2020年1月15日水曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第4章_5

 ついにバーレーン要塞をアジャール軍が包囲し始めた。二十万の兵が海を渡り、あるいは手前の沿岸で包囲の陣を整えている。
 サラディン・ベイはメフメト軍から何度も援使を迎えているが、義人サラディンとても自勢力を滅亡させるような危険を冒す事は難しかった。メッカのザルハーカ教横超地橋派の蜂起で、そこを突破出来ぬのもあるし、その蜂起を裏で糸を引いているのがアジャリア・アジャールで、アジャール側からはサラディンがアジャール軍を攻撃しなければ、ザルハーカ教の方は抑えるようにしておくとの密約があった上に、カイロのベイ軍へ糧秣が送られてきていた。
 今、カイロは飢饉である。アジャール家に対して、人民を飢えさせないようにしてくれた恩を仇で返す事の出来ないサラディンは、メフメト軍の援使を邪険にしないながらも、これに現実的な協力を示すわけにはいかなかったのである。
 ――ベイ軍は頼りにならない。
 シアサカウシンはカウシーンから何度も言われた。
 カウシーンにはサラディンが動けない理由がわかっていた。だとしても彼は自分の方に肩入れしないサラディンを感情的に許せていない。
 こうした手回しの良いアジャリアでさえ、いざバーレーン要塞を目の前に仰いだ時、その広大さに一瞬言葉が詰まった。しかし、そこは稀代に智将らしく盤上の遊戯をどう崩そうか考えて愉しむような気持ちになり、
「バーレーン要塞は古代より建て増しされきたそうだが、おそらく我等の代こそ一番眼福の相応しい姿だろう」
 と傍に居るワリィ・シャアバーンに冗談を言う余裕を見せ始めていた。
 アジャリアはバーレーン要塞を西の対岸から見ているが、それでも海の向こうから要塞の威風は迫ってくるものがある。すでに要塞の堂宇に彼らは居るといっても差し支えない。
 バーレーン要塞は三十を越える大小の群島の中の一番大きい島に建つ。砂漠と石灰岩の島々だが、北部に砂漠緑地ワッハ があり、そこのマナーマという城邑アルムドゥヌ が要塞の中核を成している。
 そして、当然周囲の海が天然の濠の役割をはたし外敵を阻んでいる。
「大きい。実に大きい。これを陥落させるには普通なら数年の時を要するであろう」
 ここに至ってなおアジャリアの真の目的は眼前には無い。サラディンが攻略出来なかったこの要塞を我が物にしてみたいという思いは確かにある。だがそれで彼と同じ失敗をするまいという思いのほうが強く、
 ――あわよくば攻略しよう。
 という慎重さを懐に抱えた、屈曲した攻城戦に挑もうとしていた。
 ハサーとダンマーム、この二つの城邑アルムドゥヌ にしても収穫出来れば、戦果としては上の上であるが、メフメト軍の威勢を削ぎ、アジャール軍の気炎を上げる事が出来たので、第一の目的は十分に達成されている。
 アジャリアはまたクウェート攻略に出たいと思っている。
 ――アジャール軍恐るべし。
 そういう感情を今の内に植えつけておけば、次のクウェート攻略でメフメト軍が横槍を入れてくる事はまずないだろう、というのがアジャリアの目論見なのである。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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