アジャリアが想定したとおり、宵闇に城内から偵察兵が出てきた。これがバラザフが手配しておいたアサシンの罠に掛かった。アサシンの長はフート、つまり鯱と呼ばれている。元々、父エルザフに仕えていたが、現在シルバのアサシン団の半数がこのフートと共にバラザフの配下として働いている。
「メフメトの偵察兵を捕獲……」
フートはいかにも裏舞台で生きる者らしく静かにバラザフに報告を入れた。
「何か吐いたか」
「五百名程で出撃してくる模様」
「それは俺たちで対処しよう。お前達は配置に戻れ」
その情報をすぐにカトゥマルに入れて、迎え撃つ備えをしなければならない。
「日が昇る前に来そうか」
「おそらく」
「俺も出撃する」
「それはなりません」
バラザフは、参戦するつもりでいるカトゥマルを、小規模戦闘には総大将は出るべきではないとして制した。まだカトゥマルにはアジャリアの剣として戦っていた武人として気質が抜けない。バラザフにアジャール軍の系譜である事を再認識させられて、ここは彼らに任せておく他なかった。
「こちらが待ち構えているのは向こうも承知だ。その上で出てくるのだから敵は死力を尽くして来るぞ」
――火砲
! 一気に撃て!
バラザフが配下を引き締めたその時、城内から火砲
が火を噴いてきた。
「慌てず砂袋投げ掛けてやれ」
兵達が射線に向けて砂の詰まった袋を投げる。袋は空中で火の玉となり砂が舞った。無数の砂粒が拡散して霧のように膜になり炎を防ぎ熱を吸収している。撒き散らす砂の中で、袋の一つが爆破した。
「誰だ! 間違って小麦粉を投げた奴は」
どうやら準備の段階で糧秣の袋が一つ紛れてしまったようだ。その炎もやがて舞う砂に呑み込まれ消し去られていった。誰に対してというわけでもなく兵を怒鳴りつけたバラザフだったが、内心に怒りは無い。火砲
の炎を巧く防ぎ、緒戦から上首尾である事への高揚の顕れである。
やがて炎が途切れ、敵が門扉を大きく開き、百名程が打って出てくるのを機に、
「今だ! 矢を射かけよ!」
と反撃を命じた。
門から出てくる敵に真横に射られた矢が突き刺さってゆく。ほぼ狙撃の形に近い。
バラザフは弓兵を百人ずつ三部隊を編成していた。この三部隊で射撃稼動を循環させ、メフメト軍を襲う弓矢の凪は生じなかった。
幸運にも撃ち漏らされて弓隊に一矢報いんと突撃をかける者も、脇に配置されたアサシンの投擲で着実に始末されていった。
当然、バラザフは定石である槍兵も用意している。二百名の槍兵が門の傍で転倒している敵兵に止めを刺さんと襲い掛かる。その横を次の火砲
に備えて砂袋を携えた軽歩兵が駆け抜けてゆく。
――これしきの小競り合いでは少しの損害も出したくないからな。
奇策という程の戦術ではない。だがバラザフは一手一手を細やかに指示して、味方を一人も死なせなかった。門の所には百を越える骸がある。それらはすべてメフメト兵で生者は全てアジャール兵である。
「これで十分だ! 一旦退くぞ」
僅かに生き残った敵兵が城内に退却してゆく。良い戦果だとバラザフは認識していた。ここで逃げてゆく敵兵と一緒に門内へ駆け込んで攻撃するという手もある。だがバラザフはその戦術を取らなかった。
「門が開いている内に駆け込まないのですか?」
例によってレブザフが尋ねる。
「うむ。敵が先に火砲
を使ってくれたのが幸いした。あれを知らずに城内に駆け込んでいれば、門を閉められて今頃集中砲火で一網打尽になっていたところだな」
「ついていましたね」
「ついていた。全てを想定しきるのは至難だからな」
この時、フートの配下が城内へ駆け込んで様子を窺って来た。そして城内では火砲
が構えられ、弓兵も多数待機していると、バラザフの予想を裏付ける報告をした。
「手際の良い見事な戦術だった。見た目は小競り合いだがこの勝利は大きな意味を持つだろう」
レブザフを通して報告を受けたカトゥマルは満足な様子を隠さず表した。
「俺はバラザフの活躍が我が事のように嬉しい。勿論父上もお喜びだった」
アジャール軍の士気が上がる一方で、この一戦でメフメト軍の士気は一層低下し、中から突進してくる気概はすっかり失せてしまったようである。だがアジャール軍はおとなしくなったメフメト軍を黙って囲んでおけばよいというわけにはいかず、ベイ軍やバーレーンのメフメト軍からの援軍を相手した小戦闘はしなければならなかった。
アジャリアはこれらの戦闘の勝利に満足しつつ、ついに自らも稼動体勢に入った。
「ハサーの包囲はここまでだ。次はダンマームに向う。ナジ・アシュールが待っている頃合だ」
「ダンマーム攻略に入るのですか」
傍に仕えていたワリィ・シャアバーンが尋ねた。
「取れるものなら取っておきたい。が、強攻めは不要。ハサーと同様にダンマームもアジャール軍に手出しが出来なかったと、バーレーンのカウシーンとシアサカウシンに知らしめるのが目的だ」
――アジャリア様の狙いがハサーでもダンマームでもないとは思っていたが。
――さりとてバーレーン要塞を本気で攻撃するとも思えんな。
事ここに至ってもアジャリアの真意が読めず、ワリィとアブドゥルマレクは囁き合っていた。
――カウシーン・メフメト殿にこれから会いにゆくのだ。
アジャリアは記憶の中のカウシーン・メフメトという人物と対面しようとした。が、
「傷だらけだったのは憶えているが、なぜか目鼻がちっとも思い出せんな……」
――この方はアジャリア様だったはずだが、いつの間にやら幻影
と入れ替わったのか?
「お前たち。わしは本物のアジャリア様ぞ。ん?」
ワリィとアブドゥルマレクの囁きをアジャリアは愉悦を含んで窘めた。
――今、アジャリア様
と仰ったぞ。
――だが、あの自信はご本人の物に他ならぬ気がする。
もはや重臣達ですら真実が分からなくなっていた。二人は臣下としてはいささか不敬な程、アジャリアをじっと観察している。
「面白くなってきた。ダンマームで待つアシュールの部隊にもわしが居る。メフメト軍の目にはこれはど映るだろうか」
悪戯を仕掛けてその成果を待つ悪童のようにアジャリアは一人笑っている。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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フートはいかにも裏舞台で生きる者らしく静かにバラザフに報告を入れた。
「何か吐いたか」
「五百名程で出撃してくる模様」
「それは俺たちで対処しよう。お前達は配置に戻れ」
その情報をすぐにカトゥマルに入れて、迎え撃つ備えをしなければならない。
「日が昇る前に来そうか」
「おそらく」
「俺も出撃する」
「それはなりません」
バラザフは、参戦するつもりでいるカトゥマルを、小規模戦闘には総大将は出るべきではないとして制した。まだカトゥマルにはアジャリアの剣として戦っていた武人として気質が抜けない。バラザフにアジャール軍の系譜である事を再認識させられて、ここは彼らに任せておく他なかった。
「こちらが待ち構えているのは向こうも承知だ。その上で出てくるのだから敵は死力を尽くして来るぞ」
――
バラザフが配下を引き締めたその時、城内から
「慌てず砂袋投げ掛けてやれ」
兵達が射線に向けて砂の詰まった袋を投げる。袋は空中で火の玉となり砂が舞った。無数の砂粒が拡散して霧のように膜になり炎を防ぎ熱を吸収している。撒き散らす砂の中で、袋の一つが爆破した。
「誰だ! 間違って小麦粉を投げた奴は」
どうやら準備の段階で糧秣の袋が一つ紛れてしまったようだ。その炎もやがて舞う砂に呑み込まれ消し去られていった。誰に対してというわけでもなく兵を怒鳴りつけたバラザフだったが、内心に怒りは無い。
やがて炎が途切れ、敵が門扉を大きく開き、百名程が打って出てくるのを機に、
「今だ! 矢を射かけよ!」
と反撃を命じた。
門から出てくる敵に真横に射られた矢が突き刺さってゆく。ほぼ狙撃の形に近い。
バラザフは弓兵を百人ずつ三部隊を編成していた。この三部隊で射撃稼動を循環させ、メフメト軍を襲う弓矢の凪は生じなかった。
幸運にも撃ち漏らされて弓隊に一矢報いんと突撃をかける者も、脇に配置されたアサシンの投擲で着実に始末されていった。
当然、バラザフは定石である槍兵も用意している。二百名の槍兵が門の傍で転倒している敵兵に止めを刺さんと襲い掛かる。その横を次の
――これしきの小競り合いでは少しの損害も出したくないからな。
奇策という程の戦術ではない。だがバラザフは一手一手を細やかに指示して、味方を一人も死なせなかった。門の所には百を越える骸がある。それらはすべてメフメト兵で生者は全てアジャール兵である。
「これで十分だ! 一旦退くぞ」
僅かに生き残った敵兵が城内に退却してゆく。良い戦果だとバラザフは認識していた。ここで逃げてゆく敵兵と一緒に門内へ駆け込んで攻撃するという手もある。だがバラザフはその戦術を取らなかった。
「門が開いている内に駆け込まないのですか?」
例によってレブザフが尋ねる。
「うむ。敵が先に
「ついていましたね」
「ついていた。全てを想定しきるのは至難だからな」
この時、フートの配下が城内へ駆け込んで様子を窺って来た。そして城内では
「手際の良い見事な戦術だった。見た目は小競り合いだがこの勝利は大きな意味を持つだろう」
レブザフを通して報告を受けたカトゥマルは満足な様子を隠さず表した。
「俺はバラザフの活躍が我が事のように嬉しい。勿論父上もお喜びだった」
アジャール軍の士気が上がる一方で、この一戦でメフメト軍の士気は一層低下し、中から突進してくる気概はすっかり失せてしまったようである。だがアジャール軍はおとなしくなったメフメト軍を黙って囲んでおけばよいというわけにはいかず、ベイ軍やバーレーンのメフメト軍からの援軍を相手した小戦闘はしなければならなかった。
アジャリアはこれらの戦闘の勝利に満足しつつ、ついに自らも稼動体勢に入った。
「ハサーの包囲はここまでだ。次はダンマームに向う。ナジ・アシュールが待っている頃合だ」
「ダンマーム攻略に入るのですか」
傍に仕えていたワリィ・シャアバーンが尋ねた。
「取れるものなら取っておきたい。が、強攻めは不要。ハサーと同様にダンマームもアジャール軍に手出しが出来なかったと、バーレーンのカウシーンとシアサカウシンに知らしめるのが目的だ」
――アジャリア様の狙いがハサーでもダンマームでもないとは思っていたが。
――さりとてバーレーン要塞を本気で攻撃するとも思えんな。
事ここに至ってもアジャリアの真意が読めず、ワリィとアブドゥルマレクは囁き合っていた。
――カウシーン・メフメト殿にこれから会いにゆくのだ。
アジャリアは記憶の中のカウシーン・メフメトという人物と対面しようとした。が、
「傷だらけだったのは憶えているが、なぜか目鼻がちっとも思い出せんな……」
――この方はアジャリア様だったはずだが、いつの間にやら
「お前たち。わしは本物のアジャリア様ぞ。ん?」
ワリィとアブドゥルマレクの囁きをアジャリアは愉悦を含んで窘めた。
――今、アジャリア
――だが、あの自信はご本人の物に他ならぬ気がする。
もはや重臣達ですら真実が分からなくなっていた。二人は臣下としてはいささか不敬な程、アジャリアをじっと観察している。
「面白くなってきた。ダンマームで待つアシュールの部隊にもわしが居る。メフメト軍の目にはこれはど映るだろうか」
悪戯を仕掛けてその成果を待つ悪童のようにアジャリアは一人笑っている。
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