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2022年6月5日日曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第8章_3

  シルバ軍がハウタットバニタミムを落とした三ヵ月後、カトゥマルが突如としてアルカルジから攻略戦線を拡げると言い出した。

「シルバ軍には先陣を切るようにお達しが出ている。フサインやレイスの攻撃を警戒していなければならない今時期に何故だ」

 アルカルジをシルバ軍が押さえているのであるから、先駆けを命じられるのはよいとしても、バラザフにはこれは唐突な指示であるような印象を与えた。

 いざメフメト軍の城邑アルムドゥヌ を攻める段階になると、カトゥマルにしては珍しく、知略を使う攻め方をバラザフに問うた。

「バラザフ、このような小規模の城邑アルムドゥヌ は強攻めで取る事も出来なくはないだろう。だが、今は戦力を極力温存したいのだ。策略で落とす方法は何か無いか」

 バラザフもカトゥマルのこの方策は間違っていないと思った。十万の兵でアジャール軍が城邑アルムドゥヌ を包囲しているものの、相手の防御姿勢は堅調で、一気には落とせないと見通していたからである。

 バラザフは、今回、一緒に先陣の任にあるファヌアルクト・アジャールと方策の合議に入った。といっても合議が必要な込み入った案件も無く、バラザフの中でほぼ全て策定出来ていたが、先陣のもう一人の責任者であるファヌアルクトの面目を潰さないように配慮したに過ぎない。

「さすがはバラザフ殿。その策で行きましょう!」

 ファヌアルクトは猪突な性格が良い方向に伸びて、実直な好青年に成長していた。バラザフは恩師であるエドゥアルド・アジャールが大好きだった。そのエドゥアルドの遺児であるファヌアルクトに、バラザフは少し年の離れた弟のような情愛が湧いて、彼の行く末にも期待していた。

「昔からアジャール軍は大海を往く九頭海蛇アダル に喩えられています。シルバ殿の知略は正しくその九頭海蛇アダル の頭です。貴方の策なら間違いない」

「まだその策を示してはいませんよ」

「大丈夫です」

「では、敵を誘引する事にしよう。大軍である故こちらの軍紀が緩んでいるように見せるのです」

 バラザフが示した策をファヌアルクトは、素直に実行した。自分から策を生み出す事は無かったが、この青年は昔から作戦遂行能力は高い。

 城内から矢頃すれすれに部隊を布陣させて、ファヌアルクトは配下の将兵に武器を放擲させ、防具なども一切外して横になって休息を取らせた。まさに、だらけきっているぞという姿をありありと見せつけたのである。

 その上で、ファヌアルクトは、城邑アルムドゥヌ の中まで届くように声を張り上げて、

「お前達、怠慢が過ぎるぞ! 今、敵が出てきたら我等はひとたまりもないぞ!」

 と横になっている兵卒等の上に怒声を投げかけた。

 バラザフに示された作戦内容をファヌアルクトの主従は、敵に気取られる事なく巧くこなした。これがファヌアルクトの統率力が一定の水準を越えているとの、アジャール軍内での評価にもつながる。

 ファヌアルクトの部隊に作戦の表を任せておいて、バラザフの方では裏で動いた。シルバアサシンを城内に送り込んでまた言葉巧みに城兵の行動をこちらの意図通りに制御していた。

 ――アジャール軍はこちらが打って出る事は無いと思っているから、しばらく城攻めの気配はないぞ。

 ――じっとしれいれば今のところは安全だ。そのうちメフメト軍が援軍に来て援けてくれるはずだ。

 城邑アルムドゥヌ の外ではファヌアルクトに倦怠感を演出させる一方で、中では急場の意識を削いで、ゆるりとメフメト軍の援軍を待つように手なずけた。

 当然ながらメフメト軍の援軍は来ない。次の日もファヌアルクトの部隊は昨日と同じく緩慢な動きを見せている。

 そして、城内の兵士等が援軍への期待が不信に変わり始めた頃、

 ――メフメト軍の援軍はアジャール軍の別働隊に阻害されてここまでたどり着けないらしい。

 ――援軍を進めないようにしている間に、我等の水源を断って日干しにする策略らしいぞ。

 と、城内のアサシンは、今度は焦燥感を掻き立てる噂を流した。この流言は城内の兵によく利いた。

 城邑アルムドゥヌ の外に目を向けてみれば、よく見える距離でアジャール軍が十分な食事を与えられて、満腹に満足する表情を食事のたびに浮かべている。武具すら投げ出して、余裕この上無い。

 長期戦への準備のため、城邑アルムドゥヌ の中では食料割り当てが厳しく、中の兵士は自分達の空腹と外の満腹感が対比されて、精神的に堪えてきた。

「畜生。アジャール軍の奴等ゆっくり食事なんか摂りやがって」

「ここ数日武器を持った奴の姿を見ない。あいつなんか横になりっぱなしだ」

「油断しているアジャール軍を今叩いて、食料を頂戴したらどうだ」

 空腹に耐えに耐えている所へ、豊かに食事している姿を見せ付けられては、城内の兵士に、このように打って出よう、打って出たいという気運が高まっていくのは当然の事であった。

 バラザフの狙い通り敵はアジャール軍は悠長に休み続けると思い込んでいる。

 城邑アルムドゥヌ の上空の突如として火柱が昇った。戦火のそれではなく、ケルシュが城兵が攻撃に転化する事を中から信号を発してきたのである。

 バラザフは自らファヌアルクトの部隊に駆け寄って叫んだ。

「中から敵が出てくるぞ! 武器を拾って迎撃の準備をしろ!」

 ややあって目視で見張っていた兵も敵の動きを察知して味方に報知してきた。

「門が開いた! 打って出てくるぞ!」

 ファヌアルクトの部隊は武器だけ拾って起き上がった。もう防具を装備する時間は無い。敵の誘引に成功した反面、危険度の高い戦いとなる。

 敵が攻めに転じた時、弓矢や火砲ザッラーカ を使ってこなかったので、この賭けはまずアジャール軍側に有利になった。

 ファヌアルクト自身も槍を携え敵を迎撃した。彼も鎧を身に着けていない。後ろからバラザフが援護しているが、彼もまた軽装である。バラザフは得意の諸刃短剣ジャンビア を振り回して叫んだ。

「落ち着いて敵の剣筋を見ろ! こちらのほうが圧倒的に多いのだ。慌てなければ死なずに済む戦いだぞ!」

 そういう彼は諸刃短剣ジャンビア で左右の敵を受けている。

 バラザフの言ったように、兵力差を活かした戦い方でファヌアルクト、バラザフの部隊は着実に優勢に事を運んでいった。

 数えにして千程の時間が経過した。敵兵の一団は潰走し始め、中には武器を放り出して一目散に逃げる者もいた。

 ここまで来ると後は押し潰すだけで、アジャール軍は城内に逃げる兵と共に中へ奔流となって流れ込んだ。

 その奔流の先頭にバラザフがいた。こういうときのバラザフは智将から猛将に一変する。当たる先から敵兵が諸刃短剣ジャンビア の血祭りに上げられ悲鳴と共に倒れ伏してゆく。

 敵兵が押し出して来てから、城邑アルムドゥヌ が陥落するまで半刻も無かった。

 この戦いでの勇猛さが衆口に乗って周辺諸族に広まり、アジャール軍の威風は高揚した。

「シルバの勇猛さは同じ武人として誇らしい事この上無い。バラザフの勇猛さを一番良く分かっているのは、ずっと傍で見てきた私なのだ。さらに、それ以上に今回の作戦は見事だった。この地上にもはや九頭海蛇アダル の頭がバラザフ・シルバである事に異論をはさむ者はいまい」

 カトゥマルは満足げに、ファヌアルクトと同様にバラザフの智勇を九頭海蛇アダル の頭として賞賛するのであった。アジャール軍の中ではすでに自分達を世評と同じように九頭海蛇アダル に喩える事が一般的になっていた。

 その夜――。

 カトゥマルの方から供も連れずにバラザフの陣の天幕ハイマ を訪れた。

「バラザフにやってもらいたい仕事があるのだ」

 アジャール家の当主に就いてからカトゥマルはバラザフを家名で呼んでいた。今、こうして旧友として名前でバラザフを呼んだが、その声には懐かしさよりも、空虚な響きしか無い。

「カトゥマル様の方から私を訪れずとも、私は呼びつけて下さればよろしかったのです。それはさておき、如何なるご用件で」

 カトゥマルの空虚な雰囲気が表情にあらわれてきた。疲れている様子である。

「新しい城邑アルムドゥヌ 建設を総務してほしいのだ」

「新しい城邑アルムドゥヌ を」

「うむ。ハラドを放棄する」

「どういう事です」

「今のハラドを棄てて城邑アルムドゥヌ を新設したいと考えている。その総務をバラザフに任せたい。ズヴィアド・シェワルナゼ、エルザフ・シルバから築城技術を仕込まれたアブドゥルマレク・ハリティはもう居ない。今のアジャール軍を見渡せば、すでに築城技術を持つ武官はそなたしか居なくなっていたのだ」

 バラザフは黙ったままカトゥマルの話に耳を傾けていた。カトゥマルから出ている疲労感から、話はそれだけではないと察したのである。

「私がアジャール家を継いでから、古豪と呼ばれる猛者達が相次いで世を去ったと思えば、今度は側近と親族の派閥が反目している」

 カトゥマルは、アジャール家の現状を染み出るような言葉で、バラザフに語った。家臣の派閥同士の諍いが元で、自分がやろうとしている組織、経済、軍制等々の新生が思うように下の者の協力が得られないというのである。

「あまつさえ、ハイレディンの勢力は日増しに増長を続けるばかりなのだ。このような打つ手なしという状況が続けばアジャール家が時の流れから孤立してしまうのは目に見えている。我等が生き残ってゆくには確執の無い新たな場所でアジャール家を生まれ変わらせる必要があるのだ」

 切羽詰ったカトゥマルの言葉であった。

「それを余人に漏らさぬようにお一人でここまで参られたわけですか」

「うむ、そうなのだが……」

 カトゥマルの歯切れの悪さから、バラザフには果たしてこの密事が二人だけのものになるのかどうか、という疑いを持った。そしてやや思案し、

城邑アルムドゥヌ 新設の任、引き受けましょう。私の方から言うのも障りがありますが、カトゥマル様とは兄弟に等しき幼馴染。アジャリア様にも手塩にかけて育てていただいた、このバラザフ・シルバ。ここでカトゥマル様の頼みを断れば、冥府でこっぴどくアジャリア様に叱られましょう」

 役を受けると供に、バラザフはカトゥマルに笑みで返した。

 主命として下達すれば済むものをそうせずに、わざわざ自ら頼みに来る腰の低さに昔のような親しさを感じた。確かに事を漏らさぬという意図はあっての事だろう。だが、カトゥマルの態度からバラザフは、やはりこの人は一族を率いる身分になっても、

 ――驕慢とは別の世界に在る人だ。

 と感じていた。

 そして自分の持てる知識を全て、この城邑アルムドゥヌ 新設に注ぎ込もうと心に決めたのである。

 カトゥマルとバラザフが、城邑アルムドゥヌ 新設にここと決めた場所は、ハラドの旧城邑アルムドゥヌ から西に行軍距離で二日程の距離にあるタウディヒヤという集落のある場所で、大まかな工程としては、この集落を城壁で囲み城城邑アルムドゥヌ にしてしまうというものである。

 住民に給金を払って労働力として稼動させて、城邑アルムドゥヌ が完成すれば住民は新首都民になり、ハラドからも移住を受け入れる手筈である。

 このタウディヒヤは、ハラドとアルカルジのちょうど中間点にあたり、タウディヒヤからはアルカルジを挟んですぐリヤドとの行き来が可能になる。カトゥマルの中に、故郷であるリヤドに新首都を近づけたいという心境があったかどうかは、彼はそれは表には出さなかった。

 タウディヒヤの城邑アルムドゥヌ の新設のため、活動拠点を現地に遷さなければならないバラザフは、アルカルジ等の所領の仕置を、イフラマ・アルマライなどの信頼出来る血縁者の家臣に委任する措置をとった。

「あまり大きく作りすぎても、また移設という事も有り得るから規模の策定が難しい点だな」

 バラザフが城邑アルムドゥヌ の規模に深慮しているのは、防衛上の理由もある。大きすぎると警備の目が行き届かないし、内通者の発見も遅れる。小さすぎると兵員の常駐が困難になり、そもそも砦としての用を成さない。

 また視点を戦闘に置くならば、攻守の均衡の取れた備えがよく、一般論でありながら、最も実現が難しい事であった。

 また、生前ズヴィアド・シェワルナゼは築城について、

城邑アルムドゥヌ はそれ自体が巨大な生き物だ。中に住む人が生き延びられなくては機能しないものだ。生きるうえで一番大事な物は水だ」

 と、教えていた。

 水源の確保はどこの集落でも重要課題である。が、政策としての水源確保をせず、遠くに水を汲みに行かせるなどして、住民の負担とする諸族も多い。

 まず井戸ファラジ を掘って現存のものよりさらに数を増やし、貯水溝を用意しようと考えた。そして、

 ――水源。

 である。

 タウディヒヤの周辺には水源となり得るような、砂漠緑地ワッハ は無い。それゆえに今まで集落が城邑アルムドゥヌ にまで発展してこなかったといえるのだが、バラザフは、タウディヒヤの水源を自領のアルカルジから引いてこようと考えた。

 水を共有する事は命を共有する事である。バラザフが、カトゥマルを主君以上に、兄弟として信頼としている表れであった。

 ここまで決まった所で、労働力の供給が開始された。

「カトゥマル様、これがタウディヒヤの完成予定図となります」

 カトゥマルが絵図に目を落としている横で、バラザフは得意気な顔をしている。

「もうお気づきでしょう」

 カトゥマルは図を凝視している。そして、

「これは、まるでハラドの再現ではないか」

「その通りです。ハラドの城邑アルムドゥヌ をそのまま移写し、各区割りを模倣して建設する予定です」

 区画構成をハラドと同じくした事で、今までの防備訓練様式をそのままあてる事が出来、今までハラドを防衛していた兵員の負担も軽減される。

「新機を得て活路を見出そうというカトゥマル様の意図を汲ませていただくと同時に、旧臣が新体制に振り落とされぬよう配慮した設計になっております」

 そして、引いてきた水を城壁の外に貯水溝と濠を兼ねて備えておくことによって、農産の発展が期待でき、水に水牛ジャムス駱駝ジャマル などの動物が集まってきて、これらを捕獲すれば、住民にとっても益多き事になるのだと説明した。

 最後にバラザフは、全てを変えてしまうのではなく、旧き物からの微妙な変化が、新しき風を吹かせる要になるのではないかと、自分の意見を付言した。

 時代の急速な流れがカトゥマル・アジャールという一指導者に与えた時間はそれほど長くはない。カトゥマルとバラザフは、タウディヒヤの城邑アルムドゥヌ の建設を大急ぎで進めて完成させた。

 ハラドの城邑アルムドゥヌ という防備の一つの体系として確立していたものを模造したため、急ごしらえにしては、しっかりと砦としての用を成すものが出来上がった。


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2021年6月5日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第6章_3

  ウルク――。サマーワの東のワルカ遺跡は、かつてそう呼ばれたユーフラテス川沿いに成立した都市国家であった。神話の時代ともいえる旧年より幾度の興亡を繰り返したウルクは、最後の衰退と共に都市が放棄され、今は城郭が残るのみである。

 アジャール軍を追ってここまでやってきたファリドは、アジャールの軍隊が視界に見当たらないので、サマーワに帰還したものだと判断した。

 そしてサマーワの包囲戦に入るためウルクに野営を張って、火砲ザッラーカ の手入れを急がせた。今まで煮え湯を飲まされてきたアジャール軍に一泡吹かせてやる機会巡り来たとあって、ファリドを始めレイス軍の将兵はこの包囲戦に乗り気であったが、フサインの援軍の士気はいまいち上がらない。

「サマーワから迎撃隊が出てこないのだ。アジャリアめ、俺が怖気づいて追ってこれないと思っていやがるな」

 兵士たちに昼食を与え、武具の手入れも入念に行わせ、満を持して、

「強者とて慢心すればこうなるのだ!」

 ファリドが自ら鬨の声を上げ、包囲を号令した瞬間――、レイス軍は九頭海蛇アダル の腹に飲み込まれた。


「何だ。何が起こっているんだ!?」

 これからサマーワの城邑アルムドゥヌ を包囲してやろうと息巻いていた矢先、レイス軍はアジャール軍にぐるりと取り囲まれた。軍の外縁から兵が討ち取られる悲鳴が数多聞こえてくる。あんぐりと口を開けて周りに忙しなく頭を回すファリド。だが、その頭は、虚ろに開かれた口から指示を出させる程には機能していない――。

 状況が飲み込めぬまま死にゆくレイス軍に反して、アジャール軍の方では、バラザフが気にしているのは戦況よりもアジャリアの体調の事ばかりである。

「冷え込んできた。雨が降ってきそうだな」

 この出征中に体調を崩してから、一度もハラドに帰還していないのである。 

「体調はいかがですか、アジャリア様」

「わしはこのとおり元気だぞ」

「一度ハラドに戻られて休まれるべきかと」

「うむ、ひと段落ついたらな。今はあのファリドの小僧を相手するのが楽しい」

 この会話の間に、アシュール隊からの偵察からバラザフに情報が上げられた。今はバラザフはアジャリアの執事サーキン に等しい存在である。

「アシュール隊からファリド軍の陣容を報告してきました」

稲妻バラク であったと?」

「はい。アジャリア様の稲妻バラク を真似てサマーワを包囲するつもりであったようです」

 次にはフートも報告に入ってきた。

「我が軍がファリド軍を包囲して、稲妻バラク が崩れたというのだな?」

「そのとおりです」

「偽装退却の際にアシュール隊を最後尾にしていたのだ。ファリド軍は最初からアシュールの強兵に叩かれる事になろう」

 聞く前から報告される内容が全て分かっているかのようなアジャリアである。

 アジャール軍は陣容の先を尖らせるように変形させ、並列錐ミスカブ の形をとって、アシュールの強兵が敵陣を穿つ格好となった。その左右には統率力の強いハリティ隊、シャアバーン隊がきて、さらにその後ろに武勇で鳴るカトゥマル隊、オワイラン隊が続いている。

 レイス軍はサマーワを包囲してアジャール軍を干上がらせるつもりであったが、気づけば自分たちが囲まれていた。此度こそ勝ち戦だと思っていたのに、いつもどおり包囲されて風前の灯になっていた。

 レイス軍の騎兵ファーリス は、なんとか血路を開こうと決死の突撃をかけるが、先陣のアシュール隊に易々と討ち取られていった。

 アジャリアの手から指揮鞭代わりの革盾アダーガ が振り下ろされた。戦いの太鼓タブル が響いた。

 ――そのまま押せ。

 という事を全軍に伝達しているのであるが、その響きにはアジャリア軍の余裕が感じられる。

 アシュール隊の投擲部隊二千名が前に出てタスラムを投げつけた。これに当たったレイス軍の騎馬兵が数百名落馬した。

 投擲部隊はタスラムを投げ終わると後ろへ引き、次に火砲ザッラーカ 隊が前に出て炎を敵に浴びせた。

 レイス軍にも火砲ザッラーカ は配備されてはいた。だが、これから包囲する局面を想定していただけに、レイス軍の火砲ザッラーカ は後ろに控えていて、そのまま自分たちが包囲され密集状態によって火砲ザッラーカ は封滅されてしまっていた。

 完全に弱り目のレイス軍に対してアジャール軍は容赦せず、弓隊から矢の雨が注がれた。レイス軍の円の中心に矢が刺さってゆく。

 太鼓タブル の拍が短くなった。ついに、

 ――総攻撃。

 である。

 空も大地も紅く染まっている。

 この状況では総攻撃の太鼓タブル も、アジャール軍にとっては宵祭りの始まりを合図しているようなものである。

 今アシュール隊と正面で剣を交えているのは、レイス軍サーズマカ・ゴウデの部隊である。ゴウデの部隊は一万二千。押しつぶされそうな所まで押し込まれたものの、ここに至って奮起し、アシュールの部隊を押し返し始めた。

「いいぞゴウデ。もっと押し込め!」

 ゴウデ隊の勢いを見てファリドは、調子付いて命令した。

 だが、このゴウデ隊の勢いすらもアジャリアに仕組まれたものだった。

 ゴウデ隊が徐々に押して優勢になるように見せたのは、アジャリアの計画であり、ゴウデ隊を本体から隔絶させる狙いがあるのだが、レイス軍は全くわかっていなかった。

 アシュール隊が徐々に後ろに引いて退却すると、そこにシャアバーン隊四万五千が出てきて突出したゴウデ隊を包囲した。

 シャアバーン隊の特徴は駱駝騎兵である。砂地で機動に優れる

駱駝騎兵は狙った獲物は逃がさない。ゴウデ隊は一人、また一人と確実に数が削れてゆく。

 このゴウデ隊の死地にイクティフーズ・カイフが救援に駆けつけてきて、シャアバーン隊の横腹を突く形となった。

 受け持ちが一隊増えて、苦戦になりそうなシャアバーン隊だったが、アジャール軍からはハリティ隊が出てきて、シャアバーン隊の後方から追突撃を仕掛けた。

 最初に包囲を意図して敷いたレイス軍の稲妻バラク も、死の雲の中で虚しく霧散しようとしている。

 この乱戦にレイス軍から後詰の二隊が参戦して、乱戦の度合いはさらに深まっていった。

「アジャリア様、このバラザフも前線へ出させてください!」

 武人たちの熱き戦いを遠目に、むらむらとし始めたバラザフはアジャリアに自身の出陣許可を願い出た。

「まったく。初陣の若造でもないというのに。だが、お前のたぎ る血をこのまま抑え付けておくのも酷というものか。よかろう。その諸刃短剣ジャンビア の刃を敵の血で染めて参れ!」

  アジャリアはバラザフの戦意を飼い殺しにはしなかった。バラザフは素早く馬上に上がり、配下に号令した。

「見てのとおり夜戦となる。友軍相撃に厳に注意し手柄になりそうな敵を狙っていけ。命を無駄にするなよ!」

 馬で駆けて進むと、カトゥマルやナワフも前線に参戦する所であった。

「バラザフも来たか!」

「いかにカトゥマル様といえども戦場での獲物は譲れません」

「その壮語、後で後悔するなよ。アジャリアの剣の切れ味を後ろで眺めているがよい!」

「なら実力差を埋めるのが公平だ。先に行かせてもらいますよ!」

「あ、こら! 待たんか!」

 馴れ合いながら共に馬を進めて、カトゥマルとバラザフはレイス軍のボクオン隊に遭遇した。敵の側面である。

 まずバラザフが諸刃短剣ジャンビア で斬り込んだ。バラザフに斬られた騎馬兵が馬から落ちると、配下の兵がこれにとどめを刺す。さらにもう一人上等な武具の者を見つけてこれに切り込み、馬から下りて一対一で戦い、二、三度刃を交え、バラザフの諸刃短剣ジャンビア が相手の頚を一閃した。

「先に取られたか!」

 バラザフが先に手柄を立てたのを見てカトゥマルは悔しさを隠さなかった。二人とも純粋のこの競争を楽しんでいた。

 バラザフが次に探すのは、さらに立派なあの二本の角が飾られたカウザ である。イクティフーズ・カイフとまた勝負したいとずっと思っていた。だが、あの二本角のカウザ は視界には見つからない。この間にもバラザフの眼前ではレイス軍の騎馬兵が次々とアジャール軍の刃にかけられて戦死してゆくが、好敵手を求めて視線をはし らせる彼の眼には全く映っていない。

 と、イクティフーズ・カイフを捜しているその眼にレイス軍の本陣が見えた。

「カトゥマル様、レイス軍の本陣が見えました。ファリドの首を頂く好機! 一応お教えしましたので先に行かせてもらいますよ。では!」

 バラザフはファリドの本陣目掛けて疾駆した。今度はカトゥマルも待てとは言わなかった。敵軍の大将は目前である。味方同士の手柄争いで戦機を崩しては何の得にもならない。だが、

 ――あえて譲る必要もない。

 バラザフを追う形になってカトゥマルも駆ける。この二人が率いる数万も主達に付いてファリド本体に突撃した。

 こうした前線の熱気は後方で指揮するアジャリアには感得出来ない。不動、諜報よりの報告を受けて、自軍が疑いなき優勢にある事のみを知る。それだけでよい。

「バラザフは楽しんでおるか」

「は。カトゥマル様と一緒に駆けておられます」

「戦場は馬の遠出ではないぞ、まったく」

 責任ある将という身分なれば蛮勇は本来忌むべき事である。だがアジャリアは内心この二人の武人としての能力を愛していたし、次期当主となるカトゥマルと、その片腕になるバラザフの親交が良好である事も嬉しく思っていた。

 バラザフは駆けてファリドの本体に迫る。ファリドの近侍ハーディル が主君を護らんと、槍で突きを入れてくる。今、バラザフの獲物はファリド一人で、他は避けてファリドとの距離を近づけていった。

 ファリドを護衛していた近侍ハーディル 達の屍が徐々に増えてゆく。

 ――ここで戦死してやる!

 頭の熱くなったファリドは、馬に飛び乗って乱戦の中へ単騎駆けしようとした所を、一人の家臣が身体を張って制止した。

「我が命ファリド様のために散らせて見せます。ですから、ファリド様はナーシリーヤまで生き延びてください!」

 そう言うとその武侠ともいうべき家臣はファリドの馬をナーシリーヤへ向けて疾駆させた。

 このファリドの戦線離脱がバラザフに見えていた。

「ファリドが逃亡した! 皆、追って討ち取れ!」

 そう味方に檄を飛ばして、自身が先頭を切ってファリドを追撃しようとしたバラザフだが、レイス軍の槍兵が横一列に並んでゆく手を阻んでいる。

 だが、踏みとどまるべきこの状況で、バラザフは槍兵の列に突っ込んだ。まさに蛮勇というべき力で手近な敵兵の槍をへし折り、突破口の開けた瞬間、後ろから味方の部隊がレイス軍の槍兵の列を押し潰していった。

「戦場では戦機こそ大事。流れがこちらにあれば、そして慢心しなければ、流れには裏切られないものだ」

 近侍ハーディル として仕えていた頃よりアジャリアの傍で戦場で培ってきた経験である。


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2021年3月5日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第5章_10

  バラザフは風を切って本陣から出てくると、

「フート。ファリドの動向を正確に掴んできてくれ。少しでも情報を得たら報告に戻るように」

 フートが部下を連れて風となって消えた。

 一人のアサシンが情報を持って戻ってきたのは、およそ一刻後の事である。

「敵の諜報部隊の主将は確かにファリド・レイス自身です。そして副将がイクティフーズ・カイフ。シャトルアラブ川を川沿いに下りハンマール湖の北辺りにまで来ています」

 ナジャルサミキ・アシュールの部隊は三万。今ではアジャール軍の中で最強の軍団である。ナジャルサミキはバラザフからその旨を受けて、全軍に臨戦態勢に入るよう命じた。

 バラザフとナジャルサミキが待ち受けている事をファリドは知らない。二万の将兵を率いて偵察だというのに警戒無く進軍してくる。バラザフの方は川辺の少し窪んだ場所に部隊を待ち伏せさせていた。弓隊を準備してある。

 ファリド・レイスという人物は慎重かつ粗忽な人物で、この時はその粗忽さがもろに現れて、偵察部隊の先頭に自身を置いていた。

 ――ヒュッ!

 と、ファリドの頭上に風を切る音が聞こえた。鳥梟の類であろうと上を見たレイス軍が、風切りの音の主が飛矢だとわかった時、すでに彼はすでに矢の雨の中でそれらを浴びていた。

 驚いたファリドは馬から転げ落ちて這い蹲って逃げようとしたが、この矢の雨の中、どちらに行けば命を拾えるのか全くわからない。ファリドの頭上から飛矢が襲いかかったとき、近侍していたイクティフーズ・カイフが外套アヴァー をファリドの上にかざ し、電光石火の速さで引いた。鏃が外套アヴァー に刺さった瞬間に、横に引き、害を免れる、達人にのみ出来る神技しんぎ であった。

 が、外套アヴァー に次々と矢が刺さり、この状況も長くはもちそうにない。イクティフーズはファリドを庇いながら後方を退いていった。其間、周りの兵士達の身体に弓矢が突き刺さり、次々と斃れてゆく。

「イクティフーズ! 最早生き残れん。武器を取って前に出るぞ!」

 イクティフーズの必死の護衛にもかかわらず、ほぼ絶念したファリドは喚いた。

「戦況をよく見られよ! 味方は敵の矢でほぼ全滅、前に進んでも冥府の門しかありませぬ。このイクティフーズがここで持ち堪える故、ファリド様は下がって命を拾われよ!」

 ファリドを叱咤すると、イクティフーズはファリドを馬上に戻して馬をはし らせた。あとは馬に任せる他無い。

 恐慌に陥っているレイス軍に、バラザフは騎馬兵を率いて斬り込みをかけた。さらにバラザフの後からアジャール軍最強のアシュール軍が騎馬部隊を前にして突撃をかける。

 砂塵が巻き起こり河川に沿って流れ、レイス軍を覆う。さらに水の方へ下りて、ざくざくと濡れた砂地を蹴り、アジャール軍がレイス軍を襲った。

 川辺に満ちる音は、鯨波、吶喊、馬が飛沫をあげる音、いなな き。バラザフは、退いてゆくレイス兵を掃討する形で、両手の諸刃短剣ジャンビア で、手当たり次第に斬り捨てていった。

 進むバラザフの前に一人の騎士が行く手を塞いだ。

「我が名はイクティフーズ・カイフ! これ以上進むとあらばここを貴様の死地と成すぞ!」

 ここまで退きながら猛攻を撃退していたイクティフーズの部隊が俄かに反転し、追撃してくるアジャール軍目掛けて反撃に駆けた。

 バラザフとイクティフーズ、それぞれの得物がすれ違いざまにぶつかり火花を散らす。

 両者は馬を反転させ、刃を交える事、五合、六合――。だが、息を弾ませながらも両者ともまだ馬上に在った。

「アジャール軍の謀将アルハイラト バラザフ・シルバ。その諸刃短剣ジャンビア 共々忘れぬぞ!」

「ファリドの槍、イクティフーズ・カイフか……。こちらもその名は忘れぬ」

 そして、バラザフは辺りの照顧を促すように、

「この混戦では互いに一騎打ちなど出来る状況ではない。勝負は次に預けておきたいと思うが」

「我はファリド様をお逃しするのが即今の使命。ここで決着をつけぬも異存なし。次までに死ぬなよ」

 と、イクティフーズは散らばっている兵を纏めて隊列を整えて押し寄せてくるアシュール軍への防備の姿勢を見せた。バラザフも自分の配下を集合させると、アシュール軍に合流した。

 互角に見えていた両者の戦いだったが、バラザフの方はかなり息も乱れ、後数回、刃を合せていれば、イクティフーズの槍がバラザフの心の臓を貫いていたかもしれなかった。

 戦場で敵同士という形で初めて顔を合わせた二人であったが、後に世代が代わった時、バラザフの長子サーミザフが、ファリド・レイスの孫娘を娶り、ファリドから領地を認められる事になるのだが、この娘の父親がイクティフーズ・カイフなのである。

 この時点でイクティフーズ・カイフ、二十四歳。バラザフ・シルバ、二十六歳。

 イクティフーズ・カイフは若さに似合わず、この撤退戦で類稀なる指揮能力を発揮した。自身が古今無双の勇将であったという事もある。

 単隊での防衛は柔らかき所を衝かれると、一瞬の内に部隊が壊滅する。だが、イクティフーズは徐々に部隊の戦力を削られながらも、持ち堪えて見せた。

 ファリドが視界から消え、戦線を離脱出来たのを確認すると、攻め来るアジャール軍に後退攻撃し、反撃しつつ撤退を成功させたのである。

 このイクティフーズ戦いぶりを見ていた、敵であるアジャール軍からも褒め称える声が聞こえてきた。


 ――ファリド・レイスに神は二つの勿体無い恩寵を与えた。

 ――イクティフーズ・カイフと彼のカウザ だ。


 この言葉が、やがて全体の歌となり戦場に響いた。


 ――ファリド・レイスに神は二つの勿体無い恩寵を与えた。

 ――イクティフーズ・カイフと彼のカウザ だ。


 イクティフーズのカウザ には二本の角が飾られていた。その飾りの角が炎を象形しており、それが彼の武威を一層華やかに衆目に映した。イクティフーズの優れている武具はカウザ だけではなく、彼の持つ槍もそうなのだが、この戦いではアジャール軍はその鋭さを殆ど味わわないで済んでいる。

 ファリドを逃す事には成功したレイス軍ではあったが、どの道崩壊を免れる道は無さそうである。押し返そうにも衆寡の差は明らかで、残された兵力も疲弊しきっていた。

「掃討戦のさらに掃討戦だ。退却するイクティフーズ・カイフの部隊に追撃をかけて、ファリド・レイスもここで討ち取ってやる」

 もはや勝ちの見えた戦いに、ナジャルサミキは意気込んだ。勢いがアジャール軍に味方している。

 戦いには慎重さをもって臨むバラザフだが、アシュール軍の追撃には賛成である。

 バラザフが部隊と共に駆けようとしたとき、後方で戦いの太鼓タブル が打たれた。だが、それは突撃を意味するものではない。退けというのである。

 ――なんだとっ。

 バラザフもナジャルサミキもこの撤退指示が信じられない。後方を見遣るとアジャリアの言葉を持って走り回っている伝令が見えた。

「アジャリア様から言葉を伝えに参った!」

 バラザフとナジャルサミキの姿を遠方より認めて伝令は声を張り上げた。

「追撃はならぬ。死を覚悟した敵を追えばこちらも無用に痛手を被る。二人の手柄此度はこれで十二分、との事である」

 伝令は、アジャリアの文言をそのまま伝えたようである。

「無理を承知した……」

 ナジャルサミキは不満をあらわにしたが、アジャリアの絶対命令を無視する事は出来ない。全軍に退却指示が出された。

 同じようにバラザフも配下に退却を指示するとともに、損害状況の調査を命じた。

「負傷者、二十名。戦死者は一人もおりません」

 その言葉はバラザフを安堵させたが、今度はアシュール軍の損害の方が気にかかる。

「アシュール軍、負傷者、一千名。戦死者、百五十名」

「レイス軍の損害はどうか」

「まだ詳細は把握しきれておりませんが、戦死者、五千名。負傷者は、ほぼ全員かと」

「確かに十二分な戦果だな」

 そして、配下を代表してフートに、

「今回の戦果はシルバ・アサシンの働きによるものが大きい。皆に分け与えよ」

 と、金貨を与え、

「肉もその他の食料も我が隊の荷隊カールヴァーン の分は好きにして良いぞ」

 と大盤振る舞いをした。

「俺がもっと出世して領地を殖やせたら、フートにも城邑アルムドゥヌ の一つくらい持たせてやりたいと思っているのだ」

 この時、遠くで雷鼓が鳴り震天して伝わってきた。空を見上げると、紫電が光るのが見えた。暗雲が立ち込めて、地上に雹雨をもたらさんとしていた。

「冷えそうだな。アジャリア様のお身体が心配だ。また体調を崩されなければよいが」

 バラザフの意図に反して、暗雲は刻々と深まってゆく。

 バラザフは身につけている武具の重みを感じた。初陣のとき初めて武器を持ち鎧を着たとき感じた重みではない。


 ――疲れたな。


 そして、いやな暗さだと思った。

 次に脳裏には、今日戦ったイクティフーズ・カイフの姿が浮かんだ。身も心も強い武人だった。あのままやり合っていれば、武技では確かに自分はあの男には敵わなかったはずだ。

 ここまで猛進してきたバラザフの歩みが少しだけ緩んだ。


※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。


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2019年11月25日月曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第3章_19

 ハサーの包囲はナビール・ムフティという家来の部隊に任せて、自身はダンマームへ向けて出発した。アジャリアはダンマームの攻撃もカトゥマルに任せるつもりでいる。
「カトゥマル、ダンマーム攻撃でもお前が指揮を執るのだ。もちろんバラザフも一緒ににな。それとファヌアルクトを副将とする」
 ファヌアルクト・アジャール。ベイ軍との戦争で戦死したエドゥアルド・アジャールの息子であり、その名に猫の牙の意味を持つ彼は、その名の如く素早く敵を仕留めるの攻撃を得意としている。が、人を殺めた事はまだ無い。カトゥマルにとっては従兄弟であり弟のような間柄である。バラザフにとっては敬愛していた師匠の子供という事になる。カトゥマル同様、アジャリアの剣として武勇を賞賛されてはいるが、その実、猪突な性格で周囲を困らせる事もしばしばである。
 ダンマームはバーレーン要塞の西の対岸にあり、要塞の緩衝の役割を持つ拠点である。ペルシャ湾では一、二を争う貿易港で現代経済の中心地の一つであるアル・コバールと連携され、リヤドとも繋がっている。経済活動は農業、酪農を中心に行われている。
 太守はカウシーン・メフメトの子バヤズィト・メフメトが務めている。バヤズィト・メフメト、二十五歳。カトゥマル・アジャール、二十五歳。今、ダンマームの守備に二万の兵が充てられていて、しかもつわもの揃いである。太守バヤズィトも戦いの指揮に関しては、腕に覚えがある。だが、アジャリア・アジャールが二十万の大軍で接近していると知らされて、その自信は翳り始めていた。何をされるかわかったものではない。
 目下、アジャール軍のナジ・アシュールと一万の兵らが陣を張り始めているのが見える。バヤズィトの認識ではアジャリア本隊はまだハサーに居る事になっている。
 ――アジャリアがやってくる前にこいつらだけでも片付けよう。
 アジャリアさえ居なければまだやり様はいくらでもあるはずであった。
「あそこに居るアジャリアはおそらく幻影タサルール とやらだろう。勝てるうちに勝っておく」
 到着して間もないアシュール軍を、ダンマームの兵が襲った。しかし、敵の一万に一万五千を当てて戦ったにも関わらず、メフメト軍は崩れて城内へ逃げ込んだ。
 ――アシュール軍に居るアジャリアは本物だ。
 という認識をダンマーム側は持つようになり、それが報告としてバーレーン要塞にも伝えられた。ここでも幻影タサルール 効果が出始めている。
 ダンマームの緒戦の勝利はアジャリアの機嫌を大いに良くし、彼の食指をまた進ませた。
「カトゥマル。一週間でダンマームを陥とせ。アシュールの強兵を頼みとすれば強攻めでも良かろう」
 これにカトゥマルも大きく頷いた。元より猪突な性格の彼であるから、アジャリアのこの意に異を挟むものではなかった。傍で聞いていたバラザフもアジャリアの意向ならばと、攻撃の準備に入った。とはいえ城邑アルムドゥヌ 攻めるのはいつもながら楽観視は出来ない。バラザフは自分の部隊に十倍の敵と戦う覚悟を持つよう引き締めた。
「強攻めは無駄死にせよという意味ではないからな。奇策を用いぬというだけだぞ」
 両軍の矢が飛び交い、火砲ザッラーカ が火を噴いた。
「城の区画を少しずつ削るように取っていきましょう」
「だが父上は一週間で陥とせと仰せであった」
「十分出来うる時間かと存じますが」
 この日のうちに城から打って出る部隊があり、カトゥマル自らが単騎駆でこの隊を打ち破った。
「アジャリアの剣、カトゥマル・アジャールぞ! 冥府を希望する者は我が前へ出よ!」
 その後は乱戦になった。敵兵を跳ね飛ばして進み、敵将に一騎打ちを仕掛ける様は猪突な彼の性格をそのまま現していると言ってよかった。
 このカトゥマルの暴走ともとれる奮闘は結果として敵の意気を挫き、味方の士気は大いにあがった。補佐としてついているバラザフにとっては冷や汗ものだったが、幼馴染のカトゥマルが手柄を立てる雄姿を見て、心晴れやかになる部分も少なからずあった。
 カトゥマルと同じ毛色のファヌアルクトもこれに手放しで喜び、
 ――次は自分が単騎で駆けてやろう。
 と意気込んだ。
 バラザフはこの機に城内に退却する敵兵と共に中へ乱入した。先陣に出て戦うカトゥマルに触発され、闘志に火がついたのである。シルバ軍は逃げ込む城の兵の直後に付けて、気付かれないまま楽々と門を潜り、一区画を突破した。その辺り、闘志の火の中にバラザフは彼らしい冷静さも隠し持っていた。
 一つ目の広場に出た所で、
火砲ザッラーカ に備えよ」
 と注意を喚起した。城内で火砲ザッラーカ の集中砲火を浴びて一網打尽にされる危険がある事は最初に危惧したとおりである。ここまで突入してきたのも見込みの要素が大きい。
 部隊に防衛線を準備させている間に、城内の地勢を見渡すと奥の塔の上で質の良さそうなコラジン を着た若い将が自ら火砲ザッラーカ を構え砲口をこちらに向けている。
 ――あれが太守のバヤズィトだな!
 咄嗟にそう判断したバラザフは、腰の諸刃短剣ジャンビア を抜いて、バヤズィトを思しき人物目掛けて、目一杯力を込めて投げつけた。
 放たれた諸刃短剣ジャンビア はバヤズィトではなく彼の構えている火砲ザッラーカ の砲口へ入った。火砲ザッラーカ の火は外へ噴かず諸刃短剣ジャンビア のせいでこもる様に暴発して、爆炎がバヤズィトを包んだ。
 バヤズィトは近侍の者に介抱されて、そのまま姿を消した。
「狙い外したが案外届くものだろう」
「兄上、あの諸刃短剣ジャンビア は」
 バラザフの持つ諸刃短剣ジャンビア の貴重さをレブザフは知っている。
「数あわせで買った一本だ。それ以外はどれも失うわけにはいかぬ代物だから」
「咄嗟に一本を選ぶとは」
「普段からこれを抜くように訓練していただけさ」
 バラザフは空になった諸刃短剣ジャンビア の鞘を軽く叩いた。
「とはいえ、男の誇りである諸刃短剣ジャンビア を投げつける事自体、あまり感心は出来ませんよ」
「今後は常に投槍ビルムン の者でも待機させておくか」
 バラザフはほとんど気にしていない。
「おそらくバヤズィトは大火傷を負っただろうから、しばらく指揮は執れないだろう」
 そして先に命じておいた火砲ザッラーカ 対策の砂袋と防衛の隊列が整ったところで、奥の区画の門が開き敵の火砲ザッラーカ がまたもや火を噴いてきた。
「砂は投げなくていい。積み上げて門を塞いでしまえ」
 と、炎による攻撃を封じてから、
「弓兵、塀越しに矢を射掛けてやれ」
 三百人の弓兵が上に向って矢を乱射する。バラザフ部隊に所属する弓兵達も委細心得ていて、門の向こう側の敵兵に当たるように、天を射抜くような角度で弓矢を構えて放ち続ける。
 シルバの弓兵は城内の火砲ザッラーカ 隊を駆逐した。火砲ザッラーカ 部隊は前方が塞がれ、どうしたものか往生しているうちに、上から矢の雨が降ってきて、為す術無く自分の身体を矢に晒す他なかった。
「期限まであと残すところあと一日だが、我等の盛んな攻撃でダンマームもあとは中央だけだな」
 カトゥマルもバラザフも戦果に大いに満足していた。
 しかし、ここに至ってアジャリアの口から退却の命が出た。アジャリア本陣では三人のアジャリア・アジャールが威風堂々として座している。
 ――アジャリア様が三人も居るぞ。
 諸将は自分達の目に映るこの信じがたい状況について囁き合っているが、アジャリアはこれに一切取り合う様子も無く、
「今日までのダンマーム攻撃の戦果とは何か。敵に恐怖を植え付けた事である。これはバーレーン要塞の布石と心得よ」
 と改めて諸将に方針を訓示して、
「カトゥマル、静かにダンマームの包囲を解除せよ。今宵の内にダンマームを去るぞ」
 と即時撤退を命じたのである。
 明朝、全身火傷の身体を包帯に包んだバヤズィトは、痛みを我慢しながら指揮に出ようとしていた。
九頭海蛇アダル はどうした…」
九頭海蛇アダル などおりません」
「そうではない。アジャール軍だ。奴等から何としてでもこのダンマームを死守しなければ……」
 塔に登ってバヤズィトが見た物は、一週間前と同じ砂漠の静かな朝靄だけであった。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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