2019年1月9日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第1章_13

 ついにバラザフ達の近侍ハーディルを含めたアジャリア本軍がハラドから出撃した。この行軍の課程でサバーハ家、メフメト家の援軍と合流する手筈になっている。このためアジャリアは、部隊の行軍の歩を遅くするように指示した。
 一方サラディン・ベイはアジャール側のアラーの街トルキ・アルサウドが横合いから奇襲してくるのを警戒しながら、補給部隊に五万の兵をつけて行軍の途中に残した。アルクラーヤットの街を前線までの補給線を繋ぐ基地として、本体はネフド砂漠に進んだ。そこから一週間かけてジャウフに到達。サラディンはまた部隊を少しジャウフに残して、本体の八万の兵を西南西のタブークに移動させ、ここを押さえた。もし先にアジャリアが兵を回してタブークを占拠すれば、ジャウフのベイ軍はハイル、アラー、そしてこのタブークの三方を囲まれる形となり、後ろへ退却する他なくなるからである。
 これとは逆にアジャリアは本体を今居るハイルから北西のラフハーに遷した。ハイルとアラーの街を連携させるには道は二つ。ジャウフを通るか、ラフハーを通るかである。ジャウフはベイ軍の占領下にあるため、アジャリアの方はラフハーを押さえねばならなかった。ラフハーに至り、アラーの街に配備していた兵を併せると、アジャール軍の兵力は二十万にまで増えた。
 近侍ハーディルというアジャリアの傍近く居る勤めによって、バラザフはアジャール軍の軍議を目の当たりに出来た。父エルザフ、エドゥアルド、ズヴィアドなどの重鎮たちがアジャリアの宿営所頻繁に行き来して、得られた情報を元に少しずつ策を練り上げている。
 大略としてアジャリアは稲妻バラクを用いると決めた。ラフハーの街から出て陣を布く事にしたのである。稲妻バラクと聞いてバラザフは、自軍が敵軍に対して稲妻のように襲いかかるのを想像したが、実際のこの戦術は稲妻バラクが戦場を横断するように自軍が配置され、横に拡がった自軍によって敵を包囲するものである。横一列に兵を並べるのではなく、列を違えて配列する故、その形状が稲妻バラクのようになる。
 最前列に槍兵が違えに並び、その後ろに駱駝騎兵が配置されている。灼熱の砂漠で速やかに移動出来るのが駱駝騎兵である。馬よりも重量に耐性があり、人も荷物も同時に運べるという利点がある。槍兵で敵を防ぎ、頃合を見て槍兵の間から駱駝騎兵が突撃をかける。ここまでは一般的な軍容である。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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