ソコルル・メフメトはクウェートのサバーハ家に所属していた軍人である。正確には彼の父がサバーハ家の将だったのだが、ナムルサシャジャリ・アジャールの時代のハラドに攻め入り、逆に討たれた。その機にソコルルはサバーハ家から離れ、メフメト軍に身を寄せた。
ソコルルはカウシーン・メフメトが百万のジュバイル軍を破って城邑
を獲得した際にも戦功があり、その勇猛さを将来的にアブナムバシャールに見込まれて、メフメト家の娘と娶わせてもらい、メフメト一門の者になった。
ソコルルは戦場ではいつも最前線に居た。常に先頭を走り今日まで戦死せずに歴戦の中で生き抜いてこれたのは、彼が単に剛勇だけの軍人ではなく大局眼も持ち合わせていたからに他ならない。敵から恐れられる人物で世代の違うバラザフでもソコルル・メフメトという名を知っている。
――退き口にあのソコルル・メフメトとぶつかる。
ただでさえ死闘が予想されるこの退却戦の戦場に、さらに一人死神
が立ち塞がった形である。
だがアジャリアの口から出た言葉に恐れの色は微塵も無かった。
「このアジャリアの好敵手であるカウシーン殿さえバーレーン要塞に篭もって、わしとの対決を回避したのだ。それなのに先の戦いでハサー、ダンマームの城邑
で外に出て来れなかったバヤズィトやムスタファなどの雛鳥
共が今更我等に歯向かうとは物を知らぬか!」
アジャリアはこの大喝に意味を持たせている。敵の配置はすでに済んでいる上に、その指揮をソコルル・メフメトが執っている事は味方の将兵もすでに知っているだろう。だがその事で味方の士気の低下を許してしまえば、勝てる戦いにも勝てなくなる。
バラザフも瞬時にアジャリアの大喝からその意を酌んだ。アジャリアのこの気持ちを理解したのはバラザフだけではなく、アブドゥルマレク・ハリティも、
「このような戦いは言わば我等の勝ちの型である。ハラドに、そしてリヤドに我等は覇を唱えて来た。雛鳥
共に負けるなどアジャール軍の恥と知れ!」
と大声で軍議の座を鼓舞すると、それに応を唱えて歓声が沸き起こった。
――インシャラー!
ワリィ・シャアバーンが神に勝利を誓うと、またこれに諸将が声を被せた。
――インシャラー!!
味方の士気が否が応にも上がる。気付けばバラザフも諸刃短剣
の柄を掴む手に汗も握っていた。
「進撃を再開する。では諸将、抜かりなく」
アジャリアの声色にはすでに普段の落ち着きが戻っているように聞こえる。もはやアジャリアはただ帰るつもりではなくなっている。行く先に居るメフメト軍を撃破し、リヤドへの退却を確実なものとした上で、後から来るカウシーン・メフメトと直接対決をして勝ってやろうと思い定めていた。
――今の我等には迅速さが最も必要だ。
部隊長格、いや一領主に出世した今でも、アジャリアの発する気を感得する習慣はバラザフから抜けていない。
アジャリアの今回の作戦でいつもと違うのはバラザフに伝令将にした事だけではない。兵站の荷隊
の隊長にに熟練のナワフ・オワイランを配置した。
「荷隊
の隊長をナワフ・オワイランに任せる」
このアジャリアの命令をナワフは始めは承服出来なかった。
「このナワフ・オワイランが何故荷隊
なのです。アジャリア様はこのナワフを戦闘には役不足と見ておられるのか」
荷隊
の隊長という役目を屈辱として受け取ったナワフは真っ赤に逆上している。これに対してアジャリアは言葉に理と情を込めて命令の意味をナワフに説く。
「役不足――。全くの逆である。現状、熟練のお前でなければ荷隊
は安心して任せられぬ。砂漠を横断して帰るのだぞ。戦闘に勝利しても荷隊
がやられたら我等は餓えて砂漠に骨を埋める事になるぞ。サラディン・ベイが百万の軍勢を以ってしてもバーレーン要塞攻略に失敗したのは何故だと思うか。それはな、荷隊
が奪われたからなのだ。荷隊
を失ったベイ軍は水で固めていた砂が渇いて崩れるように数を減らしていったのだ。わしにサラディンのような恥をかかせてくれるなよ、ナワフ」
アジャリアの理と情はナワフの心にしっかりと浸透していった。
「バラザフにも伝令将を任せている。重ねて言うが荷隊
をお前の実力で守り通す事が肝要だ。バラザフはわしの命に疑問を挟む事は無かったぞ」
最後はそれとなく他者と比較して煽り、アジャリアはナワフの自尊心の炎を風で扇いだ。
「バラザフ」
「は!」
「ワリィ・シャアバーンの部隊を十に分割して別働隊として前線へ行かせている。全ての小隊長に伝令せよ」
「は!」
「我等の行く先にメフメト軍が待ち伏せしている。北に遠回りして敵の背後に回れ。全速力で進撃するように伝えよ」
ワリィ・シャアバーンには七万の兵が割り振られている。これを十に分けて各小隊におよそ七千の兵を置いた。わざわざ分隊したのは敵の罠に嵌って一網打尽になるのを防ぐため、迅速な移動を可能にするため、そしてこのように挟撃の任務を与えるためである。
「わしも本隊を分隊して東からメフメト軍を挟む。ここでの迅速さが明暗を分けるぞ。バーレーンからの本隊がここに至れば、その時我等の敗北は決まる」
伝令にバラザフは走る。
アジャリア本隊から西のメフメト軍が待ち伏せている地点まで行軍時間は半日、バーレーンからこの地点までは一日と少しである。挟撃の軍容を完成させ、そこから数刻で勝敗を決めねばならなかった。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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ソコルルはカウシーン・メフメトが百万のジュバイル軍を破って
ソコルルは戦場ではいつも最前線に居た。常に先頭を走り今日まで戦死せずに歴戦の中で生き抜いてこれたのは、彼が単に剛勇だけの軍人ではなく大局眼も持ち合わせていたからに他ならない。敵から恐れられる人物で世代の違うバラザフでもソコルル・メフメトという名を知っている。
――退き口にあのソコルル・メフメトとぶつかる。
ただでさえ死闘が予想されるこの退却戦の戦場に、さらに一人
だがアジャリアの口から出た言葉に恐れの色は微塵も無かった。
「このアジャリアの好敵手であるカウシーン殿さえバーレーン要塞に篭もって、わしとの対決を回避したのだ。それなのに先の戦いでハサー、ダンマームの
アジャリアはこの大喝に意味を持たせている。敵の配置はすでに済んでいる上に、その指揮をソコルル・メフメトが執っている事は味方の将兵もすでに知っているだろう。だがその事で味方の士気の低下を許してしまえば、勝てる戦いにも勝てなくなる。
バラザフも瞬時にアジャリアの大喝からその意を酌んだ。アジャリアのこの気持ちを理解したのはバラザフだけではなく、アブドゥルマレク・ハリティも、
「このような戦いは言わば我等の勝ちの型である。ハラドに、そしてリヤドに我等は覇を唱えて来た。
と大声で軍議の座を鼓舞すると、それに応を唱えて歓声が沸き起こった。
――インシャラー!
ワリィ・シャアバーンが神に勝利を誓うと、またこれに諸将が声を被せた。
――インシャラー!!
味方の士気が否が応にも上がる。気付けばバラザフも
「進撃を再開する。では諸将、抜かりなく」
アジャリアの声色にはすでに普段の落ち着きが戻っているように聞こえる。もはやアジャリアはただ帰るつもりではなくなっている。行く先に居るメフメト軍を撃破し、リヤドへの退却を確実なものとした上で、後から来るカウシーン・メフメトと直接対決をして勝ってやろうと思い定めていた。
――今の我等には迅速さが最も必要だ。
部隊長格、いや一領主に出世した今でも、アジャリアの発する気を感得する習慣はバラザフから抜けていない。
アジャリアの今回の作戦でいつもと違うのはバラザフに伝令将にした事だけではない。兵站の
「
このアジャリアの命令をナワフは始めは承服出来なかった。
「このナワフ・オワイランが何故
「役不足――。全くの逆である。現状、熟練のお前でなければ
アジャリアの理と情はナワフの心にしっかりと浸透していった。
「バラザフにも伝令将を任せている。重ねて言うが
最後はそれとなく他者と比較して煽り、アジャリアはナワフの自尊心の炎を風で扇いだ。
「バラザフ」
「は!」
「ワリィ・シャアバーンの部隊を十に分割して別働隊として前線へ行かせている。全ての小隊長に伝令せよ」
「は!」
「我等の行く先にメフメト軍が待ち伏せしている。北に遠回りして敵の背後に回れ。全速力で進撃するように伝えよ」
ワリィ・シャアバーンには七万の兵が割り振られている。これを十に分けて各小隊におよそ七千の兵を置いた。わざわざ分隊したのは敵の罠に嵌って一網打尽になるのを防ぐため、迅速な移動を可能にするため、そしてこのように挟撃の任務を与えるためである。
「わしも本隊を分隊して東からメフメト軍を挟む。ここでの迅速さが明暗を分けるぞ。バーレーンからの本隊がここに至れば、その時我等の敗北は決まる」
伝令にバラザフは走る。
アジャリア本隊から西のメフメト軍が待ち伏せている地点まで行軍時間は半日、バーレーンからこの地点までは一日と少しである。挟撃の軍容を完成させ、そこから数刻で勝敗を決めねばならなかった。
※ この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
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