には、腹を満たした九頭海蛇アダル が余裕の態度でのしのしと巣穴に戻っていくように映った。

「あのまま西へ進んでサマーワに帰るつもりだな。いつも俺は囲まれてばかりだから、アジャリアがサマーワに入城した瞬間に今度はこちらが包囲してやろうか」

 ファリドはアジャリアが優勢をたのみに隙を見せているのだと思い込んだ。だが、背中を見せて西へ進む九頭海蛇アダル は腹など満たしてはいなかった。食欲旺盛な九頭海蛇アダル は巣穴になど戻らずどこかへ消えた。


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2021年4月5日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_1

  ファリドは、アジャール軍によって設けれた死地から何とか命を拾った。だが、これと同時にアジャール軍の方では別働隊としてナーシリーヤの東側の攻略にあたっていたワリィ・シャアバーンが、レイス軍の城邑アルムドゥヌ を間断も無い程に陥落させていった。中には城邑アルムドゥヌ が落ちるまでに僅か半刻という驚くべき速さの攻城もあった。

 加えてワリィは、近くの城邑アルムドゥヌ を陥落させ、そこに自分の兵力を分隊して支配下に置いた。アジャリアが計路としていた敵の支配域の分断が成功したのである。

 アジャリアの本隊は敵の分断のために稼動していた、アシュール隊と合流して、さらにこれにシャアバーン隊を合流させた。

「バラザフ、全軍を集結させろ。場所はナーシリーヤの西、サマーワ。わしらも移動の準備をせよ」

 相変わらずせわ しなく移動するアジャリアだったが、こうした大規模な移動が繰り返される事によって、レイス軍同士の連絡を断ち、もし偵察がいれば駆逐する事で自軍の情報を護りつつ敵を攪乱する効果が出ていた。

「サマーワを足下に置いておくことで、バグダード攻略の拠点に出来るし、後はナーシリーヤを落とせば、サマーワ、ナーシリーヤ、バスラと繋がり、リヤドまでの退路を確保出来るのだ」

 サマーワからナーシリーヤまでは東へおよそ二日の行軍、ナーシリーヤからバスラまではおよそ三日の道のりである。後はクウェートまで戻り南下すれば、リヤドまでの道は半分を消化出来た事になり、補給路も確保できて、これらを地図上で結ぶとアジャール軍の版図が大いに拡大する事がわかる。

 太守の退去という形でアジャール軍は一度サマーワの攻略に成功しているため、戦術において難は無いだろうと判断したアジャリアは力で単純に押していこうと考えたが、アブドゥルマレク・ハリティ、ワリィ・シャアバーンの二人が城邑アルムドゥヌ の包囲を上申した事により、この方法を採る事になった。

 アジャリアが慎重に城を包囲してから落とすやり方をバラザフは何度も見てきた。言い換えるとバラザフにとって包囲戦というやり方は、アジャリアの戦術であるという印象があり、ハリティ、シャアバーンという古豪の将軍らのやり方をここで見ておける良い機会だと思って、実に興味津々で見守っていた。

「枯れ井戸から横穴を掘って隣の城邑アルムドゥヌ と繋いで逃げ道を造るという方法を聞いたことがある」

「サマーワの周りにはナーシリーヤの他にも小さな城邑アルムドゥヌ がたくさんある。サマーワから抜け出た兵士がそれらから奇襲してくると我等が挟まれる事になってしまうな」

「今から全ての城邑アルムドゥヌ の井戸を調べる時間は無いな」

「サマーワを包囲する他に、奇襲を警戒して全方位に防衛線を用意しておこう」

「うむ。承知した」

 この会話を聞いていたバラザフは背筋に冷たいものが走った。若い世代の将であるバラザフはそんな事例は聞いたことが無かったし、もし、その枯れ井戸作戦を敵が実行してきていたら、危ない事になっていたであろう戦いが過去の記憶からいくつも蘇ってきていた。サイード・テミヤトなどの れた将軍が常にバラザフら若い将軍が力を遺憾無く発揮出来るよう、後方で見守っていてくれていたという事になる。戦術の面だけでもまだまだ先陣に学ぶべき事は多いと知った。

 サマーワは一ヶ月近く粘り強い防衛を見せた。この攻防を続ける間にもアジャリアは何度か相手方に降伏を促してきたが、それも無駄と知るとついに総攻撃の命令を下した。

 事ここに至り、ようやくサマーワの太守が降伏したいと言い出したので、カトゥマルを制圧隊長としてアジャール軍が城内に踏み込むと、包囲によって水と食料を絶たれたサマーワ兵等が、まさに死に際という感じで横たわっていた。

 これと同時にアジャール軍の別働隊としてサッド・モグベルがフサイン軍の要所カルバラーの攻略にかかっていた。

「バグダードにほど近いカルバラー。困難な仕事だがモグベルには何とか成功してもらいたいものだ」

 アジャリアが待つのはカルバラー攻略の吉報である。アジャリアの言葉通りカルバラーからバグダードまでは僅かに一日。フサイン軍との対決にも、また後方への退路としても獲得しておきたい城邑アルムドゥヌ である。

 バラザフ・シルバはこれまで自分の知略を他者に優るものと自負していた。この世においてもはや学ぶべき見上げるべき存在はアジャリアが唯一であると思っていた。が、先のワリィ・シャアバーンとアブドゥルマレク・ハリティの作戦というか手配り目配りを目の当たりにして、

 ――まだまだ他人に学ぶべき事は多すぎるものだ。

 と思い直した事から、今回のサッド・モグベルの戦術に興味を持って見ていた。サッド・モグベルも学ぶべき対象になったのである。

「この堅城からどうやって敵兵を引っ張り出すか。それとも策を用いて自滅さえていくのか。どちらにしても力押しで行く事は有り得ないだろうな」

 遠くからサッドの戦術を想い描いてみるバラザフだが、決め手となるものを彼の頭脳は導き出せなかった。

 その答えをサッドは意外な所から引っ張り出してきた。

 カルバラーの太守はハイレディン・フサインの臣である。覇王ハイレディンと言われる彼にとっても、アジャール軍はまだまだ恐るべき相手である。そのハイレディンが先のアジャール軍とレイス軍との戦いを見て、

 ――アジャール家に臣従する事を決意した。

 ため、カルバラーの城邑アルムドゥヌ も速やかにそれに従い開城せよ、というものであった。勿論、虚報である。

 カルバラーを調べさせていたアサシンから情報が入ってきた。

「カルバラーはハイレディン降伏の報を信じたということか」

「そのようで。いずれにしても戦いを避けるいい口実になるかと」

 同じ情報はアジャリアのもとにも上げられた。

「今回のサッド・モグベルの奇策は見事であった。カルバラーの城邑アルムドゥヌ を手に入れられた事は我が軍にとって大きい。これでレイス軍、フサイン軍を蹴散らしてやれるのう」

 カルバラーを支配下に収めたアジャール軍は城邑アルムドゥヌ を出て城壁の外で防備を固めた。バラザフのもとにはシルバアサシンから新たな情報が立て続けに入ってくる。

「レイス軍にハイレディン・フサインからの援軍三万が合流し、合わせて十万がナーシリーヤを出立」

 アジャリアはこのカルバラーでレイス軍を迎え撃つ心積もりでいる。

 ――今度こそレイス軍を逃がすまい。

 とバラザフは東の地平を睨んでいる。

 だが、三十万のアジャール軍がすでに待ち伏せていると見るや、ファリドは大慌てでナーシリーヤへ踵を返し始めた。

「またポアチャだな」

 食欲があろうとなかろうと、苛立って麺麭ポアチャ を齧っている、あるいは吐き出しているファリドの滑稽な姿をバラザフは想像していた。見苦しさもあそこまでいくと、逆に見物みもの である。

「ファリド・レイスという男はいつもアジャリア様の戦術に右往左往させられているのだな」

 ファリドの方ではフサイン家からの援軍と合わせた十万の兵を城邑アルムドゥヌ に篭城させて、

「何があっても城邑アルムドゥヌ の外に出るものか」

 と、卑屈さの色合いのある決意をしていた。

 ハイレディンの方でも、

「アジャール軍と剣を交えるのは自刎に等しい。嵐の後に晴れが来る僥倖をひたすら待て」

 とファリドに指示してきており、フサイン家の援軍の長にも、

「戦闘は不要。戦力の維持を最優先せよ」

 と守備一貫の命令をしていた。

 ナーシリーヤは、城邑アルムドゥヌ の領域の西から南東にかけてユーフラテス川が流れる。ファリドが城邑アルムドゥヌ に篭り守りの態勢に居るのであれば、川は護りの味方となるであろう。

 だが、敵はあのハイレディンですら恐れたアジャール軍三十万なのである。果たして川という味方もどれほど通用するものか――。苦い思いを身に染みさせてきた弱者にいつも付き惑う、漠然とした不安がそこにあった。


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2021年3月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_10

  バラザフは風を切って本陣から出てくると、

「フート。ファリドの動向を正確に掴んできてくれ。少しでも情報を得たら報告に戻るように」

 フートが部下を連れて風となって消えた。

 一人のアサシンが情報を持って戻ってきたのは、およそ一刻後の事である。

「敵の諜報部隊の主将は確かにファリド・レイス自身です。そして副将がイクティフーズ・カイフ。シャトルアラブ川を川沿いに下りハンマール湖の北辺りにまで来ています」

 ナジャルサミキ・アシュールの部隊は三万。今ではアジャール軍の中で最強の軍団である。ナジャルサミキはバラザフからその旨を受けて、全軍に臨戦態勢に入るよう命じた。

 バラザフとナジャルサミキが待ち受けている事をファリドは知らない。二万の将兵を率いて偵察だというのに警戒無く進軍してくる。バラザフの方は川辺の少し窪んだ場所に部隊を待ち伏せさせていた。弓隊を準備してある。

 ファリド・レイスという人物は慎重かつ粗忽な人物で、この時はその粗忽さがもろに現れて、偵察部隊の先頭に自身を置いていた。

 ――ヒュッ!

 と、ファリドの頭上に風を切る音が聞こえた。鳥梟の類であろうと上を見たレイス軍が、風切りの音の主が飛矢だとわかった時、すでに彼はすでに矢の雨の中でそれらを浴びていた。

 驚いたファリドは馬から転げ落ちて這い蹲って逃げようとしたが、この矢の雨の中、どちらに行けば命を拾えるのか全くわからない。ファリドの頭上から飛矢が襲いかかったとき、近侍していたイクティフーズ・カイフが外套アヴァー をファリドの上にかざ し、電光石火の速さで引いた。鏃が外套アヴァー に刺さった瞬間に、横に引き、害を免れる、達人にのみ出来る神技しんぎ であった。

 が、外套アヴァー に次々と矢が刺さり、この状況も長くはもちそうにない。イクティフーズはファリドを庇いながら後方を退いていった。其間、周りの兵士達の身体に弓矢が突き刺さり、次々と斃れてゆく。

「イクティフーズ! 最早生き残れん。武器を取って前に出るぞ!」

 イクティフーズの必死の護衛にもかかわらず、ほぼ絶念したファリドは喚いた。

「戦況をよく見られよ! 味方は敵の矢でほぼ全滅、前に進んでも冥府の門しかありませぬ。このイクティフーズがここで持ち堪える故、ファリド様は下がって命を拾われよ!」

 ファリドを叱咤すると、イクティフーズはファリドを馬上に戻して馬をはし らせた。あとは馬に任せる他無い。

 恐慌に陥っているレイス軍に、バラザフは騎馬兵を率いて斬り込みをかけた。さらにバラザフの後からアジャール軍最強のアシュール軍が騎馬部隊を前にして突撃をかける。

 砂塵が巻き起こり河川に沿って流れ、レイス軍を覆う。さらに水の方へ下りて、ざくざくと濡れた砂地を蹴り、アジャール軍がレイス軍を襲った。

 川辺に満ちる音は、鯨波、吶喊、馬が飛沫をあげる音、いなな き。バラザフは、退いてゆくレイス兵を掃討する形で、両手の諸刃短剣ジャンビア で、手当たり次第に斬り捨てていった。

 進むバラザフの前に一人の騎士が行く手を塞いだ。

「我が名はイクティフーズ・カイフ! これ以上進むとあらばここを貴様の死地と成すぞ!」

 ここまで退きながら猛攻を撃退していたイクティフーズの部隊が俄かに反転し、追撃してくるアジャール軍目掛けて反撃に駆けた。

 バラザフとイクティフーズ、それぞれの得物がすれ違いざまにぶつかり火花を散らす。

 両者は馬を反転させ、刃を交える事、五合、六合――。だが、息を弾ませながらも両者ともまだ馬上に在った。

「アジャール軍の謀将アルハイラト バラザフ・シルバ。その諸刃短剣ジャンビア 共々忘れぬぞ!」

「ファリドの槍、イクティフーズ・カイフか……。こちらもその名は忘れぬ」

 そして、バラザフは辺りの照顧を促すように、

「この混戦では互いに一騎打ちなど出来る状況ではない。勝負は次に預けておきたいと思うが」

「我はファリド様をお逃しするのが即今の使命。ここで決着をつけぬも異存なし。次までに死ぬなよ」

 と、イクティフーズは散らばっている兵を纏めて隊列を整えて押し寄せてくるアシュール軍への防備の姿勢を見せた。バラザフも自分の配下を集合させると、アシュール軍に合流した。

 互角に見えていた両者の戦いだったが、バラザフの方はかなり息も乱れ、後数回、刃を合せていれば、イクティフーズの槍がバラザフの心の臓を貫いていたかもしれなかった。

 戦場で敵同士という形で初めて顔を合わせた二人であったが、後に世代が代わった時、バラザフの長子サーミザフが、ファリド・レイスの孫娘を娶り、ファリドから領地を認められる事になるのだが、この娘の父親がイクティフーズ・カイフなのである。

 この時点でイクティフーズ・カイフ、二十四歳。バラザフ・シルバ、二十六歳。

 イクティフーズ・カイフは若さに似合わず、この撤退戦で類稀なる指揮能力を発揮した。自身が古今無双の勇将であったという事もある。

 単隊での防衛は柔らかき所を衝かれると、一瞬の内に部隊が壊滅する。だが、イクティフーズは徐々に部隊の戦力を削られながらも、持ち堪えて見せた。

 ファリドが視界から消え、戦線を離脱出来たのを確認すると、攻め来るアジャール軍に後退攻撃し、反撃しつつ撤退を成功させたのである。

 このイクティフーズ戦いぶりを見ていた、敵であるアジャール軍からも褒め称える声が聞こえてきた。


 ――ファリド・レイスに神は二つの勿体無い恩寵を与えた。

 ――イクティフーズ・カイフと彼のカウザ だ。


 この言葉が、やがて全体の歌となり戦場に響いた。


 ――ファリド・レイスに神は二つの勿体無い恩寵を与えた。

 ――イクティフーズ・カイフと彼のカウザ だ。


 イクティフーズのカウザ には二本の角が飾られていた。その飾りの角が炎を象形しており、それが彼の武威を一層華やかに衆目に映した。イクティフーズの優れている武具はカウザ だけではなく、彼の持つ槍もそうなのだが、この戦いではアジャール軍はその鋭さを殆ど味わわないで済んでいる。

 ファリドを逃す事には成功したレイス軍ではあったが、どの道崩壊を免れる道は無さそうである。押し返そうにも衆寡の差は明らかで、残された兵力も疲弊しきっていた。

「掃討戦のさらに掃討戦だ。退却するイクティフーズ・カイフの部隊に追撃をかけて、ファリド・レイスもここで討ち取ってやる」

 もはや勝ちの見えた戦いに、ナジャルサミキは意気込んだ。勢いがアジャール軍に味方している。

 戦いには慎重さをもって臨むバラザフだが、アシュール軍の追撃には賛成である。

 バラザフが部隊と共に駆けようとしたとき、後方で戦いの太鼓タブル が打たれた。だが、それは突撃を意味するものではない。退けというのである。

 ――なんだとっ。

 バラザフもナジャルサミキもこの撤退指示が信じられない。後方を見遣るとアジャリアの言葉を持って走り回っている伝令が見えた。

「アジャリア様から言葉を伝えに参った!」

 バラザフとナジャルサミキの姿を遠方より認めて伝令は声を張り上げた。

「追撃はならぬ。死を覚悟した敵を追えばこちらも無用に痛手を被る。二人の手柄此度はこれで十二分、との事である」

 伝令は、アジャリアの文言をそのまま伝えたようである。

「無理を承知した……」

 ナジャルサミキは不満をあらわにしたが、アジャリアの絶対命令を無視する事は出来ない。全軍に退却指示が出された。

 同じようにバラザフも配下に退却を指示するとともに、損害状況の調査を命じた。

「負傷者、二十名。戦死者は一人もおりません」

 その言葉はバラザフを安堵させたが、今度はアシュール軍の損害の方が気にかかる。

「アシュール軍、負傷者、一千名。戦死者、百五十名」

「レイス軍の損害はどうか」

「まだ詳細は把握しきれておりませんが、戦死者、五千名。負傷者は、ほぼ全員かと」

「確かに十二分な戦果だな」

 そして、配下を代表してフートに、

「今回の戦果はシルバ・アサシンの働きによるものが大きい。皆に分け与えよ」

 と、金貨を与え、

「肉もその他の食料も我が隊の荷隊カールヴァーン の分は好きにして良いぞ」

 と大盤振る舞いをした。

「俺がもっと出世して領地を殖やせたら、フートにも城邑アルムドゥヌ の一つくらい持たせてやりたいと思っているのだ」

 この時、遠くで雷鼓が鳴り震天して伝わってきた。空を見上げると、紫電が光るのが見えた。暗雲が立ち込めて、地上に雹雨をもたらさんとしていた。

「冷えそうだな。アジャリア様のお身体が心配だ。また体調を崩されなければよいが」

 バラザフの意図に反して、暗雲は刻々と深まってゆく。

 バラザフは身につけている武具の重みを感じた。初陣のとき初めて武器を持ち鎧を着たとき感じた重みではない。


 ――疲れたな。


 そして、いやな暗さだと思った。

 次に脳裏には、今日戦ったイクティフーズ・カイフの姿が浮かんだ。身も心も強い武人だった。あのままやり合っていれば、武技では確かに自分はあの男には敵わなかったはずだ。

 ここまで猛進してきたバラザフの歩みが少しだけ緩んだ。


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2021年2月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_9

  一月程経過し、涼やかな風が少しく吹くようになると、アジャリアの体調は回復の兆しを見せた。バラザフは、

 ――やはり酷暑が堪えたのだ。

 と、アジャリアの回復を喜んだが、食欲は戻ったものの、痩身は元の体格には戻る事はなかった。

 アジャリア自身は、

 ――そろそろ冥府の籍にわしの名が記される頃だ。

 と死期が近い事を悟り始めていた。

「今少し保たせてもらえまいか……」

 アジャリアはとにかくエルサレムに行きたかった。エルサレムに上って大宰相サドラザム のスィン家を輔弼する。でなければ、自身が大宰相サドラザム の位に就いて政務を執らねばならぬ。そうでなければ今の戦戈の入り乱れた世を安んずる事など出来ぬのだ。それまでは――、

「保たせなければならぬ」

 さらに半月程経ち、アジャール軍はエルサレムへ進発した。この時期あたりから、作物の類は夏季が最盛期の物から徐々に主役を降りてゆく。

 ワリィ・シャアバーンが今回も先陣を務める事になった。彼の配下の将兵は五万。リヤド近くのブライダーではサッド・モグベルがワリィの合流を待っている。ここにも五万の兵力が置かれている。

 アジャリアの本隊がハラドを発った。威風堂々とした九頭海蛇アダル が砂の海をのして進む。勿論、その一番の主の頭は本物・・ である。アジャリアの麾下にも五万の兵を編成した。

 アジャリア麾下の五万の中にバラザフの顔もあった。今回の出征で、バラザフはアジャリアの傍で務めようと決めていた。

 その他の部隊編成は、ナジャルサミキ・アシュール隊三万、アブドゥルマレク・ハリティ隊二万、カトゥマルのリヤド軍団三万、ナワフ・オワイラン隊四万、サイード・テミヤト隊三万と、総勢三十万を超す大軍である。さらにメフメト軍からも二万の援軍が送られてきている。

 メフメト軍との同盟が成ったとはいえ、後方のアルカルジは地方の諸族の向背が定まらぬ上にベイ軍の手出しが懸念される地域であり、ここをエルザフ・シルバ、アキザフ・シルバに押さえてもらい、自領北部のアラーをトルキ・アルサウドに守衛させて後ろを任せてから出立である。

 エルサレムへの道を、アジャリアは最短を採らなかった。

 アジャリアが通ろうとする道というのは、まずハラドからリヤドへと自領を西へ移動するアジャール軍の常套の行軍路から、さらに西へ進みブライダーを経由して、そこから一気に北上してナーシリーヤからエルサレムを目指すという道順である。

「ブライダーまで行ったのならアルサウド殿の居るアラーは、ジャウフを通ってそのまま西進すればエルサレムには近いのではないか」

 バラザフは、アジャリアの行軍路の意図をはかりかねていたが、思案の中、急に頭の奥に最短を採らなかった理由が浮かんできた。

「分かった。やはりアジャリア様は背後を気にされているのだ。最短で往けばナーシリーヤ、バスラのレイス軍を放置したままになる。となると、ハイレディンと雌雄を決する際にファリドが邪魔になってくるのだな」

 バラザフの推測は当たっていた。アジャリアはブライダーに着いてから軍団を三つに分けた。

「シャアバーンは別働隊として迂回し、かつ先行せよ」

 アジャリアは、シャアバーンには迂回してナーシリーヤに向うように、そして諜報を出してレイス軍の諜報を駆逐しながら進軍するように指示し、モグベルの部隊にはハイレディンへの威圧を目的とした上でのルトバの城邑アルムドゥヌ 制圧を命じた。ハイレディンの拠点のバグダードの西側にルトバは在る。

「そしてわしが本隊を率いて北上し、バスラの城邑アルムドゥヌ に入る手筈とする」

 バラザフの配下のシルバアサシンも、アジャリア本隊の諜報として動いている。隊が行軍する先々でレイス軍の諜報を始末するために、全方位に彼らは駆けている。

 バラザフは、アジャリアから賜ったカウザ を被って傍近くに勤めている。

「バラザフ、今わしら本隊はバスラを目指しているわけだが、その間のレイス軍の拠点をいくつか取ってゆく。理由はわかるな」

 アジャリアとバラザフの間には、しばしば、教練のような会話が交わされる。バラザフの脳裏には進軍先の地勢が描かれ、精一杯頭を回転させて、アジャリアの戦略的意図を考察した。

 アジャリアの計路の中には、アジャール軍の総帥がカトゥマルになる時代を想定して、バラザフをカトゥマルの参謀アラミリナ 、あるいは大臣ワジール として育成し、知識と知恵を今の内に注入しておこうというものがある。

 バラザフの方でも、平野や砂漠での戦い方、攻城と篭城のやり方、外交面を含めた戦略など、アジャリアの脳内にある財産を総じて自分の物にしたいというアマル を抱きながら日々を邁進しているので、二人の意志は絶妙に裏で合わさっていたといえる。

「我が愚才でアジャリア様のお考えを図るのは僭越ではありますが、バスラの南にあるズバイルを我が軍の拠点として今一度固め直すおつもりであると」

「そうだ。では、更にそれはなにゆえか」

「これらの城邑アルムドゥヌ の南にはレイス軍の拠点のサフワーンが在り、これを獲得できればバスラ、クウェート間、さらには東のブービヤーン島との拠点連携を図る事が出来るからです」

「バラザフよ、その心計は賞賛に値するぞ。我が意もお前の言葉通りである。つまりは、小さな拠点でも確実に手中に収めておく事が肝要となるのだ」

 とアジャリアはこの戦略性を説いた。だが、二人はこうした小さな城邑アルムドゥヌ を取るのに、戦術的には大した手間が要るとは考えていなかった。これらの城邑アルムドゥヌ の兵力はおよそ五千程度で、三十万の大軍で圧殺すれば余計な被害を出さずに、自ずと降伏を引き出す事が出来るはずである。

 この見込みは当たり、アジャール軍が城邑アルムドゥヌ を包囲すると、多くの将兵が投降してきて降伏勧告はすんなり通る事となった。敵味方共に無血のまま城邑アルムドゥヌ の獲得に成功したのである。

 これを聞いてファリド・レイスの頭は大いに混乱した。これらの城邑アルムドゥヌ がアジャール軍に落ちた事で、サバーハ家から独立後に獲得した領土を殆ど失ったからである。

「自分でアジャール軍の数を目で見てくる」

 こう言い出したら最後、非妥協的になってしまうファリドは二万の将兵を大偵察部隊に動員して出動した。偵察には多くても三百人で部隊を構成すれば十分足りるのであるが、主将自らが偵察に出るとなっては、一軍そのものを偵察部隊として稼動させなければならない。

 ――ファリド・レイスが偵察に動いてる。

 という情報がすぐバラザフに知らされた。

「それは確かなのだな、フート」

「ファリド自身が出る前に諜報を出しておりましたが、それとシルバアサシンが遭遇し、撃退する途中でその内の一人を捕縛しました。その者から出た情報です」

 バラザフがそれをアジャリアに上げると、アジャリアは口に僅かに笑いを浮かべて、こう命じた。

「ファリドの小僧が自ら偵察に出たがっているのであれば、それを待ち受けて、あわよくば始末してしまおう」

 アジャリアはバラザフを切り込み隊として、それにアシュール隊を付けて行かせた。後の煩わしさを今ここで消化しておけるかもしれない。だが、後の大戦に備えて強行な攻めはせぬようにと最後に加えた。


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2020年6月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_1

 メフメト軍との戦いから帰還してより、バラザフはまたアジャリアの傍で勤務するようになった。アジャリアの傍で働くのは近侍ハーディル として仕えていた少年時代以来である。
「戦いは敵兵を倒せばよいというものではない。城邑アルムドゥヌ を強引に奪い取ればよいというものでもない。敵も味方も出来うる限り死なせない事が最上だ。隊将は武技だけ持っていてもいかん。わかるな、バラザフ」
 勿論、バラザフにとっては言われるまでも無い極めて基本的な事柄ではあるが、アジャリアから慈愛を込めて含むように諭されると、その言葉が千金の価値があるように感じられるのだった。それはアジャリアから得られる知恵は漏らさず貪欲に吸収していこうとバラザフは常日頃から思っているからである。
 バラザフ・シルバ、二十五歳。ズヴィアド・シェワルナゼから戦術、城邑アルムドゥヌ 建設を習っていた懐かしき時代は、すでに十年も昔の事である。
 バーレーン要塞包囲から退却戦に勝利して帰還してすぐに宣言したように、平時に戻る暇を与える事無くクウェート侵攻を命令した。
「先の戦いで皆が疲れきっている事はわしも重々承知しておる。しかし、好機はメフメト軍が怯んでいる今、一瞬の時しかないのだ」
 大鳥ルァフ から毟り取った羽根がずっと生えずにいるだろうとは楽観出来ない。
「今しかクウェート侵攻を再開出来ないのだ」
 本当は味方の誰よりも将兵の疲労が分かっているアジャリアなのである。しかし、ここは配下に負担を掛けてでも断行したい計画で、ここまでそうなるように盤面を動かしてきたつもりだ。
 大鳥ルァフ の羽根が治らぬうちにクウェート獲得を成しえなければ、ナーシリーヤのファリド・レイスは、きっとバスラにまで手を伸ばしてくるに相違ない。急がなければ、その後も力を持つ者がどんどん後続し、勢力図は刻々と塗り替えられてゆくのである。
「思慮深きバラザフの事だ。わしが拙速に過ぎるように見えるであろう」
 出征の慌しさに全軍が包まれる中、アジャリアとバラザフだけになる事があった。
「決して拙速には見えません。アジャリア様のお言葉通りクウェート侵攻は今しかないでしょう。そうでなければ先の激戦が全て無駄になってしまいますから」
「戦略的な事では無いのだ。そうさな、言うなれば生き方よ。わしもそろそろ五十。命の尊さが自分でよく分かってきたと思える」
 戦いの前とはとても思えない程穏やかに好好爺は語る。
「お前はまだ若く勢いがある。わしはこの歳になって思うのは、これまで何を成して来たか、死ぬまで何を成すことが出来るのか、だ」
 アジャリアは真っ直ぐバラザフに向き直り、
「わしは生き切るぞ。せいぜい後五十年だ」
 と哄笑した。
 もちろんバラザフにとってはアジャリアのこの心境も彼の吸収すべき教材であると思っている。だが、実際それを理解するのは難しい。バラザフの中でアジャリアは正に神で、その神がこう ずる事は有り得なかった。
 アジャリアは後五十年と言ったが、彼自身にとってはこれは明らかな冗談でも、バラザフは現実的な数字として受け止めた。
「いずれにしても時は限られているのだ。よって、このクウェートをその限られた時の中で成し得ておきたい」
 アジャリアはここまで自身の心根を吐き出し、
「全軍出撃!」
 と気勢溢れる指揮官の顔に戻った。
 クウェートの南、沿岸沿いのカフジに前線の陣を置いてこの城邑アルムドゥヌ を包囲した。今回の前線の将軍はアジャリアの甥であるサイード・テミヤトがその任に就いている。
 アジャール軍がカフジの地に至るのはこれで三度目である。ハラドからリヤドを経由してカフジまでの行軍はおよそ二週間である。季節は冬の入り口に入り、酷暑と対照にあるこの時期は昼間は過ごしやすい。
 カフジから海岸沿いに進めばクウェートへは二日の距離であり、このカフジの城邑アルムドゥヌ を含めて南のメフメト軍を勢力圏を背にする格好である。
 以前にここを奪取して撤退と同時にアジャール軍が放棄したカフジは、再びメフメト軍の勢力下にあった。カフジの太守はファントマサラサティ・メフメトという者で、カウシーン・メフメトの弟である。
 アジャール軍はカフジの包囲を調え、夜になってバラザフは現地の案内人を連れて周囲の視察に出かけた。
 海岸に出て砂浜を歩いていると円錐状の物体がいくつも設置されているのを見つけた。
「何だあれは。メフメト軍の新しい罠か」
 案内人に尋ねると、円錐は砂蟹カボレヤ が巣穴を作るときに掘った砂を積んだものなのだという。よく見ると円錐状のそれは確かに積まれた砂で、恐る恐る足で蹴ると簡単に崩れた。
 内陸で生まれ育ったバラザフにとっては海洋の生き物のこうした生態はとても珍しいものだった。
 アジャリアは奇策百出の頭脳から、九頭海蛇アダル に喩えられるが、彼らは砂の海に棲む九頭海蛇アダル であって、本物の海とは実はあまり近しい存在ではないのである。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年4月25日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_40

 結局ファリドはバラザフに確約を与えた通りに、サフワーン攻撃に入った。バスラの包囲を解いてサフワーン攻撃に遷ったあたりをバラザフはファリドの中に義理を見たが、ファリドにしてみれば、
 ――どうせバスラを落としてもすぐアジャール軍に奪われるのであれば、気色を損なわないよう今は要求を呑んでおくか。
 という気であったかもしれない。
 ファリドの半ば諦めを含んだ読みは当たった。
 リヤドに居たカトゥマルの副官アルムアウィン サッド・モグベルが自身に与えられている部隊のみでバスラを占拠した。レイス軍に包囲され枯渇していたバスラは、包囲が解かれたので補給が行き来していたのであるが、その流れに乗ってモグベル隊は容易にバスラを取れた。
 ところがその先に流れがファリドを驚かす事になった。バスラ占領でほとんど力を失っていないモグベル隊は、勢いでそのまま西のハンマール湖を舟で渡り、ファリドの拠点であるナーシリーヤ周辺の集落を攻撃し始めたのである。
 これには辛抱強いファリドも本気で怒りを顕にした。
「悪辣なアジャリアめ! 利用するだけ利用して騙したのか!」
 持っていたポアチャを投げつけ、それを盛ってあった皿を蹴飛ばし、口に含んでいた物までも吐き出して喚き、耳まで赤くなって、もはや言葉になっていない叫びを撒き散らし続けた。
 ひとしきり大立ち回りを演じた後、アジャリアに背信を責める使者を遣ったが、
「今回のナーシリーヤ攻撃はアジャリア・アジャールが一切あずかり知らぬ事。こちらでも子細を調べた後でなければ対応できぬ」
 としか返答が得られず、拠点との間にモグベル隊が刺さった事で、レイス軍は孤立する状況に置かれてしまった。
「さすがに手広くやり過ぎたか」
 ファリドからの使者が退去すると、アジャリアは周囲のワリィ・シャアバーン、アブドゥルマレク・ハリティに漏らした。
「モグベル隊はアジャリア様の指示で動いていたのですか?」
「そうだ。だが、ファリドに気付かれては、もうナーシリーヤまでは取れんな」
 勿論、ファリドにとってもアジャリアの返答など信じられるはずもなく、急いでナーシリーヤまで撤退すると、矛先をアジャール軍に向けたまま、またハイレディンに頭を下げ、カウシーン・メフメト、サラディン・ベイとの同盟関係を急速に構築していった。結局、アジャリアの口車に乗ったファリド・レイスのクェート出兵は益無き事に終わった。

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2019年2月27日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_33

 アジャリアの裏が見えていたのはカウシーンばかりではない。クウェート侵攻を持ち掛けられたファリドも、クウェートはアジャリアがエルサレムに上るための最初の拠点にするつもりなのだと気付いた。
 レイス軍の主な城邑アルムドゥヌ ナーシリーヤ、ほぼ一点である。このレイス家の勢力を潰さずに保つには、フサイン家もしくはアジャール家の力を借りるしかなかった。そして二つを天秤にかけた結果、新興勢力のフサイン軍より、安定した強さを誇るアジャール軍を拠所としてアジャリア・アジャールの方を選んだというわけである。
「どうせアジャリアは我等にクウェートの半分すら分け前をくれる気は無いのだ。我等はアジャール軍という砂避けが手に入れば上々」
 とファリドは大して気乗りもしないクウェート侵攻に一応付き合ってやるつもりでいる。
「まったく。この寒い中に軍など出さなくてもいいのにな」
 馬上でポアチャを齧りながら、大欠伸するファリド。まるでやる気が無かった。

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