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2019年2月9日土曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_15

 戦いの盤面がシルバ勢優勢となった時点で、エルザフはハウタットバニタミムの士族アスケリを束ねる長と和平へ向かおうとした。
 ハウタットの長との交渉に向かう配下にエルザフは、閉瞼へいけんしそうなくらい目を細めて、
「長の側近たちに渡りをつけておいて下さい」
 と策を敷いておいた。その口には僅かに笑みを浮かべている。
 この時点でエルザフはハウタット側に何も求めず、あっさりと兵を退却させた。和平の交換条件として何かしら要求して、再び相手に門を堅く閉じさせる愚をやるつもりはなかった。だが本来抜け目ない彼は和平交渉の場を後の策に利用したのである。
 複数の勢力の調略の間で揺れる組織というものは、一枚岩でない事が多い。一度はアジャール側についたハウタットバニタミムが背を向けた事がその証拠であり、側近の中にアジャール寄りの者が少なからずいるということである。
 エルザフはこの策に強気であった。自信の理由はバラザフである。我が子がすでに将として一人前に育っていたのだと、この戦いの中で初めて認識出来た。潜在的な数千の戦力を俄かに発掘出来たといってよい。
 もちろんバラザフ自身が千人もの兵士を相手どって軍神のような働きが出来るわけではない。が、効率という意味において兵数千に値する事は戦いの巧みさで証明されたばかりだ。それが身内だという事も戦力評価を大きく出来た理由の一つでもあった。
 一旦、兵を退かせたものの、エルザフのハウタットを取る気には変わりはない。ハウタットに背を向けられたという事は、アジャール勢力地図内に楔を打ち込まれたに等しい。これを放置して良い理由はどこにもないのである。
 種だけは蒔いておいて、エルザフは機が熟すのを待った。

※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。

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2019年2月8日金曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_14

 バラザフが用いたこの手法はズヴィアド・シェワルナゼから教わったものである。規模の小さい砦の落とし方を習っていたのだが、それをこの櫓攻略に適用したのである。
 バラザフにとってこの亡きズヴィアドからの教授はいわば形見タヅカル遺産タラスであり、成木になったばかりの若さが、師が土となった物の咀嚼を良くした。そして覚えたことをとにかく使ってみたい年頃でもある。
 バラザフは成人を果たしたといっても、その面貌はまだまだ子供である。バラザフの手際を横で目の当たりにしていたアルカルジ近郊から参戦している各士族アスケリの胸中には共通して、
 ――子供がこのような戦果を上げるというのは有り得た事なのか。
 との思いがあった。
 しかし、彼らが目にした手際とはあくまで目の前の出来事だけにすぎず、バラザフは櫓を落とす間にも各所の涸れ谷ワジに人を遣って水量を確認させ、報告させるという事を繰り返していた。夜間で雨雲の機嫌を窺う事は出来なかったが、これならば急な増水による兵の損失を回避出来る。
「“見える雲が必ず雨を降らすわけではない”というが、雲が見えなくても水を畏れる必要はあるはずだ」
 三百名の兵士を各櫓の守備に振り分けて、バラザフは次の局面に遷っていった。次の区画、またその次の区画と、同様の手法でまず櫓を落としにかかり、これらにも三百名ずつ守備兵を割きながら城邑アルムドゥヌの奥へ、進みバラザフ達の部隊はハウタットの本営のある場所へ間近に迫った。バラザフの部隊だけで街の北半分を占拠した形となる。しかもバラザフはここまでで敵も味方も一人として死なせていないのである。
 これによりハウタットの首脳部のいる本営は北と南から挟まれた。
 エルザフはバラザフの命令違反を罰しなかった。それと釣り合わせるように褒める事もしなかった。ただ息子の中に居るもう一人の自分を見出した父の顔は誰の目から見ても満足げであった。
「あの一番攻め難い場所から落とすとは、我が子ながら大したもの。さて――」
 この局面からエルザフは急ぐ必要がある。街の北半分を落としたといっても各櫓を守備しているバラザフの部隊はそれほど多くはない。なにしろ北から漏れ出る敵兵を見張るための部隊であったため、積極的な戦線投入を想定していなかった。急な反撃でバラザフ部隊が窮地になる前に戦いを終局に導かなくてはならない。

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2019年2月7日木曜日

『アルハイラト・ジャンビア』第2章_13

 エルザフはアルカルジ方面の攻略に三万の兵を与えられた。事前に目配り心配りをしていても、指の間から滴が抜けるように敵の調略に落ちた士族アスケリ達は攻伐の対象とせねばならない。エルザフはまずこの三万の兵から五千を割いてハウタットバニタミムの街を攻める事にした。現在エルザフが拠点としているアルカルジから南西に位置し、徒歩で二日の距離である。リヤドからは南に四日だ。
 ハウタットバニタミムの周りには涸れ谷ワジが点在し、水量は比較的豊富である。つまり急な雨でこれらの水かさが増すと、カンダクの役割を果たし攻略が困難になるということである。よって進軍する際にはこれらのぬかるみそうで、急な増水で兵が呑まれそうな地点を避ける必要があり、攻撃地点が限定されてしまう。
 エルザフが地勢を観た所、南と東からは行軍路が採れそうである。エルザフは東側に兵の配置を済ませ出口を押さえると、別働隊を編成して南へ回り、周囲を囲んでいる兵士に外から弓矢で攻撃させ、敵の意気が下がった所を南から槍部隊で突撃を掛けた。
「さて、そろそろ敵の増援が来そうだが」
 エルザフが予想したとおり、南口が落とされた事は程なくハウタットの各部隊に知らされ、敵の援軍が押し寄せて来たので、槍部隊を指揮するバラザフの次兄メルキザフは、素早く退却した。一言に兵を退かせるといっても槍のような長柄の武器を持った兵の機動力は決して高くなく、腕の振りを使えない事もあって、たかが進退であっても念入りな訓練を要する。また、本来小回りの利く兵種ではないので逃げ遅れるとたちまちに敵の放った矢の雨の餌食になってしまう。この退却一つにメルキザフの統率力の高さが窺える。すでにすぐ傍の櫓には援軍の弓兵のこちらを狙撃しようとして弓に矢をつがえる姿が見え始めている。
 東口を中心にアジャール軍の傘下のアルカルジ近郊の士族アスケリが街を包囲する形で構えていた。長兄アキザフはこれらの兵士を、それらを率いてきた小領主格の者達の代わりに鼓舞して回った。
 兵士の士気を倦まさず保つというのは大抵の武将が苦慮する所である。勇ましく兵達に力を与える、この若き将の姿を将兵は頼もしく見ていたが、アキザフ自身の部隊は彼らの後ろに置かれ最後まで温存される手筈になっていた。誠に巧いやり方である。
 無難に戦いを展開しているように見えて、実のところ攻城はあまり円滑には進んではいない。
 このハウタットを包囲する盤面の中で、バラザフは北側の押さえを担当していた。最初の見分で父エルザフは北側の区画は、周囲の涸れ谷ワジが増水した場合、ここに水が流れ込み、その流れを渡っているに矢の雨が降ってくれば部隊が壊滅すると危惧していたため、バラザフには、
「攻城は無用」
 と勇まぬよう指示していた。
 北側にも街を護るべく小さな櫓がいくつか配置されていたからである。
 が、バラザフは父の指示を守らなかった。勇んで攻めかかったのではない。間者ジャースースを多数稼動させ北側の櫓を全て自分の手中に収めたのである。間者ジャースース達は櫓の守備兵にある事ない事吹き込んで心を乱して隙を作り、夜の闇を味方につけて守備兵が放棄した櫓をまたたく間に占拠した。

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